●影から影へ
「――」
すん、と狼と人を混ぜ合わせた異型が夜風に鼻を鳴らす。
何かの気配を感じたのか、左を向き、右を向き、振り返り、視線を戻して――
瞬間、胴が断たれ、頭が射抜かれ、痛烈な衝撃に身体が地へと潰される。
「(――よし、このまま行こう)」
土方 勇(
ja3751)が和弓の弦から手を離しつつ、近くの暗がりへとサインを出す。それに合わせて、幾つかのシルエットが影から影へと足を進めた。
鋼の擦れ合う澄んだ音を立てながら納刀した星野 瑠華(
ja0019)と、残心を残しつつ身構えを解いた戸次 隆道(
ja0550)がそれに続いて影へと隠れる。
暗闇から辺りを窺う視線の先には、夜でも一際の雰囲気を放つ白亜の建物――病院が見えている。
「(進路よし。敵は――いない)」
勇はアウルの力を瞳に集中させて夜の闇を見通すと、敵が潜んでいないことを確認してから再びサインを出す。
それを見て、影から影へと忍ぶシルエットのひとつである高峰 彩香(
ja5000)は、そっと携帯を使う。
「――撃退士の人か?」
通話の向こうから聞こえてくるのは、押し殺した声――病院に隠れている医者のものだ。
「はい。今、病院の敷地内に入りました」
「そうか。本当に戻って来てくれたんだな…… 感謝する」
安堵の篭った声。吐息と共に肩の荷がひとつ下りたような気配が伝わってくる。
「そっちに異常はありませんか?」
「大丈夫だ。全員、脱出の準備も終わって、すぐに出られるよう隠れている。それと――少しお節介だったかもしれないが、そちらの話を聞いて、標準救急車一両と、送迎用のミニバス一両、準備を整えておいた。遠慮なく使い潰してくれ」
「ありがとうございます」
「では――宜しく頼む」
通話が切れる。それを確認してから、彩香は勇にサインを返しつつ、次に通話を掛ける。
「――もしもし。暮居よ。高峰さん?」
今度の通話の向こうから聞こえてくるのは暮居 凪(
ja0503)の声だ。若杉 英斗(
ja4230)と共に、工場で今も住民達が隣町で脱出するのを護衛している。
「うん、病院に着いたわ。そっちはどう?」
「今はまだ大丈夫。若杉君もいるしね。 ――そちらも気を付けて。無茶は駄目よ」
「うん、お互い様、ね」
お互いにふふっと笑って、連絡が完了する。
携帯を懐に戻すと、彩香は顔を引き締めつつ、皆に続いて病院の塀を乗り越え、敷地内へと侵入する。
●長い夜の始まり
「――う、わっ」
「おっと」
危うく転びそうになった青年を、咄嗟に大炊御門 菫(
ja0436)が支えた。
見た目の可憐な細腕とは裏腹に、全く微動だにすることなく頭ひとつ分近く身長の高い彼を支えるのは、流石は撃退士と言うべきだろう。
「大丈夫か? 気を付けて」
「す、すまない。ありがとう」
青年からすれば歳の離れた妹ぐらいの菫にしっかと支えられてか、恥ずかしげにしつつも彼は一礼し、姿勢を立て直して歩を進める。
向かう先は、病院のロータリーに止められたバス。車体後部にこの病院の名前が記されている送迎用のものだ。
そこまで青年を送り、菫は共にバスに乗り込む。
「彼で最後だ。出発の準備は?」
「うん、大丈夫。問題無いわ。結構荒っぽくなるかもしれないけれど、それは覚悟して」
バスの運転を担当する彩香が応える。元よりそのつもりだ、と菫は頷き返して、ちらとバスの窓からその向こうを見る。
そこにあるのは救急車が一両。運転席には共に来た星野 瑠華(
ja0019)の姿がある。後部デッキでは、勇と、共に来た撃退士の少女が戦闘体制の打ち合わせをしているようだ。
