●挑む先
数体の巡回兵をやり過ごしたところで、漸く第一の通過点たる西本願寺へと十一人は辿り着く。
幸い、多少の損壊はあるものの完全に崩れ去ってはいない。
ただ、周囲には原型を残さない建物も勿論多くかつての京都は大きく損なわれているのが誰の目にも明らかだった。
――何度見ても、無残な…。
呼吸を整える為に立ち止まったところで、牧野 穂鳥(
ja2029)の胸が僅かに軋む。
どれだけのものが此処から失われ、奪われたのか。
京都が、封都と変じた事実によって。
「ずぇったいに、情報持って帰ろうね!」
牧野の表情の変化を見て取ったのか、小声ながらも明るく栗原 ひなこ(
ja3001)は彼女の顔を覗き込んで笑う。
それだけで、胸の痛みが和らぐ気もした。
「はい、――この作戦次第では奪い返せる契機が手に入るかもしれません」
だから、行くのだと。静かに、先は長くも見える荒涼たる庭を睨み据える。
「要塞――少し気になるわね。観月ちゃん、先に戦った四神。その位置って……」
彼女らの会話を聞くともなしに聞きながら、暮居は要塞の位置の最終確認をしていた。
封都に堕ちた、一筋の雷光を彼女は先の戦いで見ている。
あれが、王たる黄龍を示すのなら。その位置に座す者が、有るというのだろうか。
「――ええ。京都では大きな動きがあるのかもしれません。私達には、未だ見えない何かが」
観月 朱星(jz0086)は暮居の言葉に、真摯に頷く。
「……情報のためなら、手段を選ぶ事が出来なさそうね」
ならば、後は力を尽くしてもぎ取るしかない。
情報は、与えられるだけではどうしたって一手を遅らせることになる。
「悪巧みはしっかり調べなくちゃだもん…壁に耳ありニンジャの目ありだよ!」
元気よく真っ直ぐな面差しで、犬乃 さんぽ(
ja1272)が皆を見遣って、気配を周囲に溶け込ませて。
文字通りの、忍軍ならではの遁甲により通りに添って、境内を進んでいく――。
「戦闘無しでサクッと辿り着けたらいいんやけどなー」
小野友真(
ja6901)は、軽口を叩きながらも周辺警戒に余念がない。
鋭敏に音を拾う範囲を広げた聴覚と、敵を見逃さない二段構え。
二辺の通りを使って実際に歩いてみると瓦礫や雑多なものに溢れ、どうしても機動力は落ちてしまうが慎重に進むとなれば逆に幸運ではあった。
時折にサーバントに行き当たることも無く、駆け足ながらじりじりと目的地に向け距離を進めていく。
「陽動班の作った、貴重な時間ですね」
楯清十郎(
ja2990)が、真摯に呟く。
京都の内部まで、偵察班が二つ食い込む為にどれだけの血を流しているのか。
考えれば一秒一秒が、黄金にも勝る。
だからこそ、焦ってはならない。
「そこ、――何かの気配がします」
慎重に確かめながら進む横、若菜 白兎(
ja2109)が生命探知を行使して瓦礫の向こうや曲がり角の先に、意識を凝らす。
栗原と声を掛け合いながらスキルを行使する彼女らのお蔭で、幾度かの遭遇を切り抜けられている。
「分かった、ならちょっとやり過ごすね!」
犬乃も迷わず足を止める。お互いに息を潜めて、ゆっくりと遠くに行くまでを待ってから進軍を再開。
「時間は、かかってますね」
ただ走り抜けるのではなく、慎重に警戒しながらの移動にアーレイ・バーグ(
ja0276)は小さく息をつく。
安全策としてはこの上なく手厚い作戦は、同時に貴重な時間の消耗と引き換えだ。
けれど、彼女は準備不足として現状を捕えている。
故に、目的は作戦の遂行より無事の生還を優先。
そういう意味では、現状は最悪ではない。
「ま、何とかなるんじゃない」
篠木 柚久(
ja8538)は対照的なまでに、楽観的にも聞こえる響きで。
涼しげな声の裏側の表情はマスクに隠され、今は見えない。
