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北海道南部の平野に存在する小さな温泉街に、撃退士たちは到着した。
広がる平地も、遠くに見える山も、雪に覆われている。
「温泉街での戦闘ですか……仕事こなして湯に浸かってすっきりといきたいっすね!」
元気よく声をかけたのは天羽 伊都(
jb2199)だ。
「素のうどん蒲丼、とか申しましたか? とにかく、速やかに木っ端食らわせて、温泉に浸かりたいものです」
黒髪の少女が小首をかしげる。
御幸浜 霧(
ja0751)の車椅子が、雪の凹凸に合わせて揺れる。
「スノウカバード、だ。冗談のつもり……ではなさそうだな」
生真面目に訂正したのは南條 侑(
jb9620)だった。
金色の瞳を持つ青年の見た目は霧よりも年上に見えるが、実際のところ霧は大学生で、侑はまだ高校生だ。
「わざとじゃないよ。この子、横文字が苦手だから」
車椅子を押していた霧の友人、理行 利緒(
ja4922)が侑に言った。
雪国にしては露出の多い服装をした彼女のバストは、寒波を跳ね返すような小麦色をしている。
「……すまない、別に疑ったわけじゃあないんだ」
「ありがとうございます、理行様。それでは蒲丼を倒しに参りましょう」
霧が言った。
ディアボロが出現した宿はわかっている。
ただ、わかっているということは、それぞれの宿で敵が活動をしているということだ。
「もう何人も犠牲が出ちゃってる。だからこそ、これ以上の被害が出る事だけは防がなくちゃ」
ベレー帽にブーツといういつものスタイルで桐原 雅(
ja1822)は雪道を踏み歩く。
4ヶ所ある事件現場を、撃退士たちは2手に分かれて向かう手はずだった。
建物の1つの前に立ち止まり、御堂・玲獅(
ja0388)はホテルの名前を確かめる。
「私たちの担当はここですね。お互い、気をつけていきましょう」
玲獅たちA班の4人がホテルの入り口へと向かった。
「気をつけてください。お互い、頑張りましょう」
B班の1人であるヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)が丁寧に告げる。
「大浴場に行けばいいんだよね。ディアボロは露天風呂にいるんだから」
普段は快活そうな秋水 橘花(
jc0935)の緑色をした瞳が、微かな不安に揺れている。
「そうですね。いちおう、敵が移動していないかホテルの方に確認しましょう」
玲獅が言った。
同じくA班の侑や伊都も続き、4人の撃退士たちはホテルの中を移動していく。
残る4人も目的のホテルへと急ぎ足で向かっていた。
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A班の4人はホテルの大浴場へと向かっていた。
ホテルの従業員の話によれば、とりあえず敵が外に出た気配はないそうだ。
玲獅がアウルを用いて生命反応を探知し、それが事実であることを確認する。
脱衣場は今のところまだ被害がなかった。
ガラス製の引き戸をわずかに開ける。
露天風呂へ通じる木製の扉が破壊されており、その向こうに巨大な岩が鎮座している。
橘花は敵を前にして、改めて体が強張るのを感じていた。
「どーしよ、アタシやれんのかなぁ……」
なし崩しで入ることになってしまった久遠ヶ原学園で、訓練はともかく実戦に出るのはこれが始めてだった。
二刀の小太刀を手に、仲間たちに続いて露天風呂の入り口へ近づく。
「潜んでいるとも言えない状態ですね。ですが、念のため確かめてみましょう」
魔法書を開いた玲獅が光の玉を生み出した。
自在に動かせるそれを探るように周囲の岩にも触れさせて、その後に巨岩へと飛ばす。
