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夏の山中は青々と色づいていた。
「のどかな場所に出たディアボロの殲滅……依頼で示された内容は極シンプル、だよねぇ」
笹鳴 十一(
ja0101)が言った。
「ああ……やるべきことはわかってる。けど……悪い」
紫の髪をした青年の視線が探しているのは、ディアボロが集まっている広場ではなかった。
天険 突破(
jb0947)には、敵を倒すこと以上にしたいことがあったのだ。
行方知れずとなっているという親子は諦めろといわれて、そうですかと頷ける突破ではない。
踏み固められた土の足場を駆け抜けていく撃退士たち。
目的の広場が見えてきた。
そして、誰かが踏み荒らした痕跡の残る茂みもだ。
「今はまずこの広場にいる敵の対処が優先されますけれど……一縷の望みに掛けたい気持ちもよく分かります」
ゆったりとした黒髪を綺麗に編んだ楊 玲花(
ja0249)が優雅に微笑む。
「そうですね。守るべきものを守るのが、私たち撃退士の務めですから」
迷いのない突破の表情に、イリン・フーダット(
jb2959)が頷く。
「助けたいモノを全て助けるのは難しいこと……だけど、もうこの手が届かないのは沢山だ」
柔らかな癖っ毛の少年も同意する。
言った青空・アルベール(
ja0732)やイリンに限らず、この依頼を受けた撃退士8人のうち多くは突破の気持ちは理解できていただろう。
だが、人助けのために天魔を放置するわけにはいかない。
できるのは、本来よりも少ない人数で敵を襲撃し、幾人かを探索に向かわせること。
「ここはわたし達に任せて下さい。片付け次第我々も捜索に向かいますから、吉報をお待ちしています」
玲花がヒヒイロカネから巻物を取り出す。
「遠慮は要りませんよ。助けたいのは突破さんたちだけじゃないんですからね」
エルディン(
jb2504)の言葉は、身にまとった聖職者の服装に反し、堅苦しさのないものだった。
広場に飛び込めば、おそらくすぐに敵が襲ってくるだろう。
それよりも早く、突破とイリン、アルベールは茂みの中へと飛び込んでいく。
許されるなら他にも親子の探索に加わりたい者がいたかもしれないが、天魔の撃破も果たさなければならない以上、割ける戦力は3人が限界だった。
「天険君、青空君、イリン君、貴方達なら必ず親子を救ってくれると信じていますよ!」
走っていく背中に、袋井 雅人(
jb1469)が呼びかける。
黒縁の眼鏡をかけた、標準的な日本人といった雰囲気の雅人は両刃の直剣を構える。
「まぁこっちは任して、その代わりそっち頼むねぇ」
十一も彼らに声をかけて、見送った。
3人が走っていった音を聞きつけたか、腰ほどの高さもある巨大なカマキリが威嚇するように声を発しながら向かってくる。
広場に散らばっていた奇妙な蛾もゆっくりと撃退士たちに近づいてくる。
「ちょっと厳しい数だけど、頑張ろうか。たまには、働いておかないと、単位が取れないからね」
沙原 葉月(
jb5655)はいつも通りの笑みを浮かべて、細い目で接近してくる敵を見据えた。
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広場に踏み込んだ5人の撃退士へ、ディアボロたちが近づいてくる。
十一はあわてて踏み込むようなことはしなかった。
ウイルスが鱗粉をばらまきはじめる。
7体の巨大蛾によって撒き散らされる粉は広場を埋め尽くしていく。
だが、十一が待ったのはそれを無効化する手段を得るためだ。
「エルディンサン、頼んだぜぇ」
「ふふふ、私の輝かしい神気で穢れし燐粉なんぞ退けて見せましょう」
金髪をきらめかせ、輝く笑みを浮かべた神父が杖を十一に向ける。
