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澄み渡るような蒼い空、燦々と降り注ぐ太陽の光。
白いクロスと花で満ちた花瓶に彩られたテーブルで黒軍服の悪魔、クラウディア(jz0234)は待っていた。
「こんにちは、クラウディアさん」
実は会ってみたかったというその相手。あるはぐれからその名は聞いていたから。
地領院 夢(
jb0762)の挨拶に、クラウディアは顔を輝かせぺこりと礼をする。
「みなさま、ようこそいらっしゃいました」
「お招き感謝を、未来の軍師殿。相手になれるほど学も見識もない身だが、頑張らせていただこう 」
人当たりの良さそうに見える笑みを浮かべたアスハ・ロットハール(
ja8432)の言葉に、どんなことでも興味深いですと見習い軍師は応じる。
各々自己紹介を交わす中で、ふとクラウディアの視線が一点に止まる。
よろしくねとこちらも穏やかな笑顔を浮かべる星杜 焔(
ja5378)の荷物が気になるらしい。
後で実際に使って見せてあげるねと言われ、クラウディアは嬉しそうに頷くのだった。
「茶会、そう、茶会だ……」
朗々と大げさな身振りでレトラック・ルトゥーチ(
jb0553)が謳うように告げる。
「そうとなれば、それをお望みなら、良いだろう。茶会といえば紅茶、紅茶といえば俺、俺といえば茶会だ 」
「そうでした、席にご案内しないといけませんね」
一瞬キョトンとしたクラウディアだが、立ち話のままだということに気がつき慌てて撃退士たちを席へと連れていく。
たどたどしい手つきではあるが、紅茶が注がれとり分けられたケーキの横に並べられればお茶会の準備は完了。
「こちらとしては、戦うつもりはありません」
「はいっ、改めてそう言っていただけるとこちらとしても嬉しいです」
答えたクラウディアに、ヴェス・ペーラ(
jb2743)から紙パックが手渡される。
「こ、これは……!」
バナナオレである。
「マリアンヌ様から伺った事があります。人間たちが飲む甘くまろやかな飲料があると……!」
その飲み物が今、目の前に。ごくりと唾を飲むクラウディアの前に、今度は新井司(
ja6034)から赤い野菜のパッケージがついた飲料が差し出された。
「話だとバナナオレが好評だったみたいだけれど、こっちも美味しいのよ。良ければ試してみない?」
「これは、野菜の……ジュースでしょうか」
「そうそう、トマトジュース。有塩がいけるなら次は無塩の物をお勧めするわ。そっちの方がよりトマトの味がわかっていいのよ」
果物をジュースにすることがあるというのはもちろん知っていたが、このようなものまで存在するとは。
「後で大事にいただきますね」
大事に大事に、それらを傍らに置いたクラウディアが懐中時計を確認する。
「それでは、お茶会を始めましょうか」
両手でカップを抱え、悪魔はそう宣言した。
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テーブルの上に並べられたお茶とお菓子、これでテンションが上がらないはずがない。
不慣れな様子ではあったものの、出された物の味は見た目以上に美味しいかった。
「さくらんぼのタルトも美味しいですっ。お料理上手ですね」
「わ、ほんとですか?お口にあったのでしたら、嬉しいです」
本格的なケーキと並べるには緊張していたらしい、言われたクラウディアは少しはにかみながら笑った。
「あまり食べ過ぎんように、な?」
苦笑いを浮かべるアスハの視線の先には、黙々とフォークを動かす銀の魔女。
「……大丈夫。甘いものは……別腹って聞く、わ」
頷くシルヴァリティア=ドーン(jz0001)の前には何種類かのケーキが確保してある。
そういう意味ではないはずだが、どこか嬉しそうなその様子にアスハもケーキを口に運ぶ。
「良いかいアリス」
茶会には慣れたレトラック。例え目の前の悪魔が敵であろうとそれはそれ。この悪魔に一つ教えてやることにする。
「一概にミルクティと言ってもその種類は様々だ。どんな飲み方が合うか、元からどの程度の甘さか、適温、茶器、飲む時間、ミルクティに適しているか否か」
指折り教える言葉を一字一句違わず、取り出したメモに書き込むクラウディア。
この世界には沢山の種類の紅茶がある。その中でいつか、自分の好みのものを見つけて欲しいとレトラックは思うのだ。
「さて……」
紅茶のカップを置き、軍師の悪魔が切り出す。
「普段から大切にしている事はありますか?」
「弱さを楽しむ事です」
好奇心に目を輝かせるクラウディアの問いに、ヴェスまっすぐ答えた。
「弱さ、ですか?」
ある種それは忌避すべきもの。無力の象徴。
それを楽しむとはどういう事か、ヴェスの答えはクラウディアの興味を引いたらしい。
「一つの技を身につけるための修練。それを得たときの躍る喜び。みんなで戦っている、という奇妙な意識。卓越した存在と対峙する時の興奮。それに勝てたらすごいかも、と囁く内なる躍動。負けたときの悔しさ。次は勝つと誓う時感じる熱。そして達成した時の、名状しがたき感情」
