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幽かな明かりに照らされた戦場を一対の蒼が見据える。
蒼い瞳が垣間見る先には、迸る閃光。闘いの音。
ゆらゆらと揺らめく狐火の向こうに見えるのは牛鬼の背、その向こうに布陣する撃退士たちと背後を狙う濡女。
彼らにとってはただでさえ機会の少ないゲート戦な上に、挟み討ちの状態から始まる。
――さて、どうやって突破してくれるでしょうか。
観測者はくすりと楽しそうに嗤った。
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ディアボロ達の挟み討ちに対し、撃退士たちは背中合わせで戦うことを選択する。
「お招きいただき至極光栄とでも返礼するべきか?人であろうとなかろうと強者と斬り合うのはこちらとしても感慨深いしな、無作法については問う気はない」
咆哮を上げ突進してくる牛鬼を前に大澤 秀虎(
ja0206)はどこかで見ているであろう観測者へと言葉を返した。
その手は既に腰の刀の上。
「さすがに、腰のものじゃ伝説通りとはいかんが」
目の前に迫るディアボロに秀虎はさきほど手をのせていた刀ではなく、背負った野太刀を振りおろす。
すれ違いざまの斬撃は牛鬼の蜘蛛を思わせる足を傷つけるに止まった。
それを不快に思ったのか、秀虎へと顔をちらりと向けながらも突進を続けようとする牛鬼だが、前に割り込む小柄な影。
ギィンと金属音を響かせ盾を構えた知楽 琉命(
jb5410)がその突進を受け止めた。
――っ。
苦痛に顔がゆがむ。力が出しきれないのも相まって、その衝撃はかなりのものだ。
だが、確かに今この牛鬼は足をとめた。
「観客がおるなら等しく変わらず、ここは舞台やな 」
腕を振るい亀山 淳紅(
ja2261)が大仰に礼をすると、足元から立ち上る光の五線譜。
「遠慮なく歌わしてもらいましょ」
敵は全て見える範囲に居る。
ならばと跳躍はせず、その場で朗々と歌い上げるのは味方を鼓舞する勝利の詩。
その美しい歌声を支えるように上空に展開したオーケストラの幻から響き渡る音の雨が牛鬼へと降り注ぐ。
(……厄介な)
音の雨の直撃を受けてもなお、牛鬼はまだまだ余力を残しているようだ。
その様子を見て黛 アイリ(
jb1291)は拳を握る。
敵は十全の能力で仕掛けてくるにも関わらず、こちらは普段より力が入らない。
「けど、やって来た以上この程度は覚悟するべき、か 」
決意を込め、目の前の牛鬼へと強い視線を向ける。もちろん、このままやられるつもりなど毛頭ない。
掲げた手の上にまるで虚空から湧いたように形成されるアウルで出来た巨大な杭。腕を振りおろすとそれらは牛鬼へと殺到する。
ヴ、と低い低い声を上げ理解不能とでも言うように鬼が鳴く。
突き刺さった杭はその場に残り、鬼をその場へと縫い止められた。
(体が重い……。力が出ないよ。これがゲート内部。)
両手できゅっと陽光のような金色に輝く大鎌を握り、目の前の敵と対峙する山里赤薔薇(
jb4090)。
力の強い者ほど、のしかかる重圧は大きなものとなる。
(でも負けない! 悪魔共の好きにはさせない!)
