●海開き・開会
鐘の音が響く。それと同時に、町中の家が空になった。今日は海開きの日。町中の人間総出で海岸に集まる一大イベントだ。
開会式で町長が挨拶している横で、依頼を受けてきた撃退士たちが秘かに堂々と打ち合わせをしていた。
「実際に飛び込みに参加する前に、ルールを確認しようォ。違反行動はしないように気をつけたいからねェ」
黒百合(
ja0422)は、会場の入り口で手に入れたイベントパンフレットをみんなにも配りながら言った。
「それとォ、疾風ちゃんにはいつ接触するのかしらァ?」
「それなら、何人かが飛んだ後にしようと思うんだが……」
金鞍 馬頭鬼(
ja2735)が答える。反対意見はなかった。
「では、そう言うことにィ。それにしてもォ、今日は人の姿なのねェ」
「ああ。いつもの姿でウケ狙い……と思っていたが、信用を得るにはこちらのほうがいいだろう」
一通り打ち合わせが終わる頃、ちょうど開会式も終わりを迎えた。
メインイベントである飛込みは、一時間後から開始される。それまでは準備時間ということで、参加者の観光客が用意された更衣室へ移動し始めた。
女子更衣室。そこに一人、ニヤニヤと口元に笑いを浮かべた女の子がいた。東風谷映姫(
jb4067)だ。自分の着替えは後回しにして、部屋の真ん中で堂々と他人の着替えを眺めている。
「へへへ……役得役得……。女子に生まれてよかったぜ……」
東風谷は小さな声でそう呟くと、そろりそろりと着替え中のユリア・スズノミヤ(
ja9826)の後ろに忍び寄った。
「乳ゴットハンド」
「きゃあ!!」
悲鳴が響いた。東風谷が後ろからその胸の大きさを測ったのだ。そしてまた次の人の胸を計る。東風谷は撃退士の持つ身体能力を駆使して、物凄いスピードで部屋の中を移動する。部屋の中が悲鳴に包まれた。
「この瞬間の為に生きてるんだって私思ってる!!」
その動きも、一人の女の子の前で止まった。目がその胸に釘点けになっている。
「……な、なんですかぁ」
月乃宮 恋音(
jb1221)は顔を真っ赤にして、東風谷の視線から逃げた。
月乃宮は牛柄のビキニに着ていたのだが、胸のサイズがかなり危ない。今にもビキニが破けてしまいそうだった。だからそのビキニの上に、月乃宮は桜色のパーカーを羽織った。
騒ぎが一通り収まると、東風谷も褌とサラシに着替えた。外に出ると、水着姿の女性達がおしゃべりをしながら飛び込みが始まるのを待っていた。
東風谷は建物の陰にたたずんで、静かに目の前に広がる女性達を堪能していた。
「あぁ……神よ、私を女性として生きることを許していただきありがとう……」
飛込みが開始されると、一番に佐藤 としお(
ja2489)が飛び込みに名乗り上げた。
「海は〜広いな〜大きいな〜♪」
一度も飛び込みをしたことのない佐藤だったが、やるからには楽しみたいということだった。崖に入る前から助走をつけ、崖のサキッポで思いっきりジャンプする。2メートルほどは飛び上がった。そのまま前方宙返りでクルクルと回りながら落ちていく。
眺めの滞空時間を過ぎて水面が近づいてくると、佐藤は宙返りを止めて身体棒のように真直ぐにも伸ばした。そのまま垂直に海に突き刺さっていく。着水の瞬間、佐藤は光纏した。海水の代わりに、巨大な黄金の龍が空に舞い踊る。
「おおぉ」
観客席から、大きな拍手の音が響いた。
二番目の飛び込み挑戦者は金鞍である。金鞍は崖の上に立つと、飛び込み位置まで3連続のバク転で進んだ。そのままもう一度バク転をする勢いで、後飛込をする。
「おおぉ」
綺麗な後飛込に、観客は感嘆の声が漏れた。
空中の金鞍は、ゆったりとした動作で2回後方に宙返りする。そして身体と手を真直ぐに伸ばして、指先から切り込むように着水した。
