●日差しの下での蔦刈り
「これは……」
現地に到着した撃退士達の中でそう声を上げたのは、月詠 神削(
ja5265)。
頭が痛そうな声。
無理もない。現場はまさに、緑色の海、と言うに相応しい状態だったからだ。
太さにして三〜五センチの蔦がうぞりと道路から建物の壁を埋め尽くしている光景は、こうして実際に見ると圧倒感と疲弊感を引き起こす。
それが天魔の仕業かもしれないし、そうでないかもしれない、などという曖昧なことであれば、尚更だ。
「――取り敢えず、予定通りに行こうぜ。固まって、刈りながら、マスク付けて――あとはなンだっけか」
ふー、とひとつ煙草を咥えた口から気だるげな息を吐きつつ、仁科 皓一郎(
ja8777)が言う。
「あとは、例の花がアルコールなのかどうか分かるまでは火気厳禁だ。注意してくれ」
「ああ。こいつは火は付けないから大丈夫だ。 ――どのみち、今からマスクするんだからよ」
水川 沙魚(
ja6546)の補足の声と視線に、皓一郎は煙草を揺らしながら答える。
「事前確認が終わったところで、早々に行こう。この巨大植物に何らかの計画が仕込んであるとすれば…実行させる訳にはいかないしな」
梶夜 零紀(
ja0728)はそう言って、ヒヒイロカネから大型の斧槍――ハルバードを引き出す。
それに視線を向けつつ、くるりと片手で回して担いで、ふう、とひとつ息を吐いた。
「これで伐採作業をする日が来るとは……」
「あはは、僕もそんな感じやでー」
苦笑いで言うのは紫ノ宮莉音(
ja6473)。
彼も慣れ親しんだ得物である薙刀を片手に、蔦の海を見遣る。
「中央まで直線距離で大体一キロメートルほど。油断せずに行きましょ」
こうして、撃退士達による伐採作業は始まったのである。
「しかし、何がしたいんだか本当に分からねぇな」
文句と共に皓一郎は大鎌で蔦の一纏めを大きく裂く。
込められたアウルの力によって、V兵器はその威力を増す。
天魔でない蔦など、雑草の如しだ。
「何かしらの意図か目的はあるだろうが、さっぱり読めん…… 噂に聞く、ゲート作る下準備、ってわけでもなさそうだ」
「確かに。陽動にしても中途半端だ」
神削も曲刀を閃かせ、南国のジャングルを進軍中の兵士よろしく正面に立ち塞がる蔦の塊をばっさばっさと捌いていく。
その隣では莉音も薙刀でざくざくと豪快に蔦を刈っている。
主に八人の行く手を切り開いているのがこの二人だ。
「じゃあ、よくある野良サーヴァントやディアボロの発生みたいな?」
「現状ではその線が一番濃い。が、それならもっとこう、攻撃的な気がする。透過しないのも不思議だな」
側面は先程の皓一郎と零紀。
零紀もハルバードで大きく、効果的に広い面積を刈り取る。
形状の元々の由来もあって、効率は上々だ。
蔦の総量からすれば微々たるものであるが、八人の進んでいる中では目を見張れる。
「いっそ、天魔と関係ない…とか?」
「やー、そりゃねーんじゃないか?」
様々な説を並べる莉音に、蔦の切れ端を手にしていた七水 散華(
ja9239)が答える。
「少なくとも見たことない種類だぜ、これはー。それに見てみなー、この切れ端。一番最初に切ったやつだけどよー」
「これ? って、うわー……」
莉音が声を上げたのは、散華が摘んでいる蔦の切れ端が茶色くなり、もはや枯れかけているのが見て取れたからだ。
「多分、後ろのほうで全部同じようなことになってるぜー。くかかっ、こんなヘンな植物、天魔じゃないって方が無理だなー」
「た、確かにね……」
「発生源に行けば、もっと詳しく分かるはずだ。壊されて不味いものなら、仕掛けた奴も出てくるかもしれない。天使か悪魔なら、その時に改めて対応を考えよう」
