●黄昏時に
七種 戒(
ja1267)がつるしたてるてる坊主が利いたのか晴れ。
薄くかかった雲は橙に染められる夕焼けの頃、皆は依頼の場所に辿り着いた。
少し離れた石舞台には、報告通り数体の異形が徘徊している。以前見つけた狩場で、新しい獲物を求めているのかもしれない。
「観月さん、今回は宜しくお願いします」
「あら、こちらこそ宜しくお願い致しますね?」
御手洗 紘人(
ja2549)の声に、観月 朱星(jz0086)が笑って答える。
主に皆の癒しをと行動方針を伝えてくれる彼と、いくつかのやり取りをして。
天魔を汚物以下の存在とこよなく憎む十八 九十七(
ja4233)が向ける眼差しは、今はむしろ静かなもの。
「鎮魂を乱した罪、安くは有りません事よ、ええ、はい」
冷ややかに言い放ち、愛用の銃を構えて身を低める。
「鎮魂の場です。取り返しましょうねー…!」
櫟 諏訪(
ja1215)は緑の布を被って、丁度良さそうな茂みを探す。緑のあほ毛がひょこんと揺れた。
「髪の色はそのまま保護色なので、隠れるのは楽ですよー?」
真面目な顔でそんなことを言う彼と七種は視線を見交わして、銃を構える。
既に時刻は夕暮れ。迅速に動かなければ、夜の闇が相手へのアドバンテージとなりかねない。射程のぎりぎりの範囲まで身を潜め膝で進んで。
未だ蹲る異形の数を確認すると、諏訪、と一言唇だけで呼びトリガーに指をかける。
――ダァン、と響く銃声は静かな山の中で殊更に木霊した。
立て続けの二発、狙い澄ました精密な軌道は熊の腹へと埋まる。
「グアアアアアアアア――!!!!」
獣の餓えた嗅覚が己を害したものの存在を捕え、全力での移動を始める。
しかしその前に走り抜けるのは、小柄な銀色の影。
「汝の相手をするは私だ」
指先が細く糸を張り巡らせていく。
蜘蛛の巣の如く編み上げられた糸は熊の皮膚を切り裂き、距離を取りながら挑発に声を上げる鬼無里 鴉鳥(
ja7179)。
「さァさァ、九十七ちゃんの前に現れた幸運なクソッタレのビチクソ■ァッキン天魔には焦げ死ぬか焼け死ぬか腸まき散らして死ぬかの選択肢を与えてやらアアアア!!」
高揚めいた笑いを隠しもせずに、針弾が銃口から飛び出す。分厚い毛皮を貫き、ごぼりと体液が溢れる。
仕返しとばかり前に出た二人に振るのは、これもまた針。
無数の細い鋭い針がハリネズミ型のディアボロから打ち出され、文字通り雨の如く前衛として立つ二人を穿つ。
「こっちに、来てもらいます!」
紘人が符を翳して、炎を札から生み出す。距離は、ぎりぎりの遠さで。
立て続けに打ち出した炎は、俊敏に避けられてしまうも存在を知らしめることにはなる。
ゆら、と動くがまだ距離は舞台に近い。
子猫巻 璃琥(
ja6500)は未だ茂みに隠れた侭、距離をじりじりと測ることになる。
視界の先には、舞台。
「巻き込んでしまうわけにはいかない…」
それは、この場にいる皆が今回抱えている制約だった。
故に、最前に突出する二人がもっとも覚悟を決めることになる。
真正面から袈裟懸けに熊の爪が鴉鳥の肩を抉り、鮮血が叢に散る。
「――引け、とは申し上げられません。だから、せめて」
観月が掌から零す光は癒しとして降るが、完全に傷を塞ぐには至らない。
「倒れるより先にファッキ■野郎をぶちこかせばノープロつまり死ねよォオオオオ!!!!!」
熊の方は引き離しが叶っている。故に、遠慮なくぶちかます。
避ける気も無いらしい熊の腹部から、赤い血の華が咲いた。
「さて、こっちだ。余所見はさせんよ、っと」
戒が放つのはネズミへと。前衛が狙い打たれるのを防ぐ為に、牽制めいた一撃を狙い澄まして。
「動き出しましたねー!」
共に櫟も重ねながらじりじりと下がりながら誘導に距離を取り。
「僕も、フォローに回ります」
御手洗がトワイライトの光を纏う。きらきらと輝く光は、惹きつける為。そして、同時に視界の暗くなり始めた場所に光源を齎せたことは大きい。
ネズミの一匹が突出して、――光の元である御手洗を中心に、灰色の球を投擲する。針の塊は辺りを跳ねまわるよう、彼の周辺へ無数の針を打ち出す―!
