●図書室での邂逅
ぱらぱら、とページを捲る音が静かに響く図書室。
進級試験が近いとあって、真面目に勉強に取り組んでいる者の姿も少なくはない。
ある者は教科書と参考資料とノートを見比べて書き加えながら。
ある者は頭をガシガシと掻きながら、なんでこんなことを、という顔で。
ある者は本を山と積んで、ぱらぱらと流れるように目を通し。
ある者は、そんな生徒達の合間に混じって、少なくとも勉強ではない何かを企んでいる。
そんな中。
その奥、少人数で利用するためのブースに、その姿はあった。
「――」
片や、純白の羽根翼を備えた天使の少年、フレイニアス。
今は堕天使という称を頂きつつも、その姿は一種の気品というか、輝かしい気配を放っている。
しかしそんな中でも丁寧に指定の学生服を身に纏っているところが、彼の人となりを一部表しているようだった。
「――」
片や、漆黒の皮膜翼を備えた悪魔の少女、ゼフィリス。
頭にある小さな角、蝙蝠のような翼。そしてその物静かさと共に湛えている闇のような気配は、はぐれと言っても正に悪魔らしい。
格好も布地が少なめな革衣装で、人によっては十分に目に毒だと感じるもの。制服のせの字もない格好は、彼女らしさでもあるのだろう。
お互いに言葉を発しないものの、その視線は真っ直ぐにお互いを捉えている。
どちらも、一歩たりとも引く気配はない。
「フレイニアス、分かってるとは思うが」
張り詰めていた空気にひとつ言葉を挟んだのは、カルム・カーセス(
ja0429)。
「安心せい。流石にほんの数分前に言われたことは忘れておらぬ」
その外見に似合わない老獪な口調で、こほん、とひとつ咳払いをするフレイニアス。
「……どうだか」
ぼそ、と言ったのはゼフィリス。
しかし瞬間、こつん、と彼女の頭を軽く叩く手がひとつ。
「……痛い」
「そういうのは駄目ですってば」
くすくすっと笑いながら手を引っ込めるのはヴィーヴィル V アイゼンブルク(
ja1097)。
さて、とヴィーヴィルはひとつ。
フレイニアスとゼフィリスを見て、ゆっくりと口を開く。
「ではお二人は既にお聞きだと思いますが、お二人に仲良くなってもらうために、少しお話をさせて頂きます」
「……それにしたって、大人数」
ゼフィリスは翼を小さく揺らしながら、ちら、と見回す。
当事者であるフレイニアスとゼフィリス自身を除いても、この狭い空間の中に九人だ。
「それだけ重要だってことだよ。この学園は、俺たち撃退士が新しい一歩を踏み出すのと同じように、オメーさんたちも過去に囚われず、新しく生きられる、そんな場所なんだからよ」
カルムがにぃと笑って言う。態度こそ尊大な気はあるが、人懐っこい笑みだ。
「……それは分かったけど。 ――なんでミーシアもいるの?」
ゼフィリスがちらと視線を向けるのは、自分の割と親友な悪魔、ミーシアテスだ。
一緒に“はぐれ”て来た仲間であり、古い付き合いのある腐れ縁でもある、少し年上風のやや妖艶な気配の女悪魔。
身体つきは女好きな男なら思わず視線を向けるようなものであるが、案外と言うべきか、露出は低め。むしろこの季節にあっては厚着と言っていい格好。
そんな彼女は現在、新田原 護(
ja0410)と雨宮アカリ(
ja4010)の二人に挟まれて、所在なさそうに肩を縮めている。
「ミーシアテスさんについては、ちゃんと説明するわぁ。彼女からもお話があるから、その時になったらちゃんと聞いてあげてねぇ?」
「……ん」
「じゃあ、状況の説明も終わったところで。先にフレイニアスさんの方から行きましょうか」
「フレスベルクとニーズホッグじゃったか」
