●咲き初めし百合
鴉守 凛(
ja5462)は読書をしていた。
教室の片隅で、表情薄い静かな面差しは、目だけが文を追いに動く。
白く通る肌に睫毛が落とす影は淡く、時折に零れる微かな吐息は文章の余韻を辿っているのか。
絵のように整った光景だった。
彼女は最後に本を置き、ふとカバーを外して表紙へと見入る。
描かれるのは二人の華奢な少女が抱き合う絵。
「…予習は終了ですねえ」
ごく真剣な面持ちで鴉守は本を置き、立ち上がる。
かくして、彼女は百合に挑むのであった。
「……あ、あっ、あ、ああの、たたちばなです…」
いかにも野暮ったい少女が身を縮めるのにレイラ(
ja0365)は明るく、弾む声を返す。
「初めまして、今日はお手伝いします。是非とも、応援させてください」
自分の気持ちを躊躇なく、優しく好意として出せる彼女の言葉は清々しい。
「はじめまして、暮居凪よ。今日はよろしくお願いするわね」
重ねて、落ち着いた柔らかな音。暮居 凪(
ja0503)の立ち姿は背筋の伸びた、すらりとしたもの。
硝子の奥の眼差しは、澄んだ水のように凪いでいて、口元には作ったのでない、ごく自然な笑みが湛えられている。
口々に挨拶を告げる彼女らを見て、一瞬橘が見せるのは羨望と憧れ――、そして諦め。
前途多難ねぇ、とひそかに溜息を洩らすのは雨宮アカリ(
ja4010)。
彼女にだって前途多難である。
今回は抹殺対象も無ければ兵器の使用も認められていない。
己の体一つで挑むのだ。
雨宮は雨宮なりに気合いが要る。洗練し最適化された思考でもって、少女と距離を近付ける為に練り上げた挨拶を今、告げる――!
「雨宮アカリよぉ。専門は空挺作戦と市街戦。よろしくねぇ♪」
「…えっ!?」
趣味は下等生物の虐殺です、と全開の笑顔で言われた時の如く名状しがたい顔で橘硬直。
呆然とする橘に、強引に割って入るのは蘇芳 更紗(
ja8374)だ。
「まずは、買い物に行くとしよう」
男らしい口調で、男らしい角度で(本人基準)、凛々しく蘇芳が言い切る。
ちなみに彼女、はたから見ると幼さを未だ面差しに残す、愛らしい少女である。
「行きましょう、僕先輩と買い物がしたいです」
ここは押し切れ。仲間達とアイコンタクトをして、御守 陸(
ja6074)が控え目に、けれど有無を言わせない強さで誘う。
「……は、はい」
観念して橘は歩き出す。確かに前途は多難であるようだった。
●イメチェン大作戦
「どんな服がいいでしょうね」
「…俺、浮いてねえか?」
真剣な御守に遊佐 篤(
ja0628)が多少こめかみを押さえながらも。
「いいや、アツく行くぜ! だがこういうのは女の方がわかるだろ」
そう女性陣を見ると真剣に語り合っている。
「綺麗な髪質ですので、長さは残しましょう。服装は清楚さをいれつつ明るめで快活な感じにしてみたらどうでしょう」
これくらい、と実例を示すレイラ。
「美容室に放り込むか。その後は薄く化粧を施すことにしよう」
うむ、と男前に頷く蘇芳。
「そうね、メイクも服も派手すぎないように。メイクと髪型の感じを見て、それから実際服を合わせるのがいいでしょうね」
さっそく服の物色にかかる暮居。
「メイクはカウンターでして貰いましょうかぁ」
地図を無駄に正確にマッピングして最短ルートを算出してしまっている雨宮。
「……プロだな」
てきぱきと決めていく少女達を遊佐はしみじみと見遣る。
「誘いの方で俺達は主に手伝うことになるかな」
待つ間に、翡翠 龍斗(
ja7594)はベンチに座ってビーズをテグスに通し、手早く処理をしていく。
明るめの淡い色に時折鮮やかな色をアクセントに挟む。
