●取り戻す為に
春を越え夏が近づいてきていることを感じられるような、むっとした湿気を含む風が吹き抜けてゆく。
徐々に傾き始めた日は、立ち並ぶ木や生えしきった草を赤く赤く染め上げた。
独特の森の香りを感じながら、森を駆け抜けるのは7つの人影。
自分に持てる限りの力をふりしぼり森を駆け抜けていく少年に導かれ、Rehni Nam(
ja5283)たちは走って行く。
(「しっかり少女を救出して、倒してあげます。少年だって怪我ひとつさせません!」)
そう心に決意したRehniは少年の背を追いかけた。
その背中はまだ小さく、年齢によるものか本人の焦りか、どこか危うさを含んでいるように感じられた。
その様子に凍凪 朱(
jb5956)は少し目を細める。
(「晃平君も心配。今はまだ冷静そうだけど、飛び出さないように釘をさしておく必要があるかな」)
救出対象である佳苗は勿論だが、晃平も無事に守りきらなくてはならない。それは撃退士たちが抱く思いだった。
半刻ほど、走り抜けていくと不意に木々がまばらになっていき、視界が開けてゆく。
「そこだ……!」
隠しきれない悔しさを声ににじませ晃平は指を差す。
そここそが、『とっておきの場所』となるはずだった場所。
その指先の示す先には、木がほとんど生えていない少し開けた空間の中央に鎮座する大きな老木とそこからのびる蔦の一本に吊り下げられる少女の姿があった。
今にも走りださんという勢いの晃平の肩に手を置いたのは雁鉄 静寂(
jb3365)だ。
「晃平君、君のやったことは間違ってはいない。君は正しい選択をした。私たちを呼んだことです。でも、この後も正しい選択をしなければ佳苗君を助けることはできない」
その言葉に続けるように美森 仁也(
jb2552)が言う。
「けして俺たちの戦う場所に出てくるな。庇うべき人が一人増えるだけで彼女の救助に動ける人が減る」
彼の瞳をまっすぐ見つめ、真摯に伝える。少女を喜ばせるはずの行動でこのようなことになってしまうのは哀れだから。
「約束出来るか?」
その言葉に晃平ははっとしたような表情をすると、こくりと一つ頷いた。
「約束、します。佳苗を助けてやってください」
そう言って晃平が頭を下げると、ルーファ・ファーレンハイト(
jb5888)が首をかしげつつ応じる。
「あの人間だいじ、合ってる?それなら、助ける」
ルーファが光の羽根を展開すると、その脇で三善 千種(
jb0872)が晃平に微笑みかけるとその気配がすっと薄くなる。
雁鉄は晃平の肩が少し震えているのに気付き、きゅっと手に力を込める。必ず助ける、その気持ちを伝えるために。
「君を助けに来た久遠々原学園の撃退士だよ。意識をしっかり持って。メンバーに天使と悪魔がいるけど、驚かないでじっとしててね」
美森の発する呼びかけに弱々しく、佳苗が手を振ったのを確認しまずは一安心をする。
――まだ、生きてる。
そうと分かればやることは一つ。
撃退士たちは、少女を取り戻すべく行動を開始した。
●藤花を散らし
向かってくる撃退士たちに歩行樹はただの老木に擬態をするのをやめ、迎撃の準備を整える。
まず、飛び出してくるのは事前情報にもあった二匹の巨大な蝶。
派手な色彩の羽を広げ踊るように舞う蝶たち、歩行樹へと進むのを阻むためにようにふわふわと飛行する。
