●回想
社交界、というのは魔界においても煌びやかなものだ。
少なくとも、私が唯一参加したものはそうだった。
とある悪魔が新たに爵位を得た際に開いた社交パーティ。彼と初めて出会った場所もそこにだった。
とはいえ、彼の事はよく知っていた。母の手紙にはよく、彼の父と彼の事が書かれていたからだ。
母が一目置くという猛将と、その息子でまだ年若いながら幾度に渡る天界との戦いの中で武勲をあげているという悪魔。
だから彼が、戦場どころか屋敷からもろくに出た事がないような無名の悪魔に話しかけるなんて、思ってもいなかった。
「ふむ、初めましてだな××。我はレルヴァティエン・ヴィントラーゼンという」
正式な名はもっと長く、覚えて貰えぬのが密やかな悩みかな。彼は月の光のように静かに輝く髪を揺らし、冗談めかして笑う。
「しかし、我は使用人が呼ぶレーヴェという仇名が気にいっていてな。同じ子世代だ。気張らずそう読んで貰えると嬉しいよ」
母と彼の父はかなり親交が深いとは聞いていたが、名前まで覚えてもらえていたとは。
「レーヴェ、様?」
「うむ、だが様はやめてくれ。あまり……慣れないのでな」
彼の返答を聞きながら、私は別の事を考えていた。
レーヴェは獅子の事らしい。
仇名。人が親しみをこめて呼ぶ名であり、そうありたいと願う名にもなりえる。
そうだというのならば――。
「でしたら、私のことはクラウディアとお呼びください」
「しかし、その名は……」
「クラウディア、です」
「……。その名を背負う、というのか。よかろうて、頼りにしておるぞ。小さき軍師の見習いよ」
そう言う彼の眼差しは穏やかで、でも、どこか鋭くて。
――背負いたいわけではないんです。
ただ、私には……このほかに、道はないのですから。
●静かな山中
木々の葉をざわめかせ、咲き誇る花の香りを運んでいた風は、数刻前に突然止まった。
それとほぼ同時に、周囲の草はらでジーと低い音を奏でていた虫の声もまたぴたりと聞こえなくなる。
周囲に下りる不気味なほどの静寂。
それはまるで、この山全てが息を潜めているように。巻き込まれたくないとでも言うように。
がさり、と木の葉が擦れる音がする。
雲が通るたび今にも消えてしまいそうな月の光を頼りに、木々の間を縫って駆け抜ける8つの影。
ともすれば自分たちがどこへ進んでいるのか分からなくなりそうな森の中だが、彼らにはその先に目標がいるという確信があった。
進めば進むほどに、濃くなっていく異質な気配。
それが、この先に撃退すべき悪魔がいるという事を教えてくれる。
「旦那さまぁ、見てるべかー?おらぁ頑張っているだよー」
カメラがどこにあるのかは残念ながら分からないが、空に浮かぶ月を見上げながらそう呟いた御供 瞳(
jb6018)。
山奥の村での結婚式の最中、悪魔の襲撃を受け離れ離れになりつつも、旦那様の行方を捜しているという彼女を先頭に、他の仲間たちも後に続く。
「はぐれ、か」
やれるだけのことはやろう、そう決意を固める月詠 神削(
ja5265)の傍らを駆ける久瀬 悠人(
jb0684)はどこか楽しそうな様子であった。
天魔の感情を人間が揺るがす。
以前から人間に感化されてこちらへ来ることを選んだ天魔は数多くいるが、それでも大多数とはいえない。
だがそれでも、人間よりも力ある天魔に、こちら側へ付きたいと思わせることができる。それはある意味では「強さ」と呼べるのではないか。
今まさにその現場が目の前に広がっているのだ。
「見知った方という訳でもありませんし、ただの赤の他人ですが……。ティアさんのお願いですしね、引き受けないわけはないでしょう」
ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)がそう言葉を零す。
しかし、彼女がここに来た理由はきっと、それだけというわけではない。
不意に視界の先、周囲の木々より少し高いところを何かが動いているのをイシュタル(
jb2619)は発見する。
「……この追撃は必ず阻止したいところね……」
仲間たちに発見を伝えると同時に紡がれた言葉に、或瀬院 由真(
ja1687)もこくりと一つ頷いて応じる。
「命令系統の迅速な寸断――重要な役割ですね。気を張っていきましょう」
近づくほどに大きくなっていくように見えるゴーレムを眺め、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)はふん、と一つ笑った。
「デカブツが相手か。……少しは楽しめそうだな」
玩具の軍隊を束ねる指揮官とも言えるその巨躯を前にしてもなお、彼女の闘志は燃えていた。
巨大なゴーレムと、護衛するかのように展開した真黒な兵士の人形。それらの姿はもうはっきりと確認できる。
「詳しい事情は知らんが、最善を尽くすだけだ」
天風 静流(
ja0373)がうっすらと黒く光纏し、手にした阻霊符が力を発揮する。
透化できなくなったのを気付かず踏みだされたゴーレムの足が、バキリと樹木をへし折ったのと、撃退士たちがそれぞれの相手へと駆けだしたのはほぼ同時。
「さて、こちらはこちらでやる事をしよう」
静流の言葉が、木立の中に消えていった。
●夜間襲撃戦
「あら……?」
突如折れた樹木に、ゴーレムの背のクラウディアは首をかしげる。
先ほどまで問題なく無視することができていた木々が突如透化できなくなり、障害物として機能するようになった。
つまり――。
「人間たちが来た、というわけですね」
前方、先導するように周囲を警戒していたフェイクの頭部に向け、走る稲妻。
ファティナの放った雷撃を受け頭部の爆ぜたフェイクは反撃とばかりにランチャーを構えるが、それを撃つことは叶わない。
「邪魔だ。どいてもらおうか」
ゴーレムへ向け駆ける静流が右手の爪を振るう。
フェイクへ爪は届いていないにもかかわらず、トリガーを引こうとした体勢のまま、フェイクはバラバラに解体され崩れ落ちた。
「糸、ですかね。なるほど……良い火力です」
その様子を見て、ゴーレムの上の悪魔は感嘆の声を漏らす。
ゴーレムへの接敵を許したというのに、浮足立つフェイクたちとは対照的に悪魔に慌てた様子はどこにもない。
「あら、可愛らしい子。貴方がリーダーですか?」
「わ、お褒めいただき光栄です。はい、今回の作戦の指揮を執らせていただいております」
ゴーレムの背面へとついた由真の言葉に、ぺこりと頭を下げて応じるクラウディア。
「ご自身は戦うつもりが無いのでしたら、下がって頂けませんか。余計な戦いはしたくありませんから」
だが、任務ですからと彼女は首を振り、ご心配感謝しますと付け加えるのみ。
「名乗らせてもらおうか。我はフィオナ・ボールドウィン。今生の円卓の主である」
巨躯の正面に対峙したまま、剣を掲げ名乗りを上げるフィオナ。
「戦場で容易く指揮官が接敵されるようでは、先はないと思え」
大仰な台詞は彼女の策。
言い終わると同時に、ゴーレムの足元へと木々の間隙を翔ける。
「そういえば、名乗っておりませんでした。改めまして、私はクラウディア。軍師見習いをさせていただいております」
背中の悪魔が負けじと名乗りをあげる最中、ゴーレムは前方を塞ぐフィオナを障害と判断。