●疾風・接触
金鞍の後には一般の観光客が続く。撃退士たちはその間に疾風の姿を会場で探した。すると、コッソリ隅の方から逃げ出そうとする疾風の姿が見えた。
「疾風ちゃん、どこに行くのかにゃ?」
逃げ出そうとした疾風の前に回りこんで、ユリアが訊ねた。
「え、えと……」
自分から依頼しておいて、撃退士に会うのは初めての疾風。急に目の前に現れたユリアに、疾風は一目惚れしてしまった。
「ちょっとお話しよっかー」
ユリアはそのまま疾風を仲間のところまで引っ張って行った。
6人の撃退士に囲まれて、疾風はかなり緊張していた。それでも不良に憧れている身、わざと悪ぶってガンを飛ばしてみる。
「なんだよ!」
そんな疾風の態度など気にも留めず、黒百合は手を差し出す。
「黒百合ですゥ。よろしくねェ」
「あ。……よろしく」
根が真面目な疾風は差し出された手を虫できなかった。黒百合と握手すると、急に親近感が沸いてきた。黒百合が月下香の幽香を使用したのだ。
「そんなに飛込みが嫌いなのかしらァ?」
黒百合は気軽に会話を続けていく。
「……嫌いというか。俺、水が恐いんだよ」
「あらァ。それは大変だわァ。みゅ、それって、私たちがヒールとか応急手当とか、回復系のスキルを持ってても、天魔が恐い人は恐いのと同じなのかしらァ」
「良くわかんないけど……回復スキルとか、あるんだな」
「そうなのよォ。怪我したって大丈夫なんだけど、恐い人は恐いのよォ」
「へぇ〜。そうなんだ」
会話は続いたが、いまだ疾風が飛び込みに参加する意志を感じられない。
「自分、さっき飛び込んできた」
金鞍が口を開いた。
「高さ約5m。下に障害物は無く、あるのは海水だけ。我ながら無茶な飛び込みをしたが、深さは十分あって安全は確保されている」
「だから、俺は水が苦手なんだよっ」
疾風はなんとなくイライラしていた。
「水が苦手?高いのが怖い?それとも海に苦い思い出がある?問題ない。たまたまそこに水があって、偶然それが海で、今回珍しく高さがあるというだけだ」
疾風はポカーンと口を開けて何度も目をしばたいた。どう返したらいいのか分からない。
疾風が黙っていると、佐藤がその肩に手を回した。
「君さぁ、この先何をするにしたって恐いことや苦しいことがあるよ。それから逃げ回っててもしかたないよね?君は根性なしかい?」
痛いところを突かれた。
「違うなら、根性を出して思い切り飛び込め!」
「……やっぱり、飛ぶべきだよなぁ」
もう逃げ場はないのかと、疾風は肩を落とした。
「……あのぉ。水が恐いと言うことは、泳げないですよねぇ?」
「っ!あ、ああ」
ずっと控えめに後に立っていた月乃宮が疾風に話しかけた。疾風はその体型に驚いて、慌てて目を逸らす。
「……でも、今までこのイベントに参加してきた方達が全員泳げたとは考えにくいですよねぇ。それに、もし何か事故が起きていたとしたら、少なからず反対者や中止要請が町長さんのところに出ているはずですよねぇ。この二つを考えると、今回のイベントには安全な救助体制があるっていうことですよねぇ」
月乃宮の論理的な説明を、疾風も頷きながら聞いた。
「……特に、今回は私たち撃退士が参加して、いつでも救助に回ることが出来ますから、飛込みが事故に繋がる可能性はほとんどありませんよぉ。安心してください」
「あ、ああ。確かに、そうだな。ありがとう。俺、何とかがんばって飛ぶよ」
少し声が震えているが、疾風は飛ぶ気になったようだ。
「よし。技術点や美しさというのは忘れよう、ある程度勢いをつけて飛ぶだけだ。……プールでの飛び込みなら、授業でやったことがあるか?動きは同じだが高さがあるから少し練習しよう」
