●混沌の影に溶けて
――打ち捨てられた立体駐車場。
差し込む光によって薄暗さを保っているそこで、からん、からん、と独特の音が響く。
ある程度聞き慣れた者ならすぐに分かる。
天魔の眷属として普遍的な『骸骨兵』だ。
もはや車が通らなくなって久しい、薄く埃の積もったコンクリート床の上を、からん、からん、とそんな音を立て、歩いてくる。
数は一体。
複数体で動き回ることが常の骸骨兵にとって、一体というのはあまり見れるものではない。
何かしらの原因で仲間が破壊され、そのまま補充されていないのだろう。
――不意に、かつん、と石が転がるような音がした。
骸骨兵は即座に反応し、音の方向を見る。
そこにあるのは、破壊された一般乗用車。
かつては一般的なデザインの車で、ここに停められたまま、帰らない主人の帰りを待ち続け、やがて何者かに破壊されてしまったのだろう。
とりわけ珍しいものではない。
骸骨兵は足を止めたまま、数秒、そちらを見て、
――背後から襲ってきた大鎌に両断された。
「――ふう。片付けたで御座るよ。皆、こちらへ」
崩れ落ちた一人分の骨の山を足元に、手元から漆黒の大鎌を消し、虎綱・ガーフィールド(
ja3547)は小さな声をイヤホンマイクに流しこむ。
そうすることで、遥か向こうの柱の陰から、虎綱の仲間達が顔を覗かせ、するすると虎綱の元まで忍び寄ってくる。
「これで、この階は、大丈夫……?」
未だ警戒も顕に、樋渡・沙耶(
ja0770)が尋ねる。
彼女のその態度も当然と言えた。
旧天魔支配地域。天魔のゲートが生成され廃墟となり、ゲートが破壊されてなお未だその力の残滓で天魔の眷属が生まれ続ける場所。
そして今は『神器』と『堕天使』を追って、凄まじい数の天魔が跋扈している混沌の場所だ。
「この階は。まあ、余程大きな音を立てない限りは大丈夫で御座る。とは言え」
「成果なし、というのも、少し悩ましいところだな……」
ふむ、とひとつ見回しながら言うのはラグナ・グラウシード(
ja3538)。
静かなものだ。
遠くから時折、争いのものと思われる金属音、破壊音が聞こえてくるのを他所に、この駐車場は静寂に満ちている。
忍び込むにはそれほど労せずに行けたとはいえ、同時にそれらしい手がかりは皆無――
「んー…… でも、そういう訳じゃないかもしれませんよ」
月輪 みゆき(
ja1279)が、地図を片手に指でその表面を撫でながら言う。
「ふむ?」
「この駐車場、さっき私達が上ってきた階段から、下に行けば、そのまま地下鉄駅にも行けるみたいです」
「ああ…… それはそうかもね。この駐車場、駅利用者のためのものだろうし」
地図を覗き込む虎綱の傍ら、アリーセ・ファウスト(
ja8008)が同意する。
ちらと斜め上に向けた視線の中では、故国の地下鉄でも思い出しているのだろうか。
「なるほど。では拙者、少し行って使えるかどうか確認してくる。当て込んで、崩落でもしていたらコトで御座るからな」
「お願いします」
音もなく虎綱が駆けていくのを見て、みゆきは周囲を一瞥。
光が差し込んでくる、駐車場とその外を区別するフェンスに近付き、そっと外界を伺う。
「気を付けてねっ。時々『ドレイク』が飛んでる」
既に同じようにして外を警戒していた氷月 はくあ(
ja0811)が、そっと警告する。
はい、と頷きながら覗きこんだみゆきの目に写ったのは、一面の灰色の世界。
生命の気配はなく、何もかもが色あせた廃墟の都市。
「……」
知らずフェンスを掴む手に力を込めながら、みゆきはひとつ息を吐く。
その隣で、はくあも同様。
いつもの笑顔を僅かに強張らせているのに、彼女は自身で気付いているのか。
