●密やかな前奏
寒々しいばかりの劇場に色を添えるのは、集う撃退士達の姿だ。
「基本はどれも同じだな。これなら問題ないだろぉ。吊り上げの装置もあるみたいだねぇ」
気怠げに舞台袖の装置を一瞥して、操作法をいち早く理解するのは雨宮 歩(
ja3810)。的確に装置を確かめていくことが出来るのは、舞台芸術に詳しい故だろう。
「これなら俺にも問題なく出来そうだ。距離は…少し遠いか」
霧崎 雅人(
ja3684)は雨宮の教えを受けながら、冷静に距離を測る。装置があるのは舞台袖の奥まった位置だ。
舞台からは離れていて、遮蔽物が多すぎる。フードの奥に隠れた表情は見えないが、狙撃手として真剣な様子が見て取れる。
「先に私達が全力で行きますからっ! こんな感じでっ!」
明るく拳を握って見せるしのぶ(
ja4367)。実演とばかり脚が跳ねあげられ蹴り技のフォームを描きかけるが。
「う〜っ……。が、頑張りますっ!」
自然の法則に従って短いスパッツに覆われた健康的な脚線美を披露することになる。スカートの端を恥ずかしげに押さえるのは、年相応の少女らしい様子だ。
「戦闘は頼りにしてるな。阻霊陣に手を取られるから」
優しくしのぶの肩を叩いて打ち合わせを続ける月居 愁也(
ja6837)は流石女性慣れした大学生と言ったところか。待機の段取りを確かめていた株原侑斗(
ja7141)も横で頷く。
「生のバトルはネットやニュースとは違うっすけど、……頑張るっす。フォローは任せて下さいっす」
文字通り舞台裏で支えてくれる彼らの傍ら芝居の打ち合わせに余念がないのは雫(
ja1894)達演者組だ。
歌姫を務める雫は無表情に作業をこなしていたが、いざ真っ白なエンパイアスタイルのドレスを纏うと溜息が漏れた。
「こんな綺麗な衣装は私には似合いませんね」
「真っ白で、とても可愛らしいよ?」
柔らかな笑みで否定するのは、臙脂を基調とした貴族風の衣装の鳴上悠(
ja3452)だ。実際見栄えのする二人が衣装を纏って並ぶと、絵のように見事な光景だった。
影の如く控え見事な音程で歌を口ずさむリョウ(
ja0563)が目をあげると丁度、照明の位置を確認しに舞台に近づく雨宮が見える。
立ち去り際に雨宮がすい、と舞台に屈む。赤黒く滲む生々しい血痕に触れると、白い指先が汚れる。構わず、見入る横顔にいつもの皮肉げな笑みはない。
「気に入らないなぁ、ホント」
苛立ちを孕んだ言葉に、リョウが深い眼差しと共に囁く。
「これ以上舞台を汚させはしない」
冷静な感情を抑えた声は、開演前の舞台に強く響いた。
●いざ、開幕
予め開かれた奈落の淵に、銀糸の髪を月光の如く輝かせる少女が立つ。
長い手袋と胸元、スカートの裾に精緻な刺繍があるドレスは幼い彼女の容貌も相まって文句なしに可憐だ。
リリカルなソプラノで華やかな旋律を歌うのは堂に入ったもの。
奈落を隔てて雫と向き合うのは歌姫に恋する貴族の男性を演じる鳴上だ。届かない距離を惜しむように腕を差し伸べ、アルトのパートを歌う。
時に切々と、時に焦燥を滲ませながら耳触りのいい声で歌いこなし、雫の旋律に寄り添いハーモニーを生みだす。
「――空の彼方へ、何処までも」
二人の声が一つの音を作り、天上を仰ぎ見るその瞬間。
雫の背がずくりと疼いた気がした。鋭敏な感覚が闇に沈む奈落で蠢く気配を捕らえたのだ。咄嗟に、彼女はアウルで全員に合図を送る。
「…来たか!」
霧崎が適切なタイミングで、吊り上げの操作を開始する。何度も雨宮と確認した手順に間違いはなく、ワイヤーに結ばれた雫が吊りあげられていく。
雫の足が地面から離れたところで、赤黒い触手が地面から無数に生まれる!
