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「お化け屋敷? 面白そうだし、入ってみようかな」
黒瀬 蓮(
jb7351)はまだ知らなかった。
ホラーハウスの看板が掲げられたその教室内で、いったいなにが待ち受けているのか……。
蓮が手をかけた扉には手書きで作られた、おどろおどろしい……もとい、おどろおどろしく見せようと努力した痕跡の見られる張り紙が扉に張り付いている。
「どうぞどうぞ、ぜひ見てってください」
受付の椅子に座っていた生徒が、蓮に愛想笑いをしてきた。
「中は思ってたより暗いねぇ、雰囲気も出てるし」
無数の暗幕を使って、教室の中はしっかりと視界をさえぎっている。
この奥にどんな仕掛けをしているのだろうか。
蓮はそっと奥へと進んでいった。
ところどころに置かれた照明がかすかに通路を照らしている。
暗い教室の中、少女は2人の迷子の手を引いていた。
泣きそうな顔をしてアイリス・レイバルド(
jb1510)の手を握って来た、おそらくは兄妹らしき迷子の子供たち。
「まったく……子供というのはどうして不安になると泣くのだろうな」
青い瞳で2人を見つめる少女はあくまで無表情。
とはいえ、表情が変わらないだけで困らないわけでも惑わないわけでもない。
出店に立ち寄ると泣き止み、出てしばらくすると再び泣き出す子供たちを連れ、アイリスが立ち寄ったのがホラーハウスだった。
肉の腐り落ちたゾンビの顔が、突如暗幕の影から姿を現す。
「ふむ、気配まで似せるとはなかなか……」
質感はとても作り物とは思えぬもの。
腐臭までもただよってきているように思える。
身を震わせた兄妹とは対照的に、表情を変えずにアイリスはゾンビをながめる。
鋭い爪を持つ腕が、ゆっくり持ち上がっていった。
「べ、別に怖くないぜ、余裕余裕ー」
威勢のいい言葉を花菱 彪臥(
ja4610)は発する。
ことさらに声を上げるのは、内心の不安を隠すため。
薄暗い通路に浮かび上がるのは、造り物の朽ち果てた墓石やお堂。
「ひ……っ!」
突然、背中に冷たいものが入ってきた感触を感じて彪臥は飛び上がった。
涙目になりながら少年が振り向いた先にあるのはクラシカルな造りの大きな鏡。
鏡の中に人影が2つ見える。
背中に寒気が駆け上る。
彪臥の赤い髪は、いつもまるで猫の耳のように跳ねている。
それがアンテナのようにピンと逆立った。
「が、がいこつ……っ!」
影の1つは当然彪臥自身。
もう片方は、薄汚れた白い髑髏だったのだ。
「ぎゃー!」
叫んで、彪臥は思わず暗い中を走り出した。
騒ぎが広がり始めていた。
「い、いや……こないで……」
浮遊する鬼火を見て、女子生徒が怯えた表情で後ずさっていく。
ついたてに背中がぶつかった。
もう下がれないと知って、少女がへたりこむ。
鬼火が突進した。
だが、目に見えない何かが、横合いから鬼火に突き刺さる。
「可愛い女の子のピンチに栢さん参上ぉ〜♪」
卯左見 栢(
jb2408)が放った闇の矢は気配を悟らせずにウィスプを貫いたのだ。
矢に合わせて走りこんだ彼女は、へたりこむ少女を軽々と抱き上げていた。
両の手で背中と膝を支える、いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「あれって本物だよね? やっばいじゃぁ〜ん♪」
楽しげに目を輝かせている栢に、女子生徒が思わず抱きつく。
その背中を栢は優しく撫でてやった。
いまや、すでに教室の入り口には誰もいなかった。
代わりに数名の客が、中で起こっている騒ぎを聞いている。
「何やら様子がおかしいのです…?」
首をかしげたのは、リラローズ(
jb3861)だった。