表面を駆けるように、全身から頭部へと光が収束し、一条の光線となり発射された。
しかし、光線は機敏に方向を変えていたフィオナを捉える事は出来ない。木々を貫き突き進む光条を尻目に、撃退士たちは次々と布陣につく。
「来い、ランパード」
主の呼び声に応じ、白銀の鎧をもつ騎竜が現れた。
ゴーレム用に用意した銃を持った腕を振るうと、銃は消え現れたのは一対の大剣。手慣れた動作で騎竜に飛び乗った悠人は剣を構え、模造の兵士へと突貫する。
「まるでテト○スみたいな天魔だべ」
巨躯を見上げながら、木々の影に同化し潜む瞳。
「貴方がたも、レーヴェさんの知り合いなんですか?」
たびたび人間界に行っていたレーヴェは人間たちの話を良くしていた。
彼らがレーヴェを見知った者だというのならば、こうして悪魔と対峙してまで助けようとするのは理解できない話ではない。
しかし、撃退士たちから返された彼女の問いに対する答えは否。
「見知った方という訳でもありませんし、ただの赤の他人ですが……」
銀色の髪から星屑を思わせる金の粒子を零し、雷を以てフェイクたちを牽制するファティナ。
彼女の瞳から読み取れたのは確かな決心。
だからこそ、クラウディアにはその答えが不思議でならなかった。
「何故、護るんです?」
込められたのは不可解という感情。
レーヴェを捕捉していたディアボロもまた、撃退士たちと交戦を開始したのは分かっていた。ただ、彼を守るというためだけに。
しかし、彼はまだ久遠ヶ原学園の門をたたいた訳ではないどころか、彼らと敵対し戦ったことすらある悪魔。
それでも、何故助けようとするのか、とクラウディアは問う。
「こちらに伸ばされた手を振り払うほど、薄情じゃない」
応じた神削の口調は断固としたもの。
目の前で失われる命はもう、みたいとは思わない。決意を持ってこちら側に来ることを決めたレーヴェは仲間だ。
拳を強化する布を巻いた手を握り締め、ゴーレムと戦う仲間たちへと攻撃しようとするフェイクを殴打する。
撃退士たちの作戦通りフェイクとゴーレムは今のところ寸断されていた。
フェイクを阻害する撃退士たちに攻撃をしようと動き出したゴーレムの目前、中空を突如閃光が走る。
眩い光によって描かれるのは五芒星。
「……仲間の元へは近づかせないわよ?」
目の前を飛行する蒼銀色の髪を持つ少女、イシュタルの術に阻まれゴーレムの足が突如止まる。
ちらりと後ろを確認しそうになるが前へと向き直り、上空から振るわれた槍の一閃は薄桃の軌跡とともに、ゴーレムの頭部を斬り裂いた。
しかし、クラウディアはゴーレムが足を止めたことも、頭部を攻撃されたことも気づかぬように、イシュタルを――その背に生えた二対四枚の翼を見据えている。
「……天使」
ぽつりと、クラウディアの紡いだ言葉。
小さな小さな言葉にも関わらず、その戦場に居た撃退士たちは察知する。その言葉に込められた深い敵意と憎悪を。
周囲の空気が重みを増す。目の前の悪魔から放たれるプレッシャーは最初とは比にならないほどに強い。
だが、まだ悪魔自身がうってでることはないらしい。
小さく指示の言葉を飛ばすと移動をあきらめたゴーレムが、腕を高々と振りかぶった。
「攻撃来ます、回避を」
ゴーレムの背面にいたため範囲を逃れた由真が周囲の味方に注意を促すが、初撃避けきったのは空中にいたイシュタルのみ。
「なかなか強烈な一撃だな」
「大きさは伊達ではないということか」
腕を振り回す、ただそれだけの攻撃だが質量と範囲にものを言わせれば話は別。
さすがに、指揮を行うディアボロの一撃だけあって二人の受けた傷は決して浅いものではない。
だが――。
