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雪深い山中を撃退士たちは歩いていた。
木々の間にいちおう道はあるらしい。ただ、残念なことにそれは厚い雪の下に埋もれていた。滑り止めをつけた靴で、一行は転ばないように進んでいく。
「雪……寒い」
呟いたのは、ダッシュ・アナザー(
jb3147)だった。
普段は小麦色の肌の多くを見せるような服装の彼女だが、さすがに雪国の冬はこたえるようだ。首筋にはいつもどおりの黒いチョーカーを覗かせていたが。
「寒いけど……雪に覆われた景色がきれいです……。牛たちも、雪の中を走ったりするのかな……?」
黒い肌の少女、久慈羅・菜都(
ja8631)はゆっくりとしゃべり出した。
「えっと……大きな牛に育つように、守ってあげたいです」
雪のように白い髪をした少女は、通り過ぎてきた牧場を軽く振り返った。
「洞窟内となると気をつけることもいろいろあるだろうし、準備はしっかりしておかないとね」
調達してきたランタン型ライトの動作を確かめているのは、高峰 彩香(
ja5000)だった。
持ち手の部分を紐でぐるぐる巻きにして、腰にくくりつけている。
「無線とか借りられたらよかったんやけどな」
古島 忠人(
ja0071)が息を吐く。無線機や閃光弾は残念ながら借りられなかった。
依頼によっては最初から用意されることもあるが、そうでもなければ容易に手に入るものではない。
雪道を歩くのは時間がかかる。本来の倍ほどの時間をかけて、一行は目的地である洞窟にたどり着いた。 3分の1ほどが雪に埋まった入り口は、少し先で完全になにも見えないほどだ。
「ここに連中がいるんだな。丹精込めた牛を食い散らかして許されるとでも思ってんのか?」
矢野・古代(
jb1679)の口調はどことなく冗談めかした雰囲気だったが、確かな怒りが秘められている。
ロングトレンチコートの腕をつかんでいるのは、草薙 胡桃(
ja2617)だ。
「そですね、こし……矢野さんの言う通りです」
いつものように『古代父さん』と言いかけて、胡桃は言い直した。
大学生にしても年のいった古代は、現在34。中学生の娘がいてもおかしな年ではないが、胡桃は彼の実子ではなく義理の娘だった。
普段は家族に過剰なほどのスキンシップをとる少女だが、仕事だからか今日あまりはりついていない。
「敵は大型の蝙蝠ですか。ディアボロらしい姿ですね。俺に比べて」
カルマ・V・ハインリヒ(
jb3046)は悪魔だ。ただ、彼の白銀の髪に銀の瞳は、悪魔より天使に近い印象を与えていた。
「天魔は嫌いじゃないけど、邪魔だしね」
邪気のない声で、各務 浮舟(
jb2343)は言った。カラーコンタクトで牡丹色にぬりかえた瞳で、彼女は洞窟を覗き込む。
用意してきた明かりが吸い込まれそうなほどの暗闇を照らす。
とりあえずのところ、敵の姿はないようだ。
手はず通り4人ずつで班を作り、撃退士たちは洞窟に足を踏み入れた。
●
「これでいい……多分」
最初の分かれ道に、ダッシュが調達してきた夜光塗料を少し塗る。
そこから、撃退士たちは班ごとに分かれて探索を始めた。当然、祖霊符はすでに展開済みだ。
古代は滑らないように慎重に歩を進める。
「良くもまあこの男女差でこの班分けになったもんだ」
仲間たちの無事を確かめながら、彼は改めてメンバーを確認していた。
カルマと忠人、それから菜都。別に意図的に集めたわけではないのだが、依頼を引き受けた8人中3人の男が全員こちら側に集まっている。
