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「グ、ゥ゛ゥ゛……」
「く、くそ!どんだけ居るんだ!」
団地の北。
住宅地からつながる大きい道路の境。
警察の所有するバンを並べたバリケードを作成してから、早三時間経ったというにも関わらず以前として溢れ出てくる”死体”に警官は冷や汗を垂らす。
「このままじゃ破られるぞ……」
ただもたれ掛るだけの死体たち。しかし、その数は十や二十で済まない。
手元の拳銃も、とっくに打ち切ってしまった。
何か手はないのか、考えを巡らせていたとき。
「た、助けてくれーっ!」
バリケードとは別方向。道路の向こうから、一人の男性が一体の死体に追われてふらふらと逃げてきたのである。
「クソッ……!」
警官は警棒を手に男性の元へと走る。
そして、死体の頭部目がけて思い切り警棒を振りぬいた。
――メシャッ。
鈍い音を立てて、死体がのけぞる。
「ア゛ァ゛ァ゛」
しかし、死体は腰がぽっきりと折れた状態で上半身を捻り、警官へとしがみついてきたのである。
信じがたい光景、不気味な目の前のソレの牙が自らの腹に突き立てられそうになった時。
『町内の皆さまにお知らせします。撃退士が到着しました、安全な場所から動かず救助を待ってください。繰り返します――』
警官の耳に、町内放送の音声が届き、そして。
「ゴヴァ――ッ」
目の前の死体が身の丈ほどの硬く大きな何かに吹き飛ばされていく。
「大丈夫ですか、警官さん」
呆然とする警官が目にしたのは、悪魔の羽を生やし、石のような本を閉じながらゆっくりと着地する龍崎海(
ja0565)。
「なるべく、傷つけないようにするからね」
バンの上に立ち、炎の剣を放つことで死体たちのアキレス腱だけを切断していく桜木 真里(
ja5827)。
「大丈夫…?」
落ち着かせるように逃げてきた男性を支える浪風 威鈴(
ja8371)の姿だった。
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「龍崎さん、先頭をお願いします。全員相手にするのは大変で」
おっとりとした桜木の救援要請に、龍崎は白色の槍を取り出しながら跳躍して応える。
死体の群れの後方へ着地すると、数体が龍崎へと向き直る。
「(金切り声を上げない……?何か条件があるのかな……)」
うめき声を漏らしながら足を引きずるように龍崎へと近づく死体たち。
それらのふくらはぎやアキレス腱だけを狙い、槍を振るいながら群れへと入っていく。
死体たちは足を切り裂かれ、柄で弾き飛ばされ、満足に身動きが取れなくさせられ。
時に足を掬われ、まとめて転ばされる。
槍の範囲外の死体には桜木の召喚した炎の剣が襲い掛かり、龍崎と同じように足を塞いでいく。
やがて数分と経たないうちにバリケードへと押し寄せていた歩く死体の波は満足に身動きも取れない状態へと変貌した。
龍崎は瞳にアウルを集中させ、動けなくなった死体たちへ≪異界認識≫を行う。
「龍崎さーんっ、どうですかーっ」
「あぁ!やっぱり、彼らは人のままだよ!天魔じゃない!」
答えながら、同時に龍崎は死体を動かしているエネルギーが自らの中にある悪魔のソレとは違う、”天界の特性を持ったエネルギー”であることを感じ取った。
バリケードを飛び越え、警官と男性の元へ戻るとうずくまる男性を浪風が心配そうに覗き込んでいた。
「怪我、してるの?」
龍崎の問いに、浪風は首を横に振る。
「団地…住んでて、男の子…見てたのに、逃げてきたから、って…」
「……そっか」
龍崎は男性の元に跪いて≪マインドケア≫を発動させる。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……少し、気持ちが楽になったよ」
「お話、聞かせていただけますか」
「あぁ……俺は、団地に住んでたんだ――」
そうして龍崎たちは少年のこと、少年の家庭のこと、よく小犬と一緒に居たことを聞き、また男性が逃げてくる時の団地の様子を聞いた。
「そうですか……ありがとうございます」
「あ、あとは、その」
言いかけて逃げてきた時のことを思い出したのか身震いする男性の代わりに浪風が口を開く。
「死体…団地から、遠くなると…叫ばないって…」
「そうか……だからさっきも……警官さん、他にバリケードは」
「あ、あぁ、道路沿いにいくつも張ってあるはずだよ」
「それぞれの状況は分かりますか?」
「どこも武装した応援が到着しているはずだよ。ここもすぐに応援が到着するはずなんだ」
「わかりました。それでは、男性をお願いします」
