●泡沫の
文化祭に湧く人々の中、音も無く歩く存在がある。
飄々とした風情の彼は黒の着物にトライバルの龍を背負い、人の傍で瓦版を広げて見せる。
「文化祭楽しい? ドコが面白かった? これ見たい?イイよ」
軽快に捲し立てながら龍騎(
jb0719)が見せる瓦版は、史実虚実を混ぜた作り。
目を白黒させる通行人に、我が意を得たりと続ける彼は旅の奇術師だ。
「そう瓦版。何が書いてある?」
顔を覗きこむのは、誘導の手法だ。いつの間にか客にしてしまう。
足を止めた人を呼び込み彼が向かうのは、和風の茶屋を模した喫茶と幕の下りた舞台。
「さてココはドコ?」
また、ざわめき。彼は瓦版を大きく広げて見せて指を差し。
「江戸時代末期、幕末だよ。何で幕末かっていうと江戸幕府が終わっちゃうから、知ってるよね」
緩急のつけ方と引き込み方は絶妙だ。
「でも何で終わっちゃうか知ってるかな?」
彼は悪戯げに笑ってくるり、と身を翻す。
通りの良い伸びやかな声が、ひとくさり歌い上げる。
『黄金の国に妖が現れ悲劇を齎す 救いは運命に選ばれし八の烈士――』
「幕府を操り開国を防ぐ妖と、打ち倒す英雄の物語。それで僕は志士を探してるってワケ、意味わかる?」
龍騎が内緒話とばかり囁き、不意に後ろへと跳ぶ。
舞台端の仕掛けへ咄嗟弾丸を撃ち込むと、大きく弾けて木屑が散り、
潜んでいた侍姿の桜木 真里(
ja5827)がタイミングを合わせバク転から一気に距離を詰める。
抜き打ちの一撃、龍騎が身を低く膝をついて交わし、其処を軸にスピンから後ろを狙ってワンドから紫の光を放つ。
音楽に合わせるダンスじみた動作で、桜木の整った剣筋は翻弄されるばかり。
「流言飛語で国を惑わすことは罷りならん。今は、一丸となって新しい国を作るときなのだ!」
「見つかっちゃった。でもこれは、ほんとのコト。侍でさえ鎖国と開国で争ってる」
開国を謳う桜木が綺麗な太刀筋で胴を薙ぐと、龍騎は足を跳ねあげ、軽快に身を起こす。
立て続けに光弾を放ち、足音も無く宙を蹴るも桜木が今度はその軌道を読んで刀にトワイライトの光を鮮やかに纏わせ。
「これで、終わりだ」
迷わずに、胴を薙ぐ。中心から捕えられた龍騎の身体は軽く宙に舞い――奥へと。
「……随分な手練れだったな。おや、此処は花街じゃないか」
太刀を収める桜木は、派手な殺陣に集まった者達へと声を張る。
●花街
富裕然とした身なりの百々 清世(
ja3082)が何事か囁くと、異国の容貌のアラン・カートライト(
ja8773)は肩を竦める仕草。
衝立の前に二人で立ち止まる。言葉は無くとも、遊郭に向かっているのが分かる。
出迎えたのは、金と朱の華やかな着物に桜色の簪。
黒髪が飾る未だ幼い面持ちに凛と紅を引いた地領院 夢(
jb0762)。鈴のよう、歌う。
『泡沫と知るも 人は夢を乞い――』
衝立を引くと同時に、流れていた音楽が大きく。
奥から現れるのは、見事に豪奢な絹の洪水。紅に金の縫い取り、胸に流れる紅葉川。
結い上げた緑の黒髪は長く尾を引く紅葉の簪、前に結んだ帯が特徴的な花魁衣装だ。
七種 戒(
ja1267)は澄ました氷のよう、切れ長の眼差しが客へと投げられる。
下から広がる銀色の結晶が彼女を次第に多い、螺旋の銀を散らすが――アランと目が合った瞬間、結晶が周囲へと弾けるように煌めき舞う。
氷の視線が揺れたのは、アランも同じ。紅の目が熱じみて揺らぐも、彼女に声はかけられない。
『黄金の麗しき国 ――されど手は届かぬ遠き地に』
アランの歌に合わせて戒がとじた扇をゆるゆると開く。その侭、静から動へ。彼の声を風の如く纏い、舞い始める。