多数は雫に絡みつこうと触手を伸ばし、更に着実に捕まえる為奈落に隠していた赤黒い巨体を這い上がらせていく。
吊り上げられている雫は、いつものようには動けず触手の良い的となってしまう。
「………っ!」
雫の宙釣りの足に触手がとうとう絡みつく。無表情なまま気丈に声を堪える少女。
「こっちを狙えよ!」
触手の数本に狙われながらも、無防備な雫を庇おうと鳴上は身を乗り出す。雫に向かっていた幾つかが鳴上をめがけ絡みつくのに、ファルシオンで応戦する。 刃先は触手を削ぐが、雫を狙うものまで引き受けた手数の多さに苦戦を強いられた。
影のよう黒い姿が音もなく飛び込んだ。近くに控えていたリョウだ。精緻な槍の穂先が雫に向かう触手を薙ぎ払い、それでも追いつかないと判断したところで彼も歌を口ずさむ。低く、不思議によく透る鮮やかな音。
歌姫を守る騎士の役。その歌の一つをアレンジしたものだ。
「祈りの彼方 想いの果てに ただ 誰かの――」
朗々と響く声に引き寄せられた触手の一本を槍で床に突き刺す。だん、と鈍い音が響いた。
「…後少し、まだだ、まだ」
攻防を喰いいるように見つめながら、舞台袖では月居が真剣な表情でタイミングを計る。
もどかしくはあったが、雨宮が奈落を閉じる間合いの兼ね合いもある。ある意味で、この作戦の要は阻霊陣にあると言っても良い。
リョウの合図に頷き、そして、もう一拍。心臓の跳ねる音も今は気にならない、ただ、目の前の役目に集中するのみだ。
醜いディアボロの姿が雫を追って、這い上がる、這い上がる、姿を――半分以上現した。
「お前も配役のうちだ…引っ込んでないでそろそろ出てきやがれ!」
渾身の力を込めて阻霊陣を舞台に貼りつける。月居の纏うアウルは、炎の如き紅蓮。立ち上るそれは、さながら反撃の狼煙のごとく。
「舞台開演。血濡れの舞台の始まりだぁ」
皮肉げな笑みを浮かべて雨宮が応じる。奈落が閉じて、舞台は完全なる一枚の板となる。
床板がディアボロの身体を押し上げ、奈落に住まうファントムは影を剥がれた。
「うっはぁ〜……これはグロい」
赤黒くぬらりと嫌な粘質を持つ巨大イソギンチャク。
舞台袖で待機していたしのぶは、全力で接敵目指して走り出している。
そして、辿りついた瞬間、間近でそんなものを拝む羽目になったのだった。
「でもこれで蹴れますからねっ!」
「フォローは自分がするっす。思いっきり暴れて下さい」
蹴りが届く射程なら、しのぶは迷わずに突っ込むつもりだ。共に走っていた株原はそう見てとると、フォローに回ることを素早く計算する。
「これっす、これが戦いっす…」
実際の戦場に踏み出した高揚と、実地での戦術計算。
実感が胸に押し寄せるのを感じながら、株原は武器を強く握り締めた。
●激戦の舞台
ディアボロは姿を現した。全てが、的確な作戦の賜物だろう。だがリスクもあった。
雫は宙吊りで身動きが取れず、鳴上も触手に絡みつかれている。リョウも援護が精いっぱいだ。
しのぶと株原が駆け寄ったが、まだ本体には距離がある。
戦局を把握して何より雫を解放するのが先だと判断したのは霧崎だ。攻撃行動に移る前に、装置を作動させて宙に浮き上がった雫を下ろしていく。
その間も触手の何本かが雫を打ち据え、回避に力を割けない少女を痛めつける。
「所詮はディアボロか。観劇を弁えないものだな」
手の届く位置に来た雫を躊躇わず抱え込み、片腕で槍を大ぶりに振るい間を取ってから小柄な彼女ごと離脱に駆ける。
「え、きゃ…っ!?」
普段クールな雫らしくもない悲鳴が上がった。
「俺はこっちだ、よそ見はさせないよ」
触手が雫に追いすがろうとするのを、ピストルでの威嚇射撃で気を惹く鳴上。
彼女に比べれば傷は浅いと言えども、一斉に狙われればただでは済まないことを覚悟の上で。
銃口も眼差しも、ディアボロから逸らしはしない。
触手が数本固まって鳴上を打つ間際、根元に打刀が叩きこまれる。
「やらせないっす。自分の力、どこまで通じるのか勝負っすよ」
立ち塞がるのは、株原の姿だ。手の中に生みだした黒い影は凝って手裏剣の形になり、見事にディアボロの本体に突き立つ。
リアルな実感に株原は思わず、拳を握る。ゲームや小説の世界でない、現実の舞台で彼は、仲間達は命をかけて戦っているのだ。
そして、このディアボロも。歌に惹かれ、舞台を蹂躙するこのディアボロは人間だったのだろうか?