「前方、茂みを抜けたところにケルベロスがいるよ。動かないみたいだね」
犬乃が、全員に警戒を促す。スキル行使の成果か、未だ気づかれてはいない。
選択の余地は、無かった。
「今行きます。走ると胸が揺れて……」
しなやかな肢体を、布面積の少ない黒色へと押し込んだ感のあるアーレイは、
走る度にたゆんとばかり重量感のあるものを揺らしながら己のペースで足を進める。
彼女も、あくまで平常通りに合理的な仕事を成すまでとばかり。
●序戦
コボールト三体と、ケルベロス二体。
犬乃の報告をもとに、スキルを行使して各人が探ったところでは他に敵は見当たらない。
遭遇予定から考えれば、最低限に抑えられたとは言えないが、
それなりには割り引かれていると破断できる。
「出来たら、一匹だって回避したかったところなんだけどね」
見た目はごく幼い少女ながら唐沢 完子(
ja8347)の表情は、あくまで静かなものだ。
彼女の得物に合わせて距離を測りつつ、銃の具合を確かめに撫でる。
「……出来る限り、急ぎます」
魔法書から放たれるのは、魔力の火種。
中空で舞う種は、見る間へと芽吹き炎の蔦を生む。
やがて蔦は、あらかじめそう定められていたかのようにうつくしく、精緻な形で鞠上の籠へと紡がれ――。
ケルベロスの背へと回転しながら落ちて、その背を苗床に炎の爆発が生まれる!
あまりにも幻想的な光景でありながら、圧倒的な爆発がケルベロス二体を巻き込んで巨大な火の華を咲かせていく。
「終わらせましょう」
傷の深い一体に向けて、唐沢は両腕で銃を構える。距離を置いてからの、発砲。
同時に小野が重ねての銃弾を放つ。こちらは、速攻戦を狙っての早撃ちだ。
「流石に削れ切ってはくれないわね!」
「…フォローは、僕たちが」
暮居と楯が視線を重ねて、頷き合いそれぞれがケルベロスを押さえにかかる。
楯の持つ白銀の杖が獰猛な牙と噛み合いそこから、楯が全力を込めて薙ぎ払い押し返すせめぎ合いがしばし。
ふっと、楯の手にあった狼からの抵抗が弱まる。
顔を上げれば、蛍丸を逆手に背後から忍び寄った犬乃が毛皮に深く刀身を突き立てていた。
目が合うと、静かに頷いて引き抜いた刀を血振りで払う。
「こっちは、先に片づけさせてもらうよ」
篠木はまた、遠距離の位置からロングボウの矢を手近なコボールトへと放つ。
ギャッと悲鳴を上げて身体が少し傾いだ。
獣の顔を持つこの兵士は、動きも鈍重で体力もそうはないと悟れば若菜の波打つ剣が首を一刀両断に薙ぎ捨てる。
「手数を、減らしておきますか」
未だ、範囲魔法は温存の体でアーレイもまた魔法書を開き、そこから魔力を編み上げていく。
強大な魔力は瞬時に一匹を焼き尽くして――どう、と倒れる重い音が響いた。
残るは、コボールト一体にケルベロスが二体。
一撃では足りぬと考えた栗原は、庇護を齎す魔法を編み上げて、牧野らへと優しいヴェールとして行使する。
その隙を見てかコボールトが彼女に肉薄し薄汚れねじくれた爪が、肉を引き裂く傷跡を栗原の肩に生む。
「ひなこ先輩…!」
牧野の身体が庇いたそうに動くが、距離がある。それに向けて、栗原は常の笑みで。
「大丈夫、この侭一気におしきっちゃおう!」
「はい!」
牧野が頷き、ケルベロスに狙いを構える。
「これくらいで、私が沈められると思わないことね!」
凶悪な顎が暮居に迫り、その喉首をかっ喰らおうとする刹那、暮居は自分から腕を押し込んで三つ首のうち一つを抑え込む。
彼女に、苦痛が無い訳はない。実際に手首から滲むのは、深刻な紅い色だ。
しかしながら、槍を跳ねあげて腕を食わせるうちに生まれた喉首を逆に切り裂く、彼女の動作に迷いは無い。
少しでも、先に進む為に。
手持ちに策がない以上、一つずつ、終わらせていくしかないのだ。
