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マギーおばさんの依頼を引き受けた撃退士たちが、まず向かったのは仕事の斡旋所だった。
「ただ授業に行かなかったらサボりだけど、斡旋所を通せばお仕事のための休みだもんね☆」
中学生にしては発育のいい新崎 ふゆみ(
ja8965)、明るく笑う。
どうやって手伝うか話し合って、出た結論がそれだった。
斡旋所を通して、マギーおばさんからの依頼として仕事で行動すれば、仮に授業を休んでも公休扱いになるからだ。
まじめに考えてくれてありがとう、とマギーおばさんは撃退士たちの提案を快く受け入れた。
「もしかしたらダメかもしれないけど、その時は先生に直談判よ」
地領院 夢(
jb0762)が言った。
「後でややこしい事態を招く可能性を残すよりも最初からぶつかっていった方が良いかな」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は、考えるよりもまず動く性格そのままに告げる。
「人助けだし、社会研修だって言って説得すればきっと理解してくれるよね」
リアリストの少女は落ち着いた様子で言葉を続ける。もちろん、斡旋所で認めてもらえるのがベストではあるが。
「せやな。天魔と戦うだけやない……困ってる人を助けるのが撃退士の仕事やと思うんや」
緑の髪をポニーテールにまとめた桐生 水面(
jb1590)も笑顔を見せる。
「お一人で経営されていらっしゃると、斯様な際に大変で御座いますね……微力ながらお手伝いさせて頂きましょう」
香道の家元の家に育った香月 沙紅良(
jb3092)は、非常に丁寧な調子で言った。
斡旋所で依頼をするための条件などがあるのか、残念ながら彼らは知らなかった。とはいえ、少なくとも天魔絡みの依頼以外一切不可ということはないはずだ。
広いこの学園には撃退士の便宜を図るためかいくつも斡旋所がある。
近くにある1ヶ所を彼らはたずねた。
「依頼したいときは、どうすればいいんですか?」
斡旋所で働いている男に、温和な表情で楯清十郎(
ja2990)問いかける。
「依頼……探しに来たんじゃなくて、するほうでいいんですか?」
貼り紙をする手を止めて、その職員は首をかしげた。
「個人的に仕事を頼まれたんですけど、斡旋所を通したほうが都合がいいと考えまして」
「依頼人、依頼内容、参加者、達成目標。あと必要なのはなんですか?」
ごく普通の青年は、ごく普通の調子で問いかける。
「後は……報酬あたりですかね。とりあえず手続きの説明からしましょうか……」
撃退士側から斡旋所に依頼を出して欲しいと頼むのも、特に問題はなさそうだった。当然、依頼主の同意を得られた場合に限り、ということにはなるが。
斡旋所の職員にサポートしてもらいながら、彼らは手続きを終えた。
「美味しいものを食べてもらいたい気持ち、わかる気がします。おばさんにも学校にも迷惑かけないよう、できる限りのことをしていきたいですね」
あどけなく微笑んで、雪成 藤花(
ja0292)が仲間たちに言った。
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初日――。
ふゆみは鈴代 征治(
ja1305)とのペアで、午前中の当番だった。
ただ、朝は午後から来る予定の藤花やソフィアもパン作りのために来ている。
「このお店が大好きなお客さんがたくさんいるんだ……ふゆみ、おばさんのお手伝いするよ! がんばるねっ!」
明るく気合を入れるふゆみ。
隣では、征治が三角巾ほっかむりにマスク、ビニール手袋と完全武装している。
「征治さん、すごい格好だね☆」
「食べ物を扱うんですし、衛生には十分気をつけなきゃ」
「そっかー。じゃあ、私もそういう格好したほうがいいのかなっ?」
マギーおばさんは征治ほど完全武装はしていなかったはずだが……やはり、そこは素人とプロの違いということなのだろうか。
「おばさんのためにどこかに椅子を置いて、お客さんとコミュニケーションが取れるようにしたいんですけど、どうでしょうか?」
藤花の提案に、ふゆみは征治と顔を見合わせた。
「……やめたほうがいいよ。ぎっくり腰の時、座るのは一番悪いみたいだから」
「そうね。気持ちはうれしいけど、ずっと座っているのはちょっと辛いかな」
ソフィアが提案を制止する。パン作りを教えるために来ていたマギーおばさん自身も、彼女のほうに賛同した。
「そうですか……ごめんなさい、余計なことを言って」
藤花が肩を落とした。
「あのねっ。ふゆみも考えてきたことがあるんだ☆ミ ねえ、マギーおばさん、普段売り上げの多いパンってなにがあるの?」
「うーん……焼きそばパンは人気かしら。後はコロッケパンとかツナマヨとか……」
彼女の言葉を、ふゆみはメモに書き取っていく。
それから、彼女は『久遠ヶ原学園生のおすすめベスト10★ミ』と書いた厚紙を取り出した。
「せっかくガクセーのふゆみたちがいるから、こうゆうのもいいかな、って……☆」
「いいと思いますよ。売れ筋の商品は多めに作っておいたほうがいいでしょう」
征治が賛同してくれた。藤花やソフィアも反対はしなかった。
「それじゃ作ろっ。ふゆみががんばっちゃうんだよっ☆ミ」
料理が得意なふゆみは張り切って作業にかかった。
そして、1日目の終わりごろ――。
水面はマギーおばさんの店に様子を見に来ていた。
『久遠ヶ原学園の生徒さんが社会科研修でこの一週間頑張ります!