だが――。
「邪魔はさせません!」
突如空間を切り裂き、降り注ぐのは無数の流星。
Rehniの召喚した輝く流星は青白く尾を引きながら巨大蝶へと落下する。直撃を受けた蝶はよろけたようにバランスを崩した。
なんとか体勢を立てなおそうとしている巨大蝶に、ひゅんと空気を裂く音とともに飛来する弾丸の雨が一匹の巨大蝶を射抜いてゆく。
凍凪の放った銃撃に動きの鈍った巨大蝶の注意がそちらへと向いた。
その隙にまずは飛行しているルーファと美森が上空より歩行樹へと迫る。
「ルー、とりあえずなぐる、あとよろしく」
「二人が近付いて救出しやすいようにしなきゃね」
お互いに距離を取り、相手の注意を分散させるよう陣形を整える。
歩行樹はどちらに攻撃をするか一瞬迷ったようで、ゆらりと立ち上った蔦は左右に揺れるのみ。
それならまずはと、銀髪金目に紫の角という悪魔の姿を現した美森が炎のような紅い色をもつワイヤーを器用に操り、歩行樹の枝に絡めていく。
絡めては解き、また絡めと繰り返されるワイヤーで動きにくい。それを鬱陶しく思ったのか、歩行樹は最初のターゲットを美森に定め蔦を鞭のようにしならせ、叩きつけてきた。
美森はとっさに円形の盾を活性化し、迫りくる蔦を防ぐため目の前に掲げるとガキンという激しく音が鳴る。
注意が完全に美森の方を向いた隙に殴りかかるのはルーファだ。渾身の力で振り抜かれたバットの一撃に枝の一本がみしりと音を立てる。
その隙に地上の二人――Rehniと三善も歩行樹の元へと到達した。
作戦通りに歩行樹の注意は完全に上空の二人に向いている。救出するのならば今が好機だ。
「今助けるから静かにしててねっ☆」
吊り下げられた佳苗の傍で三善がこっそりと声をかける。
微笑みかけた彼女の右手には、小さな札が握られていた。すっと手を振り下ろすと札はまっすぐに佳苗を縛る蔦の根元、枝から垂れ下がる部分に着弾し小規模な爆発をおこす。
爆風は蔓に咲く藤の花を吹き飛ばし、衝撃で蔦を切断する。ぶちりと音を立て蔦が切れると支えを失った佳苗の体は落下するが、下で待ち構えておいた三善がしっかりと抱きとめた。
「私が女の子でごめんなさいね☆お姫様だっこは今度別の人に☆」
そういうと、そのまま三善は彼女を抱き下がって行こうとした。
――グォォォォォォォォッ!
蔦を切断された痛みか、獲物を奪われた事に対する怒りか、歩行樹はどこから出しているのかもわからない大きな声で吠える。
ゆらりと、明確な殺意とともに最も大きく太い枝を高く振り上げると、三善と佳苗の所へと振り下ろした。
――ガンッ!
その枝を受け止めたのは二人を庇うように前へと飛び出したRehniの持つカイトシールドだった。
盾で受けてもなお殺しきれない衝撃に、一瞬顔をしかめる。
「困った野良サーバントですねえ」
盾に加える力の向きを調整し、枝を地面へと受け流す。自身はその反対側へと跳躍をし、行使するのは攻撃ではなく癒しの力。
その力は、その隙に安全な所へと下がる三善の腕の中の佳苗へと小さな淡い輝きを送り込む。
痛いの痛いの飛んでいけ。その言葉の意味するとおり、苦痛がどこかへ行ってしまったかのように彼女の息遣いは穏やかなものへと変化した。
