●地下1階
「これはこれは……」
展示室へと足を踏み入れたカーディス=キャットフィールド(
ja7927)は、黒塗りの絵画たちが並ぶ冒涜的な光景に感歎の声を漏らした。
「黒い絵画、のぅ」
ザラーム・シャムス・カダル(
ja7518)が頬の刺青に触れながらカーディスの横へ並ぶと、警備室へと寄っていたフローライト・アルハザード(
jc1519)が地下2階へ向かった班との連絡をしながら追いついてきた。
「――あぁ、分かっているとは思うが、無茶はするなよ」
『わかってるって!』
フローライトは電話越しの気楽な声に少し怪訝な表情を見せたがすぐに無表情へと戻り、二人へと向き直った。
「監視カメラには、逃げ惑う観客を絵画に押し込んで以降の姿が映っていなかった。待ち伏せていると考えていいだろう、入り込む前に探知を済ませるべきだな」
「うむ、では早速済ませてしまうかのぅ」
頷いたザラームの身体が黒いオーラに覆われていく。不気味な紋様が顔にまで浮き出てきたところで、手を振りかざすと辺りが光り輝いた。
振りかざした手のひらを絵画たちへと向け、展示室全体をなぞるように動かす。
「囚われた民間人らしい生命反応は出入り口付近に集中しているようだ……奥に二つ、それ以外はな」
「誘っている、ということでしょうか。慎重に行きましょう」
カーディスを先頭に三人が展示室奥へと進むと、人が二人すれ違える程度の幅しかない細長いスペースへと行き着いた。
最奥部に飾られた絵画もまた黒く、その対面に飾られた絵画も例に漏れず黒塗りになっている。
「では、私がおびき寄せましょう」
カーディスは二つの絵画のちょうど中央へ陣取ると深々とお辞儀する。そして、緑の炎を纏いながら高らかに叫んだ。
「私こそ遥々イギリスはスコットランドよりやってきた英国紳士!アウルに目覚めた黒猫、カーディス=キャットフィールド!さぁ、黒いうなぎさん!かかってきなさいっ!」
ビシッと堂々不敵な猫まねきのポーズが決まった。が、天魔は姿を見せない。
「……困りましたね」
「もう一度探知してみるぞ」
カーディスから離れた位置でザラームが絵画へと手をかざした、その時。
「後ろだ人間ッ!」
ザラームの背、目掛けて天魔が飛び出してきた。
カーディスの手から放たれた金属製の糸が天魔の胴を絡めとるが、体液に覆われた体表には効果は薄く動きを止めるまでに至らない。
天魔とザラームの間へ立ち塞がるように翼を顕にしたフローライトが両刃の剣で横薙ぎに退ける。
切りつけられた天魔は側頭部の傷口から黒い体液を床に撒き散らしながら、その中へと入っていこうとする。
「逃がさんぞッ」
注意の逸れた瞬間を見逃さず、ザラームの合図で床から現れた聖なる鎖が天魔の胴を捉える。
天魔を絡めとり、天井へとつなぎ止められた鎖は天魔の頭部を体液から引きずり出し、宙ぶらりんな状態にする。
そこへ、すかさずツヴァイハンダーへと持ち替えたカーディスの一撃と白く輝く光を宿したフローライトの両刃の剣戟が交差し、頭部を切断した。
大量の体液を噴出させながら震える天魔の胴はすぐに力なくダラりと垂れ、切り離された頭部や体液と共に霧散した。
絵画を黒く塗りつぶしていた体液もまた霧散し、囚われていた人々が吐き出されるように解放されていく。
「奴らを倒せば人々も解放されるようだな」
「一刻も早く2階に降りた方々と合流しましょう」
三人は地下2階への道すがら人々に避難を呼びかけながら先を急いだ。
●地下2階
時は少し戻り、カーディスたちが展示室へと踏み入った頃。
「わかってるって!」
フローライトから監視カメラで得られた情報を受け取った獅堂 武(
