●
ディメンジョンサークルを用いて、撃退士たちは航空自衛隊三沢基地に出現した。
自衛隊の基地というのはなかなか広い。転移誤差があってもなお、出現地点は基地の中だ。
基地を徘徊するディアボロの眼前に到着するといったトラブルも起きてはいない。
「それじゃ、こっちは任せます」
基地の奪還を行う仲間へ、雫(
ja1894)は静かに告げた。
「ええ。問題ありません」
淡々と応じた久遠 冴弥(
jb0754)前髪で、わずかに入った白のメッシュが揺れる。
「こっちも気合入れなきゃいけませんね。なんせ相手が相手だ」
筋肉質で強面な外見に似合わず冷静にマキナ(
ja7016)が言った。
今回の作戦に加わる撃退士たちは数多い。
だが、その中でかの悪魔騎士ソングレイと対峙して帰れそうな者はけして多くはなかった。
「ソングレイ以外も楽に倒せる相手じゃない。気は抜かずにいくぞ」
青い蝶の髪飾りをつけた青年が、仲間たちにそう呼びかけた。
咲村 氷雅(
jb0731)の言葉に、撃退士たちがうなづく。
来る前に決めていたとおりに班分けをして、撃退士たちはまず二手に分かれた。
「中津様。お怪我の調子はいかがですか?」
「行動に支障はない……が、やはりちときついな」
気遣うステラ シアフィールド(
jb3278)に中津 謳華(
ja4212)が息を吐く。
「倒れる前に下がれよ。お前たち人間は脆弱なんだからな。いざという時はなんなら俺が2人分働いてやるぞ」
不遜に言い切った不動神 武尊(
jb2605)は、天使であった。かつて天に、魔や人と同類とまで言われた破壊の天使である。
「不動神様、そのような言い方は……」
「いや、怪我をしているのは事実。はっきり言ってくれたほうが小気味よいというものだ」
いさめようとしたステラを謳華が制する。
「だがここまで来た以上足手まといになるつもりはない。安心してもらおう」
「覚悟はできているようだな。だが、忘れるなよ。お前がしくじったときに傷つくのはお前だけじゃないということをな」
「それこそ、言われるまでもない」
天使と人は、鋭い視線を交わしあうと互いに背を向けた。
ストリートファッションに身を包んだ命図 泣留男(
jb4611)は基地の外に目を向けた。
「聞こえるぜ……助けを求める小さな声が。俺の耳にはまるでシャウトしてるように届く」
心のうちから来る衝動を抑えきれないかのように、彼は呟く。
そして、彼は基地の外で戦う撃退士たちの先頭を切って、出て行った。
悪魔班と囮班の者たち、およそ全体の4割ほどが基地から出て行く。
「……興味の無いものがどうなろうと知ったことでは無いけれど……これ以上悪魔に好き勝手な事をされては堪らないわね」
青みがかった翼を持つ天使、イシュタル(
jb2619)も仲間を追っていった。
「こちらも始めるとしよう。数多の敵に助けねばならぬ人間に、凶暴な同胞が一人……面倒な依頼だが、受けた以上は果たさねばならぬ」
リンド=エル・ベルンフォーヘン(
jb4728)の赤い瞳は、基地を徘徊する巨大な敵を見る。
5mを超すディアボロ、デビルキャリアーは遠くにいるにも関わらずはっきりと見えていた。
●
基地に残った撃退士たちは、基地の隊員たちを腹に収めたデビルキャリアーへ向かう。
周囲にはタコの頭部を持ったディアボロの戦士たちが残っているようだった。
謳華は複雑に装飾された弓を引いた。
「行くぞ! 1体ずつ確実に落としていくとしよう!」
仲間たちに呼びかける。
「戦う術は身に着けたばかりですが……」
ステラは敵が固まっているあたりに魔法陣を描き出した。
巻き起こった爆発が数体のブラッドウォーリアたちを巻き込んだ。
「天羽羽斬、撹乱してください」
神代三剣の一振りの名を受けた蒼銀の竜を冴弥が召喚する。