伺っている視線の先では、幾つかの天魔を捉えている。
大通りのアスファルトの上を駆けていく、天使の番犬である『天狼』サーヴァント。先にはくあがみゆきに警告した、空を我が物顔に横切る小型の飛竜――『ドレイク』ディアボロ。
そして、大通りを挟んで西方向に見える、大ビルの天辺――そこに仁王立ちする黒い甲冑の存在。
恐らくは、悪魔だろう。
「なんか見えたかい?」
車止めのブロックに腰掛けて、ふ、と気怠げに火のついていない咥え煙草を口元で揺らしながら、仁科 皓一郎(
ja8777)が問う。
「ええと、天魔が、色々」
「面倒事の匂いしかしねェな」
は、と軽く笑って皓一郎は煙草を携帯灰皿に放り込んでから腰を上げる。
短い一服。
始まったばかりの調査だが、体力と精神力を温存しておけるならそれに越したことはない。
「『神器』と『堕天使』探し、か」
「見つけると、最悪敵が群がってくるんでしょう? 本当に面倒よね」
気怠そうな雰囲気を掴んで離さない皓一郎の声に同意するように見上げるのは、珠真 緑(
ja2428)。
とはいえ、二人とも士気が低いわけではない。
そうでなければこの依頼に挑むことはないだろう。
緩い吐息は、廃墟の空気に溶けて消える。
「ボクは神器は割とどうでもいいけど、堕天使は見てみたいんだよね」
「私は神器にも興味、ありますね」
アリーセとはくあがそれぞれその思いを伺わせる顔で言う。
この依頼群に参加した撃退士のいずれもが、その思いのどちらか、あるいは両方であろう。
この天魔騒乱を有利に進めるために。神の手で作られし力の器――神器とはどのようなものかを見つめるために。
そして、あえて人類の傍らに立つことを選択した天魔を迎えるために。
――と、ぽん、とはくあの頭の上に置かれる手。
「はくあ殿は相変わらずで御座るな」
「わっ、虎綱さん、戻ってたんですか」
「つい先程」
すぱっと扇子を広げ、はくあを見下ろしつつにこやかに笑む虎綱。
「地下鉄構内への道は使えることを確認して参った。敵の気配はあったが、静かなもので御座ったな」
「では、帰りはそこから、だな」
「……ひとつ、安心?」
「うむ。 ――では、次に動くと参りましょうか。警戒は必要で御座るが、拙速は巧遅に勝ると言いますからな」
「アンタがその警戒役の最先鋒だろうに」
「はは、まあ某に出来る範囲で全力を尽くしますとも」
虎綱は笑って言う。
各々の面子も釣られて笑いながらも、雰囲気を引き締めた。
混沌の中枢に挑む八人は、こうして息を潜めながら、注意深く視線を巡らせる。
宝物を手中に収め、堕ちた手を繋ぐ為に――
●手を取り合って
撃退士達は虎綱の先導とはくあの警戒、そしてみゆきのガイドによって駐車場を出て、次に探索を予定していた商店街跡へと影に隠れながら向かう。
道中、孤立している腐骸兵や骸骨兵を奇襲からの一撃で破壊し、あるいは群れて駆けていく天狼や空を横切るドレイクをやり過ごしての行動だ。
先立って気付いたのは、やはり虎綱とはくあ。
「……やはり、騒がしいで御座る、な?」
「だね。 ……何か、いる、のかな?」
二人が気付いたのは、音。
そう――駐車場にいた時から時折聞こえていた金属音、破壊音だ。
刃と刃を打ち合わせるような音と、瓦礫を粉砕するような音。
それらに加えて、轟、と何かが噴き出すような、炸裂するような音が、はっきりとこの商店街から聞こえてくる。
音に気を付けていればもう少し遠地から早い段階で分かったかもしれないが――
「争いの音の原因…… 争奪戦?」
「それならもう少し派手に天魔ともに動いていても良さそうだけど」
