●夜が来る
――最初は、ただの愚痴り合いだった。
「堕天使と、はぐれ悪魔ね…… ったく」
「肝心な時に変なことをされないことを祈るばかりだけど」
神器奪取のための大戦での集結を受け、俺達はそう愚痴を零していた。
俺達が知り合った理由は、皆同じ――天魔によって大切なものを失った過去を持つがため。
だから、そうして言い合うことが慰め合いの意味を持っていたことは、否定出来ない。
「……天魔の争いに人間を巻き込むことはおかしい、って主張してるようなのはともかく。こっちのほうが面白そうだから、なんてのもいるのよ。信じられないわ。それって、面白くなかったら、いつでも掌を返すってことでしょ?」
「ま、そうとも取れるな」
「それに、こっちに来たくせに、あからさまに人間を下に見てる奴もいる。そんなのと一緒に戦えなんて、信じられないわ」
「しゃーねえさ。 ……万が一の時には、俺達だけでも忘れていなければいい」
言って、俺は彼女を抱き、その頭を撫でる。
彼女の言い分も分かる。確かにそういう奴はいる。
でも、そういう奴ばかりではないということも、分かっていた。
確かに、俺の、俺達の大切なものは天魔によって失われてしまった。
でも、だからといって、彼らを憎み続ければ、それが返ってくるわけでもない。
月並みな考えだが、俺はそういう考え方で、自分の中で燻っているものを、騙し騙し生きていた。
彼女だってよく愚痴を零すが、普段は彼らとも話をしているところを見ると、俺と同じなのだろうと。
しかし、あいつ――天使に親族を皆殺しにされたという鬼道忍軍の男、芦屋は違うようだった。
「このままだと、遠くない未来に俺達の時と似たようなことが起きる――それでいいのか?」
そう言って、芦屋はそのよく通る声で事あるごとに俺達を扇動した。
警鐘を鳴らすことが出来るのは、奴らの本性を暴くことが出来るのは、俺達だけだ、と――
最初にそれに応じたのは、彼女だった。
そして俺も、彼女を放っておくことが出来ずに。
そして、心の中で燻っているものを、はっきりとさせるために。
――夜の帳が落ちる。
今回の標的は、前回と同じく、堕天使とはぐれ悪魔で仲の良さそうな二人。
「――では、ごきげんようですわ」
友人か何かだろう。一人の女生徒が去ったのを見計らって、俺達は彼らに影で一歩近付く。
「しっかし、やっぱこっち来て正解だったよなぁ?」
「同感だ、ここには煩い上長も居ない」
そうすることで、彼らの会話がよりはっきりと耳に届く。
感じるのは、僅かな苛立ち。
「向こうじゃ散々アレやれコレやれ言った挙句、ちっとでも逆らえば極刑ときた…俺みたいな奴の代わりはいくらでもいるんだとよ」
「似たようなものだな…… 天界でも、悪いところは何処でも同じ、ということか」
笑いと呆れ。
そうして苦労話を交わしながら校舎を出る二人の後を着ける。
胸中に渦巻くのは様々な思い。
いくつもの『何故だ』。
「付き合い切れねぇから奴ごと巻き込んで派手に死んでやったのさ、偽装だけどな。あんときの奴の顔、あんたにも見せたかったぜ」
「笑って話す事か…しかし、魔界も案外面倒なのだな」
「力さえありゃどーにでもなるっちゃなるんだけどな」
会話を交わしながら、校舎と校舎の間、街灯のない暗がりへと差し掛かる二人。
小さく合図を出して、いつものように先制を彼女に任せる。
俺は芦屋と共に、更に距離を詰め――
●力への処罰
「――そうはさせないよ」
瞬間。アニエス・ブランネージュ(
ja8264)は撃った。
まずは攻撃を行おうとしていた、襲撃者である物陰の女生徒――恐らくはダアトであろう――に先ず一発。すぐさまアウルを込め直し、囮役の二人に襲い掛かろうとしていた二人の男子生徒の片方――こちらは恐らくルインズブレイド――へともう一発。
不意打ちと攻撃の寸前であったことが重なって、ダアトには直撃。しかしルインズブレイドには一瞬遅れたことで警告が入ったのか、勘よく回避された。
だが、勿論それだけには留まらない。
「止めなさい! 喧嘩は許しませんわよー!」
物陰から飛び出した天道郁代(
ja1198)が、そう叫びながら残ったもう一方の男子生徒――恐らくは鬼道忍軍――に猛烈な体当たり。
流石に回避され、郁代自身も大きく隙を晒すことになったものの、攻撃は中断され、また、郁代に対する追撃もない。
「学園内での私闘はッ! 禁じられておりますのよ!」
ずびし! と指先を突きつけながら、郁代が宣言する。
