●不敵な笑みと共に
――ちりちりと、街路樹の燃え滓が冬の風に吹かれて飛んでいく。
巨人ゴーレム型サーヴァント『ムスペル』は、そんな風に吹かれながらも燃え盛るアスファルトをゆっくりと踏み付けて前進しながら、その赤い宝石のような単眼を光らせ、頭を回転させてはぐるりと周囲を見回した。
ムスペルがここに出現して数十分。
街中を歩いていた人々は、既に殆どが逃げ出していた。
混乱はあったものの、ムスペルは鈍重なサーヴァントだ。
その動きはそれに比例して遅く、一般人でも走って逃げることは難しいことではない。
そういった点からも、このムスペルが無闇に一般人を殺すためではなく、天使達が人間を威圧するために寄越したモノだと窺い知ることが出来る。
勿論、ムスペル自身はそんなことは知る由もないし、そもそも自己意識があるのかさえ疑わしい。
ムスペルがなすことはただひとつ。
ひたすらに、視界に入る動くものを焼き尽くすのみだ。
そして、こんなものでは足りないとばかりに、確実に前進を続け、街の中に黒く焼け焦げた痕を刻んでいく。
「――まったく」
そんなムスペルの眼前に、立ちはだかる者がいる。
「寒いのを気遣ったつもりか知らねえが、物騒な暖を寄越しやがって」
冷たい風に混じって飛んでくる、刺すような熱波を払うように扇を開く獅堂 武(
jb0906)。
「いい迷惑だよね。僕はたまに向こうが何考えてるのか分からなくなるよ」
かち、と自動拳銃の安全装置を外し、軽く構える土方 勇(
ja3751)。
そして、白い息をほう、と零しつつも、手を翳しておでこを熱波から護るようにしている若菜 白兎(
ja2109)。
「……熱すぎなの。もう少し、皆を気遣ってくれる温かさんならいいのに」
「ホントにねぇ。じゃ、早速だけど、行こうか」
燃え盛るムスペルを前にして、そんな不適な言葉と共に大、中、小と並ぶ三人は、それぞれの得物を手に前進する。
彼らこそ撃退士。
天魔の脅威から人界を護る戦士達だ。
先頭を請け負って突っ込んでくる武に、ムスペルが反応する。
赤熱した岩石の左腕を大きくゆっくりと振りかぶり、一閃。
轟、という音は、猛烈な熱波と共に無数の火球を伴って放たれた。
「うぉっ!」
さながら巨大な散弾のように飛んでくる火炎を、武は驚きの声を上げつつも、些かも怯まずに直進。
自身を掠めそうになった一発をその扇で叩き逸らし、にぃ、と笑みを浮かべる。
「そんな適当な狙いじゃ、当たらねえぜっ!」
緩まない足は、すぐにムスペルの三十メートル圏内、薄く燃え続けるアスファルトの上へ。
その寸前で白兎が一動作。
その手の魔導書に指を滑らせながら、自身の光纏である淡青の光を全身からふわりと放ち――その光は吸い込まれるように武と勇の額へ。
薄青の光は星の形となってそこで輝き、留まる。
「もうひとつ――」
薄青の光はそれだけに留まらず、三人の全身を薄布の外套のように覆い、炎を僅かに退ける。
「……これで、ずっと快適なはずなの」
「助かるよ。それじゃ僕も――」
武に続いて勇が炎の中へと踏み込み、その手の拳銃を構える。
射程圏内へムスペルを収めると同時、構えた拳銃の照準にムスペルの赤い瞳が収まり、発砲。
陽炎を貫いて飛翔したアウルの弾丸は、びしっ! と鋭く、狙い違わずにそこへ着弾する。
しかしムスペルはそれを意に介すこともないかのように、立て続けに腕を振るう。
「いまいち、手応えがないね――っと」
襲ってくる熱波、そして火炎に、三人の全身が強く青く輝く。
ムスペルが放っている、炎の元となる何かしらのエネルギー。それが白兎の展開したアウルの衣と真っ向から衝突しているのだろう。
