●宗像家の屋敷へと
「おっ」
青柳 翼(
ja4246)が一つの依頼に反応した。掲示板の依頼は友達のいないお嬢様の退屈しのぎだ。
(一人ぼっちで、狭い世界しか知らないのはやっぱり寂しいよね)
青柳はすぐさま参加登録し、依頼人の菅原にパソコンとその周辺機器を一式手配するようメールでお願いした。
青柳の参加を見て、陰で喜ぶ男がいた。矢野 古代(
jb1679)。この依頼に最初に参加登録した男であり、当日は一人で行くのかと物案じていた男だ。
矢野の憂慮を余所に、その後にも続々と参加者が集まった。
「どれがいいかしら?」
独り言を呟きながら、シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は本棚の前を何度も行ったりきたりしていた。
同じ頃、青空・アルベール(
ja0732)は布と糸を手に、一心不乱に裁縫に励んでいた。作るのは猫のぬいぐるみ。自分が常に持ち歩いている物の小さいバージョンだ。
当日。駿河 紗雪(
ja7147)は少し早めに家を出た。カバンの中にはデジカメと地図を入れた。
屋敷に近い大通りで足を止めると、地図を広げる。周りの人に聞き込みをしながら、危ない場所、車椅子では通れない場所にチェックを入れていく。
誘拐や事故の可能性も十分に考えて、目の行き届きにくい狭い場所や人の隠れやすい場所も調査した。
シェリアは一足先に到着していた。まだ少し時間がある。
「宗像財閥……はて、もしかすれば父の企業とも交流があったかもしれませんね」
シェリアは門の前から宗像の屋敷を見上げて呟く。高い壁に頑丈な屋敷。なんだか実家に似ているなぁ、とシェリアは昔の自分を思い懐かしそうに目を細めた。
ふと、窓辺に白く小さい顔が見えた。あの子が今回の依頼にあった、昔の自分に似ているお嬢さまだろう。シェリアがその窓に向かって優しく手を振ると、小さな顔はサッと引っ込んでしまった。
●宗像凜とその執事
全員が揃うと、ベルボーイはみんなを凜の部屋へ案内した。その扉の前で、執事の菅原がみんなを出迎える。
「ようこそおいでくださいました。この扉の奥が、凜お嬢様のお部屋にございます。ああ、青柳様のおっしゃったパソコンおよび周辺機器一式は、もうお部屋の中に準備してございます」
菅原は丁寧に一礼すると、異世界の扉を開くかの如く重々しく扉を押し開けた。
凜はいつものように、ベッドの上で両足を伸ばして座っていた。
「私は澄空 蒼なのです」
最初に、澄空 蒼(
jb3338)が名乗り上げた。
「宗像凜よ」
まだ朝早い時間だと言うのに、凜はもうご機嫌斜めだった。名乗られてうれしかった澄空は、明るく元気に笑った。
「よろしくなのです、凜ちゃん」
いきなり名前をちゃん付けで呼ばれて、凜は身体をビクッと震わせた。
「これ、凜にお土産だ。私が作ったのだよ」
そう言って、青空は猫のぬいぐるみを差し出した。
手作りのものを貰うのが初めてで、凜は固まってしまった。
「僕からは、金平糖だよ」
青柳がカラフルな金平糖が詰まった袋を凜に手渡した。
「貧乏人の食べるお菓子ね」
「まあ、所謂駄菓子ってやつだけど、結構美味しいよ?僕も駄菓子好きなんだよね〜」
凜はかなり邪険にその袋を掴み取ったが、青柳は笑顔で対応した。ちょっと口の悪い妹だと思えば、まったく気にならない、と青柳は思った。
「凜ちゃん、外の世界を見てみませんか?」
シェリアはベッドの傍まで歩み寄ると、身体を屈めて言った。
ずっと屋敷から出ることを許されなかった凜にとって、この提案は魅力的過ぎた。
「み、見れるなら、見てみたいわ」
「いけません」
菅原がすぐに反応した。
「あー、菅原さん」