そして、郁代を――校舎で囮役の二人と別れたはずの――あの時の女生徒と認識したことで、襲撃者達も流石に察する。
「――罠だ!」
ルインズブレイドが叫ぶやいなや、あらかじめ打ち合せてあったのだろう、三人がそれぞれ別方向へ散開する。
しかしそれをただ逃すわけもない。
校舎の暗がりにぱぱっと瞬く閃光。
それは誰にでも見覚えのある、カメラのフラッシュの瞬きだ。
「捉えました」
御堂・玲獅(
ja0388)はデジタルカメラを片手に、手応えよしとデータを確認する必要もなく、空いた片手に即座に曲刀を顕現させる。
そして即座に、静寂に満ちたアウルの波動と共に魔法陣を展開し、突っ込んでいく。
立ち塞がったのはダアトの前。
しかし人間である玲獅を傷付けてまで強行突破しようという意志はないのか、退路を立たれて、ダアトは身を翻した。
「逃がしません――そちらはお願いします」
飛び込んでいくのは脇の細い道。玲獅もそれを追う。
「っと、分かった――逃がすか!」
囮役であったはぐれ悪魔のアッシュ・エイリアス(
jb2704)もすかさず反応し、自身を襲おうとしたルインズブレイドに対応する。
向かってこないのは少々拍子抜けではあったが、失敗したと見るやバラバラになって離脱に掛かるのは潔い。賢い選択だ。
それを阻止すべく、アッシュは猛然と飛び込んでいく。
「アッシュ、気を付けろ――他を頼む」
同じく囮役であった堕天使のルーノ(
jb2812)も同様。
離脱に掛かる三人の襲撃者を瞬時に判断し、こちらはこちらで対処することだけを告げて、アッシュが飛び掛ったルインズブレイドへと同じく向かう。
「応よ! ――喰らえ!」
応えつつ、アッシュは懐から引き抜いたものをその手に掴みながら一閃。
「ッ!」
ルインズブレイドは即座に反応し、取り回しの良い中型の片手剣をカウンター気味にアッシュへと向ける。
「させるか」
割り込んだのはルーノ。
間隙から滑り込んできた盾を持つ腕が、その一撃を弾く。
そして直後、アッシュの拳がルインズブレイドに炸裂した。
鈍い打撃音。そしてびちゃっと飛び散る――明橙色の液体。
「これ、は――クソ!」
踵を返し、ルインズブレイドが一目散に逃げる。
だが、その全身に飛び散って付着した夜光塗料は暗闇の中でもよく煌き、目印となる。
「そこまでだ」
風を切る音。
まだ人の多い場所に飛び込まれる前に、ルーノが光の翼でその上を飛んで先回り。
行く手を塞ぐと、ルインズブレイドは思い切りよく身を翻し――元来た道をアッシュに塞がれる。
前門の天使。後門の悪魔。
「――悪魔が!」
一か八かか、ルインズブレイドはアッシュに斬り掛かってくる。
鋭い剣閃。
しかしアッシュは避ける素振りも見せずに突っ込んで、にぃ、と笑みを浮かべた。
激突音。
確かな手応えに、ルインズブレイドは刃を引き抜き――
「――喰らうと分かってりゃ、結構耐えれるもんだよなぁ?」
「ッ!?」
そんなアッシュの笑みを含んだ声が聞こえた時には遅かった。
アッシュの手は、ルインズブレイドの手を掴んで離さない。
「悪いがちっとご同行願おうか――!」
自分を浅く貫く剣をそのままに、アッシュはルインズブレイドを投げ飛ばした。
逃げるダアトを玲獅は追う。
とはいえ、相手の足は速くはない。ダアトの宿命というべきか。それは玲獅も理解している。
勿論、もう一人も。
「止まってください」
上空から光の翼を背中に、影が降りてくる。
イアン・J・アルビス(
ja0084)は、そうして天使と悪魔以外にディバインナイトお得意の方法で、ダアトの行く手に立ち塞がった。
言葉と共に油断なく武器である鎖鎌を構える姿は、その言葉が希望や要求ではなく、命令であることを表している。
「――っ、人間、なのね」
天使だと思ったのだろう、ダアトは一瞬攻撃の構えを取り、アウルの波動を見せたが、それは直に取り止められた。
「その通りです。 ――もう逃げ場はありません。大人しく投降して下さい」
「お優しいことね」
「私達はあなた達のような無法者ではありませんから」
後ろから歩み寄った玲獅が、そんな言葉と共に油断なく刃とアウルの魔法陣を突きつける。
それがスキルの発現を阻害するものだと分かったのだろう。ダアトの女生徒は、観念したようにその手の短杖をすぅと消した。
「……あいつらは人間にとって問題しかもたらさないわ。それがどうして分からないの?」
「分かりませんね。少なくとも今の私にとっては、あなた達の方がよっぽど問題をもたらす存在です」
玲獅の視線は冷たい。