「何度も当たれば、の話だがな」
口元の血を拭い、静流は再び距離を詰める。
「戦う気がなければ避けてください! 当たっちゃいますよ!?」
背面からゴーレムを狙う由真。
巻き込むことは容易だが、余計な敵は増やしたくない。
その言葉に悪魔はひらりと飛翔し、ゴーレムの上へと飛び上がる。
それを確認した由真の手にした布槍へと身に付けた魔装の力が光となり流れ込んでいく。
護る力から攻める力へと、たとえ変換されたとしてもその性質は変わりはしない。
ただ、世に平穏を齎す。
様子見を兼ねた初撃は縦一文字に。大上段に振りあげられた刀を振り下ろすとゴーレムの胴部は深く削り取られる。
が、ブロックは動き組み合わさるように、或るいは、内部から浮き上がるように損傷した個所を埋め込んでいく。
それに加え――。
「手練揃い、ですか。……陣形は乱れますが仕方ありませんね」
指示する悪魔の声。
茂みや木の葉の擦れ合う音が、新たな増援の接近を告げていた。
「範囲が広い……。厄介ですね」
周囲を警戒していたファティナは異なる方向から少しずつ接近するフェイクを発見する。
その数恐らく三。
「あちらの方は、お願いします。そちらを私が」
ファティナは手にした魔導書のページを繰った。彼女の呼び声に答え、空中に浮かびだす雷の剣。
バチバチと雷撃の音を響かせながら現れた剣は、紫電の尾を残しつつ現れたフェイクへと突き刺さる。
「わかった。そっちは俺が行く」
騎竜を駆り、悠人が駆ける。
フェイクがゴーレムとの合流を最優先にしているとすれば、選ぶのはゴーレムへの最短ルート。
悠人の予想通り、フェイクが目の前の大木を迂回しようとした刹那、目の前に紅の単眼が現れる。
騎竜、ランパード。底の見えない深い紅の瞳とは対照的に、神々しいまでの輝きを放つ純白の鎧を纏った竜は、低く唸りフェイクを威嚇する。
こちらを突破するのは不可能と判断したフェイクが振り返った先では、ちょうど悠人が着地し、フェイクへと向き直っていた。
彼はこの木々の多い森の中で直前で相棒の背を足場に飛び出したのだ。
「……ぶつかるかと思った」
上手くいったのならば、結果オーライというやつだ。
ほっと息をつくと同時に剣を構え直す悠人。左に竜、右には騎士、挟まれたフェイクは強行突破を試みる。
手にした軍刀で直撃だけは避けるかのように悠人の振るう大剣をいなし、ゴーレムの元へと駆けだす。
もう、遮るものはいない。
だが駆けだしたフェイクの足は徐々に動かなくなり、前にバタリと倒れた後、二度と立ち上がる事はなかった。
もし、それに意志があったのならば何故だと疑問に思ったことだろう。
「めんどくさい事を……」
後ろから騎竜に乗り駆けて来た悠人が、フェイクの背中に突き刺さった白銀の剣を回収する。
とっさに投げた大剣は軍刀のフェイクにとって致命傷となりえるものだった。
今、戦場のフェイク対応の三人のうち、二人は増援のフェイクの対応に回っている。
最初からいたフェイクは数を減らしていたものの、まだ健在な個体が残っていた。
そのうちの一体、アサルトライフルを持ったフェイクはその隙をつかんと、ゴーレムの元へ合流するため進む。
だが、それを神削は見逃さない。
「どこに行くつもりだ? お前の相手は俺だ」
古びた魔導書を取り出し、フェイクに挑発をかける。物理的な武器ばかりを積んでいるだけあって、精神的な挑発には弱いらしい。
クルリと向き直り撃ち込まれたフルオート射撃を木の陰に隠れてやり過ごす。
指揮する悪魔の目の前で、上手くいくかは少し心配だったのだが、この行動は効を奏した。
