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生徒たちが閉じ込められた校舎は、遠目にも無惨なありさまだった。
玄関をはじめ、窓ガラスのすべて割れた教室がいくつもある。どころか、壁にもいくつか大穴が開いていた。
「クマさんですかー。かわい……くないんでしょうね……」
篠塚 繭子(
jb7888)が言った。
こげ茶色の髪をした少女は、深いため息をつく。
「どう考えてもリアル熊さん……じゃのう」
さらに肩を落としていたのは美具 フランカー 29世(
jb3882)だった。
翼を失った銀髪の天使は、おそらくどこぞのゆるキャラ的なクマさんを想像していたのだろう。
しかし状況は彼女の想像とは反する生物が潜んでいることをはっきりと示していた。
「ふむー、大人しく冬眠していれば良かったので御座るが……」
金髪の忍者、エルリック・リバーフィルド(
ja0112)の感想に、繭子も美具も同意した。
「うん、早く倒しちゃいましょう」
「そうじゃ! ぶっちゃけこの状況はシャレになっておらん」
美具もなすべきことを思い出し、一気に立ち上がった。
「校舎の構造は、調べてきた通りか」
礼野 智美(
ja3600)が言った。
学校のHPに掲載されていた写真から、校舎がL字型をしていることまではわかっている。
「所在不明の生徒はどこにいるんでしょうか。誰一人被害を出すわけには行きませんね」
黒井 明斗(
jb0525)が校舎を見渡す。
「野次馬しに来るようなバカは死んでもいいと思いますけどね」
セレスティア・メイビス(
jb5028)の言葉は、確かに正しいと言ってもいいのかもしれない。
ただ、銀髪の少女が語る言葉に眼鏡の少年は共感はできなかった。
「おっしゃるとおりかもしれません。でも、優しくなければ生きていく資格がないと、僕は教えられてきたんです」
自業自得と見捨てるのもひとつの考えであるが、それは助けてはいけない理由にはならない。
明斗はすべての生徒を助けるつもりでいた。
撃退士たちは慎重に校舎へと近づく。
虎落 九朗(
jb0008)は校庭の周囲を軽く見回した。
不敵な表情を見せながら彼が探している相手は、今のところ視界には入らない。
隠れているのか、それとももうこの学校にはいないのか――。
いずれにせよ警戒が必要なのは間違いない。
「生徒でない少年だぁ……? 悪魔かヴァニタスのお出まし、か?」
その呟きの答えが正しいのかは、今のところまだ誰にもわからなかった。
「それじゃ……焼き芋……しよう……か……」
ネイ・アルファーネ(
jb8796)へと一気に皆の視線が向けられた。
筋肉質の体を持った長身の悪魔は、ゆっくりと首をかしげる。
「あれ……違った……?」
異様に背が高いが、いちおう女性である。
筋肉ばかりでなく胸も大きな彼女は、いったい自分はなにを間違えたのかと首をひねりながら、仲間たちを追って校舎へと近づいていく。
●
明斗が最初にしたことは、教師に連絡することだった。
聞いていた連絡先を呼び出すと、礼儀正しく話しかける。
「所在がわからない方がいるそうですが、どの辺りにいるか推測はできますか?」
「たぶん……保健室や倉庫に何人かいると思います。屋上にいた生徒は連れ戻しました」
電話ごしに女性らしき教師が答えた。
「できれば名簿なんかももらえるとありがたいんじゃがのう」
「ごめんなさい、それはすぐにはちょっと……」
「そうか……仕方あるまい。では口頭で構わぬから、行方がわからぬ生徒の数と名前教えて欲しいのじゃ」
質問に答えて教師が語る人名をメモしていく。
