●傷痕
楽しい行事である筈のハロウィン、けれど空気がどことなくぎこちない一角がある。
「…辛い思いを、したんだね」
学生服姿で身をかがめ隠れながら、レグルス・グラウシード(
ja8064)は沈痛に眉を寄せる。
彼等の想いを完全に分かる訳ではない、けれど想像すればそれだけで胸が軋む。
「すぐに、全てが変わるわけじゃないと思うけど。
それでも、今日のことが…少しだけ、きっかけになってくれれば」
だから、彼は人として。
「――ええ、契機を」
彼と軽く目礼を交わして、マリア・フィオーレ(
jb0726)は歩み出る。
艶めかしく紅い唇を笑わせ子供達の輪の中へ入り込み。
「上手ねえ…いつもお手伝いしているの?」
マリアを教師とでも思ったのか、直ぐに受け入れられる。
教師と段取りを終え、解れてきた空気に伊那 璃音(
ja0686)が顔を上げ。
マリアも彼女の動きを察して、伊那と入れ替わる。
オレンジの魔女服はシフォン地のふわりとした作りに、猫の耳と尾。
フリルのエプロンを着けた少女は好奇心たっぷりとばかり、栗色の眸を大きく瞬かせる。
「何をしているの? お料理?」
「バーベキュー、やるんだ」
「素敵ね。私も、お師匠様の為に美味しい料理を作りたいの。食材を探しているのよ」
「お師匠様?」
「うん。私、魔女なの。でも、まだ魔法は使えなくて――手品、なら出来るんだけど」
肩を落として見せる。掌を合わせ、開くと小さな南瓜の種。
手品、魔法じゃない、口々に繰り返す少年達は不思議そうな視線を向ける。
「でもね 力の種は感じるの。だから何時か皆が笑顔になれるような魔法を使える様になりたくて修行してるの」
人々が注目し始めるのを見計らい首を傾げ。
「…ちょっとだけ、私達の森…覗いて、みる?」
そう言って振り返ると深い森の舞台が中央に見える。
伊那の導入に合わせ、隠れていたレグルスが立ち上がる。
怯えた眼差しで辺りを見渡して舞台へ進んでいく。
「…ここは、魔女の森じゃないか。魔女…いったいどんな人たちなんだろう?」
様子を窺うばかりの彼に皆も思わず息を詰め見守ることに。
舞台上は華奢な作りのテーブルにレトロなカップ。
優雅に腰かけるのは黒のドレス、豪奢な金髪に銀のサークレットを飾るエリス・K・マクミラン(
ja0016)。
銀のトレイを持ち執事姿で給仕する狼耳に尻尾を揺らした星杜 焔(
ja5378)が、客人に恭しく問う。
「卿、お茶は如何ですか? それとも、お代わりを?」
ハーブの香りが満ちる中、君田 夢野(
ja0561)は紅い色のグラスを悠然と掲げてみせる。
紅の燕尾服に揃いのマント、紛うことなき夜の王、吸血鬼だ。
「代わりを貰おうか。……ふむ、この血は中々に上質だ。暫くは人の生き血を吸わずとも大丈夫であろう」
顎を反らして悠然と足を組む君田は役作りかトマトジュース以外依頼前から口にしない徹底ぶりで牙を見せて笑う。
「私は、お茶を頂けますか?」
薄く光を纏い、妖精の羽根を纏う久遠 冴弥(
jb0754)だ。
隣をひらひらと舞っているのは、布で飾って西洋のお化け風にした簾 筱慧(
ja8654)。
カップを軽く引っ張ってみたり、辺りを気侭に飛び回ってみたりと悪戯好きのお化けの演出。
「……なんだ、あの人達は。恐ろしい魔女……?」
震える声でレグルスが呟き、茂みを揺らしてしまうと皆が振り向き。
――そして、エリスが優しく笑う。
「この森に迷い人とは珍しいですね。そのような所に居ないでこちらに来てはいかがですか?」
「え…?取って食うんじゃないのか」
「いえ。魔女は来客を尊びます。多少異なる力は使えど」