魔法の剣を振りかざし、反撃しようとした敵を透過能力で奇襲したのはリンドだった。
「透過できるのはお互い様だ。卑怯とは言うまいな」
答えの代わりに薙ぎ払われた魔力剣が青年を切り裂く。
他の撃退士たちもそれぞれの間合いから攻撃を繰り出していた。
後方から伸びてきたデビルキャリアーの触手を天羽羽斬が回避する。
「さしたる脅威ではない……か?」
「でも、あの中には捕われている方もいるはずです」
ステラと言葉を交わし、謳華は矢の先をキャリアーに向けた。
「確かに、隠れている自衛隊員を狙われてはかなわん。……最優先でキャリアーを片付けるぞ!」
「はい、わかりました!」 まだ新米らしき撃退士が大声で答える。確か鈴木とか田中とか、平凡な名前だったはずだ。
巨大なだけあってキャリアーは体力はあるものの、能力が高いわけではない。
程なく倒せるだろう。そうなれば、次はタコどもを物理攻撃で片付ける。
ケガで動けないなら、その分頭を使うよりない。
「……大事な任務の直前でこの体たらくとはいえ、戦う力は残っている。ならば、成すべきは一つだ」
作戦参加者が少なければ命はなかったかもしれないが、今回は多くの仲間がいるのだ。
――基地の敵を全滅させ、自衛隊員を救出し、あるいは合流するまでそれからさして時間がかからなかった。
「ご協力感謝いたします、撃退士の皆さん。引き続き作戦への協力をお願いいたします」
生き延びていた将校が、撃退士たちに敬礼をした。
「まずは一段落……か。ゆっくりしている暇はないがな」
リンドが息を吐く。
手当を終えて、救出に向かう者たちが基地の外に出ていく。
「こちらも持ちこたえる準備をしておきましょう」
「ああ。バリケードを組んで、阻霊符をはっておこう。バリケードは頼めるか」
「はい。15分いただければ」
先ほど挨拶してきた将校が謳華とステラに答える。
「必ず皆を助け、俺は生き残る……!」
阻霊符を手に謳華は呟いた。
●
基地の外を担当する者たちはすでに動き始めていた。
もともといたメンバーのうち4割ほどを連れて、氷雅とイシュタルは移動している。
「手筈は問題ないな」
「ええ、始めるわ」
2人は互いの動きを確認しあう。
連れてきた仲間たちをさらに2つの部隊に分ける。
片方は鬼道忍軍やインフィルトレイター、ナイトウォーカーといった隠密や索敵に長けた者と、その補助を行えるメンバーで作った機動・奇襲部隊。
そして戦闘の主力となる本隊である。
氷雅は事前に聞いていた敵の特徴から立てた戦術を仲間たちに再確認させた。
「俺たちの主な目標はブラッドロードだ。もちろんデスストーカーやブラッドウォリアーも片付けるが。防御力の高い者でウォリアーを足止めして、遠距離攻撃でロードを仕留める」
ウォリアー、ロードとも魔法に強い。ただ、ウォリアーは物理攻撃や状態異常に弱い。
確実にウォリアーを止めている間にロードをつぶすのが氷雅の作戦だった。
「個人行動は控えて、無茶しないように戦ってね。敵を片付けるだけじゃなくて、撤退支援も私たちの仕事よ」
イシュタルも仲間たちにそう声をかけた。
目立つことを恐れずに本隊を構成するメンバーは動き出す。
氷雅は奇襲部隊が索敵をかけているのとは別の方向を中心に、冷静に警戒をしていた。
イシュタルが連絡してきたのは程なくのことだ。
「敵が近づいていってるわ。数は15くらい」
三沢市の中心部で活動している敵は70〜80ほどと聞いている。
当然というべきか、その1部隊といえどけして数は少なくないようだ。
「了解」
事も無げに氷雅は応じた。
連絡のあった敵を本隊が視認した瞬間のことだった。
青みがかった4枚の翼が影を落とす。
2mを越すイシュタルの白銀の槍が敵を率いていたブラッドロードに空中から襲いかかる。
