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道東の町を訪れた撃退士たちは、一路町の北側を目指す。
「集団での戦闘任務初めてなんだよな……足だけは引っ張らないようにしないと」
呟いたのは三鷹 夜月(
jc0153)だった。
「大丈夫ですよ。でも、本調子でない人が多いのが、少し心配ですね。早く倒してしまわないと……」
北條 茉祐子(
jb9584)が仲間たちを見やる。
「急がなきゃいけないのは確かだけど、今のうちに地図は確認しておきましょ。避難経路を考えておかないと」
彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)が言った。
入り口にあった案内図に彩が目をやる。
「まったく、助けに行く方がズタボロじゃ洒落にもならねぇな」
目的の場所が見えてきたところで、向坂 玲治(
ja6214)は口をゆがめた。
口元に浮かぶ皮肉な笑みは、彼自身に対して向けているものだ。
「本調子でないけれど、出来る限りのことはやりましょう」
同じく重傷を負ったまま来た暮居 凪(
ja0503)が、静かに呟く。
「仙台から戻ってすぐにまた戦いに赴くのも、また避けえぬことでしょう」
当然のことを告げる口調で、草摩 京(
jb9670)が言った。
大きな傷を負いながらも、彼女はただ凛とした表情で巫女装束を身にまとっている。
屋外競技場と体育館の二手に分かれる。
10人の撃退士のうち、3人が競技場側へ向かった。
「ヒルっていったら実習授業で死にかけたことがあったな。……でかいヒルとかおっそろしいぜ」
痩せぎすの青年が言った。
普段はかけなければ生活できないサングラスを、猪川真一(
ja4585)はすでに外していた。背後には骸骨の幻影が姿を見せている。
「糸を吐くって……ヒルというか蜘蛛に近いよなぁ」
幽樂 來鬼(
ja7445)はヒルたちの群れを想像し、顔をしかめた。
最後の1人が、大きく肩を回す。
「大分体にガタが来てるな……」
玲治は体の調子を確かめて、また自嘲気味に笑う。
一見すると、競技場に敵の姿はすでにない。けれど、小さな悲鳴を撃退士たちは聞き逃さなかった。
残る7人は体育館側へと向かっていた。
アリーナが2つあるという情報から、さらに撃退士たちは二手に分かれた。
彩と凪、茉祐子がアリーナの片方に近い入り口へと向かっていく。
ヴォルガ(
jb3968)は共にもう一方のアリーナに近い入り口へ向かう少女に目を向けた。
紋章入りの眼帯で、片目を隠した少女。
彼と同じ部活に所属している、まだ小学生の少女。
とても心配だ。
心配だが、残念ながら彼女の心配ばかりはしていられない。
大ケガをしているのに単独で動きそうな仲間のフォローをするのは、同じく先日の戦いで負傷中である彼の役目だろう。
視線に気づいたのか、マルゴット・ツヴァイク(
jc0646)がヴォルガを見上げた。
「ヴォルガは、私が守る……」
生きた骸骨といった風貌の悪魔を見上げてマルゴットが言う。
「無理をせぬ程度にな」
少女を見下ろし、ヴォルガはそう答えた。
京と夜月と共に、2人は体育館の中へと入った。
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楕円形をした屋外競技場の周囲はほとんど芝生で構成されていた。ただ、楕円の長辺の一方にはスタンドがあるのが一目見てわかる。
玲治は他の2人と共に、踏み荒らされた芝生を乗り越える。
見える範囲内に一般人の姿はない。探さなければならないのは障害物の多い場所……スタンドだ。
「おい! 逃げ遅れた奴はいるのか!」
スタンドに近づいて、玲冶は声をかける。