「く…っ、まだ、大丈夫です!!」
「捕まえます!」
一瞬で体中を切り裂かれた彼に代わって、璃琥が言葉鋭く札を翳す。呼び出されるのは無数の腕――。
「…駄目、通さない」
青の眼差しがゆら、と真剣な熱を帯びて逃れようとする獣を、力任せにアウルの力で捕まえる。
仲間が捕まったのを見たのか、もう一体のネズミもまた射手の方へと移動しながら針を降らせていく。
「しっかり狙わせてもらいますねー!」
近くに来たならなおさら、と針の雨を浴びながらも射撃体勢だけは崩さない櫟が銃弾を叩き込む。この距離で、彼が外す筈も無かった。
ギャン!と悲鳴を上げて後ろに跳ぶネズミの固さ自体は、さしてでもないようだ。
「なら、こちらから仕留めるとしよう。閻羅の理、見せてやろう」
音も無く、鴉鳥が懐へと瞬時に踏み込む。蛍丸を抜き放つ――その瞬には既に、刃は光を纏い。
大きな刃を軽々と操る痩躯。そして、衝撃波が一気に解き放たれる――!!
たたらを踏む瞬に、櫟の銃口が確かに熊を捕え、倒れる暇も与えずに頭部を撃ち抜いていく。
「後は、こちらですか。――来れ、常闇の捕縛者よ」
符を翳す彼が朗、と宣言すると符から湧き出すのは無数の影、影、影。
黒い何かが食らいつくが如く固定する。
機を逃さずに、戒が正確な狙いで銃弾を食らわせていく。固定さえしてしまえば、後は彼女達の良い的に過ぎなかった。
「なら、後はぶっ壊す。バインドアンドデストロイ、このクズ■■が、うらァアアア!!! 焔け死ねェ!」
奇声を張り上げ、弾丸の交換を終えたばかりの銃を、十八が構える。彼女もまた無数の傷を負ってはいたが、何一つたじろぐ気配は無く。
先んじて符から電気を走らせ、璃琥が捕えたネズミに向かい――発砲。
とたん、大爆音と爆発が巻き起こり、火炎が龍の吐息の如く何もかもを薙ぎ払い、焼き払う。
後には、焼け焦げた獣がうち伏すのみ。
「無事、か」
もう一体を撃ち抜いた戒が確認した先には、欠けも無い舞台。
●蛍舞
始まりは澄んだ高い音。
準備を終えた頃には闇は深く、舞台の篝火が左右に焚かれ、炎が揺らめく。
片膝を立てて舞台奥に座す欅が、神妙な面持ちで奏でる一音で奉納の始まりを告げる。
舞い手は二人。共に、朱と白の衣装に身を包む、戒と鴉鳥だ。
最初は蹲り、身を捧げるよう深く頭を垂れた姿勢から。
笛の音が微かな旋律を奏でるのに合わせて先に戒が緩慢に身を起こしていく。
衣擦れすら聞こえる澄んだ空気の中、風がそよぐように指が動く。
空に差し伸べるてのひらは何かを招く所作。
顔を上げた拍子に黒髪がさら、と流れ静かな面差しが晒される。表情はただ、静謐。
ただ、定められた習わしの通りに。
誰かの思いを乗せるでなく、肩代わりのつもりでもなく。
誰にでもなく、奉ずるもの。
決められた型に忠実に、はるけき昔から脈々と伝えられた鎮魂の舞を、辿る。
風が動き、布は流れを素直に孕む。
その流れさえ計算し尽くした動作で、ゆるりと鴉鳥もまた動く。
丁度、戒とは背中合わせの立ち位置で、振り付けは少し異なる。
踏み出す距離は僅かに半歩。
傾げる首の角度も、細やかな足運びも、舞に慣れたものの所作で、ぞくりとする程荘厳に。
舞など家を出てからは久方振り、等と言っていた彼女の動きは一糸の狂いも無い。
色薄い髪に、肌に、端正な横顔を炎の色が輝かせる。
閉じた扇を差し伸べて、開く。
蛍を、いのちを、招くよう。
彼女らの舞を導くのは、乱れぬ笛の旋律。
他の音楽は無く、ただその音だけが全てを統べる。