巨岩……スノウカバードが動き出したところへと、瞳を金色に輝かせた伊都が日本刀を手に切り込む。魔装をまとって武者姿となった彼は戦う前よりも一回り大きく見える。
刃と玉の攻撃を受けたディアボロにダメージがあるかどうか見た目にはわからない。
ただ、攻撃に揺らぐことなく敵は水を巻き上げて転がり始めた。
伊都を押しのけて転がる敵の前に玲獅が飛び込み、小ぶりな盾を構えて受け止める。衝撃で数歩後退させられたものの、ディアボロの突進も止まっていた。
侑がその攻防の間に翼を顕現させ、敵の頭上へと移動している。
動きの止まった敵へ橘花も切りかかった。
体内でアウルを燃焼させる。
両の手に構えた得物に浮かんだ刃紋のように、雷のごとき速度で刃を振るった。
表皮の硬い手ごたえを感じたかと思うと、意外に柔らかいディアボロの肉を橘花は切り裂く。
「まぁ、あのクソ姉貴だって出来たんだ、あたしがそれより下手って事はない、さ」
緊張はまだ解けていない。自分を奮い立たすように橘花は呟いた。
玲獅は岩のひび割れに似たスノウカバードの口へ、用意してきた生卵をぶつける。
黄色に汚れた敵を、周囲の岩と見間違えることはない。
飛んできた白い粘液を盾で防ぐ。
魔を祓うといわれる白蛇が描かれたその盾が、べたべたとした液体にまみれる。
盾で弾かれつつ、飛沫が玲獅の衣服に飛び散り、瞬時に固化する。
攻撃を防いだ玲獅は、武器を蒼い布状の武器へと切り替える。
敵の巨体へと投じた布が、先端の錘を重石に巻き付いて拘束する。
「今のうちです、攻撃を!」
仲間たちに声をかける。
侑が召喚した鳳凰の幼体がディアボロへ飛びかかる。
伊都が日本刀を突き出し、橘花が切り裂く。
布を振りほどいて回転する敵が仲間たちを押しつぶすが、玲獅はすぐにアウルの光を送り込んで傷を再生する。
仲間たちが攻撃する合間を狙って再び布がスノウカバードを捕らえた。
3人と1匹の攻撃が立て続けに敵を襲い、巨岩は湯柱を巻き上げて倒れていた。
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B班の面々も、担当するホテルの浴場へ足を踏み入れていた。
脱衣場から浴場へ入る壁をべったりと赤く汚す血の跡に、4人はそこでなにがあったかを悟る。
「――うん、何とかしなきゃ……だね」
利緒が呟いた一言に、皆が頷いた。
「目標を確認。でも、もう少し上手く隠せばいいのに……。置いた奴が間抜けなのか、或は他に意図があるのか」
露天風呂に存在する明らかに景観から浮いた岩を目にして、ヴェルヌスが呟く。
「……いや、何の意図があろうとも関係ない。人々の暮らしを脅かすなら容赦はしない」
幼さの残る少年ではなく、メタリックに彩られた人型機械のような姿をしていた。
それが悪魔としてのヴェルヌスの姿だ。
霧はすでに車椅子を使っていなかった。
光纏を発動させている間、彼女の動かぬ足は動くようになるのだ。
道中購入してきた生肉を露天風呂にいる敵へと放る。
岩の裂け目のうち1つが大きく開き、生肉を一口で飲み込む。
雅が黒い翼を顕現させて浮遊する。その間に、ヴェルヌスは構えた魔銃を敵へと撃ち込む。
肉を飲み込んだスノウカバードが魔銃の弾丸をものともせずに回転を始めた。
霧はとっさに円形の盾を活性化すると体の前で構えた。
利緒も六角形型をした盾を構えている。
「霧ちゃん、行くよ!」
「ええ、防いでみせます!」
巻き上がった湯をかぶりながら、2人は盾を突き出す。
痛烈な衝撃が盾を構えた手から伝わってきて、霧は表情をゆがめる。
2人がかりでどうにか止めた敵へ向けて、霧はピストルを抜いた。
横目で見れば、利緒も槍へと持ち替えている。
「口の中でチャカを撃たれれば、少しは堪えますでしょう?」
先ほど確かめた口の裂け目へと銃口を突っ込むと、霧は引き金を引いた。
利緒は霧がピストルを引き抜いた直後に槍を突き入れていた。
