●追憶
恐れていた事というのは突然に、忘れたころに現れるもので。
その日は偶然休みだったから、彼女の代わりに杏を送りに行った。
誰がその後に起こる理不尽な悲劇を予想する事ができただろう。
帰ってきた僕が見たのは、割られた窓ガラスと荒れた室内と走り去る男の後ろ姿と。
そして、血溜まりに沈む最愛の妻。
視界が、真っ暗になった。
妻は死んだのだと理解した。
いなくなってしまうのだと、気づいてしまった。
ああ、今ならわかる。
悔やんでからではもう遅い事がこの世の中にはあるのだという事が。
それで冷静さを欠いてしまうことが更なる理不尽を呼び起こす事も露知らず、僕は逃げた男を追ったんだ。
男の背は遠くやがて完全に見失い家に戻ってくるとそこには血の跡が残るのみ。
こんな悲劇を誰が予想できただろう。
僕はあの男を捕まえることもできず、彼女を弔う機会すらも失ったのだから。
もっと早く気付いていれば――何かが変わっただろうか。
●幻の中へと
指定された待ち合わせ場所にやってきた撃退士たちは、グラウンドの殆どを覆うテントの前にやってきた。
「近くで見ると結構大きいのねぇ……」
艶やかな黒髪を風になびかせ、黒百合(
ja0422)はサーカステントを見上げる。
鎮座するのは禍々しいほどに鮮やかな赤と黄色のサーカステント。
周囲に張り巡らされた支柱の頂上にも、張り巡らされた縄にもカラフルな旗が大量になびいている。
「はぁ……悪魔のサーカスね。全くふざけたことをしてくれるじゃない」
――人の命をなんだと思ってるのよ……。
ふと思い立った思考にエステリーゼ・S・朝櫻(
jb6511)は自分らしくないなとも思う。
「サーカスね、楽しませてもらおうじゃないか」
穏やかな微笑みを絶やすことなく、ノスト・クローバー(
jb7527)はもう一組の撃退士たちと確認した連絡手段。
胸元に揺れるホイッスルを確かめそう呟いた。
(「悪魔主催のサーカスショーか」)
彼らも娯楽という意味でやっているのだろうか。
いや、あくまでサーカスというのは口実にすぎないのだろうとキイ・ローランド(
jb5908)は考えていた。
考えても答えは出ず、一つため息をつくと歩きだす。
「ほう、サーカスのテントに手品師ですか!」
その横でエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は小道具の確認をしながら楽しそうに声を上げる。
タキシードにシルクハット、黒マントを羽織った彼はどこからどうみても奇術師そのもの。
「何とも心躍る舞台ですねえ、ならばマジシャン対決と洒落込みましょう!」
テントの中に入った撃退士たちがまず気づくのはその暗さだ。
入ってきた入口がぱさりと小さく音を立てながら元に戻るとそこから入ってきていた光も途絶え、辺りは闇に包まれる。
「何か……怖い……」
辺りに漂う違和感や奥からのプレッシャーを受け、そう呟いた浪風 威鈴(
ja8371)の肩に浪風 悠人(
ja3452)がそっと手を置く。
きっと、大丈夫。そう伝えるように手を置いているものの、自身も得体のしれない違和感を覚えていた。
それは辺りを支配する暗闇か、一向に動きのない闇の向こう側のせいか……。
「今回は来てくださってありがとうございます。直接お目にかかる事ができて光栄です。私はクラウディアと申します」
不意に闇の中から声が響く。恐らくそれは今回招待状を出してきた悪魔のものだろう。
「おっ、今回の悪魔は美少女だな……!」
暗闇でも視界を維持できる眼鏡を用い、赤坂白秋(
ja7030)がその悪魔の姿を確認する。
おーい、やっほーと、笑顔で手を振ると、向こうも嬉しそうな笑顔で飛びあがらんばかりに両手を振っていた。
