●朝目覚めたら
「――何これ!?」
小鳥囀る朝の時間。
一般的には、あらゆる人々が一日を始める時間帯だ。
久遠ヶ原学園に所属する生徒達にとっても、それは殆どの場合に例外ではない。
「……ううん?」
登校の準備を始めたり。
朝の日課となっている訓練や練習を始めたり。
同居している人のために朝食を作ったり。
「――は?」
あるいは今日の依頼に赴く前に、天魔の眷属を倒し、必ずここに戻ってくるのだ、と自分の部屋を振り返る人もいるかもしれない。
それぞれではあるが、共通していることはある。
「あれ?」
それは、日常の始まりだということ。
天魔が現れて以降、久遠ヶ原学園に集った、撃退士達の日常。
「えっと…… え?」
そう、これも幾つか存在する、日常のひとつ――
「わぁ」
――多分。
●その愛らしき姿を見よ
「な、何かいつもと周りが違うようなと思ったら……」
猫野・宮子(
ja0024)はそう愕然として言いながら自分の頬を触る。
ぷにん。
返ってきたのはそんな感触。
見事にスーパー・ディフォルメーションされたボディは、弾力性、柔軟性、プニり度、全てにおいて当社比二倍という有様であった。
アウルの神秘である。
ぷにんぷにん。
「……はっ、こ、こんなコトしてる場合じゃないや」
はっと我に返った宮子は、慌ててベッドから起き上がるとぷにんっと飛び降り、てふてふてふっ、と短い手足をテキパキ動かして、とにもかくにもという様子で学園に向かう準備を始める。
流石は鬼道忍軍と感心する動きだ。
そして程なく気付く。
「ふ、服がない……」
六十センチメートル未満に縮んだ身体に合う服など、自分でそうそう持っているわけがない。
しかも体型も独特である。並大抵の『衣類』では合わないだろう。
冷静になって考える宮子。
苦労しながら衣装棚の中身を漁るのはほぼ無意味だ。ならば、短い時間の中で何とかなる手段はひとつ。
「あった、これなら行ける、けど……」
宮子が手にしたのは、手芸用の素材入れ――その中にあった、綿を詰める前の猫の縫い包み。
同じスーパーディフォルメーションされた猫のデザインであったからであろう。
何ということか、これ以上ないぐらいに今の宮子の身体にフィットする『衣類』になり得た。
「……背に腹は代えられない、かな」
あまり迷っている時間もない。
うんしょと三毛猫の縫い包みを纏って、猫の着ぐるみ姿となり――斯くして『ぷち魔法少女・マジカル♪みゃーこ』は誕生したのである。
●同居人の洗礼
猫野・宮子はそうして何とか家を出た訳であるが――
「くっ、のっ、っっ、あと、ちょっと……!」
ほぼ同時刻。
自室で必死になってぐいぐいと箪笥の最上段の引き出しを引っ張っている礼野 智美(
ja3600)は大変であった。
普段なら何の苦労もなく開けられている衣装棚の最上段。
が、今は何ということか、高さは椅子の上に乗って何とかしたものの、一気に引き出すためには手足の長さが足りないのである。
短くなってしまった手足では、手は頭を触るのがやっと、足も歩幅が絶望的な状態なのだ。
そもそも肘や膝があるのかどうか怪しい状態である。無理もないと言えよう。
「や、やっと開いた……」
肉体的な疲労ではなく精神的な疲労でげっそりとしながら、それでも智美は挑戦の結果として手に入れた裁縫箱を使って、ざく縫いでシャツをワンピース状に仕立て上げる。
これで衣服は何とかなった。次は――
「……」
見上げる。
それはまるでアルプスの絶壁の如く立ち塞がる、自室のドア。
光纏する。助走を付ける。てぽてぽと走る。
「――はっ!」
短い手足を縮めて跳躍。アウルを体内で燃焼させて爆発的な加速を生み出し、三角蹴りを駆使し――ドアノブにぶら下がる。
その状態で必死に壁を蹴り、反動を利用して智美は何とか身体を動かす。
こうして大いなる扉は開かれたのだ。
「げ、撃退士じゃなかったら家庭内遭難だな、これは……」
洒落にならない、と息を吐きながら前へ進む智美。
しなければならないことは多い。まずは――
そうして部屋を出た彼女の前に立ち塞がったのは、最初の敵。
「――ちぃ姉遅い! 今日あたしが作ったけど明日当番変わって…… え?」
智美をきょとんと見下ろすのは、同居の姉妹の一人、妹君。
「あ、済まない、これは――」
咄嗟に説明しようと智美は口を開きかけ――妹君の視線が『可愛いものを愛でる女子』のものになっていることに気付く。
ごくり、と息を飲む音はどちらのものであったか。
こうして智美の一日における最初の戦いの火蓋は切って落とされたのである。