雅が戦場を駆け回ってアウルの光をまとった蹴りを叩き込む。
「敵には魔法攻撃のほうが有効だよ」
ディアボロから白い粘液を吹き付けられて、嫌悪を表情に浮かべて雅は飛びのく。
どれだけ効いているのか見た目から判断できないが、ともかく撃退士たちは攻撃を繰り返す。
利緒は霧と共にさらに攻撃を仕掛けようとした。
――肩口に痛みを感じ、利緒は振り向く。
「4人相手なら、いいとこまで行けるかな?」
大浴場と露天風呂の間にある扉跡に、丸眼鏡をかけた丸顔の少年がいた。
肩に突き刺さっているナイフは彼が投げたものなのだろう。
「気をつけて! 変な奴が来たよ!」
仲間たちに呼びかけた利緒は、スマホを取り出す。
ヴァニタスが現れたことをA班に伝えるために。
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B班がヴァニタスと交戦していることを知り、A班は急ぎ2つ目の戦場へと向かった。
1体目の敵と同じように、4人の撃退士たちは戦いに入る。
侑は上空から鳳凰の幼体を召喚する。
「3回目の戦闘では、もう呼べないからな……頼むぞ」
ヴァニタスが出現した場合は、もう1つの班が向かう予定だったホテルにも行くことになっている。
3戦すべて万全に戦えるわけでないのは仕方がない。
「あー……白いのが少ない方を攻撃してくれ」
鳳凰は指示に従い、甲高い鳴き声を発しながら敵へと向かっていった。
白い粘液を飛ばしてスノウカバードが攻撃してくる。
液体を叩きつけられた衝撃は感じるが、鳳凰の守りのおかげで彼に張り付くことはない。
(なんかこう、よだれっぽくて嫌なんだよ……)
ただ、嫌悪感までは消せないのが難だった。
ダメージは玲獅がアウルの光で癒してくれる。
経験豊富な撃退士である彼女は、3人の仲間を的確に支援し続けていた。
玲獅の支援を受けながら、侑と鳳凰、伊都と橘花の攻撃が敵の体を幾度も削り取る。
伊都は両手で刀を構え、至近距離に踏み込んでいた。
回転攻撃をしかけるために、巨岩が彼へと倒れこんでくる。
見上げるほどの巨体が頭上から降ってくる。衝撃が彼の意識を奪おうとした瞬間、アウルは獅子頭に集まり再生させてくれる。
「さっさと片付けてやるよ!」
己を奮い立たせて橘花が刃を繰り出す。
敵の動きが止まった一瞬に、アウルで強化した眼で観察する。敵の弱い点は結局のところ、黄身で汚れた口の部分だけだろう。
「なら、そこを貫く!」
岩の裂け目のような口へ向けて、伊都は直刀の先端を突き入れる。
根元まで差し込んだ刃を引き抜くと、敵は浴場の壁へ倒れこんでいった。
「ずいぶん汗をかいたな。だが、もう一汗か」
敵が動かなくなったことを確認し、伊都は呟く。
最後のホテルへと、全力で撃退士たちは移動した。
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B班の戦いは続いていた。
ヴァニタスはナイフを自在に扱って攻撃をしかけてくる。
雅は投擲された刃の先端を、ぎりぎりのところで回避した。
撃退士たちはいずれも攻撃されなければ相手にしないつもりだったが、実際攻撃された際にどうやってそれをしのぐかは考えておくべきだったかもしれない。
「私たちが来るのはわかってたみたいだね。他のホテルにも仲間がいるのかな?」
「まさか。この程度の仕事に、人手を割いちゃいられないさ」
歪んだ笑みを浮かべて、雅の疑問に少年は答える。
「へえ……なにか狙いがあるみたいだね。この町で何か始めるつもり?」
「さあ? なにかするかもしれないし、めくらましかもね」
少年は両手でナイフをもてあそぶ。何本投げても次のナイフが出てくるあたり、よほどたくさん持ち歩いているのだろう。
「ま、1つだけ言えるのはさ、この北海道はお前ら人間が住むべき場所じゃないってことなんだ。僕は親切に教えてやってるだけさ」
