●夜が来る
「――ふう」
僅かな疲労を吐息に載せて吐き出したのは鳳 覚羅(
ja0562)だ。
頼りない明るさしかない公民館の蛍光灯に影を作りながら、黒い窓の向こうをカーテンのちらと伺う。
見えるのは、僅かな月明かりに照らされながらも夜の闇に沈んでいる古い家々だ。
「お疲れさまっす!」
後ろから元気よく労いの声を掛けるのは大谷 知夏(
ja0041)。
声に反応して覚羅は振り向き、知夏の幼さを残した笑顔を認めると、口許に僅かに笑みを作った。
「知夏さんもお疲れさま――皆さんの様子はどうだった?」
「取り敢えずは落ち着いてるっすよ。そんなに悪くはない雰囲気っす! 駐在さんも励ましてくれてるっすし…… あ、覚羅先輩もお饅頭食べるっすか?」
「お饅頭?」
見れば知夏はその手に白と茶色の饅頭を持っていた。手作りなのだろう、ビニルラップで包まれている。
「村の人からの差し入れっす! 美味しいっすよ!」
「ん…… じゃあ、貰おうかな」
ラップを剥がして小さく頬張ると、素朴な甘い味が口内に広がる。
それを味わっていると、覚羅は数時間前、避難を終えて村人を公民館へ集めた時のことを思い出した。
「よろしゅうお願いします、撃退士さん」
そう言って頭を下げ、握手をしてきた、高齢化著しい村の老人達。その誰もが感謝と、自責と、慈愛の念を持っていた。
それは、彼らからすれば孫ぐらいの年齢に当たる撃退士達を戦わせることに対してのもの。
衰えから来る遅滞はあったものの、村の全員がよく協力し、何とか落日の前に全ての態勢が整った。
「――絶対に護らないといけないな」
「はいっす! 絶対に護るっすよ!」
全身全霊、命を賭して。覚羅が決意を新たに呟くと、同じ事を想起していたのだろう、知夏も元気よく応えた。
「もう一度、軽く確認しておこうか。瑞穂先輩とルビィ先輩の聞き込みによると、相手は一体か二体。状況からしても、相手は強力な部類――」
「人みたいな熊みたいな図体、凄い大きい爪痕だったみたいっすからね…… 隠密の能力があるんじゃないか、とも言ってたっすね」
「うん。夜に来るってことから考えても、それはボクも想定しておくべきだと思う」
ちら、と二人揃って自分の懐に目を向けた。そこには一枚の符が仕舞われている。撃退士なら言わずと知れた阻霊符だ。
これがある限り、覚羅と千景の周囲で天魔はその透過能力を使うことは出来ない。少なくとも覚羅と知夏の目を掻い潜ることは不可能だ。
「――不審な人はいなかったんだよね?」
「それは間違い無いっす! 駐在さんと一緒に全員確認したっすから!」
知夏の言は『ただ確認した』というには留まらない。所謂、撃退士の中でもアストラルヴァンガードと呼ばれる者の能力によるものだ。
それと、村を見回って、少ない村人のほぼ全員を知っている駐在警官の二人による確認なら、よほど高等な擬態能力以外ではほぼ間違いはないと言い切っていいだろう。
「中からは、まず大丈夫っす」
「つまり、こっちに来るとしたら、相手が先輩達の囮に引っかからないか、あるいは――」
●ハンターキラー
――温くも荒い息遣い。
獣と血の匂いを漂わせるそれは、音もなく、ひとつの民家に忍び寄りつつあった。
耳に届く、生者の声。生きている肉と血の匂い。それらを求めて、赤黒い古血に塗れた爪を震わせながら、人ならぬモノはゆっくりと歩を進める。
動き自体は愚直ではある。だが、本能なのか知能があるのか、光や他者による発見を避けるように、民家へと忍び込んでいく。
そうして狩人は今日の獲物の背後に、ぬう、と現れた。
この村ではよくあるように二人組。老爺と老婆。日は既に完全に落ちて、そろそろ寝に入ろうかという時間、そのふたりは何を語らっているのか、まだ縁側の方にいる。狩人に気付いた様子は、ない。
音もなく爪が振り上げられる。丸太ほどの豪腕から伸びた鋭い爪は、何の守りもないに等しい人間を切り裂くことなど容易い。
振り下ろされる――
「――!」
――ずん、と貫いた。爪は――誰もいない畳を。
「アハハ、は・ず・れ♪」
「おーっほっほっほ! 引っ掛かりましたわね!!」
高らかに響き渡ったのは女性二人の笑い声。当然、この場にいたはずの老爺と老婆には相応しくない声だ。