慣れた指先はくるくると器用に動き、色が編まれて行くが未だ何が作られるかはお楽しみ、だった。
「準備、出来ましたよ」
そうして、華やかな一団が男性陣へと合流する。
「あ、い…っ、うう……。ええええっ、うううう」
母音だけで構成された悲鳴を上げる橘、漸くのお披露目。
長さを残して整えた髪、メガネはコンタクトに。
メイクも自然に薄め、色味を混ぜるのは少しだけ。
マキシ丈シフォンスカート、シャーベットカラーのキャミにボレロを合わせ。
皆の意見でもって作られた完成品である。
「ちょ、カワイイじゃない!いい感じよぉ♪」
まんざらでもなく、雨宮が褒める。
「素材は悪くないし、やれば驚くほど化ける、いいねぇ、実にいい、ようやく本来あるべき姿になったな」
童顔を綻ばせて、蘇芳も過剰な程に捲し立てて褒める。
ここで盛り立てずしてなんとする、気持ちを盛り上げて自信を持たせることが重要。
半信半疑ながらも、人生で初めて他人に褒められた少女、橘は俯いていた眼差しをそろりとあげる。
「すごくかわいいですよっ」
素直に表現するのは御守だ。目が合えば、すかさずにこりと笑う。
「ん、いいセンスだ。綺麗なもんじゃねえか」
直球故に、遊佐の素直な感想もまた少女に届く。すぐに、真っ赤になって俯いてしまうが。
少しだけ、ほんの少しだけ。
「……先輩も、気に入ってくれる…、かな?」
解れた心が、皆を見渡して。
「ええ、大丈夫よ」
暮居が請け負ったところで、蘇芳が一歩進み出る。
「では、慣れる為にこの侭カフェに赴くとするか。人前に姿を晒すがよかろう」
「……えっ!?」
こうしてなし崩しに下見までを終わらせることになったのだった。
●空を見上げて
暮居は迷わず、彼女の背にまず掌を添える。
「それじゃあ、深呼吸して。息を吸った状態で――軽く上を向く感じに」
橘は顎を上げ、天井の方へと視線を流す、……が、すぐへしょと背中が丸くなる。
小さくなっている彼女に、苛立ちもせず優しく。
「いい? 上を見るの。こんな風に」
姿勢を正し、背筋はまっすぐ。暮居の眼差しは、確かに上へと。
それは、この場の姿勢だけでなく、彼女がいつもそうあるような心の表れとして、綺麗に。
すてき、小さく橘は呟く。そして、自分もほんの少しだけ背筋を伸ばしてみる。
「――そう。その姿勢が一番いいわよ。大丈夫、私が保証するわ」
花みたいに笑う暮居に励まされて、少しだけ橘も笑みを作る。
「ええ、とても可愛らしいですよ。次は歩いてみましょうか」
レイラがさりげなくエスコート。出来たところを褒める。出来なくても優しく励ます。
「人が人を好きになるのはとても不思議でとても素敵なことですよね」
心の底から、愛おしげに橘を見守りほう、と息を吐く。レイラの表情はとても、優しい。
しかしながら橘のメンタルは素麺並み。
「じゃあ次は…」
鴉守が言い終える前に蹲ってしまう。
「やっぱり無理無理無理無理私なんて…」
そして陥るネガティブ。後は、――ただ勇気なのだけれど。
ずずい、と踏み出すのは鬼軍曹雨宮。
「アトンションッ!自分の気持ちから逃げるのかしらぁ!?失敗して傷付くのがそんなに怖い?これは自分を変えるチャンスなのよぉ!」
「…か、かえ…る?」
「本作戦の目標は挑戦心の会得。戦場に踏み出せもしない兵士は、兵士ですらないわねぇ。…、…じゃなくて」
咳払い。
「傷ついてもなお前進する勇気があれば、結果がどうあれ、それはあなたの掴み取った『自分への勝利』だわぁ」
きりりと吊り上った眼差しが、ふ、と綻ぶ。勝利、その響きを大事に噛み締める。
「変わりたいから、依頼をしたのよねぇ? だから私達はここにいるのよぅ。敗北は簡単だわぁ、諦めればいいだけだもの」
