●闇の中で
「う、ぐ……」
痛む身体と回る視界。
崩落に巻き込まれた作業員達は、真っ暗闇の中で呻き声を漏らしながら、ゆっくりと覚醒した。
「おい、生きてるか……?」
「こっちは何とか……」
「畜生め、くそ…… ついてねえ」
返事の声はふたつ。
即座に記憶を掘り起こし、確か――巻き込まれたのは自分を含めて四人だったはずだ、と一人は思い至る。
「おい、斉藤は無事か?」
「斉藤? いるんですか?」
「巻き込まれたはずだ。おい、斉藤!」
暗闇の中に声が反響する。
一拍、二拍。
まさか、と嫌な想像が三人の脳裏を過ぎり、三拍目にその反応はあった。
「ぅ、う……」
「斉藤? おい、大丈夫か?」
弱々しい呻き声に、具体性や明瞭さはない。
そこから残りの三人は、斉藤と呼ばれた彼が小さくはない怪我を負っていることを察する。
「おい、明かりを付けろ。慌てるな、落ち着いてやれ」
「了解…… ダメです、僕のは壊れたみたいですね」
「俺のもだ…… クソ。平井さん、そっちは?」
「ちょい待て」
返事を返しつつ、スイッチを入れる。
広く、そして土煙が漂っている闇を照らすにはあまりにも頼りないが、それでも一筋の光明が点った。
「よし、行けるぞ」
「斉藤さん、どこですか?」
「平井さん、多分もうちょい右…… いた!」
声の方向を頼りに、作業員達はそれぞれお互いの姿を認める。
斉藤は、見るからに重傷であった。出血こそ見当たらないものの、足が妙な方向に曲がっている。
強い打撲と骨折。下手に動かさないほうが良いと判断し、作業員達は軽い応急処置に務める。
「くそ、携帯はやっぱ無理か…… それにしても微妙に寒いな」
「最近、徐々に冷えてきてましたからね。外でもまだ大雨のはずですし」
「俺らの救助に支障が出てなきゃいいんだが、祈るしかねえな」
振り向く。
出口の方向には瓦礫の山しかない。
トンネルの長さを考えれば、出口はそう遠くない。
そして瓦礫の山も、そう厚くはないはずだ。
だが、その厚さが僅か五メートル程しかなくとも、ただの人間にとってはどうしようもない壁となる。
「う、ぐ、ぁ……」
「しっかりしろ、斉藤。くそ、早く頼むぞ……」
ただの人間には、祈ることしかできない。
――そう、ただの人間になら。
●人にして人にあらざる力
「――は、なるほどな」
事故発生から二十五分。
赤坂白秋(
ja7030)は猛雨の中、天井部分が崩れて埋まったトンネル内を見遣って、レインコートの中から息と共に言葉を吐いた。
「なんとかなる――なりそうですか?」
大の大人の作業員が、一回りは歳の離れた“彼ら”にそう問う。
頷きと共に応えたのは、戸次 隆道(
ja0550)。
「ええ、必ず」
短いながら、意志力に溢れた答え。
彼らは彼らの仲間達を見回し、ひとつずつ頷く。
「じゃあ、打ち合わせ通りに早く始めてしまいましょう。二次災害も怖いわ」
「ああ、気を付けていこう。注意事項と警戒を怠らずにな」
田村 ケイ(
ja0582)と周防 水樹(
ja0073)も揃って。
作業員達にはトンネル外での作業を頼み、危険箇所には自分達が従事することを伝え、備えていく。
彼らが持つものは、シンプルだ。
それはこの災害の中で使えない重機のような大掛かりなものではない。
スコップにロープ、そして瓦礫運搬用の一輪と、後は要救助者のための毛布や担架、清水を含む飲料、医療キットなど。
それだけを手に、彼らはトンネルを埋めた瓦礫に挑む。
ただの人間になら、出来ないことはなくとも日を跨ぐ作業だ。
――だが、撃退士には、その限りではない。
「せ、っ!」
鈴・S・ナハト(
