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富山県にある漁港はすでに夜の闇の中にあった。
「海は罪無き者もそうで無い者も全てを分け隔てなく……ってね」
茶色の髪をソフトモヒカンに刈った少年は、暗い海に視線を向けていた。
もっとも、今回の敵が海から来たとは限らない。
(ま、今回の件に関しては関係ないかな?)
岸壁近くにつないだボートに乗ったまま、佐藤 としお(
ja2489)は心の中で呟く。
「少なくとも、俺たちは分け隔てをさせてもらうがな」
静かな声の主は黒衣に身を包んだ青年。
声をかけながら、彼はとしおとは別のボートに乗りこんだ。
リョウ(
ja0563)の言葉は落ち着いていて、短絡的な感情によるものでないことを感じさせる。
「はぐれたか迷い込んだか知らないが、日常を侵すのならば排除させてもらう」
港にある事務所からは、時折危険を告げる放送が流れている。
「頼んだとおり放送はしてくれてるみたいね。どれだけ聞いてもらえてるかはわからないけど……」
岸壁の上に残っている月臣 朔羅(
ja0820)が呟いた。
2丁一対の銀色の銃を手にした女性は、いつ敵が現れてもかまわないよう周囲に目を配っている。
「最終的には俺たちで気を配るしかないさ。そのためにボートも借りたんだ」
ボートのエンジンを入れて、リョウはライトで海上を照らし始める。
としおとリョウはそれぞれのボートを動かして、警戒に向かった。
ウィスプが姿を見せる時間は一定ではない。
これから撃退士たちは広い岸壁全体を警戒しなくてはならないのだ。
「――さて。時間が掛かりそうな依頼だ。……徹夜になるかなぁ?」
言ったのは中性的な容貌をした少年。
意外と筋肉質な月詠 神削(
ja5265)の体は、一晩くらいの徹夜でへばることはないだろうが。
「でも、ボクらががんばれば、今年もみんなが美味しいホタルイカを食べられるってことだからね。名物が食べられなかったらみんな悲しむだろうし☆」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)の白い長髪が明かりの中にに浮かび上がる。
長身の男はペンライトで海を照らした。
「夜の港に……灯は美しくあってほしいね☆」
暗闇をキャンパスとして何かを描き出すようにペンライトの明かりが踊る。けれど、それが何を描いたのか認識する間もなく明かりは闇に吸い込まれた。
「富山というと白エビも有名よね……と、まずは依頼ですね」
神凪 景(
ja0078)のペンライトは、手に持った港の見取り図を照らしていた。
確認できた限りでウィスプの目撃地点をチェックしてあるが、特定のポイントにだけ姿を見せるということは今のところないようだ。
「サーバントを片付けてからゆっくり話そうよ。みんなでホタルイカと白エビを食べながらね☆」
「うん、いいね。あ、お土産にも買っていったら喜んでもらえるかな? ……と、その前に依頼、依頼っと」
一瞬夫と囲む食卓を思い起こして、景は軽く頭を振った。
軽く言葉を交わしてから、撃退士たちは岸壁の各所へと散っていく。
サーバントや迷い込んでくる一般人を確実に探すためには、一ヶ所に固まっているわけにはいかない。
赤いリボンで金色の髪をまとめた少女は、黒を基調とした服装で闇に溶け込んでいた。
「浮遊しているだけでも厄介なのに粘性のある体……。相性は良くないし……その、粘性と言うのがどうにも……」
粘性という言葉にいったいなにを想像したのか。
幸いなことに、サーバントを探すエリス・K・マクミラン(
ja0016)の言葉が聞こえるほど近い場所を歩いている仲間はいなかった。
しばらくの間は、夜は静かなままだった。
撃退士たちが持つ明かりだけがただ、港のコンクリートや海面を映し出し続けていた。
「居らんかねぇ……来らんかなぁ……」
明かりを持たず、赤い光で自らの姿を浮かび上がらせているのは卯左見 栢(
jb2408)だ。
と言っても、別に彼女は自分の光で視界を確保しているわけではない。ナイトウォーカーである栢は暗闇を見通す能力を持っているだけだ。
光纏によって体を覆うオーラの光は、普段よりもいくらか強い。
ホラーが大好きな少女は、人魂の敵に心を惹かれているようだった。
……もっとも、赤く光りながら、垂れたうさぎの耳に似た横髪をぱたぱたと揺らしている様子は、むしろ本人のほうがホラーだった。
かすかに物音がした。
期待に笑みを浮かべて栢はそちらに目を向ける。
だが、意に反してそこにいたのは釣り人らしき男だった。
「よっす、そっちにゃ天魔がいるぞ」
「うわぁ!」
悲鳴を上げられたのは、光纏のオーラのせいか。女性にしてはやたら背の高い栢の姿が闇に浮かび上がるのは、実際怖いかもしれない。
男は一目散に逃げていった。
「ありゃ……アタシは天魔じゃないんだけどねえ」
まあ近づかれないなら結果オーライ。頭をかいて、栢は男を見送った。
時間がゆっくりと過ぎていく。
――遭遇は、日付が変わった頃に起こった。
