●愛想無き彼
十月も後半を過ぎたある昼の事。
暗めの茶髪をしたその青年は、ここ、久遠ヶ原学園の事務所を訪れていた。
付き添いは居ない。そう相談を持ち掛けられる相手が居なかったのかもしれないし、むしろ彼からしてみれば必要無かったのかもしれない。
事務員から簡単な説明を受けている間も無表情。
そうして事務員が一通りの説明を終えた時、貴方達は訪問の知らせを受け、集まった。
「……なので今回は在校生の人達に実際に……あ、丁度来たみたいですね」
事務員が撃退士達に気付き、視線を移す。釣られて葵もそちらに目をやった。
「では、後は宜しくお願いしますね」
そう言い残し、事務員は所内へと戻って行く。
無言で頷いた葵へ最初に話掛けたのは濃緑色の外套を身に纏った青年、若松拓哉(
jb9757)。
「大学部1年の若松先輩ですよー、敬語とか緊張とかは無しでいこうや?希望くん」。
元々緊張はしていなかったのか、案外図太いのか、兎に角真っ先に自己紹介をしてくれた拓哉、牽いてはこのグループ全体に対して悪い印象は抱かなかった。
律儀にこちらも簡素な紹介を返す。
「……雁真葵……今日は悪いが、案内を宜しく頼む」
相手側からの話掛けで多少の壁は取り払われた、のだろう。
これで少しは案内もし易くなったはずだ。
早速校内の案内へと計七人の足が進み始める。
「さて、どこから案内しようかねぃ」
事務所、先程の位置から然程離れていない場所で九十九(
ja1149)がポツリと呟く。
案内する場所はある程度決まっていれど、その順番は特に決めていない。
揺れ動く黒の長袍と三つ編みを尻目にして、彼の言葉に応える様にヴァルヌス・ノーチェ(
jc0590)が名乗り出た。
彼らが最初に訪れる事になった場所は、この学園でも一般的な訓練施設だ。
あれは何だ?
ここは何をする所なんだ?
無表情なのは変わらないが、葵が興味を抱いたのは確かだ。
「……女性も居るんだな」
別に偏見からの発言では無い。
ただ、先程から男女の比率が然程変わらない事に、単純に葵は驚いていた。
葵とそんなに変わらない年齢で、それもパッと見て女性らしい女性ばかり。中には葵より華奢な撃退士も見かける。
「撃退士というのは、お前の様な女でもやる中身は変わらないものなのか?」
その質問を受け、ヴァルヌスは可愛らしい顔を傾かせた。
相手からの返答が無いので、葵もジッと返答を待つ。
少し、妙な沈黙が流れた。
その沈黙に紅一点……と言ってしまって良いものか、沙 月子(
ja1773)が割って入った。
とは言っても癖で葵に直接言う事はせず、知った顔の九十九の長袍をクイクイッと引っ張って彼を経由で耳打ちする。
「ヴァルヌスさんはねぇ……」
それを聞いて、葵はいつもの真顔で視線をヴァルヌスから月子へ、月子からヴァルヌスへと移し替えた。
「……済まん、男か」
真顔で謝る葵。
そして彼は葵と共に施設の中を見ながら静かに口を開き始める。
「僕がこの学園に来たのは、ですね」
ヴァルヌスの移動する姿を、葵は目で追う。
「娘が……ああいや、娘といっても、孤児だった子を保護して育てた人間の子供、なのですが。彼女が撃退士になりましてね。それでその、どうしても気になって……」
「……俺にはそう思ってくれる親は居ないからな。気持ちは解らんが……そうか、そういう者が身近に居る事もあるんだな……」
ずっと独りだった葵には、その言葉が寂しくも、少し羨ましくも有った。
この学園には自分と同じような境遇の生徒も居るのだろうか。
「……そろそろ次に行こうかねぇ」
頃合いを見計らって、九十九が声を掛ける。
そうですね。と誰かが言うと、施設の出口へと歩みを進めた。
「では、次は私の所属するクラブを紹介致しますね」
次に先行したのは月子だ。
紹介致しますね、と言う頃には既に目的地は目の前である。
「ようこそ、当秘密結社へ!」
音符が付きそうな明るい声音を前に、葵の月子に対する印象は最初より随分と変わって驚いた。
大人しそうな女性だと思った……んだが、な……。
ここの正式な名称は『悪の秘密結社(自称)』だ。
『(』から『)』までが正式な名称である。くれぐれも注意して頂きたい。
悪の、と聞いて葵は身構えた。が、杞憂である事に気付いたのに時間は掛からなかった。
悪の秘密結社とは。
一、久遠ヶ原学園を裏から操る秘密結社である。(注・自称)
一、表向きは悪を布教する「文芸部」である。
一、悪を語る超平和なまったり文芸部である。
つまり文芸部です。
「部長は居ないのか?」
「沙さんが総司令さねぇ」
九十九がそう言って月子を見やる。
総……司令……?