三人を囮に、もう一箇所での救出活動を展開し、民間人を確実に撤退させる――それが作戦の段取りだ。
「――よし。優、隆道も準備はいいか?」
「はい」
「勿論です」
落ち着いてはっきりと頼もしく応える水凪 優(
ja6831)と隆道を横目に、菫は再び彩香に頷きを返した。
この四人で、民間人を絶対に護るのだ。
「作戦を開始しよう」
●闇の中を駆けて
「――はい、そうです。宜しくお願いしますっ」
隣で撃退士の少女が工場の凪に連絡を入れるのを横目に見つつ、瑠華は救急車を運転して、病院から出す。
ひとつ息を吸い、吐く。ここから先は相当数のディアボロに追われることになる。万一、車体が破壊されるなどして行動不能になれば、瑠華のみならず隣の少女と後ろの勇を多大な危険に晒すことになる。それを防ぐためには、勇や少女の働きは勿論だが、車を運転する瑠華にも大きな役目がある。
「では――参ります」
「うん。 ――大丈夫、絶対に上手くいくよ」
気負う瑠華に、そう勇が声を掛ける。外見と人柄に似合った、落ち着きを感じる声だ。
「はいっ。私もしっかりサポートしますから」
隣の少女もそう言う。
「……ありがとうございます」
ふふ、と笑って、瑠華はハンドルを握り直した。
救急車が移動を始める。救助者を乗せたバスが動き出すのは、そのしばらく後だ。
次の救助者がいるのは小学校。病院からはそう遠くはない――だが、その僅かな距離にどれだけのディアボロがいるのか。
瑠華の操縦に応え、闇の中でも白く映える救急車が、人気のない道路を滑り出す。
「そのまま進んで、次の交差点を右に。一つ目の信号を左に行けば、小学校の前ですっ」
「分かりました」
少女のナビゲートに頷きだけを返し、瑠華はアクセルを踏み込む。信号は赤色を示してはいるが、守る必要など何処にもない。
強いエンジン音が夜の闇に響き――ぞわ、と闇に潜んでいるものが動き出す気配が確かにした。
「――来たよ」
後ろの勇が声を上げるや否や、オートマチックを構え、闇の中に向けて発砲する。疾駆の体勢に入っていたディアボロはその攻撃に足を取られ、転倒した。
極力揺れないようサスペンションに工夫が成されている救急車と勇の撃退士としてのインフィルトレイターたる超人的な射撃能力、そして闇を見通す能力が合わさることで、一般人にはどう足掻こうが不可能なレベルの精度での弾幕を展開する。
しかし――
「うわー、来る来る……――星野さん、もう少しスピード上げれるかい?」
それを物ともしないかのように、次から次へと影からディアボロが飛び出して、追い縋ってくる。
「畏まりましたっ」
瑠華は更にアクセルを踏み込む。救急車は荒い操縦にしっかりと応えて、無人の街中を疾走する。
「そこです、左――次、右――ええと、次は三番目の信号を左! 優さんに連絡入れますっ」
「お願いするよ」
三人がそれぞれの仕事をこなし、着実にディアボロは引き寄せられていく。
●絶対の守護者
「――っ」
女性教諭は護るべき子供達を抱き締めながら必死に息を殺す。
そうする理由は簡単だ。 ――足音がする。一歩一歩、確かに踏みしめて何かを探すようなそれは、撃退士達のものでないことは確かだ。
視界の向こう、机の下の隙間から見える位置に転がった受話器がある。凪との会話中、足音に気付いて隠れた時に取り落としたままにしてしまったものだ。
――それが、ばきり、と踏み潰された。潰したのは、薄暗闇の中でもそれと分かる、人外の足。
「っっ」
びくり、と震える子供達を、ぎゅ、と教諭は抱き締め、せめて自分だけは最期まで震えるまいと決意する。