緑は沙耶の言葉をやんわり否定する。
これは抗争の音ではない、と緑の感覚は告げている。
「……ひとつは、随分派手よね。もうひとつは、散発的で……」
「……これは、逃げる者の音で御座るな」
音は二種類だ。 ――ひとつは、一方的に薙ぎ払われる破壊の音。もうひとつは、抵抗を続けながら逃げる遁走の音。
忍軍の常として、撤退戦の学を収め、その経験もないではない虎綱にはこの音の感覚に覚えがあった。
「じゃあ、堕天使がここにいるのかな?」
「かもしれない。だが、単純に天魔が先頭になり、どちらかが敗色濃厚になって逃げているという可能性も、否定出来ないが」
中央で、壊れかけた商店街アーケードを見上げながらのアリーセの声に、殿で一列の後背を警戒するラグナが答える。
情報は不明瞭だ。だが、何かが起きていることは間違いない。
「どっちか分かりゃイイんだがな…… 贅沢言ってる暇はねェ、か」
「うむ。万一のことを想定するなら、早く駆け付けたほうが良い。逃げている方を追えるか?」
陽炎のような光纏をやや不規則に揺らめかせては、皓一郎は頷く。
幸いにこれまで正面から衝突し合う戦闘はしていない。皓一郎やラグナの調子は万全だ。
堕天使が負傷していても、余程の場合で無い限りは庇い切れるだろう。
「任せてっ。何とかして見せますっ」
ラグナの声に応え、はくあは嫌な予感を感じつつも、それを押し殺しながら音の出処を捉えていく――
「――クソ」
荒い呼吸がぜいぜいと響く。
『彼』は明らかに低下した体力を忌々しく思いながら、埃臭い空気に身を転がした。
自分がただでさえ強くないことは承知していた。
何せ、それを忌々しく思っての今回の計画なのだから。
「何処に行った!?」
「探索術を使え!」
「ごめんなさい、もう使えなくて……!」
「ちっ…… 探すぞ! 絶対に俺達で仕留める!」
三名からなる天使の一団が、瓦礫の向こうで『彼』を探しに散った。
ざまぁ、と声には出さずに口で形にする。かつてならバラけたところを各個撃破しに行くところだが、そうもいかない。
忌々しいが、今はとにかく逃げに徹するべきだ。
『彼』は力が己に無いことを憎々しく思いながら、足を立てた。
血を流している足はもはや棒のようで、肉体に付いていることの鬱陶しささえ感じる。
それでも、足を止めるわけには行かない。
逃げなければ、ここ一帯はやがて押しつぶされる。
呼吸を落ち着かせ、静かに身を起こし、駆ける。
地理感など無い。
自分の勘に従って、細い路地を二つ曲がり――
――轟! と何処からともなく飛来した火炎弾が『彼』の頭上の建物を破壊した。
「――っ!?」
崩れてくる。
衝撃でその場に倒れ込み――ずがんっ! と瓦礫の塊が『彼』のいた場所を押し潰した。
「ぐ、っ……」
だが、実害はない。
『透過』の能力によれば、この程度は屁のようなものだ。
巻き起こった土煙が口の中にまで飛び込んできて、それもすぐさま『透過』で無視した『彼』は忌々しく立ち上がろうとする。
「畜生め……!」
それでも足を取られたことに毒づく。
時間を無駄にはしていたくないというのに。
しかし、その思いをまさに叶えまいとするかのように、崩落の音を確認しに来たのか『彼』の正面に現れる骸骨兵が、三体。
「――ち、クソが」
カラカラと鳴る骨の音は、嘲笑の声のように。
『彼』はそんな骸骨兵を睨み付け、諦め悪く得物である二本の短剣を顕現させる。
身を起こしつつ身構えて、荒い息を吐きながらひとつ。
「こんな奴ら相手に殺られてたまるか……!」
向かって来る。
慎重に間合いを測りながら『彼』は短剣の片方を逆手に持ち替え、忌々しく悪態を吐き――