言葉は強く、だからこそ届くものもある。
落ち着くのを待って、再度鴉守が声をかける。
「難しいことより先に考えましょうか…。…助けて貰ってどう思ったのですかねえ…」
いきなりの誘い、でなくハードルを下げての誘導。
「…や、やさしくて、だれも、助けてくれないと思ってたから、みて…くれてて…うれし、かった…」
「…嬉しいから御礼、させて貰えないですか…、ってそんな風に思ってるだけですよねえ…」
気持ちを伝えることに切り替えていく手法は成程流石だ。橘は、あれ? それだけなんだ、と納得する。
「先輩、『言えない』って言うのは『言わない』のと同じです。『言わなかった気持ち』は、相手にすれば『ない』のと同じになっちゃいます・・・。伝えたい気持ちはちゃんと伝えなきゃだめです。」
大事なお礼の気持ちを、閉じ込めてしまうのはさみしいです、と御守は続ける。
「…あっ、はい…。じゃあ、どうやったら…」
「いいか? 相手を誘うってのは、相手に好意をもっているってことをポジティブに受け止めてもらうことが大事だ!」
頃合を見計らって、まっすぐ目を見て語るいつでも全力のアツい男、遊佐。いつもより随分大人しい服を着ているのは正しい気遣いだろう。
今は真剣な表情で橘は聞き入っている。
「俺もチームをやってるんだが……あ、べ、別に不良チームでなく、クラブ的なものだからな?なんかこう、仲のいい奴があつまる感じの。
ま、それはともかく…チームメイトに勧誘するときは好意を示してる。
まずは、その人に自分は興味があって、デートしてくれたら嬉しいってことをストレートな言葉で伝えるんだ!」
実例で伝えるのは効果があったようだ。息が少し解れる。
「あ、あの…きっと、素敵なチーム…ですね。わ、私も、そんな風に、お互い、……好意、好意…」
「お前さんは、その先輩の何処に魅かれたんだい?」
翡翠も話を引き出していく。伝えるべきことを一つずつ。
悩む彼女にもう少しだけ助け舟。
「俺なら、『この前の礼にメシでもおごりたいんですけどどーっすか?美味いとこみつけたんで、つきあってもらえませんか?』って誘うけど…」
「そうだな、店を提示して誘うのはいいだろう。自分らしく、言葉にしてみないか」
翡翠からも同意を得たところで、ならば、実践。
●予行練習
「簡単なところから攻めるのがいいだろう」
蘇芳の提案によって、まずは御守から。いかにも優しげで大人しい風貌は、確かにとっつきやすそうだ。
深呼吸して、背筋を伸ばして。
「……あの、その、お店がおいしくてごは、たべぎゅ…っ!」
噛んだ。
だが御守は勿論、笑ったりしない。よく頑張りましたね、先輩、と褒めてから優しく、セリフの練習を一緒に。
二回目、対象鴉守。
あまり絡んでいない相手が逆にやりにくくてハードルが上がるだろう、という計算だ。
「……あ、あのあの、…鴉守さん…何が、お好きですか?」
誘ってない。というか鴉守、わりと予想外に懐かれている。
三回目、対象雨宮。
これが最後だ鬼軍曹。敢えて無愛想な面を作って見せたりと、そっぽを向くのに、余念も無い。
「………」
すう、と息を吸い。背筋を教えて貰ったように伸ばして、雨宮の真正面に立ち直す。
「……今日、たくさん、優しくしてくれて…挑戦するの、大事だって教えてくれて…有難うございました。お礼に、一緒にご飯、…食べませんか? 素敵なお店が、あるんです」
言えた。
雨宮に、心から零れる感謝を、形にして。
「やったじゃねえか!デート当日もこの調子で頑張れよ!」
「今君は生まれ変わり、新しい自分として歩き始めた訳だ、気分は如何だ?」
ここぞとばかり褒めてくれる面々に、橘は泣きそうに笑った。