「あなたがそうやって主役の女性ばかりを狙う理由は何なんすか…!?」
持ち前の素早さで紙一重、攻撃をかわして株原は問いかける。歌を執拗に狙うこのディアボロの意味を知りたいと願う。
「………ィ………」
一瞬、株原の耳に小さな音が届いた気がした。だが、攻勢はますます激しさを増す。
「なんで、あなたは!」
あくまで人として呼びかける株原の胸部に一撃が叩きつけられた。胸板が軋み、身体が瞬宙に浮く。
「危ないですっ!」
追撃を重ねようとするディアボロの横腹を仕返しとばかり鋭い蹴りが打つ。
スカートが撒くれ上がり、レガースを着けた脚が閃く。先程の羞恥心を見せることは、もうない。
しのぶが作ってくれた隙に、体勢を立て直した鳴上、株原が並び立つ。
「ギィイイイイイイイイイイイ!!!」
形成の不利を悟ったディアボロは耳障りな悲鳴を上げて床下に沈もうとする、が抵抗を感じて踏みとどまる。
奈落に戻ろうとすれば床を破らなければならない。破ることは不可能ではないが、攻撃の手を止めたら撃退士達に一方的に蹂躙されるだろう。
月居の口許にかすかな笑みが浮かぶ。だが、片手で阻霊陣を貼り、動けない彼に鞭のよう触手の一本が襲いかかった。
手を離せば、回避は容易だったかもしれない。だが、月居はそれをしない。
「く…ッ! 根競べ上等、やってやろうじゃねえか!」
真正面から睨み据える。一方的に腹を打たれ、肩を抉られる。それでも、月居は姿勢を揺らがせる気はない。
今の為に、これからの為に。戦場を見据え、刻みこむのだ。
――ギィイン、と鈍い銃声に遅れて月居の背を狙った触手が弾け飛ぶ。
形勢を見てとり、月居のフォローに回ったのは霧崎だ。
距離があろうが、霧崎のピストルであれば射程は広い。装置のあった場所からじりじりと距離を詰めながら、援護に回る。
「俺が狙う以上、背後は取らせん」
短く、だが狙撃手としての矜持を持った言葉だ。
「お疲れさまぁ。やらせないよぉ」
飄々とした風情でもう一人援護に回る。口端に笑みを浮かべた雨宮の眼差しは何処か険しい。
月居に並び立ち、的を分散させながら打刀で月居に絡もうとする触手を叩き伏せる。
「今日のボクは何故だか機嫌が悪い。だから大人しく斬られておけぇ」
「助かります! 絶対、こいつを奈落に返さねえ!」
月居が片手で狙いを定め、電光石火の勢いで剣を振り抜くと触手が数本纏めて千切れた。
「そちらは任せます。ここは、任せて下さい」
月居達に告げて、血と粘液で汚されたドレスを纏った雫がリョウに目で合図をしてから一気に接敵をする。
ワイヤーさえなければ、触手をかわすことも出来る。身体より大きいフランベルジェを容赦なく振りまわしてディアボロを叩き斬った。
リョウの手から目にもとまらぬ速さで投げ込まれた苦無がディアボロの胴体に突き立つ。
「……さんざん痛い思いさせてくれたね」
鳴上の手に握られたファルシオンに揺らめく、青白いアウル。一気に放たれ――、雫が描く三日月の軌道が重なる。
「行きますよっ! 全力ぅ……全!壊っ!!」
三者の連携でディアボロがよろめいた瞬間を、しのぶは逃しはしなかった。
零距離から身を低く沈め、山をも破壊するという強烈な一撃を叩きつける。足首から腿までがディアボロにめり込み、一気に振りぬく。