それを有難く思いながら、武も勇も火炎弾の一発を回避。
「せっ!」
返す一撃で、武も投げ放った扇をムスペルの頭部へ直撃させる。
空間を歪めるかのような陽炎のせいで上手く赤い目には当たらなかったものの、目的のためには十分だ。
やはり意に介することないかのように、ムスペルは、ずんっ、と力強く前進。
その腕の範囲に武を捉え、轟、と腕を振るう。
「ちっ――破ァ!」
単純だが、それ故にか早い一撃を避け切れないと判断した武は、瞬時に数珠を握った豪腕をその一撃に合わせる。
豪腕には豪腕。
凄まじい衝撃と共に爆炎が生まれ、武の身体を火炎が包み――しかし、それは引火することなく消え去った。
武の額で一際強く輝いた、星の聖刻のお陰だろう。
「流石――だが、こいつと殴り合うのは流石に分が悪そうだぜ!」
打ち合わせた腕に残る炎を振り払いながら、武は笑みをムスペルに向けつつじりじりと下がる。
ムスペルは無機質に武を見下ろし、更に前進。轟! と再び腕を振るう。
熱波に煽られながらも、武は紙一重でそれを躱し、瞬時に懐から抜き放った符をムスペルに叩きつけ、その力を奪う。
幾分か回復した腕で数珠を握り直しながら、武は更に一歩後ろへ。
それに合わせて勇が立て続けに弾丸を放ち、ムスペルの頭部を削り、何発かを瞳に命中させる。
それをムスペルが鬱陶しいと思ったのかどうかは定かではない。
だが、ムスペルはその一撃で前進を中止すると、ぐ、と片足を大きく振り上げた。
「――! 今だ!」
勇の声が響く。
ムスペルはしかし、僅かに距離のある三人を前に、悠然と足を踏み下ろし――
「幻光雷鳴レッド☆ライトニング!」
――背後から襲ってきた衝撃に、ぐらりとその巨体を揺らめかせた。
●間隙を縫って
犬乃 さんぽ(
ja1272)は、くるくると熱波の中を回転しながら後ろへ跳ぶ。
背後から、地を這うように急接近してからの一撃離脱。
紅い雷撃を伴い、鞭のようにしなったさんぽの腕から放たれた符は、銃弾のようにムスペルの背中を穿ち――
「――っ、は」
燃える空気の中に吐き出された短い呼気と共に、樋渡・沙耶(
ja0770)がそこへ立て続けに漆黒の大鎌を突き立てた。
静かに、そして疾く。
火炎を切り裂くようにして巻き起こった黒い風は、掘削機の一撃の如く、ムスペルの身体を砕いた。
「これも持ってきな!」
そして沙耶が身を引いた瞬間。
その傷跡に、更に桐生 水面(
jb1590)が放った光の矢が突き刺さる。
光の羽を伴った光弾が陽炎を切り裂き、ムスペルの損傷部位へ飛び込んで炸裂するさまは、皮肉にも天使の攻撃にも似ていた。
新たに三人が現れたのは、ムスペルの後背三方向から。
武、勇、白兎の三人が真正面から愚直に前進したのは、挟撃を行うためだったのである。
三人からの攻撃を不意打ちで受けて、ムスペルは踏み下ろしを中断し、たたらを踏む。
そして、その頭部をぐるんと回転させて六人を改めて認識すると、ラリアットをするようにその巨体ごと両腕を振り回した。
轟! と熱風が全周で唸りを上げ、さながら炎の嵐が放たれる。
「っ」
至近距離の沙耶は両腕の振り回しを紙一重で回避したものの、続いて巻き起こった炎をまともに浴び、包まれる。
絡みつくような炎は、なるほど確かに消えそうな気配がない。
しかしそれに全く構うことなく、沙耶は首筋の注射痕をひとつ撫でながら大鎌を構え直す。
にぐ、と肩で蠢く名状しがたい肉塊も、ソテーになる気配はない。
「っと、当たらないよっ!」
「こない適当なモン、なぁ!」
距離を取っていたさんぽと水面は、迫ってくる炎を恐れずに回避。
