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あれからどのくらいの時間が経っただろう。
地へと座り込んだまま、その手はまだ震えたまま、少女は目の前の相手を見ていた。
このまま時間がたっても何も変わらない事は理解しながらも、行くことも戻る事も出来ずにいると、頭を過ぎる一つの考え。
もし、このままやめてしまえばどうなるのか。
手にしたぬいぐるみへと視線を落とす。悪魔が飽きて人形を連れて帰ってしまえば、今度は――。
なんだ、選択肢なんてなかったんだ。
どこかあきらめにも似た表情で、人形たちへと命令を下そうと口を開いた瞬間。
「待ちなせぇよ」
その言葉を聞くと同時に、少女は自身の目の前に無数の人影が現れる事に気がつく。
「あなたが望んでんのは、本当にこいつらを殺すことですかぃ?」
白騎士の頭を左手で掴みながら振り返る、百目鬼 揺籠(
jb8361)が少女に告げる。
自分自身の手を汚さずとも、やってしまえば人殺し。其処まで堕ちればもう帰ってくる事は出来ない、そう言葉の端に含みを持たせ。
戦闘態勢を取っていたのならばともかく、少女の指示を待っていた白の騎士に反応できる余裕はない。
掴んだ左手に揺籠は力を籠める。
視せるのは夢。膨大な量の視界の氾濫が一気にやってくる錯覚に、意志を持たぬ人形であっても一瞬その動きが止まる。
明確な『敵』の乱入に、動ける黒の騎士が大剣を掲げる、が――。
「仕返しは自分でしなくちゃダメよぉ。少なくとも、こんなお人形さん使っちゃったらどうなるか……分かるでしょう?」
どこか楽しげなErie Schwagerin(
ja9642)の声と同時に戦場に響く蹄の音。
白と黒がぶつかり合う。白銀の雷撃を身にまとう一角獣の突進を受け、黒騎士は体勢を崩さぬように剣を地へと突きたて頭を振った。
ちらりとErieが視線を空へと移せば、黒軍服の悪魔が撃退士たちの登場に目を輝かせているのが見える。
どうやら、今のところは手を出すつもりはないらしい。
剣を構えなおし駆け寄ってくる黒騎士へと視線を戻したErieの周囲では風が逆巻き始めた。
二人がそれぞれの騎士に攻撃を仕掛け始めるのと同時に、撃退士たちは少女たちの保護へと走る。
「目的がよくわかりませんが、一先ずディアボロから子供達を引き離しましょう。話はそれからで」
ヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)の言葉とともに、騎士たちの奥へと駆け寄る撃退士たち。
しかし、死の恐怖を前にして一般人である子どもたちは腰を抜かしているようだ。
「もう大丈夫。よく、頑張ったね」
中性的なヴァルヌスの微笑みにどこか安心したような頷きで応じる少年を連れ、戦場から離れた処へと移動する。
(「一般人って、あれ子どもじゃん?」)
メガネの奥で目を細め、永宮 雅人(
jb4291)が抱え上げるのは、三人組のうちの一人。
気づかれぬようにため息をひとつ。子どもは苦手だが、仕事とあれば仕方がない。
「もう大丈夫だよ。僕たちが守ってあげるからね」
顔に浮かべた優しげな笑みは見るからに親切で優しいお兄さんの物。
最後の一人も味方へとサポートを行っていた廣幡 庚(
jb7208)が優しく抱え上げて避難させれば、雅人の腕の中で少年は一つ穏やかな息を吐いた。
「な、何……!?」
(「落ち着きなよ」)
不安げにぬいぐるみを抱きしめ、目の前で始まる戦闘に戸惑った声を上げる少女。
彼女にだけ聞こえる声をかけ、身を潜めていた黒夜(
jb0668)はその体を抱き上げる。
(「騎士が手を出したらあいつらは死んじまう」)
死。いくら言い換えたところでその事実は重く。