望遠機能で横の人質を確認すると席にもたれかかるように眠る一人の少女。
「……こちらも可憐な女の子。夕飯までに帰らねえとな」
白秋が人質を確認し紡いだその言葉の余韻が闇の中に溶け込む前に。
鐘が、鳴った。
「それでは、そろそろ始めましょうか」
コホン、と小さく咳をしてから朗々と紡がれるのは開演のアナウンス。
『ようこそ、Devil Circusへ。我々はあなた方を歓迎します』
先程までとは違った正確さを重視する声色。それはどうやら今回のルールを説明するものらしい。
課された事は手品師を倒す事。他班に干渉する事はできない。そして、最後のセリフは抑えきれない興奮を滲ませて。
『それでは、素晴らしい演技を期待しています。――スリルと、快楽を』
クラウディアの言葉と共に彼らの目の前に新たな気配が現れる。
エステリーゼが光球を呼び出し、そちらへと転がすとその姿が露わになった。
手品師のような格好だが中身は空っぽのディアボロ。
「サーカスでしょう?役者にはスポットライトが必要だわ」
自分は黒子で十分とばかりに、エステリーゼは光の外へと下がって行った。
対照的に前へと歩み出していったエイルズレトラが黒いマントを翻しつつ朗々と口上を述べる。
「お招きいただき、光栄の極み……はじめまして、クラウディア。奇術で戦う撃退士……奇術士エイルズと申します!」
「わ、撃退士には奇術士さんまでいらっしゃるんですね!」
応えるクラウディアは楽しそうな様子、闇の中に一人分の拍手が響く。
その拍手には、皮肉や悪意は感じられずどうやら純粋に楽しみにしている様子。
「素敵な招待に感謝よォ……さぁ、お手並み拝見と参りましょうかァ……♪」
「お手柔らかにお願いいたしますね」
こちらも楽しそうな黒百合の言葉に、見える人もわずかだというのにわざわざぺこりと頭を下げて応じるクラウディア。
再び、鐘が鳴る。
手品師がステッキを振り上げる。
さぁ、幻想記譚を始めよう。
騙されるのはこちらかそちらか。
悪魔のサーカス第三幕『イリュージョン』、開演。
●そして、幕は上がる
「あはァ、正体不明の敵でも全身をバラバラにズタズタにしてしまえば関係ないわよねェ……♪」
黒百合の腕が翻る。
無数に作成された杭のような棒手裏剣は手品師の方へと殺到し、その身を貫いていった。
しかし、まるで幻であるかのようにほとんど手応え様子がないのを不審に思った刹那、黒百合は一瞬周りに大量の手品師が現れたかのような幻影を見る。
「ふぅ〜ん、これも仕掛けってわけねェ……♪」
頭を軽く振りその幻に抵抗すると周囲の仲間に注意を呼び掛ける。
「仕掛け、ね……」
ノストが隣の班に視線を送ると見回すと銀竜の側も戦い始めているのが見て取れた。
バチバチと音を響かせながら、光の軌跡を残し剣が手品師へと突き刺さるとその身を雷撃が走る。
痺れを鬱陶しがるような素振りを見せながら、手品師が振るのは漆黒のステッキ。
「来る……気をつけて……」
威鈴の言葉に小さく悠人が頷くと、前からは直剣が無数に飛んできた。
それを最低限の回避で切り抜け、或いは打ち落しながらキイと悠人は手品師へと到達すると同時に攻撃を仕掛ける。
悠人の眩い輝きを持つ剣が下からすくいあげるような動きで狙うのは、手品師の持つステッキ。
「まずは武器を抑えさせてもらいます」
その動きに反応し手品師が回避をしようと身を捩るがわずかに遅く、悠人の握る剣は手品師のタキシード部分を切り裂いて行く。
だが、感じていた違和感は大きくなるばかり。
「貴女は一体……?」
今の攻撃は本当に当たったのか、剣を構え目の前の空っぽな手品師を見据える悠人の横で、キイは盾を構え防御を強化する。
キイの冥魔かどうかの識別に反応がないのは、おそらくそれなりに強力な個体だということなのだろう。
