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見上げれば、絵画のように美しい暁がそこにあった。
東の地平線から漏れる朱色の日差しが空の淡い青色と混ざり合い、新しい一日の始まりを彩っている。
薔薇の花園へと集結した六人の撃退士たちは、作戦を決行する為にそれぞれの持ち場へ就いた。
こんなに平穏な朝であるからこそ、今もなお闊歩する『脅威』を淘汰せねばならない。
――願わくば、あのまばゆい太陽が昇りきる前に。
そして庭園に残されたのは、一人の女性。
朝露のように潤み煌めく銀髪を揺らして、ロジー・ビィ(
jb6232)が花壇の前に近寄る。
視線の先には、『三体』の美少女たちの後ろ姿。
どんなに麗しい容貌であろうとも、彼女らは紛れもない悪魔(ディアボロ)――薔薇童女なのだ。
「御機嫌よう。あなた達も薔薇を見に?」
何も知らぬ一般人を装って、ロジーは少女たちへ話しかけた。
彼女の声に反応し、三体の薔薇童女たちはニタリと唇の端を上げる。
そして薔薇の花々を掻き分けて花壇から飛び出し、そのうちの一体が牙を剥いてロジーへと襲いかかってきたのだ。
「ひいっ……!」
しかし、彼女は小さな悲鳴をあげながらも機敏に後退し、薔薇童女の襲撃を回避する。
端整な顔がひどく青ざめ、怯えている様子ではあるがそれは全て演技に過ぎないのだ。
薔薇童女たちは蜘蛛足を蠢かせ、逃走するロジーを追いかけていった。
三体の薔薇童女たちは、獲物を求めて薔薇園を駆け抜ける。爛々と輝く瞳は、まさに腹を空かせた野獣のそれであった。
そして花壇からある程度離れた領域、障害物のない広場へと辿り着く。
――刹那。闇の底から這い出たように昏い黒の鎖が、三体の童女たちに絡みつく。
「はい、ここまで。動いちゃダメだよ?」
後方から聞こえてくる、囁くような甘ったるい声色。
その声の主――顔から指先まで、身体中に鎖の痣が刻み込まれた姿となった来崎 麻夜(
jb0905)が捕縛したのだ。
囮としてロジーを狙わせている間にも、彼女は静かに薔薇童女たちを追跡していた。
そして花壇が荒れない場所へと誘導させ、拘束したのちに殲滅する――それが撃退士たちの戦法であった。
麻夜による妨害成功を皮切りに撃退士たちは次々と現れ、三体を確りと包囲した。
「麻夜さん、ナイスだよ! 初撃は重要だもんね」
花が咲いたように陽気な笑顔を見せて、ユリア(
jb2624)がグッと親指を上に立てる。
それぞれが確りと役割を担い、協力し合った作戦。順調に事は運べている――現状までは。
「キィイイイ……!!」
耳を劈くような金切り声。
それと同時、薔薇童女の一体が激しく抵抗して闇色の鎖を引き千切る。
解き放たれた鎖は飛散し、花弁のように儚くふわりふわりと舞う。
だが、それでも逃すまいと。視界に踊る黒の残滓を合図に決意を固め、迅速に動いたのは緋野 慎(
ja8541)。
もう一度、『影』を駆使してみせる。逃れようとする一体へと奇襲し、影を縫い留めて動きを封じた。
「捕まえた! ちょこっと大人しくして貰おうか」
薔薇童女の暴走を鎮め、慎は得意げになって歯を見せて笑った。
こんなこともあろうかと準備をしておいて正解だった、そう心の中で密かに安堵する。
「慎君、フォローありがとう御座います。……さて、これで退路は封じれましたね」
彼と同じく、失敗した時の為にスキルを備えていた光坂 るりか(
jb5577)が身構える。
紛うことなき戦闘意思。それは撃退士たちではなく、悪魔側も怒りを煮やしていた。
花も恥じらうほどに美しかった薔薇童女たちだが、こうも邪魔されては青筋も立たざるを得ない。