(「あいつらに何かイヤな事されたんなら、後で平手一発ずつ喰らわせてやれ」)
しゅんと見るからに落ち込む少女にを勇気づけるかのように黒夜は続ければ、小さくとも確かに少女は一つ頷いた。
全員を安全なところへと連れて行き終え、後はディアボロ達の相手をするのみ。
持ちこたえている仲間の元へと戻る前に、ヴァルヌスはまだ幽かに震えている少女の元へとゆっくり歩いていく。
怒られると思ったのか、小さく聞こえるのは悲鳴。
しかし、伸ばされたヴァルヌスの手は優しく少女の頭を撫でた。
「キミは一方的に攻撃されることの痛みを知っている。キミがそれを嫌だと感じたから、できなかった。…それでいいんだ。キミは強い子だね」
腰を落とし、視線を合わせて柔らかな笑みを浮かべて。
「あとはボク達に任せて」
ひとつ大きく頷くと背を向けて、戦場へと駆けてゆく。その体は光に包まれ現れたのは翠と漆黒をベースに、黄色と白を彩った装甲に包まれた。
わ、と子どもたちから小さく歓声が上がる。
きゅっと抱きしめられた少女のぬいぐるみは今にも崩れそうなほどにぼろぼろで。
(「後でおたくの友達、治してやれるからな」)
仲間たちに合流する前に、ぽんと少女の肩に手を置き、黒夜が声をかける。
少女はそこではじめて僅かに笑顔に戻ると、駆けてゆく黒い背をじっと見ていた。
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堅い金属と金属がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。
子どもたちを回収しようとする撃退士たちの方へと振り返り、剣を振り翳した白騎士への一撃。
背面からかかる咆哮と同時に、空を薙ぐように振るわれる鉄下駄を白騎士は盾で受け止める。
「余所見はせんといてくだせえよ」
ゆらゆらと揺らめく紫の焔の軌跡を残す脚で盾を蹴ると、綺麗な宙返りを決め揺籠は地へと着地する。
標的を見定めたのか、子どもたちから視線を外しのっそりと揺籠の方へと白騎士は振り返った。
それでいい。
蹴りは防がれたが、揺籠の口の端に浮かぶのは笑み。
撃退士一人だけの力では、ディアボロには遠く及ばない。反撃に返される剣に、振るわれる盾に、着実に揺籠の損傷は増えていく。
だが、彼は一人で戦っている訳ではない。仲間が戻ってくるまで、そして戻ってきた後も耐えきる事が出来ればよいのだから。
それはErieもまた同様だった。
ヴンと空気を裂く音を響かせながら空を斬る黒騎士の魔力剣をErieは間一髪で回避する。
魔法には耐性があるといえど、力任せなその一撃は直撃はしたくないもの。
Erieが腕を振るえば、バチバチと蒼い雷光を纏う車輪がお返しにとばかりに黒騎士へ飛んでいく。
狙うは腕。いくら屈強な騎士を模した人形といえど、その武器を振るう腕を砕かれれば満足な性能を発揮する事は出来ないだろう。
幾度となくぶつけられる車輪に、漆黒の籠手に罅が入り始めるがまだ黒騎士は剣を振るう。
戻ってきた撃退士たちが、白騎士に攻撃を開始するのを横目に、Erieは黒騎士に意識を集中させた。
「間に合った、っと」
言葉と同時に飛来した矢の一撃が白銀の鎧を穿つ。
子どもたちを安全な場所に届け終えた雅人が手にした青の長弓から放たれた矢は、白騎士の胸部へと深々と突き刺さった。
「お前達の相手はボクらだ。子供達のところへは、行かせない」
カバーするように振るわれた黒騎士の剣圧の直撃を受けてもなお、ヴァルヌスは鉤鋏の付いたチェーンを伸ばし、白騎士の行動を阻害する。
損傷が深いと判断したのか、盾で身を隠し、自身へと癒しの力を行使する白騎士。
「させるわけにはいきやせんなぁ」
これ以上長引かせている時間はない。
