●始まり
伝統装束を纏った人々が練り歩く祭りが催される。
いざ行列を、と公民館で待機していた撃退士達は、外を窺い静かな空気に表情を真剣なものにする。
「善き祭りに蕭瑟より風が吹きたるは郷愁に勝る恐怖を我厭わん(訳:こんな素敵な祭りの日に、静かなのは故郷を思う気持ちより天魔の恐怖が勝るのだと思うと心配ですね)」
棚瀬 真貴(
ja4558)が朗々と詩吟の如く慣れた発音で告げ、懸念にか深く目を伏せた。
憂慮すら尊大なこの少年、しかし小声で意訳を付けている。
「ええ、怯えてしまってるんでしょうかね。でも悲しみだけの日々なんて詰まらないじゃないですか。やはり人間笑うのが一番ですよ」
加茂 忠国(
jb0835)は殊更大きく何処か胡散臭くも見える気障な仕草で肩を竦めてみせる。
確かに祭りの幟やポスターは盛大に飾られているというのに、人の出は少なく、また観客達も不安げに辺りを見渡したりしているようだ。
一度、日常が奪い去られた人々の心の傷は未だ癒えていないのだろう。
何処か痛ましげにその様子を眺めていた柊 朔哉(
ja2302)も、自分の衣装を改めて整える。
「…先にまだ、何が言えるわけでもないけれど。今だけは、戦いを忘れて楽しんでほしいな」
仲間達のやり取りを耳に、飾られたポスターに記される京都の文字を撫でていたのは神楽坂 紫苑(
ja0526)。
改めて、この祭りの意味をしみじみと胸に宿し。
「故郷を思っての祭か?んじゃ、少しでも笑顔がよみがえるように、やるかな?」
「ああ、祭りを盛り上げて行こう」
物思いに沈んでいた久遠 仁刀(
ja2464)も、顔を上げる。一番最初に踏み出すのは彼だ。
行列は時代を逆に辿っていくもの、彼が担当するのは明治維新の時代となる。
浅葱の羽織も凛々しく、腰には大太刀。精悍な面差しにきりりと鉢巻、かつての志士を模したものだ。
ぐ、と腰だめに力を撓めてからの、全力跳躍。
信じられない程高みに跳んだ姿は、軽やかな着地を最前に。
すかさず渡される幟を高く掲げて、晴天に朗々と宣言する。
「祭り行列、――いざ参る!」
彼を筆頭に進むは明治時代の様々な風俗衣装。続いて、一際華やかな色彩が目に入る。
高く結い上げる髪型は伊達兵庫、しゃらしゃらと鳴る簪を飾って。
着物は無数に柄の散った生地に紅い襟、肩は出して。前帯を垂らした姿は、麗しき花魁そのもの。
「あ〜やっぱり着物の方が慣れて動きやすいが重いのが、難点か」
等と心の中だけで呟くのは、紫苑だ。
紛れもない男性ながらも、細身に繊細な風貌の彼がメイクまで施してこの格好をすると見事に映える。
捌きにくい着物を慣れた風情で着こなし、横笛に長い指を当てて高く高く甘い音を震わせる。
●行列
ドオオン、と楽隊から大きな太鼓が鳴らされた。
――ふぁああ京都で、京都で着物コスなの……!
