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道東の川水はすでにずいぶんと冷たくなっていた。
常人よりも高い身体能力を誇る撃退士ではあったが、寒いもんは寒い。
「寒すぎて凍えそうですわ……早く片付けて暖房の効いた室内に戻りたいですわね」
ぼやいたのはシャロン・リデル(
jb7420)だった。紫がかった赤毛の少女は、寒そうに自分の肩を抱く。
耳当てやマフラーに厚めのコートで固めているが、川辺となればどうしても寒気は防ぎきれない。
そして、彼女はうんざりとした表情で仲間たちの1人を見た。
「う〜゛やっぱ寒いわね」
視線の先にいる少女は笑顔だった。
超笑顔だった。
獰猛な三角形の歯を見せてヌール・ジャハーン(
jb8039)は朗らかに……もとい、恐ろしい笑みを浮かべている。
跳ねまくった彼女の赤い髪は水につかって濡れていた。
別に笑顔であることにはシャロンも文句はない。
北海道の冬は早い。
11月の下旬ともなれば最低気温は零度を下回ることもあるくらいだ。
にもかかわらずヌールは水着を着ていた。
小柄でスリムな体にピッタリはりついた撥水性の布地からは金属を思わせる白い肌が除いている。
その様はこの地に内地より一足早く訪れている冬将軍に、挑戦を挑んでいるかのようですらあった。
見ているだけでも寒い格好をなるべくみんな見ないようにしている。
(あたしの水着ってやっぱ需要ないのかな……)
ヌールは内心ちょっとガッカリしていたが、ぶっちゃけ需要以前の問題であった。
「……まったく、あんな格好で風邪をひいたりしませんのかしら、天使は。……べ、別に心配なわけではありませんけれども」
シャロンは呟いて、ディアボロを迎撃する準備を続けた。
撃退士たちの立てた作戦は、網を用意してきて流れてくるヒドラたちの動きを止めることだった。
とはいっても、定置網はすぐに調達できるような代物ではない。
釣具店で買ってきた大きな網を広げ、できるだけ重ねているのだ。
『水だと、紙が濡れるな……』
ピンク色の髪をした少女が紙に自分の呟きを書き出す。
別にしゃべれないわけではないが、七瀬 夏輝(
jb7844)は自らの声を発することを好まない。たとえ川の中でも。
もっとも天魔との戦いの際にはそこまでこだわってはいられないが……今はまだ戦いの前だ。
「ふーむ、普段は下流まで降りてこないようなディアボロが……何らかの変化があったのかもしれんな」
作業を続けながら、小麦色の肌と非モテ騎士の二つ名を持つラグナ・グラウシード(
ja3538)が思案顔を見せる。
「ああ。定置型のディアボロが移動……上流で碌でもない事が起こってそうだな」
無精ひげの大学生、不破 玲二(
ja0344)が頭をかいた。
この寒気の中でも眠たげな表情は変わっていない。見るからに面倒くさそうな口調だった。
「間違いなかろう。これは是非とも調査しなくてはな」
ほくそ笑むのはアイリス・レイバルド(
jb1510)。
いや、無表情な彼女が実際に笑みを浮かべたわけではない。ただ、ほくそ笑むような表情が似合う仕草をしているだけだ。奇妙なまでに彼女は笑うということをしなかった。
習性を無視しての不自然な移動――それは己では対処できない問題が発生したという事。
ディアボロが対処できない問題とはいったいなんなのか。
持ち前の好奇心が刺激される……が、もちろんまず目の前の敵を片付けねばならないことはアイリスにもわかっている。
「上流の方で何か……ね。何にせよ、まずは泳いでた連中からだな」
東郷 煉冶(
jb7619)の落ち着いた声で仲間たちをまとめた。