それもそのはず。狩人――ディアボロの攻撃から咄嗟に身を翻して回避した二人は、その姿こそ付け髭や白髪のカツラを身に纏っているものの、若々しい女性が二人――紅鬼 蓮華(
ja6298)と桜井・L・瑞穂(
ja0027)の二人だからである。
二人の光纏の輝きが場を満たし、同時に瑞穂が手を翳し、無数の光子からなる光源を生み出した。十分量の光が生成され、影を纏っていたディアボロの姿がその元に晒される。まさに人ならぬ、怪物に相応しい毛むくじゃらの身体に、手から伸びた刃を思わせる爪は鋭く穢れていた。
「――さあ、狩りの時間ですわよ! 闇から来た者は散り消えなさいな!」
宣言するように言い放った瑞穂。まず彼女に狙いを定めたのか、ディアボロはその腕と爪を振るった。
「あら、ダメよ、おイタは」
しかしそこへ蓮華が割って入る。ディアボロが腕を上げたその空間へと潜り込んでの、大鎌による鋭い一撃。
ディアブロの動きが乱れ、爪があっさりと空を切る。
「――!」
邪魔者にいらついてか、蓮華を振り払うようにディアボロが爪を振り回す。広い攻撃範囲に避け切れないと見えたその瞬間、
「そうはさせませんことよ!」
今度は瑞穂が割って入った。彼女が咄嗟にその力を振るうと、花の文様が刻まれた鎧が蓮華を包む。爪は鎧に阻まれ、花弁を散らしながら大幅にその威力を減じた。
「ありがと。でも気を付けて、外見通り、重いわ」
「でしたら、今度は私が確かめて差し上げますわ」
攻守交替とばかりに、今度は瑞穂がその手の細剣を振るう。優雅な身構えから繰り出される一撃が、確実にディアボロの体力を削る。反撃とばかりに繰り出された爪の貫きを、瑞穂が的確にその盾で弾いた。金属音が大きく響く。
「アハッ! 余所見も、ダメよっ!」
付かず離れず。今度はその隙を狙って蓮華が攻撃を加える。ディアボロの急所を見透かすかのように、見開かれた猫のような瞳が紫の怪しい輝きを放っている。
室内という狭い空間の中で、大鎌をどこにも引っ掛けることなく振り回すその姿は、美しくも恐ろしい。
「――!」
衰えた思考能力外の連撃を受けてか、苛立たしげにディアボロが咆哮を上げた。
空気が震え、僅かに場が硬直する。
「く――!?」
「っ――!」
その隙を見逃さぬとでも言うように、ディアボロが再び爪を振るう。
「――させるか」
だが、そんな声と共に小さな家具や小物を吹き飛ばしながら飛んできた黒光の衝撃波が、またしてもディアボロの動きを止めた。
放ったのは、いつの間にか縁側に現れた小田切ルビィ(
ja0841)。
にぃ、と不敵な笑みを浮かべると、その手の両手剣を再び振り抜く。アウルの力が込められた鋭い剣閃が黒光の衝撃波を生み、放たれる。
その一撃が狙い違わずディアボロに直撃して、その身体が大きく揺れた。
「感謝致しますわ! ――さあ、一息に決めますわよ!」
「ええ。ふふ、死に、なさいっ!」
「狩りの時間は終わりだ…… 逝け!」
放った衝撃波に追い縋るようにして一瞬で距離を詰めたルビィも加え、三人の攻撃が一斉にディアボロへと突き刺さる。
悪足掻きのように振り回された爪を当然のようにルビィが剣で往なしてからの三連撃。
それでようやく、巨躯のディアボロはぐらりと揺れ、ずん、と家を震わせて倒れ伏した。
「ふう…… 二人では少しだけ危なかったですわね、助かりましたわ」
「そうねえ…… って、そう言えば、白秋くんはどうしたの?」
まだ痺れが残っているのか、盾を持っていた腕を軽く振りながら瑞穂が礼を言う。
そこでふと、ルビィと一緒に行動しているはずの青年の姿が見当たらずに、蓮華が疑問の声を上げた。
それにルヴィはすぐに応える。鋭い視線を公民館の方に向けて。
「ああ。調べたいこともあるが、ここでこうしている場合じゃない。 ――向こうに出やがった。赤坂はそっちに行ってる」
●要の戦い
「――っ!」
空気が切り裂かれる。
大爪を寸でのところで避けた覚羅は、続く逆の手からの爪を大太刀で往なした。
「ぬ、大丈夫っすか!」
「まだ大丈夫」
覚羅のやや後ろで対峙する知夏の声に冷静に応え、覚羅は大太刀を構え直す。攻撃を目的としたものではない、回避主体の構えだ。