ひどく顔を歪め、口を大きく開いて撃退士たちを威嚇する。
「薔薇という植物は手入れが大変なものだ。こんなにも見事な庭園ならば尚更、な」
そんな悪魔の威圧をもろともせず、クロエ・アブリール(
ja3792)は薔薇童女たちへ向けて剣の切っ先を突きつけた。
眼鏡の奥、澄んだ碧眼に意志を宿して。
現代の騎士たる称号に相応しい宣戦布告を、毅然と言い放つ。
「さて……無法者たちには、ご退場願おう」
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「全力を尽くして、お護り致します。ご覚悟を」
静謐に宣告するや否や、るりかが俊敏に動き始める。
狙うは一体の薔薇童女。撃退士全員のパワーを奮って、一体ずつ殲滅を目指すのだ。
彼女が織り成すスタイルは無形武術。流水の如く、蜘蛛足の脛、膝、脇腹へと隙なく蹴りつける。
「キィ……グッ……!!」
途切れぬ連撃を与えられる為、相手の意識を反射的に誘い込むことができるだろう――知能の低いディアボロならば、尚更。
「――上半身がお留守ですよ、お嬢さん」
好機とばかりに、るりかの青い眼が光る。
しなやかな長い足を大きく振り上げ、本命たる狙いへと素早く踵落としを見舞う!
「やった、るりか! 俺も負けないよう、頑張るぞー!」
るりかの活躍を喜べば、彼女も微笑みで応えて。俺もやってやるぞ、と慎がさらに意気込む。
だが、管理人の男性――じいちゃんの薔薇を傷つけるわけにはいかない。
絶対に守ってみせるんだ。優しさは覚悟へ、覚悟は闘志へと姿を変える。
「ここはお前らのいる場所じゃねぇ、出て行け!」
雄々しき声とともに、幻炎の英雄はクローの刃を向けて身軽に飛びかかった。
明星のようにまばゆい火花を散らし、透き通るような白い肌を深く斬りつける。
鮮やかな血の飛沫とともに、童女の下半身に咲く薔薇の花弁が朝風に乗って舞い散った。
「そう、その調子。薔薇の代わりに……あなた達が散ってね」
哀れなる舞踏を賞賛するのは、黒薔薇の少女。柔和に目を細めるその姿は愛らしくも、なんと無慈悲であろうか。
黒薔薇の棘はとっても痛いよ? 花言葉のように、捕らえたら永久に逃がさない――そう、妖美に語って。
禍々しき紺碧の鎖鞭が宙を泳ぐ。大海を逆巻かせるが如く、童女へと荒々しい一撃を喰らわせた。
そして麻夜に次いで、ユリアが躍り出た。
爽やかなブロンドの髪をそよがせ、大きな翠の瞳が射止めるのは、今もなおふらつく薔薇童女。
「動き回られると厄介だから、動きを封じさせてもらうよ」
可憐な容貌に相反し、敵へと迫る様は果敢に。然れど、彼女が放つ氷晶は月光のように輝いて。
冴えわたる無数の欠片は、薔薇童女たちに痛撃と眠気をもたらした。
第一の目標である童女だけは、睡魔に逆らい抵抗する。しかし蓄積された傷は重く、苦痛の嗚咽を弱々しく漏らした。
だが、このまま為す術もなく倒れ伏すほど悪魔(ディアボロ)は脆弱ではない。
「キシャアアアア!!!」
言葉にならぬ恫喝。その咆哮に合わせ、傷ついた童女は周囲に棘を撒き散らした。
狙いはそう、顕現した天使の翼で空を翔ぶロジーへと――。
「くっ……薔薇はあたしの大好きな花ですのよ。それを汚すディアボロになど、決して屈しませんわ!」
ふわり、流れるような律動で。悪しき薔薇を翻弄する為、眞白き天使が空を舞う。
傷をどれだけ負おうとも、彼女の想いは揺ぎはしない。
ロジーの健闘によって錯乱される薔薇童女の隙を突き、クロエが敢然と駆け出した。
携えた曲刀の刃が、朝日を弾いて毒々しい光を零す。彼女の剣が定める標的は、醜くもがく童女の足。
