●九人の武装吶喊
「――よし」
久遠ヶ原学園島、地下。
温泉浴場『箱の湯』にスライム風呂を作り出している原因であろう部屋の前で、アニエス・ブランネージュ(
ja8264)はそうひとつ頷き、自己暗示のために閉じていた瞼を開いた。
「行こうか」
面持ちは戦場に向かう人間のそれ。
扉に手をかけ、後ろを確認する。
そこにいるのは、この依頼――掃除、をするにはあまりにも重武装な面々。
「はい。こちら準備よし、ですわ」
紅華院麗菜(
ja1132)が頷いて応える。彼女はまだマシな方であろうか。
ジャージに掃除用のモップ、そしてスキル発動用のV兵器である巨大な魔導書を抱えている。
「こっちも準備よし」
だが鴉乃宮 歌音(
ja0427)はV兵器仕様とはいえ火炎放射器などを抱えている。
ついでに言えば魔法少女ルックである。
美味しい、美味しい、が、一体どういうことなのであろうか。
あれか、妖魔と戦う魔法少女戦士のノリか。
「はい。手筈通りに、二人一組以上で」
微風(
ja8893)は大太刀である。どう見ても掃除というよりは戦闘の構えだ。
「こっちも準備よしなのだ。統真おにーさん、一緒に頑張るのだー♪」
「う、うん。勿論だけど、あんまり前に出過ぎないようにね」
ぶんぶんと腕と一緒にトンファーを楽しげに振り回す焔・楓(
ja7214)の傍ら。
如月 統真(
ja7484)は盾を構えている。今からテロリストのアジトにでも吶喊するのだろうかという面持ちで。
ちなみにアニエスも片手にはショットガン。
今から敵に奇襲突撃を掛ける、と言い出しても何もおかしくはない様相だ。
「は、はい。うぅ、なんでこんなことに……」
「まあ、頑張りましょう、ね?」
「うぅ…… よ、よろしくお願いします……」
唯一まともに掃除用具を構えている柴島 華桜璃(
ja0797)が落ち込む傍ら、簾 筱慧(
ja8654)が励ましの肩ポン。
ちなみに華桜璃は報酬こそしっかり約束されているものの、本来は瀬憐と同じようにお風呂を堪能しに来たはずの一人である。そりゃ不安になっても仕方ない。 何故加わることになったのかはお察しください。
保護ゴーグル、マスク、そして古着と、考えうる限りの装備はデロられたくないという彼女の決意の現れであろうか。
「はいっ、行きましょう!」
ぐっ、と握り拳と共に瀬憐が締める。
それら全てを確認して、アニエスは勢いよく扉を開け放った。
●炸裂
九人が立てた作戦の骨子は恐らくこうだ。
まず火力を持って、デロの元であるスライムおよび粘液を殲滅し、それから掃除に当たる。
その為の割り振りとして最低二人一組のチームを編成し、可能な限り前衛後衛のスタイルでバランスよく配分。
被害を最小限に食い止め、迅速に依頼を完遂する。
――確かに、デロられることを先ず避けるつもりであれば、それは良い一手だと言えただろう。
それにスライムや粘液溜まりを長時間生かしておくことは被害の拡大に繋がり、通常の掃除用具で当たるにしても、それら道具の摩耗が心配だ。
故に間違いではないのだが――
突入した矢先、奥の塊から粘液が飛んでくる。
アニエスに当たりそうになったそれを寸でのところですぅっと前に出た微風が大太刀の腹で捌き、飛沫がいくらか服を焼いたものの、直撃は免れた。
「――! アニエス先輩、大丈夫ですか?」
「助かったよ――っ」
礼を言いつつ、壁のスライム一体にアニエスはショットガンを叩き込む。
広いとは言い難い地下室内にあって、必然的に至近距離からの炸裂となる一撃は強烈。
受けたスライムが潰れ、緑の粘液に変わって飛散。
それが微風に飛び散るのを防ぐため、ぐ、と少々強引にアニエスは微風の腕を引く。
「微風君も気を付けて。よし、行くよ」
「気になさらずとも…… でも、ありがとうございます」
お互いに庇い合いながら、二人は進む。
一方では、楓と統真。
「食らうのだーっ♪」
入口近くの床にいたスライム一体を、楓が蹴り上げ、浮かせたところをトンファーで打ち抜く。
ばしゃっと弾けて緑の粘液になったスライムが早速とばかりに楓の服をじゅううっと溶かしに掛かるが、彼女はそんなことは気にしない。