ja6041)の声に合わせ、重く降り積もった瓦礫にスコップが深々と突き刺さる。
隣では隆道、クラリス・エリオット(
ja3471)が同様に、スコップをざくざくと瓦礫に突き刺し、土砂をあたかもくり抜くかのように撤去していく。
その勢いときたら、豆腐を切り崩していくかのような速度だ。
「こっちをもう少し切り取りるで。下、注意してや」
天井近くでは、烏丸 あやめ(
ja1000)が鬼道忍軍らしく身軽に上から切り崩していく。
崩落の可能性がある場所を前もって切り取り、あるいは支え、場合によっては小規模に崩してしまうことにより、大規模な二次災害を防ぐ役割だ。
そうして切り出された土砂を、一輪だけで水樹やケイ、白秋とソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)が運び出していく。
「こっちの山、貰って行くわね、っと」
時折勢い余って一輪が傾くことはあれど、積んだ土砂を崩すようなことはない。
その作業は力強く、俊敏で、現役作業員達が眼を丸くして見守るほどだ。
決して要領が良いわけではない。
単純に、パワーが必要十分以上にありすぎるのだ。
光纏によって撃退士が得る身体能力は、最低でもオリンピック選手のそれに準ずるとされる。
勿論、アウルを使いこなすための訓練や経験を積めば、その二倍、三倍。
そんな撃退士達が行う手作業は、もはや人力作業とは言い難く――人外、あるいは超人力作業と呼んでも差し支えない。
「よし――ソフィアさん、新しい照明を頼みます」
「任せて」
「うむ、私もいるからの! 皆、張り切るのじゃ!」
闇さえも、彼らの障害にはなりはしない。
ソフィアの灯すアウルの光、そしてクラリスがその身に宿す輝きが、むしろ眩しいぐらいにトンネルの中、漂う土煙を貫いて照らしている。
これにより、手元が狂うこともなければ、崩落の危険に注意を払い切れないこともない。
スコップでは手に負えない、巨大な岩のような瓦礫も、なんのその。
「――これは、大きいですね。崩すしかなさそうです」
軽く検分をして、隆道が迷いなく言う。
「よし、分かった。烏丸、いいか?」
「少し待ってや――よし、いいで」
白秋が、がしゃ、と散弾銃型のV兵器を手の中に顕現させ、腰だめに構える。
烏丸に合図を送り、崩落の危険性を抑え――適度な距離からアウルの散弾を一発、二発。
重い衝撃、炸裂音。
岩盤の一部が崩れてきたような――恐らく、この事故が起こった主要因であろう――瓦礫も、V兵器の直撃を受けて、バラバラに粉砕。
それを隆道が、鈴が鷲掴みにし、引っこ抜くような形で次々と取り除いていく。
本来なら重機を要する作業でさえ、この超人力で五分と掛からず。
「――この向こうじゃ、生命反応がある!」
クラリスの生命探知により、確かな手がかりを得て。
作業は滞るということを知らないかのように進み――ついに貫徹する。
瓦礫の内側に取り込められた作業員達も、その音を聞いていた。
どんっ! ずんっ! という鈍い音が二回。
「なん、だ……?」
まるで少量の爆薬で瓦礫に穴を開けようと試みるかのような音。
重機が立てる音ではないし、勿論、人力作業でもこんな音がするような道具に覚えはなかった。
それはそのはずである。
事実、彼らがやっていることはそのどちらのカテゴリにも属さないのだから。
作業員達が理解できず、不安になるのも仕方のない事であった。
やがて、そんな彼らの目の前で、瓦礫が、がしゅっ! と音を立ててスコップに貫かれ、小さな穴が空く。
そこから闇を貫くように差し込んでくる、不思議に美しく輝かしい光。
「――空いたで! 誰かおらへんか?」