「ありがとうございます。皆さんはそこから動かずに、生徒たちを守ってあげていてください」
明斗がエルリックの言葉を継いだ。
「任せて下さい、必ず助けます」
優しすぎるほど優しい少年にとって、誰かが傷つけられるのは見過ごせないことだ。
「……わかりました」
力強いその言葉に、教師も素直にうなづいた。
炎のように赤い毛皮の巨体は、はっきり言って目立つ。
だから、いくつか開いた校舎の穴を確認すると、すぐにレッドグリズリーが見つかった。
繭子は校庭の真ん中へ、抱えてきた荷物を降ろす。
「それじゃあ、火を起こしてみましょう」
クマの視界に入るあたりへと彼女が積み上げたのは出掛けに調達してきた薪だった。
焚き付けにマッチで火をつけ、薪の中にくべる。
だが、薪に火をつけるというのは意外と簡単ではない。サバイバル技術にでも長けていれば別だったのだろうが、なかなかうまく火がつかない。
家事は一通りこなせるつもりだったが、やはり勝手が違うようだ。
いや……繭子の家事はたいてい時間がかかるので、いつものことと言うべきなのか。
「火がつくまでの間に、先に俺たちは行方不明の生徒を探しておくよ」
智美が言った。美具や明斗と共に校舎へと近づいていく。
焚き火が起きるのを心待ちにしている様子なのはネイだった。
アルミホイルで巻いた細長い何かを手にしている。
……さつま芋のようだ。
いかつい体に不似合いな尻尾を、飼い犬のようにパタパタと揺らしながら彼女は待っていた。
「ちょっと待っててください、もうすぐ火が……いえ、別に、焼き芋のために火を起こそうとしているわけじゃないんですけど……」
期待に応えるべきなのかどうか迷いながら繭子は火を起こす。
やがて、薪から煙が上がりはじめた。
校舎に近づいた明斗は、アウルの力で生命反応を探す。
なにかの反応がいくつか固まっているのは、クマがいると思しき場所だった。
わずかに遅れて悲鳴が上がる。
「誰かが襲われてます!」
言葉が終わらないうちに智美が走り出していた。
金色の炎のように彼女の体をアウルの輝きが包む。脚部の輝きが強まると、瞬く間に彼女は校舎の穴に飛び込んだ。
遅れて駆けつけた明斗が見たのは、智美にかばわれる数人の生徒だった。
腰を抜かしている、茶髪の生徒の前に立ちはだかり、智美は刀で爪と切り結ぶ。
「興味本位で近づいてきた……というところかの。ふむ、好奇心猫を殺すというやつか」
ヒリュウを連れた美具が表情をしかめる。
「……やはり、ガチリアルなクマじゃな……。少し脅してやれ!」
命令に従って、ヒリュウは威嚇のうなり声をあげた。
智美と、その背後にいる生徒たちから興味をそらした隙に、明斗は生徒たちに近づく。
「大丈夫ですか!」
「ひ……あ……」
痙攣したように震えるばかりの生徒たちの前に立ち、明斗はアウルを解放する。
背に現れた6枚の翼から暖かな輝きが広がる。
「……す、すんません、俺たち天魔ってのを一度見てみたくて……」
「落ち着いて上の階に避難して下さい。大丈夫、僕等は必ず勝ちます」
言い訳を始める彼らを制し、明斗は逃げるようにうながす。
穏やかな言葉に、震えていた生徒たちが我を取り戻す。
礼の言葉を述べた彼らは、上階へと走っていった。
赤い毛皮に矢が突き立った。
エルリックは焚き火に火がついたところで、レッドグリズリーに矢を放った。
振り向いたクマは彼女の背後で燃え盛る炎に気づいたようだった。
「鬼さん此方、で御座るー」
流れ矢が仲間や生徒に当たらないよう、よく狙いをつけて矢を放つ。
苛立った唸りをクマがあげた。
突進するような勢いでエルリックに近づいてくる。
