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ディメンションサークルで転移した撃退士たちは、急ぎ温泉宿へ向かう。
10人いた者のうち、西側に出現したのは6人だった。
森の空気は澄んでいた。敵が近づいてきているとは、とても思えないほどに。
「ある文豪が近くの沼でイワナ釣りをしたというが……平和になったら来てみたいものだな」
誰にともなく呟いたのは戸蔵 悠市 (
jb5251)だった。
吹き抜ける風に、桐原 雅(
ja1822)が帽子を軽く押さえた。
「行こうよ。まずは宿からだね」
小柄な少女の言葉に、悠市はうなづく。
出現地点から近い場所にあったホテルへまず撃退士たちは向かう。
バリケードの外から声をかけ、乗り越えたところでルールライ(
jb4792)が悲しげな顔を見せた。
数え切れないほどの人々がロビーに集まっているのが見えたからだ。
「こんなに、沢山の人が……」
純粋で純真な少女は不安げにたたずむ人たちを見、決意を新たにしていた。
「温泉で癒されに来たのに余計疲れちゃうねぇ。早く救助してあげなきゃねー」
ルールライより軽いノリではあったものの、嵯峨野 楓(
ja8257)も人々を救おうという意思に変わりはない。
「ええ、絶対に救い出して見せますっ」
言葉を交わす間に、悠市や雅は宿の者に作戦を説明しに行く。敵をまず撃退してから、救出作業を行うということを。
宿の従業員は、救出を先行しないことに対して不安げであったものの、撃退士の判断に口を挟むことはしなかった。
(温泉宿の救出任務、か。失敗して失うものが自分の命だけではないというのは、中々に重いな)
従業員へ説明を終えた悠市は静かに客たちを振り返る。
「……こんな些細な楽しみさえ失われてしまうのか」
細いフレームの眼鏡には、助けるべき多くの人の姿が映っていた。
北東側に向かった4人の撃退士たちは、その頃敵が進路に使うと見られる道路を移動していた。
「さて、撃退士として初の依頼です。足を引っ張らない様、気を引き締めていきましょう」
銀色の狐耳を生やしたはぐれ悪魔、ミズカ・カゲツ(
jb5543)は、今回が撃退士となってから始めての作戦だ。
「そんなに気を負わなくても大丈夫ですよ。リラックスして行きましょう」
柔和な外見の少年が、ミズカを気遣う。。
「リラックスとは言っても、流石に温泉につかる余裕は無さそうですね。残念です」
楯清十郎(
ja2990)は腰から下げた剣と盾が装飾されたメダルを、軽く握って言った。
国道を移動する撃退士たちは、数台の車が交差点を曲がってくるのを見た。
「待て! 俺は久遠ヶ原学園の者だ!」
夜神 蓮(
jb2602)が飛び出して、車を止める。
運転手たちは、あわてて青森市へ行く道を間違えたらしい。
「逆に幸運だったかも知れんな」
ぶっきらぼうな調子で久遠 仁刀(
ja2464)が言う。
「ああ。皆さん、この道を行くのは危険だ。俺たちが天魔を片付けるまで、宿で待っていてくれ」
蓮に説得されて、車が宿への道を戻っていく。
遠くに巨大なディアボロの姿が見えた。
「来たな。奴らがやろうとしている事を見過ごすわけにはいかない……!」
「ああ。これ以上の蹂躙、許す理由はない。叩き伏せる」
撃退士たちはヒヒイロカネから武器を取り出すと、ディアボロたちの群れに立ち向かった。
西側で敵の姿を確認したのは、北東側より幾分後だった。
「都市部だけじゃなく、こんな山奥にまで手を伸ばしてくるなんて……ホント、無茶苦茶なやり口だよ」
雅はヒヒイロカネから武器を抜き、手はずどおり1人だけ先に移動を始める。
「気をつけてくださいね、雅さん」
心配げなルールライへ一瞬だけ目を向ける少女。
「うん。とにかく、これ以上の暴挙をさせない為にも、自分に今出来る事をやり遂げてみせるんだよ」