鋭い眼光で睨む先は、一体のディアボロ。熊に似た人、ワーベアとでも言うべき相手だ。
「く……!」
再びディアボロが動く。大振りの爪の一撃が二発。
覚羅は呼吸を止め、滑るように身を動かした。風切り音と共に、何の受けもなく食らえば身を引き裂かれる一撃が先程まで覚羅のいた空間を貫く。
もう一発――逃げ場を塞ぐように次が来る。
「っ!」
覚羅は渾身の力でもう一発を受け止めると、返す刃でディアボロの肩口に突きを通した。
そのまま全力で突き放すと、双方の距離が僅かに開く。痺れる腕を震わせながら、覚羅は同じように構え直した。だが、僅かに鈍る。
「アウルよ、力を、っす!」
それを見た知夏が、渾身の願いを込めてその身の力を振るう。
温かみを感じるアウルの光が覚羅の身に宿り、衝撃を通して身体に与えた傷を治療していく。
「次で打ち止めっす! 瑞希ちゃん先輩達の方は出なかったっすけど、白秋先輩が出たっすから、きっともうすぐっす!」
「分かった」
声だけで応えて、覚羅はディアボロを睨む。知夏も同様、自分が立っている背後にある扉へ仮にディアボロが吶喊してきたとしても絶対に通さない覚悟で盾を構えている。
ディアボロも受けている傷は多い。が、その獣的な外見からして体力量に余裕があるのだろう。
「――!」
獣の呼気と共に振るわれる爪の軌道を冷静に見つめつつ、攻勢はまだだ、と覚羅は脳内で呟く。
回避に集中し、一撃目を往なす。二撃目は――避けられない。ならば、受け止めてから一撃を返す。
先程と同様に爪と刃が交錯する。しかし思惑とは裏腹に、重い一撃に腕が鈍ったか、返す刃での切り上げは空を切った。
「く――」
その隙を逃さぬとばかりにディアボロが続けざまに爪を振るい――ぱんぱんぱんっ! という破裂音と共にその動きが鈍った。
「――待たせた! 只今到着だッ!」
玄関から拳銃を構えてディアボロの背中をポイント、言葉と共に銃弾を放ったのは赤坂白秋(
ja7030)。
全力で駆けてきたのだろう、肩を上下させつつも、しかしその狙いに乱れはない。続けざまに発砲し、的確にディアボロの腕、足に穴を空ける。
「――!」
鬱陶しいとでも思ったのか、ディアボロが吼え、踵を返して白秋に向かう。
「させないよ」
「させないっす!」
勿論、そうはさせじとばかりに覚羅が大太刀を振るい、知夏がその手の巻物から光の弾丸を生み出して、それぞれ足を薙ぎ、射抜いた。
ディアボロの動きが鈍り、駆け足の勢いが殺される。
結果、無防備に白秋の射線に身体を晒すことになってしまい――それを白秋が逃すはずもない。
「はッ――バカが」
不敵に笑って吐き捨てながら、白秋は立て続けにトリガーを引いた。
弾丸が次々にディアボロの身体を貫く。覚羅が足や肩に与え続けた傷が蓄積してか、その姿勢が崩れる。
「終わりだ」
最後に狙い澄まして放った弾丸がディアボロの頭部を貫くと、それで崩折れるように地に伏した。
●ひとつの終わり
「……」
ルビィは手帳を眺めながら、ペンをくるりと回す。そこに書かれているのは、この村に来てから行った情報収集の結果だ。
襲撃から一夜が明け。瑞穂と蓮華、そしてルビィが倒したディアボロの死体と、覚羅、知夏、白秋が倒したディアボロの死体は回収され、焼却処分を待っている。
「全く――こいつはどういうことなんだ?」
「さあな。ひとつ言えるのは、まだ全部終わったわけじゃない、ってことか」
白秋とルビィが死体を見下ろしながら言う。
そこにあるのは、どう贔屓目に見ても猟師の死体ではない。獣――熊の死体が二つだ。
「何処に行きやがったんだ? その猟師ってのは」
「……まだ分からないな。だが、少なくとももうここにはいないだろう。まだいるのなら、今までに何かしら動いていたはずだ。そして、そんな形跡はなかった」
手帳を閉じて、ルビィは踵を返す。
「まだ終わったわけじゃない、ね…… ハッ、上等じゃねえか」
笑みと共に白秋もそう言うと、最後に村々を見回してから、ゆっくりとその場を離れる。
「ほら、そこの男子二人! 帰りますわよ!」
「早く行かないと午前のバスが出ちゃうっすよー!」
「分かった分かった!」
こうして、撃退士達はひとつの事件を終わらせた。
だが、天魔との戦いは、まだまだ続いていく――