座席の陰に隠れていた女子が、恐々といった様子で顔を見せる。
「1人だけか?」
青ざめた顔で、彼女は首を横に振る。
傷をかばいながらスタンドを駆け登ると、そこには3人の少女が隠れていた。
おそらくは怖くてここから動けなかったのだろう。強張った表情が玲治を見て少し緩む。
「ケガは……してないな。さっさと逃げるぞ」
スタンドを降りるようにうながし、玲冶は周囲に視線をやった。
声に反応したのは、少女たちだけではなかった。数匹のヒルが座席の間を這い進んでくるのが見える。
けれど、玲治たちのところにたどり着く前に、真一が放った衝撃がヒルたちを吹き飛ばす。
少女たちはそのまま無事にトラックまでたどりついていた。
「こんだけか?」
玲冶はなおも周囲に視線を送った。
「まだだよ。スタンドに入る扉が開いてる!」
言ったのは、敵を探していた來鬼だった。スタンド席はただ座席だけがあるわけではなく1つの建物なのだ。
「中に人や敵がいるかもしれないってことだな」
真一の言葉に來鬼がうなづいた。
茉祐子と彩は入り口の1つへと向かっていた。
アリーナへ向かう人々が主に使うであろう入り口だ。
「人が逃げ出せていないということは、入り口がふさがれているということでしょう」
彩が予想を告げる。そして、その言葉のとおり、入り口には大型のヒルが1体いた。
その向こうには、ヒルにやられたのであろう犠牲者が数人、倒れていた。
「ここはマユコに任せます」
一気に壁を駆け上って、入り口に飛び込んでいく彩。
「……大型がいるなら、優先して片付けなきゃですね」
茉祐子は苦無を構えた。
凪は別の入り口からアリーナの2階席へ向かっていた。
「私にできる事は、広めない事、かしら」
見えない位置にいる人は手遅れだと、そう考えるしかないと彼女は考えていた。
観客席とアリーナには、小さなヒルたちが散らばっていた。
そして血を吸われた犠牲者たちがそこかしこに。
ヒルたちは逃げそびれた……あるいは、階段がふさがれて逃げ道を失った人々をなおも襲っている。
小さなヒルたちは1人ずつ一般人たちを襲っていっているのだ。
そして、ヒルの吐く糸に捕われたなら、一般人にはもう逃げる方法はない。
「体を張ることも出来ないけれども、それでも私には責任があるもの」
誰にともなく凪は呟く。
「もし、護れなかったら、恨んで」
スナイパーライフルを構え、小さなヒルへ確実に狙いをつける。
(――恨まれたら。その時は。それも糧として。天魔を撃ちましょう)
言葉にならない呟きと共に引き金を引いた。
弾丸は確実に、ヒルのうち1体を撃ち抜いていた。
もう一方のアリーナにも撃退士たちは近づいていた。
体育館の外にも、エントランスホールにも敵はいない。
けれど、エントランスからアリーナへ向かう2本の細い通路の先から悲鳴が聞こえている。
「観客席……上がる……から」
マルゴットがそう言って別の方向へ向かう。夜月も移動していった。
「無理はするな」
ヴォルガは駆けて行く少女の背に声をかけた。
京は金属製の糸を手に、扉を押す。
開けた瞬間、糸が京とヴォルガを襲った。
傷ついた体が縛り上げられる。振り向くと、扉にヒルがはりついていた。素早く見回すと、他の扉にもいる。そして、どの扉の周りにも、倒れている人の姿があった。
逃げられないようにしている。
「神威よ! 我が身に降りて、悪しきもの共を打ち砕く雷とならん!」
純白と黒紫に光る神威をまとい、金属糸でヒルを断ち切る。
逃げ場をふさがれ、希望を失った人々に救いが来たことを見せつけるように。
そばではヴォルガも黒い大剣でヒルを突き刺している。
おそらくマルゴットのものだろう。観客席では銃声が聞こえていた。
夜月は1人、体育館の中を移動していた。