その事はすでに織り込み済み。それならば、他の材料でこの幻の種を見つけ出すまでだ。
「さぁ、気を取り直してマジシャン対決と行きましょう。まずは僕のカードマジックをご覧あれ」
芝居がかった身振りでエイルズレトラが腕を振るうとそこに現れたのは大量のカード。
両手を振りおろす唯それだけの動作で54枚ものカードが、手品師を斬り裂こうと殺到する。
その様子にやれやれというジェスチャーをしていた手品師はかぶっていた帽子を脱ぐと地面にたたきつけた。
「危ないっ!!」
エステリーゼから短い警告が飛ぶ。
その瞬間、手品師を構成したいたものが内側から炸裂するとあたりにきらきら輝くコインが散らばり、傍にいた二人を打ち据えようと迫った。
「――っ!」
飛び散ったコインは防御の隙間を抜け、容赦なく二人の体を打ち据える。
衝撃に意識が飛びそうになるのを、ここで倒れるわけにはいかないと二人は気力で耐えきった。
手品師の取った躊躇いの欠片もない自爆。
さらには、先程から感じる感覚にあのディアボロに意思はなさそうだと悠人は判断する。
手品師は闇に紛れたらしい。
威鈴は周囲の気配を探り、手品師の居場所を探る。
「見つけて……撃つ……そこ!」
恋人を傷つけられた恨みを込め、威鈴が魔導書を掲げた。
威鈴の持つ魔法書から噴き出した炎が剣を形作ったと思うと、闇の一点へと吸い込まれるように飛翔する。
闇に潜んだエステリーゼが光球を転がせばそこには先程と全く変わらぬ手品師の姿。
その様子にエイルズレトラは目を細める。この敵は、もしかして――。
「種も仕掛けも勿論魔法もないわ。あるのはただ、現実と必然だけよ。幻だの何だの馬鹿らしいわ……」
外見に似合わぬ達観した事を言いながら、手品師を射撃するエステリーゼ。
このディアボロの持つ雰囲気は以前戦ったおもちゃたちにひどく似ている。
彼女の銃弾は、シルクハットを撃ち抜くがやはり手ごたえは薄い。
まるで文字通り幻影を相手にしているかのような違和感は徐々に大きくなっていく。
攻撃しても死なない相手など、絶対に勝てるはずがない。
そんな無茶を、あの悪魔はさせようとしたのだろうか?
不意に空気を切り裂き銀色の銃弾が手品師の持つ杖へと到達する。
両目にアウルを集中させ、狙いすませた一撃を杖へと叩きこんだのは距離を取り敵の様子を観察していた白秋。
「どうやら物魔両用。攻撃にパターンがあるようだ。此方の攻撃が有効かはわからねえ。あと、けっこう胸でかい」
その報告の末尾に付け加えられたものにエステリーゼがじとっとした目を向けたような気がした刹那、白秋の持つ銃がノストに向けられ火を吹く。
「おや?」
さすがに、警戒したとはいえ長射程の銃撃は避けきれない。
どういう事だい、と言いかけて戦闘開始直後の黒百合の注意を思い出す。
あの時は範囲だったのでわからかなかったが、杖への攻撃をトリガーとしているのなら――。
「全く……厄介な相手だね。でも――」
その種、破れたり。
受けた傷は浅くはないが、それに見合った物が得られた。
先程の悠人の攻撃は避けそびれたのではなくステッキに当てたくなかったのだとすれば、狙われたくない理由があるはず。
「多分ステッキが本体だ。そこを狙って攻撃しよう」
ノストの声かけに撃退士たちは同じ結論に達する。
手品師の姿かたちこそがフェイク。本体はただのステッキだということに。
「種がバレた手品師は、退場してもらわないと困るわよねェ……♪」
一気に距離を詰めた黒百合が腕を一振りすれば、その手には爪のような三枚の刃を持った大鎌が握られる。
無慈悲に振り下ろされた三枚の刃は本体を庇おうとする手品師のタキシードもろともステッキへと傷をつけた。
「正気に戻ったか?」
幻惑をかけられた白秋の抑えに回ったキイの言葉に、白秋は頭を掻きあぁと頷いて応じる。
