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五月某日。人気の無い、街から外れた場所にある廃倉庫。
そこには救援要請を受け、新米撃退士より送られてきた位置情報を頼りに駆け付けた柏木 優雨(
ja2101)と永連 紫遠(
ja2143)の姿があった。
黒木護はこの廃倉庫からディアボロの魔の手を遠ざけるべく、この倉庫から少し離れた場所で敵を引き付けている為、優雨と紫遠を除いた四人の撃退士達は、そちらに急行している。
「状況は?」
「護さんがディアボロを引き付けてくれているお陰で、この倉庫が壊される事は無かったのですが……それでも、百合香さんの傷はまだ」
壁にもたれかかっている新米撃退士の傍へ駆け寄った紫遠が状況の説明を求めると、撃退士は床で横になっている百合香の方へ視線を向ける。
新米撃退士本人もかなりのダメージを受けている影響か、百合香には本当に最低限の応急処置しか施されておらず、このまま放っておけば死亡が確定してしまう程に危うい状態だ。
そして隣でそれを聞いていた優雨は、百合香の元へ歩み寄り、彼女の負っている傷の具合を確認する。
「結構深く斬られてしまっていたようで、僕の力ではきちんとした処置を施す事が出来ませんでした。出血が中々に酷くて……」
優雨の後ろ姿を見た新米撃退士が百合香の状態を説明すると、優雨は百合香の傷を癒すべく、アウルの光を掌から送り込み始めた。
「大丈夫……絶対、助かるの……助けるの……」
優雨は百合香に声をかけながら、出血が完全に治まるようにライトヒールを施し続ける。
「二人の事は任せたよ、僕は護さんの方に行ってくる」
治療が行われている事を確認した紫遠は、新米撃退士と百合香の事を優雨に任せた後、護の援護に向かった他の撃退士との合流を急ぐのだった。
その頃、廃倉庫から離れた地点では。
「あいつか? 随分と無茶やってんなぁ」
溜め息を吐くようにしてそう言ったCaldiana Randgrith(
ja1544)が指差した先では、護と思われる男が蟷螂型のディアボロ二体を引き付け、戦闘を行っている。
「護さん……凄いですね。絶対僕より撃退士に向いてます」
しかし、アウルに目覚めたばかりでありながらもディアボロの攻撃を次々と見切って回避している護の姿を見た間下 慈(
jb2391)は、少々驚いたような表情を見せた。
そして先程まで廃倉庫に居た紫遠も合流し、撃退士達は本格的に戦闘の準備を開始する。
天宮 佳槻(
jb1989)は自身の周囲に集まった撃退士達の脚に風神を纏わせ、出来る限り素早くディアボロを撃破出来るように援護を行う。
「生きる為に、生かす為に抗う……けひひっ、いいねぇ。こういうヤツには手を貸したくなる」
必死にディアボロを引き寄せ続ける護を見たCaldianaは、軽く笑った後、黒色の双銃を構えた。
「一体は俺が抑える。その間に残りの戦力でもう一体を倒すんだ」
冷静に敵の動きを見ていた影野 恭弥(
ja0018)は、戦闘の準備を行っている他の四人に向けてその一言だけ言い残し、素早く護の元へ移動を開始した。
そして恭弥の行動を見た四人もまた、早急にディアボロを撃破する為に行動を開始する。
撃退士達がディアボロを撃破する為に行動を開始した中、一人で二体のディアボロを引き付けている護は、絶え間無く繰り出される攻撃をひたすら避け続けているが、その顔には疲労の色が伺える。
「相変わらず攻撃を入れるだけの余裕は無いか……くそっ」
片方のディアボロが鎌を振り下ろしては護がそれを避け、護が避けた事を確認したもう片方のディアボロが間合いを詰める……という一方的に押されている状況である為、攻撃を回避する事こそ出来ているものの、状況的にはかなり追い詰められていると言えるだろう。
「一体、こいつらは――!?」
ディアボロが一体何を目的として行動しているのかに疑問を抱いた護ではあったが、その瞬間に一体のディアボロが護の懐に飛び込むように突進し、護はその攻撃をサイドステップを踏む事でギリギリ回避したものの、着地に失敗して体勢を崩す。
「ッ……!」