「ええ。こうしてお互いに顔を合わせてちゃんと言い分を話していけば、あらぬ誤解が解けるかも知れませんよ?」
引用を効かせ、くすり、とヴィーヴィル。
「では、粛々と始めていきましょうか。古代ギリシャの離婚の神殿のように。 ――目的はちょっと違いますけれど」
「うむ。では僭越ながらわしと氏家が先に話させてもらおうかの」
「宜しくお願いしますよぃ」
変わった口調のところにはそのような人物が集まるとでも言うのだろうか。
古風な口調の少女である叢雲 硯(
ja7735)と、古めの芝居がかった口調の氏家 鞘継(
ja9094)が、それぞれ一歩だけ前に出る。
「まず、わしらの調査によると――フレイニアス。おぬしはゼフィリスに対する『対面での人格攻撃』は事実としても『悪評の流布』はやっておらん――そうじゃな?」
「うむ。吐いた唾は吐き戻せぬ、とも言うでの。最初の一点は否定の仕様がない。だが、悪評の流布などは、ワシは断じてやっておらん」
「……え? 何を――」
「ゼフィリスさんから見るとそう言いたくなるかも知れませんが、実際『ゼフィリスさんとは付き合わない方がいい』なんて噂は、そう――流れてないみたいなのですのよねぃ」
「ああ。それは自分も調査に当たって確認している。間違いない」
鞘継と神凪 宗(
ja0435)の声に、ゼフィリスは疑問符を顔に浮かべて声を止める。
「うむ。これは氏家と神凪がお主らの友人周囲に聞いて回っての調査の結果じゃ。信用してくれてよい」
「そもそもあたし達だって、ここに八人もおりますけどぉ…… そんな噂、聞いたことないですよねぃ」
硯と鞘継の声に、全員が頷く。
実際、この件に当たった撃退士達は、そんな噂を知らない。
噂を知っていれば、そもそも噂が流れているかどうかなどという調査は必要なかったわけで。
鞘継と宗がフレイニアスの友人からこれの調査に当たって、そのような噂は流れていないことが確かに判明していた。
「……じゃあ、一体」
「それを突き止める前に、今度はゼフィリスさんの方をお願いしましょうか」
ヴィーヴィルの声に、今度は宗と雪ノ下・正太郎(
ja0343)の二人が前に出る。
「ああ。ゼフィリス、自分達に話した通りに頼むぞ」
「……ん。でも」
「大丈夫です。俺達も付いていますから」
宗と正太郎の二人に促され、ゼフィリスは僅かに迷っていた様子を小さくはにかんだ微笑みに変えると、すぐ真顔に戻って、フレイニアスの瞳を見つめ直す。
「……前に『フレイの本を焼いたこと』があったけど、あれは、謝る。ごめんなさい。 ――でも『本を濡らして駄目にしようとした』なんてことは、私はしてない」
「……ほう?」
「こっちも、そちらの悪評の流布の件と同様に調査しての結果です。ゼフィリスさんは『悪評の流布』の話を聞いてからフレイニアスさんに偶然を除いて自発的に近寄ったことがないそうです。
もっと言うと――俺の調べでは、フレイニアスさんに鞄濡らしの悪戯があった時、ゼフィリスさんは図書室にいたということが確認が取れてます。つまり、アリバイがあるってことですね」
簡単なメモを片手に、正太郎が補足する。
「……罵詈雑言を聞かされると分かってるのに自発的に近づくほど私は物好きじゃない」
「こら。 ――まあ、そういうわけだ。ゼフィリスは『フレイニアスの鞄を濡らした件だけじゃなく、一切悪戯はしていない』と。フレイニアスは『ゼフィリスについて悪評の流布なんてしていない』――というわけだな」
苦笑しながら宗が遮り、理解を促す。
しかしそうすると、それはそれで謎が残る。
「二人の言いたいことは分かる。『でも実際に鞄は濡らされたし、そういう噂が流れてると聞いた』……だろ?」
カルムの声に、二人は頷く。