規律を重んじ、人々を、そして護りたいものを護ると決めている彼女にとっては、かもしれない、で問答無用の諍いを起こす過激派の言葉など分からないのも当然なのかも知れない。
「思うところはありますけど、それはそれ、ですからね」
イアンはそう言って苦笑いを浮かべ、丁寧にダアトの女生徒を拘束する。
「あなたのような人々が少なからずいることも、思っていることも、完全ではありませんが理解しています。ですが、そういう思いや行動が乱暴に衝突しないために法や規律があるのであり、それは守って貰わないと困りますよ」
「そういうことです。痛くはありませんか」
「……ふん。大丈夫よ」
玲獅の気遣いに、女生徒はそっぽを向く。
そんな様子を、困ったものだ、として見つつも、傷付かず、傷付けずに済んだことにイアンはひとつ息を漏らした。
「人間だと分かれば手出ししようとしなかったところは、最低限、というところでしょうか。そこは覚えておきます」
「当たり前よ。私とあの人は、そこまで落ちぶれてない」
女生徒はそう言ってイアンを半ば睨むように見つつ。
「――でも、あの男、鬼道忍軍の芦屋はそうじゃないみたい。気を付けたほうがいいわ」
「――待ちなさーいっ!」
そう声を上げて、郁代は全力で逃げ出した最後の一人、鬼道忍軍の男子生徒を追いかける。
アニエスも共にだ。
凄まじい速度で遠ざかっていくその姿は、流石は鬼道忍軍としか言いようがない。
最初でマーキングを当てられなかったことを悔やみつつも、アニエスは直線に入ったのを見て再びスナイパーライフルを構える。
射撃は構え終わったのとほぼ同時。
照準の中央にその背中を納めての射撃は、背中に目でも付いているかのように、鬼道忍軍は壁を蹴って跳躍するとアニエスの射撃を回避した。
「くっ」
直感的にアニエスは感じる。この男だけは別格だと。
「天道君、気を付けて!」
「承知ですわ! ――これでも喰らいなさい!」
回避のせいでアニエスの前を行く郁代との距離が縮まる。
瞬間、郁代は全力で懐から取り出したものを投擲した。
それは――幾つかの生卵。
忍軍の男は、それに対応して苦無を放った。
半分ほどが迎撃され、当たらない軌道のものは無視される。その中に混じらせたカラーボールは、より的確に撃ち落とされたように郁代は思えた。
そして、それによって縮まってしまった距離をカバーするように、郁代に向けて鬼道忍軍は立て続けに苦無を放ってくる。
「っ! 抵抗はおよしなさい!」
咄嗟に出現させた打刀で一発を弾くが、躱し切れずに一発を貰う。
その痛みに郁代の足が遅れ、その隙に忍軍の男は更に距離を離す。
人の流れがある通りまでもう猶予がない。
最後の直線に差し掛かったところで、アニエスは再び射撃。
「――!」
先読みまで入れて放ったアウルの弾丸は、しかしこれも紙一重で回避された。
忍軍の男はそのまま明かりと人の流れがある通りに消える。
「く、逃がしませんわよ!」
「ストップだ、天道君。あの男を二人で追い掛けるのは危険だ。 ――残りの二人は捕まえたようだから、一先ずこれで手打ちとしよう。悔しいけれどね」
「む――分かりましたわ」
不満は隠さなかったものの、郁代はアニエスの言葉に確かに頷いた。
忍軍の男が逃げていった先を睨みつつも、郁代は踵を返す。
これで終わりではないことを、薄々と感じながら――
そして撃退士達と捕まえられた二人は、オペレータの調査を受けて知る。
芦屋という名の生徒は、そもそも学内に存在しないことを――
●背後に立つもの
「――そうか、ご苦労だった」
「申し訳ありません」
かつて芦屋と呼ばれた男は、跪きながらその言葉を受け取った。
「いや、構わん。この程度の離間工作は所詮、小手調べに過ぎん。 ――共存など出来るものかと思っていたが、存外、上手くやっているようだな」
「――」
「そう悔しそうな顔をするな。お前にはもう少し効率的に動いてもらう」
彼がそうして受け取っている言葉の主は、中年の男だった。
髪にはいくらか白髪が混じっているが、その身体はがっしりとしていて、衰え始めている様子は見えない。
そしてなにより――その精悍といっていい顔に嵌った瞳は、どこか人外の雰囲気を湛えていた。
「新しい命令は追って伝える。それまで待機していろ」
「はっ。 ――この世に絶対なる力の啓示を。富ではなく、権でもなく。ただ純粋なる力を以って」
その声を聞いて、中年の男は嗤う。
その笑みは、悪魔の笑いと表現するのが、とても相応しいように見えた。