頭の中で疑問符を浮かべる葵に、部室に入った月子は部の紹介を始める。
「総司令というのは役職です。ここは悪を語る超平和なまったり文芸部、そしてこちらが……」
月子が身体を退けると、黒猫のぬいぐるみが葵の視界に入る。
「猫魔王様です」
「ね……」
固まる葵の足元に、フサッと何かの感触。
葵の足元を通り過ぎたのは、二匹の猫。
「私の飼い猫です。名前はまろとぷくと言います」
葵は相変わらず無表情であったが、内心抱っこしたい気持ちで一杯だった。
今、嘘発見器でも使用されたら恐らく敵わない。
「猫も飼えるのか……」
同じことを心の中で復唱し、葵は真顔でジッと猫二匹を見つめている。
「見ての通り……と言って良いか解りませんが、つまり猫好きが猫と戯れる場所です」
その紹介だけで少し、入ろうかな……と思った葵は後々己の性癖を見直すかもしれない。
……俺は一体何をしに来たんだ。
そんな葛藤を遮り、月子の紹介は続いた。
「活動としては文化祭の時に出店をするくらいで、後は猫と戯れているだけ……なんですけど、まあ、こういう部活もあります、ってことで。学生生活の参考になればと」
「充分だ。助かった」
「助かった……?」
「……いや」
顔を逸らす葵を、月子と九十九は優しく笑った。
「ここは……」
「猫カフェですよ」
しまった……動揺していて場所を良く聞いて無かった。
猫が好きな葵に取ってこの場所事態に興味を抱かない筈も無い。
月子は心なしか笑顔が増した様な気がするが、月詠 神削(
ja5265)なんかは膝の上に猫が乗っても静かに飲み物を啜っている。
冷静そうな奴だな……と、この状況で神削への感情を改めているところに、再び翠月が話掛ける。
「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ」
翠月は小柄な身体でちょこんと座り直す。ずっと見ているといつか髪の上部左右が動きそうだ。
座高から葵の顔を覗き込む様にして、翠月は上目遣いで話し出す。
「雁真さんが自分の力をどう考えているかは分かりませんけど、もし、どうしたら良いか分からなければ入学されるのも一つの手段だと思います」
その言葉で始まった翠月の台詞に、葵は沈黙する。
「実際に僕は自分の力で為したい事を探している最中ですけど、依頼に赴いた先で『ありがとう』と言って頂けた事もありますから、ここに来た事は間違いではなかったと感じています」
正直、誰かに礼を言われたくてこの力を使おう、とする気持ちは無かった。
ただ、撃退士とは『誰かの助けとなりうる力でも有るのか』と、素直に感じる。
「それに、こんな可愛い猫さんと触れ合う事もできますから」
両手を膝に乗せて可愛らしく微笑んだ翠月に、拓哉とヴァルヌスも同じく笑みを見せた。
すり寄ってくる猫を撫でながら葵は席を立つ。
「……もう少し、学園の中を見て回りたい」
解った、なら行こう。
そう返して神削も立ち上がる。
会計の際、財布を取り出す翠月を見て葵は手で制止した。
「……待ってくれ。いくら案内だと言っても、女性に金を出させる訳には……」
緑色の瞳を丸くする翠月が応える代わりに店内の、何処かの猫がニャオ……と鳴く声で、九十九が再び告げる。
「鑑夜さんはねぃ……」
耳打ちの直後、葵は向き直った。
「……済まん、男か」
あれ? さっきも同じことを言った様な……。
先程と全く同じ構図で、全く同じ台詞を言った自分に疑問を抱きながら、その葵を最後にして一行はカフェを後にする。
●新人よ、洗礼よ!
綺麗な屋上だ。
手入れも良く整っている。
そこに彼らは訪れていた。
暫くそんな光景を眺めていると、不意に、突然だ。
足元に矢が刺さった。
咄嗟に反応して葵を含めた全員が飛んで来た方向を振り返る。
「あーれーがー……噂の新人野郎かぁ」
声のした方は屋上の出口になる壁の上。見下ろしていたのは赤髪の生徒、生徒と判断出来たのには、着崩してはいるが制服を着用していたからだ。
「どうしやす? やっちゃいやすか?」
「うっひょー! 来て早々なんてえげつねぇぜ!」
青髪と金髪の、こちらも同じく制服を来た生徒達が順番に言葉を発すると、赤髪のリーダーがサバイバルナイフを振りかざした。
いくぞ野郎ども!