そして体勢を崩した護との距離を詰めたもう片方のディアボロが鎌を大きく振り、護は自ら地面を転がる事でそれを回避したが、鎌の先端が彼の頬を掠めた。
頬の傷から真っ赤な鮮血が溢れ出し、それが頬を伝って地面に滴り落ちようとする中、一体のディアボロが護に向けて鎌を振り下ろさんとする。
「俺も終わりか……」
完全に追い詰められた護が死を覚悟し、ディアボロと向き合ったその時だった。ディアボロと護の間に黒い影が飛び込んできたのだ。
その影の正体は、恭弥だ。彼が拳銃でディアボロの鎌を受け止めるのと同時に、駆け付けた紫遠がもう片方のディアボロとの間合いを詰め、その動きを封じた。
恭弥は受け止めた鎌を弾き返し、ディアボロの胴体に至近距離から白銀の弾丸を撃ち込む。その弾丸は、邪悪な存在であるディアボロの胴体に大きな風穴を開けた。
「…………」
ディアボロは金切り声を上げながら、最後の足掻きと言わんばかりに恭弥に向けて鎌を振り下ろそうとするも、恭弥は素早くその攻撃を回避し、拳銃でディアボロの頭部を撃ち抜いた。
「あの、貴方は……」
「さっさと下がれ。邪魔だ」
瞬く間にディアボロが倒されるところを見て、護は恭弥が何者なのかを問おうとするが、恭弥は応急手当で護の頬の傷に止血を施すのと同時に後退するように言う。
「おめぇは倉庫に戻って姉貴の名前を呼び続けろ! 家族の声ってのは、届くもんらしいぞ!」
それに加え、後方より聞こえてくるCaldianaの言葉を聞いた護は、即座に立ち上がって廃倉庫へ急ぎ始める。
そして護が廃倉庫へ戻ろうとする途中、後衛としてディアボロとの戦闘を行っていた天宮と視線が合う。
「戦いは僕達で出来ます。ですが、お姉さんを励ます事が出来るのは貴方だけです」
天宮に声をかけられた護は、名前も知らない撃退士達にこの場を任せ、そのまま廃倉庫へ急ぐのだった。
「さ、ここからは僕らの仕事です」
そう言って銃を構えた慈。ディアボロと至近距離で渡り合っている紫遠に向け、ディアボロが鎌を振り下ろさんとしたその時、慈は金色のアウルを纏った凡人の光弾を撃ち、その鎌を吹き飛ばす。
そして、鎌を吹き飛ばされた事で怯みを見せたディアボロの背後には既に恭弥が回り込んでおり、ディアボロに回避する間を与えずに白銀の退魔弾でディアボロの右足を根本から消し飛ばした。
ディアボロは苦し紛れに金切り声を上げ、背中の羽を羽ばたかせて無理やりその場からの離脱を試みるが、後方からCaldianaがディアボロの羽に銃を向けてニヤリと笑う。
「飛ばせるかよ。その羽を撃ち抜きゃ、おめぇはもう終わりだ」
Caldianaはその双銃から二発の弾丸を発射し、的確にディアボロの羽を撃ち抜く。そして彼女の言っている通り、足と羽を撃ち抜かれたディアボロにこの場から逃げる手段は残されておらず、もう動く事すらもままならないディアボロに天宮が追撃を決めようとしていた。
天宮が八卦石縛風によって砂塵を舞い上がらせ、ディアボロに更なるダメージを与えながら動きを封じていると、その隙を見た紫遠が緑色の光を宿した剣を振りかざして。
「デカいの一発、ぶつけてやるッ!」
紫遠はそのまま剣を振り下ろし、強力な一撃でディアボロにトドメを刺す。
そしてディアボロ二体を撃破した事を確認した五人の撃退士達は、新米撃退士と重傷を負っている百合香の搬送を急ぐ為に、廃倉庫へ向かう。
戦闘を終えた撃退士達が廃倉庫に駆け付けると、そこでは優雨が百合香に現時点で可能な限りの治療を施していた。また、撃退士達に言われた通り、護も百合香の名前を必死に呼び続けている。
「……中々に酷い状態ですね」
未だに治療が十分とは言えない状態の百合香を見た天宮は、即座に彼女の近くへと駆け寄り、治癒膏やライトヒールといった自分に出来る限りの治療を施し始める。
「まったく、おめぇも随分と無茶をするもんだ。ほら」
百合香を治療している天宮の姿を見ている護の頬や腕に傷がある事を察したCaldianaもまた、護の元へと駆け寄り、複数個所の傷に応急手当を施す。
「後は、彼女の気力次第でしょうね……やれる事はやりました」