綺麗に閃く、会心のフォームだった。
ずううううううん、と鈍い音を立ててディアボロが横倒しに舞台へと埋まる。
「かくて魔は斃れたり、か。…ふん、勲詩にもならないな」
リョウの呟く音が、閉幕の合図だった。
●閉幕、そしてカーテンコール
「達成はしたけど、考えるべき事が多い依頼だったっす…。」
舞台を眺め呟くのは株原だ。
雨宮が、雫が捧げた花が血だまりには添えられている。
ディアボロが何を考えてこんなことをしたのか、答えはない。分からないから、株原は探ることを止めないだろう。思考を止めない、諦めない。。
耳の中に少しだけ残る、ディアボロの声。欲しい、と言ったのではなかっただろうか。綺麗な音を、歌を望む妄念。
だが確かめる術も、もうなかった。だから、株原は考え続ける。
(光と影、か)
舞台脇からその光景を眺める月居も、考え深げに目を伏せる。華やかな舞台と、奈落の暗闇。
「ともあれ、撃破は終わったな」
目深にフードを被り直した霧崎に声をかけられれば、いつもの軽い調子に戻り月居は笑う。
「緊張したなー」
凝った肩をほぐし回す。無我夢中で気づかなかったが、身体はガチガチで、そして痛い。
「お疲れ様です、手当てを……ぁ!?」
「大丈夫っ!?」
雫がスカートの裾を踏みつけて転びかけるのを、しのぶが慌てて支える。
クールな彼女にしては珍しいドジっぷりに雫なりの緊張が見て取れた。
「頑張ったよね私達」
元気あふれるしのぶの表情は優しくて、それに励まされるよう雫は口を開く。
「…歌おうと、思うんです」
誰のために、と皆が問わずとも分かった。
「いい考えだね。俺も是非、そうしたいよ」
真っ先に同意を示すのは鳴上だ。雫に手を差し出して、さあ、と招く。
応えて舞台の中央で雫は目を瞑り、可憐な歌を響かせる。
開幕の歌ではない。
歌姫が幸福を抱いて眠りにつく、最期の曲だ。
鳴上も、また歌う。相手役である雫に、少女を通して舞台の上で生を閉じた歌姫に。
彼女を恋し惜しみ、全てを包み込む歌を重ねる。子守唄のように。
リョウの低く口ずさむ音が、唱和に重なって行く。
二人の音色を邪魔せず、遮らず、全てを一つのハーモニーに紡ぎ上げる見事なアレンジで、観客のいない舞台は音色に満たされる。
「……はぁ〜、歌、上手ですね?」
音を邪魔せず聞きいるしのぶに、無言の頷きで同意する霧崎。
「聞こえてるといいよな」
穏やかな表情で、月居も光と影に彩られた舞台に、歌い手に想いを馳せる。
そんな彼らの傍らで、雨宮は台本を拾い上げる。舞台袖に落ちていた台本は歌姫の台詞を中心に書き込みがびっしりとあるものだ。
「ホント、なんでなんだろうなぁ」
どうしてこんなに苛立ったのか。何が気に入らないのか、雨宮には珍しく棘の如くささくれた感情が、理由のわからない衝動が生まれていた。
虚ろな筈の心に確かに芽生えた感情の侭、ディアボロを滅ぼし、花を手向け。今は、歌を聴く。仲間達の想いと共に。
柄ではないと、思いながらも。台本のタイトルを指先で一度だけ、撫でた。
『天上の音色』と記された文字は、血で汚れている。
観客のいない舞台で音を聴くのは今は八人だけ。
だが、またいつかこの劇場は人に満ちる。
彼らのお陰で、歌姫の名も哀惜と共に語り続けられるだろう。