沙魚が言って、改めて正面を見据える。
「それより――最初の『花』が見えてきたようだ。各自、対応を頼む」
●炎天下の酔っ払い会場
――花は、見事な薔薇のようであった。
形、色、両面で共に素晴らしい。直径一メートルほどと大きすぎるのが玉に瑕であったが、このような騒ぎの要素の一つでなければ、観賞用にひとつ欲しいぐらいであった。
しかし、その周囲に広がっているものは頂けない。
「――これは、思ったより深刻だね」
声を上げたのは銅月 千重(
ja7829)。
その原因は、花の周囲で倒れ、あるいは座り込んで、独特の呻きや謎の呟きを漏らしている人々だった。
「紫ノ宮さん、手伝って。ちょっと花取り除いただけじゃまずそうだ」
「は、はい。でも、どないしましょう?」
「――花の除去を優先しよう。蔦の状態から言って、何の問題もなければすぐに壊れるはずだ」
「分かった。近付かずに行こう」
手早く段取りを決め、応じた大神 直人(
ja2693)が銃を構える。
「まずは試しに――」
アウルを込め、正確な一射。
花に弾丸が突き刺さり、花びらを散らしながら大きく揺れる。
途端、マスクを付けていても濃厚なアルコールの匂いが鼻を突き刺した。
「うわ…… 全員、大丈夫ですか?」
「なんとか。 ……天魔が出てくる気配はないな」
「続けていきます」
直人が続けてもう一射。
今度はアウルの力をより表面的に出した、魔力的な一撃。
ばんっ、と更に一撃を受けた花は、はらはら、と更に花びらを散らし、よりその匂いを濃くする。
「――魔法の方が効くみたいですね」
「よし、一気に行くぞ」
三回目は沙魚も加わった。
直人の射撃に追加で、沙魚がアウルを伴う風の刃を立て続けに叩き込む。
推測通りに耐久力もそれほど高くはないのか、弾丸に揺さぶられた後に見えない刃で切り刻まれて、ついに花は完全に落ちた。
「jackpot! っと――うわ」
途端、もわ、とアルコール臭がより強さを増した。
目に見えて立ち込めるかのようなアルコール臭。
徐々に薄れてはいくが、近付くのは躊躇われる濃度だ。
「うっわー、くらくら来やがんぜー」
「悪酔いした次の日の朝みたいな感じの臭いだな…… 七水、そのトマト、俺にもくれ」
「くかかっ、あいよー」
散華などはトマトをもきゅっと食べては、それを緩和する。効能以上に臭いを誤魔化せるところが有用かもしれなかった。
「大丈夫かい?」
「……うぅ、だ、大丈夫……」
千重は警戒しつつもさっと手近な一人、アスファルトをベッドに倒れ込んでいる一人に触れ、幾つかの症状を確認しながら助け起こす。
「大丈夫には見えないよ。ほら、しっかりしな」
酔っ払いに付き物のような会話を交わしつつ、千重は一人を近くの建物の日陰へ。
莉音もそれに倣って、二人がかりでせっせと合計五人の一般人を物陰へと並べる。身体と頭を横にする、いわゆる回復体位というもの。
「どうだ?」
残った六人は周囲を軽く伐採しながら警戒体勢。
一段落付いたところで、避難場所の蔦を粗方刈り終えた神削がそう尋ねた。
「ああ、月詠さん。避難場所、ありがと」
「礼には及ばない。これが俺の役割だからな。で、彼らは?」
「見たところ、完全に酔っ払ってるだけ、だね。勿論、それはそれで十分に危ないことも多いんだけどさ」
しかし、と彼女も言葉を濁す。
「何か?」
「なんて言うか、ギリギリの酩酊度なんだ。行動不能と気絶の丁度境目ぐらい、のね」
「なんだそれは……」
「取り敢えず、水も置いておいたし、警察に連絡もした。ここに関してはこれで大丈夫」
天魔も来ないみたいだしね――と、すっと立ち上がって千重は言う。