彼女だけではない。奇襲部隊を構成するメンバーは一斉にウォリアーとロードへ攻撃をしかけている。
「よし、俺たちも行くぞ!」
イシュタルの槍ほど長くはないものの、アウルをまとった大剣を手に氷雅は走る。
簡易魔術によってヴァッサーシュバルツに力を授けると、敵たちの頭上に黄金に輝く刃が現れた。
数多の刃は様々な姿かたちをしていたが、いずれも貫く切っ先を持っている。
「――降り注げ」
雨のごとく敵に降り注いだ刃は突き刺さると同時に砕けて散り、後には刺突痕と流れ出る血を残すのみ。
さらにイシュタルが奇門遁行で惑わし、浮き足立ったままの敵はすぐに追い詰められていた。
ロードへと距離を詰める氷雅。
「上司を無視しての強攻策……無意味に殺し、魂の質に関係無く収集。『待て』も出来ない躾のなっていない駄犬のようだな」
青年の声音は静かだが思いがこもっていた。
今はまだ、南西に存在する結界に潜んでいるだろう、青森侵攻の首魁には届かないだろうが。
目標を中心とした範囲に、今度は青く光る刃の群れが出現する。
「俺の目指す場所はもっと上だ、この程度の事で足を止めている暇は無い。こんな依頼さっさと成功させて帰るぞ」
彼が目指す、母の目指した理想はまだまだ遠いのだから。
青い刃に貫かれたロードがその場に倒れ伏す。
しかし、まだまだ三沢市には大量の敵が残っていた。
●
高いビルの上でかがんでいたソングレイが、静かに立ち上がって大鎌を肩から下ろした。
「……なんか動きがあるよぉだな」
背に生えた蝙蝠の翼が広がる。
敵をかわしながら移動してきた撃退士たちがたどり着いたのは、その時だった。
マキナはソングレイに呼びかける。
「ソングレイ!」
「あん?」
ビルの上から悪魔の騎士は無造作に飛び降りる。
アスファルトに大きなひび。けれどソングレイには傷ひとつついた様子はない。
1人だけではない。雫と、武尊と、メンナク。計4人の撃退士が、降りてきたソングレイから距離をとって囲む。
「……4人か。ご親切になにをしてるのか教えてくれに来たってわけでもないんだろうな」
近接を得意とするソングレイだが、距離を詰めてこようとはしない。
それは、いつでも距離を詰められるという余裕なのか。
「暫くの間、御付き合い頂きます」
雫が告げた。
「細かいことなんてどうでもいいじゃん……そんなに知りたきゃ俺達をねじ伏せればいいだろ」
ソングレイはマキナに瞳孔の細い瞳を向けた。
「それとも自信がない……なんてこたぁねぇよな?」
鳥のような模様の和弓を構え、闘気を開放する。
牽制に放った矢を鎌が両断した。
「お前は面白くねぇな」
悪魔が大鎌を構える。
「……だが、お前らがかばおうとしてるものは興味がある」
弓の距離が一瞬にして詰められる。
武尊の弓と雫のオートマチック、メンナクの魔法も放たれるが、敵はそれを物ともしない。
大振りの一撃が、身をそらしたマキナの鼻先の皮一枚だけ切り裂いて通り過ぎていく。
(あんな勢いで移動してきたってのに、紙一重――)
全力で走ってきた後でなければかわしきれなかっただろう。
マキナの背に冷たい汗が流れる。
だが、退くわけには行かない。弓を両刃の戦斧に持ち替えて、マキナは敵を迎え撃つ。
大物の武器で間合いの利を得たかったが敵の武器も大鎌だ。
それでも……敵の勢いに負けぬよう、マキナも苛烈に挑みかかった。
武尊は周囲にいた悪魔たちが戦闘に気づいて近づいてくるのに、真っ先に気づいていた。
近接を得意とするソングレイは単純な足の速さだけでも撃退士たちをしのぐ。その上、それ以上に距離を詰める能力を隠していたとしても不思議はない。
「雑魚が邪魔をするな! 行け、天獄竜!」
赤黒く、半ば機械化した竜が武尊の傍らに現れる。
凶暴な気性から『天獄竜』の名で呼ばれるティアマットを召喚すると、武尊の上半身を覆う鎧がティアマットを模した外見へと変化した。