幻惑が解けたのを確認したキイがクラウディアの様子を伺うと、彼女は楽しそうな様子でこちらを見ている。
だが、その表情にはたしかに感嘆が加わっているように見て取れた。
おそらくステッキで正解らしい。
「受け取ってくれ、俺からの花束だ」
さきほど余計な事をしてくれたお返しにとばかりに、白秋が撃った白く輝く銃弾はまるで星のように尾を曳きながら正確にステッキへと命中する。
次いで襲い来る幻影を振り払い、射程ぎりぎりの距離まで後退した。
ふと、ノストが銀竜の側の様子を見る。
そちらもそろそろ傷が累積している、恐らく撃破が近いだろう。
ノストがそう考えていると辺りをちろちろと辺り不自然な白銀の光が流れ、銀竜の傷を癒す。
「ねぇ……何か、変」
威鈴の声に手品師の方を見ると、そのステッキの先端部分にもまた白銀の光がまとわりついていた。
手品師がステッキを振りかぶる。
幾度も見て分かった、炎で薙ぎ払う攻撃をする合図。
攻撃の範囲も威力も大体わかったはずだったのだが――。
噴き出した白銀の炎は、先程までより遠くへとさらに強烈な炎を吹きつけてくる。
「あらァ……♪」
傍にいた黒百合が炎の中へと巻き込まれ崩れ落ちるかに見える。
「やっぱり、あっちと関係があったみたいねェ……♪」
とん、と手品師の持つステッキの上に降り立った黒百合。炎に炙られ地に落ちたのは、ただのジャケットだった。
戦闘を楽しむような仕草の裏で緻密に敵の動きを観察していたからこそできた芸当。
振り払おうとステッキを振り上げたのが運の尽き。
予想通りと言わんばかりにその勢いで上に飛び上がり、風を斬る音とともに落下速度を乗せた斬撃が手品師に迫る。
「その空っぽごと、引き裂いてあげるわァ……♪」
宣言通り大鎌はシルクハットのつばを消し飛ばし、タキシードを肩口から切断しながらステッキへと激突する。
――ピシッ。
初めて、かすかな音とともにステッキにヒビが入る。
一度目のホイッスルが鳴った。
それは、あらかじめ決めておいた連携の合図。
三度目の笛と同時に、全力攻撃を行い同時撃破を目指すという物だ。
「………っ」
無言になった威鈴が肩の模様をより色濃くさせながら、再び魔法書を掲げると先程よりも強固で巨大な炎の剣が形成される。
大切な人を傷つけるものは誰であろうと許さない。
その言葉を代弁するかのように炎の剣はステッキを中心に炸裂し、小規模な爆発を起こす。
「終わらせましょう。――この出来の悪い人形劇を」
エステリーゼの放った銀の弾丸が杖へと吸い込まれるように当たる。
共生関係のある敵。一人でいた方が楽だなと自分は思う。
だが、気づけば誰かのぬくもりに縋ってしまうのかもしれない。ふと、エステリーゼはそう思った。
よろめいた隙を逃さず、ノストが駆ける。
雷の剣はすでに打ち止めだが、撃破のタイミングを合わせるための最善を考えた。
それは、自身も接近し攻撃を仕掛ける事。
損傷も激しく危険な賭けかもしれない。だが、彼は口元に微笑みを浮かべたまま距離を詰めていった。
近寄らせまいと手品師が火球を投げつける。
常人ならば軌道を見ることすらままならぬ速度で迫る火球をノストは僅かに身をかがめ重心をずらしただけで回避した。
「残念、それは予想済みだよ」
手を下す速さ、向き、タイミング。それだけあれば十分だとばかりに距離を詰めたノストは2本の剣を交差させるように振り下ろす。
狙うはステッキ。その剣は――。
がっしりとステッキ中央を捉えていた。ステッキに入ったヒビがびしりと音を立て大きくなる。
二度目のホイッスルが鳴り響く。
手品師が帽子を振り上げ自爆を試みた。
撃退士たちの意図を察したかどうかは分からないが、ここで一度闇に紛れられては恐らく同時撃破は絶望的になるだろう。
――しまった!