ディアボロが、すん、と鼻を鳴らして。そして、ついに教諭と視線が合った。
「――っっ!」
ぐる、と笑むような唸りを上げて足を進め、その手に付いた凶悪な爪をこれ見よがしに広げてくる。
せめて『天』には祈るまいと、教諭はそのディアボロが腕を振り上げる様を睨み――
「――お前の相手はこちらだ、化物ッ!」
鋭く響いた圧力ある声に、その爪が止まった。
同時、室内に跳び込んで来た菫のショートスピアがディアボロの胴を抉る。
唸りを上げて振り回された爪を柄でしっかりと受け止めると、菫は正面切ってディアボロと対峙した。
「皆さん、大丈夫ですか? こちらにっ」
その間に、優が女性教諭と子供達を助け、促しては室内に連れ出していく。
ディアボロはそれを見逃さぬとでも言わんばかりに視線を向ける。が――
「こちらだと言っているだろうッ!」
再び繰り出された菫の威圧感ある声と鋭い突きに、ディアボロは応戦せざるを得ない。
返される爪を受け止めながら、菫は声を上げる。
「優、急げ!」
「はいっ、お気をつけて!」
優は菫を心配そうに見やりつつも、教諭と子供達の背中を押すようにたっと駆けていく。
ディアボロは、ならば菫を片付けてから狩ってやろうとばかりに、再び爪を振るう。
瞬間、すぅ、と滑り込むようにディアボロの背面に出現した隆道が、痛烈な蹴りを放った。アウルの輝きを伴う流麗ながらも荒々しい一撃に、ディアボロが歯を食い縛って衝撃に耐える。
新しい脅威に、ディアボロは反応しようとする。だが――
「――!」
正面からディアボロを睨む菫の眼光が、それを許さない。
繰り出される突きと払い。それに対応して反撃する合間にも、背面から身体を砕く一撃が加えられる。
阿修羅として、そしてアウルの力のみならず武術を学び鍛錬を怠らない隆道の攻撃に無防備を晒しては、さしものディアボロも耐えられるものではない。
せめてとばかりに菫を倒そうと爪を振るうが、卓越した防御がそれも許さない。
「これで、終わりだ!」
正面からの突き。背面からの蹴り。
それらを同時に受けて、吹き飛ぶようにディアボロは倒れた。
「――よし、隆道、すぐに行こう」
「大丈夫ですか?」
「少しは響いたが、これぐらいは何ともない。そちらこそ何ともないな?」
「勿論です。あなたのお陰で」
「よし、ならば直ぐだ」
倒したディアボロを省みることもなく、二人は足早に駆けていく。
●闇を切り裂いて
「――優さんから連絡! 学校での収容、終わりましたっ!」
「では、サイレンを鳴らしてくださいませっ」
ハンドルを切りながら、少女の声に瑠華が応える。
手筈通りに救急のサイレンが夜の町に響く。用途は違えど、目的は生存の為に、だ。
ずん、と車が揺れる。
「――!」
即座に反応した勇が天井に向かって弾丸をばら撒き、瑠華がハンドルを切る。外された窓の向こうをディアボロが転がっていくのを見て、しかし安堵する間もなく、勇は追い縋ってくる別のディアボロに照準を合わせ、瑠華はハンドルを戻して進路を最確認する。
ここに来て、ディアボロの猛攻は最盛に至る。振り切っても振り切っても新しいディアボロが跳び出しては窓や後部デッキに爪を掛けようとする。
そして正面に現れる三体もの影。
「――っ、邪魔はご遠慮くださいな!」
運転席の窓から伸びて切り裂こうとしてくる爪を苦無で切り払いつつ、瑠華はきりきりとハンドルも切る。咄嗟に横道へと車を滑らせては、隣の席で同じようにドアに取り付いたディアボロと格闘している少女のナビを受けて、追い詰められないように進路を開く。
「流石に数が多いね、っと」
