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先日まで降っていた雨のせいでぬかるんだ山道を撃退士たちが進んでいく。
滑らないように、しかし急ぎ足に。
この先に助けねばならない人がいるからだ。
「ハッピーエンド以外認めるものですか! 四人全員、無事に連れて帰って見せます……!!」
Rehni Nam(
ja5283)の想いは、おそらく撃退士たち皆に共通するものだ。
「わざわざ危険フラグたてて依頼に行くな……」
呟いたのは美森 仁也(
jb2552)だった。
山での戦いだが、ネクタイピンで留めたネクタイはいつも通り。ヒヒイロカネであるそれから武具を取り出す準備はいつでもできている。
「女の子にとって一般的に結婚式は憧れだという話だし、恋人が行方知らずとなったら心配だろう。時間もないし、フラグを叩き折ってこよう」
「ああ、大切な人を泣かせることはしないはずだ。大東さんは必ず生きている。助け出して西神楽さんを笑顔にしよう」
小柴 春夜(
ja7470)の言葉は、静かなものだった。
けれど、その足取りは仲間たちから決して遅れることはない。
撃退士たちの身体能力をもってすれば、山道を登るのも一般人よりははるかに早い。
最初に彼らの目に入ったのは薙ぎ倒された木々だった。
崩れた土砂によるものだ。無論、すべてが倒れているわけではないが、目立つことは間違いない。
「タイミング悪く土砂崩れが起こったものね……イベント抜きにしても急いで救出しなくちゃね」
長い三つ編みをサイドから二房伸ばした少女が言った。
アウルの力を解放すると、蓮城 真緋呂(
jb6120)の瞳が藍色から緋色へと変わる。
その瞳に劣らぬ、鮮やかな緋色の髪をした少女もまたアウルを身に纏う。
「土砂が崩れ、けれど幸せへの道は閉ざされていない。……いえ、閉ざしなどしない為に」
織宮 歌乃(
jb5789)の声は大きくはなかったが、木々の間に明朗に響く。
実年齢より幾分幼く見える彼女は、破壊された自然を見て悲しげな顔をしていた。
「サーバントにも警戒しないといけないですね」
少し控えめな声で天草 園果(
jb9766)が言う。
非常に長い黒髪をした彼女は、一見すると冷静な様子で周囲をうかがっている。
土に埋もれた撃退士たちが倒す予定だった敵もまた、今は姿が見えない。
狼の姿をした天魔がいつ襲ってきてもいいように、警戒しなければならなかった。
「襲ってくる敵がいるとしても、探しださないと。希望がなくなる前に」
炎のように燃える髪が土の色に映える。
ヴァンサン・D・バルニエール(
jb9933)は金色の瞳で斜面を埋め尽くす土砂を見つめる。
時間の余裕はない。
真緋呂が阻霊符を発動させると、話し合っていた手はずのとおりに撃退士たちは活動を開始する。
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Rehniは土砂崩れの発生点からしばし下った辺りへ移動する。
「この辺りでしょうか?」
「うん、戦場より高い場所に流されることはないと思うんだよね」
少し離れた場所に立つ真緋呂と言葉を交わす。
離れて立っているのは簡単な理由。探索範囲がかぶってしまっては意味がないからだ。
アストラルヴァンガードであるRehniと真緋呂は、生命反応を探知することができる。
5cm以上の生命ならば探知可能だ。
(ミミズやモグラが土砂崩れのあったばかりの場所に近寄るとか、残ってるとかは思わないんですが……近寄ったり残ったりするのでしょうか?)