雨宮がそっと手に握らせてくれるのは、バレッタ。
「本番でもう駄目だと思ったらこれを握りなさぁい。あと5分間だけ、頑張れるわぁ」
言われた通りに、ぎゅ、とバレッタを握りしめて見せる。
その手に更に重ねられるのは、先程編み上げた色とりどりのビーズブレスレット。驚いて顔を上げると、翡翠が口端を上げ小気味良く笑う。
「っと、これは変な意味でのプレゼントじゃないぞ? 誰かの幸せを見るのは嫌じゃないからな。この殺伐とした時代に良い物を見せて貰った、御礼さ」
とどめはそして、文庫本。
「…怖くなったら妄想して頭を真っ白にすると良いですねえ…」
先程まで読んでいた百合本である。さあ遠慮なく百合の世界へ、と背中を押す気満々の鴉守。本番も頑張って、と微笑みがちらりと見えた。
「…けれど、結構お好きなようですよ灯先輩」
こそ、と耳打ちをするのはリサーチ済みのレイラだった。彼女は二人の趣味嗜好を聞き出して、共通の話題を提供するという気のきかせっぷりだ。
「あ、有難うございます、……こんな、こんな…っ! 私、行きます。見ててください…!」
「え、ちょっと待って…」
誰かが止めるのも聞かず、皆からの贈り物を抱えた侭走り出す、勇気は一瞬、鉄は熱いうちに打て。
メールが入る。今から、校庭で話します、と。
●花開く
「……直情型だわぁ」
ぼやきながらも、潜伏するのはお手の物の雨宮が様子を窺う。顔には心配、とありありと書いてあった。
横で見ていた御守が、眩しげに眼を細めた。
「先輩、幸せそうでしたね・・・。」
いつかあんなふうに胸を掻きたてる熱が生まれるのだろうか。蕾はここにあるのだろうか。
鴉守の表情には、どこか憂いの陰りがある。
「年下の子でも頑張ろうとしてるのに私はまだ友達も作れない…」
彼女の頑張りが微笑ましいと同じくらい、どこかで痛む心。自分の影を、引き出されるようで。
三者三様に見守る中橘は駆け寄っていく。
思い出すのは先程暮居が話してくれた、小さな宝物のような話。
今の橘のように暮居を慕った思いを受け止めた話。
「彼女達のおかげで、乗り切れた事の方が多いわ。だから、感謝してるわよ」
傍に居てくれて、幸せだったのだと暮居は教えてくれた。
自分の思いだって迷惑じゃないのかもしれない。皆の言うように、ちゃんと伝えられるなら。
「……あら? どうしたのかしら」
おっとりと笑う先輩はやっぱり眩しすぎて、覚悟がいる。
でも、
(戦の勝利は最後の5分間にあるんですよね…!)
なら、その五分を勝ち取ろう。
「……あ、あの、あの、お礼、がしたくって。…素敵なお店が、あるんです。優しい、大事な人達が連れて行ってくれた、かわいい、カフェ」
つっかえつっかえ、しどろもどろ。
震える声を、無理矢理励まして。
見上げた先輩が、空に星でも見つけたように優しく、そっと手を取る。
「じゃあお話を聞かせてちょうだいな。貴女に勇気をくれた、魔法使いさん達の」
「……は、ははい…!」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で、何度も、何度も橘は頷くばかりだった。
後日。
皆宛の手紙に同封されるのはバレッタ。ビーズ細工が刻まれて戻ってきた。
勿論返さなくていい、と雨宮は言ったのだけれど。
『…私も、貴方におまじないを、渡せますように。ビーズは、翡翠さんの綺麗だったから』
有難うございました。
鴉守に、皆に教わった言葉を、ちゃんと彼女は使っている。
気持ちは言わなければ伝わらない、好意を正しく伝えること。
『いつか、友達になって下さいって言いに行きます。大好きな、八人の皆さんに』
手紙に伝えられる言葉は、確かに届く。