エリスが細い指先で茶を注ぐ瞬、小さな魔法陣が浮かび上がる。
思わず立ち上がるレグルスに、あくまで柔らかく。
「友達になりたいと思っているのですよ」
「不思議な力を使えるトモダチ…そんなこと、考えてもみなかった!」
漸く、硬く強張った表情が綻ぶ。
そこで焔が耳を揺らし、エリスに何事かを耳打ちした。
「今日は随分と迷い人が多いですね」
受けたエリスは、はっきりと客席を見て微笑む。
数歩歩み出て、差し出すのは招待状だ。劇を見守る生徒達に。
「…そうですね。貴方達もご一緒にいかがですか?」
かくして、魔女の招待が始まる。
●招待
久遠が呼び出すのはヒリュウ。朱の皮膚にエメラルドの眸が印象的な竜だ。
小さなその召喚獣は、人懐っこく久遠にすり寄ってイエローの腹を見せてから、彼女の指示に従い招待状を配る。
辺りを回転したりうろついたりする動物の愛らしさに歓声が上がった。
「…キィ?」
咥えている招待状を押し付ければ我先にと受け取られ。
「ニニギ、…良かった」
厭われる可能性も考えていただけに、久遠の唇は僅かに綻ぶ。
竜は、立派に役目を果たして、褒めてくれとばかり尾をぱたぱたと振って見せる。
レグルスも、魔女達の奇跡に目を丸くしながら、再度子供達の方へと歩いてくる。
彼等の手元で招待状は不思議な光を湛えるのに歓声が上がり、仕掛けに満足げに。
星や飾りラインが浮かび上がるのに瞬く伊那に、小さく笑う。
「何だか不思議な感じが出るでしょう?…魔法、っぽい、っていうか…」
「本当、素敵ですね。――貴方も森に、食材を探しに来たの? 美味しいものがあったら交換して?」
後半は彼や子供達に向けての台詞だ。
「はい、この森でしか取れない食材を探しに来たんです」
早速、彼女のパプリカを交換すると子供達も真似をしたがり。
「あ、火は大人の人に守ってもらってね?
火を作る魔法ってとーっても難しいのよ」
そんな注意も忘れずに。
ヒリュウも野菜を銜え宙返りをしてみせるのを皮切りに、わっと子供達が駆け出す。
すうっと横を通り過ぎるのは、簾。布で子供の目隠しをしたり、背中から軽いノックをしたり。
「…おばけなの?」
話しかけても、返事はない。代わりにひらりと舞う布から幾つものキャンディが溢れる。
けれど手渡そうとするキャンディが零れてしまって、慌てたよう拾い集める姿に和む眼差しが集まる。
かと思えば、背にはふっと人の影。音も無く現れる、ローブ姿のマリア。
肩揃えの髪を銀細工で飾って、紅い唇が笑う。
「可愛らしい子供、ここで何をしているの…?」
「えっ、…森に行くんだ。暗いけど、ご飯を探さなきゃ」
完全に劇に嵌っている子供に、満足げに紅い目を細く。
「可愛い子供たち、もしも夜が怖いのなら、暗闇が怖いのなら私を思い出しなさい」
小さなターンは、夜に飲まれてか音も立てずに。
彼女が指し示すのは――舞台の方。暗い、森の中。
「求めるなら、仲間と共に夜を駆け必ずあなたたちを護りに行くわ」
最後の声はもう、歌になっていた。艶やかな深みのあるソプラノ。
添うは、ヴァイオリンの音色――。
響きを背に焔は材料を集めてきた子供達を、一所に呼ぶ。
生徒達に簡単な下拵えはさせたがメインの食材は彼の指示通り残されていた。
生々しい肉の塊を手に、笑って一礼をしながら僅かに彼は目を伏せる。
生徒達は、教師が襲われ敵が殺されることに心の傷を負った。
――俺は、ちょうど逆だ。
両親が変じたディアボロを倒す、鮮やかな血肉を子供心に賞賛した、銃を持ち血塗れの撃退士を――綺麗だと格好いいと思った、思ってしまった。
想い連ねながらも慣れた包丁捌きは飾りも仕込みもお手の物。