撃退士たちの間に緊迫した空気が降りる。
帽子がまさに振り下ろされようとした時、丸い金属の塊が手品師にたたきつけられる。
それは割り込んだキイの持つ刃付きの盾。
「その手品は既に見た。ネタ切れの君はもう退場の時間だ」
激しい攻撃に晒されてもなおそうそう破損しない強度を持つ盾。それを力任せにぶつけられ、手品師は帽子をとりおとし、自爆攻撃の機会を失う。
キイの行動により手品師の離脱を防ぐ事ができた。
「さてと、そろそろ幕引きの時間だな」
三度目のホイッスルに合わせて一気に距離を詰めるエイルズレトラと悠人。
最後のあがきにと飛来する剣。
もし、何もしなければ行軍を妨げたであろうそれは、白秋の放つ援護射撃が正確に打ち落していく。
真っすぐに開いた、道。
悠人が踏み込み、大上段に構えた剣は白い輝きをどんどん増していく。
「これなら、どうですか!」
――バキン。
鈍い音を立て、ステッキのヒビが全体に広がる。
後、一撃。
さぁ、とどめをと悠人が後ろを振りかえると、見えたのは剣に胸を貫かれているエイルズレトラの姿。
この隙に後退を、そう考えたのか手品師が後ろに下がると――。
背後に現れたのは無傷の奇術士。
貫かれた身代わりはバラバラとトランプに戻って崩れ去って行く。
「ミスリードですよ。マジックの基本でしょう?」
奇術士は笑顔で片手を高く掲げる。
「さてさてどうやら、手品師対奇術士のマジシャン対決は――」
エイルズレトラの振り上げた腕には何も持っていない。
一見するとただの素手。だが、本当に何も持っていないはずなどあるわけもなく。
振り下ろした腕がステッキの横を通過する刹那、一瞬で伸びた爪ががっしりとステッキを捉えた。
「――僕の勝ち、のようですねえ」
腕を振り抜くと同時にステッキは粉々に砕け散り、破片を辺りに散らす。
本体を失った装束はバサバサと地に落下していった。
●種明かし
「これで終幕……かな……?」
抱えた魔法書を閉じ砕け散ったステッキを見下ろしながら、威鈴が言葉を発すると撃退士たちの間に安堵した空気が流れる。
これで、イリュージョンは成功したのだろう。
「あら……?」
銀竜の方を見たエステリーゼが驚いた声を漏らす。
釣られてそちらを見た撃退士が目にしたのは瀕死の銀竜と、それを護るように展開された強固な障壁。
これでは、どうしても銀竜にとどめをさす事ができない。
――失敗した?