胸元には竜の頭部が出現している。
接近してきていたタコの頭部を持つブラッドウォリアーたちがその凶暴な外見に一瞬立ち止まった。
「おい! お前たち、こいつらは任す。足止めをしておけ!」
ソングレイはおののいている部下の様子を気にも止めずに命令した。
マキナから飛び退り、黒い炎で彼の全身を焼く。
命じられたウォリアーは改めて天獄竜へ魔法の剣で切りかかってきた。
「俺たちを無視して行くつもりか? 甘く見るなよ……!」
命令の意図を察すると、武尊は怒りをこめて弓を引いた。
あの悪魔は、撃退士4人は部下で十分な相手だと考えたのだ。
らしくはなくとも武尊は天使である。悪魔であるソングレイに彼の攻撃は当たりやすい。
「お前の思い通りにはさせんぞ、ソングレイ!」
バルバトスボウから放たれた矢が悪魔の肩に突き刺さる。
同時に、マキナが薙ぎ払った戦斧が、敵の足を一瞬だけ止めていた。
●
リンドは市街地を行く自衛隊のトラックに乗っていた。
道が細く移動しにくいとしても、やはり救助に輸送手段は不可欠であった。
すでに十数人が乗っている荷台に、さらに5人が乗り込む。
1台で救助して回るには三沢市は広い。何台かに分かれて撃退士たちはそれぞれ救助支援に当たっている。
5人救助したことを他の撃退士たちへリンドが連絡する。
「囮班はうまくやっているようだな」
「そうですね」
冴弥の返答は端的だった。
彼女は必要以上のことを話すタイプではないようだ。
彼らのおかげでトラックの周囲に敵がいないことは、確認するまでもないということなのだろう。
肝心の救助対象を探す手段だが、隠れられそうな場所に目星をつけて声をかけたり目視確認するくらいしかない。
そういったことは救助活動に長けた自衛隊に任せ、2人はあくまで悪魔への対処に注力していた。
「前方にディアボロ4!」
声が聞こえた途端にリンドは動き出していた。
トラックのドアをすり抜けて、翼を広げる。
冴弥もツインエッジを構えて前進し、後方からは他の撃退士が支援する。
透過能力を生かして、敵の下方からリンドが強襲。
燃え上がるような赤い炎の刃が敵の脚部を切り裂いた。
相手はどうやら付近にいる敵の斥候役らしい。数も少なく、たやすく片付けることができた。
だが、敵部隊がいると思しきあたりから、戦闘の音が響いてきた。
「他の救出班か?」
「いいえ、違うはずです。この辺りには来ていません」
首を振る冴弥。ならば、誰かがディアボロに襲われているということか。
移動した先にはスーパーマーケットの搬入口に近づくデビルキャリアーと、応戦する撃退士らしき女性がいた。学園の所属ではないのだろう。おそらくは青森の撃退署の人間か。
先ほど戦った敵の本隊なのだろう。キャリアーの周囲には合わせて10体ほどのブラッドウォリアーとロードがいる。
冴弥はウロボロスの腕輪を再びはめた。
召喚に応じて現れたのは神代三剣の一振り、布都御魂の名を受けた馬竜であった。
額と四肢の部分を覆う鎧から生えているのは鋭利なる刃。
「布都御魂、彼女を援護してください」
あまり派手に動きたくはないが、敵を中に入れまいとしているのは誰か要救助者がいるからだろう。
アウルによって作られた青白い煙の尾を引いて、布都御魂が突進していく。
召喚獣が突進し、敵を蹴散らす。
リンドはキャリアーの足元を狙って刃を振るっているようだ。残念ながら敵が簡単に転倒することはなかったが。
「助けて、中に人がいるんです!」
「わかっています」
10人ほどの一般人がスーパーの倉庫に隠れていたようだ。
阻霊符を持つ撃退士がいなければとうに捕らえられていただろう。
「時間はかけられません。道を切り開きますから、あのトラックまで走ってください」
「歩けない者はいるか?」
