●森を抜けて
夕暮れの森は、影を落とす。
足を速める二つの影。月臣 朔羅(
ja0820)と宇田川 千鶴(
ja1613)だ。
「先行してよかったわね。ここにも、倒木があるわ」
視界が開けたところで月臣が木の傍へと膝をつく。明らかに異形の力で不自然にえぐられたものだ。
相手はこの広大な森をうろつくディアボロだ。不意を突かれては、一溜りも無い。
鋭く辺りへと向けた視界の先、異形の獣の姿が木々の向こうに見え隠れする。
「迂回しよか。先行くし、連絡頼むわ」
機動性の高い彼女達は、小数を活かして速度に任せて移動を行う。
襲われた時の危険はあるが移動力に特化したスキルは上手く働いてくれた。後方に連絡を入れながら、今はひたすら進み続ける。
「さて、今来てくれればいいのだけれど……」
暮居 凪(
ja0503)が一人ごちるのは道なき山道をかなりの距離、踏破したところで。
日は、もうかなり傾いている。これ以上暗くなれば、視界的な不自由を受けざるを得ないところだろう。敵がいることの連絡も先発隊から受けている。
「おいでなさったみたいですよ。進行方向、北西まっすぐ。狼型一匹」
返すのは、佐藤 としお(
ja2489)。彼の熟練した索敵に引っかかるのは、微かな狼の足音だ。
撃退士達は、それぞれ思考を巡らせる。細い山道を抜けて、道路は舗装され少し開けた部分となる。
やり過ごせればやり過ごしたい、それが彼らの統一した見解ではあるが。
「…別荘が近いです。逃げ損ねたら、保護対象まで巻き込みかねません…」
普段は柔和な面持ちを真剣なものにして、水凪 優(
ja6831)が言う。
「この先は、広くなっている。物影がない分、挟撃は受けないだろうが逆に隠れて過ごすのは難しそうだな」
龍崎海(
ja0565)が頭の中に叩き込んだ地図を元に判断を告げる。異論は、誰からも出なかった。
●第一の戦い
戦いの合図は、佐藤が放つ銃声から。
掠めるのは狼の鼻先。交わして見る間に距離を詰めて新たな獲物の喉笛に食らいつかんとひた走る。
「さすがに狼型は鼻が利くか」
翻るのは、赤いマフラー。口元に不敵な笑みを浮かべ、立ちはだかる姿は千葉 真一(
ja0070)。
「食らえ、ゴウライパンチ!」
狼が飛び掛かる為に飛翔する、その一瞬を狙って出鼻をくじくクロスカウンター! 狼の顎からを跳ね飛ばす勢いで、めきり、と骨を砕く手応えが残る。
「一気に撃たせていただくのです」
追撃に走るのは、一筋の電撃。
体勢を崩させるように前足を撃つそれは、御手洗 紘人(
ja2549)の持つ電磁銃から。
不安定な侭踏み切って、凪の肩へとよだれに濡れた牙を突き立てる。
だが、狼が跳んだ瞬から凪の思考は始まっている。観測し、計量し、――起動する最適解。丁度牙が埋まるその位置に、盾が割り込んで深い傷を防ぐ。
気を逸らしにと龍崎は後方よりスクロールから生み出した魔力の塊を狼の眼前に叩き付けるも、狼も踏み止まらない。顔を魔力に焦がしながら狙うは優だ。
「いいでしょう、勝負です」
手首へと齧りつかながらも、至近距離から魔力弾の行使を止めはしない。
痛む腕は、けれど痛い以上のものではなかった。今の優にとって大事なのは、辿り着くこと、守ること。
今、家族の絆ごと、無力な少女を牙にかけようとしているなら、彼女は守る為に戦うことに躊躇いなんかない。
「撃ちます!」
二度目の狙撃を促す佐藤の声に、優は腹を蹴り飛ばすようにして距離を作り、浮き上がった狼の横腹を銃弾が打ち抜く。
彼女もまた、命を刈り取る為にアウルを紡いでいく。
――急がなければ。先には、彼女が待っているのだから。
彼らに先んじて別荘を訪れた月臣達は、まず鳴海と面会することになった。
車椅子に座る、日本人形のように切り揃えられた髪、青白い肌の少女。