「折角の暗がり。可愛子ちゃん達をエスコートできんで残念やなぁ」
女の子にいいところを見せたかったのだろう。忠人がため息をついた。
「えっと、いちおう、あたしがいるんだけど、ダメなのかな?」
菜都がおっとりと首をかしげる。
「あー、もちろんダメやないんやけど……」
忠人は自分と菜都を見比べる。長身の古代とさして背丈の変わらない菜都は、忠人やカルマよりも少し高い。
体の起伏が薄く、男物の服まで着ているため、一見すると女性には見えなかった。
少年が肩を落とす間にも、古代は周囲の警戒をおこたらなかった。
明かりが作り出す陰を観察する。わずかでも目に入れば見逃すことはない。仮にアクシデントでランタンが壊れても、アウルは彼に夜を見通す力を与えてくれている。
観察しながら、手元のペンと紙で地図を描いていく。
必然的に両手がふさがってしまうのは仕方のないことだ。銀色のネックレスの形をしたヒヒイロカネに軽く触れる。いざとなればいつでも得物を取り出せるよう、古代は心構えをしていた。
カルマは仲間たちより少し前を歩いていた。
マッピングと索敵役の古代を3人で囲んで守る形だ。
銀色の瞳は今、暗視用のゴーグルで覆われている。古代のランタンから多少外れても視界が効いていた。
「接敵警戒!」
洞窟の闇に声が響いた瞬間、カルマは太刀の柄に手をかけていた。
2羽の羽音が近づいてきたのはそれとほぼ同時。
壁にぶつかる様子もなく飛来する悪魔の蝙蝠たちが牙を剥こうとする。
「――なるほど、速い。だが――」
ぶつからないとしても、阻霊符の範囲内ではすり抜けることはできない。壁をよけて移動する軌跡が見えるようだ。
敵の接近よりも早く近づいて、カルマは太刀を抜き放つ。
「――俺の方が、まだ疾いッ」
刀身の輝きがアウルを伝って体にもまとった。
闇の中を走った刃が痛打を与える。血を吸おうと襲いかかってくる牙を紙一重でかわすのと、走った刃が鞘に戻るのはほとんど同時。
実戦経験は少ないながら阿修羅の攻撃力は蝙蝠を瀕死に陥らせていた。忠人の苦無が敵を葬る。
曲線的な動きから放たれた菜都の大太刀がもう1体の敵を捕らえる。そちらの敵が地面に落ちるまで、さして時間はかからなかった。
胡桃は遠くから聞こえる戦いの音を感じ取る。
こちらの班も、ちょうど敵が襲撃してきたところだった。
「奥を見てくるね。多分、敵なら襲ってくると思うの」
囮役の浮舟が前進したところに、すぐ3羽の蝙蝠が近づいてくる。
牡丹色のオーラをまとった少女に近づく敵に対して、胡桃は1m近い全長を持つライフルを素早く向けた。
特殊素材で作られた銃口を合わせると腕にリボンのように巻きついていたアウルが紅へと変化する。
飛び出した銃弾に紅のアウルが包み、深紅の一撃が敵へ向かう。
「近寄らないで。あなたは、ここで落とすよ……!」
1射目で敵の動きを止め、2射目で射抜く。
弱った敵が浮舟に取り付き、白い肌から血を吸い上げる。
「無理、しないでくださいね」
平然とした顔で拳を敵に叩き込んだ浮舟に胡桃は思わず声をかける。
彩香が浮舟を追うように前進し、刃のついた手甲で敵を裂いた。
「弱いなら弱いなりに……やれることを、やる」
反撃により吸血で取り戻した以上の体力を失った敵を、ダッシュの放った影の手裏剣が貫いて叩き落していた。
残る2羽の蝙蝠へと胡桃は素早くライフルを向ける。
(モモらしくがんばらなくちゃ。情けないところは見せられないもんね?)