目の前の敵を通してしまえば、後ろで戦っている仲間たちの無防備な背が晒されてしまうから。
バチバチと音を立て、大鎌の刃に雷撃が宿る。
それは、意識を刈り取る雷。赤薔薇に振り抜かれた大鎌から発射された雷撃は濡女の一匹へまとわりつく。
半人半蛇の怪物は抵抗するそぶりを見せたが、かくりと頭を垂れ意識を手放した。
「よそ見してる暇あンのか?」
突如動きを止めた隣の個体へ顔を向けた濡女にヤナギ・エリューナク(
ja0006)の投げた奥義が纏う風と共に飛来する。
扇は彼女の肩を裂くと同時に、視界を奪う靄を展開した。
「また何か、エラいことになっちあまったな……」
ちらりと振りかえると門の前には氷の檻。早いところ片づけて、コルネリアを助けておきたいところだ。
どうやら、その濡女は視覚で獲物を認識しているらしい。
たいして狙いをつけず飛ばされた火球を扇で迎撃する。
ヤナギは、扇を鎖鎌に持ち帰ると濡女の方へと一気に距離を詰めていった。
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なるほど、最初は行動阻害。
敵が有利な状態だからこそ、思い通りにさせない事は大切だろう。
多くの天魔を退けた実力。それは偶然ばかりではないらしい。
だが、ここまでは予想通り。
それなら次は、どう動くのでしょう。
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戦場に一陣の風が吹く。
疾風となったヤナギは雷撃の如き早さで鎖鎌を濡女の胸に突き立てると同時にその背後へと抜ける。
相手は強力とはいえ少数。逆に挟んでしまえばそのアドバンテージをとることができるはずだ。
視界を奪われた濡女に避ける事はかなわず、鎌は深々とその身に傷を残した。
――だが。
「危ないっ!」
後ろにいた赤薔薇の声に、ヤナギはその場を飛び退く。
叩きつけられた濡女の尾は、彼の足を掠め橋を構成する氷に大きなヒビを入れた。
「……見えてンのか?」
後ろに回ったヤナギを脅威と見たのか、視界を奪われた濡女はゆっくりと振りかえりヤナギへと向き直る。
まるでそこにいるのが分かっているかのように。
その場に縫い止められ、傍にいた秀虎や琉命に爪を振るっていた牛鬼もまた、その動きを大きく変える。
口の端から漏れるどす黒く変色した息。
生命を蝕む毒の吐息が撃退士たちに向かってばら撒かれる。
「――っ!?こっちや!」
淳紅の声と同時に下から叩きつけられた鋭い土の塊に、狙いが僅かにそれる。毒息は全員を巻き込む事は出来なかったものの、撃退士たちの多くが飲み込んだ。
(このディアボロ達はさっきの声の主に直接指示を受けてる)
この動きの変化にアイリの疑問は確信へと変わった。
戦術のみを伝えられていた可能性も考慮したが、状況に合わせて動きを変えてきた以上、観測者は見ているだけではないのだろう。
もとより比較的に相性の良いディアボロ達だ。向こうのペースに乗せられてはたまったものではない。
毒霧に合わせ、後ろの濡女の一体がこちらに火球を放とうとしているのを視界の隅でとらえた。
それなら――。
宙に舞う仄かな燐光。ゆらゆらと舞う光はまるで蛍の灯りのように。
ふとその場のディアボロたちがその光を見とれたかのように目で追う。
すでに完成寸前だった火球も再び口の端から零れ始めていた毒の息も集中が途切れたからか霧散し、消えてしまった。
たった一手だが、相手の手をつぶす事が出来た。これは大きい。
「今、だよ」
アイリの合図に一気に距離を詰める秀虎。
彼の身を蝕んでいた毒は琉命の光により取り除かれ既にその効果を失っている。
「紛い物とは言え古今東西の怪物たちとやりあえるという点ではお前たち天魔には感謝してもしきれんさ」
幼いころに聞いた伝説に語られる組み合わせ。相性がいいのも納得だ。
ならば、お互いにフォローさせ合うわけにはいかない。
「鬼さんこちら、ってやつやな」
転移の術を用いて、淳紅は牛鬼の後ろへと移動する。
それに合わせてアイリもまた反対側へと回り込もうと試みていた。
「一匹そっち行きました!」
赤薔薇の声が響く。
牛鬼のフォローをしようと接近する濡女。
だが、もう一匹はヤナギに足止めされており、牛鬼はアイリの動きを阻止しようとするのに手いっぱい。
つまり、完全に孤立をした状態で。
「断ち切らせてもらおうか」
振るわれた尾を紙一重で避け、がら空きとなった胴へと秀虎は鋭い斬撃を放つ。
赤薔薇の雷撃が濡女の意識を刈り取った後、集中砲火を受け倒れ伏す結果となった。
既に配置の不利は逆転した。
今や撃退士たちがディアボロを囲む側だ。
秀虎へと頭突きをかませばアイリが、アイリへと足を振り回せば淳紅が隙の生まれた部位に攻撃を叩きこむ。
「さすがに四足獣の頭は斬れないか、刃を潰すつもりで砕きぬく」
大上段に振りあげられた秀虎の野太刀、気魄を込めたその一撃が牛鬼の頭に振るわれる。
ヴ……っ!?