狙って放たれたわけではない。そうとさえ分かっていれば、多少大振りな動きになっても、追撃が無い以上はさしたる問題ではないのだ。
ムスペルを挟んで武、勇、白兎の三人も、炎の嵐を凌ぐ。
「――っ、は!」
武はタイミングを読んで咄嗟に身を屈めることで、溶岩めいた両腕がその頭上をただ通過させることに成功した。
沙耶同様に炎をまともに浴びるが、それは大したことではない。
星の聖刻が、身に纏う淡青のアウルの外套が、一際輝いてはその引火を防ぐからだ。
「っ、と!」
勇もそれを承知して、自分は避けずに炎を受け止め払い、更に白兎へ向かう火炎球へ発砲。
炎の軌跡を鋭く輝く眼光で捉えてからの一撃は、見事に火炎球を撃ち抜いて逸らし、白兎への弾着を防ぐ。
「よし! 無事かい!?」
「ん、ありがとうです……」
目の前で炎が逸れ、着弾を免れたことに白兎はほっとひとつ息を吐き、頷いて勇に礼を返す。
炎を浴びても焦げひとつ付かないだろうとは思っていても、自身の身の丈半分はある炎が迫ってくるのはどうしても怖いものだ。
ムスペルは挟撃される側になって、頭部をぐるんぐるんと回転させながらとにかく炎を撒き散らす。
最も近い相手を攻撃するようになっているのか、その対象は主に沙耶と武だ。
「ぐっ――! 樋渡さんも気をつけてくれ! こいつの一撃は見かけ以上に重てえ!」
豪腕で豪腕を受け止め、爆炎を再び身に浴びながら、ムスペルを挟んで武が笑みと共に警告する。
「分かりました……」
炎に包まれながらも、沙耶はひとつステップ。
呼吸が苦しくなるのを感じながらも、武が離れるのに合わせて、鎌の一撃を叩き込む。
即座に沙耶を向き、ぎろと睨む赤い瞳。
「っ――」
沙耶は即座に引き、それをさんぽと水面が支援する。
「ボクの炎も負けないもん…くらえっシュリケーン!」
さんぽの指先で符が燃え上がり、その炎が言葉通りに手裏剣となって放たれた。
ムスペルの振りかぶる腕に突き刺さった手裏剣は、小爆発を起こしてその動きを僅かに押し止める。
「貰い!」
水面はさんぽの狙いとは別。
魔導書を一撫でしてから真っ直ぐに突き出された指先から放たれた光の矢は、ムスペルの赤い瞳に炸裂する。
その同時攻撃に、狙いが僅かに定まらなかったか。
火炎の嵐を伴う豪腕は、またしても沙耶を掠めるに留まった。
「流石、見かけ通り硬いね……!」
武器をより強力な大弓に持ち替えて、ぎり、と勇は弦を引き絞り、凝縮されたアウルの矢を放つ。
陽炎が邪魔をするも、その狙いは安定して頭部。
一撃が炸裂するごとに溶岩の破片のようなものが飛び散るが、それを補うように炎が寄り集まっている。
「そろそろ、加護も保たないの……」
武や勇を付かず離れずの位置で支援し、またその小さな手に握る魔法書で攻撃する白兎も、滲み出てきた汗を小さく払いつつ、警告する。
「こっちもさっきから足元が燃えとるさかい、長くは持たへん。もう一回勝負どころが来ればええんやが」
「ボクも袖がちょっと燃えてるのっ。決めたいところだけど……! 沙耶ちゃんも凄い燃えてるし、武くんと合わせて立て直しも考えるべきかもっ」
通信機器の類を通して、水面とさんぽの声も割り込んでくる。
「私は、まだ、大丈夫です……」
「俺もまだまだ――っと! 破ァッ! 失礼、しかし、だいぶ削れてるぜ!」
荒くなりつつある呼吸を通信の向こうに響かせながら、沙耶と武も答えを返す。
チャンスが先か、それとも立て直しの限界点が先か。
全員が気付いている。
あの『踏み下ろし』の瞬間、攻撃を受けたムスペルがたたらを踏んで転倒を防ぎ『踏み下ろし』を中断したことを。
おそらく、チャンスがあるとすれば、その瞬間の総攻撃。