活躍しているところを見せたい人がいるから……少女は次の敵へと引き金を引いた。
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最初の遭遇の後、散発的に蝙蝠たちは撃退士たちを襲ってきていた。
とはいえ、出てくるのは1羽から2、3羽。それぞれの班で対応できない数ではない。
女性陣4人のA班は、行き止まりに蝙蝠がたまっていた場所から分岐点まで戻ってきたところだった。
ダッシュは自分がつけた夜光塗料の印を見つけた。
スマホで地図作成は電波が届かずできなかったが、代わりに浮舟が方位磁石を使いつつマッピングしている。
「分かれ道……次は、こっち?」
確認の問いかけに彩香がうなづく。
「そうだね。ちょっと坂になってるみたいだから、気をつけて」
元気よく前へと進む彼女。小麦色の肌をしていることだけがダッシュと同じで、他はまったく似たところのない女性だ。もちろん、一番違うのは彼女が人間でダッシュが悪魔だということだろうが。
「狭いし暗いし足場もよくないだろうしで、敵以外にも気を付けないと」
実力的にはまだ及ばないダッシュは、後方からナイトビジョンで行く手を観察していた。
少し細くなった通路の奥で動く何かを彼女は見つけた。
「蝙蝠……超音波?」
飛んできた2羽のデーモンバットに胡桃が銃口を向ける。
ダッシュが壁を駆け上がると、翼の真下を銃弾がすり抜けていく。弾の軌道を追うように、影から作り上げた手裏剣をダッシュは投じた。
浮舟は白い指に意識を集中する。
足元から吹き上がるオーラは牡丹色。それが葵の葉を形作っている。
生み出した小さな符を投げつける。銃弾と手裏剣で傷ついた蝙蝠に張り付いた符が炸裂して焼き尽くす。
爆発に驚いたもう一方の敵が逃亡しようとするのを、彩香が急加速から追いかけた。
「逃げられると、思わないでよね!」
鶴を思わせる白い扇子が浮舟の手からも飛んだ。
ふらつく敵に胡桃の銃が止めを刺す。
「ふぅ、進度は80%くらいかな? 外観から、推測するに」
息絶えたデーモンバットを見下ろして、浮舟は無邪気に微笑んだ。
菜都は洞窟内の冷たい空気の流れを肌で感じ取っていた。
今までは感じ取れなかった流れを感じる。この先に、なにかあるのかもしれない。
(コウモリの習性を調べる時間があればよかったんだけどね)
わかればきっと参考になっただろう。さすがに依頼を受けてから悠長に調べる時間はなかった。昔はよく山で見かけたものだし、弱ったところを手にとったこともあるのだが。
もっとも、古代の地図と索敵能力のおかげか、今のところ取りこぼしなく敵を倒すことができている。
「あと一息ってところだな。頭をぶつけそうになる暮らしももうすぐ終わりだ」
「えっと、そうだね。昔は洞窟探検とか楽しんでたけど、もう背が高くなっちゃって、難しいかな」
気さくな性格もあるだろうが、必要以上の緊張をほぐす意図もあるのだろう。古代はちょくちょく皆に話しかけていた。
「また来よったで!」
忠人が警告の声を発した。
前方から飛んできたデーモンバットの牙を、菜都は円形の盾で受け止める。
カルラの太刀が鞘走ったのにあわせ、柳の文字が刻まれた大太刀を菜都は振るった。
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1体きりの敵を倒してからすぐ、男たちの班は広い空間にたどりついた。
忠人は古代の持つ明かりを頼りに周囲を見回す。
「どうやら、一番奥までついたみたいやのぉ」
ドーム状の広い空間。
おそらく敵が潜んでいるのは間違いないだろうが、果たしてどのあたりにいるものか。
もう一方の班もそろそろたどり着く頃か。無線機が借りられなかったので連絡が取れないのが困る。
「まずは出入り口と形の把握をせんとな」
「そうですね。もしかしたら別のものも見つかるかもしれないし……」
デーモンバットの群れがどこにいるかわからない。