歩行樹から少し距離を取るように誘いこまれた二匹の巨大蝶へと赤い閃光が飛来する。
突如出現した炎の球体はごうごうと燃え盛りながら、炎の舌で表面をなめるかのように巨大蝶たちを撫でていった。
身を焦がす膨大な熱量を伴い吹きつける火炎に、きぃぃぃと甲高い悲鳴を上げる巨大蝶。
「あなたたちの相手は私。佳苗ちゃんたちの方にはいかせないよ」
身に纏わりつく赤い炎を振り払おうとでもするように、悶えるような飛行をする巨大蝶のうちの一匹に、凍凪は言葉とともに札を投げつける。
バンと炸裂した力の衝撃に、これで二度目の札による爆発を受けた巨大蝶の羽はちぎれかけ、今にも落下してしまいそうにふらふらとし始めた。
もう一撃、凍凪がそう思った刹那、損傷の少ない巨大蝶が羽を振るわせ始める。
周囲にはきらきらと光を反射し、淡い黄色に輝く鱗粉が散布されたかと思うと巨大蝶はばさりと大きくその羽を羽ばたかせた。
鱗粉がそれにより生まれた風に乗り、全てを飲み込もうと迫る奔流となって吹きつけてくるのを、凍凪は地面に身を投げ出すように跳躍しかろうじて回避する。
受け身をとり、顔をあげた彼女が見たのはきらきらと輝く黄色の鱗粉。手負いの方の巨大蝶もまた、鱗粉を撒き散らさんと周囲に散布し始めていたのだ。
このままでは避けきれない、そう思い、次に来るであろう攻撃に防御を固めようとした。
しかし、手負いの蝶は突然空中で動きを止める。
――ビクン。
そう、大きく痙攣すると手負いの蝶はドサリと音を立て、地面へと落下した。その上に覆いかぶさるようにヒラリヒラリと落下するのは胴体から千切れてしまった羽。
「間に合いましたね。無事ですか?」
その向こう側にいたのは無事に佳苗を連れて後退した三善へと晃平を託し、戦線に復帰した雁鉄。
彼女のPDW FS80によって放った銃弾は狙い通りに紅い炎に包まれもろくなった羽ごと胴体を貫いていき、手負いの巨大蝶を撃破した。
「大丈夫だよ、ありがとう」
事実、一人で2匹の相手をしていたにもかかわらず、巨大蝶の体当たりを受けた回数はわずかであり、凍凪にはまだまだ余力があった。
「それを聞いて安心しました。残る蝶にも容赦はしません」
二匹と一人は二人と一匹に形成は完全に逆転しており、歩行樹は対峙する撃退士たちの応戦で手一杯。
二人の銃弾の砲火にさらされ、徐々に体力を削られていく巨大蝶。
バサバサと苦しそうに飛び回りながら羽を震わせ、周囲に鱗粉が光を反射しながら散らばっていく。今にもちぎれそうな羽で最後の力を振り絞るかのように鱗粉を二人へと飛ばしてくる。
強烈な風と共に吹き付けてくる鱗粉の嵐。その直撃を受けた凍凪と雁鉄だったが、身を裂く烈風にも呼吸を妨げる鱗粉にも二人は全く揺るがない。
子供たちに明るい未来を見せるために、このようなところで倒れるわけにはいかないのだ。
鱗粉の嵐を裂くように放たれた銀弾の雨に射抜かれて、最後に残った蝶もついにその動きを止めそのまま地面に落下していった。
美森の手に握られた漆黒の大鎌が振るわれる。彼を捕えようと伸ばされる蔦を盾でうけ、灯りなき夜のような黒さをもつ湾曲した刃を蔦にかけると渾身の力を込めて引いた。
相手はサーバントであるが、鎌という道具のもつ用途のとおり藤の花を散らしながら蔦が引き裂かれていく。
――グオオォォォォォォォォォォッ!