jb0906)はスマートフォンを仕舞い込み、代わりに懐中電灯を取り出した。
「んー……やっぱざっと見ただけじゃあどこに居るかわかんねぇな」
広い展示室の至るところに飾られた絵画へ光を当ててみても天魔の居所は分からず、壁面に飛び散った体液らしき滴りからも天魔の痕跡は見て取れなかった。
「んじゃ、俺の出番だな」
堂々とした足取りで向坂 玲治(
ja6214)が展示室の中央に陣取ると、全身にオーラを漲らせる。
「気をつけてくれよ、向坂先輩。アルねぇが見た感じ、ここの階に出たやつってのはちっさめですばしっこいらしいからさ」
向坂と背中を合わせ、獅堂は小太刀を構える。
「へっ、上等だ」
向坂もまた白銀の槍を構えた、その時。
ザザッと絵画の表面がざわめく。
「来るか……」
ザザ、ザザッと複数の絵画がざわめき、そして。
「向坂先輩ッ!」
弾丸の如く飛び出してきた天魔が向坂へと突撃してきた。
しかしその素早い動きを予見していた向坂は咄嗟に凧型の盾で見事に天魔の頭部を受け止める。
向坂に受け止められた衝撃で飛び散った体液が床を黒く染め、不意打ちが失敗した天魔はそこへ逃げ込もうとする。
「こんのっ……!」
動きが止まった一瞬を見計らって、獅堂が天魔の口へと数珠を引っ掛けながら小太刀を突き立てて体液に包まれた身体にしがみついた。
傷口からは勢いよく黒い体液が吹き出し、獅堂の視界を奪う。
「うおっ!?」
そして獅堂が怯んだ隙に天魔は勢いよく体液の中へと潜り込んでいった。
「獅堂ッ!」
隠れさせまいと床に手をつき無数の黒い手を呼び出すが、天魔の素早い動きに間に合わない。
だが天魔の尾が隠れきる直前、展示室出入り口で構えていた谷崎結唯(
jb5786)の練り上げられたアウルの弾丸がそれを捉えていた。
「マーキング、完了だ」
「獅堂はっ!?」
「中で、捌いてる」
谷崎が指した先、壁面の大きな絵画がボコボコと音を立てたかと思うと天魔がウネウネと蛇行しながら飛び出してきた。
「ぷはっ!向坂先輩っ!」
苦しみながら宙を蛇行する天魔の背にはしっかりと数珠にしがみつきながら小太刀を振るう獅堂の姿が。
「そのまま掴んどけッ!」
獅堂の斬撃で機動力を削がれた天魔は、向坂の黒い手に今度こそ捉えられる。
天井にまで飛び散った体液の中へと逃げ込もうとしていた天魔は縦に伸びきった状態で拘束される。
獅堂は絡ませていた数珠を解くと両手に小太刀を構え、天魔の背に突き立てると縦に引き裂くように飛び降りた。
「こいつでぇっ、どうだぁ!」
縦一直線に刻まれた傷から滝のように体液が溢れ出す。
拘束する必要がないほどに力を失った天魔は、ぐにょりと床に倒れ込んだ。
「ふぅ……よし、アルねぇに連絡して合流しねぇとな」
小太刀を仕舞い込み、スマートフォンを取り出そうとしたところで獅堂は自分の身体が天魔の体液まみれになっていることに気付く。
「うへぇ、きったねぇ……あれ、着信だ」
画面には『アルねぇ』の文字が。
「はい、もしもし」
『地下一階の天魔は撃破したぞ。絵画に囚われた人間たちも救出完了だ』
「俺たちも今片付けたとこー……だけど、囚われた人たちってどうやれば助けられるんだ?」
『天魔が消滅した時、体液から勝手に吐き出されたぞ』
「へ?消滅って……」
俺たちが倒した奴はまだそこに倒れてんだけど、と振り向いたそこには獅堂を飲み込もうと口を開け這いずりながら迫る天魔。
「気を抜くのが早すぎんだ、よッ!」
しかし、滑り込むようにして回り込んできた向坂の撃ち上げにより天魔の頭部は跳ね上げられ。
「……ストライクショット」
谷崎の鋭い一撃が脳天を貫くと、天魔は霧散した。