何度も練習し、既に符をみなくとも音の流れは櫟にある。
鎮魂を、祈りを。
心が、失われた者達に届くよう。
想いを抱く単純な筈の楽器は、驚くほど豊かに夜を渡る。
最初は微かに、次第に確かな音で舞へと寄り添い。
最期の音は、一際高い。
高く高く。
丁度、舞手の腕が同じ動きで重なり、遙かに頭上へ何か解き放つ仕草として両腕を広げている。
その舞に空、と促されたような心地になって自然、彼は振り仰ぐ。
気がつけば、無数の蛍が彼の側から飛び立っていった。
空へ。
その一方で。
「あれ!?これ女性用じゃないのですか!?僕は男なのです!!」
何をどう取り違えたのか、御手洗が纏うのは朱の袴に刺繍の施された衣装。
つまりは、どこをどう見ても女物であった。
「うぅ……僕は男なのに………」
なおかつ、舞台の前の着付けや準備のどたばたでどこをどう間違ったのか、一人だけ小川の方に迷い込むという念の入った可哀想っぷりである。
故に、誰一人抗議を聞いてもくれず、着替えも出来やしない。
寂しく、迷子になるばかり。
しかしながら、彼もナチュラルボーンな不幸属性として立ち直りは早い。
小さく笑ってしまって、手の中の扇を握り締める。
「まぁ、誰も見ていないのでちょうどいいのです」
足下は幸い河原ではなく、土の場所。
遠くから笛の音は風が運んでくれて、舞の形は覚えている。
なら、どこでだって舞えるだろう。
一動作目を、音に合わせて舞ってみる。夜ごと抱きしめるような所作で。
そうすれば後は難しくはなかった。
練習よりも少しだけ伸びやかに、大きく。誰もいない川べりなら、心の赴く儘自由にと。
アウルが解き放たれて、周囲にはいつしか不思議な光がいくつも浮かび上がる。光纏によって、生まれた狐火。
水に寄せられた蛍が火の側で
炎と蛍と、――光を対の舞い手として。
色彩の薄い少女めいた容姿は、今は女性というよりは性別の無い巫子のようにも見える。
目を瞑り、定められた韻を刻みながら彼もまた、暫くを舞う。
「どうか迷わないで天国に行って欲しいのです」
彼の囁きを聞くのもまた、蛍だけ。
●此岸と彼岸の境目
「綺麗ですこと」
離れた位置から舞を見守る十八は、銃を片手に警戒の姿勢を崩さない。
参加の動機の一つでもある友人の姿に向ける眼差しは優しい。今ばかりは軽口も無く。
撮影を終えた観月が炎に照らされる横顔を覗きこむ。
「ええ、とても素敵です。なのにどうして十八さんはご参加なさらないのですか? 舞、お嫌いですか?」
残念と顔に書いた問いに、びく、と後ろに引き気味の十八。
「め、面倒とかじゃあないんですのよ。ただ、ええ、はい、その…柄じゃない的に気恥ずかしいと言いますかそんな感じ故」
目がうろうろと泳ぐ。
傍らの炎が移るせいだろうか頬が少し染まる姿にいやではない、だけを聞き取る観月が世にも幸福そうに笑い、手を取らんばかりに詰め寄った。
「では、この次の機会にはきっと舞われるのですね。朱星、大変楽しみです」
「えっ」
十八が何か答える前に、着替えが終わった集団が小川へと歩いてくる。
「灯篭流しのターンですねお帰りなさいませですの」
早口で戒を迎える十八に、どうした等と声をかけながら彼女もまた川へと視線を移す。
流れる先には、無数の蛍。
「『蛍』の由来を知ってるかね?諸説あるが、私は星が落ちる、の『星垂る』というのが一番好きでな…ほら、こんなに澄んだ夜だともう区別がつかんだろうて」 掌に受けて、ふと口にするのを、胸に手を当てて観月が聞き入り。