全力での叩き下ろし、幾度となく振るわれた衝撃についに耐えきれなくなったのか左角が根元からバキリと折れた。
悲鳴を上げ、のたうつ牛鬼。背後からかかるのはその場に似つかわぬ慈愛に満ちた声。
「ここからフィナーレや。一言一句一音一律、聞き漏らさぬようお気をつけくださいな 」
その宣言は誰に向けてのものか。
紡ぎだした歌声は逆巻く風となり、牛鬼を包み込んでいく。
さきほど受けた衝撃も相まって、意識を手放しかける牛鬼。もう、指揮が届いていたとしてもその通りに動く事は叶わない。
「これで終わりにするよ!」
両手に一振りずつ掲げた騎士剣に星の輝きが纏わりつく。
まずは一閃、そして十字の軌跡を描くようにもう剣を振り降ろすと牛鬼の体が大きく傾ぐ。
最後に再び双剣が振るわれた後。
倒れ伏した牛鬼がさらに動き出す事はもう、なかった。
時は少し遡る。
最後の一体になった濡女が放つ火焔の球。
範囲に強烈な焔を撒き散らすその球は撃退士たちに一貫して大きな被害をもたらしてきた。
だが、やられたままでいる撃退士ではない。
鳴り響く銃声。
孤を描き迫るその焔は、琉命の銃弾を空中で炸裂。撃退士たちには僅かな焔が降り注いだのみだ。
「もう、その攻撃は見切りました」
PDWを構える琉命の前で、鎖鎌を投げつけるヤナギ。
「さ、そろそろ仕舞いにしねェか?」
横薙ぎに振るわれた尾を屈むことで回避し、駆けだした先は橋の欄干。
投げられた鎌は濡女の首へがっしり絡みついている。
そのまま躊躇わず、ヤナギは橋の外へと身を投げた。
濡女は風の前の木の葉のように、氷の欄干へ吸い込まれる。
あっ、という小さな声は誰のものだっただろうか。
轟音。
砕け散った欄干の破片を払いゆっくりと身を起こす濡女。
ヤナギの奇策で首の骨は折れる事はなかったが、攻撃の隙を作るには十分すぎた。
「貴方たちがどれだけ私達から奪おうとも、希望だけは奪えないんだ!」
赤薔薇の左右の掌に生まれる焔。
燃え盛る火焔は次第に円を描き、さきほど敵の放ってきたものによく似た火球へと変化する。
自分が正しいなど思ってはいない。自分ができるのは、自分を含む大切な人たちを護る事だけだ。
両手の焔を合わせれば、その火球は敵の者とは比べ物にならぬほど大きく。
「燃えちゃえ!」
ごう、と音を立て放たれた巨大な火球が、未だ動けずにいる濡女へと直撃する。
――オオオオオオ……オオォォ……ォォ……ォォ…………っ。
ぶつかった火球は巨大な炎の渦へと変化し、濡女の体を舐めるように焼き尽くしていく。
篝火のように立ち上る焔の中で、声は次第に小さくなり、濡女を模したディアボロは黒く燃え尽き倒れた。
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牛鬼と最後の濡れ女が倒れたのはほぼ同時。
断末魔の余韻が消えれば、辺りの音は狐火のはぜる小さな音と撃退士たちの息遣いのみ。
「これで終わりのようですね」
琉命が告げるとほぼ同時、再びカラーカードが光りだす。
『ディアボロの全滅、確認です。お疲れ様でした』
「お前さんがどんな目的でこんなのを生み出したのかは知らんが、ガキの頃の目的を叶えさせてもらってそれなりに感謝している」