「……帰って」
一言目からの、拒絶。
だが、彼女達は語気を荒立てることもなく、苛立つ様子もない。月臣が懐から電子プレイヤーを差し出す。
「お兄さんに、私達は頼まれてきたの。お兄さんは、貴方を迎えに来る為に頑張っているわ。だから…私達も、一緒に頑張りましょう?」
兄の名を出されて、固く強張った鳴海の表情が僅かに歪む。
「………外には、怖いものがいっぱいいる。貴方も、私もみんな死ぬんだから」
吐き捨てる鳴海の指先は微かに震えている、と千鶴は気づく。
遠くに残してきた家族のことを思い出させて堪らない。
けれど、自分の家族を自分から守る為に距離を置いた千鶴に、言えることも、出来ることも殆どなくて。
出来ることといえば。
「大丈夫、守ったる」
膝をつき、距離と目線は近く。見下ろさない形で。
戦うことで、彼女のやり方で守るしか出来ないのなら。
それに。
表情を敢えて明るく作り、防音の扉を大きく開ける。―――外から聞こえる、賑やかな仲間達の声。
「皆、守りに来たんやから。もう、大丈夫」
●奏でる音
託された音楽は、短い旋律だった。
打ち解けない侭で音楽を飽きずに聴き続ける少女に、折を見て優がそっと声をかける。
「私にも聞かせてもらっても…いいですか?」
こくん、と返るのは短い頷きだけ。
「…優しい曲ですね。どんな方なんでしょうか?」
やんわりとした問いかけに、少し不思議そうな顔をして見せた後少女はようやく、重たい口を開く。
「……音で、たくさん遊んでくれた。なんでもできて、でも、音のことが一番、すきだよって」
訥々と話すのは、過去の兄の思い出ばかり。楽しかった、優しかった。
途切れがちに、弱い声を紡いでいく。
「これって、どうやるのかな。触ってもいい?」
やがて重い沈黙が落ちそうになったところで、ギターを取り上げて佐藤がタイミングを見計らい口を挟む。
いいよ、と少女の許可を得て、幾つか佐藤が弦をつま弾いて見せる。
指先は慣れなくて、コードを抑えきれていない部分が有りながら。
それでも、練習の成果あって奏でていくのは、兄が託した曲だと気付くと少女の眼が大きく瞠られる。
表情にはそれ以上出さず、言葉にもしないけれど。
弦が生み出す小さな旋律が途切れてしまうと少しだけ目を伏せるのに気付いた佐藤は、強面に不思議と馴染む優しげな表情で邪魔にならないよう音を鳴らし続ける。
「なあ、カナリア飼ってるのか。名前は何て言うんだ?」
鳴海が鳥籠に手を伸ばすのを見て、懐こく話しかけるのは千葉。未だ何処か幼さを残す面差しに、人好きのする印象の彼は警戒する暇もなく問う。
答える前から、小さくカナリアの鳴き声までして見せるのに、思わず鳴海の方が根負けして小さく吹き出してしまった。
雰囲気が解れたのを見計らい、改めて口火を切るのはまず優だ。根気よく、丁寧に依頼であることから話して。
「お兄さんは、あなたと一緒に暮らすために頑張っている…そう聞いています」
「それは、嘘よ」
「どうしてそう思うんだ? 頭から否定する気はない。だけど、誤解なら解きたいと思う」
佐藤が、否定はせずに言葉を選びながら真摯に話す。
「だって、……会いに来ない」
「それは…頑張っているからじゃないかな…」
会いたがっていない訳ではないのだと、小さく首を振る優に、鳴海は頑なだ。
「まー兄妹の問題なんでとやかくは言わない。が、1つだけ良いか?」
目を見て、告げる千葉。
「君と一緒に暮らせるようにと頑張ってる兄さんを信じてやって欲しい」
「……信じる?」
鳴海は、考え込むようだった。連絡もしない兄。だから、言葉だけでは信じることは出来ない。
けれど。
どうして、なら、兄はこんなにも優しくしてくれる人達を派遣してくれたんだろう?