「わざわざ教えてくれてありがとう。ボクたちは君の考えなんて興味ないけどね」
岩が転がる音が聞こえた。
その岩を、ヴェルヌスが飛ばした鋼鉄の鋏がつかむ。
「浴場で暴れるなんて、マナーがなってないね」
束縛された敵へ向けて、ヴェルヌスが言い放つ声が聞こえた。
雅は飛行しながら体の向きを変えると、ディアボロへ光のアウルをまとった蹴りを叩き込んだ。
舌打ちし、ヴァニタスは雅へとまたナイフを投擲してきた。
ヴァニタスに邪魔されながらも、4人の撃退士たちはスノウカバードへ攻撃を重ねていく。
利緒や霧は柔らかそうな口の中を狙っていた。
ヴェルヌスはアウルを最大まで引き上げる。
メタリックな体の各部で、外装が開いて淡い翠光を放った。
「あまり時間はかけられない。一気に仕留める!」
早々にディアボロを撃破しなければ、いずれヴァニタスの攻撃に耐え切れなくなる。
「ニューロ接続、アウル最大! マキシマイズ起動!」
瞬間的に強化した攻撃能力で、彼は連続して光の弾丸を口へと叩き込む。
攻撃した勢いのままに、彼は倒れ行くディアボロを飛び越えてヴァニタスと対峙した。
「子供の遊びに付き合うつもりはないけど、立ち塞がるのなら相手になる」
ナイフをくるくる回している敵へ銃口を向ける。
「ふん、仕方ないね。今日はこのくらいにしておいてやるよ!」
回していたナイフをヴェルヌスに投げつけ、脱兎のごとくヴァニタスは走り去った。
――最後のディアボロを倒したと連絡が入ったのは、B班がもう1つのホテルへと移動している最中のことだった。
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ディアボロがいた4ヶ所の大浴場は修理するまで入れる状態ではなかった。
ただ、ホテルには当然男湯と女湯がある。もう一方の浴場は幸いにして被害のない状況だった。
ホテル側の計らいもあり、撃退士たちは無事な大浴場を使わせてもらえることになっていた。
「3ヶ所走った分、ずいぶん汗をかきましたね。温泉に入ったら気持ちよさそうですよね?」
伊都が侑やヴェルヌスに語りかける。
「そうだな。余裕はありそうだし、俺も入っていくか」
侑は頷いたが、ヴェルヌスはなにか他にすることがあるようだった。
代わりに何故かついてきているのは橘花だ。
「ここの温泉って混浴はないのかなぁ。一緒に戦った仲だし、背中流してあげたかったのに」
積極的に伊都に腕を絡める彼女をヴェルヌスがちょっとうらやましそうに見ていた。
……その積極性は、もしかすると戦いへの不安の裏返しかもしれなかったが。
女湯が無事だったホテルで、風呂用の車椅子を借りて霧は浴場の扉を開ける。
「あ、遅いよー、霧ちゃん」
たわわな胸を隠そうともせずに利緒が霧へと手を振ってくる。
「まあ……理行様、やっぱり大きいですわねえ」
普段から露出の多い服装なのでわかってはいたが、改めて見ると同性ながら感嘆の声が出る。
「なーに言ってんの、霧ちゃんだって充分おっきーじゃない、ほれほれ♪」
近づいてきた利緒がタオルで隠した胸に遠慮なく触ってくる。
「やっ……んっ、くすぐった……はぁ、んぅっ……!」
声とともにタオルがずれ、はみ出た白いふくらみは、利緒ほどではないにせよ並よりも大きい。
じゃれあいながら、2人は濃い色の湯につかる。
透明度の低い温泉の湯に、4つの大きなふくらみは隠れることなく浮かび上がった。
ヴェルヌスは壊れた温泉の修繕を手伝いながら戦場の跡を確認していた。
「杞憂ならそれで構いません。でも、他に何か意図があってディアボロを置いたとも考えられますし。例えば何かから目を反らさせる為に……とか」
今のところ、不審な点は見つかっていない。
ただ……半ばを悪魔に支配されたこの北海道が、いつまでも平穏ではないことだけは間違いなかった。