たとえ、時間と自分達の消耗を覚悟してても。
牧野が再度、生み出すのは同じく炎の蔦で編まれた鞠。
最初から出し惜しみ無しの範囲魔法の二連撃に、狼が身をよじる隙をついて唐沢が腹へと銃口を向ける。
研ぎ澄まされた、意識。そして、己を限界以上まで高めようと日々の鍛錬の成果とばかり、構える腕にぶれは少しも無い。
彼女の精緻な弾丸が狙い違わず、撃ち抜く――。
「仕留めるだけなら、この人数でなんとかなるのよ」
そう、――偵察からの強襲で先手を取っての癒し手も火力も十分に抱えた十一人。
倒すことだけなら、叶う。力押しでも、この敵とこちらの攻勢を合わせればけして無理な相談ではない。
「……後は、ケルベロスや!」
コボールトの最後の一体が、小野の銃弾によって屠られる。
完全に、時間の問題だ。
それが、連戦でなく単独戦なら全く問題ないのだと誰もが思う。
「――終わったら、癒します。持ち堪えて下さいませ」
観月が細身の杖を振るいながら、声を投げる。
身体の傷は、癒える。しかしながら、スキルの消耗ばかりはどうしようもない。
――じりじりと、削られながら彼等は進むしかないのだ。
●ホテル前
若菜の紡ぐ、癒しの風が全員の傷をほぼ完全なものへと戻していく。
「…まだ、回復に余裕はあります」
楽観できる量ではないが、若菜の報告に皆は頷く。回復手は比較的このメンバーは多い方だ。
「――思ったより、敵は少ないですね」
楯が、深く息を吐く。陽動の班は、三つ。
同時にいくつもの騒ぎが起きた分、敵は着実に他の場へと流れているのだろう。
所定は一時間とのことだが、少しでも早くと心は急く。
「でも、あれは厄介ね」
唐沢が小声で囁く。腕組みをして見遣るのは、ぞろりと長い肢体をくねらせる百足女や先程も見慣れたケルベロスの姿だ。
ただでさえ疲労も蓄積している以上、真っ向から勝負したい相手ではない。
「音で、釣ってみるの?」
若菜も、唐沢も他にも数人が、音響をトラップとする準備自体はしている。
しかしながら。
「この状態で、音響トラップをメンバー全員で設置するのは危険よ」
真っ先に唐沢が異を唱えた。
音と言うのは、上手く使えば効果は期待できるが扱いに難しい部分もある。
若菜も、その懸念はあるのだとこっくり頷き、他の誰からも反論は上がらない。
ここでセーブをかけられるのは正しく英断であろう。、
「……さすがに、こっから先は避けて通るだけってわけにもいかんかな」
奇襲や、戦闘を回避しての通り抜けも目算には入れていたのだが、
境内のように限られたサーバントが巡回しているわけでもない分、分かりやすい隙というのが訪れることはない。
「二階からの突入、と言う訳にもいかなさそうね」
暮居が辺りを見渡すも、他の建物の周辺もサーバントの出現状況は大して変わらない。
物影に隠れれば話す余地はあると言っても、事前でなくこの場で話すことが多い分、刻々と時間は過ぎ去っている。
「じゃあ、ボクが行ってくるよ」
結局は奇襲からの強行突破、そう決まれば犬乃が決然と顔を上げる。
元々壁走りで一人外壁からの行動をする予定だった彼が手に瓦礫を抱えて、壁へと駆け出す。
「ん、気を付けて」
篠木がひら、と片手を振って見送り、ポケットに手を突っ込み軽い調子でビルを見上げる。
「こっちはこっちで、山登りってとこかな」
―――都急ビル。
写真を撮るポイントとして設定されたのは、屋上付近。
しかしながら、今は廃ビルとなったこのホテルを上って行かなければ、辿り着けないのだ。
まず、動き出すのは犬乃。
忍軍のスキルを使って、壁を文字通り地面のように素早く走る。その間も、気配は出来るだけ抑えて。
「これはニンジャの仕事、だよ!」
周囲の壁を利用しながら走れば、他のものには見つからない。
高所を押さえてみれば、ある程度の配置は地表よりも見て取れる。