――そして、それは来た。
「っ」
沙耶が豪腕の振り回しを避け、カウンター気味に大鎌を振り下ろして、ステップで引いた瞬間。
ぐ、とムスペルが片足を上げたのを、全員が見逃さなかった。
「……! 皆、軸足を!」
咄嗟に勇が叫び、引き絞っていた弦に黒い霧を纏わせる。
暴力的な感情から生まれるアウルを込めた、攻撃の一矢。
それは陽炎を当然のように切り裂き、アスファルトの炎を左右に割って飛翔し――狙い違わず、ムスペルの、直立している足に突き刺さった。
「うちも外さんで――!」
水面もここぞとばかりに、光の矢を放つ。
魔導書からその手に纏い、次々と指先から飛び立つ羽根付きの光は、炎の中を突っ切って、勇の闇の残滓が残るそこへ炸裂。
ムスペルが揺れる。
『踏み下ろし』を中断し、たたらを踏もうとする。
「――そうは、させないよっ! マジカル☆ニンジャアクスっ!」
「お、らああああぁぁぁッ!」
そこへ、さんぽと武が逃さず躍り掛った。
闇を纏った歪な斧の一撃が、ムスペルの顔面を強烈に打ち据える。
その衝撃を受け、胴体ごと傾いたそこへ、武が腕が音を立てて焼けるのも構わず、その手の数珠をムスペルの頭部に絡め、全力を込めて引き倒しにかかる。
「っ!」
止めは、一瞬遅れて態勢を立て直した沙耶が、ぎりぎり堪えていた軸足を、その鎌で文字通り刈り取った。
一瞬の空白。
全員の足元で渦を巻いて凝縮しつつあった炎が霧散する。
宙を流れるムスペルの巨体。
天を仰ぎ見ることになった、その赤い瞳。
「――貰った」
そこへ、素早く第二矢を番えた勇の黒い一撃が、横から突き刺さった。
今までとは違う、ばきんっ、という硝子が割れるような硬質な音。
それを全員が聞き逃さなかった。
●熱を吐き戻して
――炎が消える。
ムスペルを包み、その周囲を焼き続けてきた炎が、その根源力を失って一斉に霧散した。
武はすかさず拳を、今や黒ずんだ石の塊となったムスペルへと振り下ろす。
「これで、終わりだ!」
ムスペルは僅かに動き、武の拳をその腕で受け止めようとしたのだろうか。
しかし、炎を失った腕は脆く―― 焼け尽きた木炭が砕けるように、胴体ごと武の一撃に砕かれた。
「――は、ぁ」
皆の吐息が、一斉に漏れる。
焼け付くような喉の痛みは、燃えるような高温の熱気を吸い込み続けていたからか。
「ようし。作戦、終了やね」
水面がにぃと笑みを浮かべ、皆を見る。
いずれの顔にも汗が浮かんでいたが、その表情は安堵の微笑みが見えた。
「攻めるか下がるかで悩んでたけど、上手く決まって良かったよ――おぉ、寒っ」
勇が大振りのリアクションで両の二の腕を抱える。
ムスペルが倒れ、熱気が霧散した今、勝利した撃退士達の周囲には身を切り裂くような寒さが戻りつつあった。
誰も彼もが汗をたっぷり掻いている状態だ。
つい先程まで熱気地獄に晒されていた撃退士達は、今度はしんしん沁みる冷気に晒され、思わず身を震わせる。
「早く暖かいところに避難するの。怪我も治すの」
「応よ。どっかで汗も流したいところだぜ!」
「うんうんっ、ふー、緊張解けたら一気に寒くなってきちゃったよ、ボクも」
武が寒さを感じさせずに、爽快に笑い、さんぽが白い吐息を漏らす。
小さな白兎に追い立てられるようにして、撃退士達は歩みを再開する。
遠くには、事態を見守っていた警官達の姿がある。
「――宜しく、お願いします」
後は彼らの仕事だと、沙耶は小さく一礼をして、皆に続く。
――そうして。
撃退士達の勝利により、本格的な冬の始めを感じさせる冷気を、街の人々は再び享受する。
もはや焼き尽くされることはない――今暫くは、確かに。