●君に何が出来ろうか
夏の夜。今年は、例年に比べれば幾分か涼しげな気温が目立ったかもしれない。
それが元々の気温からなのか、時々降る雨の仕業なのかは判らないが、それでも蒸し暑く感じるのは依頼に対する集中も有るのかもしれない。
廃工場は然程辺鄙な場所に無く、思ったより市街地とそう遠くない一角に佇んでいた。
と言っても深夜帯ともなれば、やはり人通りなど無いに等しいだろう。
そんな中、一つの小さな光源を手元に動く影が有った。
影の姿は青年、青年の名は深谷幸一。
天魔が居るとは知ってか知らずか……いや、実際知らなかったのだろう。廃工場に向かう足は何処となく意気揚々としたものを感じる。
しかし、早速ではあるが彼は後ろを追跡する男、仁良井 叶伊(
ja0618)の存在には気付けなかった。
研ぎ澄まされた彼の感覚は、足音も、呼吸すらも感じさせずに対象の意識を向けさせない。
幸一が尾行されているなどと知る由も無く廃工場に入ろうかという頃、新たに動く影が一つ加わった。
金色の双眸は相手を見据え、しなやかな足運びは一切の無駄な音を発さない。
まるで闇夜を駆ける猫を彷彿とさせる水無瀬 快晴(
jb0745)のその動きは、ゴーグルと相まって目標をしっかりと捉えるには充分であった。
(全く、思い込みというのも怖いものだねぇ?)
音の無い溜息が生暖かい夜風を揺らすのと同時だったか、それは工場の中から唐突に聞こえて来た。
「んん……!? 何だお前ら……」
踏み付けられる砂利の音、困惑する声。
幸一がディアボロと接触したのは火を見るよりも明らかだ。
早速か、と叶伊と快晴は頷き合い、瞬時に行動を移行させる。
既に快晴は銀に輝く光を纏い、それを確認した叶伊が仲間へと連絡を入れる。
それが行動開始の合図となった。
「合図が来たみたいだね」
じっと様子を伺っていた内の一人、九鬼 龍磨(
jb8028)がそれを確認し、皆に告げる。
彼らはいつでも臨戦に望める場所に位置している。且つ、予めGPS機能の付いた携帯機器を快晴から各メンバーに配られているので位置把握も問題無い。
「仁良井さんからの連絡が来ました。接触するようです」
鈴代 征治(
ja1305)が続けて報告する。
確かこの前は撃退士を辞めようとしてる人を説得するのが依頼だった……今度は撃退士でもないのに危ないことをする人間を説得。
つくづく、不思議な事もあるものだ。
小さくかぶりを振って想い馳せただろうか、その征治の横でも、黒色のゴーグルを軽く指先で押さえ上げた翡翠 龍斗(
ja7594)の姿が有った。
どうやら、ある種の病気を拗らせると厄介な事になるようだ。
「EXAM、システムスタンバイ……」
彼らの前では皇 夜空(
ja7624)が既に光纏を完了させている。左目に現れた薄い青色のモノクル状に見える物体……それが戦地に赴く準備だろう。
後ろではErie Schwagerin(
ja9642)が淡い光球を発現させてゆったりと佇んでいる。
「準備出来てるわ。さぁ行きましょう、フローラ」
呼び掛けられて、フローライト・アルハザード(
jc1519)は無表情だが小さくかぶりを振る。
Erieに対して情け容赦の無い魔女という認識の有る彼女には、Erie──シュヴェーゲリンが揺らめかせる赤い長髪の後ろ姿が、何処か楽しげに見えたからだ。
●
廃工場で待機している叶伊と快晴の元へ向かうまでは、然程の時間も掛からなかった。
だが、やはり全員が揃うまでの若干のタイムロスは否めない。
工場内では今や、幸一の目と鼻の先にそのディアボロ達は息を荒げていた。
「ま……ま、ままさか……本当に……!」
これが天魔……?
この、いかにも醜悪で、人間の知識から逸脱したような生物が……?
いや……駄目だ、これは……死ぬ……!