揺籠は一気に踏みこみ、盾を持つ腕を鉄下駄で蹴りあげる。
「命令に従うだけの人形なんて何の救いにもなりはしない! 人は、誰かの想いを受け取って、成長していくからだ!!」
盾は腕ごと上を向いている。
がら空きになった胴を守るものは何もない。
「ニューロ接続、マキシマイズ起動!!」
ヴァルヌスの装甲の背部、放熱溝のように開いた外装から穏やかに輝く翠の燐光がこぼれ始める。
その光は徐々に彼の手にした銃へと吸い込まれ、そして――。
放たれる翠光の銃弾。
それは、吸い込まれるように白騎士の頭部を貫通し、騎士はその場に崩れ落ちた。
子ども達を助け終えてから白騎士が倒れるまで、Erieはただ一人で耐えていた。
その身は既に満身創痍。地の揺れにバランスを崩し、剣の一閃を受ける。
しかし、幾度となく斬撃を受けてもなお、口元に浮かぶ余裕の証は崩れない。
だって、もうすぐ――。
「行かせねぇよ」
Erieへと距離を詰めようとした黒騎士の動きが何かに引っかかったかのように止まる、そして。
――バキン。
背後から忍び寄った黒夜の糸に絡め取られ、Erieの攻撃で損傷した腕がついに武器を持ったまま圧し折れる。
同時に振りまかれる穏やかな光。
その光はErieの傷をなぞり、徐々に回復させた。
「お待たせいたしました」
癒しの光は庚によるもの。ほぅと一つ息を吐けば、Erieは自身の体に再び活力が戻っている事が分かる。
庚の癒しと防護の術は確かに継戦能力を向上させる事に貢献していた。
目の前には黒夜に腕を斬り落とされた黒騎士が一人。
今回の勝負は赤い魔女の勝利。この黒い駒はもう取られるのを待つばかり。
「それじゃ、さよならぁ」
蒼の雷光を纏い車輪が迫る。
自身が叩きこんだ刃と同じく、こちらも何度も見た技であるが、武器を失い、疲弊した黒の騎士にそれを捌き切るだけの余力はない。
車輪に轢かれ、蒼の雷撃に身を焦がした黒騎士は、粉々に砕け散った。
●
「ちょっと、待ちなさいなぁ」
穏やかな、しかし有無を言わさぬ迫力を持った声で、Erieが告げる。
戦闘が終わった直後。
逃げ出そうとしていた少年たちは、その言葉にぴたりと足をとめた。
Erieはゆっくりと子どもたちの方へと歩いていき、そして――。
「よく我慢したわねぇ」
揺らぎながらも、攻撃をしなかった少女の頭を撫でる。彼女はちゃんと、道を違えなかった。
「状況は整理させていただきました。事の経緯はこちらに纏めてあります」
庚が取りだした一枚の紙。
彼女は戦闘をしている間に、少女の精神を落ち着かせ両者から何が起こったのかの聞き取りを行っていた。
そこには、状況や結果、目指すべき目的がしっかりと明示されており、他の撃退士たちが事情を飲み込むのには十分な資料。
ディアボロは彼女の制御下を離れていたため、悪魔へ返す事は出来なかった。
しかし、攻撃をせずとも『もういらない』と言われた時点で騎士たちは暴れだしていただろう事が、庚には分かる。
「暴力を振るったら 何が起こりどういう結果に繋がるか考えた上で未来を選んで下さい」
力による報復は次の悲劇を生む。クラウディアはしなかったが、対価を取られていた可能性すらったのだ。
しゅん、とした少女に優しく微笑みながら手を差し伸べる。
厳しい事はこれで終わり、驚く少女から受け取ったぬいぐるみを庚は修繕し始めた。
自分の服の端すらも切り素材とする姿に、あっと少女が声をあげるが、庚はいいんですと笑っている。
「もうあんなことすんなよ?大事なもん壊されたらイヤだろ?」
その様子を見て何も言えずにいる少年たちに、黒夜は声をかけ庚の方へ駆け寄り手伝いをし始める。
二人の手により修理されたぬいぐるみの首には大きなリボン。
「お姉さん、お兄さん、ありがとうっ」