聞こえてきたのは、年若い少女――あやめの声。
既知の作業員の誰でもない、聞き覚えのない少女の声に戸惑いつつも、閉じ込められた作業員達は声を上げる。
「いる! 救助を頼む! 重傷者がひとり!」
「! 分かった――ソフィア姉ちゃん、こっちにも明かりを頼んます!」
しばし間があって、小麦色の肌の手が小さな穴から伸びてくると同時、閉じ込められた空間に輝かしい光球が浮かぶ。
炎でも電気でもないその不思議な輝きに、作業員達はしばし困惑し――数十秒の時間を掛け、自分達の救助に、今や人類の救世主として知られる撃退士達が派遣されたことを理解するのであった。
「げ、撃退士さんか!?」
「はいっ。下がっていて下さい。今から穴を大きくします――」
鈴の声と同時、がすがすがすっ、と立て続けにスコップの刃が瓦礫を貫通し、瞬く間に顔がひとつ通るかどうか、という大きさから、人ひとりが屈んで通れるぐらいの穴に広げられていく。
そして最初に姿を表したのは、小柄な身体をするりと抜けさせて現れたあやめ。
作業員達はその幼さに改めて驚きつつも、撃退士ならばありえなくはないことにひとまずの納得を得る。
それに何より、自分達を助けに来てくれたひとりなのだ。
疑いの余地はない。
「こっちだ! 重傷者がひとり――」
「分かった。他に怪我しとる人はおらへんか?」
言いながらあやめは彼らを一瞥する。
じっくりと観察するまでもなく、重傷者とは別に作業着の膝を赤く染めているのがひとり。
「おるみたいやな。なら先に、軽い手当から始めよか」
「私も手伝うのじゃ!」
続いて現れたのはクラリス。
派遣されてきた撃退士達の中でも切ってのちみっ子ふたりの登場に、作業員達は目を丸くするのであった。
●闇より来たりて
「――助かったぜ。ありがとうよ、お嬢ちゃん達」
スポーツドリンクを一気に一本飲み干して、作業員のひとりがソフィアに礼を述べる。
「どういたしまして。行けるかしら?」
「ああ。何とかな」
にこりと微笑むソフィアに笑みを返し、よいせ、と腰を上げる作業員。
その膝には真新しい包帯がしっかりと巻き付けられている。
「こちらも準備は完了です」
隆道が応じる。
重傷の作業員は応急処置の上で毛布と雨よけのコートを被せられた上で担架に載せられ、もはや運び出しを待つのみだ。
「ちょっと待ってな…… よし、これでええやろ」
「ありがとうございます」
最後の一人も、腕に負っていた怪我をあやめのミネラルウォーターで洗い流してから、ガーゼを当てて包帯を巻かれて、準備は完了。
「よし、そんじゃま、早いところこの土臭い場所からはおさらばと行くか」
白秋がそう促して、その場の誰もが頷きを返す。
淀んでいた空気も次第に循環し始めるのを感じて、作業員達は安堵の息を吐く。
こうなればもはや安心だ、と。
――しかし、そうは問屋が卸さぬ、とばかりに、ゆらりと現れた影があった。
「っ――!? 平井さん、後ろっ!?」
「!? な、なんだ、何処から現れっ――」
閉じ込められていたはずの空間に出現したのは、巨体の狼。
作業員達がライトを向けた先、撃退士達が穴を開けたのとは反対側の瓦礫から染み出すようにして現れているのが見て取れた。
それを見た作業員のひとりが、悲鳴に似た声を上げる。
「て、天魔だっ!」
「!」
即座に動いたのは、撃退士達。
鈴が一も二もなく飛び出しては作業員達を護るように立ちはだかり、一方で隆道が即座に担架を抱える。
「ここは自分が足止めしますので、皆さんは急いで脱出してください!」
「わ、分かったっ」
鈴の声に応じ、動ける作業員から順に穴から外へと。
「――四体おる! 抜かせるでないぞ!」