後部の勇も、ここに至っては銃だけでなく、しがみついてきたディアボロの手を蹴り飛ばしたりしながらの応戦だ。撃退士が使う銃に弾切れが無くてよかったと勇は心底思う。もはや弾を込めている時間すら惜しい状態だからだ。銃を構えている手の指は殆ど常に引き金を引いている。機関銃があればどれだけ楽だろうか。
――これは苦しい。三人が三人共にそう思う。絶対にそう長く続けられるものではない。
だが、同時に絶対に口にはしない。苦しいのは当たり前で、民間人を護るためにこの方法を選んだからだ。
人類の剣と盾――撃退士として。
そして数分が永遠かに思える時間の後――再び、携帯が震える。
「っ―― 工場への避難、終わったよ!」
「サイレン切りますっ」
「ではもう暫し――参りましょう!」
それを合図に、気力が今まで以上に満ち満ちる。
もはや救急車の走り始めた当初の綺麗な車体は見る影もなくボロボロになりながらも、瑠華のハンドリングにまだまだ応えて猛スピードで市街地を抜け、海沿い、町の端にある工場への道に入る。それでも追い縋ってくるのは総勢三体のディアボロだ。
夜の海がよく見える最後のカーブを曲がって――ついに工場の正面ゲートを正面に捉えた。
●夜明けのために
「――来た! 暮居さん、救急車だ! 追われてる!」
連絡を受けてゲート側で待機していた英斗が声を上げる。
「数は?」
眼鏡の位置を直しながら、凪が落ち着いて問う。
「三体だ! ゲート開けるぜ!」
「そうして頂戴」
アウルの力を伴った英斗が、ゲートを一息に引き開ける。
間髪入れずに滑り込む救急車。派手にブレーキ音を立てて、横滑りに停車する。
それを追って、ディアボロがすぐさま工場の正面ゲートから内部に突入してくる。
「ここから先は通さないぜ――!」
だが、当然にように英斗が立ち塞がって、その内の一体の鼻柱に一撃を加える。
英斗を新しい脅威として認識したディアボロ達はすぐさま追撃を止めて、爪を怒らせる。その隙に、囮のメンバーは転がるように救急車から飛び出した。
「全くもう、無茶をして…… いい? 皆と一緒に避難しなさい」
「いえ、私達も参ります」
「僕もまだ行けるよ」
瑠華も勇もそれぞれ腰の大太刀とその手の拳銃を確かめつつ、追ってきたディアボロを睨む。
その意思強い瞳に、凪は微笑みを浮かべると、ひとつ息を吐いた。
「仕方ないわね…… これ以上の無茶は絶対に駄目よ? バスの皆のお陰もあってもう殆ど避難は終わってるから、あとは逃げるだけってことは忘れないで。いい?」
「畏まりました」
――そうしてこの場を切り上げるための戦いが始まる。
「これでも喰らえ!」
盾を構えながらトンファーの一撃で相手の先鋒を潰していく英斗。
「あなたはこっちよ。背中は狙わせないわ」
その英斗の背中をカバーするように凪が立ち回り、湾曲したカットラスの刃を自由自在に振るう。
共に堅牢な防御。加えて瑠華や勇からの攻撃、支援もあり、ディアボロ達はそれを打ち破ることが出来ずに、じりじりと押しやられていく。
「これで――止めだ!」
シールドで相手を押しのけてからの追撃の一撃で、英斗が一体を潰す。
それで限界と本能的に判断したのか、残ったディアボロ達は脱兎の如く逃げ出していく。
「よし、今のうちよ。引き上げましょう」
凪の号令で、一斉に撃退士達も撤退を掛ける。
段取り良く連絡を取り合っての作戦が功を奏し、忘れ物など何一つない。
――こうして、多数のディアボロの急襲から始まった撤退作戦は、見事に誰一人の犠牲もなく終結。
後日改めて派遣されてきた撃退士達によりディアボロも掃討され、事なきを得たのである。