淡々と答えた彼女は、かすかに手を振ると、再び走り出す。
残った5人もディアボロを迎え撃つ準備をしていた。
「冥魔の脅威から一般人の救出か、今の私でどこまでやれるか」
腰まで銀髪を伸ばした悪魔、シルヴィ・K・アンハイト(
jb4894)が太刀を抜く。
「スピード勝負だ、ちゃっちゃか片付けるぜ」
ぶっきらぼうに言い放った冴城 アスカ(
ja0089)は力強く拳を手のひらに打ち付けた。
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北東側の敵は、聞いていた敵の数の半分よりいくらか少なく見えた。
清十郎は敵の真ん前に飛び出した。
鮮緑色の光が全身をまとい、彼の周囲に結晶が浮かぶ。
まとったオーラが敵の注目をひきつけていた。
灯りに惹かれる虫のように向かってくる敵に向かい、仁刀が大太刀を構えた。
「まずは道を切り開かせてもらうぜ!」
振りぬいた刃が一瞬のうちに伸びる。
いや、伸びたのは武器の形をした月白のオーラだった。霧虹のごとく輝くオーラがシャドウたちを切り裂いていく。
「仁刀さん、一気に片付けます! 行ってください!」
進路上にいた敵の1体へ向けて、大振りの扇子を清十郎は投じた。
描かれた龍が空を舞い、傷ついた敵の1体を切り裂く。そこに、ミズカが放った和弓の矢が止めを刺していた。
まだ邪魔な敵は残っている。だが、オーラに惑わされた敵は進路を邪魔することも忘れて清十郎を狙う。
幾度も振るわれる漆黒の触手の一部を清十郎は盾で受け止め、残りは耐えしのいだ。
合間を縫って、仁刀がデビルキャリアーへと接近していく。
蓮は攻撃を防ごうと身構えながら前進した。
デスストーカーやブラッドウォリアーの1体は清十郎のオーラに惑わされていない。なおも仁刀の攻撃を阻害すべく動き出しているのが見て取れたからだ。
ミズカも弓を太刀に持ち替えて、前進している。
「邪魔させるわけにはいかないんだ!」
アウルの力を借りた強烈な一撃を、鋏の付け根に叩き込む。
2つある鋏の一方が千切れて、宙を舞った。
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西側でも戦いは始まっていた。
楓は五芒星の描かれた魔法陣を出現させる。
アウルを練り上げて、金色に輝く狐が陣の内に姿を見せる。
「影に海産物にサソリか……凄い趣味だね」
九重の尾を天へと伸ばし、金の狐が大きく息を吸った。
吐き出される灼熱の炎が影たちを焼いていく。
そのまま移動して距離をとったのは、敵の誘導を試みるためだ。
もっとも、敵も明確に目的があってここに来ている。それなりの技や工夫なしに、温泉へ向かうのは帰られない。
それでも初撃でダメージは与えた。
前進するアスカたちにシャドウを任せて、楓はブラッドウォリアーやデスストーカーを狙うシルヴィの援護に回る。
気配を消している敵に接近するシルヴィに敵が接近するように、反対側に回り込んで光の矢を放つ。
「こういうのはあまり得意ではないが……幻想の中で迷ったまま逝け」
シルヴィがデスストーカーとウォリアー2体が集まった一帯へ一気に接近し、方向感覚を狂わす奇門遁甲を展開する。
ストーカーの鋏と尾がシルヴィを一斉に狙った。惑わされていない。
だが、ウォリアーたちは幻惑されて、互いに切りあっている。
「サソリには効かなかったみたいだね」
「ああ、タコよりは耐性が高いのだろう」
シルヴィの傷は浅くないが、まだ倒れるほどではない。
同士討ちをしたウォリアーの1体へ、楓は狐の形に形成した炎を放った。
悠市は暗青の鱗を持つ竜を召喚していた。
人間よりも一回り巨大なストレイシオンは、鱗と同じ色の翼を持つが空を飛ぶことはできない。
(桐原は……と)