「色々思うことはあるんだろうけど、死んじゃったら来てくれないことに対する不満も、心配してくれたことに対する感謝も言えないよ?」
黙って見守っていた龍崎が、そこで初めて口を挟む。揺れる心を、きちんと捕まえるように。
「だって私は、死んでも、」
その先は、言えなかった。
こんな風に優しくしてくれる人達の前で、投げ出せるほどには彼女も恥知らずではない。
「……でも、」
更に、何かを言おうとした所で、警戒の為開け放していた扉から、誰かの叫ぶ声が届く。
「ディアボロ! 引き離しにかかるわ!!」
そして幾つもの足音、喧噪。
―――敵襲だ。
●夜に見る光
「来なさい、三下」
庭に準備として配置されたカンテラに照らされる、凪の姿がある。
屋根上や下部、視点を分けて警戒していた数名の狙いは正しく、迎撃はスムーズだった。
また発見次第建物から離れた位置へと凪は挑発も用いながら、自分を囮に躊躇いなくしたお蔭で、別荘に害を及ぼさない場所での陣地構成をいち早く彼らは成している。
代償として、囮役をかって出た凪、それから千鶴は傷ついていたが。
二人の身体には血の染みが広がり、噛み跡が酷な程に刻まれている。
巨大な鳥の形をしたディアボロ一体に、狼型二体。
これで、依頼にあったディアボロを全部確認したことになっている筈だ。
場所を整えることを考えれば、最初は防戦一方。ようやく攻撃に転じることが出来ると、千鶴が口元に薄く笑みを浮かべる。
「えらい待たせたなぁ、遊ぼうや」
言葉より早く、一瞬右手が風を纏う。目にも止まらぬ速度で投擲された手裏剣が、容赦なく狼の額へと突き立ち、赤黒い液体がどろりと毛皮を汚した。
「……援護します。ありったけを叩き込みますから、数を減らして合流を待ちましょう」
手の中にアウルで銃を練り上げる御手洗に、月臣は風を撓めた忍術書を示して見せる。
「なら、私から」
書から巻き起こった風は無数の刃として高く舞う鳥の羽を切り裂き――更に、その存在ごと縛るかのように風が、影が絡み付いていく。
「厄介な敵は先に潰す。定石よね?」
笑いかける月臣に、御手洗は電磁銃を構える。狙いは勿論、縛られた鳥の姿。
「ちょうど、僕もそう思ったところだったんです」
二人の眼差しが束の間だけ噛み合って、戦場を共にする仲間へのくつろいだ笑みが毀れる。
けれど、それも一瞬。
「……また来るわ、伏せて!」
お返しとばかり、鳥は鎌鼬を巻き起こす。風が刃物となり、顔を庇う凪の腕を容赦なく切り裂いていく――!
辛うじて効果範囲から逃げられたのは、千鶴だけ。特に、攻撃が魔法であるからか凪と月臣の傷は深い。
く、と噛み締めた唇から血の味がする。膝が震えて、魔具を握る指の力が弱いのがわかる。
淡い髪までを血に濡れさせて、月臣が距離を取りに身を引いた瞬間――。
柔らかな癒しが、体を包んでいく。痛みを和らげ、傷を塞いでいくアウルの力。
「待たせた。フォローに入る」
龍崎と優が、それぞれに癒しを紡ぎ、傷の深い二人へと力を渡す。
複数戦の今回、彼等がいることは強みだった。直ぐに、彼らは戦列へと復帰していく。
そして――。
「変身! 天・拳・絶・闘、ゴウライガっ!!」
雄たけびを上げて、最前線に突っ込んでくるのは言わずと知れた千葉だ。
移動からの勢いを借りて、狼を蹴り倒す!