一瞬にしてその結末を彼は悟る。体の筋が硬直し、手元のライトがスルリとに手の中を滑って落ちた。
工場内の割れたガラスと鉄のぶつかり合う音が、場内に響き渡り……。
そしてディアボロ──人狼達の攻撃の合図になってしまった。
人狼の内一匹が大の大人程の身長もあろうかという鉄パイプを振りかざす。
「ひッ……!」
……が、その一撃が幸一の頭部へ到達する事は無かった。
「……よし」
叶伊の放った矢の弾道が、人狼の鉄パイプを弾いたからだ。
何処からともなく飛来したその攻撃に、人狼達も、幸一さえも一瞬あっけに取られる。
その隙を突き、幸一と人狼の間に快晴が割り込んだ。
途端、周囲の温度が下がった事に幸一は気付く。
氷の旋律、まるで幻想的な絵画の一作品……にも見えたろう、彼には。
「……眠ってそのまま凍り付けばいい」
快晴を中心とした凍てつく調べは、人狼達を貫き、そしてその場に崩れ落ちさせる。
が、鉄パイプを持った人狼だけは辛うじて意識を保っているようだ。
再び攻撃に移るかに見えたその人狼だったが、何故か明後日の方向を凝視している。
視線の先にはなだらかな白い長髪をしたやや小柄な女性が、紅く輝く双眸をして同じくこちらを見つめていた。
その女性、フローライトが徐に移動すると、吸い寄せられるかのように人狼も彼女を追っていく。
同時に、複数人の足音と姿が乱入してくるのを幸一は感じ取った。
「動かないで! 撃退士です!!」
征治がフラッシュライトを投げ置き、凄みの籠る声音で幸一の元へ駆け寄る。
その気迫に押された幸一は腰を抜かしたままただ茫然とへたり込むのみだ。
「大丈夫ですよ。今のは『普通の人』に少しの間だけじっとしていてもらう能力ですから 」
普通の人。それが、今の幸一には良く理解出来た事だろう。
「こんばんはー……っと……?」
安全優先の為龍磨も幸一の確保に来たのだが、少し予定とは外れてしまった。
出来れば気絶していた方が有難かったかもしれない……が、気迫の威圧では怯ませる事は出来ても、気絶はしてくれないようだ。
怯みきった幸一がギリギリ保てる視界の端で、緑色の髪が揺れ動く。
「敵の動きを一時的に止める。成否に関係なく、俺が使ったら迷わず敵ごと範囲攻撃で薙ぎ払ってくれ」
「りゅとにぃは、相変わらず、だねぇ?」
そう返す快晴をよそに、敵の中心へ躍り込んだ龍斗が結界を発動させる。
幸一にも影響が及ばない事は確認済みだ。
結界は瞬く間に人狼達を拘束に掛かる。
……が、またもや鉄パイプを持ったその一匹だけは抵抗に耐え打ったようだ。
「しぶとい奴だ……!」
龍斗が後退して即座、人狼達を爆炎が包み込む。
「……さぁ、派手に行こうか」
色付く炎の余韻を残す快晴が次の行動に備えた時、夜空も一歩前に踏み出した。
「我に求めよ。さらば汝に諸々の国を嗣業として与え地の果てを汝の物として与えん」
幸一にも聞き慣れない言葉が木霊する。
「汝、黒鉄の杖をもて彼らを打ち破り、陶工の器物のごとくに打ち砕かんと。
されば汝ら諸々の王よさとかれ、地の審判人よ教えを受けよ。
恐れをもて主につかえ、おののきをもて喜べ。
子に接吻せよ。恐らくは彼は怒りを放ち、汝ら途に滅びん。その怒りは速やかに燃ゆベければ。
全て彼により頼む者は幸いなり」
途端、夜空の右目が紅く染まり上がり、魔具が光沢を得ていく。
拘束に苦しむ人狼達が眼前にしたのは、輝ける夜空の腕……そして黒色の躊躇い無き衝撃波。
そこへ、気配の外から放たれた叶伊の一撃が加わる。
意地を見せていた鉄パイプの人狼が振り下ろした一撃は、結局誰に当たること無くフローライトの堅牢たる壁に阻まれて終わった。
「皆、撃つわよぉ」
クスリと微笑したErieの頭上には、既に火球が形を成している。
彼女の言葉に、前線に集まっていた龍斗、夜空は二方向へと散った。
業火が飛来する。紅の爆音が廃工場を震え上がらせた。
「恐れず攻撃を一寸で見切れば、どうということはない」
炎の向こう側で冷静な青い瞳が瞬きする。何ともなしに龍斗が業火の熱気を軽く振り払うのが見えた。
跡に残ったのは、獣とも人間ともつかない灰のみ。
最早、害を成す者は塵になって霧散するのを待つだけだ……。
●
「さて、撃退士なら、不測の事態でない限り単独で任務には当たらない。それ以前に、お前は撃退士なのか?」
消滅した人狼のディアボロを尻目にして、幸一は座り込んだまま龍斗の質問を受けた。