「了解。まったく、今湧いてくるなんて。余計な手間ね」
クラリスが生命感知で敵の数を認識し、ケイが得物である二丁拳銃を顕現させながら、それぞれ相対。
天魔――狼達は一定の知性を感じさせる動きで、ぐる、と唸りを上げながら、クラリスの警告通りに四体が瓦礫を透過して現れた。
――場が動く。
俊敏に動いたのは狼。
「く……!」
一体が鈴に跳び掛かり、もう三体が明らかに脱出している作業員達を――隆道を追う。
「させるものか――行かせるわけにはいかない…嫌でも相手になってもらうぞ!」
水樹が割って入り、盾付きの篭手を狼の鼻っ柱に叩き込むようにして一体を阻止。
そのままアウルの輝きと共に狼を睨み付け、気迫で狼を威圧する。
ここは抜かせぬ、と。
「私も――させんのじゃ!」
次いでクラリスが片手剣を手に、もう一体の眼前へ滑り込む。
開かれた顎、鋭い牙を洗練された刃で受け止め、穴を抜けるのを阻止する。
「っ、あと一体――」
そこから即座にケイが発砲。
アウルによって生成した弾丸を、正確無比な狙いで最後の一体の横腹に叩き込む。
だが、それだけでは止まらない。
「邪魔なんてさせないよ」
ソフィアが一撃。
花弁舞うアウルの波動を叩き込み、その一体を吹き飛ばし、絶命させる――
「くそ、なんで天魔が……!」
「邪魔しに来たんでしょう!」
作業員達が向こうの明かりに向けてひた走る後ろを、隆道が重傷者と共に担架を抱えて付いて行く。
後ろでは戦闘音。
大した能力の天魔ではないのだろう。苦戦している気配はない、が――
「う、うわ、ま、前っ!」
「!」
作業員達がそう声を上げて足を止めたその瞬間、隆道も前へと飛び出した。
跳び掛かってくる鋭い牙。
寸でのところで割り込んだ隆道は、己の腕でそれを受け止め、そのまま強引に地面へと叩きつける。
「走ってください!」
止めを刺すことは重要ではないと、隆道は足を止めてしまった作業員達に発破をかけ、即座にその後ろを追う。
出口までは後百メートルもない。
奥の方でも、追いすがって来る狼を撃退しながら、あやめを始め離脱してくる。
「くそ――こいつら、際限なく来やがる! ダンスの相手はひとりで十分だっつーの!」
白秋もライフルの三点射を穴の向こうに撃ち込みながら離脱。
「この…… させませんっ!」
跳びかかって来た一体を再び鈴が迎撃。
先ず両手剣で牙を食い止め、蹴りで一撃。
そこから即座に切り払いから鋭い突きを放ち、一交錯で腹を裂いて、一体を仕留める。
だが、倒されても倒されても、阻霊符の効果が及び切らず十分でないトンネルの壁から染み出すようにして狼は襲ってくる。
後少し――!
「く……!」
執拗に追いすがってくる一体を振り払いながら、隆道はひたすらに駆ける。
もはや乱戦の最中、隆道に負われている重傷の作業員を最後に、全ての作業員達がトンネルから脱出した。
途端、全ての狼達が攻撃を止める。
「っ、まだ、来る……?」
油断なく銃を構えながら、ケイは狼を威嚇。
しかし狼達は、もはやこれまだだと言わんばかりに踵を返しては、瓦礫の向こう側に次々と消えて行く。
「く、逃げおるか……!」
「止めておこう。今は彼らを今は彼らを安全なところに移動させるのが先だ」
天魔が出た以上、救出した作業員達だけでなく、この場の一般人の全員が救出、護衛対象になりうる。
「長い一日になりそうだな……」
水樹はそう呟いて、今だ降り続ける雨の曇天を眺めた。
――結果。
以降、天魔の襲撃は幸いにもなく。
撃退士達の手伝いもあって、猛雨の中の撤収、避難作業は順調に終了。
犠牲者のひとりもなく、作業員達の全員が下山することが出来たということが、報告書に記された――