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神削は時折、手にしている明かりで海を照らしていた。
まっすぐに進む明かりがどこまで届いているのかはわからない。照らすべきなにかがない場所をあえて選んで向けているからだ。
「今回も反応はなし……か?」
ウィスプがどのように人を認識しているかは不明である。
ただ、なにも感知器官がないはずはないだろう。光で人がいることを察して近づいてくるかもしれない。
「……効果がなかったとしても損になるわけじゃないからな」
スマホを取り出して、着信がないことと、時間を確認する。
空腹では集中力が落ちる。そろそろ、腹ごしらえをしておいたほうがいいかもしれない。おにぎりと味噌汁は抜かりなく用意してある。
画面を見る間にも、神削は視線を完全にスマホだけに向けるようなことはしなかった。
横目で見ていた海の彼方に光が見えたような気がした。
素早くライトで照らして、よく観察する。2つの明かり。
「誰かいるのか!」
大きな声で問いかける。
答えはない。
「返事がなければ天魔と見なして攻撃する!」
紫色のオーロラを神削の体が纏った。緑色の弓を片手に持ち、いつでも矢をつがえられるように準備する。
やはり、答えはなかった。
代わりに光はまっすぐに神削へと近づいてくる。
最早、それがサーバントであることは明らかだった。
「現れたぞ! ウィスプだ!」
スマホで近くにいる仲間に呼びかけ、神削は弓を敵に向ける。
「ふむ、少々遠いけど、急行するよ☆」
ジェラルドの軽い声がスマホから応じた。
ボートで警戒していたリョウも近づいてくる敵に気づいたようで、移動しているのが見える。
移動しながらジェラルドはライフルを撃っているようだ。
アウルの力で加速しているらしく、銃声は思ったよりも近くで聞こえた。
近づいてくる青白い光へと、神削もまた矢を放った。
敵が出現したのは一ヶ所だけではなかった。
栢は同じ頃、別の場所で歓喜の声を上げていた。
港の建物の陰へと、青白い光が消えていったからだ。
「おぉ、アレぞまさしく火の玉や……♪」
義務感以上のなにかに突き動かされるように、追いかける。
ゆらゆらと揺らめく塊の各所には赤い炎が燃えていた。
それを見つめる栢も体をゆらゆらと揺らしていた。ウサミミのような髪が、光纏のオーラに包まれたままぱたぱたと動いている。
片手に符を取り出し、もう片方の手でスマホを操作する。
「なにかありましたか?」
「やっほー、エリスちゃん。天魔が出たよー。みんなにも伝えてくれない?」
突進してこようとするウィスプへと指先を向ける。
敵の動きが止まった。
目に見えない闇の矢は、青白い塊を確実に貫いていた。
朔羅は射程距離ぎりぎりの場所から銃の引き金を引いた。
短い銃身から飛び出した弾丸がウィスプへ命中する。通常の銃とは勝手が違って使いにくい武器であるが、朔羅にとっては扱いなれた銃だ。
ボートの上にいるとしおが伝えてきた情報のおかげもあって、確実に先手を取ることができていた。
ウィスプが朔羅へと近づいてくる。
ある程度ひきつけたところで、銃口を向けたまま朔羅は後退した。
「まるで狐火ね。夏なら怪談のネタになったかも」
落ち着いて、彼女は仲間たちのほうへと敵を誘導する。
景はウィスプが海から十分に離れるまで手を出さなかった。
後退する朔羅を追って、敵は景の前方を通り過ぎる。
「さあ、確実に倒させてもらうわよ」
敵の背後に陣取った景は、ダブルアクションのオートマティックピストルをウィスプに向けた。
銃把にモノケロースの模様が刻まれた自動拳銃で、青白い塊を撃ち抜く。
前後から襲われて、サーバントが惑ったようだった。
炎を撒き散らして攻撃をし始めるまでに、朔羅と景は射撃で敵の体を削り取っていく。
「さあ、止めよ!」
十分にダメージを与えたところで、白銀の槍に持ち替える。
全長4mにも及ぶ槍を構えて突進した景の痛烈な一撃がサーバントを捕らえた。
貫いたウィスプの塊が吹き飛ぶ。
穂先にまとわりついた残滓だけを残して、それは消え失せていった。
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リョウはボートから降りて、海上を移動していた。
幸い、リョウととしおのボート以外に船が出ている様子はない。
船でホタルイカを捕るのは主に本職の漁師だ。趣味ですくいに来る一般人に比べれば伝達はしやすいようだった。
「では、鬼火狩りに行こうか」
岸では神削とジェラルドが2体の鬼火を相手に交戦している。
アウルを用いて、リョウはそこに漆黒の槍を放った。
痛打を受けた鬼火は、撃退士たちから離れようとするが、それは果たせない。神削の髪が巻きつき、捕らえていたからだ。
ジェラルドのライフルが火を噴き、リョウの槍がまず1体を打ち倒す。
無様な悲鳴が仲間たちの背後から聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。