野生の動物ならば、危険な場所には近づかないのではないだろうか。
そんな気はするものの試してみないことにはわからない。
仲間たちはサーバントを警戒して武器を構えている。
ヴァンサンは金色の瞳で、異変を見逃すまいとするかのようにしっかりと周囲を見回している。
反応を見落とさないように、土砂崩れの範囲から少し外まで感知できるように移動して、幾度か探知する。
おそらくは埋まった撃退士は探知の技に抵抗できるような状態ではないだろう。
土砂崩れが起こったエリアの半ばほどまで下ったところで、Rehniは反応を察知する。
そこに、折れた木の枝を立てて、Rehniは持ってきた白いリボンを結んだ。
「ここに誰か埋まってます」
すぐさま掘り起こしたいところだが、まずは生命反応を確かめられる2人がすべて探索を終えてしまわねばならない。
アウルを活性化させて、さらに探知の技を使えるようにする。
「これでまた探せます」
土砂崩れの範囲だけでなく、その少し外まで探さなければならない。すでに調べた場所と重ならないように、Rehniは再び移動する。
しばし後、土砂崩れのエリアには4本の枝が突き立っていた。
春夜は仲間がシャベルで土を掘り返している近くで、敵を警戒していた。
「みんな、ちゃんと生きてるといいですよね」
必死に掘り返しながら、ヴァンサンが話しかけてくる。
「ああ。笑顔が消えてなくなるなんて、あっちゃいけない」
答えながら、春夜は頭の中で1人の女性のことを思い浮かべていた。
生き別れたかつての恋人に、よく似た少女。
結婚するなら彼女以外には考えられない。
自分が帰らなかったとき、彼女がどんな顔をするかなど考えたいとは思わなかった。
……地面の下から、うなり声が聞こえてきた気がした。
「敵だ! 埋めなおせ、ヴァンサン!」
土の中から現れた口が大きく開き、閉じる。
白っぽい黄金の光に包まれた手のひらで、その牙を受け止める。
仲間の盾となることに、春夜はためらいがなかった。
シャベルをつかみ、口先しか見えていないうちに、よけた土を再びサーバントの上に積み重ねる。
真緋呂が発動させた阻霊符によってサーバントは透過能力を発揮できないはずだ。
吠え声が土の下に埋まっていく。
探索が終わるまで埋めたままにしておこうと決めて、春夜たちは次のリボンが結ばれた枝に近づいていく。
園果は倒木の陰に身を潜めていた。
「兄さん……みんな助かるといいですね」
死んだ兄に話しかけるのは、彼女の癖だった。
天魔の襲撃によって死んだ兄。学園に彼女が来たのは、復讐をするためだ。
吠え声が聞こえてきた。
それは、地面の下からではない。
朱色の布槍を構えて、園果は声がした方向へ視線を向けた。
灰色の毛並みを持つ狼が3体、撃退士たちのほうへと走ってきている。
「き……気をつけてください、敵が来ました!」
身を隠したままで仲間たちに声をかける。
「大丈夫、わかってます!」
仁也が応じた。隠れていることを察したのか、視線は園果には向けてこない。
隠れた状態からわずかに姿を見せて、目に見えない闇の矢を飛ばす。
園果の飛ばした矢にサーバントがひるんだところに、他の護衛役の仲間たちは攻撃をしかけていた。
仁也は翼を広げる。
空を飛ぶときは、彼の本性はあらわになる。
濃紫の二本角が生え、皮膜の張った翼を広げる。
舞い上がった悪魔の青年は、サーバントたちに向かって声をかけた。
「さあ、敵はこっちです。狙ってみてくださいよ」
十分に距離をとって飛んでいる彼が狙われても傷つくことはないはずだ。
とはいえ、いかに挑発して敵に注目させても、明らかに攻撃しても無意味だとわかる状態で敵に狙わせるのは難しい。
3体のサーバントのうち1体が空を飛ぶ仁也に向かって意味のない跳躍を行った。
下方では歌乃が残った2体のうち片方に弓を放っていた。
自分に向かって跳躍したグレイウルフへと、仁也は手にしていたシンボルを向ける。 無数の針が敵へと降り注ぐ。
見えない矢も受けていたサーバントは、光の針に貫かれてそのまま動かなくなる。
「いました、1人目です!」
サーバントとの戦いが始まった土砂崩れの現場で、仲間を発見したRehniの声もまた響いていた。
けれど、まだ残りは3人いる。
「本来の依頼はサーバント退治だったんだよな……来た方向も、調べてみるか?」
空を飛んだついでに、仁也は3体の敵が現れた方向へと目をこらした。
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真緋呂はほどなく、2人目が地面の下から掘り出した。ゴム手袋で土を払い、Rehniと協力して土砂の下から引っ張り出す。
それは、依頼人から聞いていた大東英次だった。
「よかった。……でも、まだ全員じゃないね」
「はい、ハッピーエンドにはまだ足りません」
サーバントたちは仲間がまだ戦って、防いでくれている。
意識が朦朧としている撃退士を真緋呂は助け起こす。
「体温が下がってる……ここに横になって」
用意してきた毛布で、体をくるんでやる。
雨に濡れた土に体温を奪われて、なお生き延びていたのは撃退士の身体能力のおかげだろうか。
「返事はできる? できるなら、これで口の中を漱いで」
かすかに開かれた口に、水筒から水を注ぎ込む。
「手際がいいんですね」
「いちおう、応急手当の心得があるからね。でも、本格的な手当はみんな見つけてからだけど」
Rehniの言葉に、真緋呂は微笑みを返した。