ポニーテールを風に預けながら、一つ、深呼吸。
――そこから、仲間達が面する場所とは違う側にガラスを含んだ瓦礫を一気に投擲する。
がしゃあん!と、派手な音が響き渡る。
「みんな、今のうち」
そう囁く声は、階下に届くだろうか。しかし、その結果を見るよりも先に彼もまた姿を潜ませ壁を駆け上りに動く。
集まってくる敵がいるとして、彼が標的になっては意味がないのだ。
二階、三階、四階。段々と駆け昇っていくにつれて、視界はクリアに。
京都の空は、曇り。
ビル風が吹き荒れ、身体が煽られても彼にはどうということはない。
見下ろせば、次第に京都の全貌が露わになり始める。
元々、高い建物の少ないこの街で、中京城を中心として無残に天使に踏み躙られた京都は見下ろすに容易く。
「……あれ、かな」
西洋風の、石造りの要塞。一番近くのものは、確かに五条大宮の近く――このビルからかなりの近距離の位置に建てられている。
京都に穿たれた楔のようだと、思う。
「動画、動画と…」
早速カメラを取り出そうとした瞬間―――。
強烈な衝撃が、まったく無警戒の上空から迫る。
「うわ……!?」
一瞬、視界が反転する。それが、肩を通り過ぎた強烈な矢の一撃だと、気づいたのは遅れてだった。
要塞の方に気を取られていた彼がそちらに意識を移すと、サブラヒナイトが大弓を構えて彼に向け頭上からの射撃を行ったのだ。
さすがに俊敏な彼と言えども、不意打ちを全く予想していなければ避けれるものも叶わない。
大きく肩肉を弾き飛ばした矢の勢いは、二撃目を喰らえば身が持つかもわからない。更に、他のサーバントすら彼に到達する可能性がある。
悲鳴を押し殺して、犬乃は出しかけたカメラをもう一度深く押し込む。
この瞬間、彼の使命は写真撮影から―――強大なサーバント相手に生き残ることへと変わったのだ。
●内部班
犬乃の陽動を幾体が聞き届けたのか。
ざあ、とサーバント達が群れをなして動いていく。
サーバントの中には、単純な命令をインプットされて動いているものもあるという。
特に、真っ先に動いた百足女の知能は低く、故に入り口近くの場の層は確かに薄くなった。
「こっちも行きましょうか。もう、見飽きちゃったんですけど」
ゆうるりと首を傾げて、アーレイが魔法書を指先で戯れるように捲る。
如何にもアメリカ人らしく澄んだブルーアイズがちかりと瞬きながら彼女が軽口を叩く先には、先程も散々戦ったケルベロスの姿がある。
「あの、大きいのが残るよりはいいの」
若菜が気を取り直したよう、そしてあながちフォローでもなくぽつりと言う。
「そうだねっ、急がなきゃ……」
スマホがネットにつなげないことを確認して、栗原は諦めてポケットに押し込む。ここは、天使の領域内なのだ。
「――急ぎましょ。いい?」
「ん、問題ないで」
唐沢はあくまで冷静に、小野と声を掛け合い銃を構える。まずは、隙をついての強襲。
「急がなきゃいけないのも、予定通りね」
アウルを大きくその手に集めて、―――両側から交差する位置でのショット。
一打めを避けても、その回避の先がもう一人の射線によって埋められている。
「で、私もいる訳でして」
あくまで軽やかに、魔法書を繰る仕草と裏腹に、繰り出される魔力の塊は強烈な圧を持ってケルベロスを跳ね飛ばす。
「もう、碌に相手してる時間は無いのよ」
地を蹴り、一気に至近距離までランスを片手に駆け抜けるのは暮居だ。彼女の手に持つ槍に、黒い闇の力が生み出される。
その周囲に、――鬼百合の柱が生まれる。幾つもの蕾をつけたそれが、生き物のように鎌首をもたげ膨れ上がって。
すべての行動を統べるのは牧野の細い指先。ゆる、と振り下ろす動きに合わせて――無数の雷がケルベロスに向かって解き放たれた――!