ストレイシオンの陰から、雅が隠れているあたりを確認する。
少女が動き出そうとしているのを確認し、悠市はあえて大声を上げた。
「守りを固めて備えるぞ!」
仲間たちに、光纏の光の上から青い燐光が宿る。
「助かるぜ! こちとら器用じゃないんでね!」
釘バットを構えたアスカが、シャドウたちに飛びかかり、頭部を強烈に殴打した。
護衛のディアボロたちの注意は前方にいる撃退士たちに集中している。
雅は後方で動き出していた。
「仁刀先輩と一緒に戦えないのは残念だけど、ボクも先輩の信頼に応えられるよう頑張らなくちゃ」
信頼すべき友が、力を尽くしていると信じられるから憂いなく全力を尽くせる。
……もっとも、無茶をするところは少し心配だったが。
銀色に輝くレガースに力をこめる。
少しだけ緩んだ制服の背から顕れていた燐光が、完全なる翼へと変わった。
駆け出した雅は、一気にデビルキャリアーへ接近して力強く脚を薙いだ。
撃退士と近接したシャドウたちの半数が闇を生み出す。
残り半数はアスカへ闇の手を伸ばして、長身の彼女が持つ旺盛な体力を奪おうとしていた。
「ちっ……! 厄介な能力持ってやがンなァオイ!」
ルールライは闇の中に向かって前進する。
「大丈夫ですか、アスカさん!?」
いつも他人を気遣ってばかりの少女が、真っ先にしたのは仲間へ声をかけることだった。
「このくらい、なんでもねえよ。あんたこそ気をつけな、こう暗くちゃ避けてやれないかもしれないぜ」
「心配ありません……今、明かりをつけますから!」
円形盾で身を守りながら、星の輝きをともす。
少女を中心に、美しい輝きが広がった。
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北東での戦いは続いていた。
朝日のごとく輝いているのは、振り抜いた仁刀の刃だ。
ルインズブレイドの刃は自らを光に傾け、悪魔への威力を増大させる。
しかし、それは自身も敵から強烈な攻撃を受ける諸刃の刃であった。
「そこをカバーするのが私たちの役目です。しっかりまっとうさせていただきましょう」
ミズカはブラッドウォリアーの魔力剣をギリギリのところで回避する。
シャドウたちと、さらにもう1体のブラッドウォリアーは清十郎が1人でひきつけていた。宝石が散りばめられた一対となる剣で攻防一体の動きを見せている。
隙を見てはキャリアーにさえ攻撃をしかけている。
とはいえ楽な戦いではないのだろう。自らを癒す結晶はすでに尽き、仁刀と逆に天魔の影響を可能な限り和らげて戦っている。
蓮とミズカは、清十郎に注目していないデスストーカーとブラッドウォリアーの相手をしていた。
回避力を高める片刃の直刀でミズカはどうにか魔力剣の攻撃をかわす……が、一撃食らっただけで、ミズカは大きくよろめいた。
「長くは持ちませんね……ですが」
表情は変わらないが、狐の耳が気合を示すかのようにピクと動いた。
銀の髪が流れた。
雷を象った鍔が雷の如く走る。一閃した刃は、浅からぬ傷をブラッドウォリアーへ与える。
「弱音を吐くわけにはいかないさ。そうだろ?」
蓮もデスストーカーの攻撃を受けながら、気の流れを制御して自らを癒した。
「戦いが長引くことはないさ」
仁刀は声をかけた。
二度目の輝きがキャリアーを傷つける。しかし、まだ敵は倒れなかった。
巨体の周囲を駆け回り、少しなりとかく乱を試みるのは、小柄な体での戦い方に染み付いた習性か。
「最低でも二撃目で決めたかったが……」
反撃の触手が襲ってくる。撃退士にとってさして早いものではない動き……しかし、大きく属性を傾けた仁刀ではかわせない。急所だけは確実に太刀でガードする。
連続で襲ってくる触手に束縛されたが、力任せに振りほどく。
「戦闘能力はあまり高くないですね。武器も魔法もよく効いてますよ」
清十郎は落ち着いて敵の能力を測っていたらしい。