すかさず矢野が菅原を押して部屋を出る。ドアを閉める前、チラリと他のメンバーに目をやった。説得できなかったら、内緒で連れ出す準備もしよう。矢野の目はそう語っていた。
シェリア、駿河、青空は矢野の後について部屋を出た。
扉が閉まるとすぐに、駿河はマインドケアを使った。これで菅原の不安を少しでも緩和できるはずだ。
「菅原さん、凜ちゃんの退屈をなんとかするために色々がんばってきたと思うよ。……依頼された身分で、あんまり言いたくないんだが。今迄は中で遊んでいた、だろう?ここで外に出て、少しでも楽しいって思ってくれないと行けない、と俺は思う。もちろん、身の安全は十分に確保する様に努めるから」
矢野が穏やかな声で切り出した。
「はい。こちらに来るまでに、懸念材料はないか下調べしてきました。お体的に支障がない範囲で、少し外の世界というのを体感してみるのも良いと思うのです」
菅原が反論する前に、駿河が言葉を続けた。
「し、しかし……」
菅原はそれでもまだ渋っている。
「凜ちゃんの為です。凜ちゃんはかつての私自身……あの子もきっと、屋敷の塀の向こうに夢を見ているんです。これだけは、凜ちゃんの一番近くにいる菅原さんに分かって欲しいのです。だから菅原さん、菅原さんも一緒に外に出ますよ」
多少の強引は横に置いといて、シェリアのかつての自分自身と言う言葉は、強く菅原の胸を打った。ロンド家の長女が言うのなら、きっとそうなのだろう。あの家は、場合によっては宗像家よりも規則が多いのだから。
「そんなに遠くまでは行かねーし。凜の身体に響かねーように、短時間に留めるから、な」
菅原が目を落とすと、ここぞとばかりに青空が畳み掛けた。
「これは部外者だからこそ言えるんだが。今回笑ったとしても、次もまた笑わせるために依頼をすれば、また違う撃退士が来るだろうから、難しいと思うんだ。笑っているのを見て、菅原さん、貴方と凛ちゃんがこの後どうやって楽しくするかを考えるべきなんじゃないだろうか。頼む。」
矢野がその後に続く。
「凛さんにとって何処が限界か私達には分かりません。彼女を一番知っているのは貴方です。同行をお願いします。それにその目で色々確認すれば、明日からの毎日も違う物になるかもしれませんよ?」
駿河が言った。
「私たちはずっと一緒にいてあげられるわけではないし。凛に変わって欲しいなら、菅原の力が不可欠だと思うんだよ」
青空が言うと、菅原の目が揺れた。それを見て、シェリアが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「それに……これは凜ちゃんともっと親密になれるチャンスかもですよ?」
「なっ!」
菅原の目が大きく開かれる。
「……。わ、分かり……ました。それでは、お願いします」
そして、ついに折れた。
菅原の許可が下りると、早速外に出る準備が始まった。
「あの、菅原さん」
慌しく準備している菅原に、澄空が声を掛けた。聞けば、凜と一緒におにぎりを作るのだという。外出を許可した今、この申し出を止める必要はどこにもない。菅原は調理室の使用を許可した。
「凜ちゃん、おかずは何が好きですか?」
「ロブスターのチーズ焼き」
否応なく車椅子に乗せられて調理室につれてこられた凜はムスッとしていたが、澄空の外見年齢が自分と同じくらいなものだから、結局素直に答えてしまった。
「じゃあ、それもおにぎりの具にしましょー。後は、しゃけと、昆布と――」
澄空が適当に具を挙げていくと、料理人たちがそれを調理台の上に並べていった。
「じゃあ、お料理を始めますですよ」
澄空が楽しそうに言う。
