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「この辺りにしましょうか」
仁良井 叶伊(
ja0618)がN村北部、村全体を見下ろせる坂の上で腰を下ろした。
「わー、なにこれなにこれー」
興味津々の様子で仁良井の広げる荷物を覗き込む夏木 夕乃(
ja9092)。
「消臭剤です、少しでもディアボロの鼻を誤魔化せると思ったので」
仁良井に渡されたスプレータイプの消臭剤を夏木も身体に吹きかけていく中、水無瀬 雫(
jb9544)は携帯のアラームをセットしつつ村の全貌を見渡す。
周囲を山に囲まれた集落。
舗装されていない車道、点在する木造家屋。
囮役としてどう立ち回るか入念なシミュレーションを行いながらディアボロの姿を探すが、それらしい影も跡も見当たらなかった。
むしろ目立つのは、急いで逃げ出したらしい村人たちの足跡や車の跡だった。
青蛇の刺繍が入ったマフラーにしかめた顔を少し隠す。
「ディアボロの姿は、見えますか?」
消臭の他、準備を終えた仁良井が声をかける。
「いいえ、まだ」
「それじゃあ、村に下りましょう。なるべく静かに」
夏木、水無瀬が頷くと三人は村の中部へと下っていった。
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仁良井たちが村へ下っていく少し前。
獅堂 武(
jb0906)、フローライト・アルハザード(
jc1519)、蓬莱 紗那 (
jc1580)の三人は村北部よりもさらに少し北に居た。
上空から村周囲の森を含めた広範囲を索敵するため、フローライトは陰陽の翼を広げて飛んでいた。
村北部に陣取る仁良井たちが見える。
村周辺の森は深く、上空から森の中までは見えない。
村中部は家屋が破壊されておらずまだディアボロが活発に活動していないらしいことこそ確認できるもののディアボロの姿も、救出対象の姿も確認出来ない。
地上からの捜索に切り替えようと引き返そうとすると、耳のインカムに獅堂からの通信が入る。
『アルねぇ、最後に目撃されたのが村中部西側みてぇだからその辺を重点的に見てくれ』
獅堂の指示通り村中部、西側を中心とした捜索に切り替える。
そうすると僅かに家々から伸びる足跡が見て取れる。
そんな中、片足分の足跡と並行して伸びる何かを引きずったような跡を発見した。
もう一度周囲にディアボロの姿がないことを確認し、地表近くまで降下すると無線機を取り出す。
「獅堂、救出対象の名前はなんだ」
『えっと、諸星勇だぜ。事前に説明されたじゃんか』
「発見した」
『えぇっ!?ど、どこどこ!どこだよ!』
「村中部、西側木造三階建ての家だ。諸星の表札がかかっている。一度家から出て、もう一度戻ったらしい足跡も残っているから間違いない」
『じ、じゃあ蓬莱先輩と俺が迎えに行くからアルねぇは保護しといてくれ!』
「あぁ」
通信を切り、諸星の表札がかかった家へと入っていく。
玄関に鍵はかかっておらず、屋内も嫌に静かな様子だった。
「誰?」
玄関を通って正面、階段から姿を見せたのは松葉杖をついた女性。諸星勇だった。
「人間、お前が諸星勇だな」
「……貴女は?」
「お前を保護しにきた。来い」
「それは、出来ないわ」
早くしろと言わんばかりに踵を返したフローライトへ間髪入れずに諸星は言葉を返す。
「お前一人残ったところで何が出来るわけでもあるまい。命を無駄に使うな」
「無駄じゃないわ、私がここで死ねば村のみんなを……仲間を守りきれなかった償いになるもの」
「そうして残された者は『自分に力があったなら』と、自分を憎んで生きていくことになるんだな。『なぜ助けてくれなかったのか』と、他者を恨んで生きていく。償った想いの倍、お前は憎しみを生んで死んでいくんだな」
「っ……!」
