●迫りくる何か
いよいよ夜風が肌寒く感じてくる。そんな夜だった。
依頼の目的地である青い橋の上に、見た目若い男女が歩を進めている。
過去に何組ものカップルを犠牲にしてきた『悲恋橋』。
その青い橋を薄明るく照らしているのは、アイリス・レイバルド(
jb1510)の持つ懐中電灯の光だ。
観察狂であり、オカルトも好む行動派のアイリスならばこの都市伝説も何処かで聞いた事があるかもしれない。
ただ、その時は運が良かったか悪かったか、相方と呼べる存在が居なかったもので二人以上が必須のこの伝説には迫れずにいた、という所だろう。
「一般人を餌にするわけにもいかなかったからな」
橋を渡る前にそう呟いたアイリスの顔は、無表情だが何処となく機嫌が良さそうだった。
藍那湊(
jc0170)はそんなアイリスの横顔を見て思う。
湊がアイリスの半歩後ろについているのは、情報に有った奇襲を警戒する為だろう。
それは自身の危険察知にも繋がるが、アイリスの盾となるべくしての行動という事も有る。
いくら囮役とは言えども、女性が目の前で襲われるのを黙って見ているのは頂けない。
背後からの奇襲に備える湊の前方で、同じくアイリスも警戒心を解けないでいただろう。
と言うのも、どうも生命反応に違和感を覚える。
何者かに見られている感覚は有る。背後だ。そしてそれは湊からのものでは無い。
それなのに、姿を現す気配が無い。
まるで橋の中心まで誘き寄せられているかのようである。
二人の声が届かぬ茂みの中から、女性が呟きを発する。
「さてェ……どうやって来るのかしらァ……?」
「ちょっと待って……」
今度は男性の声だ。
その声音は集中している為か、静かで冷静な音を立てている。
「どのあたりにいるのかってわかれば、そこを注意して奇襲に対応できるんじゃないかと思う」
今、残る六人の撃退士達は軋む悲恋橋を挟むように両側の物陰に待機している。
湊とアイリスが渡る後方を黒百合(
ja0422)、立里 伊吹(
ja3039)、龍崎海(
ja0565)。
前方には佐藤 としお(
ja2489)、ミハイル・エッカート(
jb0544)、アルティミシア(
jc1611)。
アイリスが感知した生命の気配が移動するのを、橋の外側で待機していた海も二度目の探知で気付くだろう。
息を潜める六人の中、しかし、と伊吹は小声を出す。
「同性ペアもOKだなんてディアボロもフリーダムだねぇ」
今回橋を渡るのは歴とした男女だ。遠目から見れば女性二人に見えなくもないが。
このディアボロ達の行動に置いて、重要なのは『カップル』なのでは無く、『仲の良い二人組』なのかもしれない。
「風評被害、って言うのかしらァ、迷惑だわねェ……」
苦笑する伊吹の台詞を黒百合が次ぐ。
ろくに手入れもされていないような草木が低身長の黒百合をすっぽりと覆っているが、その間から漏れ出る金色の眼光は橋の男女をしっかり見据えているようだ。
伊吹と黒百合が位置する中央で、海の眉根がピクリと動いた。
同時、湊の携帯が派手な音を立てずに振動する。
海さんからのサイン……。
それは敵を確認した合図。
と同時に、敵からの攻撃の合図。
アイリスの横に立ち、二人は一瞬のアイコンタクトを送る。
勢いを付けて二人が振り向いた先に見たもの。
それは、橋を渡る前から月光に照らされ、浮かび上がっていた。
自身らの影が泥の様な質感と根深い悪意を持ってして、膨らみ上がる瞬間だった。
●影の襲来
「あれが影のディアボロか」
現れてすぐに銃を胸元に構え上げたのはミハエルだ。
攻撃を仕掛けるべく瞬間的な移動を開始するこの間にも、状況は刻一刻と変化する。
アイリスと湊の背後に現れたディアボロ、シャドウストーカーは現れると同時に右手の刃を振り上げる。
彼らが身構えるより速く、シャドウストーカーは彼らの影から分離すると出て来た影の主へその黒い刃を振り下ろす。
海の創造した鎧は少し距離が届きそうにない……!
「……ッ!」
刃が湊の身体を掠めた。肩か? 脇腹か?