「だが、体力だけはバカ高いな。……それでも、次で終わりだ!」
仁刀はすらりとした太刀の、刃の一点に光を集中させる。
地を蹴り、イソギンチャクの胴体を薙いだ攻撃は、的確に集中した光の部分を命中させていた。
三度走った朝日のごときアウルの輝きは、今度こそデビルキャリアーの胴体を両断する。
ディアボロたちが逃走した。
追撃で、さらに数体のシャドウとブラッドウォリアーを2体とも倒し、撃退士たちは用意してきた無線で仲間を呼び出した。
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西側でも雅のラッシュがキャリアーを着実に削っていた。
シルヴィはまだ楓と共にブラッドウォリアーの1体を狙っていたが、敵はなかなか倒れない。
「魔法耐性か……私や嵯峨野には厄介だな」
同士討ちでも互いに魔法攻撃ではさしたる被害はない。時間を稼ぐ効果はあったが。
デスストーカーからの攻撃もシルヴィの体力を削っていたが、ルールライが回復してくれていた。
幻惑から逃れた敵が、楓へと攻撃をしかけたのはしばらく後のことだ。
シルヴィは攻撃したが、効かない攻撃では牽制にもならない。もう少し近ければ守ることもできたかもしれないが。
「嵯峨野!」
魔法に強いが耐性があるというほどではない。また、装備も災いし、楓が一撃で倒れる。
「ずっと惑ったままでいればいいものを……」
撃退士としてだけでなく、悪魔の兵士としての戦闘経験を持つシルヴィは、けして冷静さを失わなかった。
再び1体でも多くの敵を巻き込もうと移動し、奇門遁甲を展開する。
雅にも危機が迫っていた。
アスカは釘バットを振り回し、ようやく闇を作っていた敵の1体を撃破する。
闇の晴れた一角から見えたのは、ブラッドウォリアーの攻撃にさらされ、倒れる雅の姿だった。
舌打ちし、アスカはシャドウの群れから駆け出す。黒い触手を、悠市のストレイシオンが阻んでくれる。
オーラをまといながら、バットを盾のように構えて駆ける。
「よォ、タコ頭ァ!! 少し遊んで行けよ!」
振り下ろされた大剣を受けながら、アスカは貫手を出した。
敵がうめく。
けれど、その直後、雅の体を触手が体内へ取り込んでいた!
楓が倒れ、雅が捕われた。さすがの撃退士たちにもいくらか動揺が走る。
ルールライがすぐに無線機に手を伸ばした。
デビルキャリアーの体内――。
雅は慎重に、体を起こした。
悪魔の内壁は意外と分厚そうだ。ここが犠牲者を捕らえる一種の牢と考えれば、それも必然か。
「仁刀先輩が無茶するから心配……とか、今回は言えないかな」
しっかりした足取りで立つ。余計な敵に狙われるくらいなら、捕われて内部から攻撃するほうがいいと判断したのだ。
少女が動き出したのに気づいたか、触手が体内へと伸びてくる。
「安心しなよ。ボクだって長居する気はないから」
とうに、敵は雅の攻撃でだいぶ弱っているはずなのだから。
連続した素早い蹴りが、内壁を十字にへこませた。
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全力で移動してきた北東側の撃退士4人は見た。
遠くからも見間違いようのないデビルキャリアーの巨体が、苦悶にうごめき、断末魔の叫びを上げるところを。
「どうやら……焦るほどのことはなかったようですね」
淡々と告げたミズカの耳が、安堵のため左右に伏せた。
ディアボロの脅威がなくなったところで急ぎ撃退士たちは一般人をバスに乗せた。
ルールライがローテーションを組ませ、効率的に収容させる。
人々がバスに乗り込み、街へたどり着くまで気を抜く者は1人もいなかったが、幸いなことにそれ以上大きな襲撃が起こることはなかった。
――だが、これが前哨戦でしかないことは、誰もが気づいていた。