その爪を、壁を登って回避する。光纏と共に現れた、触り心地のよさそうな尾が揺れる。
当たればさぞ痛いであろうその爪も、当たらなければ意味がない。
「野次馬をしにきたバカを助ける必要なんてないですのに」
「そう簡単に割り切れるもんじゃないだろ」
セレスティアと九朗が焚き火のそばでレッドグリズリーの様子をうかがっている。
鋭い爪を振り回す巨体に対してつかず離れず、エルリックは誘導を続けた。
炎へとグリズリーが誘導されている間に、救出担当は校舎の中を移動していく。
美具は通路の先にある扉を指差した。
「あそこじゃ! 保健室とプレートがかかっておる!」
空を滑りながら先行するヒリュウは、召喚主である美具と視覚を共有できる。
「何らかの理由で授業休んでた、なら…保健室にいる可能性一番高いよな」
「うむ。それに、保健室に寝ていた者が取り残されるのも映画でよくあるパターンじゃ」
教師の話では休んでいたはずの生徒がいるのは間違いない。
プレートのはられた木造の扉には無惨な爪あとが残されていた。
「……誰かおらんじゃろうか?」
「ちょっと待ってください……いますね、ベッドの陰です」
明斗がアウルの力で部屋の中を探索する。
言われてみれば、カーテンがかすかに揺れている。
「案ずるでない。美具たちは味方じゃ」
おずおずと顔を見せた女子生徒の顔は蒼白だ。恐怖のためか、それとも体調が悪いせいか。
その奥に隠れていた生徒と、あわせて3人。
「この調子で探すとしようかの。学生の逃げ込みそうな場所など、映画で先刻勉強済みじゃ」
ドヤ顔をして、美具は明斗と智美を振り返った。
●
レッドグリズリーが炎を狙っている。
炎を喰らって回復するという敵の前に、いつまでも餌を並べておく撃退士たちではない。
ネイはたき火の前でパタパタと尻尾を降っていた。
けれど、繭子やセレスティアによって、その火が一気に消される。
「焼き芋……?」
たき火の中に放り込んであった芋がどうなったのか。
……疑問が解決される前に、衝撃がネイを襲った。
防ぐつもりはなかった。
守りを固めるのは得意ではない。ノーガード戦法というやつだ。
代わりに彼女は痛烈な反撃をレッドグリズリーへ放った。
「敵、倒す……」
割れた腹筋が固さを増し、手にした片刃の直刀に力を込めて振り下ろす。
装甲のような赤い毛皮の表面に刀傷が刻まれた。
「馬鹿力を正面から受け止めるやつがいるかよ!」
九朗の声と共に、暖かなアウルがネイの傷を癒してくれる。
レッドグリズリーとの戦いは、ここからが本番だった。
セレスティアは不用意にレッドグリズリーに近づくことはなかった。
白銀の槍の長さを当てに、距離を保つ。レースのたくさんついた動きにくそうなドレスを着た彼女だが、動きにはよどみがない。
「大きなクマには簡単に詰められる距離ですけどね」
他人事のように彼女は呟く。笑みはたやさぬままだ。
距離を詰められたときは詰められたときのこと、対策はそこから考えればいい。
「お相手をお願いしますね? 逃げちゃ嫌ですよ」
繭子が校舎とレッドグリズリーの間に入り込んでいた。
黒い刀身の直刀を手にし、積極的に前に出ている。
「縫い止めるで御座る!」
エルリックが影に向けて矢を放った。
赤い巨体が作り出す影を、彼女の矢が大地に縫いとめる。
その隙を逃さずにセレスティアは円を描くような動きで槍を振り回す。
鋭利な穂先が、グリズリーの足の腱を切り裂くと、怒りの咆哮があがった。
九朗は校庭の隅でなにか動くものを見かけた。
「おい、そこに誰かいるのか?」
「わっ! ……え、えーと……その、怖くてずっと隠れてたんだ」
身体を跳ねさせたのは、小柄な少年だった。
丸い顔に、丸縁の眼鏡をかけている。
