●開幕
伴奏のピアノは傷に歪み、舞台はは見る影もない。
蠢くのは天魔達と―――何故か、走り出す少女だけだ。
「女の子?! どうして?!」
地領院 夢(
jb0762)が目を瞠るも、衝動に任せて駆けることはしない。既に、動いている者がいるのだから。
真っ先に少年の影が、文字通り―――跳んだ!
「ちょおおおっと待ったああああああ!!!」
西園寺 勇(
ja8249)はハルバードを躊躇いなく地面に突き立て、空でも舞うように弧を描いて一気に飛び込む。
文字通り、空から降ってきた少年に流石の彼女も一瞬息を止める。異形に突っ込みかけた足が、止まった。
この間隙が、少女の生死を分かつ大きな要因だった。
「ワーウルフは俺とラグナが引き受ける。若杉と地領院は女の子を頼んだぜ…!」
「しばらくはこの私が相手してやろう…かかってこいッ!」
小田切ルビィ(
ja0841)とラグナ・グラウシード(
ja3538)は、強引に少女と敵の間に身体を押し込み、各々の武器を手に取る。
金木犀を背後に、少女に肉薄していた人狼の爪に迷わずラグナは己が身を盾へと差し出す。
「やらせんさ…!私は盾、護ってみせるッ!」
少女の細い首に埋まる筈だった爪は、二方向から。命を刈り取る代わり、ラグナの腕の肉を抉り取る。
助け、とは分かったのだろう。だが、少女も止まれない。
駆け出そうとする体を捕まえ、抱きかかえるのは若杉 英斗(
ja4230)だ。
「危険だよ、俺と一緒に下がろうね」
「嫌です、いや!!」
暴れもがく少女に、けれど問答の暇はない。多少の汚名を着てでも、若杉は肩に担ぎあげてしまう。
「そこのレディ、危険だからこっちに来るんだ!」
刑部 依里(
jb0969)の声が、凛と響く。
彼女の声に呼応して現れるのは、ヒリュウだ。
目の前の喧騒に、ディアボロ達はターゲットを一斉に少女へと切り替えようとする。
真っ先に素早く降下する鷹に、真っ向からヒリュウは小さな身体をぶつけに行く。
「……完全に、狙ってる? けど、そうはさせないよ」
統率のとれた動きに、桜木 真里(
ja5827)が怪訝に眉を寄せる。
明らかに今回の敵は何か、目的があるように見えた。だが、何より守るべきものが先にある。
「勿論、俺の手が届く範囲で人死になんぞ許さんよ?」
麻生 遊夜(
ja1838)が軽い口調で言うも、眼差しだけはごく真摯に。
少女は若杉が確保した。問題は――此処からだ。
鷹の周囲でごう、と風が渦巻き真空の刃が少女を中心として巻き起こる。
「若杉殿!」
「任せて下さい!」
狙いに気づいた瞬間、ラグナが信頼を込めて友人の名を呼ぶ。
躊躇なく彼女を抱え、幾つもの風の刃を彼は浴びることになる。少女が見ているとなれば安心させる表情を保った侭。
●工房
「お前さんが一番厄介なんだよ、早々に腐れ墜ちろ」
すんなりと伸びた麻生の腕は、一番綺麗なフォームを自然に描く。
皮膚を切り裂かれながらも、引き金を引く指だけは護り切って無傷に。
精緻な弾丸が、ヒリュウを見事に避けて鷹へ放たれる。
羽に描かれるのは銃創、そして蕾のような文様。じわり、と開くそれは呪詛に似て蝕むもの。
「まだ、遠い!」
取る手を思案するも、まず小手調べとばかり桜木も魔力を叩き込む。これを落とせるか否かが、戦局を大きく左右するのは分かっていた。
「お願いします」
攻撃の合間を縫い若杉は、夢へと少女を預けて前線へと駆け出す。