「ここで、彼女――ミーシアテスの出番だということだ」
「……まさか」
護の声に、ゼフィリスが察して声を上げる。
視線を動かし、見つめたのは、びくっとその視線に震えたミーシアテス。ゼフィリスと目が合うと、その鳶色の瞳を気まずげに逸らした。
「ぅ……」
「ちょっと待った。ここから先は、ミーシアテス自身に話さしてやってくれないか」
護が口を挟む。
ゼフィリスは少し不満気なようだったが、ミーシアテスのことを思ってだろう、口を閉ざした。
「ほら、ミーシアテスさん。悪いようにはさせないから、ちゃんとお話しましょぉ?」
「……ぅ、わ、分かりましたわよ」
アカリが優しく促す。それで観念したように、ミーシアテスはその唇を小さく開いた。
「ゼフィがどこぞの天使に悪く言われてるって言うから、目にもの見せてやろうと思って……」
「なるほど。それで、ワシの鞄を濡らしたわけか」
「そうよ。悪い?」
「悪いとは言わんがな。流石は悪魔じゃな、とは思うがの」
むぅっ、とフレイニアスにあからさまな敵対の色を示すミーシアテス。
フレイニアスも慣れた様子でそんな言葉を返すから困ったものだ。
「フレイニアス。そういうのは今回は無しだと言ったろう」
「……それにフレイ。その言い振りだと私とかも含んでる」
「――お? おぉ、すまんの。つい」
やれやれ、と言いたげに改めて口を挟むカルム。ゼフィリスも悪魔で一緒くたにされては流石に不満気なようで、口を尖らせる。
「……で。本当、なの?」
ゼフィリスが確認したのは、アカリと護に向けて。
「そうねぇ。お話させてもらって、すぐ逃げたのは、ある意味で証拠…… かしらぁ?」
「私が捕縛させてもらった。先程と同様の自白も受けている」
会話――勉強を教えて貰いたい、とそれとなくアカリが誘い、本題を切り出した途端に透過で逃げ出したミーシアテスをマーキングでもって護が捕縛したこと。
「加えて、わしの調べたところでも、鞄濡らしの件では、水の入ったバケツをミーシアテスがどこぞへ運んでいた、という証言が出ておるな」
更に硯からそれを告げられて、ゼフィリスの視線が険しくなる。
「……それで、まさか、私が悪く言われてるっていう噂も」
「……だ、だって。別に人間と仲良くする必要なんか――」
瞬間。
ゼフィリスが無表情のまま平手を飛ばし。
すかさず割って入ったアカリがそれをぱぁんっと受け止めた。
「……あ」
「いたぁい…… もう、そういうこと、しちゃ駄目よぉ? 大事なお友達でしょ?」
打たれた頬を撫でながら、アカリがそう微笑みと共に問う。
ゼフィリスは少し戸惑っていたものの、こく、と頷いては頭を下げた。
「ごめんなさい」
「分かってくれればいいのよぉ。それで……」
「ん。 ……ミーシア。流石にそれは余計なお世話」
「う…… だ、だって、ゼフィには私が居りますでしょ? だからっ……」
今にも泣きそうな涙目で言うミーシアテスに、この場の全員がなんとなく察する。
ミーシアテスについて調査に当たったアカリや護、鞘継はよく分かっていた。
ミーシアテスがゼフィリス以上に学園に溶け込めていなかったこと――いわゆるぼっちの類であったことを。
他のはぐれ悪魔とも馴染むに馴染めず、友人がゼフィリスぐらいであったことは、調査の段階で容易に知れた。
「大事な人が離れていくような気持ちは何となく分からなくもないですけどねぃ…… 流石にそれは、ゼフィリスさんの友人としてどうかと思いますよぃ?」
「そうねぇ…… それに、ミーシアテスさん? あなたは別にひとりじゃないわよぉ? 少なくともここに私を含めて何人か、あなたの友達になりたいという人もいるわぁ」