「あたし達は、進まなきゃね」
不敵な笑みと共に、茶目っ気のあるウィンクを浮かべて。
●終結
「この仕業は悪魔か? 天使か? いずれにしろ、あまり趣味がいいとは言えないな」
合計で三つ目の花を取り除いて、いい加減にと零紀は息を吐く。
「そうかい? 酩酊の花とだけ言えば、そんなに悪かない趣味だと思うが」
妙に親父臭い笑みと共に応じるのは皓一郎。
僅かに自分達も酔っ払ってきたような気がするのは、少なくない疲労もあってのことか。
花の除去作業ですっかりアルコール臭くなってしまったマスクを計四枚目に取り替えながら、各々は息を吐く。
「全く――まあ、そろそろ中心部だ」
「何かあることを願いたいものだな」
「何もなければこれを続行だな…… 一日一杯で済めばいいが」
「ほらほら、いい男が揃ってボヤかないボヤかない」
ぱんぱん、と千重が手を叩いては笑みと共に男達を励ます。
――そうして、到着からおおよそ三時間強。
撃退士達は、F県O市の市街地一角を埋め尽くしている蔦の中心点へとやってきた。
「……一見、何もない、が」
そこは交差点だ。
中心点は丁度その交差点の中央ぐらいであり、しかしそこには何もない。
「ですね。んー……? 何かあってもええと思うんですけど」
「――いや、あんぜー。くかかっ、そこじゃねーか?」
散華が指摘したのは、交差点側のマンホール。
マンホールを開けるようにして、蔦はうぞりと侵入している。
とはいえ、そのような場所は他に無かったわけではない。
が、散華が指摘したそのマンホールでは、刈られた蔦がマンホールの外側で枯れており、内側では枯れていなかった。
つまり、根元側はここに限ってマンホールの中にあるということになる。
「ここか…… 降りれそうか?」
「――行くだけなら問題ない感じですね。中に何か待ち受けていたら、その限りじゃありませんが」
直人が尤もな見解を述べる。
事前情報もなしにこんなところに入っては、万一何かがいた場合に逃れようがない。
「ここまで罠のようなものは一切無かった。それだけに、ここにも小細工はないと見るべきか、それとも、だからこそここで何か仕掛けてくると見るべきか……」
「安全策を取りたいところだけど」
「一応、僕の『生命探知』には反応はなさそうやけど」
莉音が、ふわ、とアウルの波動を広げて言う。
それで行ってみるのが決め手になったか、しばし悩んで、手を上げたのは零紀。
「まず、俺が先頭で行く。何が起きるか分からないという前提なら、この中で一番マシに対応できるはずだ」
理由はアウルの方向性――すなわちクラスと持ちスキルによるものだろう。
客観的な自己分析に自信を込め、零紀は灰青の深みある眼光で全員を見据える。
「では、二番手は俺が行きます」
続いて直人。
ひょい、と気軽そうに挙手をしたが、その黒曜石の瞳に込められた意志は、零紀と比較しても並々ならぬもの。
「なら三番手はあたしかな」
そして千重。
彼女も、不敵な笑みと共に手を上げた。
「……そうだな。行くなら君等三人が妥当だろう。残りの五人はここを警戒。下の状況を見てから、必要なら追加で行こう」
「よし。じゃあ、行くぞ――」
そうして零紀、直人、千重はマンホールを降りた。
不意の襲撃は覚悟していたが、ひとまずは何もなかった。
「明かり、出すよ」
暗闇の中、千重がアウルの輝きを掌の上に灯す。
そうして見えたものは、三人の誰にも明らかな『核』であった。
「――これ、ですね」
それは、赤い幾何学模様――魔法陣のようなもの。
時折蠢くように赤い光を放つそこから、うぞりと無数の蔦が束になって生えている。