*その関係でレジや商品対応に少々時間がかかる場合があります。ご協力をお願い致します』
入り口を入ってすぐのところに、可愛らしい文字でそんなことが書かれている。
確かに、こうしておけば、たいていのお客さんは多少待たせても許してくれるだろう。
話がわからない客がいなかったならいいのだが。
「様子はどないや?」
笑顔でレジの前に立っている藤花へ、水面は声をかけた。
「なんとか……やってます」
「みんなは来とるんかな?」
征治が、毎日閉店後に全員でミーティングをしようと提案していた。もちろん、シフト外の者は用事があれば仕方がないが。
水面はもともと、少なくとも1日目はシフト外でも来るつもりでいた。
だから彼女が一番についたらしい。
「今のうちに、店の中を確認させてもらうわ。売れたもん調べといて、明日焼く量の参考にするんや」
「いろいろ考えてるんだね。すごいな」
ソフィアが感心したように言う。
「うちはそんなに作るの上手やないし、香月さんの足を引っ張らんようにせんとな」
そう言って、水面は棚をチェックし始めた。
仕込を手伝いに来るつもりだったという清十郎もほどなく姿を見せる。
まずは1日目……不慣れで時間がかかりながらも、大きなトラブルもなく過ぎていった。
夢は、2日目の午前中の当番だった。
清十郎とともにフロアとキッチンでうまく分担するようにしていたが、お昼時になるとやはり2人がかりでフロアに立たなければ手が回らない。
(こんな忙しいのを、毎日1人でやってたなんてすごいな)
パンを袋に包みながら、夢はそう考えた。
「作るのも楽しみでしたが、売るのも楽しいですね」
清十郎が穏やかに声をかけてくる。
彼の胸元には『研修中』と書かれたネームプレートがついている。
夢もつけているそれは、彼の手製だった。2人だけでなく、全員分用意してある。
2人とも手際はけっしてよくはない。初めての経験なのだから当たり前だろう。
お客さんが怒らずに待っていてくれるのは、ネームプレートのおかげもあるだろうか?
「ごめんなさい、お待たせしましたっ」
もちろん、不慣れだからといって、焦っていい仕事ができるはずがない。
丁寧に、そして、笑顔を絶やさないことで夢はそれをカバーしていた。
「サンキュ」
短く言って、客の学生は手渡した袋を受け取った。
「有難う御座いますっ」
水面や沙紅良と交代する時間まで、息をつくまもなく2人は働き続けた。
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3日目もどうにか過ぎた、4日目。
ローテーションも2周目になるとだんだん余裕もできてくる。
清十郎は手のひら大の炎を生み出して手を温めていた。
朝の調理の時間のことだ。
「なにをなさっているんですか、楯様?」
沙紅良が様子を見て首をかしげる。
「パンの発酵が進みやすくなる温かい手を『太陽の手』と呼ぶそうです。なので体温くらいまで温めてみました」
果たしてトーチの熱でどのくらいまで役に立つのかはわからなかったが……。
「暖かい手でなくても、心がこもっていれば大丈夫よ。でも、工夫するのはいいことね」
マギーおばさんが清十郎の頭を撫でてくれる。
「ありがとうございます」
パンを食べる機会は多いが、作るのはこの仕事が始めてだ。
工夫をするのも、やはり楽しみであった。
「店員用にいくつか焼いてもいいですか?」
折を見て清十郎はそう聞いてみる。
「構わないわ。お腹がすいてたら、仕事にならないものね」
店主は、快く了解してくれた。
回転の時間のすぐ前、やはり忙しく動き回っている沙紅良や水面、夢にも声をかける。
焼きたてのパンは、火傷するほど熱くて、けれどとてもおいしかった。
「うん。焼きたてのパンは本当に美味しいですね」
――5日目の午前中。
ソフィアはレジで、店で何度か見たことのある学生に話しかけられていた。
「マギーおばさんなら、ぎっくり腰。安静にしないとだけど深刻でもないよ」
「そうなんだ。ここんとこ店に出てないみたいだから、どうしたのかと思ったよ」
店主がいないのを気にしていたらしい。
「いつもと同じ味とまでは流石にいかないだろうけど、味についての自信はあるよ」
「うん、昨日も食べたけど、悪くなかったよ。でも、やっぱりマギーおばさんのパンが食べたいな」
ふゆみが気合を入れて作っていたソーセージロールパンを手に、彼は店を出て行く。