慎重に4人は広い空間へ歩を進めた。
声が聞こえたのは半ばまで進んだところだった。
次いで忠人の耳に入ったのは仲間の悲鳴。
Gジャンをひるがえし、まっすぐに忠人は走った。
浮舟のフラッシュライトに照らされた別の入り口へ、何体ものデーモンバットが集まっていくのが見えた。
集中攻撃を受けるのはまずい。
攻撃を分散させようとしたのか、胡桃が前へと飛び出し、浮舟をかばうように立つ。
忠人は壁を駆け上がった。
強く岩壁を蹴り、彼女たちとデーモンバットの間に飛び込む。
何本もの牙が忠人のGジャンを貫いて突き刺さった。
「だいじょぶですか? 無茶なことしちゃ、ダメじゃないですか!」
「なはは、女の子が大怪我でもしたら一大事やろ?」
自分がしようとしたことを忘れたかのように、胡桃が忠人を叱りつけた。
彩香は言いあう2人の真後ろで、厚みのないしなやかな大剣に力をためる。
胡桃たちの横に回ると、刃を強烈になぎ払った。
炎が風をまとって闇を走る。
6、7体はいたデーモンバットの半数が炎が巻き込んだ。
カルマの居合と、菜都の太刀が相次いで焼けたコウモリを断ち切っていく。
「武器でも何でも……使い方次第、で……どうとでも、なる」
ダッシュのケンダマで叩き落された蝙蝠へ、忠人の苦無と浮舟が投げた扇子が止めを刺す。
古代はアサルトライフルを構えて油断なく残った蝙蝠たちの動きを警戒していた。
「ちゃんと戦えるって、証明してみせる!」
胡桃が構えた大きな銃から弾丸が放たれる。
「かたまって出てくれたなら好都合だよ。まとめて燃やしてあげる!」
彩香は再び剣を引いた。
赤みがかった金のオーラが、力となって長大な剣に宿る。
薙ぎ払った剣から、炎が再び放たれた。
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ドームの中にいた敵を殲滅するのに、さほど時間はかからなかった。
「敵はもういません。けど……もっとまずいものがありましたよ」
残敵の確認をする撃退士たちに、カルマが告げた。
「まずい……もの?」
「ええ。ディアボロの発生源です」
冗談で言えるようなことではもちろんない。
「つまり、ゲートってことだね」
町から遠いため廃棄されたものだろうが、それがディアボロの発生原因のようだ。
もう一仕事を終えて、撃退士たちは洞窟の外に出た。
少し大きな忠人のケガを、古代が手際よく手当てする。
「おっさんの治療で恐縮だがな」
「できれば女の子に手当てしてもらいたかったのぉ……」
とはいえ、手当の心得がないのでは仕方がない。
唯一心得のある胡桃はまだ怒っているようだった。
「誰かを守るために自分を犠牲にするなんて……そんなやり方、よくないと思うです」
「身を挺してかばった俺にべた惚れする展開を期待しとったんやけど、甘くないみたいやなぁ……」
そっぽを向いた胡桃に、忠人は肩を落とした。
手当てを終えた撃退士たちは山を降りる。
牧場の1つで、依頼人である牧場の経営者や役場の人間が待っていた。
「全て滞りなく終わりました。対応が遅れて申し訳ありません」
「いえいえそんな! 解決していただけて、本当に感謝しています」
古代が頭を下げると、恐縮した様子で彼らはそう言った。
「洞窟の地図です。よろしければ、今後の参考にして下さい」
浮舟が自分の書いていた地図に古代が書いた部分を書き足したものを手渡した。
建物の外では、柵の中を牛たちがのんびり歩いていた。血まみれの雪はどこかに捨てられたのだろう。惨劇の様子はもう残っていない。
菜都が柵に手をかけ、無言で牛を見ている。
「どうかしたの、菜都さん?」
「えっと、見てたら、牛肉食べたくなってきたなって思って」
食われる運命から救った後、すぐ食べることに発想が行くのは野生系少女だからだろうか。
「牛さん……おいしい……ですよね」
ダッシュがマイペースに、菜都の言葉に同意した。
上質の牛肉をご馳走になってから、撃退士たちは帰還していった。