それは周囲の導管一帯に広がって、幾つかのマンホールなどから地上に上がり、恐らくはF県O市の市街地一角を埋め尽くしているのだろう。
「どうする?」
「邪魔はないようですし…… 罠のようなものも見当たりません。壊してしまいましょう」
「分かった」
くる、と狭い空間の中で手慣れたように零紀はハルバードをひとつ回転させ――
「――はっ!」
気合一声。
ずんっ! と瞬間的にアウルを燃焼させて繰り出した強打の一撃で、蔦の束ごと魔法陣の描かれた床面を破壊した。
それによる変化は劇的だった。
ぼんっ! と込められた力が爆発するように魔法陣の赤色が弾けると同時。
一瞬にして辺りの蔦が緑色から茶褐色に変色し、ぱらぱら、とひとりでに千切れ千切れになって枯れていく。
後には静寂。
ややあって、三人がひとつ安堵の息を吐く音が、アウルの輝きの中に響いた。
「よし、上に戻ろうか。上にも伝わったと思うけど、あたしらが姿を見せて安心させないとね」
「はい。では、銅月さんから先に」
「悪いね」
そうして、三人は何事もなく穴の底から這い上がった。
●そして夏の日の遭遇
「――お疲れ様やね」
最後にマンホールから這い上がった零紀に、莉音から労いの声が掛けられる。
それに何とも言えない、少し困ったような顔をしつつも、零紀は小さく、ああ、と返した。
各々が見回す。
周囲にあらん限りに広がっていた蔦は全て枯れて、ボロボロの状態になっている。
これならば、後は警察などが何とかしてくれるだろう。
「この日差しの中での重労働も覚悟したが、そうはならなくて済みそうだな」
「全くだね」
「よし、じゃあ、あとは――」
そうして安堵の声を上げる撃退士達に、唐突に、ぱちぱちぱち、と拍手の音が投げかけられた。
訝しく周囲を見回す。
「――あれは」
直人がクラス由来の索敵力で、すぐさまその主を見つけ――そして呻くように呟いた。
「――私からもお疲れ様を言わせて貰うぜ。えーと、撃退士、だっけか?」
交差点に面した建物の上。
――そこに、見るに明らかな『悪魔』の姿があった。
「よっと」
ずんっ! と着地で地面が揺れた。
悪魔は、女のようだった。顔は可愛いと綺麗の中間ぐらいだろうか。不敵な笑みを浮べている。
肉付きのいい身体をレオタードのような衣服に押し込み、見るからに悪魔らしい角に翼、そして尻尾を生やしている。
着地の衝撃を生み出した重量は、四肢に纏う鎧のようなもののせいだろうか。
「……」
撃退士八人に少なくない緊張が走る。
悪魔は殆どの場合、遥かに強力な存在として知られている。
戦って勝てるかどうか、そして逃げられるかどうか。それすら怪しい相手だ。
「よう。これ、アンタの仕業かい? 酩酊の花たぁ、趣味がイイねぇ……」
皓一郎が不敵な笑みと共に、確証を取りに行く。
すると女悪魔は、おう! となにやら威勢よく笑みで応え――
「そうだろ。つーわけで、一仕事終わったあとで悪いけど、私とも遊んでくれよ!」
――などと言い出した。
「……遊ぶ?」
「おう。得意だろ?」
「戦えってことか?」
「まあ、そんなもんだな!」
「強制?」
「いや、嫌なら無理にとは言わないが。八人もいるんだ。誰か付き合ってくれるだろ? な!」
不敵な笑みを満面の笑みに変えつつ。否定されると微塵も思っていない、そんな顔だった。
撃退士達は、そんなニコニコ顔の女悪魔を見て、顔を見合わせ――
「悪いが――」
――そう返して、ふくれっ面になって、いいもんいいもん、などと言って飛び去っていく彼女を見送るのであった。
「……何だったんだ?」
――その疑問が解消されるのは、恐らくひと月ほど先のこと。
ある夏の日のことであった。