任せて、と頷いた夢は少女の腕を、優しくけれどしっかりと掴んで。
「落ちついて。私は地領院夢って言うの。あのお兄さん達の仲間だよ」
優しげな歳の近い夢に、少女の態度が僅かに解れる。そして、自分から腕へとしがみつく。
「駄目なんです、お姉ちゃんのヴァイオリンなの! あそこに…っ! お願い!!」
口にしながらも、何処かで彼女は諦めていた。
命より大事な楽器は、あくまでも彼女の身勝手だ。
この場にいる彼等が聞き届けてくれる訳がない。故に、隙あらば舞台に再度向かおうとしていた―――のに。
「わかった、そんなに大事な物なんだね」
真っ直ぐ夢が頷いてくれる。
「舞台側にバイオリンがあります。保護を、お願いします」
「りょうかーい!」
当たり前のよう受け応えたのは勇だ。
合間にも器用に足で蹴飛ばし、攻撃圏から幾つかの楽器を救出していた彼は迷うことなく舞台へと駆ける。
「結構楽器あるみたいです。踏まないようにしましょうねっ!」
朗らかな音は肉声としても、夢のつけているインカム越しにも届く。
組織立った行動をしながら、楽器のことを気にかけて、更にはそれをフォローしようと動く面々に。
彼等は、信じてもいいのだと。
「さ、こっち。持ってくるから、待ってて」
誘導に、もう彼女は逆らわなかった。
「――随分と芝居じみた状況じゃねぇか…! …どうやら、裏で糸を引く『演出家』が居るかも知んねーぜ?」」
一部始終を聞き届けて、小田切は苛立たしげに舌を打つ。
彼の存在を無視して、横をすり抜けようと動く人狼に赤黒の大太刀が真横へと薙がれる。
攻撃では無く、牽制。例えこの筋書きに自分の名が登場人物として在らずとも、割り込むばかりと。
「――なら、お望み通りに踊ってやるぜ…!」
人狼の濁った眼が、小田切を振り返る。振り返らざるを得ない。鬼切の太刀は、首筋にひたりと這わされているのだから。
「そうとも! しばらくはこの私が相手してやろう…かかってこいッ!」
ラグナも己が役割を果たす為に、アウルを解放する。
彼の根源たる何かが渦巻き、金色の光を宿す。
人狼が目を奪われた瞬間、躊躇いなくラグナの喉に向けて抉る爪を繰り出した。
「この程度で! 済むと思うな!!」
もっと見ろ、とばかり銀の光で攻撃を受け止め更に距離を近づく踏み出すラグナ。
――俺達、当分モテそうにありませんね…。
天魔にすら嫌がられる友人に、少しだけしんみりと笑いながら若杉も彼の隣へと並び立つ。
そして、ぱし、と拳と掌を打ち合わせる。
「もったいぶる気はないんでね。いくぜ、ディバインナイトモード起動!」
若杉を包むのは、銀の光。白銀のオーラが、彼の周囲を圧倒的な力として駆け巡る。
人狼の攻撃は愚直な分迷いない鋭さで、盾となるものを襲う。
閃く爪を、盾で受け損ねて肩に赤い傷が刻まれるが、小田切の表情は挑発的な笑み。
この一撃ごとに護れるものがあるのだとしたら。
「望むところ、つうんだよ!」
纏うのは白と黒の鮮やかな光。
状況は優勢。必要なのは攻め手、判断すればラグナの行動は早い。
「今の私は最高に機嫌が悪いぞ…今なら舞台ごと叩き斬れそうだッ!くたばれ!リア充ッ!!」
昂ぶる感情はその侭、彼の力となる。力の限りを尽くす光は斬撃として、大ぶりに人狼の腹を横薙ぎに。
彼の剣が振り切れる、その一瞬の影を利用して若杉が跳ぶ。狙いは、死角。
振り切れるタイミングまでを完全に読んで、その腹に思う様スネークバイトを叩きつける!