龍崎は再び翼を広げると、バリケードの向こうへと飛び。
桜木と浪風もまた、後に続いた。
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『死体…団地から、遠くなると…叫ばないって…』
「ってことは、だ。こんだけ離しゃあ、いくらでも纏められるってことだ」
団地の南側。
警官たちにバリケードをどけさせ、歩く死体の一団を広い道路上にまでおびき出すと、向坂 玲治(
ja6214)は得意気に笑った。
死体たちは≪タウント≫の影響で周囲の警官たちには目もくれず、向坂へと歩いている。
「もうそろそろ良さそうかーっ!?」
向坂が上空の照葉(
jb3273)へ呼びかけると。
「十全であるーっ」
「よっしゃ――……一網打尽だッ!」
掛け声と共に向坂から解放されたアウルが周囲に集まった歩く死体を吹き飛ばしていく。
同時に、元々バリケードが設置されていた通路を挟んで逆サイドでも逢見仙也(
jc1616)の作りだした≪命の彫像≫に引き寄せていた歩く死体たちが、氷漬けにされていく。
広範囲攻撃の同時発動も、上空から戦況を監視する照葉の働きによって被害無く無事成功した。
「どうすんだ、このままぷちぷち雑魚潰しか?日が暮れちまうぞ」
「そうだなぁ……」
向坂と逢見が薙ぎ払った死体の群れたちは、三つのバリケードにそれぞれ押し寄せていた分をまとめたものだった。
「それぞれに押し寄せる奴らの数にはばらつきがあるとはいえ、聴取の者の話によればバリケードの数は団地の南だけで五十を超えるという。全てを回るのは不可能であろう」
その時、各々が持つハンドフリーの通信機から団地の屋上に少年と犬型の天魔がいるという情報がもたらされる。
「……聞いたな?」
「私は先に行かせてもらおう。少年の話が聞きたい」
「おーおーいいんじゃねえか?あっちと合流すんのに時間かかるしよ」
「決まりだな」
向坂がうなずくのを見て取ると、照葉はすぐさま朱鷺の翼を広げ、団地へ向けて飛び立った。
「んじゃあ、俺たちはぼちぼち残ってる人が居ないか探しながら移動だ」
「いえっさー」
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向坂たちと分かれた照葉は、団地へ向けて飛行する。
町の至る所に点在する歩く死体たちは、上空の照葉に気付かず金切り声をあげることもない。
時間にして数分の距離だったが、どこからも金切り声が響いてこないところを見ると誰かが襲われていたり、仲間が襲われているということはないだろう。
喜ぶべきか、はたまたもう襲われる人も居ないのかと嘆くべきか、悩む間に件の団地……その屋上が見えてくる。
うずたかく積まれた死体。その前に身体を丸めて座り込む巨大な犬型の天魔。
そして、その天魔に寄り添う少年。
無線機を通して、龍崎たちが助けた男から聞いた通りに光景だった。
照葉は、飛翔したまま少年へと≪意思疎通≫を試みる。
照葉の手にした緋の太刀からアウルが細く伸び、少年と照葉の意識をつなぎ合わせる。
『助けにきた、南の端から跳んだならば必ず受け止めよう』
少年は驚いた様子を見せながら、宙に浮く照葉を見つけると怯えるように天魔へと抱き着いた。
恐怖している?それだけじゃない、もっと単純で、子供らしい……ただの人見知りのような。
およそ天魔の巣の中心にあって、不釣り合い極まる仕草に照葉はふっと一瞬緊張を緩めたあと、太刀を仕舞いながら屋上へと足を着ける。
『そこの猛々しい者は、おぬしの友か?』
照葉の問いかけに、少年はゆっくりとうなずく。
『どうして一緒に居るのか、聞かせてはもらえんか』
少年は黙って天魔に抱き着いたままだ。
『ひどい人から、護ってくれたからか?』
少年は首を横に振る。
『……友、だからか?』
少年は再びうなずいた。
『おぬしの友が、何をしているか、気付いておるか』
少年は不思議そうな顔をしたあと、天魔の鼻先を撫でる。
天魔は瞼を開き、八つの目で少年と照葉をバラバラに見据える。
「……っ」
瞳孔の見えないくすんだ瞳は、赤黒く曇った真珠のようだが、小刻みに動いては周囲の様子と、照葉の一挙手一投足を捉えているようだった。
襲い掛かってくるかもしれない、と照葉が身構える。
しかし、少年は再びぽんぽんと天魔の頬を撫でると目と目で見つめ合う。
そして、少年は照葉の方を向き、首を横に振った。
少年は天魔が……友達が何をしているのかを理解していなかった。
なら、説得しなくてはいけない。
だが、これまでのやり取りでイエスかノーの反応しか示さない少年と、十分なコミュニケーションが取れるのか?