ゴーレムの相手をする撃退士たちはその相手に専念することができている。
どんなに堅牢を誇る兵器にも、急所と呼ぶべき欠陥はあるはずだ。
撃退士たちは、まず核の存在を疑った。
イシュタルの槍が持つ蒼銀色の刃がゴーレムの胸部を抉る。
あえて、再生を待つようにずらされたフィオナの剣に合わせ、静流の薙刀が突き立てられた。
とどめとばかりに由真の放つ突きは、ゴーレムを貫通し背部へと抜け、夜空を切り取るようにぽっかりと穴をあけている。
「……どうやら、コアのあるタイプではないみたいですね」
何事もなかったかのように、元に戻っていくゴーレム。しかし、戦闘開始時よりも明らかに小さくなっているのは見てとれた。
不意に根元から折れた木の陰から飛び出した小柄な影。
闇に紛れこみ気配を消していた瞳が飛び出す勢いをそのままに横薙ぎに大剣を振るう。
飛沫を上げ振われた大剣が岩礁を叩く波の如く狙うのはゴーレムの足首とも呼べる部位。
「旦那さまぁ、ここだっちゃねー」
エア旦那さまぁなのではないかと噂が立っているようだが、こればかりはさすが旦那さまぁと言えるものである。
ずっと潜んで様子を伺っていた瞳の察知したゴーレムの欠陥。
当然ゴーレムは受けた傷を癒そうと、周囲のブロックを組み換え、補修する。それでもなお、執拗に片足首のみを瞳は狙い続けた。
「あぁ、そういうことか」
駆ける黒い影。意図を察した静流が振りあげた薙刀の刃に灯す蒼い燐光が突如、深紅の輝きを纏う。
まずは一閃。だが、刃先はまだ止まらない。
振り下ろされた紅の軌跡が消えぬうちに、横薙ぎに切り払われた刃。燈した燐光は黄。
静流の操る薙刀は纏う色を変えながら振るうごとに速度を増し、ゴーレムに深い傷を刻む。
濃緑。群青。深紫。
一瞬のうちにくりだされた斬撃は実に五つ。
重く苛烈な瞬撃が修復の隙を与えずに繰り出されれば、抉れたゴーレムの脚部には明らかな変化が起こっている。
多くの部位に隣接している胴ならばともかく、末端であり隣接しているのは胴の下部のみ。
その部位が短時間に深い損傷を受ければ、修復のためのブロックが間に合うはずもない。
つまり――。
左右のバランスが崩れるのは当然の結果であった。
傾ぐ体を必死で支え、腕を振り回すゴーレム。だが、不安定な体勢で放たれた拳はイシュタルとフィオナを捕捉するには至らない。
「跪け、木偶」
フィオナの言葉とともに振るわれたのは極大の刃。
ほろほろと太陽の如き金色を零しながら、ゴーレムの脚へと叩きこまれた騎士王の聖剣を思わせる斬撃。
メキと重厚な見た目に似合わぬ軽い音を立て、ゴーレムの左足がへし折れる。
たった片足で全身を支えきれるはずもなく、前のめりに倒れこんだゴーレムはまるでフィオナへと首を垂れているかのようだった。
「こういうものはこんな時に使うべきよね」
イシュタルの持つ槍が輝きを増す。
天使たちの持つとっておき。槍に灯された天界の力を込められ神々しい輝きは、冥魔たちにとって致命的な毒となり得る。
空中からの急降下、落下の加速も槍に乗せイシュタルの一撃がゴーレムの胴へと突き刺さる。
まともに槍を受けたブロックははじけ飛び、周囲もまた深く削り取る。
「これは少し、まずいでしょうか」
さすがの悪魔の声にも抑えきれない微かな焦りが滲む。
再び周囲から現れた増援は、先ほどまでとは比べ物にならないほど多く。
武器を構えると撃退士たちへと突撃を仕掛けた。
ランチャーを構え、ゴーレムの足元を狙うフェイク。
妨害に動く神削の前に、軍刀を持ったフェイクが立ちふさがった。
「どいてもらおうか」
軍刀を振りあげるフェイクだが、位置が悪く木々の邪魔で思うように刀を振るう事が出来ない。