「力の限りに戦ったのなら、恥じることは何も無い。胸を張れ、人間。そして、子に意志を継がせるがいい。それがお前のするべき償いだ」
「……」
「わかったら付いてこい。そして、三年前の状況を教えろ。ディアボロの姿がまだ見えていない今のうちに対策が欲しい」
フローライトの言葉に諸星が頷くと、二人は家を出た。
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獅堂たちがフローライトと合流した頃、仁良井たちはちょうど村中部へと差し掛かったところだった。
水無瀬を先頭に仁良井、夏木の順で歩く三人は家屋の間を見て回るように南下していた。
と、仁良井のインカムに通信が入る。
『こちら捜査班、獅堂だ。救出対象を保護した、そっちの状況はどうだ』
仁良井が足を止め、ジェスチャーで夏木、水無瀬の二人へ通信中であることを知らせる。
二人が仁良井の周囲を囲うように陣取るのを確認すると、なるだけ小さな声で応答する。
「こちら攻撃班、仁良井です。村中部にまで進行しましたが、未だ撃破対象を発見出来ていません」
『了解だ。救出対象から聞けた敵の情報を伝えとくぞ、目撃されたのは一体。頭んとこに傷があって、三年前に討ち漏らした奴で間違いないらしい。そんで、あいつらが近くに居ると甘ったるいクリームみてぇな匂いがするらしいぞ』
「甘い……クリームのような……?」
ふわり、と。
まさに甘いクリームのような匂いを伴った風が三人の身体を撫でた。
臨戦態勢に移った仁良井の足元に巨大な影が落ちる。
「仁良井先輩っ!」
水無瀬の声で間一髪、回避行動を取った仁良井の居た場所が轟音と共に土煙で包まれる。
そこには仁良井の背丈以上に舞い上がった土煙、そしてそれからはみ出すほどの白い巨体。
不自然に肥大化した上半身、傷ついた頭部に目は無く歪に裂けた口がガチッガチッと鳴らされると先ほど感じた甘い香りが漂ってくる。
手、というより肉の塊の先端から五つの一回り小さい肉塊が突き出しているかのような両腕。
その手のひらにあたる部分は、猫の肉球のようになっていた。
標的を仕留めそこなったことを理解したのか、ディアボロは握り締めた拳を開き地に付ける。
そこからは潰された小石が転がる音すら聞こえず、4mの巨体が目の前にあるというのにまるでそこに居ないかのような静かさだった。
「こちら水無瀬、接敵しました」
仁良井の無事を確認した水無瀬が通信を行いながら、香水を染み込ませた布を腕に巻きつける。
「不意打ちを受けましたが負傷者は居ません」
水無瀬の声にディアボロが反応し、向き直る。
「これより、戦闘に入ります」
通信を終えたと同時、ディアボロがガチガチと歯を噛み鳴らしながら片腕で地面を殴りつけようと腕を振り上げた。
腕が完全に振り上げられ、停止したほんの一瞬。
「そこですッ!」
霧状のアウルを纏った水無瀬の神速の一撃がディアボロの腕を捉える。
跳躍を阻止されたディアボロは振り上げられた腕に引っ張られるように態勢を崩すが、がっちりと地面を掴んだもう片方の腕で態勢を立て直す。
水無瀬が屋根に着地した音を捕らえ、今度は殴りつけるように腕が突き出される。
亀の甲羅のような模様が描かれた盾が水無瀬の霧状のアウルに包まれ、氷の障壁と化したそれがディアボロの豪腕を受け止める。
「夏木さんっ!」
水無瀬の声に頷く夏木の足元から夕陽色の紋章が展開される。
屋根のの至るところから青白い腕が無数に飛び出し、突き出されたディアボロの腕を絡め取った。
腕が固定されたことを確認した水無瀬は足を高く掲げると、盾に付与させたアウルを今度は自らの足に込め、勢いよく振り下ろした。
強烈なかかと落としを食らったディアボロの腕が、バキバキと音を立てながら屋根ごと凍結していく。
「これで身動きは……っ!?」
完全に動きを封じたのも束の間。