「その意気や、良し」
――応える声があった。
瞬間、飛び込んで来た影が三つ。
中央の一体を腰から大鎌で一撃する沙耶。
左の一体を叩き潰すように大剣で両断するラグナ。
右の一体を雷撃で焼き貫くアリーセ。
撃退士達は不意を突く形で骸骨兵サーヴァントの三体を一掃。
『彼』が呆然としている間にそれを成し、そして手を差し出してくる。
「貴殿が、我ら久遠ヶ原に助けを求めた堕天使であるな?」
ラグナは久遠ヶ原の印章輝く学生証を提示しつつ、声を掛ける。
哀れみではなく、救いの声――共に立つ仲間への声で。
「私達は…… 貴殿を救いに来た。 こんなところで死ぬのは本意ではなかろう。 ――さあ、ともに行こう」
「っ、来るのが遅ェんだよ……!」
笑みと共に悪態を吐きながら『彼』はその言葉の答えとして手を掴む。
肩を借り、立ち上がった際には、己を誇示するように翼を広げ。
「――クルドだ。堕天使クルド…… それが、オレの名前だ」
●混沌の中で
クルドを確保し、撃退士達は再び駆ける。
「ここにはあいつら――ムリフェインやミルザムは居ねえ。勿論、神器もここらとは別の場所に隠してある」
クルドはそう言って、撃退士達を促す。
彼自身、神器はともかく残り二人について確証は無かったが、あれだけ散り散りに逃げて偶然同じ方向へということはないはずだと確信していた。
そうでないと困る、という部分もあるにはあったが。
「道中の地下街入口は埋まってましたから、やっぱり駐車場の入口が適切だと思います……!」
みゆきの立案による経路選択の上で、撤退への道筋を示す。
しかしクルドを抱えたことで、その足は確実に鈍っていた。
そして彼を助けに飛び込んだことによる、どうしようもない隠密性の低下。
緑の一案でクルドには別な上着を着せ、フードを目深に被ってもらったものの、これも長続きはしないだろう。
「しばしお待ちくだされ。この一団が通過してから参ろう……」
虎綱は汗が滲むのを感じながら、天狼の一団が路地を駆けていくのを見送る。
それははくあも同じ。空を横切るドレイクの影に、どうしようもなく汗が項を伝う。
「……どんどん包囲されているわね」
「やっぱり、そう、ですか?」
「間違いないね。嫌な感じだよ」
緑の言葉に対するみゆきの疑念を、アリーセがはっきりと肯定する。
明らかに、天魔を目にする頻度が増加している。
予想できることではある。
クルドによれば、天使側は彼をここで発見している。
見つからなければ包囲を狭めていくのは当然のことだろう。
――そして、商店街から後少しで抜けだそうという時に、遂に限界が訪れた。
「――! そこの人間ども、止まれ!」
見咎めに現れたのは、二人の天使。
「チッ」
舌打ちをしたのは誰だったか。
あるいは全員が少なからずそうしたい気分だったかもしれない。
「そこの背が高い奴、フードを取れ! 顔を見せろ!」
不躾に出てきたのはそんな高圧的な命令。
恐らく天使側も無駄な行動は取りたくないのだろう。
探している対象が居なければ見逃してやる――言外にそう言っているのがありありと分かった。
だが、ここで勿論クルドの被っているフードを取る訳にはいかない。
「あのさあ。 ――君等、バカ?」
アリーセが天使二人を鼻で笑う。
「君らの命令に従う理由なんて、これっぽちもないんだけど?」
「なんだと! 人間の分際で――」
「どうでもいいけど、こっちも忙しいし、君等も忙しいでしょ? さっさとどっかに行ってくれない? どうしてもって言うなら、共倒れになるまで付き合ってもいいんだけど?」
如何にも、かったるいけど仕方ない、と言いたげな様子でアリーセは言葉を並べる。