「……ちょっと、増えてきたんじゃないか」
剣戟の音は、残っていたサーバント達にも届いている。
周辺警戒に意識を割いていた篠木が小さく瞬いた。
三つ首を持たぬ代わりに灰の毛皮を持つ狼は、――内側から。
「――手間が省けたと思いましょう」
未だ少年めいた面差しを残す楯の声は、冷静に真っ直ぐ響く。
篠木を庇う形に真っ向から割り入って、セレネが横殴りにグレイウルフへと痛打を与える。
「さんきゅ」
庇われた側も、背中合わせにすれ違い、最小限の動きで反対側に回り込むと手斧が毛皮へと食い込む。
手応えは、浅い。だが、着実にダメージを重ねていくのが彼の仕事だ。
「グレイウルフは、仲間を呼ぶの」
若菜の優しげな表情が、少し困ったよう曇る。
――何匹、いるだろう。
今は、小さな身体で大剣を振り翳し、一匹でも多く切り捨てるしかない。
更に増えたものに、観月がひとまず食い止めに向かうが、数の暴力は相手に行使されるのが一番厄介だ。
危機感を覚えた瞬間、――ごお、と前線に立つものを炎が炙る。
「きゃ…!」
栗原の小さな悲鳴、それ以上を気丈に彼女は堪えるが服の前面に大きく焦げ跡が残っている。
「……っと」
篠木の肩から背にかけても炎が肉を焦がす嫌な匂いと共に火傷が刻まれるが、やはり声は何処か飄々としたもの。
楯は、シールドを翳すことでそのダメージの殆どを殺すことに成功している。
「この侭じゃ、まずいわね」
これ以上消耗戦をしている暇など、何処にもないのだ。
暮居が嘆息と共に、正眼に槍を構え直す。幸い、道は拓けている。
「先に行きなさい――少し減らして行くわ」
有無を言わさぬ声。彼女の手持ちを考えればあながち悪い策ではない。
何より、本当に時間がない。
「後で、ね!」
かかった声は、誰のものか。暮居は、大きく槍を揺らして皆の言葉に応える。
●拓く、
ただ一人、入り口で足を止めた暮居は黒の槍を持って真っ先にケルベロスへと踊りかかる。
懐まで駆け抜ける間際の、一薙ぎ。槍の穂先にひっかけた毛皮は、先程より余程やすやすと、内臓に食い込む手応えがある。
更に腹部から穿つ槍の穂先はずぶり、ずぶりと腹に食い込み―――ついに、腹から両断する。
カオスレートの引き下げはこの状況では、確かに効果が目に見えて分かる。だが、彼女は同時に、危難に身を晒すことも承知の上だ。
今は、咄嗟に楯を呼び出すプログラムをこの技と引き換えに失ってしまっているのだから。
グレイウルフの群れが、一斉に彼女へと襲い掛かる。――狩りの、始まりだ。
肩に、
腹に、
足に、
無数の顎が、――暮居の堅牢なはずの守りを抜いて襲い来る。
噛み千切られる苦痛に膝をつきかける。根こそぎ、命の欠片ごと奪い取る、肉を食む音。
一瞬、目の前が暗くなりかけて――、槍が指から離れかけるその瞬に、強く柄を握り直す。
血を吐く口元が、笑った。
「耐え切ったら、私の勝ちよ」
槍を、正眼から直線に集う狼達へ構え直して。――黒い光を撓めたそれを、一気に振り抜く!!