――あまねく全てを護る盾、そして剣となるべく。誇り高き矜持を以てして、鋭い一閃を叩き込む。
「クアアアアアッ……!!」
絹を強引に裂いたような悲鳴が薔薇園一帯に響き渡る。
この大音量から察すれば、管理小屋で我が子の無事を祈る彼の耳にも届いているのかもしれない。
断末魔の叫びをあげた薔薇童女は哀れにも、萎んだ花のように身体が色褪せて朽ち果てていった。
「これで二体、か――。問題ない。すぐに完了させよう」
もはや美しさなど皆無。本性が獣と化した薔薇童女二体を横目に見やり、クロエは怜悧にそう判断して剣を構え直す。
この薔薇園へと到着してから、どれほどの時間が経過しただろう。
朝日は舞台のライトのように、戦場をまばゆく照りつける。もしこれが演劇であるならば、中盤に差し掛かったところであろうか。
彼らは舞台役者か? 違う。ならば花園を護る庭師か、それとも狩人か。――否、唯の撃退士(ブレイカー)である。
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花園に溢れ出てるのは、煌びやかな異能の光たち。
時期どころか時間すらもそぐわない。然れど、宵闇を飾るイルミネーションのように美しく明滅していた。
「性質の悪い薔薇は、しっかりと刈り取らないとね」
気配を忍ばせて、ユリアが不可視の矢を生み出し放つ。
『Hidden Moon』が童女の身体を射止めた瞬間、鮮やかな月明が閃いて痛烈な一撃を与えた。
敵のひるんだ様子を見計らい、るりかが一気に突進する。そのまま鍛えられた脚力を振り絞り、豪快な回し蹴りを浴びせた。
ぐらりと滑稽に崩れかける薔薇童女とは相反し、るりかは軽やかに着地する。
だがその時、背後から迫り来るもう一体の薔薇童女が、彼女の瑞々しい首筋めがけて喰らいついてきたのだ。
「……痛ッ!?」
「! るりか……! お前ら、絶対に許さねぇ!」
凄惨なその光景を目にして、慎は黙っていられなかった。純真な義憤が心を支配し、彼の眼をさらに紅く灼き焦がす。
ヒュン、と空を切る音を立て、小さなその手から創造されるのは風の手裏剣。
無論、花壇に被害が及ばないよう留意して。下から上へと伸びやかに投擲し、童女の左胸へと深く突き立てる。
それが決め手となった。心臓に手を当て、下品にも低い呻き声を漏らして童女は静かに崩れ落ちてゆく。
残るは一体のみ――。飛翔するロジーが腕時計をチラリと見やり、現在時刻を確認する。
短針が指し示すは『8』の数字。この調子で運べば、開園時間にも間に合うことだろう。
しかし、安堵するにはまだ早い。手早く決着をつけれるよう、確と皆を支援せねば、と。
弓を引く手に力を込め、改めて決意を固めたと同時に童女の身体を射抜いた。
「クロエ、今ですわ!」
「礼を言う。一気に畳み掛けるぞ――!」
それに続いて、クロエが疾る。上空の天使へと恩を告げるその声色に迷いはない。
我が身に宿るアウルの恩恵を発揮しながら、凄まじい膂力を奮って斬撃を繰り出す。
刃を通じて、確かな手応えを感じた。ぼとり、と枝のようなものが転がる。蜘蛛足の一本を斬り落とすことに成功したのだ。
歯を食いしばり、傷ついた身体を両腕でかばいながら薔薇童女は狼狽える。
無理もない。同胞たる二体は腐敗した姿でぐったりと倒れ、ピクリとも動くことはないのだ。
それに足の一本を失った今、まともに動くことも――ましてや撤退などできる訳がない。
いずれ己もこの末路へと辿り着く運命にあることは、痴愚な部類に属するディアボロであろうと容易に想像ができた。
その時、ふわり。虚空に揺蕩う黒羽根が童女の視界をかすめる。まるでそれは死への切符のように――。