駄目元の時間稼ぎ。
撃退士達はその隙に横目で視線を配り、脱出経路の再確認。
そして――動く。
「――行け!」
「!?」
虎綱の号令に合わせ、弾丸、雷火、剣撃――各々の一斉攻撃が天使二人を襲う。
それを目眩ましに緑は異界の呼び手を打ち放し、掛かったどうかの確認も放棄して離脱。
「く、そ―― 逃がすな!」
「人間どもも一緒だ!」
既に過ぎ去った後方から天使の思しき声が響く。
途端、雨霰と飛んでくる光の矢、どこに潜んでいたのか、湧いては立ち塞がり、追ってくる骸骨兵、腐骸兵などの雑多なサーヴァント。
「後少しだったってのに、上手く行かないモンだな……っ、と」
正面から襲ってきた腐骸兵の鼻っ柱を盾で叩き折って、皓一郎は悪態を吐く。
「とにかく突破が最優先――まともに相手してたらキリがないわ。眠りなさい……!」
緑は立て続けにアウルを練り、前に立ち塞がる一団へ眠りの霧を放つ。
一時的に意識を刈り取られた天狼の一群の横を、撃退士達は追い立てられながらもひたすらに駆ける。
「っっ!」
捌ききれなかった光の矢の攻撃を、沙耶が身を張って受ける。
別の依頼で受けた、治りきっていなかった傷が開く感覚。
「大丈夫か!?」
「だい、じょうぶ…… まだ、やれる……」
呼吸は荒く、傷口が熱い。だが、まだ倒れるわけにはいかなかった。
ラグナの声に答え、追い縋ってくる腐骸兵を横薙ぎに切り払いながら沙耶は応える。
しかし幾ら退けても、当然のように追撃はやってくる。
そして――
「――虎綱さん、前の影!」
はくあがそれに気付き、警告を発する。
む、と虎綱が足を止めた瞬間、それは現れた。
黒い犬――『ヘルハウンド』ディアボロの群れ。
二メートル近い体長を持つそれらが、瓦礫の影から湧き出るように三体、五体、七体――
「く……!」
「囲まれた……」
一直線の道に、前をディアボロ。後ろを天使とサーヴァント。
お互いがお互いを警戒しながらもじりじりと距離を詰めてくる天魔に、撃退士達は戦慄する。
「――こいつらは」
「ん?」
ただ、皓一郎とアリーセが気付いた。
単に犬らしい造形を取っただけではない、艶やかな漆黒の毛並みを持つヘルハウンド。
闘争本能という熱病に犯されたように牙を剥き出しにしている普通の獣型とは違う、知性を感じられる視線による、静かな威嚇。
「――ん? なんだ、お前らも来てたのか」
その気付きを裏付けるように、二人にとって聞き覚えのあるそんな声が降ってきた。
ずん、とアスファルトを割って着地する、竜じみた尻尾を持つ豊満な身体の女悪魔。
その名をティエルヴァーナという――大変気ままな、悪魔のお嬢様。
「――よう。奇遇……って訳でもねェ、か?」
「どうだろうな。私としては今はあんまり会いたくなかったが」
皓一郎の声に答えたティエルは、微妙に調子の低い声で応じる。
「じゃあ、奇遇でいいんじゃないかな。こんにちは、ティエル嬢。で、折角なんだけど、ボク達、今、つまらない仕事で先を急いでいてね」
「あー、そりゃ分かる。私も今、そんな感じだからな」
アリーセの言葉にも被せるように、微妙に低い調子の声。
僅かな間であれ、触れ合った二人が感覚的に分かるのは、今、ティエルがあまり機嫌がよろしくないということ。
「……知り合い、ですか?」
「まあ、そんなもんだ。トモダチ、だな」
油断なく銃を構えるはくあから囁かれた皓一郎は頷く。
それは間違いない筈だと言い切っていいぐらいのやり取りはあった。
そんな視線を受け、ティエルは何ともやりにくそうに髪を掻き、
「面倒なのは嫌いだから、アレだ、単刀直入に行くぞ。そこの堕天使、置いてってくれ」