黒の衝撃波が、直線の軌道で地を抉り、狼達を跳ね飛ばす。
傷を受けた彼等を、仕留めるには十分な。
踵を返して、彼女もまた先を急ぐ。その足跡に、大きく滴る血を刻みながら。
「こっちだって、止まってる暇なんかないのよ」
強烈な弾丸が、破竹の勢いで内部に未だ残る狼を撃ち飛ばす。道が開いたところに踊り込むのは、楯の姿だ。
内部は薄暗く、視界の確保が難しい。しかも、瓦礫まで足元に点在しているという悪路なら、彼が盾となって真っ向から敵に相対するしかない。
アーレイに向かう屍骸兵の錆びた刀を庇う形に片手で受けて、更に力を込めて押し返す。
その間をかいくぐるように、アーレイの魔力弾が跳んでいく。
「これなら、なんとか行けるかなっ!」
ケーンでの牽制を請け負いながら、栗原が息も切らせず時計と残った階数を見比べる。
幸いにして、ホテル内部の敵は少ない。何処までが陽動の成果かは分からないが、少なくとも強大なサーバントの類は見つからなかった。
ただ、時折に湧き出る雑魚の類を、最低限薙ぎ払って進むのみだ。
篠木は動画の撮影を試みていたが、今のところはスイッチだけを入れてポケットに放り込むに留まっている。
外に出せば、すぐさま壊されてしまいそうな勢いだ。
「……後、すこし」
走っている暇も惜しく、若菜が全員に声を届かせる。
既に、屋上での戦闘を行い中位サーバントを排除するにはぎりぎりの刻限だ。
「屋上付近からの撮影でいいって事は…部屋ん中から撮れへんかな?」
丁度、最上階のフロアに踏み込んだところで、小野が彼等へと声を投げる。
「次を考えると詳細な情報を集めておきたいですし。――でも」
選択の時間は、少ない。屋上から撮れる方が、勿論情報としては子細なものが得られるかもしれない。
だが、間に合わなければ元も子も無いのだ。
「――そちらの方が、生存可能性は上がりますね。屋上確保が、必要条件ではなくなりますし」
この状況でサブラヒナイトを正面から相手取るより、無事な生還を考えるならとアーレイは手短に計算する。
「全貌が無理でも、少しでも手に入れるのは大事だと思う。先に、繋げるために」
栗原の強い意志のこもった視線が、頷きを示す。
「とりあえず見えるか確かめてみようよ」
篠木の提案に皆が頷き、小野が手早く近くの扉を開錠する。破るより余程早く、音も少ないとの機転だった。
スイートルームと言うのは、大抵大きく窓が張られている。特に、上階層にあり、景色も見世物にするなら尚更だ。
「よっしゃ――!」
思わず、歓声が上がる。黒々と横たわる、――異形の要塞。その姿が、窓から確かに覗いているのだから。
牧野と、使い捨てカメラを預けられていた観月がすかさず、まずは一枚目を写真へと収める。
栗原のスマホや貸与のデジカメを持つ篠木も、動画モードのレンズを翳す。
惜しむらくは窓にひびが入っており視界の妨げになることだろうか。しかしながら、窓も開ければ良いのだと考えた瞬間――。
皆の目の前を、犬乃の身体が大きく舞った。
一瞬だけ、弾き飛ばされる刹那に目が合う――。彼の四肢は、既に血に汚れ衣服も無事である部分の方が少ない。
「あそこ……!!」
見つけた栗原は悲鳴を上げる。土壇場の作戦変更は、何より単独行動者には命取りだ。
「階下も索敵対象に入っていたなら、――窓を開けた瞬間に、私達が狙い撃たれてたかもしれないわね」
冷静に状況を分析する唐沢の口調は、常と変らない。
けれど、拳だけが強く握られていた。
行くわ、と短く唇だけが動き真っ先に彼女が身を翻すと共に、全員が弾かれたよう駆け出す。
屋上に、向かって。
●屋上の決戦
身体は、とっくに言うことを聞かなくなっていた。
「……はっ…」
掠れる息すら、肺を傷つけたのかやけに痛む。自分の口内が血の匂いで、溢れている。
遁甲の術と壁走りがなければ犬乃はその生を終えていたかもしれない。
サブラヒナイトの矢は威力は強大で、命中力も高い。
下に降りれば、無数のサーバント達の中に弱った体を投げ込むことになる。
よろめく足が、しっかりと直角の筈の地面を踏みしめる。こうやって立てるのも、あとどれくらいだろう?