リンドが怪我をしている青年を抱えた。
布都御魂が身構える。高々と掲げた前脚を踏みおろすと一直線に真空波が飛んだ。
駆け抜けた空気の刃は敵を切り裂いて突き進むと、ひるませる。
その間に一般人がトラックへ駆け込んできた。
牽制しながら撃退士たちは敵から離脱する。
(少し派手にやり過ぎたでしょうか。あまり派手にやりすぎるとソングレイに目をつけられますし。)
なんでもそつなくこなす冴弥ではあったが、さすがにソングレイ戦まではこなせそうもない。
一般人たちを荷台に乗せて、トラックは基地へと戻っていく。
「だいぶ救助も進んだな。そろそろ頃合か……」
リンドが呟く。
救助に出たトラックは一台ではない。他も首尾よく片付いているとすれば、すでに数百人の人員が救助されているはずだった。
●
囮として動いている者たちの動きは、当初から変化していた。
イシュタルは集まってくる敵の密度を観察する。
「さあ、うまく一網打尽にしなくてはね」
中途からイシュタルは、奇襲部隊に所属する撃退士たちの一部に、敵が一箇所に集まるよう誘導させていたのだった。
そして、彼らは要望にうまく応えてくれている。
およそ敵の数は20〜30といったところだろうか? あまり集めすぎてもしのぎきれなくなる。
淡々とした様子で天使の少女は仲間たちと共に悪魔たちを連れ歩いていた。
頃合と見て、本隊の氷雅に連絡を取る。
「敵をまとめて縛るから、攻撃して」
「ああ、わかった」
翼を広げ敵の中心へ飛び込む。
蒼銀の髪がふわりと宙に浮いた。
「ソングレイと……貴方達天魔は何時もそう……傲慢で身勝手。同じ天魔だと思うと嫌になるわね」
イシュタルを中心にして、アウルの光が走る。
それは結界となって敵を囲んでいった。
固まっている、少なくない数の敵が身動きが取れなくなった。そこに、氷雅たちが攻撃してくる。
「幻蝶よ、行け……!」
巨大なサソリのディアボロ、デスストーカーの周囲に赤い蝶の群れが舞う。
ディアボロたちにまとわりつく蝶は氷雅が作り出したもの。
だが、幻想的な光景はすぐに消え去った。
無数に巻き起こった爆発と共に。
仲間の撃退士たちがデスストーカーの鋏や毒尾の付け根を狙う。立て続けに放たれる攻撃。
息つく間もない攻撃の中で、サソリの尾と、鋏の一方が千切れ飛んでいく。
さらに攻撃が重ねられ、少なからぬ数の悪魔が消えうせていく。
呪縛を振りほどいた敵が撃退士たちに背を向けた。
「逃がさない。殺戮と侵略を繰り返すあなたたちは私がここで倒す」
白銀の槍を手に挑みかかるイシュタル。
ひきつけていた敵のうち、けして少なくない数が撃退士たちの攻撃の前に倒れていった。
「だいぶ数が減ったかな」
「そうね。でも……」
仲間たちを振り返った。イシュタルと氷雅はともかく、他の撃退士たちは浅くない傷を負っている者が多い。
今まで稼いだ時間で、どれくらいの数が救出できたのだろうか。
リンドがこまめに送ってくれる連絡では数百人単位で救出できているようだったが……。
携帯が鳴ったのはその時だった。
ソングレイの足止めをする悪魔班からの連絡が来たのだった。
●
悪魔班4人とソングレイとの戦いは続いていた。
だが、被害の度合いの差は歴然としている。それでも、離脱して他の仲間の下へ向かおうとする敵を4人はどうにか封じ込めていた。
メンナクはアウルの光を雫へと送り込む。
「俺の輝きで、お前を身も心もとろかせてやるぜ!」
「とろけません……けど、ありがとうございます」
不屈の意思でどうにか立っていた彼女を光が癒す。
長引く戦いの中で消耗しているのは撃退士側だけだった。
ソングレイはさしたるダメージを受けた様子もない。いや、攻撃が当たっている以上、無傷ではけしてないはずなのだが……。
(ちくしょう、これ以上回復はできやしねえ……!)