次の言葉と共に、ティエルは迷いなくクルドを指差した。
僅かな空白。
「……それは難しい相談だな」
「だろーな。あー、面倒くせえ…… どうすっか」
普通ならここで『単刀直入に』殴り掛かって来るのだろう。
少なくとも皓一郎とアリーセが居なければそうであったに違いない。
そんな何とも言えない空気に横槍を入れたのは、後ろから追ってきた声。
「そこの悪魔、死にたくなければ下がれ! その堕天使の始末は我々天使がつける!」
天使二名が揃って槍の得物をラグナと沙耶に突きつけながら、対面のティエルを威嚇する。
それまでティエルは撃退士達の後ろに対してはあえて無視を決め込んでいたのだろう。
ぴくりと反応すると、びしっ! と尻尾を不機嫌そうにアスファルトに打ち付けて、まだ温和な方であった表情をティエルは一変させる。
「――あ? 下級天使風情がナマ言ってんじゃねえぞ。黙ってろ」
「なんだと!? 薄汚い悪魔が!」
ばち、とティエルの角の間で火花が散る。
ぐるる、と唸りを上げ始めたヘルハウンド達の様子を見ても、天使二名が地雷を踏み抜いたのは明らかだ。
しかしティエルは意外にも発火することはなく、ふ、と自分を諌めるように強く息を吐き出すと、撃退士達に向き直った。
「――なあ。なんでそいつを助ける? あとお前。堕天使、お前もだ。なんで亡命した?」
次に飛んできたのは質問。
外野がぎゃあぎゃあと煩かったが、今度は完全に無視。
それだけを尋ね、ティエルはじっと撃退士達とクルドの答えを待つ。
「依頼で――仕事だからよ。それに、こちらとしても神器や堕天使をむざむざ敵方に渡してやる道理もないしね」
最初に答えたのは緑。
大多数の撃退士が抱いているであろう、実に尤もらしい、合意的な意見だ。
しかしティエルは満足の行かない顔で、んー、と唸って首を振る。
「そういうスマートな答えは嫌いじゃないが、今、私が聞きたいのは、その手の根源的なところじゃないんだよな」
「堕天使や神器に興味があるから、は……?」
呟くように言ったのは沙耶。これにははくあも頷いて同意する。
この理由も撃退士の中では強い方だろう。
神器は強い力を持つという。力を求めるが故に久遠ヶ原へ来た者にとっては、それを求めるのはごく自然なことだ。
天使と悪魔も、強く敵対しているだけに、反面興味を持つ撃退士も少なくない。
「興味、興味ね。なるほど。ま、自分なりって言えば自分なり、か」
「私は、助けたいから助ける。これではいけないだろうか?」
そう答えたのはラグナ。
「私は騎士だ。天魔といえど、人の側を選ぶというのなら、助けを求められてそれを見過ごすことは出来ない」
「そりゃなんでだ?」
「それが私が騎士たる所以だからだ」
素直に問うてくるティエルの声に、ラグナは真っ直ぐに返した。
「言ってしまえば、誰のためでもない。私が私らしくあるために。他ならぬ私自身のためだ」
「自分が自分らしく、か……」
「俺も同意見だな。依頼とかじゃなく、助けてやりたいってテメエ自身で考えたから、こうしてる」
皓一郎も頷いては、にぃ、と笑みを浮かべ。
「そこには色々、理由を付けることは出来る。でも、重要なのはそういうコトじゃねェ。直感的なところだ。そうだろ?」
「――なるほどな」
「ボクは他にも、天使と悪魔が潰し合いしてるのを見るのは楽しそうだからとか、あるけどね」
「そりゃお前らしい」
アリーセの正直であれど何ともな言葉に、ティエルは笑う。
「――で、堕天使。お前はどうなんだ?」
「オレは―― 自分のためだ。使い潰されるような生き方を強制されるのは我慢ならねェ……! オレはオレがやりたいようにやる。今逃げるのは、そのための一歩だ!」