「それでも、ボクいかなきゃ。……ニンジャは、こんなことで負けないんだから」
術が切れれば、後は垂直に落下するのみ。バルコニーに多少の足を止めれば、直ぐに矢が降ってくることももう彼は分かっている。
犬乃は、知らずお守りのようヨーヨーを握り締めて、血に淀んだ視界で屋上を目指す。
皆が、到着するタイミングまでの時間を稼ぐこと。
それだけが、彼の生き残る術だった。
「――行くよ!」
その先が、死地に一番近くとも。仲間との合流の為に、彼は萎えかけた足に力を込めて走り上がる。
しかし、駆けあがった先に振り翳されていたのは―――サブラヒナイトの、黒の大剣。
目を、瞑らずに彼は最後まで睨み据える、その時。
「犬乃さん、こっちです!!」
楯の、珍しくも切羽詰った響きが夢うつつに響いた。犬乃を襲うはずの一撃は、いつまでたっても振り下ろされず。
代わりに受け止めたのは、楯の庇護の翼だ。
「すぐ、癒すからね!」
栗原の指先がアウルを編み上げて、既に気絶寸前の犬乃の怪我を癒していく。
他の面々の回復に観月の手が取られていたこの状況では、文字通りの生命線として。
――アウルの手応えに、一瞬栗原の息が詰まる。このいのちは、本当に今、失われかけていたのだと。
「あなたの相手は、こっちなの!!」
若菜が腹の底から、出し慣れてない大声を張り上げる。小柄な体で、大剣を翳して見せるのはイフリートへの挑発行為だ。
先行して幾人かが犬乃と合流する為、分断された形で彼等は陣形を整えなければならない。
追いついた暮居が、辛うじて若菜の隣に立ち息を整えるがこの手番彼女は移動だけで手一杯だ。
「こっちを無視なんてさせませんよ」
対サブラヒナイトの柱となるのは、楯。ぎり、と睨み据える気迫は、敵の注目を集めるオーラを編み上げる。
「僕以外に、攻撃をさせることなんか許しません」
先程犬乃を庇った傷も背負った侭で、彼は一歩も引かず言ってのける。
「魔法が使えるうちに使ってしまいますか」
彼の後ろ、フォローを受ける場所を選んで、アーレイは魔法書からの攻撃を選ぶ。
騎士の鎧は、魔力でなければ半分を通さないことは皆の承知の通りだ。
通常攻撃と言えども、彼女の膨大な魔力が僅かな動きだけで編み上げられ、――鎧の中央で大きく爆ぜる。
「ここで、――止まって下さい!」
牧野の術によって激しい風が、ごう、と吹き荒れる。騎士の真正面から、風の渦が生まれぶつかっていく。
飲み込めれば、とは思うが流石に騎士を押し切る程の威力は無く、浅く牧野は唇を噛む。
もっと、力を。たいせつなものを、全部守れるほどの。
「やることを、重ねていくしかないわ」
唐沢は、呼吸を整えて力の流れを生み出していく。――力なきものだからこそ、力を操る術を覚えたその手法として。
イフリートの間近までを接敵してからの、強烈な一撃――!