そして恭弥が百合香に応急手当を施し終えたところを見た慈は、先程よりは安定しているであろう百合香の容態を見て、軽く息を吐く。
「早く要救助者の搬送を……」
顔を上げ、恭弥が怪我人の搬送を急ごうとしていると、それとほぼ同タイミングで外から複数人の人間の声が聞こえてくる。
その声の主は、救護班だ。ディアボロが殲滅された事を確認して廃倉庫へ駆け付けた救護班は、新米撃退士と百合香の姿を確認した後、その場に居る撃退士達と共にタンカで二人を救急車へ運び込む準備を始めるのだった。
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撃退士達の援助もあり、廃倉庫内で可能な限りの治療を受けた新米撃退士と百合香。その甲斐があって、救護班が駆け付けた現時点でも、百合香はまだ持ちこたえている。
そして百合香と新米撃退士を救急車に乗せ、搬送準備が終わった頃。
「貴方が来ていなければ、俺はたぶんあのまま……。恭弥さん、本当にありがとうございました」
ディアボロとの戦闘を終えて搬送を終えた後はこの場に残るという恭弥とCaldiana。護は絶体絶命のピンチに追い込まれた際に恭弥に救われ、九死に一生を得た為、彼に向けて頭を下げた。
「…………」
恭弥は頭を下げている護の事をチラリと見た後、無言で何処かへ歩いて行ってしまう。
彼がこの場所に敵の残党が居るかどうかの確認をしようとしている事を察したようにして、顔を上げた護もまた、恭弥の後ろ姿を黙って見送る。
「おめぇが姉貴を生かす為に抗った分だけ、姉貴自身も生きる為に抗うだろうよ」
そう言ったCaldianaは、護の肩を叩く。
「おめぇが姉貴にとって本当に大切な家族なのであれば、姉貴もおめぇの抗いに応えてくれるだろうさ。だから、最後まで姉貴の為に抗ってやんな」
Caldianaの言葉を聞いた護は、彼女と真っ直ぐ向き合った後、はっきり頷いて。
「ありがとうございます、Caldianaさん。俺がこうして今も生きているのは皆さんのお陰ですが、俺も自分に出来る限りの事をやってみようと思います。生きる為に、抗います」
それを聞いたCaldianaはケラケラと笑い、護と固く握手を交わす。
そして握手を交わした後、護はCaldianaに向けて一礼し、病院へ向かう為に走り去っていく。
護と百合香、そして彼等に同行する事にした撃退士達を乗せた救急車がこの場所を去って行った事を確認したCaldianaは、その場で息を吐いて。
「……さて、あいつの声は姉貴に届いたのかねぇ」
晴れ渡った青空を見上げながらそう呟いたCaldianaもまた、恭弥と同じようにこの場所を後にするのだった。
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それから時は流れ、病院の手術室前。
病院に到着した直後から百合香の手術が開始され、同行した撃退士達が自分達に出来る事をしようと駆け回っている中、護と優雨は手術室前に置かれた長椅子に腰をかけていた。
「……結局、よく考えてみれば俺のしようとしていた事は無謀でさ。先の事は何も考えてなくて、姉さんを助けたいが為に周りが見えてなかった。優雨さんや他の皆さんが来なければ、俺はあのまま無駄死にしてたんだろうな」
自分のしていた事を冷静に考え直した護は、椅子に座りながら頭を抱えた。
無謀であったが故に、姉を助けたい一心しか抱いていなかったが故に彼はアウルを覚醒させる事が出来たのかもしれないが、撃退士達が駆け付けていなければ護はあのままディアボロに殺されてしまっていた事だろう。
「その気持ちは……分かるの。私も、同じ辛さ……経験してるの」
「優雨さんが?」
優雨の声を聞いた護が顔を上げると、彼女は静かに頷いた。
「護は……自分に出来る事を、やっただけなの」
「……まぁ確かに俺は、あの時は俺が動かないと全員殺されると思ったから無謀な真似をしたんだ。自分に出来る事を考えた結果なのかもしれないな。ありがとう、優雨さん」
護は優しく言葉をかけてくれた優雨に向けて御礼を言った後、軽く頭を下げる。