対する神削の武器は魔具を巻いた己の拳。
振り下ろされた軍刀に対応し、距離を詰め懐に踏みこむ。刀の間合いの内側へ入ればそこにあるのはがら空きになった胴だ。
光を帯びた布を巻いた拳を胴にたたきこみ、前方へと突き飛ばす。
飛ばされた軍刀のフェイクはランチャーのフェイクを巻き込み、絡み合うようにして地面へと倒れこんだ。
バランスを崩したためか、ランチャーの弾はあらぬ方向へと飛び去り撃退士たちには届かない。
起き上がろうともがくフェイクたちに悠人の騎竜が強烈な踏みつけを見舞った。
「ここから先へは通しません」
ファティナの振り下ろした手に合わせて、駆け寄るフェイクたちの足元から立ち上る腕。
そられはまるで意志を持っているかのようにうねりフェイクの足をつかんで離さない。
移動を封じられたフェイクたちに、取れる選択肢はほぼ僅か。
「ティナ!!」
上空からかかる珍しく切羽詰まった声、それ以上に懐かしく感じる呼び名。
「人形が……!彼女に危害を加えることは絶対にさせはしない……!」
飛来したグレネードは、目の前に割り込んだ何かにぶつかり炸裂し、辺りに爆風と蒼みがかった羽を散らせる。
しかし、次の瞬間グレネードを撃ちこんだ不届きなフェイクは、すでにファティナの放った雷の剣の餌食となっていた。
……元姉妹に手傷を負わせたのだから。
何本もの剣に貫かれ、フェイクは地面に倒れ伏す。
「大丈夫ですか」
視線は向けず、ただ確認を。無事なのは分かっている、幾度も共に戦った仲間だから。
それでも、小さく感謝を添えて。
「えぇ、そちらも無事そうね」
応じるイシュタルも簡素な答え。だが、そこには確かに安堵が感じられる。
「さ、もうそろそろゲームオーバーだべ」
瞳が立ちあがろうともがくゴーレムに向き直り、大剣を担ぎ直す。
その言葉の通り、あれほどいたはずのフェイクはもうほとんど残っていない。
「雑魚が……邪魔をするな!」
金色の聖剣が、最後のフェイクを両断し、ゴーレムをも切り裂かんと迫る。
先ほどのイシュタルの一撃により受けた傷。まだ癒しきれぬその穴に、瞳の流水の如き斬撃と、由真の操る布とは思えぬ鋭い一突きが射しこまれる。
撃退士たちの連続攻撃を受け、傾ぐゴーレムに、静流が一陣の風となって駆けよった。
せめて最後の抵抗をと、ゴーレムの頭部から放たれたレーザーは姿勢を低くした静流を捉えるには至らない。
「これで終わりにしよう」
全身に亀裂が走ったゴーレムに、突き立てられる薙刀。
目で追う事すら困難な速度で放たれた突きは、青白い軌跡を残し、ゴーレムを貫通した。
びくりと、一度大きくゴーレムが鳴動し、傷を埋めようとブロックが動き出す。
が――。
すっかり小さくなったかつての巨躯にその傷を塞ぐだけの力は残っておらず、傷口からぼろぼろとブロックの欠片を零し続け――。
やがて、完全に動かなくなった。
●
空気を裂く音が鳴り響く。
さほど間を置かず辺りに響き渡る轟音、そして衝撃。
地震のような揺れを伴い、辺りに土煙の立ち上る中ゆらりと立ちあがった影が地面にたたきつけた何かを再び持ち上げ――。
――ガン。
割り込んだ由真が横薙ぎに振われたその一撃を庇う。
殺しきれなかった衝撃に膝から崩れ落ちそうになるのを耐え、自分へ叩きつけられたものを押し返そうと力を込める。
それは直径1mにも届こうかというくすんだ金の懐中時計。叩きつけられた地面は深く抉れ、小さなクレーターのような様相になっていた。
時計としての用途を考慮されていないほどの質量を持つであろうそれを、クラウディアは軽々と片手で振るっている。