最初からテンションクライマックスの神埼 律(
ja8118)は、豊かな黒髪を緩く結っている。
纏うも白地に紅が鮮やかな桃山小袖で、ひな人形宜しく神輿の上に鎮座しているのが愛らしい。
見事に飾っておきたいような少女だが、神輿に収まってはくれずに足音も無く神輿を縦横無尽に、そして他の飾りの上まで飛び回る。
「今日はぁ、久遠ヶ原学園から私達撃退士がお邪魔してまーす☆」
アイドルかはたまたヒーローショウか、満面の笑顔でマイクを手にパフォーマンスをするのは彼女なりの精一杯の工夫だ。
いわく、素だと照れるとか。
「次は、風流踊りですねー。華やかな衣装に身を包み、音楽に囃されて踊る芸能の一つです! どんな人が出てくるのかな?」
場を盛り上げる解説であると同時に、撃退士の文字をさりげなく示すのは彼女の配慮だ。
心なしか、場の空気が緩む気配がある。携帯を取り出すのは、誰かを誘い出す為だろうか。
「いっちょここで盛り上げるでー!!」
亀山 淳紅(
ja2261)は己の出番とばかり、ぐいと掲げるのは風流傘。
布が張られ上部には紙の花と蝶に飾られた大傘は、傘と言うよりは一つの巨大な飾りに近い。
その長い柄を小柄な体躯で軽々と掲げ、眩しい赤の女性衣装で身を飾る。
彼は歩き始めるその調子でつらりと小唄を歌いだす。
良く通る声で息吸うように歌う少年に、群衆は沸いていく。
次いでは、子供の差してくれる絹傘に、少しばかり慣れない足取りの並木坂・マオ(
ja0317)。
楯烏帽子に水干、単小袖に白の切袴と何処か清々しい印象を与えるこの装束は白拍子。
鼓を持つ手をこっそり整えつつ、周囲からの視線に悲鳴に近い息を漏らす。
「…あんま目立つの得意じゃないんだよね」
潜伏なら喜んで、と言ったところだがそういう訳にもいかない。救いと言えば、きらきらしくなくて動きやすいの、と注文した袴は確かに足さばきが楽なことか。
それでも、懐かしそうに見る目と幾つもかち合って、少し神妙な顔つきになる。
「町の人が少しでも、これで元気になれるなら」
頑張ろう、と気合を入れて慣れぬ姿で奮闘する。
彼女の後には、軽快な蹄の足音が聞こえる。
若竹色の装束に菊に似た衣装が印象的な、流鏑馬の一団だ。
髪を纏めて凛々しく上げる面差しは、鼻筋の通った凛とした青年――に扮した柊だ。
「楽しみなんだな、全力で魅せてやろう」
勇ましい男装束に合わせて、口調も男のそれ。今日ばかりは女言葉を使う気はない。
わっと上がる歓声に、光を纏えば撃退士の威を示すつもりで。
馬は荒々しく大きい、唸り声を上げる暴れ馬を乗りこなすだけで拍手が起きるが彼女が目指すのはその先。
構えは早く、深く深く弦を引いてひたりと狙い定めるのは一瞬。
射流しの矢は見事に、的へと吸い込まれていく――。
次第に温まってきた会場を、傲然と見遣るのは棚瀬だ。
「古都に住まう人の仔らの慰めに、錦秋の訪れと白き光の祝福を齎らしに赴かん(訳:せめてこのお祭りで、皆様のお心を少しでも明るくできたらいいな)」
身軽な水干は物語の中の牛若丸でも模したのか、初々しい少年の風情。
周囲に巡らす光纏は淡いオーロラで、それを貴人が纏う絹の如く身に流す。
星の輝きが満ちる中、竜笛を奏でる様子は物語から切り取ったよう麗しい。
行列は折しも橋に差し掛かったところ、ワイヤーを支えに彼は細い欄干を敢えて軽業じみて渡って見せる。
が、表情は僅かに強張っていた。
――だ、堕天使たるもの、この程度の高低差に恐れを為して天魔が滅せるか…!