夢は戒の直ぐ側で、彼女と交差し、時に扇を変えて立ち位置を合わせての華やかな女達の舞が人の目を奪う。黒と銀の光が溶けあい、重なり。
「異国の男は花魁に一目で心を奪われたようだ。だが、彼等の身分がそれを許す筈もない。花魁と異国の商人」
桜木が歌の合間へ囁く。手も取らず、言葉も交わさず視線だけでお互いを探し合う二人。
戒が浮かべるのは白く塗った顔に似合う艶やかな微笑。客を惹きつける為の笑い方、仕草に手管。
アランが浮かべるのは女性に対する紳士的な微笑。女の扱いなら十二分に心得ている。
けれど、眸ばかりは狂わしく。
「恋うるのは、彼等ばかりではないようだ」
桜木が視線を移す先には、白拍子。小袖に長袴の涼しげな出で立ちで黒羽の模様が目を引く。
来崎 麻夜(
jb0905)の登場は、彼女の舞の始まりと共に零れるように黒い羽根が散る。
艶のある気だるげな眸が興味深げにアランへと向いて、華やかに袂を翻し舞い踊りながら一歩、また一歩と二人へと。
何処か黒鳥を思わせる、蠱惑的な夜の舞い手。
「……あんな姉様、初めて見た。アラン様って、どんな方なんでしょう…」
籠の中の鳥には未知の恋。花魁付きの禿(かむろ)である夢は、憧れと一抹の寂しさを滲ませて清世へと問う。絵物語みたいな恋を応援したいけれど。
「んー、偏屈だけど良い奴よー。…あの子は好きな奴とか馴染の旦那いるー?」
「姉様は手折られない花として、有名なんです」
そっか、と安堵顔の清世には、明らかに友人を思い遣る優しい色が浮かんでいる。
夢をエスコートしてのささやかな会話は気遣いも含み。役得、という側面もあるのだが。
目ざとく清世が見つけるのは、来崎の姿だ。衒いなく彼女へも招くよう手を差し伸べる。
『重ねるは想い 激動のさ中 それでも人は恋をする』
甘い声が囁くように歌い、清世と束の間じゃれあうよう蠱惑的に舞うも直ぐに来崎はアランの方へ。
格子の位置から動けぬ戒に嫣然と挑発的に笑い、アランの背へと触れ撫でる。
重なる歌はアランと来崎のもの。この激動の世を、今しかない日々の切なさを歌い――。
やがて、来崎は群衆に紛れ歌っていた月臣 朔羅(
ja0820)を招く。
一言交しては身を離し、町娘姿の月臣は慎重な歩調で戒へと距離を詰める。
「現れたのは懸想する白拍子に雇われた刺客であった。――恋というのは、度し難い。動乱の世でも、人は人を求める」
桜木は静かによく通る声で告げて、一歩引く。いつの間にかアランと戒、そして月臣だけが前へと立っていた。
他のは手を取り時に背中合わせに歌う。三人の声を邪魔しない音で。
苦しげに目を伏せ、胸に手を当てる戒。舞う膝すら崩れそうになりながら、来崎と笑い合うアランを見遣り。
その正面、躍り出るのは銀の風。髪を靡かせ颯爽と、白刃を胸に構える月臣が駆け寄る。
「貴方に恨みは無いけれど、邪魔だと思う人がいるの。どうせ焦がれ死ぬのなら、私の手で幕を閉じさせて頂戴」
静かな声と共にひたりと光る忍刀。騒ぎに気付いていち早くアランが駆け出すのと、同時。
「御命、頂戴!」
叫んだ瞬間、戒は。逃げもせずに、アランを見遣るのは。
恋しい男をせめて最後に見たいのか、この想いは死なねば消えぬと思ったのか。
分かる前に、刃をアランが受け止める。杖を盾にがつりと音が跳ねて、月臣が距離を置く頃には彼女の姿は黒布に要所を纏わせた忍び装束。
人目を惹きつけるのには十分な肢体、すらりと伸びる足も眩しい冴えた容貌で、来崎を振り返る。
「彼は殺さないで。多少の手荒は、許すから」
小声で答えた来崎は清世の服の裾を引き、中々彼を殺陣の方に向かわせない。清世に縋りながらも客席に見せるのは棘を抱いた華の笑み。