綺麗になって戻ってきた『相棒』に少女が嬉し涙とともに伝えた礼に、二人の『お姉さん』はどういたしましてと応じるのだった。
少年たちへとゆっくり歩み寄るヴァルヌス。
「相手の身になって考えれば、間違いだったと思えるはずだ。悪意を持って接すれば、悪意しか育たない。逆に善意を持てば、善意が返ってくる」
目の前に迫る死の恐怖。騎士の刃の武骨な輝き。それらは全て自分たちの行動によって引き起こされた物。
事の重大さを思い知り、項垂れる少年たちにヴァルヌスは微笑みかけて伝える。
「他人を傷付けて得る幸福なんて、ないんだ。絶対にね」
優しき魔の言葉に、少年たちは確かに大きく頷いた。
早く戻りたかったが、ぬいぐるみを直す仲間たちを遠目から見ていた雅人。手持無沙汰だったので持ち物を漁れば、手に触れる感触があった。
そういえば以前購入して一粒食べた金平糖は、この状況にぴったりの数になっている。
ケーキは用意できないが、きっと役に立つはずだから。雅人は少女へと金平糖を差し出した。
「傷ついた時には甘いもの。こんな物で良ければどうぞ、可愛いお嬢さん」
きょとんとした表情で受け取った少女へと、雅人は口元に指を一本。
悪戯っぽい笑顔とともに、内緒話でもするかのようにこっそりと言葉をつづける。
「もし男の子たちに謝ろうって気があるなら、それを分けてあげるといい。別にそんな気ないなら…全部一人で食べちゃいな」
「うん……うんっ!」
撫でられる雅人の手の感触に目を細め、照れたような笑顔で少女は頷いた。しばらくそうしていた後、 両手で金平糖を嬉しそうに抱えたまま、少年たちの方へと駆けていく。
「撃退士相手に、この子たちでは脆すぎましたか」
どこか名残惜しそうに、上空を飛ぶ悪魔が言葉を漏らす。
「これが彼女の選択なら、口出しせず最後まで見届けるのが筋ってもんでしょう?」
「そうですね、あの子がそれでいいのなら、この結果は受け止めましょう」
お互いに謝り、仲直りの握手をする子どもたちを離れたところで見守っていた揺籠の言葉に、クラウディアは本を閉じる。
きっと、許す事が出来たのは、壊される痛さを知ってるからこそだろう。揺籠の見立て通り、少女は少年を許す事が出来た。
「ウチが言うのもなんだが、壊すだけが全部の解決方法じゃねー」
個人的には不思議なんですけどね、と付け足す悪魔にかけられた声は黒夜のもの。
「今回のケースは他の方法で上手くいったわけですね」
ぽんと手を打つクラウディアには調子が狂うとでも言うように一つ溜息をついた後で。
「もし次に会うことがあったら、おたくの軍略、楽しみにしてる」
黒夜の言葉に顔を輝かせ、手を振るクラウディアは心なしか嬉しそうに答える。
「はい、未熟者ではありますが、頑張ります!また、お目にかかる機会がありましたらどうぞよろしくお願いいたします」
「悪魔クラウディア……覚えたわよぉ♪」
Erieたちへと無駄に丁寧な礼をして、クラウディアは空へと飛び立った。
子どもたちのお礼の声に見送られ、撃退士たちもその場を後にし、学園へと戻っていく。
少年と少女、四名もの未来を確かに救ったのだった。
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それぞれの闘いを終え、空を飛び帰っていく二柱の悪魔。
「今日は大変勉強になりました。シルバさん、ありがとうございました」
「そうか……」
興奮冷めやらぬ、といった表情で楽しそうにそう告げるクラウディアに、頭を抱えながらシルバが返す。
「そういえば、シルバ様はお伴無しですのに、無傷なんて尊敬です」
「……疲れはしたけどな」
クラウディアの問いかけには何かを思い出したかのように、一気にげんなりした表情になる。
シルバのため息が空へと溶けていった。