それらは全て、自分の弱さを自覚しているが故に楽しむ事ができること。
一つ一つ区切りながら、ヴェスが挙げた理由はどれも聞けば確かに納得のいくものだ。
「そういう考え方もあるんですね」
頷きながら、クラウディアは手にした本にペンを走らせていく。
「キミには、目標ってある? 私には有るわ。割と大きな目標である自負も有る。その目標を忘れないことかな」
クラウディアの問いに対し、逆に問いをかける司。
「近いものを感じますね! 私も、お母様のような立派な軍師になることが目標です」
対するクラウディアも即答だった。
寸分の迷いなく返ってきた答えは、彼女の憧れの大きさと多くの者は見ただろう。
だが、司には彼女の言う『リッパナグンシ』という言葉に込められたニュアンスに違和感を覚えた。
「それがあるから、私は今ここに居ることが出来るから、ね」
「はい。私も今ここに居る事ができるのは、それのおかげ、ですから。」
付け足した言葉への返答に、違和感に気づいた訳が少し見えてくる。
この悪魔はきっと、自分に近い何かを抱えている、と。
「今度はこちらから聞いてもいいかしら」
司の投げかけた言葉を、クラウディアは楽しそうな笑顔で快諾する。
「冥魔って、人間のことをどういう風に認識しているのかしら?」
『精神吸収の糧』か、はたまたそれ以外の見方なのか。
悩む素振りを見せたクラウディアに、自分自身がどう思っているかだけでもいいと付け足し、司は問う。
「個人的には興味の種、でしょうか」
最初は本当に小さな粒。取るに足らないただの資源。
しかし、彼らは自分の知識になかったものを見せ、いつも自分の予想を超えてきた。
もちろん彼らが創り出す可能性は、時に自分に取ってあまり喜ばしいものではないこともある。
だが、それを差し引いても面白い、もっと観察してみたい、そうクラウディアは言っていた。
「そう、ありがとう」
司に礼を言われ、クラウディアはぺこりと頭を下げる。
「さて、次は、以前まで刃を交え、殺しあってさえいた方々と共闘し、仲間に加えようと行動できるのは何故か、ですね」
天魔に多くのものを奪われた、という者が学園に多くいることは容易に予想できる。
そのような者もいる中で、何故学園ははぐれたちを受け入れるのか。
「私、少し前にはぐれになる悪魔さんの手助けをしたんです」
口火を切ったのは夢だ。
彼女が告げるのはある悪魔がはぐれるに至った経緯。
人を愛したがゆえに過ちを犯し、悲しみや人を知る中で本当の意味で人を愛すると言う事を知りたいと願った悪魔の話。
名前を出さずとも、この悪魔には誰の事だか伝わったことだろう。
複雑そうな表情を見れば嫌でもわかる。
「そういう時、今ははぐれになるしか方法はないからかな、私は当人と話をして知っていたから、その手伝いをしたいと思いました」
敵だから、立場が違うから、そんなことは関係なくその人を助けたい、そう夢は願ったという。
そういう人がいるのならば、延ばされた手を振り払う理由なんてない。
「変わってますね」
はぐれも、人間たちも。
「Zwischen Himmel und Erde gibt es Dinge die ihr Auffassungsvermogen uberstiegen haben.」
理解しがたいといった様子のクラウディアに、異国の言葉でヴェスが付け足す。
「Was die Augen sehen, glaubt das Herz. つまり見に行くのが正解ってことですね」
一瞬驚いた様子のクラウディアだったが、同じく異国の言葉で応じた。
「道を違えてしまった人は、もう友達じゃないですか? もう想う事はないですか?」
そこに投げかけられる夢の問いは鋭い。
彼女にとっても、未だ答えの出ていないものだったから。
「正直なところ、まだ分からないというものが近いでしょうか」
彼自身は変わっていない事は理解している。
だが、その一方であれほどしてはいけないことと教え込まれたはぐれの道を取ったのも事実。こちらに刃を向けてでも。
進むべき道が違っただけ、そういうことは長く生きれば多くあるが、この幼い悪魔は経験に欠ける。
それは彼女にとってある種の拒絶と映った事だろう。
しばしの間、悪魔は悩み。そして――。
「もし、また話をすることが出来れば、何かが分かるかもしれませんね」
かろうじて、今はそれを返答として。
これは自身にとっても越えなければならない問題になるはずだから。
次にその問いに答えたのは、さきほどからゆっくりと紅茶のカップを傾けていたアスハ。
「勝敗は兵家の常、だ。……それに、敵の敵は味方、とは言わんが例えそれが仇敵であれ、使える駒なら活かすのが戦、ではないのかな?」
対峙した事があるからこそ見えるものがあるのもまた事実。
敵であるはずの蒼を継ぎ、己の力としたかつての紅の魔術師が言うのだからその説得力は強い。
それに、形は違えど刃を交える相手と対話は今まさに。