月臣は木を垂直に駆け上って真上から刃を下に踊りかかり、紙一重でアランの刀を頬が掠めていく。
アランは杖を獲物に受け止めながらも、戒を守りに庇えば防戦一方。縦横無尽に身を軽く駆ける月臣に押されがちだ。
「駄目です! お姉ちゃんに手は出させない!」
アランの腕を押さえて、戒に襲い掛かろうとする月臣の前に立ち塞がるのは夢だ。
力を持たぬ少女が、両腕を開いて懸命に戒を庇う。付き人として、それ以上に家族のような情で。
異人は怖い、戒を取られるのはさみしい。けれど、今戒の幸せは其処にしかないのだと、夢は本人以上に分かっている。
己が身を構わず懸命に主を守ろうとする少女に月臣が一瞬息を飲む。その想いを、受け止めたかのよう。
懸命に親友の為と駆け抜けた清世が懸命な夢とその背に庇われた戒を纏めて抱き寄せ、近くのアランに頷く。
背中合わせに、言葉は無くとも何よりの憂いを庇ってくれた清世に顎を引いて謝意を示し、――月臣の腕を杖で大きく突き上げる。
光纏に溢れる深紅は、鮮やかに誰の目にも焼き付いて。
刀を取り落す月臣は負けを認めて膝を折る。そして視線は来崎へと。
アランに無言で背を向けられる、その重みに来崎も床へと崩れ落ち。その綺麗な眸に、大粒の涙が浮かぶ。
月臣に背を撫でられながら声を立てて子供のように泣く少女に、皆が悟る。
彼女もまた、恋を手に入れる為に必死なのだと。
『人は恋し 人は生きて 夜明けを探す』
重ねてのコーラス。夢がそっと戒の背を押し出す。清世がアランの肩を叩いて。
二人の距離は縮まり、――伸ばした手、指が重なる。
コーラスの声が高鳴り、重なり、やがて余韻を残して音楽と共に消え去る。
一同は合わせて、礼。そうしてカフェへと衣装を翻しながら消えていく。
惹きつけた客を、本編の開幕まで留めるのが彼等の仕事なのだ。
●喫茶
「よく参られました。どうぞゆるりと寛いでいってください」
和紙で作られたメニューを差し出して、桜木は柔らかな声で愛想よく笑う。
見応えのある美形が多かったからだろう、彼等につられた女子客は多い。次から次へと飛ぶ注文をひとつずつ丁寧に捌いていく。
「いらっしゃいー、カノジョかわいーねー?」
嫌味なくカップルにも絡んでいくのは清世、器用に盆にグラスを乗せ颯爽と運ぶのも忘れない。
お待たせ、と冷やし飴を置いたところで間髪をいれず。
「今幸せー? 良かったー。素直が一番だよねー、あんなんなったら大変だしー?」
ウィンクで示すのはアランの方。
「ん? なんだ俺のこと呼んだか? ようこそレディ、頬が綺麗な薔薇色だな。
愛らしいが冷えたようなら温かいものもどうだ」
流れるような口説き文句、しかし眼差しが僅かに彷徨い。
「この国の風習では、どうやって愛を伝えるんだ?」
真剣に問う様子に、清世が訳知り顔にね、と首を傾げて見せる。
芝居は、まだ終わっていないのだ。
「花、菓子、言葉――そうか、文か」
様々に上げられたもののうち、恋文と聞けば直ぐに結び文と礼の花託す様子を厨房では花魁姿の戒が眺めている。
「…聞いてくれないだろうか、殿方を喜ばす手段を」
奇しくも同じ問いを夢に託す花魁。夢は頷いて、てきぱきと客を捌きながら問う。
「恋になれない姉様の為に、殿方の喜ぶことを教えてくれませんか? ――ありがとう!」
応えて貰えば花咲く笑顔で返す少女を、先程アランが言づけた客が、夢へと手紙を渡す。
瞬き、大事に手紙を握り締める夢。
かと思えば、龍騎はパフェに添える別掛けの抹茶や黒蜜を和紙に包んだり小瓶に入れたり。
如何にも怪しげにして、笑いかける。
「中身何だと思う? 入れる? どうする?」