「ありがとうございました」
藤花が明るく声をかけた。
他の面々に比べれば、ソフィアはもともと料理の経験も多かった。
パンやスイーツを焼いた経験もある。
「でも、このお店の物が気に入ってる人にはやっぱりこのお店の味の物を出せた方が良いよね」
なるべくマギーおばさんのパンを再現するように、ソフィアは心がけていた。
午後になって、ソフィアと藤花は、征治とふゆみに交代する。
放課後の学生たちが訪れる時間までもうすぐだった。
「らっしゃーせっ」
征治は扉を開けて入ってきたお客さんに、元気よく声をかけた。
彼は前からパン屋さんには憧れていた。
レジ打ちや接客が、なんかカッコイイと思えるのはなぜだろう。
「いっぱい売れてるね☆ミ いっぱい作った甲斐があって嬉しいなー☆」
ふゆみは今日も楽しそうにしている。
作っている量は、やはり普段のマギーおばさんの店よりは減らさなければならない。
けれど、毎日の反省会のおかげか、もうそろそろ売れ筋の商品がなにかわかってきていた。それらを重点的に作ることで、不慣れな営業を彼らはこなしている。
「お客さんが増える時間までもう少しあるから、客引きしてきます。ふゆみさん、お願いしますね」
「うん☆ ふゆみにお任せだよ★」
レジを任せ、征治は店の外に出て行った。
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6日目。
沙紅良は午後のシフトで入っていた。
そろそろ調子もよくなってきたようで、ちょくちょくマギーおばさんは店の様子を見に来る。
「パン作りは不慣れです故、負担をかけていないか不安でしたが……順調に回復されているようで、安心いたしました」
「負担だなんて、そんなことないわ。みんな、とってもよくやってくれているもの」
いつも通りの微笑で、彼女は沙紅良に話しかけてくる。
「さっき病院に行ったけど、あと2、3日もしたら仕事に復帰していいみたいなの。だから、もうしばらくお願いね」
「任しとき。あと2、3日といわず、一週間でも二週間でも引き受けられるで」
彼女の回復を喜んでいるのか、水面の答えも楽しげだった。
藤花が最初に言ったマギーおばさんの『特等席』も、短い時間ならできるかもしれない。
お客さんとのコミュニケーションはやっぱり大事だろう。
(ですが、それで回復が遅れたら本末転倒ですものね)
普段は乏しい表情に、笑顔を浮かべる努力をしながら、沙紅良は考えた。
7日目。
藤花は手の開いた時間に、少し寂しげに息を吐く。
「もう、終わりですか……あっという間でしたね」
マギーおばさんと同じように三角巾をかぶり、清潔な服装を心がけていた。
それも、もうすぐ終わる。
(いつかまた、こんな格好で調理場に立てたらいいですね)
まだ中学生ながら、彼女には許婚がいる。初恋は実らないという言葉があるらしいが、藤花は初恋の人と将来を約束する仲になっていた。
彼も、美味しいものを食べて欲しくて頑張っている人だ。
2人でいつかは小料理屋を開きたい。それが彼女の夢。
(この経験も、将来役に立つといいですね)
レジに来るお客さんな気づいて彼女は我に返る。
「いらっしゃいませ」
笑顔もだいぶ、板についてきた。まだもたつくこともあるが、藤花はレジを打つ。
「あともう少し、気を抜かないで頑張ろうね!」
隣にいるソフィアが声をかけてくる。
藤花は彼女と笑顔を交わしあった。
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撃退士たちは立派に仕事を終えた。
最後の日のあと、誰が言い出すともなく8人は店に集まった。
「ありがとうね、みんな」
1人1人の顔を見て言う彼女へ、夢がゆっくり進み出る。
「あのね、私たちが作ったパンを、最後によかったら食べて欲しいの」
トレーに可愛らしく盛りつけたパンは、快気祝いも兼ねているのかもしれない。
マギーおばさんは、一瞬驚いた表情をしてから、優しい微笑みを見せる。
「ありがとう。いただくわね」
自分の手で売り物が出来上がるのは楽しい経験だった。
皆喜んでくれればいいと、夢は思う。
「でも、流石にマギーおばさんの味にはかないませんね。良ければまたパンの作り方を教えて下さい」
「ううん、とっても美味しいわ。よかったら、また時間のあるときに、お店を手伝ってくれる?」
8人は、声を揃えて『もちろん』と答えた。