ディアボロは身体を支えていた腕を水平に振りかざすと、氷漬けにされた腕を縛り付ける家屋、その一階部分をなぎ払うように吹き飛ばした。
「そんなっ……!」
勢いよく吹き飛ぶ家屋の破片はディアボロの腕を縛り付ける氷を引き剥がし、同時に水無瀬へと襲いかかる。
「くっ……!」
破片を避け、崩れる屋根から無理な姿勢で空中へと飛び出した水無瀬。
傷にはならずとも、水無瀬の身体を打ち付ける家屋の破片によってディアボロはその位置を捉える。
両腕をぐるりと回し、地面に叩きつけたディアボロは高く飛び上がると水無瀬を叩きつけようと両腕を振りかざした。
ディアボロが勝利を確信したようにより一層大きく歯を噛み鳴らした、その時。
カポっと。
香水の詰まったペットボトルが投げ入れられた。
ガギッと鈍い音と共に噛み砕かれたペットボトルから溢れ出した大量の香水がディアボロの口から溢れ出し、頭部全体を濡らす。
強烈な匂いに襲われたディアボロは体勢を崩し、落下していく。
顔面についた匂いをなんとか取ろうともがくディアボロは、ちょうど背を下にして丸まったような姿勢になる。
その直下。
「はぁぁ……!」
全身に闘気を漲らせた仁良井が構える。
「闘気解放……スタンエッジッ!」
落下するディアボロの剥き出しになった背中目掛けて鋭い拳が打ち込まれた。
再び空中に投げ出されたディアボロは、だらりと両腕を放り出し、全身がいうことをきいていない。
「水無瀬さーんっ!」
夏木の掛け声に合わせ、水無瀬がディアボロの上空へと飛び込む。
「今度こそ……ッ!」
全身にアウルを纏った水無瀬が、浴びせ蹴の姿勢に入る。
「いきますっ!フレイムシュートっ!」
「瞬刃……霞ッ!」
二人の一撃がディアボロの胴体を前後から貫く。
バラバラに吹き飛んだ巨大な腕が上空で霧散した。
仁良井はディアボロの消滅を確認すると無線機を取り出す。
「こちら攻撃班、仁良井です。目標の撃破を確認しました、これから村北部へ戻ります」
『了解だ、待ってるぜー』
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「おかあさーんっ!」
「光……」
ディアボロ撃破後、撃退士たちは諸星勇を連れて学園へと戻っていた。
「お母さん、帰ってきちゃった」
悲しげな表情で我が子を撫でる諸星勇。
「なぁ、アルねぇ。なんであの人はあんな不満そうっつーか、なんつうか」
「……馬鹿げた自己犠牲に酔っているだけだ」
「ふぅん……」
ぶっきらぼうに答えるフローライトの横で『行ってあげたら?』と書かれた扇子を広げて見せる蓬莱。
他者に対して素っ気ないフローライトの不満そうな表情も親子を気にしている証拠と考えた獅堂は二人の元へと歩いた。
「あー……諸星、勇さん?これからどうすんだ?」
「私は……」
「俺は、その、お仲間さんがどんな風になっちまったとかあの村の人たちにどんな恩返ししなきゃーっておもってんのかわかんねぇけどさ……やっぱ子供残して居なくなっちゃ駄目でしょう!」
獅堂の言葉にハッとした表情を見せる諸星。
「んだからさ、学園で仕事と住むところ探せばいいんじゃねーかな。そうすりゃもう、離れ離れになんかならなくて良くなんだろう?」
「けど、もう戦えない私じゃあ……」
「寮母さんでもなんでもなればいいじゃねーか!戦えなくったってやれることはあんだろう!?俺も手伝うからさ、な?」
「……はいっ!」
説得がうまくいったことに一息ついた獅堂の傍ら、再び互いを抱きしめ合う親子。
「ごめんね、光」
「ううん、ぼくもおかあさんのことおいてっちゃって、ごめんね」
光は、今度こそ離れまいと強く抱きつく。
母を抱きしめるその両手に宿った小さな光で、二度と母が誰かの身代わりに……命の天秤にかけられることのないよう自分が強くなるのだと誓いながら。