ライトヒールを使い切ったことにメンナクは歯噛みする。
雫が大剣を下段から振り上げると、アウルがソングレイを貫いてその先にいる他の敵をも切り裂いた。武尊の天獄竜が自由になり、別の敵を狙う。
その雫とソングレイを挟むような位置にいたマキナが、悪魔の背中に拳を打ち込む。
アウルが敵の体内へ浸透し、少しだけソングレイが顔をしかめた。
「いい加減邪魔なんだよ、お前」
振り向いた悪魔が大鎌を一閃させる。
深く切り裂かれたマキナの胴から鮮血が吹き出す。
「くそ、こんなとこで……!」
「マキナ!」
メンナクが叫んだ。倒れていくマキナの姿に、優しき天使の心が怒りの黒に塗り変わる。
「てめぇ……よくも、俺の仲間を傷つけやがったな!」
怒りを込めて、魔道書アルス・ノトリアからメンナクは光を放った。
実力差がいかに高くとも、天使であるメンナクの攻撃は悪魔であるソングレイに当たりやすい。
光に貫かれたソングレイがマキナを超えて跳躍し、メンナクへと黒い焔を放ってきた。
「俺とダンスを踊るには勇気がいるぜ!」
その一撃にどうにか耐え切ったメンナクが、距離をとりつつさらに攻撃を加える。
武尊の矢も敵を貫く。
「勇気がいるほどとは思えねぇな」
高速で踏み込んできた悪魔の大鎌が、今度はメンナクを確実に捕らえていた。
必殺の一閃が、残った体力を奪い去る。
もはや倒れるのは不可避。その時、メンナクにできたことは1つだけであった。ソングレイの目をしっかと見据え、敵の攻撃で乱れたヘアスタイルを手櫛で直す。
「闘いの最中であろうと身だしなみに気遣う……。それがダンディズムってもんだ」
「ダンディズムだと……!」
悪魔の騎士が戦いの中で始めて、そして唯一見せた驚愕の表情が、この戦いでメンナクが見た最後の光景であった。
「2人倒れました。撤退します」
雫はマキナに続いてメンナクが倒れたのを見、短い言葉で囮班に撤退支援を要請する。
(問題は、敵をどう突破するかですが……)
ソングレイが追ってくるかどうかはともかく周囲にはまだ配下のディアボロたちがいる。幸い、雫と武尊の天獄竜が狙っていたおかげで包囲網は完成していない。
天獄竜を送還した武尊が、今度はスレイプニルを召喚した。
スレイプニルの装甲が彼自身をも覆う。駆け出した馬竜をつかんで武尊は弓をしまい、剣を構えた。
「腕の一本くらいは……持って帰らせてもらう!」
ジグザグに移動しながら接近し、すれ違いざまに両刃の大剣を振るう。
刀身が腕に半ばまで食い込み、ソングレイの腕を弾き飛ばす。
「このくらいじゃ腕はくれてやれねぇな!」
反撃を受けつつも武尊はそのまま突破。
マキナとメンナクの体をスレイプニルに乗せた。
その動きを支援すべく、雫は距離を詰める。メンナクが先ほど回復してくれたおかげで、まだ一撃や二撃は攻撃に耐えられるはずだ。
「貴方と戦っていて、一つ気づいた事があります。貴方の様に闘争に酔う輩は嫌いだという事が」
「ほぉ……面白いなぁ、お前」
雫の刃に薙ぎ払われてソングレイが一瞬動きを止める。
「嫌われるのは光栄だぜ。悪魔は敵に嫌われてなんぼだからな」
だが、力強いその一撃でも止められるのは一瞬きりだった。これまでと同じように。
大鎌を振り上げた瞬間に、周囲にいた配下のディアボロごとソングレイを降り注ぐ青白い剣が貫いた。
氷雅の攻撃だ。
先ほど支援を頼んだ囮班がたどり着いたのだ。
「撤退を支援するわ。2人を回復して」
イシュタルに呼びかけられた撃退士たちが雫と武尊を回復する。
彼らだけではなかった。
次いでソングレイに巻きついた鋼の糸は、救助班から分かれてきたリンドが放ったものだ。
「ちっ……」
舌打ちしたソングレイがとっさにリンドへ黒焔を放つ。