アウルの光が十一へと飛んで、その身に刻印を刻み込む。
それは悪魔の力が篭もった鱗粉から十一の身を守る力だった。
十一と、さらに雅人が支援を受けている間に玲花がラージマンティスへと棒手裏剣を投げた。
木々の合間から差し込む陽光がマンティスの影を作り出している。
影に突き刺さった棒手裏剣が敵の動きを縫いとめた。
葉月も支援が終わるまでは突出せず、大剣を構えて敵は牽制している。
近づいてこないと見て、ウイルスはさらに接近して鱗粉を撒き散らし始めた。
「これじゃあ前もろくに見えねぇな。山の空気を……汚すんじゃねーよ!」
進路をふさぐ鱗粉に、十一はイリンから借りてきていた火炎放射器に持ち替える。
アウルが生み出した炎は、本物の炎ではない。
本物の鱗粉ならばけして燃えなかっただろうが、天魔の力で生み出された鱗粉はアウルの炎に焼かれて、その密度を確実に減じている。
エルディンが雅人にも刻印を刻む。眼鏡の青年が薄まった鱗粉の中へ踏み込み、踊るように敵を切り裂いた。
玲華はまず、ラージマンティスに狙いを定めた。
クレイモアを手にした葉月も蟷螂に切りかかっている。
2人がマンティスを攻めている間に、エルディンから聖なる刻印を刻まれた十一と雅人はウイルスたちを駆逐するために動いているようだった。
放った炎刃が敵を焼ききると、クレイモアが胴を薙ぐ。
しかし、天魔はそれで容易く倒せる相手ではないようだった。
「一気に片付けるのは無理がありますわね」
なるべく急いで片付けて、突破たちの探索を手伝いに行ってやりたいところではあったのだが。
蟷螂が反撃にと振り下ろした鎌を、葉月の剣が受け止める。
「ふふっ、危ない危ない」
飄々とした様子で攻撃をしのぐ。
とはいえ、紙一重の攻防であったことは疑いようもない。
鎌を受けたときはいつでも回復できるよう、エルディンは気を配っているようだ。
「簡単に倒せないなら、せめて少しでも大人しくしていていただきますわ」
玲華は再び棒手裏剣を構えた。
縛った影を引き剥がして敵が動き出す……葉月へ鎌が一閃した直後に、再び手裏剣はラージマンティスの影を縫いとめていた。
雅人はウイルスたちに切り込んでいた。
巨大蛾の振りまく鱗粉は、聖なる刻印のおかげでほとんど効いてはいない。
鱗粉が効かないことを察して仕掛けてきた攻撃も、マンティスの攻撃に比べればか弱いものだ。
「我々を信じて敵を任せてくれた仲間達のため、さくっとあっといういう間に殲滅しますかね」
刻印の効果がある間に、敵を減らさなければならない。
だが、ふらふらと飛び回っているように見えて、意外と無軌道な動きではないらしい。
傷ついたウイルスは雅人や十一の攻撃範囲を避けて、マンティスと戦う玲花や葉月の視界に移動し、踊り始めるのだ。
十一が銀色の曲刀を抜き放つと、アウルの刃が飛翔した。
切り裂かれて、踊るウイルスの体液が飛び散る。
「タイミングを計っていられる状況ではありませんね」
冥府の風をまとって、雅人は敵中に踏み込む。
木々が落とす影の中に溶け込んだ。
すべるような動きにあわせて振るった波打つ赤色の刃が、影の中にかすかに見え隠れする。
今しがた十一が切った敵を含めて3体のウイルスが死の舞踏に巻き込まれ、自ら撒き散らした鱗粉の中を地面に落ちていった。
「これで半分です……!」
息を吐く間もなく残ったウイルスへ刃を向ける雅人。
「気をつけてくださいませ、雅人さん!」
玲花の声が耳に届いたのは、風を切る音と同時だった。
ラージマンティスが葉月の頭上を飛び越えて、頭上から鎌を振り下ろしてきたのだ。
落下の速度を乗せた強烈な斬撃が、青年を大地に打ち倒した。
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イリンは光の翼を広げて木々の生い茂る山の中を探索していた。