考えるうちに、天魔が腰を上げ、グルルと低く喉を鳴らし、巨体からは考えられないスピードで照葉に突進してくる。
「――ッ!」
咄嗟に凧型のシールドを構え、スキルを発動させようとしたが。
天魔はインパクトの直前で後方へ高く跳びあがった。
直後、目の前には岩の塊と炎の剣が突き刺さる。
「どうやら、彼はお友達の所業を知らないみたいだね」
照葉の横へ、桜木と龍崎。そして浪風が現れる。
「あの子…助けないと…」
「あぁ、≪異界認識≫でも確認した。少年は人間だよ」
浪風が棍を地面に突き立てると、影が槍のように鋭くとがりながら天魔の影目がけて飛んでいく。
着弾の直前、天魔は素早いステップで影の槍をかわす。
「けどまぁ、人間ってことは――」
「どうにかしないとだよなッ!」
天魔がステップした先。
壁を駆け上がってきた逢見の≪八卦石縛風≫が巻き起こり、さらにそれを回避した天魔は一時的に少年から遠ざかる。
その隙を突いて、逢見が少年を照葉たちの元へ運び、向坂が天魔の前へと立ちはだかる。
「このガキと話すだけ無駄だぜ。コイツ、口が利けないんだとよ」
「なんと……」
桜木が少年の元へとしゃがみこみ、優しく問いかける。
「残念だけど、お友達が悪いことをしている以上、俺達は倒すことしか出来ない…君は、どうしたいのかな」
少年は黙ってうつむくばかりで、何も反応を示さない。
「マインドケアが必要か、それともヒールか…どちらにしてもここから離すのが先決だね」
龍崎が少年を抱えても、少年は抵抗する素振りも見せない。
「ここらへんに人は居ねえのかッ!?っと……あっぶねぇ!」
天魔の攻撃を捌きながら、向坂が問いかける。
「あぁ!ここの周辺には誰も居ないよッ!」
「っしゃあ、だったらおもいっきりやれるなぁ!」
向坂が構えた槍の柄に、アウルが集中し、天魔目がけて強烈な一撃が放たれる。
が、またしても天魔は軽快なステップで攻撃を避ける。
「すばしっこいやつだな、ったく……!」
「この子…お願い…」
桜木、龍崎の二人が少年を抱えて屋上から離脱すると。
浪風は棍を構えて後方に。
同じく逢見も後方に立ち、その前に照葉。
そして最前線に向坂が立ち、槍を仕舞うと。
「一気に決めるぜ……!」
周囲へと影が広がり、無数の刃となって天魔へと襲い掛かった。
不規則に天魔へと襲い掛かる影の刃は、天魔の毛先を掠めるばかりで致命傷を与えられない。
が、その中に混じった浪風の≪影縛の術≫が天魔の影を捉え、動きを封じる。
「ナイスだ」
至近距離に近づいた逢見が炎の塊を天魔へ叩き込むと、その全身が燃え上がる。
そして、上空へと跳んだ照葉が太刀を構え、緋色の炎を迸らせながら≪意思疎通≫と同時に天魔へと飛び込んでいく。
『誓おう、少年には私たちで安心できる場所を探すと』
天魔は一瞬、動きを止めると。
――アオォーーーーンッ!
高く高く遠吠えを響かせて。
『……ありがとう』
照葉の一閃に切り裂かれ、塵と化していった。
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事件が終わり、町中を徘徊していた歩く死体たちは天魔の消滅と共にその力を失った。
ボロボロになった町や団地は、事件から三カ月が経ってもまだ修復工事が続いている。
そして、少年は――。
「本当に、覚えてないのか?」
「うーん……わかんない!」
「そうか……いいさ、お父さんとお母さんと三人で、これからいっぱい遊ぼうな!」
「うんっ!」
新しい場所、新しい家、新しい家族。
専門機関での治療を受けながら、撃退士たちの計らいで巡り合った幸せな家庭で笑っていた。
「よおし、じゃあ誕生日のプレゼントを見に行くかっ!」
「わーいっ!」
少年は、事件以前のことをほとんど覚えていなかった。
それでも、今の幸せを疑いなく受け止められているのはきっと、彼の中にある”やさしい温もり”のおかげなのだろう。