遠目に見えたのは撃退士ではない1人の男。
(――攻撃圏内に入る前に引き離す)
不意の乱入者にリョウは冷静に対処する。
『アクセス――我が【シン】』
黒い光が海上に立ち上る。
赤く染まった瞳に映るのは、男のことを気に留めず海上を浮遊して突進をかけてくるサーバント。
一般人から引き離したことを確認し、リョウは双槍で敵を迎え撃った。
他の地点でもウィスプとの戦いは続いていた。
エリスは細身の杖に武器を持ち替える。
彼女の投槍と、栢が符より放つ水の竜は、すでに十分人魂に傷を与えていた。
一瞬だけ小さな魔法陣が彼女の手元に浮かび上がった。
周囲の気を取り込んで、赤い輝きがその手に宿る。
「これで倒しきれれば良いのですが……!」
接近し、杖を振りぬく。
阿修羅である彼女にとって、真に実力を発揮できるのはやはり接近戦なのだ。
インパクトの瞬間、赤い輝きが解放されて再び魔法陣が現れる。
敵の体が砕けて、霧のような何かがエリスに吹き付けてきた。
杖は無論、顔や服にも粘つくウィスプの破片を受けてエリスは顔をしかめた。
「もう……気分が悪いですわね」
ミネラルウォーターをかけて拭おうと……した瞬間のことだった。
「おおっ、もう1体来るってよエリスちゃん☆」
やたら嬉しそうな声で、栢がぴこぴこ髪を動かす。としおから連絡が届いたようだ。
振り向くと、ウィスプが海上から岸壁に上がってくるところだった。
「拭う暇もないんですのね……」
ため息をついて、エリスは再び投槍に武器を持ち替えた。
としおは海上のボートで息を潜めていた。
他のメンバーと違い、彼は明かりを使っていない。仲間たちが持っているライトだけでも、彼は十分に暗闇を見通すことができていた。
後、1体がどこかにいるはずだ。
戦いに参加することよりも、としおは情報を集めるために行動を行っていた。
「……いたな。さてさて何でこんな所にまで出て来たのかな?」
目にアウルを集中し、最後の敵を発見したとしおは、敵に気づかれぬよう静かに仲間へと情報を送った。
ジェラルドは迷い込んできた男を素早く戦場から引き離した。
「好奇心は……火傷の元だよ?」
不燃性の毛布を用意してきたが、とりあえず攻撃は受けていない様子だった。
リョウを狙っている敵に、神削が霧状のアウルを吐き出して叩きつける。
ウィスプが砕け散るのをジェラルドは横目で確認した。
としおから最後の敵の情報を受け取ったのは、その時だ。
「まだ敵がいるみたいだね。それじゃ、先に行かせてもらうよ☆」
アウルを足に集中。
「ああ。俺もすぐに追いかける」
神削に軽くアサルトライフルを掲げて見せて、ジェラルドは一気に移動する。
敵の姿はすぐに見つかった。
「獲物発見☆」
赤い闘気が長身の青年の体を包む。
陽炎のようににじむ体は、甘い夢のような死を振りまくために。
陸地に上がってきた敵へと、ジェラルドは激しい銃弾を降らせた。
近くにいた朔羅が彼の銃火と交差するように2丁拳銃の引き金を引く。
景は敵の退路を断つように回り込んだ。
敵は、すでに追い詰められているも同然だった。
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戦いが終わったのは夜半のことだった。
「ああ、まったく……ずいぶん汚れてしまいました」
エリスがミネラルウォーターで武器と顔を拭う。
敵が消え去っても、その残滓は残ったままだ。
触ると松脂のような感触があるそれを、彼女はしっかり拭おうとしていた。
「朝になったら、富山の海の幸を食べてから帰りたいね。ホタルイカはやっぱり酢味噌かな?」
景もピルムについた汚れを落としながら言う。
「いろいろな料理があるみたいだね。どうせ朝までは帰りようがないし、調べる時間はたっぷりありそうだ☆」
「何だってっ! ……富山にはホタルイカラーメンがある……だとっ!」
叫んだのはとしおだった。
ホタルイカが載っているのみならず、スープにもホタルイカを溶け込ませラーメンからはイカの風味を強く感じられるという。
「ご当地ラーメン……これは帰りに確実に食していかなくてはならないね!」
ラーメンにこだわりがあるのだろう。力強い言葉でとしおは宣言した。
「朝から食べるのもいいが、みんな体が冷えてるだろ。おにぎりとあったかい味噌汁はどうだ?」
神削が、結局食べる暇がなかったそれを取り出す。
「いただこう。今の時間に食べても、朝にはまた腹が減っているだろうからな」
リョウも富山の料理を食べる気は満々のようだ。
「旅団の皆へも、土産を買っていかなくてはな……」
カラードの仲間たちは、どんなものを喜ぶだろうか。リョウは1人1人の顔を思い出しながら考えた。
思案しながら海を眺めていた彼は、無数の小さな生き物たちが水中で動いているのに気づいた。
ホタルイカの群れは、岸壁での戦いなど我関せずという風情で泳いでいる。ホタルのような光は放っていない。
どうせなら、網を用意してくれば幻想的な光を見ることもできたのだろうか。
……ただ、平穏が港に戻った直後にそれをするのも、少しばかり無粋な気がした。