『おい、獅堂。どうした』
「へ、へへ。先輩二人に、助けられちまった」
『……合流するぞ』
「……へいっす」
絵画から解放された人々に避難を促し、三人は地下3階へと急いだ。
●地下3階
無事合流した六人は地下3階展示室前へと到着した。
ザラームの光により、出入り口付近の床から体液が飛び散っており、展示室内も体液で真っ黒になっていることがわかった。
「迂闊に踏み入れば、一網打尽にされかねないな」
「ハカガミ作っていう絵画は……あれか?」
獅堂の懐中電灯が展示室の奥を照らすと、表彰台の向こう、最奥の壁に三つの絵画が立てかけられているのが見えた。
だが、真っ黒な絵画という情報だったそれらのうち二つは白く、それぞれ縦と横に引き裂かれていた。
「……どうやら、あれが奴らの本体ということらしいな」
「それでは、残りひとつの絵画を破壊出来れば依頼完了ということですね」
「そんじゃあ俺が行ってババッとかっ捌いて来りゃあ!」
獅堂が我先にと小太刀を取り出すが、これ見よがしにフローライトが翼を広げた。
「私が行こう。獅堂は援護だ」
「えぇー」
「ならば、我が照らそう。電灯では遮られた時に身動きが取れまい」
「で、あれば私が囮を引き受けましょう。万が一暗闇になっても私なら目が効きます」
浮遊するフローライトに、光を放つザラームと眼鏡をかけたカーディスが続く。
「もしもんときゃ俺がカバーリングするよ」
「光の届かない所は、任せろ」
出入り口付近に向坂、獅堂、谷崎を残し三人は展示室へと足を踏み入れた。
体液にまみれた床の不快感に包まれながらも、ザラームとカーディスは身長に足を進める。
徐々に離れていくフローライトたちを獅堂たちもまた緊張の面持ちで見守る。
そして、表彰台へとたどり着いた。
「こほん、では失礼……私こそ!鬼道忍軍・カーディス=キャットフィールド!大学部2年6組!さぁさぁ黒いうなぎさん、今度こそかかってきなさいっ!」
招き猫ポーズに加えてチョイチョイと挑発する仕草を合わせた名乗りが真っ黒な展示室にこだました。
すると。
「今度こそ、効いたようだな」
体液で真っ黒に染められたテーブルやイスが、何かに弾き飛ばされたかのようにカーディス目掛けて飛んできた。
大砲のように飛んできたイスたちをフローライトの防壁陣が受け止める。
同時に漣が半円を描くようにフローライトたちの後方へと回り込むと、大きく口を開けた天魔が襲いかかってきた。
「目には目を、黒には黒じゃ」
フッと光を失ったザラームの手元から、真っ黒い炎が放たれる。
堪らず天魔が怯むと、谷崎の練り上げられたアウルの弾丸が放たれ、同時に槍を構えた向坂が飛び込んでくる。
「こいつで、どうだァ!」
弾丸と並走しながら飛び込んできた、宙で捻りを加えた向坂の堅固な一撃が天魔の頭部に激しく叩きつけられる。
吹き飛ばされた天魔は体液を撒き散らしながら、壁面の体液の中へと叩き込まれた。
「まだ、来るッ!」
が、間髪入れずに反転し、向坂目掛けて突進してきた。
防御姿勢に入る向坂の前面に谷崎の声を聞いたカーディスがいち早く飛び込む。勢いよく地面を叩き、畳を出現させ、突進のベクトルを頭上へとずらし、ダメージを回避する。
方向をズラされた先には、白く輝く光を宿した剣を構えるフローライトが。
「アルねぇ!」
獅堂が勢いよく刀印を切ると、天魔を澱んだ気のオーラが包み込む。
舞い上がる砂塵が天魔の周囲に渦巻き、滴り落ちる体液ごと硬い硬い岩のように固めていく。
完全に身動きを封じられた天魔目掛けて向坂の槍が、カーディスのツヴァイハンダーが、フローライトの白輝の剣が振り下ろされた。