『薔薇姫』の名を持つ彼女は瞳も髪も、身につけているものも赤い。
引きつった笑顔で振り向いた美園・夜澄の肩を、弥生 景(
ja0078)はポンと叩いた。
「メイド喫茶は……とりあえず後にしたほうが良さそうよ」
「だよねー……」
肩を落として困った顔もやはり笑っているように見える。
後ろで結んだ髪を揺らしながら、景は教室の中へと飛び込んでいく。
「しば兄様、ここは一先ず状況解決、ですわ。怖がっている場合ではありませんことよ!」
「うん、ちょっと待って、リラちゃん」
新柴 櫂也(
jb3860)が抜け目なく受付に残されていた台帳をチェックする。
中には9人が入っているようだった。
「悲鳴……? 天魔かな? いや、まさか……? でも!」
通りすがりに悲鳴を聞きつけた天羽 伊都(
jb2199)が部屋に入っていく櫂也とリラローズを近くにあるロッカーの陰から見ていた。
いきなり近寄らないのは、意外と慎重な性格のためだ。
その横を大またに通り過ぎていく巨漢がいた。
「……なにかあったのか」
教室へ入ろうとした夜澄へ低い声がかけられた。
見上げるほど背の高い男だ。
強靭な筋肉で作り上げられた肉体は、夜澄の体がすっぽり入ってしまいそうなほど大きい。
「うん。実は……」
中に天魔がいるらしいと聞いて、桐山 晃毅(
jb6688)はゆっくりとうなづいた。
異変があったことを察したのは彼だけではない。
褐色の肌を持つ少女が、晃毅の後ろから近づいてきて、分厚い体の横からひょいと顔を見せた。
「お祭りも、大変……だね」
ダッシュ・アナザー(
jb3147)はあわてた様子もなく呟く。
慌てずに携帯端末を取り出して、マイペースなダッシュはマスターに遅れるとメールを打ち始めた。
「や、やっぱり……天魔みたいっすね……!」
伊都もヒヒイロカネから武具を取り戻して装着した。
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飛び込んだ櫂也は奥に向かって声をかけた。
「大丈夫か? 誰かいるならこっちに来い!」
すすり泣くような声が奥から聞こえる。
「どなたかいるみたいですの!」
「ああ、すぐに……わぁぁぁっ!」
暗幕をかき分けて奥へ飛び込もうとしたところで、櫂也は思わず情けない悲鳴を上げてしまった。
悪魔である櫂也はお化けなど恐れることはない。
だが近づこうとした相手が逆に暗幕の裏から飛び出してくれば驚きもする。
なにしろ、要救助者だと思っていたはずの誰かは、宙に浮いたまま、真っ赤な瞳をして、爪を振り上げて現れたのだから。
「しば兄様っ!」
とっさに悲鳴に反応したのは彼の妹だった。
赤いフリルやレースが闇にひるがえり、バンシーの爪を受け止める。
「兄様はリラがお護り致しますの……!」
「り、リラちゃん……」
翡翠色の弓で至近距離から矢を放つリラローズの颯爽とした様に、櫂也が涙ぐむ。
「美園さん、まずは光源を探して!」
「うん、わかった」
ダマスカス製のバットを取り出した景が夜澄に叫んだ。
晃毅が暗幕を問答無用で引っ剥がしていく。
一足遅れて入ってきたダッシュも同じく照明を探し始めた。
暗い部屋の中が一瞬明るくなる。
だが、誰かが明かりをつけたわけではない。
景は両手でバッドをしっかりと握った。
暗幕を焼き焦がしながら近づいてくる火の玉。
振り向きざま、思い切り振りぬいたバットがジャストミート。
今はマネージャーだがかつて少年野球でならした腕は鈍っていない。
バットを叩きつけたウィスプが消え去っていく。
ダッシュが火のついた暗幕を落ち着いて消火していた。
騒動が始まったのに気づいて、蓮もすぐに動き始めていた。
「まず光源を探さないと、このままじゃろくに動けないよね」