「何故、護るんです?」
時計を握る手に力を込めたままクラウディアが問う。それは、戦闘開始時に彼女が問うたものと内容も口調もかわっていないはずなのに。
ちりちりと、緊張感を帯びた空気が辺りに下りる。
彼女が狙ったのはイシュタル。
もし、彼女がクラウディアの動きを警戒せずにいたら、初撃の時点でクレーターの中央に居たことだろう。
「天使は貴方がた人間にとっても敵、なのではないのですか?」
「……いえ」
ファティナはプレッシャーに押されることなく一歩前に進む。
「イルちゃんは、私たちの仲間です」
例え、今は少しばかり距離を置くことになってはいても、仲間であるという事実に変わりはないのだから。
今回ここへ来た最大の理由。交わした大切な約束。
人間も悪魔も天使も、皆が笑いあって、共存していける世界を創る。
それは、一人の義妹が見た夢。
人の子たちに可能性を見出して冥界を裏切りこちら側へと来ることを選んだ悪魔が、彼女の夢への一歩となるならば。
――力を尽くそう。夢の続きを見るために。
悪魔から向けられた憎悪の視線から、目をそらすことなく見据え返す。
「ちびっ子よ、今追ってるって悪魔だって、人に共感してともに戦うのを選んだんだろう?」
ならば、なんら不思議なことではない。悠人も剣は構えたままだ。
膠着した状況を打破したのは、由真だった。
僅かに体を引き、重心をずらす。不意に起こった変化についていけず、クラウディアは時計を空振り、地面にたたきつけることになる。
体勢を整え直したクラウディアの目の前には布槍が突きつけられていた。
「ゴーレムは倒しました。これが貴方の命令を仲介していたのなら、戦略面に於ける貴方の役割の大半は潰えたのでは?」
淡々と由真は事実を述べる。
統率がとれなくなったディアボロだけで任務を完遂するのには無理がある。
「退くっていうなら止めないが」
神削の言葉をフィオナが引き継ぐ。
「だが、もしも続けると言うのであれば……是非も無い」
二人とも得物を構え、返答次第ではすぐに戦闘を再開できるように注意いしながら、クラウディアの出方を伺う。
しばらく悩むように沈黙していたクラウディアだが、ふぅと一つ溜息をつくと時計を消し、構えを解く。
「貴方がたを突破したところで、任務の完遂は無理でしょうね。仕方ありません、このまま退かせてくださるのならば、お言葉に甘えましょう」
「最初に申し上げた通り、余計な戦いは好みませんから」
悪魔の前でも消して揺るがず、冗談めかして由真が笑う。
「それでは、またどこかでお会いした際にはよろしくお願いいたしますね」
背を向けた悪魔の背に瞳が声をかける。
「殺すんでなくて、話し合ってみたらいいんでなかべ?」
「……それもまた、会えたらですね」
私は殺すつもりなんて、なかったですけど。そう付け足して飛び去る悪魔。
その背中を眺めながら、イシュタルはふと思う。
あの悪魔もまた、揺らいでいるのではないだろうか。自分の存在する、その意義に。
飛び立ったクラウディアの後ろ姿を見送った撃退士たちは、周囲の空が夜の黒から藍、そして赤みがかった紫へと変化しつつある事に気づく。
「夜明け、でしょうか」
「あぁ、もうそろそろ日の出だな」
ナイトビジョンを外したファティナの言葉に応じる静流。
ゴーレムにより木々がなぎ倒され、撃退士たちのいる辺りには今まさに差しこもうとしている日光を遮るものは何もない。
「ささ、帰ろ。……もう、眠っ」
大きく伸びをし、あくびを一つ。悠人を先頭に撃退士たちはふもとへと歩き出す。
山の合間から差し込んだ日光に包まれた撃退士は、新たな日の訪れを感じた。