●勇者達の行く道
出発からこうであるからして、道中も同様になる――かと思えば、そうでもないこともある。
星野華月(
ja4936)も何とかかんとか準備を整えて、律儀に日課である近所の猫に餌をあげようと固形餌の小袋を抱えて猫溜りへやってきたところであった。
「ご、ごはんですよー?」
にゃあにゃあと猫達が応じて、いつも餌をくれる華月の挙動を見守る。
が、いつもと違って小袋を上手く開けられない華月に痺れを切らしてか、ぺしぺしっと猫の手がぷにゅぷにゅ殺到しては、華月がそれにプニられている間に小袋を取って、自前の爪でバリバリと開けてはボリボリと食べだした。
「あう……」
自分で出来なくてちょっと物悲しげな華月の肩を、プニり、と猫だまりのボスであるトラさんが撫でる。
トラさんは茶トラの大きな猫である。その巨体故か、この猫だまりのボスとして君臨している。
そんな彼をもっふあーとして、華月は癒しに走る。
彼も華月のむにゅーとした感触が心地よいのか、満更でもなさそうだ。
「――あれ、確か…… 星野さん、ですか?」
そんな折。
そこを通りがかったのは、ぶち猫の背に跨った卯月 千歌(
ja8479)であった。
スカーフをパレオのように纏って衣服として仕立て、何故か一本だけ鉛筆を槍のように背負っている。
「あ…… ええ、と、確か、卯月さん」
昨日「アウル・アルケミスツ」の部室で同じ薬を飲んだ彼女のことを脳裏に思い起こしつつ、千歌とぶち猫を見る華月。
大きい猫だ。トラさんに並ぶ。
あまり見ない顔だが、知り猫なのだろうか。トラさんとぶち猫はそれぞれ顔を合わせると、にゃあにゃあと鳴いた。
ともかく――トラさんに乗せてもらえば、学園まで楽に行けるかもしれない。
何故かぶち猫に跨っている千歌を見て、華月がそう考えたのは無理もないことだろう。
そしてトラさんを見る。
彼は華月に応えるように、乗りな、とばかりに背を見せる。侠気が溢れていた。
「あ、ありがとうございます」
ぺこりとして、抱き付くようにそっと跨る。
「一緒ですね。学園まで頑張りましょう」
ほわわんと微笑む千歌に、はい、と華月も笑顔で応えてトラさんと共に進む。
猫乗りが二人、こうして学園を目指すのであった。
同じ通学路を行く生徒や一般の人の驚きの視線に見守られながら二人がぽよぽよと学園を目指していると、やがて見えてきたものがある。
それは、ある学生の頭の上でぽよぽよと戯れる木ノ宮 幸穂(
ja4004)の姿であった。
その格好は少しだぶついてはいるものの、狸の着ぐるみのように見える。幼児服であろうか。
近くには猫野・宮子の姿もある。何かグロッキーなようにも見えるが、ですわー、と喋るお嬢様風の友人に抱えられて死ぬほどプニられているのが原因であろう、多分。
「おはようございますです」
「お、おはようございます」
「おー…… おはようー」
三者三様に挨拶を交わし、お互いがそれぞれの姿を確認する。
幸穂は恐らく友人であろう学生の頭の上でぽよぽよと。乗せられているのか乗っているのかは定かではないが、恐らく後者だろう。
危ないからと抱えたら頭の上に乗られた。何を言ってるのか分からねえが――下の友人らしき人がそんな顔をしているから間違いあるまい。
「猫…… いいなぁ」
幸穂がぺたんと友人の頭上に張り付いて、徐にその頭をモフモフとしながら呟く。
猫に負けた友人の顔が更に無残なことになっていくのは推して知るべしであろう。
さて、総合して幸運だったことは、共に道を往くのがなんやかんやでマイペース揃いの久遠ヶ原学園生であったことか。
奇異さと愛くるしさに集まってきた学園生達に護られるようにして、四人は無事に登校を果たすことが出来た。
●スペシャルな日常
「――というわけで、確実にとは言えないけれど、明日の朝には戻るはずよ。報告、ありがとう」
スカーフを衣服に仕立てた赤嶺・明日香にそう言われて「アウル・アルケミスツ」の部室に辿り着いた面々は息を吐く。
ちなみに彼女の待遇だが、勝手に歩き回って薬品を被ったりしないようにとの配慮か、少し離れたテーブルの上、有り合わせの器具で作った椅子の上にいることが義務付けられていた。
不便だからと部長を顎でこき使う姿はさながら小さな女王のようであった。
「それで、無理に授業に出ることはないと思うけど……」
「ううん、それなら僕は授業にいってくるよ。サボるわけにもいかないし」
宮子が苦笑しながら言う。
しかし嫌な汗が浮かんでいるのは明らかであった。
「……本当に、大丈夫ですか?」