生々しく肉を抉る感触が残り、――どう、と人狼が倒れた。
ほぼ同時に。
「ありました――!」
高々と、楽器のケースを掲げる勇の姿が舞台上には在った。
●
「絶対に、傷つけさせない」
夢は少女を背に庇い、迫りくる鷹に立て続けの銃撃を撃ち込む。
明らかに、敵は彼女を狙っているのだ。しかも鷹には前衛の陽動が効いてない。
一打一打の手応えはあるが、未だ届き切ってはいなかった。
その鷹に、纏わりつくのは召喚獣だ。飛行出来る獣は、真横からの体当たりに、噛みつきと様々な手を繰り出している。
薙ぎ払われても、諦めずに。
「どちらかが、当たれば問題ない……ヒリュウ、ひたすら妨害するんだ」
使い手にも勿論ダメージは入る。それでも涼しげな顔で、刑部は契機を狙う。
彼女の狙いは、直接のダメージだけではない。
ヒリュウをあえて目に入るように動かし、横っ面を叩く。気が逸れた瞬間には。
「それじゃ行くとしますか」
薄い笑みを、麻生が浮かべる。彼の肩を包むは螺旋の蒼い光、――背に刻まれた赤と黒の偽翼。
天を騙りて冥を撃つ魔弾は、ヒリュウが一際大きな滑空からの体当たりをしたその翼が翻る隙を縫い喉元を掠める。
「まだまだ行くぜぃ、逃げる暇なんざやらねぇぞ!!」
煩わしげに身を捩り、弾幕から逃れれば桜木が放つアウルの塊が真正面から鼻面を叩き焦がす。
少女にまで近づけず、闇雲に放つばかりの風の刃は幾筋にも撃退士達を傷つけるが、怯む者はいない。
楽器を腕に抱えて、喋るのも惜しいとばかり夢に押し付ける楽器を受け、少女を振り返る。
「大事に持っててね」
「はい! あの、有難うございます!!」
剣戟の中で張り上げた声は、勇にも届く。戦陣へと戻る背が、軽く手を上げて揺らしたのが見えた。
「さって、忙しいな〜! 全くもう、僕の夢は退屈しないんだから!」
子供じみた顔で、勇は笑い。
ハルバードを再度、己の手に顕現させる。信じられない程の身体能力、魔法みたいに生まれる武器。
全ては彼にとって夢の中で、―――故に勇は躊躇わない。
たとえ、小田切の身体が血に塗れていようが、己の四肢が切り裂かれ痛もうが。
「さっさと、やっつけちゃいましょう!」
残りは一体、と見れば丁度小田切と切り結ぶ背後から、脊椎に目がけて渾身の一撃を叩き込む。
めきり、と食い込む手応えが夢にしてはやけにリアルだ。
「ああ、次に行くぜ……!!」
小田切の刃が、目の前で狼の首を跳ね飛ばす―――その血潮を前に、怯懦無く勇は頷く。
気が付けば、鷹の生み出す風が止んでいる。
いや、ただ一極に集中しているのだ。
煩わしく動き回るヒリュウを狙って滑空する、その動作を待ち侘びたとばかり刑部は笑う。
どちらも囮で、どちらも本命。相手の思惑に乗せられるつもりは、彼女には無い。
「乗せてこそ、だろう。盤面は自分で作り出すものだよ」
傲然と言い放つ使い手の声に反応して、ヒリュウは地面すれすれを飛ぶ。インパクトを狙って、視線だけが桜木に合図の瞬きを送る。
「任せて!」
呼び出すは無数の腕、無数の影。包み込む腕達が寄り集まり、絡まっていく。
完全にその手が鷹を抑え込み。
夢が、最初に引き金を引く。軽い音と主に、鼻先を過ぎていくのは威嚇も兼て。
「――スマン。待たせた…!」
小田切の声よりも早く伸びるは、黒の衝撃波。鷹を飲み込み、羽根が弱く舞うことすら異界の呼び手は許さない。
翼には、腐食の花が奇しくも咲き誇ろうとしていた。その位置に、麻生が銃口を宛がう。
「お休みなさい、安らかに」
悼む意を込めて、故に至近距離からの銃弾が。
全ての、幕を引く。
●カーテンコール
「金木犀の方は無事だね。でも、舞台は――」
桜木の端正な表情が、沈痛に曇る。ことに酷いのは、楽器の類だ。
勇が保護しなければより、被害は拡大していただろう。
「……酷い、な」
楽器が無事でも、演奏は叶わないのかもしれない。