ここが一般に解放されている体育館ならば、放送設備がないはずはない。
彼女以外に放送室に向かうつもりのメンバーはいなかった。
「ま、直接戦うよりかは足手まといになる可能性は低そうだな」
放送室の場所は、館内の案内図に書いてある。まだ新しげな色のフローリングを音もなく駆け抜け、開け放したままの放送室へ飛び込む。
「天魔が館内で暴れて……います! みんな、慌てずに出口に向かうってください!」
出来る限り丁寧な口調で夜月は避難を呼びかける。
湿原と競技場方面が危険なことを幾度か繰り返し伝え、彼女は元来た道を引き返した。
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茉祐子は大型のヒルと戦っていた。
粘つく糸を避けて、苦無を突き刺す。だが、得物を持つ腕にはすでに糸が貼り付いている。
「もう一度食らったら、焼き切ってでも外さなきゃいけませんね」
呟きながらも動きは止めない。
1mにも達する巨大なヒルが少女に襲いかかる。
星形の輪に指を引っ掛けて、飛びかかってきたヒルを切り裂くと、ようやく敵は動かなくなった。
すぐさま大型の1体を倒したとメールを送る。他にも倒していたら共有して欲しいと書いたが返事はなかった。
誰も倒していないのか、それとも返事をする余裕もないのか……考えながら茉祐子はアリーナの中へ駆け込んでいった。
彩は小さなヒルたちへと、影から生み出した手裏剣を投じる。
「救助に来ました! 撃退士です!」
そう叫んでから、さほど時間はたっていなかった。
彼女自身に群がってくるヒルを牽制しながら、まだ生きている人々を彩が移動してきたルートに誘導する。
こちらのアリーナには、大型ヒルはいなかった。
観客席では凪が確実にヒルを撃ち抜き、排除している。
(大型がいないなら、上に行くまでにナギが片付けてくれそうですね。件の少年らしい人はいなさそうですが……紛れられているといやですねえ)
考えながらも、彩は近づいてきたヒルを牽制する。
競技場のスタンド内を真一たちは、悲鳴を聞いた。真一の動きが加速し、先行して移動する。
來鬼は真一に続いて部屋に駆け込んだ。
中はトレーニングルームになっているようだった。
倒れている何人かの姿と、今しも小さなヒルに壁際に追い詰められている男子。
そして、大型のヒルから真一にかばわれている女子の姿。肌が青ざめているのは今まで血を吸われていたからか。
「まったく、影の手も借りたい気分だぜ」
玲治が言うと、無数の手が影から現れて小さなヒルを締め上げる。
來鬼は近づきながら追い詰められた男子に逃げるよう叫んだが、恐怖で彼は動けない。
ヒルを避けて近づき、心を癒やす暖かなアウルを拡散する。
玲治がその間に倒れていた女子を助け起こしていた。落ち着いた彼を、來鬼は玲治のほうに逃げるよううながす。
「無茶はするなよ、向坂!」
「わかってるさ。本当に格好つかないぜ」
2人を誘導して玲治が避難させる。
真一は來鬼のほうへ振り向きながら、小さなヒルを両刃剣で切り裂く。
視線の先で、彼の恋人の首筋に梵字が浮かび、髪と片目が血のように赤く染まる。計ったようなタイミングで、炎がヒルたちを焼き尽くす。
大型のヒルから攻撃を受けながらも、真一はまず小さなヒルを片付けていった。
あらかた片付いたところで、今度は大型に刃を向ける。
高く飛ぶと、背後に現れていた骸骨が大鎌を構えて真一と共に斬りかかる。
殺気をまとった來鬼がヒルの死角に回り込んだのは、幾度か切り結んだ後のこと。
「こんなに居るんだからぶち壊しても良いよねぇ♪」
無邪気な声と共に手を動かす。
ヒルの動きが止まった。見えない糸で攻撃したのだと真一にはわかる。
「助かるぜ、來鬼。さあ、処刑の時間だ!」