「そうねえ。まずは降りてきたのをなんとかしておかないとよね。こっちが凍えちゃう前に来てくれたらいいんだけど」
フローラ・シュトリエ(
jb1440)が冗談めかして言った。
「カイロをあまっておりますので、よかったらみんな使うといいですわ。せっかく買ってきたのに、使わなきゃもったいないですもの」
シャロンが体に貼り付けるタイプのカイロを皆に配った。
一箱に結構な数が入っているので全員にいきわたるだけの十分な数がある。
意図的にあまるほどのものを選んだわけではない……というのは、素直になれない性格のシャロンの照れ隠しだろうか。
なんにせよ待ち構えている間に凍えてしまっては元も子もない。
撃退士は並の人間より低温にも耐えられるが、寒さで体が思うように動かないこともあるという点は変わらないのだ。
熱いほどのカイロの温もりが、ディアボロが流れてくるまでの間、わずかなりと撃退士たちの体を温めてくれた。
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上流から流れてくるヒドラを見つけたのは、シャロンだった。
「来ましたわ! ディアボロが……5体!」
悪魔の翼を顕現させた彼女は、上級から川を偵察していたのだ。
川の上空に吹き降ろす寒風をカイロが与えてくれる熱気で耐えながら、少女は敵が流れてくるのを確認していた。
アイリスは首につけた鈴を鳴らしながら滑るように川岸を上流へ進んだ。
無数の黒い粒子が集まって、腕のようにも見える形をした羽が背中で揺らめく。
「惨事を避けるためにも前座での消耗は抑える。故に全力で殲滅してやろう」
青白い大鎌を振るう。
翼を構成する粒子が凝り固まって、アイリスの背後に彗星を生み出した。
彗星が激しい水柱を生んだ。
水の抵抗を打ち砕いて、棒状に伸びた体を持つディアボロの体が折れ曲がる。
冷たい飛沫がアイリスへと跳ねるが問題ない。
事前に準備運動をしっかり行い、指先から少しずつ低温の水に体を慣らしてある。
(細かな準備が意外と馬鹿にならんのだ)
もちろん他の者たちと同じく胴長靴ははいている。
ゴム製のズボンとブーツが一体化した防水具は見栄えこそしないが、効果は確実だ。
敵の触手がどれだけ伸びてくるかはわからないものの、少なくともコメットを撃ち込む射程よりは短いようだ。
反撃はなく、敵はひたすら流れに乗ってくる。
網を破らないよう距離のあるうちに、アイリスは彗星を何発もヒドラたちに叩き込んでいた。
撃退士たちが準備していた網にヒドラがかかる。
阻霊符が発動している為、ディアボロたちはひっかかった。
玲二は即座に拳銃を抜いた。
腰だめに構えた得物の引き金を引いたまま、掌で叩くように撃鉄を起こす。
魔法陣の描かれた銀色の銃身からアウルのこもった銃弾が放たれる。
「これで気を散らしてくれると有難いんだがね」
放った銃弾がヒドラのうち1体の触手を数本吹き飛ばす。
とはいえ、敵の触手は数本どころではない。口の周りにびっしりと並んだ毒の触手が川の中にいる仲間たちに襲いかかった。
蝙蝠のような翼を生やした夏輝の、ピンク色の髪が伸びた。うごめきながらヒドラたちに襲いかかる……幻覚が敵を捕らえる。
「うねうねと気持ち悪いのですわ。消えてくださいませ」
頭上からシャロンが放つ血色の槍がヒドラの頭部……らしきものを貫く。
フローラが水中に澱んだ気のオーラを注ぎ込み、氷晶を躍らせる。
前衛の撃退士たちも触手の攻撃を食らい、あるいは回避しながら反撃を行っている。
1匹が水に浮いた。
けれども、敵の動きを封じることができたのは1手の間だけであった。
準備してきた網はもとより固定して使うことを想定した形状をしていない。また、固定具を取り付けるような仕組みもついてない。