「でももし仮にあのまま俺が死んで、姉さん達も殺されてしまっていたとしたら、それこそ本当に全てが無駄な足掻きだった訳で。俺が早まった結果がそうなってしまったという事にもなる訳で。そんな、もしもの事を考えると、気が重くなるんだ」
恭弥がディアボロと護の間に入り込み攻撃を防いだ事も、本当に奇跡に近いような出来事だったのだ。一秒でも遅ければ、護はあのままディアボロに殺されていただろうから。
「俺が今こうして生きているのは、皆さんのお陰で。それに、優雨さんが姉さんの治療をしてくれたからこそこうして手術が始まるまで姉さんの身体が持った訳だけど、姉さんがこのまま死ぬか生きるかはまだ分からない。俺も出来る限りの事をしたけど、このまま姉さんが死んでしまったらと考えると……先が怖い」
護と撃退士達の足掻きは無駄になるのか、それとも奇跡を生むのか。それはまだ分からない事だ。
「……そんな悲劇を覆せなければ、俺は一人だ。孤独になるのさ」
冷静になったが故に頭の中に浮かび上がってきた不安に押されている護は、両手で自分の顔を覆う。
だが彼の話を聞いていた優雨は、両手で顔を覆っている彼の頭に手を伸ばし、優しく撫で始める。
「大丈夫……一人なんかには、ならないの。お姉さん、きっと……助かるの」
優しく頭を撫でている優雨が声をかけると、護は両手を下ろし、彼女の方を向いて。
「確かに最悪の可能性はある。だけど、その逆の可能性もある。昔、そんな事を言われたような気がするよ」
護は過去に自分の姉に頭を撫でられていた時の事を思い出し、微かな希望を見出す。
「……それを、信じてみよう」
優雨の励ましは護の心の支えとなったのか、彼は先程まで見せていたような重い表情ではなく、微笑みを見せた。
それからというものの、手術は長時間に渡って行われ、時刻はすっかり深夜をまわってしまっている。
だが撃退士達の行動が功を成したのか、手術は成功し、一先ず百合香は一命を取り留めた。しかしこの後百合香がどうなるのかは、未だ分からない。
そして百合香の病室に集まった撃退士達は、ベッドで昏々と眠り続けている百合香の手を握っている護の姿を見て、個々別々な感情を抱く。
「僕も血の繋がっている家族は双子の兄しか居ないから、どれだけ深い繋がりがあるのかは察しているつもり。だから、百合香さんにも頑張って欲しいね」
護と百合香の二人が視界に入る位置に立った紫遠は、彼等二人に向けて言葉をかける。
「悲しい運命なんて、断ち切らないと。護さんだって全力を尽くしたんだ」
自身も家族が双子の兄しか居ないという事もあり、二人の関係性を察した紫遠は、その関係性を思い描きながらそう言った後、静かに二人を見守る事にしたようだ。
そんな中、静かに病室の隅に立っていた天宮が百合香の傍に歩み寄り、全く動きを見せない百合香を見ながら口を開く。
「聞こえてますか? 自分は良いから弟には生きて欲しい、と言うことですか」
天宮が百合香に声をかけると、先程まで下を向きながら黙って話を聞いていた護もまた顔を上げ、百合香の顔に視線を移す。
「でも、貴女はまだ生きている。終わっていない」
彼の言う通り、全てが終わってしまった訳ではないのだ。むしろ、此処からが山場と言えるだろう。
「結果がどうなるか、僕にはわからないけど……弟さんに生きて欲しいなら、貴女も精一杯足掻いてくださいね」
天宮もまた、百合香がこれからどうなるかを知っている訳ではない。しかし、残されている可能性を信じて、彼は言葉をかけ続ける。
「諦めなんて、生き残った者には何の支えにもならないものだから」
「…………」
百合香にそう言った天宮が今度は護の方に振り向くと、護もまた天宮と視線を合わせた。
「貴方もお姉さんも無謀ですよ、自己犠牲なんて誰も喜ばない」
護は不意を突かれたようにして口元を引き締めたが、自分のしていた無謀な行動を思い出し、再び真っ直ぐ天宮の方を向く。
「現実的に自分に出来ることを考えてみませんか? 一人でひっくり返す事は出来なくても、たくさんの少しずつが何かを実現させるかもしれない」
「……確かに俺は無謀な真似をしていました、それは自覚しています。天宮さんの言っている通りで、現実的に自分に出来る事を考えなければこの先どうなるか分からない。だから良く考えてみます、少しずつ自分が出来る事を」