人として磨いた技術、撃退士として人並み外れた器用さ、両方が彼のもので。
焔は大きく食材を投げて綺麗に切り分けるパフォーマンスをして見せる。
両親だったモノを殺した撃退士に対する憧れを、歪んだ心の罪のよう抱えながら。
「美味しいものを、皆で食べよう。楽しい気持ちになるから」
嫌われるかもしれない恐怖、罪悪感は友人や恋人を得れば余計に募る。
無意識にスプラッタ好きと婉曲な言葉を使っても心の澱は溶けない。
――だからこそ、美味しいものを作りたいと彼は思う。
見た物に心痛めた彼等の心に、触れたい。
戦うのでない撃退士の手法で。見た物を、否定するのでなく闇雲に憧れるのでなく。
飲み込んで、考えて、分け合う時間を――どうか、その助けになりますように。
「私の炎は食材を美味しくする魔法
さあ食べてご覧
君達も焼いてご覧 」
呪文みたいに呟いて、炭に灯すのはトーチの炎。
時に暴力であり、時に希望となる焔が――、今は美味しいものを食べる笑顔の源となりますように。
●魔女達の宴
「おいしい?…これも食べてみない?君も、よかったらこっちに来なよ」
上手く輪に入りきれてない子供を見つけては話しかけ、南瓜や食事で目を引いて人の輪を作っていくのはレグルスだ。
久遠も子供達を輪に引き入れる為、ヒリュウを肩に子供達の間を回る。
ふわりと柔らかな首周りの毛に、触れたら温かそうなクリームイエローのお腹。
明らかに人ならざるモンスターに、子供達はしかし興味津々だ。
「お姉ちゃん、これなあに? 触っていい?」
「ニニギって言います。――私の、お友達。人懐っこい子ですから、そっとね」
召喚主に忠実に、ニニギはきょろきょろとつぶらな目を瞬かせ、背の小さな羽根で飛び回る。
誰に触られても愛想よく人懐っこく振る舞いながら、最後には久遠の肩に戻ってしまうのが皆羨ましい様子で、何処で買ったの?なんて質問まで飛び交う。
「妖精の国のお友達ですよ。不思議な生き物が沢山います」
折よくキィ、と肯定するようニニギは鳴いて久遠の頬に顔を擦り寄せて懐く。それを指であやして。
召喚術士たるバハムートテイマーならではの信憑性で不思議に対する興味を掻き立てているようだ。
次第に大胆になってきた簾は、ひょっこりとテーブルの合間から顔を出してお菓子を置いて見せる、その侭逃げようとして思い切り転んではその度皆が笑う。
時にはバーベキューの火を強くして、自分まで衣装を燃やされそうになって慌てて逃げる。
その癖、この何処か憎めないお化けは、カービングで子供が困っていると何処からともなく寄ってきて小器用に手伝ったりするのだ。
「ねえ、良いお化けなの?」
ジェスチャーだけでそうよ、と簾は答えてみせる。
彼女の差し出す飴玉は何処にでもあるもの、彼女の手伝いは誰でもやれること。
でも、困った時に助けに行く。いつだって、傍で見ている。
彼女は撃退士で、――同時に普通の人間で。
一緒に笑い合い、楽しみ合う者として共にあるのだと。
「ずっと、友達になれる?」
首を傾げられ布に覆われた手がそっと肩に触れる。
それから、くるんと回って何かのジェスチャー。
一回傍に寄って、離れて手を振って。
けれど、――ずっと、観ていると。
ふわふわ揺らいで動きながら、マリアの方へ歩いていく。
「では、宵闇の魔女よ。汝の美しき歌声、我輩が更に美しく飾り立ててしんぜよう」
そちらに向け君田はヴァイオリンを肩に構え、静かに弓を動かして。
最初の旋律は、長く尾を引くかそけき響き。
マリアがローブを解けば、肩を出すスリットの入ったロングの魔女風ドレス。裾へと広がる色は黒から紫へのグラデーション。
宵から始まる、朝焼けの色。