金鞍が言った。そして疾風の腕を頭の上に上げさせて、飛び込みのシミュレーションをした。アドバイスはかなり的確で、怪我をする可能性はさらに少なくなった。
「行けッ!疾風(かぜ)に成れッ!!」
しばらくの指導の後、金鞍は疾風の背中を軽く叩いて飛び込みの並び列へと送り出す。
「貴方のかっこいい姿を期待しているわねェ……きゃはァ……♪」
黒百合も後から応援した。
列に並ぶと、ユリアが横に来た。
「うみゅ、どうやったって水からは遠ざけられないけど、恐いものを乗り越えた後のご褒美とかがあれば少しは頑張れるかにゃ?何か欲しいモノとか、して欲しいこととかあるー?」
ユリアはおっとりとした口調なのに、疾風は胸がドキドキするのを抑えられなかった。
「あ、え、えと。じゃあ、友達に、なってくれないかな?」
真面目な疾風はまだまだ初心で、ユリアと目を合わせることすら出来ない。
「いいよー」
その様子にまったく気づいていないのか、ユリアは気軽に返事する。
そうこうしているうちに、疾風の番になった。
「恐いものは恐い、嫌いなものは嫌い、白黒ハッキリしてて男らしいじゃない♪でも、飛び込んだ後の疾風ちゃんはもっとカッコよくて男らしいと思うけどなー」
ユリアはニコッと笑ってその場を離れた。
最初の一歩が、重い。鼓動が煩い。
疾風はゴクリと唾を飲み込んだ。撃退士達の言葉を繰り返し頭で巡らせる。
「うぉおおおぉぉぉおッ!」
崖に向かってがむしゃらに走る、走る走るッ。
両脚で思いっきりジャンプすると、目を瞑って落ちるのに身を任せた。
気がつくと、水の中にいた。直ぐにボードが近づいて来て、水から引き上げられる。
「よくがんばった」
陸に戻って来た疾風を、金鞍は優しく褒めた。
●海開き・盛り上がり
さて、イベントも中盤に入った。まだ飛び込みをしていない撃退士たちも参加の列に並び始めた。
ユリアの番になった。ユリアは水着の上に、人魚をイメージした淡いアクアブルーで花柄のパレオを巻いている。足首には貝殻のアンクレットを着けた。
崖の上を、ユリアは海に帰る人魚を意識して優雅に歩く。飛び込む瞬間、ユリアはクルリと一回転した。優美にはためかせたパレオは尾びれのようで、アンクレットの輝きは人魚の流す涙にも見える。水面直前に体勢を直して、爪先から水の中に滑り込んだ。
「綺麗ー」
観客席の女の子達から、羨望の声が挙がった。
黒百合は歩くのに必要な足元以外の全ての地面に対して物質透過を使った。
崖の上に来ると、黒百合はニンジャヒーローを使用した。観客の注目が一気に黒百合のみに集まった。
崖の先で黒百合は飛び降りなかった。代わりに、陰陽の翼を使用して背中に翼を顕現する。膝を曲げ、ジャンプして崖から上30メートルのところまで飛び上がる。上空で一旦停止して、幻影・影分身により分身を作り出した。
「おおっ!」
観客は椅子から立ち上がって歓声を上げている。
分身と本体と、二人の黒百合が海への飛び込みをはじめた。両手で膝を抱えて、連続でグルグルと何度も回転しながら急降下する。
着水する寸前、二人の黒百合は身体を伸ばして標準的な飛び込みのポーズに切り替えた。ただし、降下する勢いはそのままだ。金剛の術で防御力を強化して、二人の黒百合は水の中に消えた。
観客席から盛大な拍手が上がった。
水の中に入っても、勢いはすぐには消えなかった。危うく海底に激突するところだったが、最初に物質透過を使用したおかげで何事もなく回避できた。
月乃宮は崖の上をゆったりと進んで行った。飛び込み位置に来ると、その場でパーカーを脱いだ。
「おおぁ」
まだ飛んでいないのに、観客席から歓声が聞こえてきた。
月乃宮はピンと背筋を伸ばして、両腕を大きく横に広げると、ピョンと崖から飛び込んだ。落下しながら両膝を軽く曲げ、両腕を胸の下に入れて観客席を流し見る。グラビアモデルがよく取るポーズだ。