人を食った奇術師の指先で戯れたところで、桜木がふと足を止める。辺りを見渡す仕草に、慌ててしゃがみ込んで見せたり。
「今、此処に奇術師が…いえ、なんでもありません」
桜木が太刀に手を添え辺りを窺うのに、龍騎は地面から指を立てて唇に当て舌を出すじゃれ合いを魅せる。
「ふふっいらっしゃいませ。苦い南蛮渡来のコーヒーは如何?」
白拍子姿の来崎も彼等の側に、艶とどこか影を宿した声で。視線が向くのは、もどかしい恋をしている二人。
寂しげな彼女に、月臣が寄り添うよう様子を窺う。
「…ごめんなさい、上手く行かなくて」
自分のことのよう肩を落とす月臣に、首を振る来崎。不意に、彼女達の肩が緊張に揺れる。
連れ立ってくるのはアランと清世だ。
叱責を覚悟する二人に降るのは、アランの温かい手。
それから。
「ねー、アランも良いけど俺だっていい男だよ?」
切なげな笑みを浮かべる来崎に悪戯めいた囁き。彼女は艶やかな笑みでするりと清世に触れて。
「そんなの、最初から知ってるよ」
吹っ切れた清々しい表情に、月臣が知らずほ、と息を吐く。
「そんな仕事してないで遊ぼう?」
「……そうね。そういうのも悪くない、かしら?」
清世が差し出す手にまんざらではなさそうに。
「じゃぁ、気分転換と行きましょうか!」
声も空気も華やかに。途端纏うのは、古式ゆかしきメイド姿。
「そっちの方が身軽そうだねー?」
ロングドレスのそれを評するのは、月臣の晴れた笑顔の所為だろう。
「それじゃ、一指し舞うとしようか」
夢が手紙を運ぶ姿が見える。あれは、きっと逢引の文。
ならば注意を惹きつけてしまうと着崩した衣装をその侭に、黒羽の散る舞は次第にテンポが速く現代風に。
月臣も、流れる音楽に合わせて即興の盆を投げての華麗なバク転から、手拍子を煽る。
隠れていた龍騎はスライディングからの登場で、膝を使う地面に近いスピンから倒立の跳躍へ。
彼等の様子に何かを察したのか、桜木も龍騎は目に入れぬ位置で女性客にねだられる侭剣を舞わせる。どうか幸せにと祈り込めて。
「姉様、今です」
拍手に紛れた清世の合図に夢が厨房の扉を開け放つとアランが姿勢を正し戒を見据えている。
戒は近しい友人だ、しかし今は劇故の虚構の恋を演じてみせるとばかり真摯に。
「なァ、俺だけのモノになってくれよ。どうしてもお前じゃねえと駄目だ」
恋の熱を存分に乗せて、綺麗ではない部分まで全部。
「一緒に生きよう。――俺がそれを望んでる」
最後は共に在りたいと、それだけ。
一瞬言葉に詰まる戒の背を、夢はそっと撫でる。だって、先程客に聞いた答えの一番は、素直になること、だったから。
「可愛いことひとつ言えない。そんな私だけど良いですか」
震える指、震える声で。ただ、想いは真っ直ぐ彼に。
「貴方と共にに生きたい。たとえ世が許さなくても――」
「いや、叶うかもしれねえ、この先は」
世界は変わっていく。アランはそれを知っている。
「さァ、英雄が立ち上がる舞台が始まるぜ。今後の俺達の将来もその結末次第かもな」
手を取り合い駆けだすは舞台の方。自然と、客席の目線は流れていく。
「…姉様、お姉ちゃん、どうか」
夢の胸が少し痛んでしまうのは。大事な家族がああいう風に恋しい人と旅立つ日を思うから。
来崎が遠慮がちに彼女の肩に手を添えて、言葉を重ねる。
「どうか、どうか皆――幸せに」
例えば恋すること、例えば好きに生きること、人と会い、迷い、時に心塞ぎながらも。
この国に立ち込める暗雲を払う光は烈士の手に、委ねられる。
今はただ、泡沫の劇に想いと生き様を描き。全ては虚、けれど寄せられる想いは確かに客席を満たす。
舞台の幕を、待ちながら。