撃退士たちの間に緊張が走る。
「……これは、どういうことだ?」
臨戦態勢を維持したまま、鋭い口調でキイが問うた。
その視線はまっすぐに闇の向こう側、客席からこちらにゆっくりと進んできている悪魔クラウディアを捉えている。
「あらァ、舞台の終わりには主催者が顔を見せて挨拶するべきでしょォ?どうせなら顔を見せなさいよォ♪」
黒百合に応じるように、銀竜と手品師のちょうど中間についた灯りの元へと現れる黒軍服に金髪の幼さすら感じられる悪魔と黒髪に道化服の子どものような悪魔。
「それもそうですね。皆さまお疲れさまでした、と舞台の成功おめでとうございます」
満足げな表情を浮かべ小さく拍手をしながら近づいてくる悪魔クラウディアに白秋が皆抱いているであろう疑問をぶつける。
「成功ってならどうして向こうを中断したんだ?」
「えっと、それはですね……」
どういえばいいのか悩んだのか、言葉を詰まらせるクラウディア。
不意に何か思いついたのか、一つ手を打つと言葉を足した。
「そうですね、種明かしは見ていただいた方が早いでしょう。まずは向こう側のゲストからお返しいたしますね」
●終幕
『ゲスト』の男と地に臥した銀竜。
道化から告げられたのは、銀竜の正体は亡き妻である晶だったという事実。
最愛の人を二度失う悲しみに耐えかねて共に逝く事を望んでいた男は。
――撃退士に諭され、少女のために生きる事を決意した。
「さて、こちらもそろそろ起こして差し上げましょうか」
そう言うとクラウディアが眠ったままの杏の頭をそっと撫でてやると、杏はゆっくりと目を開け辺りを見回す。
「……大丈夫?」
「…ここ、どこ?」
威鈴の問いに杏は大きくうなずくと首をかしげながら応える。悠人が確認したが目立った外傷はなく、体調にも問題はなさそうだ。
「杏……」
大切な娘に声をかける涼。
「ごめんなさいっ!」
「ごめんよ……。寂しい気持ちをさせちゃったね……」
父親に抱きつき杏は泣きだしてしまう。
涼もまた、その瞳から大粒の涙をこぼしながら愛する娘を抱き返していた。
(「もし、愛する人を失ったら……」)
きっと、俺も立ち直れないかもしれない。
それだけ自分にとって彼女は大切な存在で、共に――。
ふと、悠人は誰かに服の裾をつかまれているような感覚を受ける。
そちらの方を向いてみると恋人の威鈴が悠人の服を少しつまんで引っ張っていた。
彼女は二人の様子を見て静かに涙を零している。
きっと、自分と同じ事を考えていたのだろう。そっと彼女の肩に手を回すと自分の方へと抱き寄せる。
自分は絶対にいなくなったりしない、そう伝えると同時に彼女がそこにいるという事を確かめるように。
それに勇気をもらったのか威鈴が二人の方へと歩み寄り、杏の頭をそっと撫でてやる。
寂しかったよね、不安だったよね、もう大丈夫だよ。そう伝えるように。
父の腕の温もりと威鈴の手の優しさに落ちついたのか杏が徐々に泣きやんでいく。
「これで……大丈夫……」
ね、と小さく微笑みかければ、杏も泣きはらした顔ではあるが満面の笑みを浮かべて応じる。
「お姉さん、優しいんだね」
その後に続く無邪気な不意打ちを二人は予想する事ができただろうか。
「お兄さんと幸せに、ね!」
唐突な言葉に悠人の顔も少し赤くなっていた。
「こんな事があったばかりだから大変かもしれないけど。ううん、だからこそ晶さんの分までどうか、まっすぐ歩いて行って欲しいんだよ」
自身もうっすらと涙をためながらキイが涼にそう訴える。
「きっと、杏ちゃんを守れるのは涼さんしかいないから……」
その言葉に改めて涼ははっとしたようにそうだね、そうだよねとなんども頷いた。
誰かを守るというのはとても難しいことかもしれないけれど、そうしてくれる人がいるというのはきっと心の支えになるから。
涼は手にした小さな玉をきゅっと握りしめる。
「他人に覚えてもらっている限り、その人は心の中で生き続ける事ができる」
どこか、含みのあるようないつもと変わらない笑みを浮かべたノストが不意にその言葉を口にする。
「心の中で……?」