「……一番の強敵は学年が違うし大丈夫だと思う」
『アウル・アルケミスツ』提供のマンゴージュースを飲みながら問うたのは華月。
彼女の脳裏に過ぎったのは、登校中、その動物ちっくな姿もあってかプニられっぱなしの宮子。
あはは、と笑いつつも宮子は僅かに真面目な顔をしてそう答える。
勿論、授業に出た彼女がプニられ地獄に遭遇するのは至極当然であり、不可避の運命であった。
「私は今日は休もうかと。出席日数にも余裕がありますから」
反面、智美はそう言う。ある意味、懸命な判断だと言えた。
あるいは既に遭遇した過酷な戦いから学んだのかもしれない。
「うむ、無理せずゆっくりしていくがいい。『アウル・アルケミスツ』は部外者の見学も歓迎しているぞ」
智美の落ち着いた声に部長が答え、彼女にもことんとマンゴージュースを出す。
「あ、ありがとうございます……」
美味しそうな橙色。
いまいちありがたみが薄いのは、コップではなく五百ミリリッターのビーカーに入っているせいだろうか。
何かの実験に使った残りではないかと勘ぐってしまったとしても無理のないことであった。
「それにしても、うむ、失敗の結果とはいえ悪くない光景ではあるな」
皆を眺めながら部長が言う。明らかに鼻の下が伸びていた。
「ここはひとつ手芸クラブに手を回してマスコット的な――」
「止めなさいバカ部長」
すかさず試験管立てが飛ぶ。
すこーんと命中するも、寸前で光纏を行ったのだろう。何かしたかね、とでも言いたげな顔で部長がフッと鼻で笑った。
しかしその瞬間、唐突に窓から飛んできたフューリ=ツヴァイル=ヴァラハ(
ja0380)がくるくると膝を抱えて回転しながら直撃。
「ぐはっ!?」
「おおう?」
ぽーん、と弾かれるように吹き飛んでは段ボール箱の山に埋まる部長であった。
「あ、ヴァラハさん、おはようございますです」
「ん、おはようー」
机の上にすたっと降り立っては千歌の挨拶に応え、くいくいっと丸まっていた身体を伸ばしつつ段ボール箱の山に埋まった部長を見遣るフューリ。
ぷにんぷるんと豊満なボディが震える揺れる。
「気にしなくていいわよ。で、いきなり飛んでくるなんてどうしたの?」
「いやー、ちょっと訓練してたんだけど、動きが違うから。勢い余っちゃったわー」
ぽよんぽよんっと軽く跳ねる度に全身で震えては揺れるフューリ。見事なまでの二頭身なのに、その豊満な胸も健在である。
くっ、とそれを見て明日香が呻きを漏らしつつ、僅かに頬を膨らませる。
埋まったダンボールの中から、ぐっ、と親指を立てた握り拳が突き出していた。
追加のアルコールランプが飛ぶ。
「訓練ですか。一体どんな?」
「こー、飛んだり跳ねたり? 上手いこと組み付いたり、有利なところを取ったりする訓練なんだけどー」
身振り手振りも加えてフューリが千歌に解説する。
プロレスを学んでいる彼女のことだ。恐らくはその訓練なのだろう。
しかし如何せん、その短い手足ではぽよぽよ踊っているようにしか見えないのが難点であった。
「はー、なるほどです。凄いのです」
それに感嘆を漏らす千歌は、訓練の内容に対してなのか、驚くほどぷにぽよなフューリに対してなのか。
猫そのものの姿の宮子。
凛々しさと可愛らしさを兼ね備えた智美。
ナイスバディでぽよんぽよんと跳ねるフューリ。
ころころ表情を変えてほんわか話す千歌。
座敷童子のように佇む華月。
「うむ、実に良い。 ……ああ、手芸部か。俺だ」
「止めなさいバカ部長」
そんな感じで、久遠ヶ原学園は今日も『日常』を過ごしていた。
一方その頃。
「……くー」
おーい、幸穂ー、どこー!?
そんな声が響く中庭で、幸穂はゆっくりと午睡を楽しんでいた。
燦々と輝く太陽の日差し。それを程良く受け止められる木陰の下で、トラ柄とぶち柄のベッドに包まれて。
蝶がふわふわと、幸穂を探す友人の苦労など素知らぬように、飛んでいた。
「ふふー……」
何を夢見ているのか、ふわ、と幸穂が笑う。
それを見て、二匹のベッドが、にゃあ、と泣くのであった。
●後日
――翌日。
各々は目覚めて、まず最初に自分の姿を鏡で確認した。
ぺたぺたと身体を触る。あの過剰にぷにぷにとした感触はもはや無い。
視線の高さも平常だ。
それに安堵しつつ――あるいは少々残念にも思いつつ、服を纏う。
不思議な体験ではあったが、それもまた久遠ヶ原学園の日常の一ページなのだろう。
さらに後日。
振り込まれた報酬の中に、後から付け足したように『肖像権使用料:SD人形』とあったのは、余談である。