カチンと音を立て大柄の野太刀を鞘へ戻し、秀虎がどこかで見ている観測者へと告げる。
本物ではないとはいえ、かつて物語で語られた魔物をその手で切り捨てる事ができたのだ。
充実感とも呼べるものがそこにはたしかにあった。
『ご期待に添えたなら何よりです。ちゃんと、伝承通りでしたか?』
応える文字もどこか楽しげ。
鷹揚に頷く秀虎の横で、次は淳紅が声を上げる。
内容は鳥取の悪魔への託け。紅の歌術師からのメッセージは、伝えておくと文字は応じた。
「あんたさんの名前も教えといてよ。もし次会う時呼ばれへんの寂しいやん」
自分は亀山淳紅な。
紅の歌術師は臆することなくその名を名乗りあげる。しかし対する文字は、しばらく現れず。
「あれ……?」
淳紅が首をかしげると、慌てたように文字が紡がれる。
『それでは、私はここでは蒼眼銀毛九尾とお呼びいただければ。それも、私です』
不意を打たれたのか乱れた文字が宙に舞う。
「ほな、またいつか」
『はい。すぐに、また』
薄れゆく光。そろそろ今回の舞闘会は終わりなのだろう。
「昔話みたいに、帰れないってことはなかったね」
全員がここに飛ばされたわけではない。他の所に飛ばされたであろう仲間たちは大丈夫だっただろうか。
アイリは辺りを見回す。
辺りは相変わらず暗いが、仲間たち以外の影は見当たらない。
「せっかく勝てたなら、姿くらいは見たかったけど……」
思わず零れた言葉。
何人が消えかけたカードの答えに気づいただろうか。
『黛さん、既に――』、擦れかけた字はそう読めた気がする。
カードが消え去り、ガシャンと大きな音が響く。
撃退士たちが音のした方を見れば、開いた巨大な門から光が差し込み、檻のあった場所に氷の残骸が散乱している。
砕け散った氷。その中央でコルネリアは立っていた。
「みなさん、お疲れ様です。みなさんには応援くらい出来なかったですが、すごかったです」
「怪我とかは、してないみてェだな」
鎌と鎖を器用に操り、橋の上へと戻ってきたヤナギが、コルネリアの様子を確認する。
はい、きっとみなさんが早く倒してくださったからですねと、囚われていたコルネリアはふにゃりと笑った。
どうやら本当に損傷はなさそうだ。
仲間たちの回復を終えた琉命と赤薔薇もやってくる。怪我は一つもないことに安心しつつ、目の前の門に目を遣る。
おそらく、この光の中に飛び込めば元の世界に戻れるのだろう。
「さぁ、帰りましょう」
琉命の先導で一人ずつ、光の中へと歩みを進め消えていく中、赤薔薇はふと後ろを振り返る。
斬られ、或いは焦げ、倒れ伏したディアボロの死体。
誰かの亡骸だったもののなれの果て。
(また殺した……。でも、私は決して躊躇わない)
もうこれ以上、掌から大切なものを零さないために。
決意を新たに門へと向き直ると、不意に肩に乗せられるひんやりとした手。
「その希望、護り抜いてくださいね」
穏やかに笑いながら、コルネリアが言う。その言葉に頷き返して赤薔薇もまた光の中へと進んだ。
撃退士たちの去った戦場。
彼らを追うように白銀の尾もまた光の中へと溶けていった。