ダメージ自体は、さほどでもない。
しかしながら、イフリートを釘付けにするには、十分なエネルギーがサーバントの中で荒れ狂う。
「これでちょっとは殴りやすくなったかな」
一歩引いた位置から、狙撃を篠木が重ねて着実に抉り――。
立て続けに、銃弾が高い音を立てて響く。小野が撃ち出した鋭い射撃は、イフリートの焔を抱く腕を撃ち抜く。
「情報持って帰るんが、俺らの仕事やから!」
どれだけか不十分か、未だわからずとも。確かに、得たものがある。
他の班に動いている者達と全ては響き合って、皆はここにあるのだ。
――炎の、風が吹き上げる。イフリートが返礼とばかり放つのは、文字通りの火の海。
屋上に熱が爆ぜて、周りの皆を焦がしていく。
「――まだ、だ!」
騎士の大剣を真正面から剣で受け止める楯も、完全に押し切られて胸が斜めに切り裂かれる。
若菜の、栗原の癒しが一気に傷を癒すが、――未だ、足りない。乱戦で、分断戦ともなれば範囲の癒しも途端に使いどころが難しくなる。
出来れば、屋上から、もしくはもう少し鮮明な写真が、とは皆の思うところではあったが。
「全員撤収!!」
アーレイが、鋭く声を投げる。脱出に魔法が使えない状況であれば、完全に詰む。
ならば、大鴉が来る前に逃げるしか、無いのだ。
言葉と共に、彼女が放った炎の塊が膨れ上がり中央に弾幕の如く巻き起こる――!
「殿は、僕が務めます!」
「私も、ね。時間はない、急ぎましょう――!」
サブラヒナイトとイフリート、強大な敵を請け負う二人へと後ろを預け、全員が駆け出す。
傷が治ったとはいえ、未だ動きの重い犬乃の肩は皆で交代で支えて。
背中に一度攻撃を受け止めれば、それ以上追い立てる気配は無かった。屋上の守護が、彼等の任務であったのが幸いしたのか。
「でも、下にはまだ敵が一杯いるね」
建物の中を駆け下りながら、篠木は唐沢に視線を投げる。お互い、考えることは一緒だったのだろう。
引き出したのは、布に包まれたレコーダー。
足を止める二階で、窓を開く。―――そうして、放り投げれば、更に階下へと。
時計を見て、タイミングを調整しての丁度一分後。
ホテルの裏手に、巨大な爆音が響いた。
●終幕
「お願い――!」
栗原が先頭に立ち初手で撃ち出した無数の彗星は、殆ど祈りに近い。範囲の全てを飲み込む星達。
彗星に腹を穿たれ、足を抉られ倒れる獣達の中央に、威嚇としてアーレイが撃ち込むのは炎の嵐だ。
二人の魔法が重なり、一番手薄になった場所へと唐沢の小柄な体が潜り込み、彼女に触れた途端に狼の巨体が弾け飛ぶ。
「この道を皆でこじ開けるわよ!」
無理矢理捻じ込むようにして開いた道は、狭く――けれど、確かに続いている。
「帰らなきゃ、ね」
犬乃が、漸く動かせるようになった身を立ち上がらせ、崩れかける足を走らせる。
「……帰ろーやな、皆で」
駆け抜けた先に、敵の気配を探っていた小野がゆっくりと首を振りまた駆け出す。
既に、全身が満身創痍だった。もう、傷を癒す時間すら、彼らは移動に費やして走り抜くしかないのだ。
「帰って、また来ます」
牧野は振り返らない。誰も、後ろは見ない。
辛うじて、撮れたなにがしかを信じて手の中のカメラを、強く握り締める。
未だ、ここは天使の領域。
けれど、明日は?
明後日は?
この戦いで掴んだ欠片が、その先の光明となることを信じて。彼等は、――駆ける。