素早く取り出した長方形型の盾で彼はどうにか攻撃をしのぐ。
「久方に同胞と刃を交えたが……確かに俺では敵う筈もあるまい」
落ち着いているように見えた彼であったが、強敵と対峙した今は高揚している。
「闘争は美酒だ、味わえば味わう程溺れゆく……此度の戦い、御主は楽しめたか?」
「多少はな。だが、まだまだ足りねぇよ」
ソングレイが跳んだ。
雫やリンドから離れるように。
「そいつらを逃がすな」
残っていた配下に命じる。
囮班の撃退士から攻撃を受けて弱っていたが、頓着する様子はない。
戦場から離脱したソングレイからいくらか遅れて、撃退士たちも倒れた2人と共に撤退する。
●
基地には救助された人々が次々に運び込まれてきていた。
バリケードの前で、謳華をはじめとする撃退士たちは迫るキャリアーを迎え撃っている。
囮班や救助班が倒した相手と、ソングレイ周辺の戦いに加わった者以外は、徐々に基地に集まってきているようだった。
「この先には、ただの一体とて通さん……!」
バリケードの後ろで弓を構えていた謳華が、気迫のこもった言葉を発していた。
ステラは後方で負傷した人々の治療に奔走している。
一般人の中にも、ディアボロから逃げるときに負傷した者がいる。おおむね軽傷なので、軽い手当てをして励ましの言葉をかける。
「大丈夫ですからね。すぐに安全な場所まで逃げられますから」
彼らを襲ったのと同じ悪魔であるステラだが、一般人たちから怯えられることはなかった。
悪魔としての特徴を、ステラはなにも持たずに生まれてきたからだ。
救助に使っていたトラックなど、基地にあった乗り物で人々は順次三沢市の北側へと移送させられている。
助け出せたものの数は百を超えており、もはや数えきれない。
とはいえ、千を数えることはないだろうが。
「悪魔班から連絡があった。ソングレイが来るぞ!」
誰かが叫んだ。
思わず、ステラは立ち上がっていた。
「脱出を……急いでください」
基地の隊員に深々と頭を下げ、バリケードへと向かう。
強力な悪魔の騎士と戦う力などステラにはない。もし可能性があるとすればソングレイを白けさせ、戦闘意欲を失わせることくらいだ。
それでわずかでも時間が稼げればいい。
基地から輸送車両が出て行く。
ソングレイがたどり着いた時には、9割以上脱出は完了していた。
バリケードの上にステラは登る。
両手でエプロンドレスのスカートの裾をつまんで、軽く持ち上げる。
「ソングレイ様。ご尊顔拝し奉り恐悦至極に存じます」
腰を曲げて、深々と頭を下げる。
「……なんのつもりだ?」
「意図などございません。ただ、名高き悪魔である貴方様に、同じ悪魔として御挨拶を申し上げているだけでございます」
ステラを数秒見つめた後、ソングレイは彼女を無視して基地へ進む。
「なるほどな。もうやることは大方終わったから、余裕を見せてるってわけか」
悪魔の騎士は大鎌を肩に担いだ。
「ちっ……時間を稼がれた時点で俺たちの負けか。ここから退け、これ以上無駄に消耗するな!」
怒気のこもった声を放つと、ソングレイはディアボロたちに基地から撤退を命じていた。
●
撃退士たちは、三沢市の北西に位置する小川原湖のほとりをトラックで北上していた。
「どれだけの人達を救出できたのでしょうか……」
雫が、ぽつりと呟く。
数百人という人数は三沢市の人口からすれば1割にも満たない。
とは言え、取り残された人の大半は救えたと考えていいはずだ。
彼らのおかげでソングレイの戦果は確実に大きく減じた。
「近い将来、必ず残された人達を救出して見せます」
力のこもった言葉。
雫の視線の先で、小川原湖は不気味なまでに静まり返っている。
それが嵐の前の静けさであったことは、神ならぬ身の知るよしもないことだった――。