気付いてないだけかもしれないが。
「ちょ、ちょっと待って、楓ちゃんっ、って、いきなり溶けてる!? 危ないよ!?」
「これくらいどうということはないのだ♪ 早く倒してお掃除しちゃうよ〜♪」
側面からの粘液を盾で防ぎつつ、慌てて楓に追従する統真。
スライムを潰しつつガンガン先に進む楓。
果たして彼は楓を守りきれるのだろうか。
「わ、わわっ」
瀬憐が盾で粘液を防ぎ、その間隙を縫って麗菜がすかさず前へ出る。
「これで如何、ですわっ!」
麗菜の指先から放たれる冷気と氷の一撃。
アウルを転換して生み出されたそれは、独特の煌めきを残しながら飛翔して着弾。
スライムごと緑の粘液を凍結し、的確な処理を可能にする。
そこを筱慧は逃さない。
その手の扇子を一閃。
氷の一撃の後を追って、独特の異臭を切り裂きながら飛翔する華麗な扇子の一撃が、凍結されたスライムを粉砕した。
「まずひとつ、と。 ……それにしても、凄い匂いね」
「服に染み付いたら取れなさそうで嫌ですわね。換気扇を動かしませんと」
「た、確かに。何の匂いでしょう」
思わず鼻先を手で覆いつつ、三人はそれぞれ原因を探す。
恐らくは薬品棚の中で破壊され、ぐちゃぐちゃになっている薬品類が原因であろう。
アニエスも三人の会話を耳に、その原因を認め、すん、と匂いを嗅ぎ――匂いの正体に思い当たって、はっ、とする。
確か、この中には――
そう気付いてアニエスが振り向いた視線の先。
「ひゃああっ!?」
華桜璃が悲鳴を上げ、飛んできた粘液を咄嗟にアウルの矢で撃ち落とす。
乙女としての危機に悲鳴を上げても撃退士。
幾つかの戦いを潜り抜けて得られた的確な狙いは、粘液を見事に弾けさせる。
うん。弾けさせて飛び散った。
「きゃあああっ!?」
飛散した粘液に危険が危ない。
だが、そこへすかさず盾を構えた歌音が割って入り、飛沫を受け止める。
返すアサルトライフルで応射。
鋭く放たれたアウルの弾丸は、スライムを容易に弾けさせる。
「っと。大丈夫かね?」
「あ、は、はい。ありがとうございますっ」
「予想通りに手間が掛かりそうだ。一気に行くよ」
スカートをひとつ翻し、歌音は持ってきた火炎放射器を構える。
この火炎放射器、そのように見えてもV兵器であるため、実際には炎を投射するわけではない。
アウルを転換し、炎状にして撒き散らすだけのものだ。
だが、しかし――
一抹の危険を感じて、アニエスは咄嗟に叫んだ。
「いけない! この匂いは――!」
「汚物は消ど――」
轟! と。
歌音の火炎放射器から、炎に転換されたアウルが噴き出し――
――ごごぉん!
ずずん…… と小さな揺れを感じて、あら、と温泉浴場『箱の湯』の女将はお菓子を作る手をはたと止めた。
「地震かしら……?」
一抹の懸念。
掃除の依頼を受けてくれた撃退士達を掃除終了後に持て成すために作っているそれの形が台無しになってしまうような揺れが来ないことを願いつつ、女将はお菓子作りを再開した。
●奇跡のデロ回避
「――けほ」
殆ど何もかも吹き飛んで、真っ暗かつ真っ黒になった室内。
そう吐き出された黒い吐息は、果たして誰のものだったか。
1.狭い地下室内。
2.化学物質垂れ流しの事故発生中。
3.空気に異臭有り。
4.換気扇停止中。
この状況下で火炎放射器の使用とは、流石に爆発させざるをえないだろう。お約束的に考えて。
「お、遅かったか……」
アニエスがごほっと息を吐き出しながら上体を起こす。
片眼鏡を掛け直す。吹き飛んでいなかったのは幸いか。
夜目に切り替えて現状を確認しようにも、光源が完全に消滅してしまっては意味が無い。
「な、なんですの一体……」
けほけほ、と麗菜も咳き込みながらひとつ。
最後に見えた光景で分かるのは、部屋全体が爆発した、ということだ。
何故か炎状になっただけのアウルに反応して。
「み、皆さん大丈夫ですか……?」
「なんとか、ね」
「は、はい。私も、何とか……」
爆発で逆さになって机に叩きつけられた微風も、痛む腰を撫でながら体勢を立て直す。
答えたのは筱慧。ぷるん、と大きな果実が揺れる音。
瀬憐の声も若干苦しそうな響きでありながら、細々と。