「なら、星を手に取ることも出来るのですね」
眩しげに、小さく囁く。丁度、そのタイミングで蛍が舞い上がる。
「…そしてまた、魂を連れて星に還る、とは誰の言だったか」
鎮魂すら自己満足、と続ける声は誰かにではなく己に綴るものなのだろう。
「――私達は生きるのですから。よくばりで、いたいですね」
そんな風に観月が答える。
傍らでは、準備の出来た灯籠を幾つも抱えて璃琥も姿を現す。
着付けや片づけなども終えた、と報告と共に。
「本当にお疲れさまでした。間に合って良かったです」
声をかける観月に軽く彼女は微笑む。
灯篭を多く作っておく、と彼女は決めていた。
それは流し損ねた人々の為に。そして、己の手で。
「こういうのは自分の手で想いを込めて作り、その想いも一緒に流すモノでしょうから」
そう言って、己の手で一つ一つ彼女は作ることに決めたのだ。
合間に観月や手の空いているものは手伝いもしたのかもしれない。
結果として、十分な量の灯籠が集まり、大事そうに抱えた一つをまず、川へと浮かべる。
水の清浄な流れに乗って、岸辺から何処か、海へつながるところへ。
光は、揺れる、流れる。
その向こうの誰かに届く灯火として。
横顔に今はいつものふざけた様子はない。
凛とした眼差しが僅かに伏せられ、次の灯籠を。
そこには、彼女が綴った手紙がある。
「どうか天国の2人に届きますように……」
もう会えない、先に旅立った人。
彼女に笑顔を、望んだ人。
胸の痛みは癒えたわけではなく、何かを忘れた訳でもない。
ただ日々のもたらす新しい温度を胸に宿して、苦しくも愛しくも生きているのだと。
「少しだけ、笑えてもいます」
今は亡き人へ、未だ彼岸にいくに遠い彼女は水を隔てて光を示す。
蛍が舞い、灯籠が流れる。
小さな川には、光が溢れていた。
押しつける強さでなく、ただあるが儘に光るかそけきもののうつくしさを、その風情を鴉鳥は飽かず見遣る。
「美しいものだな」
この世の景色でもないかの如く幻想的な光景を愛でる口元は少しだけ柔らかい。
そして依頼人から預かった灯篭を櫟が浮かべる。
水の波にゆらゆらと飲まれて、光が水面を舞い踊る。
「この場で亡くなられた皆さんの魂に安らぎがありますように…」
光を収めていたカメラを彼は振り返り。
「自分だけ生き残ってしまったのは自分じゃ想像もできないほどつらいでしょうけど、きっと精一杯生きてほしいと思っているはずですよー?」
静かな声で、囁く。
十八が岸辺からふと立ち上がり、銃を抜き放つ。
銃口が示すのは、真っ直ぐに空。
星の輝く、夜の向こう。
水の向こうも、空の向こうも彼岸に続いているのかもしれない。
蛍を焦がさぬよう距離を置いて、殊更に盛大に爆音が響いた。
何処からも見える、夜空焦がすほどの炎が巻き起こる。
確かにあるすべてを照らし、命の強さを見せる煌めきで。
「天魔の撲滅と世の安寧は生者の領分故。後は、――お休みなさいませ」
高く銃を掲げる彼女の傍にもまた蛍は飽かず舞い散る。
映像が届くのは少し後。
ただ、同じ日、同じ夜。
舞台の無事を、動けない身体でひたすらに思いを馳せていた依頼人の病室に仄かな灯が舞い込む。
何処から迷い込んだのか。
甘く香る夜露と草の匂いを運んできた一匹の蛍は彼の手でぼう、光を瞬かせる。
何を思ってか、何を願ってか。
蛍を見て、自分を見て。
彼はその夜。
少しだけ、泣いた。
この先も生きる為に。