機動力が即座に低下していないところを見ると足では無い。
交錯する二つ目の刃を前に、黒い粒子を結束させたアイリスの防壁がそれを拒む。
間一髪、事前の探知と海からの合図で察知出来ていた彼らは、身構えるのにそう時間は掛からなかった。
多少の衝撃は走ったものの、大事には至らなかったようだ。
ほうっ……と息を吐く湊の胸元を、一筋の赤い線が走っている。
表情の無いシャドウストーカーの顔部分が、一瞬更に黒ずんだ気がした。
自身の刃と、湊の傷を見比べる。
確かに心臓を目がけた筈だが……。
そう言いたげなシャドウストーカーの前方で微かに硝煙の匂いがした。
「ストーカー紛いのスキルならインフィの僕にお任せを!」
突然の声に、橋上の二人も咄嗟にそちらへ武器を向ける。
「……って僕はストーカーじゃないよ!」
誰よりも遠く離れていた筈のとしおが銃を構えて佇んでいた。
集中していなければ味方とて気付かなかったかもしれない。
慌てて否定の言葉を述べるとしおに、シャドウストーカーは刃を向けた。
この男の銃弾で軌道を逸らされたのか……。
言葉の無い怒りを発するシャドウストーカーに、四……いや五つの影が踊り出る。
立て続けに突如として目の前に現れたミハイルに気を取られたシャドウストーカー達に向け、両側から銃弾が飛び交った。
「躱せるかしらァ……?」
悪戯っぽく笑む黒百合の前方で、シャドウストーカー達が銃弾に身体を揺らめかせる。
再び攻撃に転じようとするシャドウストーカーの腕が、ピタリと止まった。
動かないのでは無い。動かせない。
シャドウストーカー達は気付けなかった。通常の銃弾と共に電撃の混じった物が被弾していた事に。
「手も足も出せないまま、黙って倒されろ」
電光の軌道を辿る事が出来たならば、その先に見えたのはダークスーツに身を包んだミハイルの姿。
冷静な台詞とは裏腹に、ワインレッドのネクタイを荒々しく揺らした姿からそれが放たれていた。
そして更に気付かされる。
眼前で銃を構える者共に対し『銃弾が多くないか』?
それはアイリスと湊が左右に半歩ずつずれた瞬間、ミハイルととしおが僅かに下がったその一瞬の隙間。
シャドウストーカーの頭部に誰のでもない銃弾が命中する。
「良い子には、平穏と安息を、悪い子には、鉛玉を、プレゼントです」
橋からは少し離れた木々の上。
小振りな体躯と同じくらいのライフルを構える赤い悪魔の姿。
そこから橋までの直線状には何も障害となる物は無い。
且つ、夜目を効かせたアルティミシアの瞳ならば絶好の射撃ポイントだ。
体勢を崩したシャドウストーカー達は惑う。
一旦後ろに退くか? いやこちらもダメだ。
そこには大鎌を振りかぶった伊吹が……。
「当たれっ!」
緑色の刃がシャドウストーカーを上から下に斬り裂く。
その横脇から飛び出てきたのは海の持つ野太い槍。
それが、黒い影の塊を貫いた。
ピクリ、と上半身を動かすシャドウストーカー……が、右手の刃の先から形が崩れて行くのを撃退士達は確認する。
海の槍にもたれるように身体を崩す。頭部が、右手が左手が、熱に当てられた黒いスライムのように溶け……そして消えていった。
一体が倒れた直後、もう一体のシャドウストーカーが自身の影を増幅させる。
その醜悪な塊が目一杯膨らんだ時、突然影が弾け飛んだ。
いや、自身の力ででは無い。
ミハイルが銃を片手に、シャドウストーカーへ渾身のフルスイングをお見舞いしたからだ。
影を横凪にした隙間からワインレッドのネクタイがゆらりと姿を現す。
思わぬ攻撃に怯んだシャドウストーカーの頭上から、十枚の十字羽根が降り注いだ。
避ける暇は無い。躱す隙間は尚無い。
十枚にして一身、まるで意思を持ったアイリスの操る影の従者がシャドウストーカーを切り裂く。
前も駄目。後ろも駄目。ならば下方に逃げるのみ。
態勢を立て直そうとシャドウストーカーは橋の影へ同化しようと試みる。
しかし、その身体が溶け込む事はなかった。
先程の電撃の効果が残っていたか?