まずは澄空が凜に教えながらいくつかを握った。そして凜の手を取って一緒に一つを握る。初めての出来事で、凜は好奇心の赴くままに目を輝かせて米を握っていく。
でも、急には上手くいかない。何回か失敗すると、凜はまたムスッとし始めた。
「疲れたわ。もういやよ。部屋に戻しなさい」
凜の声には棘があった。が、澄空はのほほんとしている。
「自分で作った物の味は、普段食べるものと違った味わいがあるのですよ。それを知らないのはとっても損なのです」
「……」
澄空が言うと、凜はしぶしぶと言った様子でもう一度ご飯を手に取った。
●外の世界
外に出る準備が整った。青柳はパソコンの準備があるため、凜の部屋で一人留守番をすることにした。
「はい。これで心に響いたものを撮るといいよ」
屋敷を出る前、青空は凜にデジタルカメラを持たせてあげた。
「あ、ありがとう」
門を出て、初めて大通りに出る。たくさんの行き来する人を、凜は口を開けて眺めた。
「すごいですよね。自分とまったく関わりのない他人がたくさんいるって言うのは。気分はどうかしら?」
少し緊張気味の凜に、シェリアが話しかけた。菅原から車椅子を受け取って歩き出す。
「少し緊張しているけど、気分はとてもいいわ」
凜は道行く人々をカメラに収めながら答える。少し呼吸が速くなっていて、口角が上がっている。
ふと、凜のカメラが下を向いた。見ると、野良猫が数匹道端で会議をしている。
「かわいい猫たちなのです。小動物が好きなら、凜ちゃんも優しい人なのですね」
澄空が言うと、凜は真っ赤になって顔を逸らした。
駿河はさほど会話には加わらず、凜への危険がない様に感知で常に周りに気を配っていた。その合間には、凜が好奇心を見せた場所を地図に記したり、微笑を浮かべる凜の姿を撮影したりした。
矢野は後ろのほうで凜の護衛に専念しつつ、同じく後ろを歩いていた菅原と会話していた。
「凜ちゃん、クレープ食べたことありますか?」
クレープ屋の前で、シェリアが訊いた
「ないわ」
「では、私が買ってきますよ。凜さん、シェリちゃん、何がいいですか?」
凜が答えると、駿河が反応した。クレープ初めての凜は何と聞かれても答えることが出来ない。シェリアと駿河の相談の結果、三つとも違う種類を買うことにした。
「凜さん、私のを一口食べますか?」
「さゆ姉様だけずるいですよ。凜ちゃん、私のもどうぞ」
「あ、ありがとう。えと、私のも、食べる?」
三人はお互いのクレープを食べさせ合った。凜も最初遠慮がちだったが、駿河とシェリアにつられてやがて楽しそうに笑顔を見せた。
クレープ屋のすぐ隣に、プリクラを撮る機械があった。
「プリクラも撮りましょう」
プリクラが何なのかも良く分からない凜を押して、シェリアと駿河はその機械の中に入った。数分後、凜は初めてのプリクラに目を丸くさせていた。
外では、みんな凜を普通の女の子として接した。凜はそれがうれしくて、次第に良く笑うようになった。
でも、これ以上長く外にいるわけには行かない。屋敷に帰る前、澄空の提案で噴水のある公園に寄った。
「凜ちゃんとおにぎりを作ってきたのです。みんなで食べましょー」
澄空が可愛らしい笑顔でおにぎりの袋を開いた。
「おー、凜ちゃんと握ったのか。ほら、菅原さんも一つ食べたら?」
矢野が二つとって、一つを菅原に渡した。明らかに不恰好で、凜が作ったものだと一目でわかった。
菅原は断ろうとしたが、凜に期待の篭った目で見上げられて、言葉を飲み込んだ。
「い、いただきます」
矢野の手からおにぎりを受け取る。
「美味いよ」
おにぎりを食べて、青空が言った。その言葉に、凜が小さくはにかんだ。
●お屋敷でも出来ること
外出からおよそ2時間、凜たちが屋敷に帰ってきた。