天魔は、鈍い音を立てて砕け散った。
●地下三階
「ありましたよ、車椅子」
天魔を撃破した後、カーディスは殲滅確認の意味も込めて解放された人々の避難を手伝っていた。
「あぁ、ありがとうございますっ!」
「いえいえ」
エレベータへと乗り込むアカネとその母親を見送ると、入れ替わりにザラームがやってくる。
「他の階の人たちも無事避難完了したようじゃ」
「それは何よりです」
「……のぅ、カーディス」
「はい、なんでしょうか」
「何故人は絵を残すのじゃろうな。ほれ、過去の自分と向き合うようじゃないか…」
一面に白いエーデルワイスが咲き誇る山の風景画を前に呟く。
「人は、思いが溢れてしまった時に絵を描くのだと思います。感動も絶望も全て……二度と見ることの出来ない思い出も込めて」
「……そういうものじゃろうか」
「ザラームさんは過去のご自分は好きではないのです?私は、ザラームさんのこと嫌いじゃありませんよ」
「……そうか」
それだけ呟くと、しばしの間二人は並んで絵画を見つめていた。
●地上一階
「本っ当にありがとうございます!どの作品も傷一つなく、怪我人も出ず、本当になんとお礼して良いのか……」
解放された人々を見送る獅堂とフローライトは美術館関係者から深々と頭を下げられていた。
「いやいやいや、まぁ久遠ヶ原学園の学生として誰かの役に立ちてぇなってのが俺の信念みたいなもんですから!」
「ずいぶん立派な心構えだな、獅堂。そのためならば天魔の領域に飲み込まれても構わないということか」
「え、あ、アルねぇ、なんか怒ってる……?」
「監視カメラの映像を見てきたぞ。ずいぶん派手に立ち回ったようだな、ん?無茶を、するなと、私は、言ったはずだが?」
「いやぁ、それは、ほら……臨機応変に、動いた結果っていうかさ……はは……あ、あーそうだ!あのぉ、ほら!ハカガミとかって奴は!どこ行ったんだろな!」
「……あぁ、それなら悪魔が連れて行った。それよりも――」
「あーあーもう、悪かったってばー!」
結局、フローライトの説教は学園へと戻るまで延々と続くのだった。
そして、ハカガミはというと。
●美術館外れ・林の中
「はぁっ、はぁっ!ひぃっ!」
谷崎の手で学園へと連行されそうになったところを逃れ、美術館の外れにある林の中へと逃げ込んでいた。
だが、ただの人間が撃退士から逃れられるはずもなく、あっさりと追い詰められたハカガミに対して谷崎は銃を突き付けた。
「お前がどうやってあの天魔を連れてきたのか知らないが、大人しくしないのならば殺した方が良いだろう。お前は、天魔に殺されれば本望なんだろう?」
「ひぃいっ!」
「まぁまぁ、谷崎さん。そう慌てなくてもいいんじゃねえの」
何処からか現れた向坂が谷崎の銃を下ろさせる。
谷崎は特に抵抗する意志も見せず、黙って銃を仕舞いこんだ。
それを見ると、向坂はハカガミへと向き直る。
「なぁ、お前さ。恐怖に価値がーとか言ってたんだってな。車椅子の子と一緒に居た子が教えてくれたんだ。でも分かったろ、恐怖に価値なんざあるわけがない。恐怖に打ち勝とうとする意志にこそ、価値があるんだ」
「ぼ、僕は、ただ……い、生きてる価値を、価値を……」
「だったら、胸張って生きてりゃいいだろ。甘いもん食って、生きて、それが一番だ」
「あ、ぅ……」
「ちょっとでも償う気があるってんなら、まずは学園行って全部吐いて、そっからだ。な?」
しばらくの沈黙のあと、力なく頷いたハカガミはその後学園へと連れて行かれた。
こうして、事件は幕を閉じた。
ハカガミに、そして事件に関わった者たちに、今を生きて守ることの価値を刻み込んで。