いや……違う。
「逃がさないわァ……」
今度は自分の影自体が動かないのだ。黒百合が影を拘束しているが故。
またも惑うシャドウストーカーの腹部を、アルティミシアの銃弾が貫く。
完全な挟み撃ちとなったそこに、前方から湊、後方からは伊吹と海の刃がシャドウストーカーを縦横に裂いた。
「としお先輩!」
湊が後ろを向かずに彼へ呼びかける。
返事の代わりに駆けたとしおが、自分の持つ全ての銃を宙へ放った。
瞬間、降り注いだのは銃弾の雨。
暗闇に浮かぶ銃身から、鉛が間髪入れずに撃ち放たれる。
橋の上で銃が踊る。銃弾が舞う。ディアボロがまごつく。
やがて一方的なパレードの終焉は、苦しそうに悶え、闇の中に霧散するシャドウストーカーの最期で幕を下ろした。
●捧げる酒
「こんな所で、突然命を、断たれたのですね。その元凶があれですか」
改めて橋を見渡しているのはアルティミシア。
『あれ』によって犠牲になった人々は多くいる。もしかすると、報告に無かった人達もいるかもしれない。
「怪異が先か天魔が先か……まあ今後辻斬りは起こらないだろう」
模倣犯は出るかもしれないが。とアイリスは心の中で付け足す。
「ここは安全アピールしようぜ。そして俺は腹が減った!」
無邪気にそう切り出したのはミハイルだ。
未だに場所が場所なので住民を誘う事は出来ないだろうが、撃退士達だけならばそれも可能だろう。
言い出したミハイルがドサリと携帯の飲食物を取り出す。
何やら数が多いなと見ると、黒百合も同じくちゃんと準備をしてきていたようだ。
少々気が早い気もするが、伊吹の置いたパンプキンランタンが青い橋を朧げに照らす。
雲が覆う空の下、海はちびちびと酒を口にする。
酒は得意じゃないが、清めの酒、という言葉も有る。
何よりこの宴会が意味するのは、この場所の安全宣伝の為だ。
海は夜空を見上げまた一口。
丁度雲間に月が顔を覗かせていた。
横に立つ金色の髪が目に入り、声を掛ける。
「アイリスさんは飲まないの?」
その女性、アイリスは無表情でチラと海を見た。
「別に宴会に混じるのは構わないが、私に話術の類は期待するなよ」
観察狂は風情のある景色も好む所があるという。
個人的には怪異には悪戯に手を加えないという思いもあるが、発祥自体が天魔事件の影響とも考えられるなら厄払いを否定する事もない。
この橋からの眺めも物静かで中々の場所だ。
ふと賑やかになっていると思えば、ミハイルと黒百合が花火に火を着けているところらしい。
「おー……」
湊が感嘆の息を漏らす。
実は、実物の花火というのを見るのはこれが初めてだ。
火は苦手だが……この花火はとても美しい。
「花火か……職人の業というのは嫌いじゃないぞ」
歩み寄ったアイリスが、誰にともなく言った。
市販の花火でも様々な種類が有る。
今、としおに向かって飛んでいったのはねずみ花火という物だ。
近隣には配慮し、盛り上がるが大騒ぎの無い賑やかな宴会。
「近所迷惑にならない程度なら良し……かな?」
伊吹もそんな仲間達を見てのんびりと虫よけのアロマを焚いている。
色とりどりの火花が散る中、黒百合の持つ花火は淡く火の玉を灯す。
実物は見た事が無いが、聞いた事がある。
線香花火で願掛けが出来るらしい。
この火種が落ちるまでに願い事を唱え、火種が最後まで落ちなかったら願い事が叶うというもの。
この橋の上でも、勿論……。
知り合いにも、湊自身にも大切な人がいる。
そういう人達が、いや、これからそうなるかもしれない二人が幸せになれるような、そういうジンクスに変わりますように。
そう唱えた願い事は届いただろうか。
「あらァ……珍しいわァ……」
黒百合が言ったその台詞が、きっとそれを物語っているに違いない。
宴会もお開きとする頃、最後に全員で黙祷を捧げた。
お供えにミハイルの買ったワンカップ酒。
線香の匂いが橋に染み渡る。
「何度経験しても、人の死とは、哀しいものです」
合わせた手を解き、アルティミシアが不意に呟いた。
「静かに悼み楽しみ、皆さんを、送り出して、あげましょう。生まれ変わったら、ボクと友達に、なりましょうね」
背丈の違う八人の背中を、温かい風が一つ、撫でて行った。
●悲恋は去る
解決後、黒百合の助力によって近隣住民には噂が回った。
あの橋で襲われる事は無くなったらしい。
事件は天魔が関わっていたらしい。
その天魔も、とある撃退士達によって討伐されたらしい……と。
その噂が立ってから、公園にはまだまばらだが人が遊ぶ姿が見え始めた。
近々、青い橋も新たに改修されるそうだ。
『悲恋橋』にも、新しい名前が付けられる事だろう。
その時には、是非また訪れて頂きたい。