耳を澄ませて、景たちとは違う場所を探し始める。
もちろん、天魔や他の客の足音も聞き逃さないように……。
蓮だけではない。他に教室内にいた撃退士たちも、それぞれに行動を始めていた。
這うようにして逃げてくる男の子を晃毅が見つけたのは、誰かが照明がつけたのとほとんど同時だった。
「助けに来た……早く逃げろ」
小学生か、中学生か。
晃毅は追ってきたスケルトンの前にたちはだかる。
大きな背中にかばわれた男の子が礼を述べて逃げていった。晃毅は硬く拳を握る。
教室への被害を気にしている場合ではない。
力強く振るった拳の一閃が、闇の力を前方へと放つ。
スケルトンと共に視界をさえぎる暗幕を数枚、一気になぎ払った。
教室の入り口へ逃げていこうとしていた少年は、思わず悲鳴を上げていた。
立ちはだかる漆黒の獅子の顔。
体もまた黒い鋼に覆われている。
「な、なんすか? 近くにお化けがいるんすか?」
両手剣を構えたお化け……もとい伊都は金切り声にびくつきながら周囲をキョロキョロと見回す。
「どこからでも来るといいっすよ。ビビッてなんか、ないっすからね……!」
男の子へと伸ばそうとした手が空を切る。
化け物に入り口をふさがれたと思った彼は、再び教室の中へと逃げていく。
「あ! そっちじゃないっすよ! 出口は……」
追いかけていく伊都に、少年はさらに悲鳴を上げた。
照明に映し出されたゾンビの腕を、アイリスは杖で受け止めた。
文化祭にあっても常在戦場の心意気は忘れていない。
「前言撤回。本物を持ってきただけか」
本物のゾンビの姿を見て兄妹が泣き出した。
「泣くなよ、そもそも泣く必要が無い。傷一つ付けずに安全な場所まで淑女的に連れて行ってやる」
高校生にしては背の低い少女。
しかし、彼女は軽々と子供たちを両脇に構えた。
ゾンビがさらに腕を振り上げる。
黒い粒子の羽が光纏によって現れる。高速で振動した羽が、近づいてきたゾンビを一気に切り刻む。
「失礼、邪魔なので骨ごと断ち切らせて貰った」
「お姉ちゃん、すごい!」
抱えられた兄がアイリスの姿に目を輝かせた。
「この気配、天魔じゃんっ!?」
少年の声が聞こえ、アイリスの前から暗幕が取り払われた。
さらに骸骨兵士が現れるが、その他に彪臥の姿も見える。
「ねーちゃん、その子たちを逃がすんだよな? 手伝うぜっ!」
「すまんな、援護を頼む」
彪臥が両刃の直剣で骸骨を切り裂く。
赤毛の少年と金髪の少女は、兄妹と共にまず出口へと走った。
ダッシュは高校生らしき女性を見かけて駆け寄った。
「一般人が、最優先。出口、こっち……」
周囲の騒ぎに驚いて動けなくなっていたらしい彼女の手を引いて、ダッシュは出口へと誘導する。
緩慢な足跡を聞いたダッシュは、彼女の背を押して横の壁を駆け上った。
逆さになった視線の先にゾンビ犬がいた。影を狙って金属糸を飛ばす。
「……邪魔、ここで……止まってて、ね?」
そのまま糸で敵を切り裂こうと足を踏み出した……と、顔に冷たい感触があった。
「ひゃん……」
思わず小さく悲鳴を上げる。
吊り下がっていたこんにゃくが落ちてきて、ダッシュの顔を襲ったのだ。
再び動き出そうとしたゾンビ犬へ、横合いから金属バットが叩きつけられる。
「あ、また可愛い天魔発見ー♪」
天井を歩くダッシュを見て、栢が笑顔を見せた。
「ゾンビ犬、意外とがんばる! ちょーかわいいいい」
一撃で倒れず駆け出したゾンビ犬の姿に栢が黄色い声を上げた。
ダッシュの真下を通り抜けようとした犬を、金属糸が一気に切り裂く。
「貴方は、ここまで……だよ。私の、ワイヤーに……刈れない物は、ないの」
栢のテンションにもダッシュがペースを乱されることはない。
さらに数匹のゾンビ犬が走ってきた。
「近づいてくるよ、コワ〜イ! 可愛い天魔さん、手伝ってね〜?」