煉冶が廃材を使って固定しようとしてはいたが……。
そもそも、阻霊符を発動しておけばすり抜けることはできなくなるものの、普通の網に比べて頑丈になるわけではない。
重ねて使っているとはいえ、ディアボロが力任せに突破しようとしたならばさして持つものでもなかった。
「ま……1匹倒せただけで上等ってとこかよ。しゃあねえな」
玲二はすぐさま拳銃を鋼糸に持ち替えた。
網を突破しようとしていたヒドラの1体にひっかけて、もがく敵を強く引っ張る。
「おいおい、あまり暴れるなよ」
巻きつけたワイヤーが棒状の体躯をひっぱり、締め上げる。
締め上げた敵を仲間たちが打ち砕いた。
ラグナは逃亡しようとする敵のすぐ真上の水面すれすれに浮いていた。
青年の背中には神々しい翼が生えている。ディバインナイトたる彼は天使と同じように空を飛ぶ力を持つのだ。
「ふっ! この私の美しさに見惚れるがいいッ!」
網を突破してさらに下流へ向かおうとするヒドラたちへ、彼は高らかに叫ぶ。
異国情緒あふれる見目をした青年の体から放たれるのは金色の光。
それを感じ取ったヒドラたちがいっせいに川底へ棒状の体の先端を押し付けて固定する。
どうやら自分の美しさは知能のないディアボロたちにも通じるようだ……そんな勘違いをするラグナに、ヒドラたちが触手を伸ばしてきた。
不愉快そうに触手を振り回す敵。
まるでイラついてでもいるように水面を叩いている。
いや、実際イラだたせているのだ。冷たい視線――目がどこにあるのかわからないが――を全身に感じてラグナは身を震わせる。
知能のない敵さえもイラつかせるラグナの非モテオーラが注目を集め、伸びてきた触手が青年を次々に突き刺す。
煉冶が強烈な勢いでそのうち1体に三節棍を叩きつけた。
「触れるな、愚か者」
浅からぬ傷を受けたのを察して、夏輝がアウルの弾丸でヒドラを撃つ。
「蛇は頭を潰すのがセオリーかしらね!」
その隙にヌールの太刀がその敵の首を切り飛ばした。
煉冶は落ち着いて、木の棒を3つ鎖で連結した棍を振り上げた。
今はラグナを狙っているが、最初の段階で彼も触手の毒は食らっている。わずかずつ減っていく体力を不敵な笑みで彼は無視した。
ケンカ慣れしている彼は無闇に退いてはいけない場合があることを知っている。
節をはずした三節棍をヒドラの棒状の体躯にからませる。
力任せに水中から三節棍を引き抜くと、アクアヒドラが空中に舞い上がった。
「あがっちまえば魚と同じだ……喰らいなッッ!!」
三節棍に引っかけた敵を思い切り川岸へと叩きつける。
浮いた敵をすばやく抜いた銃口が狙った。すぐさま放たれる銃声……。打ち抜かれた敵は砂利の上で暴れまわり、やがて動かなくなる。
「お前の悲鳴はいい≪音≫か?」
そして、最後に残ったヒドラを、夏輝のチェーンソーが両断した。
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最低限の仕事はこなした。しかし、撃退士たちの戦いは終わっていない。
川を上がると、フローラが準備しておいたタオルで体を拭く。
「保護もしないとだし、上流に何があるか、ちゃんと確かめないとね」
飄々とした風で仲間たちに笑いかけるフローラ。
「ああ。いったいどうして下ってきたものやら、しっかり確かめておかねばならん」
アイリスが表情を変えず……しかし、勢い込んで言った。
「なにか他の脅威が現れていられなくなったというところかしらね」
「可能性はある。まずは調べてみるしかないだろうな」
ヌールの言葉に煉冶が応じた。
濡れた体を拭いた後、撃退士たちはまず隠れている男のところへ向かった。
なにかあるにせよないにせよ彼を助けてやらねばならない。