「本の受け売りだけどね。この言葉で君の心が軽くなるかどうかは俺には分からない。だけど、今一番必要な言葉じゃないかなって思えたから」
愛する人を二度失う悲しみ。それは恐らく想像を絶するものだろう。
だが、きっとこの二人はそれを乗り越えていけるように、ノストは思えた。
「これから二人が紡いでいく物語を楽しみにしてるね」。
輪の外でクラウディアは、ニコニコとその様子を見守っていた。
声を当てるなら、良かったですねとでも言いそうなほど自然に。
その彼女の傍にやってきたエイルズレトラは、手にしたハンカチを広げ裏表、種も仕掛けもない事を示す。
「一つ教えて差し上げましょう」
「……?なんでしょうか」
エイルズレトラは不思議そうにこちらを見るクラウディアの前でそっと自分の片手にハンカチを被せる。
「サーカスというものは、興行主が観客で楽しむものではなく、興行主が観客を楽しませるものですよ。これは手品ですが、こんなふうにね?」
言い終わると空いている手で指をパチンと一つ鳴らす。
その後、さきほどのハンカチをサッと引けば、そこに合ったのは南瓜をかたどったキャンディ。
クラウディアはわっと小さく驚きの声を漏らす。
「次回はそこを踏まえていただきたいですねえ」
そう不敵に笑うエイルズレトラに続いて、そうそうとキイも言葉を加える。
「サーカスは自分が笑う側じゃない。笑われるのがお仕事なんだしね」
最終的にサーカスは観客に見て楽しんでもらうために行うもの。
興行をする側が楽しいだけのサーカスであってはいけないはずなのだ。
「なるほど、サーカスとはそういうものなん! 覚えておきます」
大きな本の項をめくると何やら書き加えておくクラウディア。
「俺も一つ言わせてもらおうか」
次いで口を開いたのは野生の獣を連想させるような長身の男。
「”断られてしまうと困りますので、ゲストさんと一緒に待つ事にいたしました” なんておかしなことを言うもんじゃねぇよ」
こんな美少女のお願いを誰が断る、と清々しく言い放ちつつ白秋がさらに距離を詰める。
クラウディアは不思議そうな顔で見上げるばかり。
「人質なんていなくたって真正面から入場してやるよ。舞台に上がるのは俺達とお前達だけ。もし次もゲストをお招きするようなら――」
恭しくクラウディアの前に膝をつく白秋が、そっと懐から取り出したのは鈍い光沢を放つ拳銃。
それをゆっくりと構え、向けた先はクラウディアの額。
ポンッ!
軽い音とともに飛び出したのは長い紐とそれにぶら下がる国旗の列。
「ぺろぺろしちゃうぜ、可愛い悪魔」
頭に国旗の紐を乗せたまま、クラウディアは首をかしげる。
「おいしくないと、思いますよ?」
「いや、そういう問題じゃねぇと思うんだが……」
文字どおりの意味に受け取ったらしい。
肩透かしを食らった形になった白秋に、でも、とクラウディアは言葉を続ける。
「来てくださるのならば、今度は当事者だけにしておきましょう」
「おう」
笑顔で応じた軍師の悪魔。
不思議なほどに和やかな雰囲気で進む中、エステリーゼがクラウディアに声をかける。
「一方的に名前を知っているのも不公平でしょう? 名乗っておくわ、エステリーゼよ」
「わ、ご丁寧に有難うございます。エステリーゼさんですね、覚えておきます」
どこか冷めたエステリーゼの視線を真正面から見つめ返しながら、にこにことクラウディアも返す。
「さて――」
紹介も済んだところで、エステリーゼは本題を切り出す。
「貴女の望むものは何かしら――クラウディア?」
そもそも何が目的なのか。
深く踏み込んだはずの問いを彼女はあっさりと応えてくれた。
「お母様のような立派な軍師になることです!」
体の前でぐっと両手を握り、そう力説する彼女の声に一片のやましいところはない。
恐らく本心で言っている事なのだろう。
だが――。
「それとこれに何の関係があるのォ…?」
理解できないというような黒百合の問いかけにも、彼女は自信満々に応える。
「先輩のお手伝いが、近道になるとお母様が手紙でおっしゃっていたのでっ!」