護衛の撃退士と会話を交わしていたラグナは、嘆息する。
本来なら当事者に問う方がより正確ではあるだろうが。
―――…彼らに聞くのは、酷すぎるかもしれん。
心の中だけで、呟く。それ程までに、歌い手は声を、演奏手は腕を痛めつけられていた。
「怪我はなかった?」
夢の手を握った侭離さない少女に、簡単な手当てをしていた若杉が柔らかく問う。
「は、はい…さっきは、ごめんなさい」
暴れた謝罪を告げる様子は、もう随分落ち着いたものだ。
「怖がらせちまってすまんね」
刑部の簡単な手当てを終えた麻生も、少女の頭に掌を乗せて目線を低く。落ち着かせる為の飲み物を渡して、話す体勢を作る。
「ねえ、どうしてあんなことに?」
責める調子でなく優しく笑って問う夢に、漸く少女も口を開く。
「……いきなり、金髪の人が。ずっと、最初はコンサートを見てました。
楽しそうに、すっごく、楽しそうに」
だが彼女の番になる直前、不意に立ち上がったのだという。
まだ演奏途中にも関わらず。そして、ディアボロが現れた。
「金木犀の咲く頃に、彼女の為に音楽を奏でる……何か、関連性があるのかね?」
例えば死した女の妬み、恨み、関連しているのかもしれないと刑部が顎を撫でる。
「ディアボロの行動ってコンテストのきっかけになった人と何か関係あったりするのかな」
どうにも符号が多すぎる、と桜木も首をひねり何の気なしに口に出すが――。
食いつくように少女は首を振る。
「お姉ちゃんは、そんなこと…!」
「お姉ちゃんって……、その、亡くなったのは…?」
夢が言葉を選び問うと、肯定が返る。
思わず、幾人かは視線を見交わした。あまりにも、―――出来過ぎている。
「……亡くなった歌手の希望をへし折りたいのかな? 希望なんてないといいたいのかな?」
気安く笑う声は、勇のもの。ごくシンプルでクリアに。
「たとえ形が壊れたとしてもそんなのでこの金木犀は折れないよ」
そう、告げた瞬間。
乾いた、拍手が聞こえた。如何にも不快げに小田切が首を巡らせる。
「金木犀はささやかな希望の象徴。そして、音楽家達の未来。
…それを蹂躙するたぁ、随分と悪趣味な野郎だぜ。
――見てんだろ?出て来いよ。今日の公演はこれで終幕だ」
呼応するように舞台に歩み出たのは何処かの貴族のような正装に、緩く束ねた金髪の伊達男。
「BRAVO! 素晴らしい!ああそうとも抱えきれぬ薔薇を送ろう、数え切れぬ賞賛を送ろう。
希望は潰えない? 夢は消えない? 面白いね君」
全ての顔を覚える視線は勇へと止まる。殊更美しきものを愛でるよう。
「胡蝶の夢だ、全てはね。故に僕は、絶望を撒こう。全ての夢を手折ることによって。希望も夢も、世界は救えないといい加減知るべきだ」
「……貴様!! あれだけのことを、そんな理由で!!」
ラグナが怒りに満ちた声を投げつける。幼い子供のささやかな夢まで、絶たれたというのに。
けれど今は、追うことが出来ないことは皆分かっていた。
「君達に敬意を表して、探し物は預けておくとしよう。けれど覚えておいで。夢の哀れな儚きを」
芝居がかった一礼と共に、男は影へと姿を消す。残されたのは、金木犀。
「―――ヴァニタス」
桜木の呟いた音を、否定するものはいない。
やがて、彼等は学園に報を入れることになる。ヴァニタスの、第一遭遇者として。
そして、手分けして捜索した金木犀から小さな指環を見つけたことも。
指環の持ち主は、コンサートの由来となった女性のものだと妹たる少女の証言を得ることもできた。
成果としては、これ以上は無い程を得て、だが一同の表情は晴れない。
「レディ、きみの音楽が聞きたいのだが、弾けるかい?ショパンの、葬送行進曲とか」
少女に、刑部が声をかける。敢えて、突き放す温度で。
彼女は頷き楽器を手に取る。無残に壊れた舞台に、ただ独りで。
音が高く、高く透明な空に響く中、麻生は静かに目を伏せる。
悼む想いを、胸に。