自称堕天使だって高いところは怖いのだ。
「うんうん、みんな笑ってますね」
行列が進むにつれて、人も増えて夢中になる観客も多い。
威風堂々たる鎧装束で馬に跨り、背には矢筒腰には太刀。
兜の内側から、群衆を覗くのは加茂の姿だ。
常の笑みでなく表情を引き締めて列の先頭を行く彼が、観客の様子に敏いのは。
「おや、可愛い子発見しました」
女子センサーが全力でいい仕事をしているからである。
あくまで今は役を演じながらも、可憐な美少女に手を振る彼は、次の瞬間むくつけき男カメラマンとも目が合い――何も見なかったことにした。
ともあれ、祭りは盛り上がっているのである。
「ところでー、これ、欲しいですか?欲しいですよね!じゃあお配りしまぁーす☆」
行列の停止した頃合いで、幾人かが移動する時間を稼ぎに律が見せるのは楓の栞。京都より取り寄せたという未だ青い葉。
皆が注目したところで亀山と久遠が頷き合う。
「でもでもぉ、気をつけてくださいねっ?私達も楽しくって、ついやりすぎちゃうかもーっ!」
その声が、合図。
亀山の手元にあった飾り花や楓が激しい風の渦に攫われ中空に色とりどりの錦を見せる。
すかさず久遠が光の球を放ち散らばる光の粒が炸裂して周囲を照らしていく。
「金風や、いっくでー…!」
更に浮かべる光を赤色に、一瞬風に舞う楓は紅に染まる。
演奏は合わせて速く行列を煽り盛り上げていく。
「わわっ、凄い! 風と光のハーモニーがお見事ですねーっ!」
解説しながら彼女も栞をつけた手裏剣を高く高く、投擲。ひらひらと、中空から栞が舞い落ちる。
見惚れる麗しの着物姿の女性に、今やとばかり背後から加茂が近づき。
「ああ貴女はなんて美しいのだ。その瞳を見つめるだけで胸は高鳴り、私の心も紅葉のよう染まるばかり…」
手を握らんばかりの勢いで語り出す。
「君も愛らしいですね」
はい、と栞の籠を渡しながらマオにもごく当然とばかり囁きかける。
「え? あ、うん、ありがとう!」
素直に籠を受け取ってそちらに礼を言い、彼女も一緒に栞配りだ。
「今の凄かったね。演舞も見に来てよ、きっと凄いの見せるからね」
飾り気のない笑顔でマオは笑う。子供達に膝を掲げて同じ目線で。
かと思えば女性が集まっている一角もある。
「故郷からの贈り物です。大切にして下さいね」
「――これを。故郷の縁にしてくれ」
「汝の未来に光あれ。(訳:健康にお気をつけて)」
花魁姿の麗人に、線の細い美青年(に見える)、それから優しい少年(厨二)の豪華ラインナップ。
時折零れる優しい笑みにつられるよう、観客も笑う。
棚瀬は手をそうっと握り、視線を合わせて。怪我人がいれば癒しを施す気遣いを見せていく。
「可愛えよなこれ、大事にしてなー♪」
そんな風に声をかけていく亀山にも人が集まる。
誰の顔にも今は、純粋に楽しさばかりが満ちていて。
●演舞
「いつものベルカントとは発声法まったく違うしなぁ」
張り出した舞台を前に珍しく不安の色を浮かべる亀山には、ひりつくような緊張の気配が漂うが直ぐに頬を叩く。
「…うっし!ここでびびったら‘歌謡い’の名が廃るっちゅうもんや!舞と楽器、両方ひきたてるような歌唄ったるで!」
「気高い歌に相応の楽の音を奏でん。我、蒼天への郷愁を抱き焦がれる心在り(訳:精一杯歌に見合うだけの演奏を頑張ります。故郷に憧れる心はとてもよく分かるので)」
棚瀬の言葉にありがとう、と解れた調子で頷き、観客へと向き直る。
飾りの無い狩衣に指貫、白一色の棚瀬は竜笛に唇を当てる。
非常に出せる音域の広いこの楽器が、今回の演舞の主旋律を奏でることになっていた。
奉納に捧げるものとなれば棚瀬の心も自然に引き締まる。
最初は低く、次第に高まる音に合わせて狩衣姿の柊の鼓太鼓が独特のリズムを重ねる。
歌うのは、亀山だ。
表情はおおらかな笑みで、けれど近くにいるものにはその気迫は十分に伝わる。
深く、腹の底から溜めた音を、地声で。
拍子を取りながら低く凛とした響きの歌に合わせて、舞い手達が動き出す。
舞踏アレンジを作ったのは律で、亀山の提案も受けベースを優雅な舞の演目に。