若干腰から下が小刻みに震えているが、虚勢を張れるだけの元気は取り戻したらしい。
「お、おう! 俺ぁ撃退士だ。間違えてもらっぶっほあッ!?」
不意に幸一が後方に吹っ飛んだ。
優に自分の身長以上は飛んだのではないだろうか。
「ちょ……いきなりなん……」
「たかがその程度で笑みの一つも浮かべられないなら貴様に撃退士たる資格など無い、二度と騙るな、次は殺す、必ず殺す。もとより俺はそういう性質だからな」
何より恐かった。むしろさっきより今の方が恐いかもしれない。
と言うよりまず痛かった。
八人に囲まれた上でほぼ全力の拳と脅しは彼を委縮させるなら十分だった筈だ。
「取り敢えずちょっと覗かせて貰うわぁ」
幸一の額にErieの手の平が置かれる。
少し甘い、林檎の香りが幸一の鼻孔を擽った。
Erieの脳内に幸一の記憶が流れ込む……。
とても暗い部屋だ。そしてあちこちが散らかっている。独り暮らしのようだ。
何処かの学校の制服が掛かっているのが見えるが、埃を纏ったビニールで被せられている。
既に高校までは卒業しているのかもしれない。
何より気になったのが、記憶の中の幸一の眼前に在るノート。
「えーっとぉ、『詩集』?」
以下、記憶の中の引用文である。
『 夏が太陽を呼んでいる。 夏も また太陽を呼んでいる。
あぁ、夏草がお顔を見せているよ。
雲だってほら、燦々輝く太陽と行ったり来たりの隠れんぼ。
お草にちゅっ 太陽にちゅっ あの子の頬にも、チュッ。 』
「……だってぇ」
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!」
一言一句違えずに読み上げて下さったErieの眼前で、幸一は崩れ落ちた。
他のページと比べて綺麗な字で書こうとしているところが妙に腹立たしい。
他にも『俺の考えた口上100』や『No・01』と記された謎の缶バッジ、等々……。
何ともそわそわしてくる記憶ばかりだ。
何秒かの沈黙は流れたし、フローライトなら疾うに興味を無くしている。
因みに『俺の考えた口上100』は30個程しか埋まってなかったそうな。
「で、何でこんな事したの?」
事情を問いただす龍磨に、幸一は答える。
「お、俺……撃退士に憧れてたんだ……それだけだ」
聞いてみれば、話は簡単だった。
幸一は遠い昔に見た撃退士に、少年心を擽られた。
俺もいつかあんなカッコいい武器を身に付けて、天魔と戦って、皆から一目置かれるような人間になりたい……いや、なってやる!
そうしていつしか彼の行動は歪曲し、ホラースポットを巡るばかりの毎日になっていたそうだ。
龍磨は全てを聞いた上で、こう説く。
「運はいいのだろうけど、ね」
今日より酷い事は有る。
「僕なんかこの前あやうく死ぬところだったんだ。そういうものなんだよ」
それに撃退士でなくとも、格好良い行動なら他にも沢山有る。例えば人に親切にするだとか、そういう小さな事も大事だ。
基本的には幸一と変わりは無い。
「僕らはたまたま力を持っているから、できることが大きいだけ」
ゆったりと諭す龍磨の口調に合わせ、龍斗は静かに息を吐いた。
天魔討伐は、子供のごっこ遊びの延長ではない。
幸一も今回の件で自分の一般人という立場が良く身に染みた筈だ。
Erieは今一度フローライトの方に視線を送る。
が、彼女は『不要だ』と言わんばかりにその視線を叶伊にパスした。
「私は……」
一呼吸置き、叶伊は口を開く。
「単に『撃退士の適性』があるだけではなく、その上で『戦う為だけの才と豪運』『狂気にも似た覚悟と努力』の果てに辿り着いたのが『戦える撃退士』で、何れかを無駄だと思うなら関わるべきではない……そう思います」
最後に、征治はこう提案した。
もし撃退士の仕事に携わりたいなら、久遠ヶ原学園でオペレーター等はどうか? と。
それを聞いた幸一の顔は、あからさまにキョトンとしていた。
「え? そんなんあるの? マジ?」という顔だった。
深夜を回った夏の夜。
この一件は、取り敢えずの幕は引いただろう。
●後日談
あれから数日。
かの依頼人の友人、深谷幸一の奇行はあれからスッカリ治まったらしい。
代わりに、今回の体験を活かして一つノベルを作っているとか何とか……。
本当に懲りているのかいないのかが判らないが、もしかすれば新たな道に開花していく……のかもしれない。
夏は、まだもう少し続きそうだ。