隙を逃さず、真一は再び跳躍した。幻影の鎌に合わせて、輝くようなアウルに包まれた細身の大剣を振り下ろす。
大型のヒルは、その一撃で2つに分かれていた。
体育館のアリーナでは、京が大型のヒルと対決していた。
ケガをした彼女には厳しい相手だが、彼女は倒れない。襲われた人々の希望であろうとしているのだ。
「大丈夫ですよ。貴方達を傷つけさせたりはしません。この命にかけて」
シンプルな木目調の弓から矢が放たれるごとに、彼女のまとうオーラが鳴動する。
ディアボロとは相反する性質を持つ彼女の攻撃は、敵に痛烈な一撃を与える。もっとも、彼女が受ける攻撃も苛烈になるのは同じだ。
大型の1体を倒した頃には、彼女はボロボロになっていた。
ヴォルガが小型のヒルをつぶして回っていなければ、危なかったかもしれない。
マルゴットは、階下の状況を時折覗き見ていた。
とはいえ、観客席には少なくないまだ無事な人がいる。気を取られている暇はない。
倒れている人の姿も否応なく目に入るが、手を止めることも迷うこともできないと、そう自分に言い聞かせた。
観客席の一角に追い詰められている人のうち1人からヒルを引き剥がす。
(うわー……うわー……)
鳥肌が立っているのがわかるが、彼女はそれを下に叩きつけ、一度だけ引き金を引いた。
「こっちだよ! 逃げ道は確保してあるから、移動して!」
夜月が一般人たちを誘導していた。
逃げていこうとする人々に、大型ヒルが接近している。接触する前に、彼女は鋭い動きでPDWを連射する。
追撃をかけようとした瞬間、マルゴットは肩に痛みを感じた。
観客の1人……中学生ごろの少年がこっちを向いている。彼がナイフを投げたのだ。
「ケガ人だらけで頑張るじゃん。すぐに限界になるかなって思ってたのにさ」
観客の中に紛れている可能性は考えていたが、案の定だ。
できれば交戦は避けたい。だが、避難はまだ完了していない。牽制の銃撃を放つ。
苦無が大型のヒルを貫いたのは、その時だった。
「これで4体です!」
飛翔する茉祐子が呼びかける。
一般人が夜月に従って離れていく。
周囲に人がいなくなったところで彩が少年に向けて飛び込んできた。直剣の一撃を彼はナイフで受け流す。
「回収ではなく。単に殺したい。撃退士に対する感情もある……楽しみでないのなら、ヴァニタスかしら?」
凪がライフルの狙いをつけていた。
「ちょっと動くタイミングが遅かったか。ま、今日はこのくらいにしておいてやるよ」
一般人が逃げたのとは別の方向へ、少年は駆けて行く。追う余裕はない。
「撃退士を狙ってきたいのなら。直接久遠ヶ原まで手紙を送りなさい。いくらでも撃退士が相手をしましょう」
凪の言葉だけが、少年を追う唯一のものだった。
その後、真一や來鬼も合流し、京と戦っていた最後の大型ヒルを撃破した。
何人かが公園の外まで一般人たちを誘導する。
ヴォルガはヒルの死骸を、開けた競技場に積み上げていた。
「どうして……こんなことするの?」
マルゴットが手伝いながら問う。言葉とともに、放り出すようにヒルの死骸を手放す。
他にも、余裕がある者はヴォルガを手伝っていた。
「虫の処理は燃やすに限る」
骨の口元が動き、マルゴットに答える。
「死んだふりはされたくないのでね」
そう告げて、ヴォルガは死体に火をつけた。マルゴットが首を上下させた。
揺らめく炎の前に立つ彼の姿は、むしろ悪役のように見えた。一般人がいれば卒倒していたかもしれない。幸い、残っているのは撃退士だけだったが。
炎をながめながら、凪は少年の言葉を思い出す。ただの捨て台詞なのか、それとも再度なにかをするという予告なのか。
(使徒共も変わりつつある。撃退士も変わらないと、ね)
ヒルの死骸から立ち昇る煙の前で、凪は小さく呟いた。