但し忠実な再現ではなく、観るものが楽しめるエンターテイメント性も取り入れたもの。
久遠と紫苑が、それぞれに刀と扇を使う一対の舞を始める。
艶やかに、指先までも力を込めて静止のシーンでは呼吸ひとつ動かさず。
背を合わせて、腕を重ねて。扇に僅かに紫苑が顔を隠し、涼やかな眼差しだけがやけに際立つ。
かと思えば激しくなる演奏に合わせて、紫苑は着物の裾を引き後ろへと下がる。
変わって現れる加茂もまた帯刀していた。
動と静から、動と動へ。
ダイナミックな動きで、しかし計算されつくした呼吸の剣舞へと。
加茂の動作は整いながらも、久遠を際立たせるために時に小さく、時に後ろに引くように。
身体を動かす瞬は、無心に近い。刃を観客に向けぬ留意をしながら心の殆どは静かに凪いで。
故に、久遠の心は遠くに馳せられる。
己が、やれること。敵を倒して、天魔を滅する。
けれど――天魔にも、信念がある。
刃を加茂とぶつければお互いが譲らぬ演技で噛み合い、その白熱する光景に胸のどこかがやけに軋んだ。
貫けば、誰かを斬る。
久遠の表情は静かで、そして見事な舞を演じていた。
大きく加茂の手が、少女をエスコートするよう広げられ。
二人の中央に現れるのは、女房装束の律の姿。
背筋を伸ばして、無音の歩行で。
扇を持つ手は水平に、それから風の流れを感じて上へ。
竜笛の音が合わせて、高く高く空を往く。
龍の鳴き声に例えられる音は確かに、空に相応しい。限りの無い蒼天は、空を思う棚瀬の郷愁に重なる。
その侭飛び立ってしまうのではないかと体重の無いしなやかな舞を披露する律は、けれど蝶の如く扇をひらり翻して気まぐれに遊ぶ。
気の流れに乗り、更に舞いに加わるのはマオだ。
彼女の仕草は風や大気を示すもの、流れを身体が通り抜けるかのように。
かつて巫女がそうあったよう、自然を、世界を己が身で表す原初の舞。
――そして、マオは真っ直ぐ地を駆けて、風の如く。加茂の肩を借り、大きく宙へ舞い上がる。
飾られていた薬玉が割られて、零れるのは紙吹雪に無数の楓葉。
音もまた最高潮に高められていく――僅かの舞台なのに、鍛え上げられた喉が余すところなく使われている感覚が亀山にはいっそ心地よい。
空は高く、けれど地には確かな音を生やす安定感のある低音。
支えてくれるのは、柊が奏でる一定のリズムだ。
一打ちごとが、重みのある響きを合わせて音が揺れないよう全体を引き締めている。
不意に、彼女の喉からも声が溢れた。優しく、心震わすような甘い音。
――途中で乱入があっても、歌い切るだろう?
悪戯げな柊の眼差しが、そう語っている気がして亀山も晴れやかに笑う。
何処までも、何処までも。
皆が重なれば、天上の音楽に、人の心に根を張る歌に。
心揺らす、郷里の舞に。
届きますように。
遥かな封都に、この想いが。
見えますように。
未だ青き楓の向こうに、―――泣きたくなる程紅いあの山々が。
祈りは、想いは人へと響く。
いつか帰る日の為に。
●終演の後
盛大な拍手を受けて、何度も挨拶を終えた彼等は汗を拭いお互いに労い合う。
「あ〜疲れた。慣れない姿って言うのも有るんだが、これで楽しかった故郷思い出して元気になってくれれば、良いんだが」
穏やかに紫苑も微笑みながら、冷えた水を一口。
「紅葉の花言葉は‘大切な思い出’なんやってー。…いつか、京都の紅葉。絶対に見せたらんとなぁ」
手に残った楓を潰さぬよう、そうっと握り締める。
「うん、この侭にはしておかないの……」
楽しくも美しい文化の地、そして人の心をとらえて離さない街。
律が静かに決意を込めて頷く。
「届いただろうか」
柊の声は、問うものではない。ただ、自然と腕は祈りの形に組み合わされていた。
――故郷か……あ〜もう木々は、赤く色づいているだろうな……戻るとなると後継者の引き継ぎやらが、待っているが、平和だろうな。
時が止まった感じで、待たせすぎているかな皆を……。
紫苑が思い馳せるは遠き己の故郷で。
胸に、何処か灯る熱がある。郷愁と呼ぶその感情を観客もまた抱いていたなら。
人の心に紅く染まる楓は、確かに描けたろう。