歌乃はサーバントとの戦いを続けていた。
弓から持ち替えた緋の剣を構えて、少女はただ真っ直ぐな眼差しをグレイウルフたちに向けている。
「決して、近寄らせなど致しません」
守るべきものが背後にある以上、退くことはありえない。
彼女が身にまとうのは鮮やかな赤い氣。
わずかに低い場所から飛びかかろうとしているサーバントを自然体で迎え撃つ。
赤光が走る。
刃から生まれるのは無数の氣刃。
細かな氣刃は舞い散る花びらのようにサーバントにまとわりつく。
「その執念、断ち切ってやる」
固まって身動きがとれなくなった敵に、春夜と園果が止めを指す。
「……引きなさい。同胞の血を無駄に散らすのは、本望ではないでしょう?」
硬質な声が敵を射抜く。
とはいえ、ろくな知性を持たない果たしてサーバントに説得が通じるものか。
飛びかかってきた敵の牙を緋剣が受け止めた。
歌乃は眉を寄せた。
だが、彼女は救うが為に赤き剣を手に執った身。
「戦った後に涙は不要……誰もが望んだ未来へと繋げたいものです」
迷いなく、彼女は敵を迎え撃つ。
3体目のサーバントが倒れる頃には、3人目が助け出されていた。
ヴァンサンは土砂の外まで、目を向けていた。
最後の1人がどこにいるのか……見回したその金の瞳が、地面の一点で止まる。
「……? あれは……ちょっと見てきてもいいか?」
木の陰で地面の色が変わっている気がしたのは気のせいだろうか。
倒れた木に近づくと、血の匂いがした。
人が下敷きになっているのに気づき、ヴァンサンは急ぎ駆け寄る。
「大丈夫か!」
応えない女性の手をつかみ、引きずりだそうと力をこめる。
木の下敷きになった彼女はまるで動くようすはなく、その手はどうしようもなく冷たかった。
「気をつけて! サーバントが来ます!」
仁也の警告の声が聞こえたとき、まだ仲間たちは近づいてきていなかった。
牙をむき出しにして迫るグレイウルフ。
「接近戦は避けたかったが……すまない、援護を頼む!」
下手に距離を取れない状況。必死になって仲間を守ろうとするのは、彼がかつてすべてを失ったからかもしれない。
ヴァンサンはレガースをつけた脚で敵を蹴り倒そうとする。
けれど、それより速く敵の牙が彼の体に突き立っていた。
……結局、サーバントとの戦いの中、ヴァンサンは意識を失っていた。
起き上がったとき、彼を含めて真緋呂が負傷者の手当をしていた。
「腕は曲がる? 足は?」
真緋呂の問に英次がうなづいている。
「……あなたが助けてくれたんだよね」
声をかけられ、ヴァンサンが隣に寝ている相手を見おろす。
彼が見つけた少女は毛布からまだ青い顔を見せて『ありがとう』と小さな声で告げた。
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夜遅く、撃退士たちは無事に学園に帰ってきた。
「ずいぶん汚れたな。まずはシャワーを浴びて着替えるか」
「そうですね、汚れたままの姿で結婚式に出るのは、失礼でしょう。行く人は楽しんできてくださいね」
春夜の言葉に、仁也が言った。
その言葉に、春夜は仁也の顔を見る。
「美森さんは行かないの?」
口数少ない青年の疑問を、真緋呂が代弁する。
「家で妻が待っているからね。彼女を呼べない結婚式イベントに参加したくはないから」
穏やかな微笑みを浮かべる。
もっとも、婚姻届は出したが、本当の結婚式はあげていない。
いや、していないからこそなおさら行く気にならないのだろうか。
負傷者たちを運びながら、仁也は愛する人を想った。
次の日、県内にある結婚式場を撃退士たちの幾人かが訪れていた。
抽選で選ばれた幸運なカップルたちの中に、大東英次と西神楽朱音の姿がある。気恥ずかしそうに目を合わせてはそらす2人を、春夜は見つめていた。
スタイルのいい春夜はスーツを嫌味なく着こなしている。
(西神楽さんが笑顔になったみたいで、よかった)
口には出さないが、心からの祝福を送っていた。
「ケーキ、食べてないんだね。せっかく食べ放題なのに」
真緋呂が声をかけてきた。
手にした皿には、ケーキが隙間なく並べられている。
「ああ、甘いものはそんなに好きじゃないんだ」
答えながら炭酸水の入ったシャンパングラスをかたむける。
もっとも、たとえ甘いものが好きでも、真緋呂ほど食べる者はそう多くないだろう。
幸せそうな表情は、たくさんの甘味のためか、それとも結婚式の雰囲気のためか。
「そうなんだ。もったいないね、こんなに美味しいのに」
……話している間にも、皿の上のスイーツはどんどん減っていっていた。
「綺麗ですね、蓮城さん。昨日とは見違えました」
ヴァンサンが真緋呂のドレス姿に目を留めた。
彼女が着ているのは足元まで覆うブルーのドレス。艶やかに少女を飾り立てる衣装との対比で、真緋呂の瞳が黒でなく藍色なのがはっきりとわかる。
「ホント? ありがとう! ……でも、あっちには負けちゃうかなあ。やっぱりウェデングドレスは素敵だよねえ」
嬉しそうな声を上げた後、真緋呂は朱音のほうを見た。
模擬挙式が終わった2人がまっすぐ近づいてくる。
ドレスの朱音が深々と頭を下げる。
「改めて、英次くんを助けてくれてありがとうございました」
「かしこまって言われるほどのことはしていない。模擬でも気持ちを行動に表すことは、二人にとって良いことだと思う」
「そうだね。大東さんも西神楽さんも、お幸せに☆」
頬を赤らめる2人の手がしっかりつながっているのを、彼らは見逃さなかった。