他者に依る、子供じみた単純な理由。
堪え切れずエステリーゼは一言。
そう、たった一言聞き返す。
「それだけの理由で……?」
何かが凍りつく音がした。
ただ、それだけで彼女の纏う雰囲気が変わった。
仕草や笑顔には全く変わりはない。だが、空気が重圧を帯びのしかかるようなプレッシャーを放ち始める。
「えぇ、お母様のような立派な軍師になるのですから、お母様の提示した方法を辿るのが一番早いでしょう?」
口調や声のトーンも先程と全く変わらないはずなのに、反論を許さない様子がうかがえる。
きっと、今度反論をしたならばその瞬間、そのまま問答無用で攻撃を仕掛けてきてもおかしくないような。
その様子にへぇ、と黒百合は少し目を細める。
一戦を終えて万全ではない状態。
このまま悪魔と戦う事になれば、逃げるだけでも全員無事とは行かないだろう。
だが――。
「いや、あいつが言いたかったのはそう言う事じゃないと思うぜ」
「貴女が何をしたいか、ではないのでしょうか?」
放たれる気配にも身構えることなく、白秋の言った言葉に続けて威鈴を庇うように前に出ながら悠人が続ける。
危惧していた攻撃は、ついに来る事はなく。
「私が……?」
完全に不意を打たれたというような表情でぽつりとそう呟くと、クラウディアは道化の悪魔の方を窺う。
「残念ながら、あちらの話も終わったようですので、私たちはこのあたりで失礼いたします。また、お目にかかるのを楽しみにしておりますね」
その台詞を言い終えるまで待っていたかのように、道化の悪魔が指を鳴らすと急にあたりが眩い光に包まれる。
眩しさに目を瞑った撃退士たちが再び目を開くとそこには何もないただ広いだけのグラウンド。
テントも、悪魔達も。全てが幻だったかのように消え去った後、残るのは撃退士たちと一組の親子のみ。
「なるほど、これを見せたかったんだね」
キイが空を見上げる。
戦っている間に日が落ち、暗くなった夜空。そこには無数の星が瞬いていた。
「綺麗……ね」
「うん、載せられたのは癪だけど、すごく綺麗だ」
威鈴と悠人が寄り添い頭上の満点の星空を見上げる。
「はっ、粋な事するじゃねえか」
軽く笑い飛ばしながら白秋がいう横で、エイルズレトラも天を仰ぐ。
「これが最後の仕掛けということになりますかねえ」
「それじゃ、無事に終わった事だし帰りましょうかァ……♪」
「うん、これにて閉幕だね」
黒百合とノストがそう言う横で、エステリーゼは小さく囁く。
「今度会ったら説教ね」
その機会はきっと来るだろうから。
もう一組の撃退士たちが癒しきれなかった傷を癒していく。
感謝の言葉を述べ、さぁ帰ろうというところで撃退士たちのところへてこてこと杏が駆け寄ってきた。
「お姉さんたち、ありがとう」
ぺこっと頭を下げお礼を言うと、ひらひらと撃退士たちに手を振って父の元へとまた戻って行く。
涼の方も深々と頭を下げ、家があるであろう方向へと杏の手を取って歩きだす。
「お父さん帰ろっ。あっくんも多分心配してるよ?」
「あぁ、敦にも迷惑をかけてしまったな。今度、お詫びに食事にでも連れて行かないと」
手をつないだ二人の影が遠ざかって行く。
それはたしかに撃退士たちが守ったもの。
「夕飯は無理だが、晩飯には間に合ったな」
白秋の呟きが、グラウンドを抜ける風に溶けて消えていった。
●大好きな君へ
――どうしてもっと早く気がつかなかったんだろう。
こうして今ならしっかりと自覚できる事実、娘が生きているということ。
僕はただ、あの子と穏やかに暮らしていくべきだったんだ。
週末にはお出かけして。時には喧嘩して。時には、笑い合って……。
きっと――。
君もそれを望んでいるから。
君との生活は、とても幸せで。とてもとても、満ち足りていたから。
だから、僕はずっと感謝している。
いつか、この命が小さな泡のようにそっと儚く消えて行く時まで。
僕に出来る限り、二人で愛したあの子と一緒に暮らしていこうかなって。
そんなふうに、思ったんだ。
だって――。
だって……君の分まで、僕は――。
今を、生きていこうと決めたから。