果たして助けるべき者たちはまだ生きているのだろうか。わからずとも、生真面目な彼は黙って手がかりを探し続けている。
とても見通しがいいとはいえない山の中では、時間制限があるとはいえ空を飛べる彼は探索の中で重要な位置を占めているはずだ。
下のほうから声が聞こえた。
「血の痕があるみたいだよ、イリン。まだ乾いてないみたいだ。きっとこの近くにいるんだね」
アルベールの言葉を聞いた天使は急いで、しかしおちついて周囲を見回す。
「この厳しい状況で、皆が作ってくれた捜索時間だもの。絶対に見つけなきゃね」
「頼むぜ、イリン!」
突破の声が次いで響いた。
周囲を見回す。
血痕が続いている方向をアルベールに確かめながら、イリンは移動していった。
泣き声が聞こえる。
果たして、そこには大きな鎌を振り上げるラージマンティスの姿があった。
「……させませんよ! 2人とも、こっちです! 急いで!」
鋭い声を発して、イリンは降下した。
庇護の翼を広げた天使は、少年を振り下ろされようとした鎌からかばう。
肩口に突き刺さる蟷螂の鎌。
痛みを気に留めず、足元で震える少年の無事をイリンは確認する。
手にしたショットガンからアウルの弾丸を幾度も放ち、わずかでもラージマンティスとの距離を離していく。
ディバインナイトであるイリンは自分自身の傷を治すことならできる。仲間たちが来るまで、ひたすらかばい続けていた。
「見つかったか!?」
突破とアルベールが近づいてくる。
だが、近づいてきたのは敵だけではなかった。3体のウイルスたちもまた、撃退士たちと少年に近づいてきていた。
アルベールは武器を構えたまま、糸を伸ばした。
息子のほうはケガをしている様子はない。ということは、近くにはケガをした父親がいるはずだ。
糸は退路を断つためにも使えるが、人を救うためにも使える。
少し離れた場所まで伸びた糸が、赤く染まった。
生き物がそこにいる――覗きこんだアルベールは、思わず息を呑んだ。
眉間によりそうになったしわをいつものように隠す。
血まみれの男がそこに倒れていた。
いくつも刻まれた傷は、蟷螂の鎌につけられたものなのだろう。
「……よかった。死んではいないんだ」
苦しげに上下する胸と、今にも止まりそうな呼気をアルベールの感覚はすぐに察知していた。
突破はアルベールに次いで、父親の姿を覗き込む。
「生きてるか? よくがんばった、もう大丈夫だからな」
弱々しい動きで、首がわずかに動いたように見えた。
だが、歩ける状態でないことは見ただけでも明らかだ。
もしも広場の戦いが終わってから探していたら……きっと、見つかったのはすでに息絶えた父親の姿だっただろう。
イリンが間一髪のところを救ったことを考えれば、子供にしても生きていたとは思えない。
アルベールが父親を抱え上げる。
「もう大丈夫だよ。絶対に助けるから、落ち着いて、ね?」
2人は運びようがない。
泣いている子供のほうを、突破が抱えあげた。
「できたら片付けときたかったけどな……!」
そんな余裕のない状況なのは間違いない。
「大丈夫、逃がしやしないよ」
アルベールの右腕に赤い光の紋様が浮かんだ。引き金を引いたライフルの銃口から赤い魔弾が飛ぶ。
蟷螂に命中したそれは、敵の体にも同じ紋様を浮かばせていた。
「行きましょう。エルディンさんのところまで運べばきっと大丈夫です」
退路に回りこもうとするウイルスを、イリンの火炎放射器が焼いた。
「これ以上、天魔どもは俺が近づかせねえからな!」
突破は叫び、広場へ向かってアルベールとともに走り出した。
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広場では、ラージマンティスが撃退士たちへ鎌を振り回していた。