彼女の光纏は宵闇、軽やかなステップに踵を鳴らすと花弁の如く散っていく光達。
その楽しげな足取りに合わせて、曲調も次第に賑やかな、楽しむ響きがヴァイオリンの音に混じる。
弓は大胆に跳ねて、優しい喧騒を表現する。闇の静謐から共に手を取り歌う賑やかな夜に。
舞う腕が華を零して指さす先は、エリスが座す方。
「さあ、――皆、魔女姫様のところに向かいましょう?」
先導するよう裾を引いて闇の中を彼女は踊る。
合わせて、簾も布をたなびかせて無音歩行から一気に木々へと飛び移る。
お化けの姿で木から木へ、危なげのない動作は壁走りのなせる技だろう。
今はそんな仕草にも怖がる子供はおらず、返って簾の後を追いかけようとする。
それで転ばせては大変と、いちいち下に降りて迎えに行ったり、抱き留めたりと忙しいのも彼女ならではと微笑ましい。
「よかろう、宴の客人は多いに越したことは無い。ならば盛大に楽しもうではないか。歓迎するぞ、少年少女達よ!」
顔を輝かせる子供達に自然と君田に素の笑みが零れた。
南瓜のカービングで様々な玩具を提供していた焔も、自作の人形を地面に走らせ舞台へと誘導していく。
いつしか虹の光を纏い、背には鮮やかな翼が煌めいている。
●素敵な魔法
「今なら魔法が使えそう!」
子供と手を繋ぎ伊那も、指先を絡め揺らして。
灯るのは、小さなトワイライト。
大きく目を瞠る子供に、使えたと栗色の眼差しを柔らかく。
「小さな光 はじめての光 どんなにどんなに小さくたって
あなたの笑顔が見られたら それが私の素敵な魔法」
高く甘い声で、顔を寄せ合い、笑い合い。
歌の輪を皆に広げていく――。
「ねえ、お姫様も歌って?」
せがまれるとエリスは少しばかり戸惑うが結局は弱い。
ふ、と笑って小さな囁く声で、合唱を。
「魔女って、怖くないね」
「後で、もっと魔女の話を聞かせてあげましょう」
魔女の末裔たる彼女は、己をひとつの証左として此処にいる。
魔女は、恐ろしいだけの存在ではないのだと。
結局膝までよじ登られてしまいながら、落ちないよう支える彼女は生真面目な面持ちで微笑ましい。
暖かな光景を横目に、君田は音楽を奏で続ける。金の五線譜の帯を纏い難しい譜面を辿るだけでない豊かな音色で、会場を揺るがせていく。
敵を倒すこと、心に触れること。両方が必要だと信じるから。
辛い思い出は消えない。皆分かっている。
「けれど、薄れさせることはできるんだ…もっといい思い出を、たくさん重ねて」
人に魔法は使えない。痛みを消す奇跡の持ち合わせは無い。
「……少しずつ、だね」
レグルスの呟きに簾が頷く。
「―――はい、こうやって。積み重ねていくことが、きっと」
初陣もまだの身ではあれど、と久遠は胸を押さえる。
奇跡でもなく、魔法でもなく。彼女達が懸命に考えた芝居の構成は少しずつ知って、重なり合うこと。
人の歩みは地味な一歩、それを千回、億回繰り返すこと。
「……少しずつ、変われるよ。一人より、ずっと」
焔は耳朶に僅かに触れて、子供達の姿を見守る。」
バナナの中にチョコやマシュマロを挟んで皮ごと焼く不思議なデザートを伊那が作り歓声が弾ける。
君田の側には、曲のリクエストを強請って無茶ぶりする子供達が後を絶たない。
マリアは子供達と護る約束をしての、ハイタッチに花を散らせ。
今、楽しいと笑う彼等の無邪気な顔が、最初の一歩。
そうして、撤収を終えた暫くの後。
切なる調べは、尊く儚く夜を渡る。
君田が捧げる鎮魂歌が冷えた空気を満たしていく。
――教え子を護った貴方達の意志は、撃退士のそれよりも尊いものでした。せめて安らかに眠ってください。
星だけが知る、これも人の心の在り方。