楽しげに叫び、ゆらゆら揺れてバットを振るう。
「いいよ……ここから、通行止め……だよ?」
表情を変えずに、ダッシュは金属糸を放った。
巻き込まれた一般人たちを避難させてしまえば、あとは単純な天魔退治だ。
蓮がゾンビたちを追っている。
ヒヒイロカネから取り出した両手剣で、ゾンビを切り裂き、飛び退って距離を取る。
「ゾンビってゲームの中以外で初めてみたよ、少しワクワクしてきちゃった」
ヒットアンドアウェイで彼は腐った頭部を切り裂いていく。
入り口では櫂也とリラローズは敵を迎え撃つ。
天魔たちは見る間に数を減らした。
数がわからないうちは脅威であったが、照明がつき、暗幕やついたてが外されてしまえば、意外と数も多くないことがわかる。
「今度は俺が守るからな、リラちゃん」
「はい! 頼りにしてますのよ、しば兄様」
赤い少女をかばうように前に立つ櫂也の手裏剣が最後の敵をしとめたのは、ほどなくのことだった。
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教室の扉のあたりに集まって、撃退士たちは息をついた。
「まったく、どこの誰がこんなことをしてくれたのだか」
言いたいことはいろいろあったが、まずは服をつかんでくる迷子をどうにかしてやらねばならない。
「その子たちはケガしてない?」
彪臥に問われて、アイリスは首を横に振った。
「問題ない。すまんが私はせねばならないことがある。後始末は任せたぞ」
「ん、気をつけてな。他にケガしてる人がいたら、手当てしてやるぜっ」
疲労を感じさせない様子で、彪臥は他の者たちにも声をかけた。
「それじゃ、俺たちも行こうか、リラ」
「ええ。よろしければ、美園様おすすめのメイド喫茶なる場所へ行ってみましょうか」
リラローズが夜澄を見た。
「ごめんね、迷惑かけちゃって。メイド喫茶のほうはまともだよ。……たぶん」
虚ろな笑いを浮かべて美園が応じる。
「美園さん、メイド喫茶の前にもう一つ。さっき言ってたあなたの『お友達』について詳しく教えてもらえる?」
そう言われることは、予想していたのか。
景の質問に、大きなため息をついてから夜澄は答えた。
「……綺麗な人が沢山いるとはいえ、でれでれしたら許しませんからね、お・兄・様?」
「わかってるよ。2人で文化祭を楽しもう、リラ」
離れていく兄妹の声を背に、景たちが歩き出す。
『お友達』らが閉じこもっていた部室にまず乗り込んできたのは、2mを超す偉丈夫であった。
白いスーツの袖口から飛び出した大きな石のような拳が音高く鳴る。
「何をすればいいか分かってるだろうな? 分かってないならこの場で教えてやってもいい」
晃毅の後ろから景をはじめとする女性たちも顔を出した。
「一般人も、いるのに……考えが、足りない」
「面白かったよ! でもねえ、これは文化祭だから。客のコト……他人のコトをちゃんとよく考えないとねえ?」
朗らかに笑いながら栢は壁に寄りかかった。
「悪いけど……ボクもちょっとかばいきれないからね」
突き放された少年たちが、逃亡をくわだてようと突進してくる。
「……教えてやらないとわからないようだな」
晃毅が拳を硬く握り、景がハリセンを振り上げた。
正座でこってりと説教した後、ダッシュはマスターからの返事が届いていたことに気づいた。
首謀者は景や夜澄が先生のところに連行して行った。
手を振ってくる栢に軽く手を振り替えして、少女は急ぎ足に歩き出す。
「早く、帰らなきゃ……マスター、待たせちゃった。話のネタには、なるかな?」
人助けをしたといったら、マスターは褒めてくれるだろうか。
これから行くとメールを打ちながら、ダッシュはマスターへどんな風に話をしようかと、考えていた。