葉月はフレイムクレイモアで牽制を続けている。
余裕があれば攻め込むつもりだったが、雅人が倒れたこともあって余裕のある戦いではない。5人では少し戦力が足りなかっただろうか。
もっとも常に微笑を絶やさない葉月のこと、見た目には余裕があるように見えていたかもしれないが。
それでも、彼は機会をうかがっていた。
玲花の放つ炎刃が蟷螂を切り裂く。
切り裂かれた敵は、敵を1人でも減らそうと思ったか、高々と跳躍した。
それが葉月の待ち構えていた機会だった。
「……今なら、行ける!」
敵の真下に回り込む。
そこならばおそらく鎌が届かないと読んだからだ。
予測が当たっているかいないかはわからないが、敵の腹を狙える絶好の機会なのは間違いない。
体内でアウルを燃焼させる。
葉月の体が、刃が、加速した。
高々と突き上げたフレイムクレイモアの一閃は過たずラージマンティスの腹部を捕らえた。
「やるからには…それなりに活躍しないとね」
刃から逃れるように飛びのきざま、蟷螂は着地点にいた十一に刃を振り下ろす。
「よぉ、待ってたぜ!」
いや十一は着地点を予測して待ち構えていたのだ。
すらりとした刀身が一閃すると、葉月の攻撃で千切れかけていたラージマンティスの胴体は両断されていた。
残ったウイルスたちに、玲花が無数の棒手裏剣を降り注がせる。
エルディンは、まだ生き残っていたウイルスに対し、ロザリオからナイフを放った。
魔法のナイフは広場で最後に残った敵を貫き、打ち倒す。
突破たちが戻ってきたのは、その時だった。
「お帰りなさい。行方不明の2人は無事でしたか?」
「無事じゃあないんだよ、残念ながら」
アルベールが背負った父親を見て、エルディンは悲しそうな顔をした。
「……助けてくれるの?」
突破の背中から少年が聞いてくる。
「ええ。天使だって人間を助けるのです。人間大好きな天使もいるのですよ」
致命的なほどの父親の傷。
そこに、エルディンは小さなアウルの光を送り込んだ。
男の傷が、少しずつ回復し……弱々しかった息が、やがて落ち着いたものに変わっていった。
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アルベールがマーキングしていた敵を倒すのは楽ではなかったが、撃退士たちは無事に残った敵を倒した。
「いやあ、無事でよかった。俺さんも苦労した甲斐があるってもんだぜ」
十一は親子が助かったのを知った喜びを隠そうとはしなかった。
「天険君、青空君、イリン君、信じてましたよ」
傷だらけの体で雅人が探索に行った3人に声をかける。
「すみません……僕たちのためにご迷惑をおかけしてしまって」
雅人以上にひどいケガをしている父親が、弱々しい声を出した。
「気にしないで。誰かが危険な時、必ず駆けつけるのがヒーローなんだよ」
幼く見える顔に穏やかな笑みを浮かべ、アルベールが声をかけた。
「ええ、みんな無事であることをお祈りしておりましたわ」
「うんうん、助かってよかったよ」
玲奈が心からの安堵を述べると、葉月が同意する。
「もう危険はないはずですが、念のため救助隊と合流するまで送りましょう」
「救助隊の人たち、仕事がなくなっちゃったな」
突破やイリンが念のため周囲を警戒しながら山を降りていく。
「こうして助かったのも、天使と人がわかり合う我が宗教の教えがあったからです」
エルディンが聖職者らしくない、飄々とした笑顔で親子に語りかけた。
「今、私の教会では眠くならないお笑い説法してます。よろしかったらどうぞー♪」
「……説法というのは、笑っていいものなのですか?」
生真面目なイリンがエルディンの言葉を聞いて首をかしげる。
「聞いてみよっかな。助けてくれたお礼の代わりに」
気を使った様子で少年が言った。