「俺達は、あっちを一気に落としましょう」
千葉が前衛を引き受けてくれているうちに、佐藤は羽根の付け根を狙っての発砲。
御手洗も出し惜しみする気などないとばかり、電磁銃から立て続けに電撃を浴びせ掛ける。
「おねんねのじかんや」
集中攻撃に飛行の風を生み出す力も褪せて、高度が下がる。その瞬間を逃さずに、千鶴が蹴るのは地面、それから木の枝――。
カンテラの光の中で、舞うように跳ぶ彼女は逆手に忍刀を構えて、表情は笑う唇の形の侭。首筋から、その頭を綺麗に断ち切った。
「なら、こちらは――」
断末魔の声を背に、身の丈の二倍は優に超えるだろう槍を、自分の分身のように凪は軽々と振り回す。
「そこはまだ私の圏内よ――ここで落ちて貰うわ」
身を撓め、突撃しようとした狼をその勢いごと、突き刺す。
槍の本分たる、――貫通。
聞くに堪えない悲鳴と、返り血が飛び散るのを冷静な面差しが受けて立つ。
残すは、一体。月臣と優が、両側から囲むようにして走り出す。トリッキーな動きを混ぜての挟撃、いや、それもフェイクだ。
二人は交差するように、月臣は右側面からの浅い一撃、優はぐ、と力を込めて忍刀で首筋を薙ぎ払う。
その後ろには、全身に太陽の光を纏わせる千葉の姿がある。
「ゴウライ、バスターキィィィック!!」
木を蹴って大きく跳んでからの、全体重を乗せ捻じ込むような蹴り!
――どう、と倒れ伏したディアボロが起きてくることはなかった。
●我が家に勝る場所はなく
御手洗は背後を振り返る。そこには、彼らの様子を窺っていたらしい鳴海が居た。
「このような危険な事をして……もし、お兄さんが迎えにこられてサーバントに襲われたらどうするつもりですか?」
真摯な語りかけは彼女にとって、久方ぶりの叱責だった。
「彼に迷惑をかけたいというのなら確かに有効だね」
龍崎の窘める言葉にも、反発の色はない。
「……ごめん、なさい」
素直に俯き、謝るのはその場の皆へ。わがままで振り回したことくらい、わかっていた。
でも。
ただ、悲しくて、寂しくて。
「朝になったら、私達は無理でもあなたを連れて行かなきゃいけないんです…だから…」
寄り添うように優が少女の小さな手を取る。
「音ちゃんが寂しい時は、きっとお兄さんも寂しく思っているわ。そうね――我慢できないなら、歌でぶつけてみても良いと思うわよ」
悲しいのを伝えていいのだと、凪はそう添えてくれる。けれど、兄ははるか遠くにいて――。
ふと、月臣が不意に、携帯電話を鳴海に差し出す。彼女が兄である依頼人に、何とか時間が取れないかと連絡した結果だ。
時差の都合もあって、直の通話は出来なかったが録音は残っている。
『…音。好きだよ。――そこにいる人たちが、君に人として過ごさせてくれたなら、俺はまだ信じられなくても、その人たちのことをちゃんと見て』
吹き込まれていた音を、教えてくれる。
電話を抱き締めて、鳴海は優へとしがみつく。
「どうしたい?」
佐藤が穏やかにせかさず問うのに、彼女はただ俯いて、小さく、ちいさく。
「おうちに、かえりたい」
兄の元へ。彼女の、ホームへ。その為に待つと。
それが、彼女の結論だった。
今にも泣きだしそうな雰囲気に殊更明るい声で、御手洗が言う。
「上手く、いきましたね!!僕、奏さんの音楽を聞いていたら歌いたくなってしまったのです♪」
鳴海を慰めるのには歌、それは確かに正しいことで。皆の、表情が柔らかくなったのもつかの間。
「━━━━!!(表現できない騒音)」
それは硝子が軋む音であり風が鳴る音であり。
どう表現していいのかわからない、――音楽とか音程とかそういうものを凌駕した存在。
呆然とした後顔を見合わせて弾ける笑い声は幾つも。鳴海もまた、一緒に笑っている。
これも、幸せの音の形。