護の返事を聞いた天宮は黙って頷いた後、護の背後から歩み出た慈と入れ替わるようにして、再び部屋の隅から二人の事を見守り始める。
「百合香さん、初めまして。撃退士の間下です」
眠り続けている百合香に向け、礼儀正しく名乗った慈は、彼女の顔を覗き込むようにしながら言葉を続ける。
「お怪我は大丈夫でしょうか? 突然ですが、少し話を聞いていただきたい」
そして慈は、百合香と護の二人が視界に入るような位置に移動した後、改まったようにして口を開いた。
「弟さん……護さんは、貴女を護る為にアウルに覚醒したんです。これって凄い事ですよ、奇跡です」
彼の言葉を聞いた護は、百合香の手を握りながらも慈の方を向き、何かを考えながらその言葉を聞き続ける。
「でも、もし今貴女が死んだら、きっと彼はその力を護る為ではなく殺すために使います。だって、一番護りたい人はもう居ないんですから」
「殺す、為……」
護は慈の言葉を聞いて、自分の掌を見つめる。先程までは姉を護る為にディアボロを引き寄せ、必死に敵の攻撃を避け続けていたその力を、姉が居なくなれば何かを殺す為に使い始める。
まだ見ぬ未来が孕んでいるそんな可能性を知り、恐怖心を抱いたのだ。
「だから彼の為に、彼に貴女を守らせてください。彼の戦う理由になってあげてください!」
熱心に声をかけ続ける慈の姿は、百合香の瞳には映ってはいない。しかし、その声は届いているかもしれない。
ピクリとも動かない百合香に代わって慈の言葉を聞いている護は、百合香の手を握っていない方の手で顔の左半分を覆い、頭を悩ませた。
「彼は貴女の為に奇跡を起こしました。今度は貴女が、彼の為に奇跡を起こしてください!」
「慈さん……」
姉を救う為に必死に戦っていた護にとって、慈の言葉はかなり心に響いているらしく、彼は百合香の方に視線を向けては自分の膝元に視線を落とした。
「……お願いです。どうか……どうか、彼を復讐者にしないで!」
そこまで言い終えた慈は、百合香に向けて軽く頭を下げた後、護の背後に立って静かに二人の行く末を見守る。
最終的に奇跡を起こすのは、護でも撃退士達でも無い。百合香本人なのだ。彼女が生きる事を望み、奇跡を起こさなければ、全ては無に帰す。
「……姉さん。皆さんの言葉、聞いただろ? 生きてくれって言う言葉をさ」
顔を上げ、百合香に向けてそう呟いた護は、百合香の手をぎゅっと握り締めながら、撃退士達から受けた想いを胸に言葉を紡ぐ。
「結局は姉さんが生きたいと思わない限り、奇跡は起こらない。俺に出来る事はもう全部やったんだ。後は、姉さん次第だよ」
撃退士達も胸の内に秘めたる想いを百合香に伝え、出来る事は全てやったのだ。最終的にどうなるのかは、彼女次第。
「俺は、姉さんに生きていて欲しい。生きていて欲しいから俺は戦った。皆さんも姉さんが生き続ける事を望んでいるし、皆でそうなる時を待ってる。だから……」
一切の返事が無い百合香を前に溢れ出しそうになる涙を堪えながら、護は深呼吸をして。
「だから、生きて欲しい。家族として、俺とこれからも一緒に同じ道を歩んで欲しい。奇跡を……奇跡を、起こしてくれ……!」
祈るように。そして、願うようにしながら視線を落とした護は、静かに立っている周りの撃退士達と同じように、百合香が奇跡を起こすかどうかを見守る事にしたのだった。
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護を含めた五人が昏々と眠り続けている百合香を見守る間も時間は止まる事なく流れ続け、気が付く頃には日が昇ってしまっていた。
時刻は、早朝五時。撃退士達が必死に声かけを行ってからかなりの時間が流れたものの、百合香が目を覚ます気配は一向に無い。
さすがに徹夜と言う事もあって、五人の表情にも疲労の色が見え隠れし始めてしまっている。
「……姉さん、まだ寝てるのか?」
護が問いかけようとも、百合香は一切の反応を示さない。握り続けている手を握り返す事も無ければ、瞼を開く事も無いのだ。
「結局、ダメなのか……?」