「お前もかよ」
クルドの言葉にもティエルは改めて笑う。
笑って――ふう、とひとつ息を吐いた時には、ティエルの顔から笑みは消えていた。
僅かに一拍。
「――よし、決めた。この場の全員叩き潰して、それでケリをつけてやる」
宣戦布告の宣言。
それを受けて、撃退士達は緊張を新たにする。
無論、背後の天使達も。得物を改めて沙耶とラグナに突きつけ――
「つーわけで、まずは――そこのクソ生意気な天使、お前らからだ!」
ティエルは一気に加速。
撃退士達を一跳躍で飛び越え、天使とサーヴァント達の前へと立ちはだかる。
ヘルハウンド達も同様。
主であるティエルに付き従って、撃退士達の合間を擦り抜けてはティエルと並び、天使達を威嚇する。
「な――どういうつもりだ!?」
「どうもクソもねえよ! 私はお前らが一番嫌いだ! だから、お前らから先にブッ潰す!」
先に目障りな人間を叩いてから、その後に天魔の間で争奪戦を、とでも考えていたのだろう。
真っ先に攻撃宣言を受けて慌てる天使達に、ティエルは掌を突きつけながら、ちらと後ろを――撃退士達に向けて言い放つ。
「こいつらが終わってからお前らだ――まとめてブッ潰されたくなかったら、精々逃げるんだな! 覚悟しとけよ!」
同時、極大の火焔が、轟! とティエルの掌から噴き出した。
さながら竜のブレスにも似たそれは、容易く天使達とサーヴァントを飲み込んで、その姿を赤に包み隠す。
「――感謝すッぜ?」
は、と笑って皓一郎は皆を促し駆ける。
正面は大通りまでクリアだ。遮るものは何もない。
「感謝される云われはねえよ! 次はお前らだって言ってんだろ!」
「ははっ、じゃあお言葉に甘えて、その前にボクらは引かせて貰うよ」
アリーセも苦笑しながら、次々に離脱する仲間の後を追う。
ティエルの、何処か誇らしげな背中を最後に振り返って。
●必死の遁走
予定通りに駐車場から地下街、地下街から地下鉄の構内へ飛び込んだ撃退士達を待っていたのは、サーヴァントかディアボロかも分からない、とにかく雑多な敵の群れ。
「く、これはまた……!」
「凄い数です……!」
離脱ポイントとして指定しているのは、今はもう使っていない地下鉄の線路――その分岐点だ。
そこまで行けば、自然発生した類の天魔が旧支配エリアを抜け出さないよう包囲している撃退士達の支援を受けられる。
立ち塞がる相手のみを一蹴しながら、撃退士達はとにかく突き進む。
だが、それでも猛烈な攻撃の嵐を捌き切るのは至難の業。
「く、あ……!」
苦痛の声を上げながら、沙耶は殿で薄暗闇を裂いて飛んでくる骨の矢を切り払う。
ぱたぱたと足元に溢れるのは、夥しい量の鮮血。
治りきっていない傷はもはや完全に開き切って、沙耶の体力を完全に蝕みつつあった。
「く、樋渡殿、無理は……!」
「だい、じょうぶ。それよりも、あなたも……」
同じ殿で沙耶を気遣うラグナも限界が近い。
捌き切れない追撃によって受けた傷が蓄積し、明らかに動きが鈍っている。
とは言え、それは殿に限った話ではない。
側面から撃ち込まれる矢で、はくあやみゆき、アリーセや緑も少なくない手傷を負っている。
そして正面をひたすら切り開く虎綱や皓一郎も、いい加減に体力が限界に近い状態にあった。
そして、敵はまだまだ来る。
その全てがサーヴァントかディアボロで、普通に戦えば苦戦するような敵は居なかったが、それはこの数の前では気休めにもならない。
「く、ぬ…… 仕方あるまい、御免!」
「っ、虎綱さんっ!?」
疾風迅雷。
虎綱は弾丸のように駆けて、行く手のコンコースに立ち塞がった骸骨兵の一団に雷纏う一撃を繰り出す。