全員が戦闘するつもりで突入していたのは幸運だった。
もしも光纏が無ければ、全員が少なからず負傷していたことだろう。
ちなみに爆心地に最も近かった歌音と華桜璃は、完全に眼を回していた。星が見える。
「ふぐぅ……」
「か、楓ちゃん、大丈夫……? あぐっ!?」
ごんっ、という音と共に会話を交わす楓と統真。
楓は揺れるような声色からして眼を回していたのだろう。
つうぅぅぅ…… と痛そうな呻きが暗闇から聞こえてくる。
「だ、大丈夫なのだ…… 統真おにーさん、なんか鈍い音がしたけど大丈夫なのかー?」
「だ、大丈夫…… 多分だけど、机に頭ぶつけただけ…… うわっ!?」
体勢を立て直そうと適当に手を着いた手に触れたのは、妙に柔らかい感触。
ふにゅ、とした絶妙な柔らかさ、反発力、そしてほんのりとした熱。
驚きつつも、その感触を統真は知っている気がした。
「きゃっ!? き、如月さん、そこは……」
「ぇ、あ、ご、ごめんっ!? って、うわぁ!?」
「そ、そっちは私だよ。これほど暗くては仕方ないが……」
「統真おにーさん、何してるのだー? 楽しいことなら混ぜて欲しいのだー♪」
「な、なんでもないよっ!?」
微風とアニエスのアレに触れて赤くなりつつ驚き、慌てて冷静を装いながら楓に答えを返す統真。
勿論、声は上擦っていた。
「あー、うん。仕方ないといえば仕方ないわね…… これ、瀬憐ちゃん?」
「は、はい。受け止めて頂いてありがとうございます……」
「気にしないで」
胸元から聞こえる瀬憐の声に、筱慧は軽く抱き締めつつ応える。
まさに天然エアバッグであった。何がとは言わないが。
「す、スライムその他は、どうなりましたの?」
「わ、分かりません。粘液は飛んで来ませんし、異臭も無くなりました、が」
「この状態では何も分かりませんわね…… 取り敢えず、明かりを――」
微風の会話を経て、麗菜はスキルを変更。
アウルの光を生み出す『トワイライト』を使い、暗闇の中に照明を生み出した。
勿論、誰が止める間もなく。
「あ――」
「へ――?」
「え――?」
主に視界に映ったのはこれら。
1.部屋中滅茶苦茶の黒焦げ。
2.スライムおよび粘液、塊は全滅。
3,全員、致命的な怪我は無し。(肉体的に)
4.服が吹き飛んで肌色がくんずほぐれつ。(統真を中心に)
「……うわあああああぁぁぁ!?」
統真の悲鳴は久遠ヶ原学園島内のマンホールの至る所から響いたという。
●ハチャメチャの後
「お疲れ様」
女将の労いの声に、撃退士達は揃って息を吐いた。
あの後――目隠しだとか人間衝立だとか生着替えだとかすったもんだでなんやかんやの果てに。
部屋が滅茶苦茶で黒焦げになってしまった以上、掃除は殆ど不可能だという判断に達し、仕方なく撃退士達は帰還することになった。
幸いなのは、筱慧が壁の穴だけでもどうにかこうにか塞いだところ、『箱の湯』の温泉が復旧したということだろうか。
スライムと粘液の掃除、また『箱の湯』の機能回復という一応は十分な戦果を手に、撃退士達は女将に迎えられた。
経緯を話すと、爆発の件で、まあ、と女将は驚きの声を上げつつ。
「あなた達が無事で何よりだわ。大浴場はまだだけど、小さい温泉ならしばらくで使えるようになるから、ゆっくりして行って頂戴」
「ありがとうございます」
年長者としてアニエスが代表で礼を述べる。
――そうして撃退士達は女将が作った甘味で肉体的な疲れを癒し、温泉で精神的な疲れを癒したのであった。
「一時はどうなることかと思ったけど、あれで直ってよかったわ」
「本当にですね……」
「不幸中の幸い、というところでしたね。あの匂いにすぐ気付かなかったのは、失敗でした」
筱慧、微風、華桜璃の三人は脱衣所でそれぞれ準備をしながらそう談話する。
ちなみに楓は統真おにーさんを半ば強引に引っ張って別のお風呂である。生きろ。
ちなみに『箱の湯』の小さい温泉の一部に緑色の薬草風呂があったのは、余談である。
「――ひっ!? で、デロデ…ロ」
「わ、わわ。筱慧さん、華桜璃さんが倒れて」
「あらら…… 取り敢えず、人工呼吸でいいのかしら」
そんな中、筱慧はしっかり役得を収めるのであった。