護は百合香の手を握りながら、左手で顔の左半分を覆う。
「結局、俺は救えなかったのか? 唯一の家族である姉さんを、俺の一番大切な人を……」
百合香はこのまま眠るように死んでしまうのか。それとも、このまま永遠に目を覚まさないのか。そんな悪い予感は護の胸を締め付け、そして絶望を膨らませていく。
「頼む、死なないでくれ……。このままさよならじゃなくて、俺に謝らせてくれ……」
視線を膝元に落とした護は、百合香の手を強く握り締めながら、震える声で言葉を紡ぎ続ける。
「百合香……姉さん……!」
姉の名前を呼んだ護の目元からは一滴の涙が溢れ出し、それは手を伝って滴り落ちようとする。
涙は窓から差し込む朝日に照らされてキラキラと輝きながら彼の膝元に落ち、滲みを作った。
――そして、その時。護の手を握り返す、暖かく柔らかい手の感触。
「――!」
護が咄嗟に顔を上げると、そこには瞼を開け、微笑みながら彼の手を握り返す百合香の姿があった。
「……護」
「はっ……はははっ」
百合香に名前を呼ばれた護は手を下ろし、涙を流しながら笑い始める。
「生きてるんだよ……な? 夢じゃないよな?」
「……良く頑張ったわね。護の、皆さんの声が聞こえたような気がして、諦めたらいけないと思ったの」
脳裏に今までの思い出がフラッシュバックし、引き起こされた奇跡を前に目を疑う護ではあったが、百合香は護や撃退士達の方を見ながら、言葉を発する。
――そう。家族の、そして撃退士達の声は彼女の胸に届いたのだ。そしてそれに応えようとした彼女が、奇跡を引き起こした。
「ほら、護。泣かないで、前を向きなさい」
百合香はその手で護の涙を拭き取り、護を彼の隣に立っていた慈の方に振り向かせて。
「起こしたんですね、奇跡……それでこそ、助けた意味があるってもんです」
奇跡を起こす為に熱心な声かけを行っていた慈は、引き起こされた奇跡を前に、笑顔を向ける。
「護さん。突然ですが、久遠ヶ原学園へ来ませんか?」
「……俺が?」
慈の言葉を聞いて耳を疑う護ではあったが、慈は笑顔で頷いた後、言葉を続ける。
「残念ながら、アウルを持っていない百合香さんも一緒に久遠ヶ原に住むという訳にはいきませんが、アウルの使い方を学ぶ事に損はないですし……後、学費も無料です」
「つまり、俺が皆さんのような撃退士になる事が出来るという事ですか?」
護の問いかけに対し、慈は頷いてから手を差し伸べる。
「学園は貴方を歓迎します。入学、考えてみません?」
「俺が、撃退士に……」
自分の掌を見つめた後、百合香の方を向いた護ではあったが、百合香は首を軽く横に振って。
「私が生きているのは、他の誰でも無い貴方達が未来を切り開いてくれたからよ。だから護、自分の未来は自分で選びなさい。貴方は、もう自分で未来を切り開く事が出来るから」
百合香の言葉を聞いた護は椅子から立ち上がり、慈と真っ直ぐ向き合いながらはっきりと首を縦に振る。そして慈と固い握手を交わした護は、決意を新たにしたようにして。
「俺が皆さんに助けられたように、俺はこの力を使って誰かを助けたい。困っている誰かを、そして姉さんを護る為に、貴方達と一緒に行こうと思います」
「決まりですね。それでは護さん、これから共に頑張りましょう」
返事を聞いた慈は満足そうに頷いた。そして護は姉の元へ歩み寄り、先程までは一切見せていなかったような笑顔を向ける。
「……私は、貴方の姉だから。私は貴方の成長を誰よりも近くで見守っているし、唯一の家族として貴方を支え続けるわ。だから、安心して前に進みなさい」
百合香は護の事を抱き寄せ、彼の事を優しく撫でながら姉弟で笑い合う。
多大なる苦労を乗り越え、挫けそうになっても尚、護の事を見捨てずに前を向き続けたからこそ、彼女はこうして命を救われ、護はアウルを覚醒させたのだ。
撃退士達は彼等の命を救い、そして奇跡を起こす為の手助けをした。護と百合香は、そんな自分達を救ってくれた撃退士達の事をいつまでも忘れずにいる事だろう。
こうして救われた何よりも深い二人の絆は、これからも途切れる事無く二人を繋ぎ続ける。護が誰かを護る為に撃退士としての道を歩み始めた後も、永遠に――。