もはや捨て身に近い、仲間のために道を作り、相手の注意を引き付けるための攻撃。
「先に行けィ! ここで斃れては、此処に来た意味が分からなくなる!」
「でもっ」
「心配召されるな! 某は忍――容易くは死なぬ!」
はくあとみゆきの声を振り切り、虎綱は皆から離れ、一団を引き付けては別コンコースへと飛び込んでいく。
「迷ってる暇はないよ――行かなきゃ」
残った数体に雷撃の砲をばら撒いて、アリーセは急かす。
「皆、限界が近い――あの女悪魔に追いつかれないためにも、とにかく行きましょう!」
緑の声に、暗いコンコース内を、撃退士達はただ突き貫く。
まるで無間地獄を突き進んでいるかのような感覚。
終わりのない道に、終わりのない敵――
「っ――」
「く、樋渡殿――失礼する!」
線路上に降りたところで、崩折れるように倒れたまま動かなくなった沙耶をラグナが抱え、振り向きざまにホームの上から跳びかかって来た天狼を斬り払う。
足がほぼ用をなさなくなったクルドに肩を貸しながら、皓一郎はひたすら盾で矢を打ち払う。
アリーセは緑と並んで、ラグナが下がってくるのに追い縋ってくる腐骸兵を、アウルを使い果たす勢いの術撃で支援する。
その撃ち漏らしを順番に、正確に撃ち抜くはくあ――
――気付けば、線路上には静寂が満ちていた。
「終わった……?」
「正確には、途中で諦めた、って感じだったな……」
トンネルの壁沿いにクルドと共に座り込んで、皓一郎は煙草を咥える。
火を付けたかったが、それはもう少し我慢すべきだろうか。
トンネルの遠くから、別の撃退士達と思しき声がする。
それを耳にして、各々は息を吐いた。
しかし、犠牲も大きかった。
「虎綱さん……」
はくあは胸元を掴みながら、来た闇を振り返って、道を切り開くためにその中へ消えた彼の名を呟き――
「呼んだで御座るか?」
「ひやわっ!?」
ひょこっとその背後から現れて、ぽんっと頭に手をおいた虎綱に飛び上がった。
「無事、でしたか」
「無事とは言い難いですがな。連絡通路に転がり込んで何とか。流石にもう反吐も出ぬで御座るよ」
安堵の息を吐くみゆきに応え、ぱんっと開いた扇子には、べったりと血の跡。
「ちょ、ちょっと今のは心臓に悪かったですっ!」
「はは、済まぬ済まぬ。まあ、宣言通り無事に戻ったということで、許して貰えると」
うー! と怒るはくあを宥めつつ、からからと笑う虎綱。
「ん、ぅ…… あれ、私……」
「む、樋渡殿、気が付かれたか」
沙耶も短時間の気絶から覚醒し、ラグナの腕の中で目覚める。
痛みは無論まだ続いているし、血を失ったせいか何とも言い難い気怠さがあったが、大事には至っていないようだった。
「途中で倒れたのでな。失礼ながら、ここまで抱え運ばせて貰った。歩けるか?」
「……ちょっと、難しい、かも」
「畏まった。無理はしない方がいい。私のような男の腕の中で大変窮屈だとは思うが、しばし辛抱して欲しい」
「ん…… あり、がとう」
「礼を言われることではないさ。私が私らしくあるために行ったこと。むしろ仲間のために在れたこと、感謝したいぐらいだとも」
ラグナも沙耶も笑う。
そんな彼らを眺め、クルドは何ともと言えない息を吐く。
「慣れねェか?」
皓一郎は咥え煙草を揺らして、クルドに緩い笑みと共にそう声を掛ける。
「そのうち慣れる。ま、これを機に、人間、つーモンを知るのも、悪かないと思うぜ?」
「は。 ……考えておく」
あまり余裕もないのか、クルドはそっぽを向いて。
そんな彼に苦笑して、皓一郎はトンネルの奥からこちらを照らす懐中電灯の明かりに、気怠げに手を振った。