何人かにはそのまま偵察に向かってもらい、他の者たちは木の陰に隠れていた男へ近づく。
「撃退士の方……ですか?」
夏輝は問いかけにうなづいた。
『ディアボロ出現の原因を調べたい。何かわかることはないか?』
ノートに書いた言葉を読み、男はしばし考えていた。
『すみません……怖かったしそんなにしっかり周りを見てたわけじゃないんです』
おもむろに手帳を取り出した彼は書いた文字を撃退士たちに見せる。
『……いや、そっちは別にしゃべっていいんだ』
「少なくともこの地点までにはなにもなかったと考えてよさそうだな」
煉冶がうなづいて、川のほうへと視線を向けた。
フローラは上流にある湖に近づいていた。
なにが潜んでいてもいいよう、心を沈めて邪念を振り払い、気配を消している。
「足跡がある……通報してきた人のかな?」
湖のほとりから遠ざかる足跡がある。件の男はここから逃げていったのだろうか。
あるいはまったく別の誰かがここにいたのか……。
少なくとも今の時点では、もう湖には誰もいないのは確かだ。観光客の類も見当たらない。
湖面は不気味なほどに静まり返っている……慎重に観察していたフローラは、その底に細長い影が見えたような気がした。
「なにかいる……? でも、下手に1人で潜るのは危ないわね」
少なくとも動いている様子はない。
足音を立てないように後退した彼女は、仲間たちに連絡を取った。
アイリスが光纏を行い、周囲の生命反応を探る。
「生命反応があるな。1つだけ……いや、おかしいな、1つしかない?」
植物は反応しないとして、水中に魚たちはいないのだろうか。
それは自然にあらざる捕食者がこの下にいるということの証左だった。
神々しい翼を生み出したラグナが飛翔し、フローラが見つけた影の真上で剣を振りかぶる。
水中へ飛び込みながら痛烈な一撃を繰り出す。
果たして、そこには先ほど戦った敵に倍するサイズのアクアヒドラがいた。
「どうだ、私の一撃は……痺れるだろう!」
攻撃を受けたヒドラが水上へと伸び上がり、触手を伸ばす。
「やっぱり大物がいたのね」
ヌールは敵が現れたと同時に水中へ飛び込んだ。
水着のままで天使の翼と悪魔の翼のついた盾をかまえる。
刺すような冷たさが再び彼女の体を襲う。けれども仲間たちを守る盾として、ヌールは立ち止まるわけにはいかなかった。
「我が身は盾!」
触手の前にあえて身をさらし、しかし毒を帯びたそれらを確実に受け止める。
背の低い彼女の3倍はあろうというサイズの敵を前に彼女は一歩もひかなかった。
こんな敵に比べれば、寒さのほうがよほどきついというもの。
そもそも水着なんて着ていなければ寒さと戦う必要はなかったのかもしれないが、それは言わない約束だ。
盾になる彼女にアイリスが黒い粒子を纏わせて守ってくれる。
「やっぱりもっと強いのに縄張りを奪われたってとこだな」
玲二が素早く引き金を引き、シャロンが血色の槍を放つ。
煉冶が棍を力強く振るう。木のように太いが柔らかな体をひしゃげさせた。
夏輝もチェーンソーでその体を削っていく。
フローラのアウルが巨大ヒドラの表面で弾け、氷の結晶が彼女に向けて散らばっていく。
ヌールは仲間たちが攻撃する間、しっかりと盾を構えて耐えていた。
「……どうやら、でかいだけで先ほどまでと戦い方は変わらないな」
戦いながら敵を観察していたアイリスが、やがてそう呟いた。
闇よりも深い瑠璃色に染まった瞳が、アウルの波動を放つ。
覗き見ることに対して深い興味を持つ彼女の視線には、力が宿っているのだ。
威圧するような眼光が敵を貫く――。
巨大ヒドラが静かに水中に没していった。
敵が動かなくなったのを確かめて、濡れた撃退士たちは足早に岸に上がっていく。
湖は、再び静かになった。