部屋に戻ると、凜は少しぐったりした様子でベッドに休んだ。その間に、駿河は今日の行動と撮った写真を一枚の地図にまとめ上げる。
青空は青柳の準備したパソコンとプリンターを借りて、凜が撮影した写真を印刷した。
「はい、凜さん。今日の思い出ですよ」
「私からも、凜が今日撮った写真だ」
「ありがとう」
凜はうれしそうに笑ってそれを受け取った。
しばらくの休憩の後、青柳が凜に声を掛けた。簡易のパソコン教室をするのだそうだ。
「インターネットさえあれば部屋に居ながら世界中の人や場所と繋がれるんだよ。友達も沢山作れるし、ネットの世界は広大だから一生掛かってもやり尽くせない位色々な事が見付かるよ。疲れたら菅原さんと外に出て日向ぼっこなんてのも良いしね♪」
そう言って、凜を抱き上げてパソコンの前の椅子の上に降ろした。まったくパソコンに触ったことのない凜には、電源の点け方から教える必要が有った。
でも凜もさすがに現代の子で、乾いたスポンジのように教えられたことを吸収した。
「そうそう。上手だよ。覚えが早いね、凜ちゃん」
青柳は凜が一つ覚えるたびにそれを褒めた。そして、何気ない動作で凜の髪を撫でると、凜はポッと赤くなった。
青柳が凜にパソコンを教えている間、青空は一人庭に出た。大通りに面した外縁の一角を、青空はデュランダルで刈り取る。庭の中から外の人と交流できるように、簡易のテラスを作った。
「あのな、まずは顔が見えねーと、挨拶も出来ないなって思ったのだ。しばらくは私が遊びに来るよ」
音に驚いて庭に出てきた菅原に、青空はそう釈明した。
●一日の終わりに
日が大分傾いてきた。そろそろ帰る時間だ。
「あのな、一個提案なんだけど」
お茶を飲んで寛いでいる凜に、青空が声を掛けた。
「凛から菅原に一つと菅原から凛に一つ、お願いを聞いてもらうのってどうかな。お互いそれを聞いたら、そのほかの我儘はちょっと我慢ということで。凛は一番叶えてほしいやつで、……菅原もちゃんと言うのだよ?多分凛は、一番叶えてほしい願いが叶わないからいっぱい我儘言っちゃうんじゃないかなって思うのだ。菅原はそれを一つも咎めないで受け入れちゃうから変わらねーと思うのだ。だったらまずは、お互い少し歩み寄るべきなんじゃねーかなって」
青空の提案に、凜はコクリと頷いた。
「じゃあ、凜からな」
「うん。菅原……私の友達になって」
菅原が執事として自分を律し、執事でいることに固執していることを、凜は寂しく思っていた。
「!……かしこまりました」
菅原は相当に驚いたようだ。
「じゃあ、次は菅原な」
ポンとその肩に手を乗せて、青空は菅原を激励する。
「は、はい。では……わたくしには隠し事をしないこと。寂しい時はかならずわたくしに言うと、お約束いただけますでしょうか」
覚悟を決めて、菅原が言った。
「……分かったわ。約束する」
凜が答える。二人を見て、青空は満足そうに笑みを溢した。
お別れの時、凜は自分から申し出て菅原に車椅子を押させて見送りに行った。
「次来るときは本格的な一品メニューを教えるのですよ」
澄空が凜の手を握って言った。
「また来てくれるのね」
「友達になるのですから、これっきりでサヨナラとはしないのです」
青柳は自分の携帯とパソコンの連絡先を紙にメモって、菅原と凜にそれぞれ手渡した。
「何かあれば遠慮無く連絡して下さい」
青柳が離れると、シェリアが凜の前にしゃがんだ。
「最後に私からプレゼントです。気に入って貰えると良いのだけれど」
凜が本を好きだと聞いていたシェリアは、散々悩んだ末に、一冊の娯楽小説を選んで持ってきていた。
「ありがとう」
凜は美しい笑顔で、門を出て行く撃退士のお友達の後ろ姿を見送った。