家畜とまで言い切るものさえいる人間たちとの会合、それがこの問いへの答えだった。
「なるほど、非常に理にかなっていますね」
腑に落ちた、という様子でクラウディアはアスハの回答に同意した。
「未来の軍師殿は、闘いの終わりに、何を見る? 勝利とはなんだろうな?」
「勝利、ですか」
「殺しつくし、奪いつくし希望を焼き尽くせば、か? それとも、完全に服従させれば、か? 自分たちの欲求を通せば、か?」
「難しい問いですね。なるほど、戦いの後の事ですか」
アスハからの問いに、言葉とは裏腹に楽しげな調子をにじませるクラウディア。
「僕たち撃退士は盤面の駒、一ゲーム毎に廃される消耗品だが、貴様は操る側だろう?」
天魔人、この三つ巴の闘争の果てに何を望むのか。
それがこの魔術師の問い。
「追いつくのに必死で後の事など考えていませんでした」
いつになるかはわからない。
闘いはいずれ終わるだろう。その時に自分が生きているかは別として。
目の前の魔術師は終わりのない闘争を望んでいるという。焦がれた相手との永遠の円舞曲。ずっと楽しみたいという願い。
それなら、自分は――。
「そうですね、私も終わって欲しくないかもしれません」
闘いは技術を高める。様々な技術が闘いによって育った。
闘いは人を育てる。実戦によって得られる経験は計り知れないものだ。
無論闘争によって生まれる様々な被害は承知している。
しかし、闘争が終わった後の軍師、それも見習いにいかほどの価値があると言うのか。
そうなるくらいならば、いっそ――。
幼い軍師は気づかない。手段と目的の不一致に。
「さて、最後の問いですね」
紅茶を置き、そう切り出すクラウディア。
「皆さまには、尊敬できる方・目標にしている方はいますか?」
「俺がずっと尊敬して目標にしているのは亡くなった父さん」
後で見せると言ってたからと、パンケーキを作りながら焔は応える。
食べた人を幸せ笑顔にする料理。それが恋しくて彼は料理を始めた。
手際良く卵白を泡立てる様子に、釘づけになりながらクラウディアは続きを促した。
「施設の食材を勝手に使って怒られて、自分で稼いで練習に使うものを集めるように」
それで色んな材料の味や香り、料理の基本を覚えて記憶に残る味を再現しようと努力したという。
「でも、それじゃ駄目だった」
気づけた理由は小さな子。
今までの料理は、肝心の『心』がおろそかになっていた。
「科学的には同じ味であるはずの料理も込められた気持ちで感じる味が変わるんだ」
不思議だよね、試してみる?
そう言って差し出されたメレンゲのパンケーキをクラウディアは食べてみる。
ありふれた素材で作られたはずのそれは、口の中でふわりと溶け優しい甘さを感じさせた。
「美味しい、ですね」
ありがと、と小さく焔は笑って続ける。
「撃退士たちは戦うばかりじゃない。思い出の味を求める子どもに料理を作る、色々なものを失った子どもたちに夢を届ける」
希望を運ぶような依頼だって、多く届く。
それからは目標は父だけではなくなったという。
孤児たちを引き取って、子どもたちに笑顔を戻す。自分にも同じ事ができたら、そう焔は語った。
「心、ですか」
その言葉に思うところがあったらしい。繰り返すクラウディアに焔は用意していた問いをかける。
「お父様はどんな方だったのかな?」
焔からの問いへの答えは、知らないというものだった。
「母からの手紙にも一度も出てきた事はありませんので……」
そういうクラウディアは嘘を言っているようには見えなかった。
「そういえば、レトラックさんはどうでしょう?」
尊敬できる、目標となる人はいるか、そう振られたらしい。
「あー、それは美味い紅茶を淹れられた俺自身だな」
自己陶酔にも見える大仰な態度、手を広げる。
だが――。
ここから先は囁くように、クラウディアの耳元へと口を近づけ言葉を紡ぐ。
「しかしまぁ、尊敬できる所がなければな、長くは付き合えないな」
賑やかな仲間。愛すべき隣人。つまりは、俺の愛おしき友人達を。
傍で語る狂った帽子屋。その目はどこか無垢な少年を思わせる。
おっといけない、これはオフレコ。大袈裟な身振りで額を打ち、勿体ぶってそう付け加えれば、二人はまるで共犯者。
「えぇ、内緒にしておきますね」
幼い軍師は悪戯っぽく笑った。
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「今日は素敵な話をありがとうございました」
夢から受け取った童話集を片手に、クラウディアは頭を下げる。
予想通り、彼らの話はとても興味深い。推測だけでは分からない事も多くあり、今日見聞きした事は大きな収穫だった。
傍らにある無数の贈り物、その中のトマトジュースのを手に取り、ストローを刺して飲む。
野菜であるトマトだが、どこか甘さも感じられて。
夜分、それ自身の甘さもあるが、塩の力もあるのだろう。
相反する味がそれぞれを引き立て合う。それはきっと、彼らも同じなのかもしれない。
去っていく撃退士たちの背を悪魔は見えなくなるまで見つめていた。