けれど言葉に反して、恐れている様子は感じられない。
見た目は人間と変わらないが、彼が人間かどうか見破る術が九朗にはあった。
「下手な芝居はやめとけよ。天魔なのはわかるんだ。悪魔か、ヴァニタスか、どっちだ?」
「なっ……! ……ふん、さすが久遠ヶ原だね。この月寒里音がヴァニタスだって見破るなんて」
激昂しかけた少年だったが無理やり落ち着いた風に取り繕う。
「けど、見破ったのが君の命取りだよ!」
袖口から手品のように現れたナイフが、九朗を狙ってきた。
両刃の大剣を盾にして受け止めようとするが、刃はすり抜けて彼の身体に突き刺さる。
根元まで刺さったナイフを強引に引き抜く。
「只者じゃねえな……けど、邪魔はさせねえよ!」
剣を凧型の盾に持ち替えると、九朗は小さな光を自らの身体に送り込み、傷を癒した。
智美は1人、校舎から校庭へと飛び出した。
クマをおびき寄せるのに成功したのを確認したところで、美具や明斗に救出は任せたのだ。
体内にアウルを注ぎ込んで防御力を強化すると、グリズリーの前に駆け込む。
「加勢する! この熊を倒せば、当座の危機は回避できるはずだ」
「頼むぜ! 面倒なやつもいるみたいだからな!」
ナイフを盾でしのぎながら九朗が言った。
繭子やセレスティアは防御を固めつつグリズリーの体力を削っていっている。
ネイは緩急をつけて戦っているが2人よりも傷は大きい。
エルリックは双剣を手に周囲を絶えず駆け回っている。
グリズリーは主に足回りから血を流していた。それに片目も傷ついている。
強敵に対して、まずは弱体化させることを優先していたのだろう。そうでなければ、誰かが倒れていたかもしれない。
紫焔を先端に宿して、目にも留まらぬ速度でパルチザンが突き刺さる。
吼えながら振るわれた爪が、智美の胴をしたたかに薙いだ。鮮血が飛び散る。
けれど、守りを固めておいたことが功を奏した。
仲間たちがさらに攻撃を加える。
後方へと飛び退り、智美は再び紫焔を槍に付与する。金色の炎のごとくアウルが全身から燃え上がる。燃焼する力は彼女の身体を加速させて、グリズリーを深々と貫いた。
校庭の真ん中に倒れた天魔から、毛皮と同じ赤い体液が流れ出し、やがて動かなくなった。
レッドグリズリーが倒れたのを見て、里音が舌打ちをする。
「……ちぇっ、やられちゃった。この借りは近いうちに返させてもらうよ!」
「逃げるつもりか?」
「もちろん! 僕は逃げ足が速いのがとりえなんだ」
自慢げに言うと、撃退士たちに背を向けて一目散に走り出す。
追撃の攻撃も、ヴァニタスの足を止めるには至らなかった。
「結局、見覚えのない少年って言うのがあのヴァニタスってことですか?」
「その通り、なんでしょうね。なんのつもりでこんなことをしたかは……ほっといても、そのうちわかるんじゃないですか」
繭子の疑問にセレスティアが答えた。
ようやく外に出てきた教師は、グリズリーの死体を見ておびえた表情をした。
「大丈夫じゃ。もう死んでおるよ。……ホラー映画なら、最後に目が光ったりするところなんじゃろうが」
「は、はい……」
離れた場所から、動かないことを確かめている。
「生徒の人数はそろっていますか? 誰かいない人がいないか確認してください」
「大丈夫だと思いますが……確認してきます」
明斗に言われて、教師は校舎に戻ろうとし……足を止めた。
「どうもありがとうございます。撃退士の皆さん」
「拙者たちは仕事をしただけで御座る。礼を言うほどのことではないでござるよ」
1人1人に礼を述べていく。
――最後の1人が、メープルシロップをかけて焼き芋を食べていたので、教師は目を丸くした。