くす、と微笑んでアカリ。
「良かったら、勉強を教えて、というのも、ウソじゃないわよぉ?」
「そうじゃな。これが終わったら、皆で勉強会というのも悪くはない」
くっく、と笑いつつ硯が一つ提案する。
元々、この依頼を受けたのも進級試験が元だ。そこで更に縁が深められれば一石二鳥というものだろう。
「――では、これでお互いに落とし所がひとつ出来たと思いますが、どうですか?」
ヴィーヴィルの裁定の声に、フレイニアスもゼフィリスも、改めてお互いの顔を見る。
「……まあ、そうじゃな。つまるところ、ワシはアレ以降何もされておらんかったという訳じゃし」
「……直接的な言葉の応酬を除いては、だけど」
「そりゃお互い様じゃろ」
「あなたのほうが酷かった」
「何を」
「何」
「だからそういうのは止めとけっつーに」
苦笑しながらカルムが言う。
むぅ、とまだ言い足りない様子で少し睨み合った二人は、お互いに僅かに視線を逸らしては、同時に、はぁ、と吐息をひとつ。
「すまんかったの」
「ごめんなさい」
ほぼ同時に謝る姿を見て、実はこの二人、仲が良いのではないだろうか、と思う撃退士達であった。
「では、あとは――」
「ほら、ミーシアテス。君もちゃんと二人に謝るんだ」
「……ごめんなさい」
護に促され、ぺこりと素直に頭を下げるミーシアテス。
一段落の気配に、場の緊張が一気に緩む。
「これで喧嘩については一件落着、ですね」
「後は、お互いにもう少し歩み寄って貰いましょうか」
くすっと笑って締めるヴィーヴィル。
正太郎も小さく笑っては提案する。
ここまではマイナスをゼロに戻す行為。
ここからはゼロをプラスにする行為だ。
「仲違いを直してそれで終わりかと思ったがの」
「アフターケアも万全ってことですよぃ」
「こっちとしても、これからを考えると学園に来た天魔には仲良くしておいて貰いたいからな」
「そういうことじゃの」
鞘継のサービス精神豊富な台詞に、宗は本音そのままの直球。
硯が笑みと共に締める。
最初の張り詰めた空気とは真逆。
僅かにであれど温和な空気に、それぞれが小さな笑いを漏らす。
「では、早速勉強会と行こうではないか」
「そうねぇ。ほら、ミーシアテスさんもこっちに来て、一緒にしましょ?」
「う、ぅん…… も、もう、仕方ありませんわね……」
硯が笑みと共に促して、それぞれが席に着く。
アカリに誘われ、ミーシアテスは渋々という口調でありながら嬉しげにその隣。
「ええ。後は――ほら、フレイニアスさん。文学の件」
「ああ、うむ。ゼフィリス、お主、人類文学を好いていると聞いたが、誠かの?」
「……そうだけど。何?」
「ゼフィリスも、何、じゃないだろう。ほら、本に詳しい人が折角ここにいるのだから」
「人ではないぞ、ワシは」
「じゃあ、本に詳しい天使で」
「良けりゃあ俺にもひとつ面白い本を紹介してくれよ。そうだな、二人からそれぞれ」
正太郎の促す声に、隣のフレイニアスはやりにくげにひとつ。
素で首を傾げるゼフィリスに、小さく笑って宗が援護する。
ヴィーヴィルの小さな笑み。話題に便乗するようにカルムが提案する。
「そうじゃな…… ではこれなどどうじゃな。天使、悪魔、そして人間についてよく学ぶことが出来よう」
「……待った。その本の内容には異議がある。先にこっちを読むべき」
「そちらの本こそ偏見に満ちておろう」
「何を」
「何じゃ」
「……また始まったか」
ついつい苦笑する護。
再び言い合いを始める天使と悪魔の二人。
そこには激しさはあるものの、刺々しさはなく。
撃退士達は程々でそれを仲裁しながら、新たに知り合った三人のはぐれ天魔と仲良くなるために、勉強会を始めるのであった。