歩行樹から発せられたのは先程よりも大きな咆哮。
以前の咆哮の意味は分からなかった。だが、今回は不思議と撃退士たちには直感できる。
それに籠められているのは激しい怒りだ。
天界の影響を強く受けたサーバントたる歩行樹にとって、魔界の力を強く帯びた彼の放つ攻撃はどれも耐えがたいものなのだろう。
だが、それは逆の場合でも同じことが言える。
激しい怒りにまかせ歩行樹は枝を振り上げると、そのまま力任せに薙ぎ払った。
枝が来る方向に対しまっすぐに盾を掲げ防御を試みる美森であったが、枝の直撃を受けると地面に叩きつけられてしまう。
既にその体は幾度にもわたる攻撃を受け、傷が多くあった。序盤の挑発と繰り返される耐えがたい一撃に、攻撃がほとんど美森の元へと集中したためだ。
しかし、彼は一人ではない。叩きつけられた彼へと淡い光がまとわりつき、すっと体内に消えてゆくとみるみるうちに傷が消えていく。
Rehniによってもたらされた癒しの光で美森は立ちあがると再び大鎌の柄を握り直し、歩行樹へと相対する。
美森が体勢を立てなおす間、ルーファがたたみかけるように歩行樹へと連撃をたたき込んでいた。
既に蔦に残っていた藤の花はほとんど散り、枝も数本が根元から折れている。既に限界は近いのだろう。ならば――。
「今なら誰も巻き込む心配なく使えるのです……!」
これが好機とばかりに無数の彗星が歩行樹へと降り注いでいく。何発もの彗星を受けた歩行樹の幹はミシリと音を立て、枝が数本バキリと言う音とともに折れる。
後方から援護射撃にと飛んでくるのは天を翔ける矢。ひゅぅぅという高い音を響かせて、飛来した矢は的確に蔦を射抜いていった。
美森が大鎌を大上段に掲げ歩行樹へと叩きつけると刺さった鎌を中心にビキリと樹に亀裂が走る。
「もう、用ない」
金属バッドを振りかざしたルーファが歩行樹のヒビにその一撃を叩きこむ。衝撃を受け、亀裂は徐々に徐々に広がっていき――。
「枯れていい」
その亀裂を中心に、歩行樹は真っ二つに割れる。
断末魔の叫びすら上げることなくゆっくりとその巨体が左右に崩れ落ちて行く中、僅かに残った藤の花びらがはらはらと散っていった。
●守ったもの
歩行樹も巨大蝶も倒れた林の中は、いつもと変わらぬ静寂に包まれた。
「いなかった、まぁいいか」
ルーファは周囲をぐるりと見渡し、探し人が現れていないことを確認する。
撃退士たちは、三善によって守られていた晃平と佳苗の所へと歩み寄っていった。
まず、Rehniは二人のけがを確認する。さきほどの回復のおかげか、どちらも怪我はないことが分かり、ほっと一安心。
すぐさま味方のけがの手当てに入っていった。
「晃平君うまくフォローしてあげてここからは君の出番だよ」
と、そっと晃平に雁鉄が耳打ちをすると意を決したように晃平が顔を上げる。目の前の佳苗はどこか潤んだ目で晃平を見つめ返していた。
「えっと、佳苗……」
晃平はそう切り出そうとするが、なんと続けていいのかわからない様子。気まずい沈黙が流れているところに三善がフォローに入った。
「晃平君の判断は間違ってなかったですよぉ、私たちじゃないと対処できなかったんですから」
対処、という言葉に佳苗は改めて真っ二つになった歩行樹と伴に、無事に帰ってこられたのだという事を、もう怖がらなくてよいのだという事を実感する。
じわりとその両目から流れるのは透き通った滴。安堵の涙は止めどなく頬を伝い零れていく。
「彼は君を助けるために逃げたんだよ」
佳苗の背中をさすってあげながら、そう声をかけたのは美森だ。
美森が晃平の方を向くと、晃平はひとつ頷いて一歩一歩佳苗の方へと近づいていく。どうしても伝えなければならない事があったから。
後一歩、そこまで近づいたところで彼は再び止まってしまいそうになる。
その肩に添えられたのは先程と同じく雁鉄の手。
君なら大丈夫、言葉はなかったが晃平には確かにそう言っているように感じた。
最後の一歩を踏み出して晃平は佳苗を抱き寄せる。
もう離さないとでも言うようにぎゅっと抱きしめて伝えたかった言葉を紡いだ。
「逃げてごめんね、無事で……本当に無事でよかった」
「ううん、来てくれた撃退士さんたちと呼んでくれた晃平のおかげで助かったの。ありがとう」
嗚咽まじりの声ではあったが、佳苗は確かにそう答えと晃平の腰へと手を回し、抱きしめ返した。
佳苗が泣きやむのをまったのち、撃退士たちは二人を無事に送り返して学園へと戻るため林を後にする。
撃退士たちの活躍により、二人の子供たちの明るい未来が閉ざされることはなくなったのだ。
彼らが去ったのち、藤の残り香は風に消えて行った。