「さぁ、堕ちよう? ボクより黒く、真っ黒に……」
そう告げた麻夜の身体に再び、刺青のような不可思議な模様があらわれた。
ワルツへと誘うように微笑み、手招いて。それが合図。黒の少女が捧げる『オシマイ』。
宙に揺らめく無数の黒羽根は鋭利な刃となりて、嵐のように薔薇童女を襲う。
「…………ッ!!!」
最期の絶叫を発する自由すら許されることなく、悪しき赤薔薇は溶けるように崩れ去った。
その美貌も、長い髪も、無骨な蜘蛛足も。然れど――ただ、一つ。
繻子のように麗らかであった赤い薔薇の花弁だけは。童女の身体が溶解したと同時に、風に遊ばれて消えるように何処かへ飛んでいった。
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「じいちゃん、薔薇園とりもどしたよ!」
コンコン、という扉のノック音とともに、慎が良き知らせを真っ直ぐ届けに来てくれた。
すぐさま管理小屋の扉を開く。真っ先に飛び込んできたのは、希望に満ちた元気な笑顔。
「本当かい……坊や……?」
恐る恐る、管理人が慎へ訪ねてみれば、「じいちゃんの目で確かめて!」と手を握り、薔薇園へと導こうとしてくれる。
長時間戦っていたのにも関わらずこんなにもパワーが有り余っているのは、彼が自然の環境で伸び伸びと過ごしていたからであろう。
はつらつとした少年の姿を見て密かに関心しながらも、管理人は慎と共に庭園内へと訪れた。
――本性を見た瞬間から畏怖の念を抱いていた悪魔たちなど、そこには存在しなかった。
いつも見慣れた、もう一つの我が家のようである庭園はあまり荒れることなく美しさを保っていて。
常に我が子のように愛してきた赤薔薇たちも、ちゃんと無事であった。
薔薇園の門をくぐった管理人に気づいて、撃退士たちは笑顔で出迎えてくれた。
明るい笑みのままで、ユリアが管理人のもとへやってきて「おかえりなさい!」と大きく一礼する。
「薔薇はみんな守ってみせたよ。あとで皆と確認してみたけれど、傷ついた花は特に無いみたい♪」
「けど、ベテランの管理人さんのが薔薇に関しては詳しそう? 再確認もお願いしたいな」
その話に次いで、落ち着いた声音で麻夜が補足する。開園の前に剪定も行うはず。それに一輪一輪の薔薇の安全を確かめて愛でる為にも、そう頼むのは丁度良いであろう。
「それで……開園までの間、私たちで掃除を手伝わせて頂きたいのですが、かまいませんか?」
六人みんなで、頑張って綺麗に致しますよ――柔和な表情でるりかが願い出る。
優しい彼らの気遣いに、管理人は思わず目頭が熱くなる。
悟られないよう手で雫を拭いながら、しわだらけの顔を安らかに綻ばせて「ありがとう」と、頷いた。
一人で勤めていた庭園の掃除も、今日だけは七人で。
無論、普段よりも早々とはかどり、あっという間に薔薇園は『日常』の姿へと戻っていった。
「あの、管理人さん。あたしも趣味で薔薇を栽培していますの。
先輩として――ノウハウを教えてくだされば嬉しいですわ」
にこやかにそう希望したロジーへ、勿論だともと管理人は笑って優しげなトーンで知識を語り始めた。
どうかこの会話が、管理人さんの心を癒せるように――と、救済を願ってロジーは彼の話を拝聴する。
薔薇園を心行くまで鑑賞させてもらいたいという、クロエの申し出にも管理人は快く承諾してくれた。
「娘たちが咲き始める時期ならば、いつ遊びに来てくれても歓迎するよ。今度は秋――になるだろうかな」
撃退士の皆さんには深い恩義ができたのだから。改めて、管理人は恩人たちへ深々と頭を下げた。
――現在時刻、午前10時0分。
朝日の光と愛情に恵まれて、今日も赤薔薇は咲き誇る。