「ヒュー」
観客の、主に男性から声が上がった。
水面が近づいてくると、月乃宮は両膝を伸ばして胸を抱えた。顔を伏せて目を閉じ、軽く微笑み着水に備えたが、それでも大きすぎる胸のせいで大きな水飛沫が上がってしまった。
東風谷の順番が来た。東風谷は崖の上を全力疾走して、元気よく飛び上がった。
「映姫、いっきまーす!!」
そのまま足を下に激しく錐もみ回転をしながら落下していく。そして水飛沫を巻き起こして着水。
「あ、私カナヅチだtt」
海水には渦巻きが出来ていて、ボードがすぐに傍に近づけなかったせいで、東風谷は軽くおぼれかけていた。
もちろん、何の問題もなく救助されたが。
●海開き・閉会
撃退士たちの後にも数人一般の観光客が飛び込んだが、撃退士たちの後ではどうしても見劣りしてしまう。
それでも、それぞれの勇気を讃えて温かい拍手が広がるのだった。
最終的な結果発表では、最も盛り上がり水飛沫も少なかった黒百合が1位になり、龍を水飛沫に変えた佐藤が2位。人魚のユリアが3位と続き、月乃宮、金鞍、東風谷の順という結果となった。
ところが、表彰の場に黒百合の姿はなかった。
黒百合はみんなの飛込みが終わると、すぐに銛を手に取り海に向かっていたのだ。
BBQでは現地付近で自由な漁が許可されている訳なのだが、撃退士の身体能力を甘く見た設定だったかもしれない。
軽く潜ってアワビやサザエを採り、岩の隙間から大きなエビをつかみ出した。
あっという間に海の幸で大漁になった袋を片手に、直接BBQ会場に帰還。
無償でみんなに提供するという事で、歓声が上がったのは言うまでもない。
一方、金鞍は結果発表の後に海に向かった。アジやキスなどの魚を大きい物を選んで捕らえ、小さい物は誤って捕まえてもそのままリリースした。
そして十分な食材を手にしたあとに、のんびりとBBQを堪能した。
ユリアと佐藤は先にBBQ場に向かった。
「かんぱ〜い!」
佐藤が楽しくコップを掲げた。ユリアは周りの目も気にすることなく、嬉しそうにたくさん頬張っていく。そして食材が少なくなってくると自分も海に採りに行って、採ってくるとまたたくさん食べた。
月乃宮は自分の食べるのを後回しにして主に調理を担当していた。黒百合が採ってきたサザエを壷焼きにしたり、金鞍が採ってきた魚を塩焼きにしたりしていた。
撃退士たちは固まっていたが、その輪に東風谷の姿はなかった。東風谷は町の女性達の輪の中に潜り込んでいた。海開きに相応しく、みんな薄着をしている。東風谷はニヤニヤと楽しそうに楽しんでいた。
そこへ、疾風が改めてお礼にやってきた。
その表情は、僅かながら逞しさを感じるように見えるから不思議なものだ。
「勇気出してよく頑張ったねー♪良い子良い子♪これからは友達だよー」
ユリアは飛びつくようにして疾風にハグすると、その濡れた髪をクシャクシャと撫で回した。
ユリアが離れると、月乃宮が近づいて来た。
「……よく頑張りましたねぇ。受験、頑張って下さい」
内気な月乃宮は控えめに微笑むと、学園の紋章が入ったペンを差し出した。
「ありがとう、皆さんのお陰で少し強くなれました」
飛込みを成功させ、ユリアにハグしてもらった疾風は、かなり機嫌よくそのペンを受け取った。
BBQの熱も冷めてきたころ、ようやく撃退士たちが一つに集まった。飲み物を含みながら、焼き網を囲んで座って休む。
すると、急に佐藤が炭を足し始め、網の上に鍋を置いた。
東風谷が尋ねる。
「何してるんだ?」
佐藤はごく当たり前のように、明るく笑って答えた。
「うん?ラーメン」
「何でBBQでラーメンなんだよ!」
東風谷が少しきつめにその脇腹を突っついてツッコミを入れた。