さながらどこぞの野党の様な台詞を吐き、三人はそこから飛び降りる。
狙いは葵だ。
しかし、彼らとの間に神削が立ち塞がり、進行を遮断した。
相手の奇襲を警戒していた彼が真っ先に対応出来たのだ。
武器をウォフ・マナフに持ち替えた神削は一言。
「その程度の奇襲で驚くと思っていたのか?」
「な、なにおぅ……!」
神削の挑発に上手く乗った新人狩り共は先手の対象を変えて仕掛ける。
「雁真さん、ライムをお願いさぁね」
「ケセランは危ないから希望君に」
「あ? あぁ……」
二人からそれぞれの相棒を授かった葵は戦闘態勢を止む無く解除した。
彼とて猫達を引きつれて前線へは出たくは無い。
これで極力戦闘には参加させずに済むだろう。
おまけと言わんばかりに、拓哉が葵の足元にラーディクスソードを突き刺した。
「どう使うかは君次第! それは餞別として絶望からのプレゼント〜」
有難い選別であった。勿論、終われば返送するプレゼントだが。
それに、リーダー格を倒せば残りも自然に浮足立つだろう。
そこを狙い、神削は闇をも吹き飛ばす光を持って斬りつける。
「おぉッ!?」
但し、一人では無い。
その剣戟は九十九の蒼天風 降来威天雷帝が相手の足を狙い打ちした所に、波状となって襲い掛かったのだ。
出鼻を挫かれた所で、他二人の足も一瞬動きを止める。
そこを見逃さず、拓哉、翠月も一気に詰め寄った。
月子とヴァルヌスは葵の側を保護する形で取り囲んでいる。
「はい、馬鹿に付ける薬ですよ」
三人が見上げた先には、宙に浮かぶ巨大な漆黒の火球。
神削の挑発により彼の周囲に固まったいた新人狩り達は、その火球の範囲から逃げる事が敵わない。
「あっぢぢぢ!!!」
三者三様のリアクションを見せつつも、一人、真っ先にそこから逃げようとする。
が、そんなナイトウォーカーの体を、影から伸びた手が掴みとった。
「僕達ナイトウォーカーは防御力も回避力も低いですから、味方の方に護って頂かないときちんと戦う事は難しいです」
影に対して必死にもがく男を見て、翠月は言い放つ。
ナイトウォーカーからしてみれば、そんな事を聞いている余裕は無さそうだが。
「そこまで実力を付けた方なら、実際に依頼で経験しているはずです。なのに、どうして仲間を襲うような事をされるのですか」
束縛された男をどちらも援護しようとはしない。
己の力を見誤ってそうする事を忘れたか。はたまたそんな作戦は持ち合わせていなかったか。
「僕達に与えられている攻撃力の高さは、この様な事に使う為ではないはずです」
ズグン、と葵の心臓が波打った。
あぁ……そうか。
少なくともコイツらは……この人達は『本当』なんだろうな……。
意外にも、真っ先に根を上げたのは九十九、拓哉とのコンビネーションで剣閃を浴びせ続けたリーダーの鬼道忍軍だった。
九十九、そして拓哉の銃による支援と威嚇射撃に成す術が無かったのだろう。
「あ……あが……」
それを見て、他の二人も狙い通り一気に戦意が喪失していくのが目に見える。
「自分の力に溺れた奴なんて、こんなもんさねぇ」
終始、冷静に対処した神削は、最早何も言わず鬼道忍軍を一瞥した。
ナイトウォーカーも、翠月による闇の矢によって沈黙を余儀なくされた。
残ったのはインフィルトレイター。
既に絶望的な表情を見せるが尚も攻撃をしようと一旦離れる。
が、そこも彼女の範囲内だ。
「美学のない悪は、ただの犯罪です」
インフィルトレイターに取ってその時の彼女の笑みがどれほど凶悪なものに見えただろう。
恐らく、当分は笑顔がトラウマになる思いを残し、気が付けば彼も地面に横たわっていた。
気が付けば、終始こちらの優勢であった。
呆ける葵に、月子が歩み寄る。
「学生としては普通の学校とあまり大差ないと思います 。でも、普通じゃないところも確かにあって……」
倒れた三人をチラリと見る。
「武器をとって戦って、怪我をすることもありますけど 誰かを守る才能を生かせる、ここはそんな場所だと……思うんです」
ヴァルヌスも続ける。
「すぐに答えを出せる人なんていないんです。誰もが迷い、己に問うでしょう……ここは確かに、戦士を育てる場所ですが、それが僕達の全てではありません。 僕達の在り方、歩むべき道を、『考える時間をくれる場所』だと、僕は思っています」
それらをじっくり聞いた後、葵は剣を拓哉へと手渡した。
それを見て、神削も告げる。
「学園には新人狩りのように力に溺れる奴も確かに居る」
「……その様だな」
「ただ同時に、道を誤ろうとした時に止めてくれる人がたくさん居る」
「……あぁ」
「雁真君は自分の力に不安を持っているみたいだが……その力と向き合う上で、いざとなれば止めてくれる人がたくさん居る学園は、救いにならないだろうか?」
葵は暫し、言葉を発しなかった。
答えたくなかった訳では無く、どう言おうか迷っている。
そんな時間の流れであった。
不意に、葵が呟く。
「今日は助かった……もう時間、だな」
葵に言われ、全員も気付く。
「……充分だ」
最後に言った台詞は、その一言だった。
●彼が想い、受け止める
「皆、サンキュね! 助かったわ」
オペレータが皆に礼を告げる。
「不良の三人組については、まぁアレよね。更生させてるところ」
まだ間に合うだろう。己の力の見直しも。
「それから、葵君。返事が来てるわよ。相変わらず素気無いんだけどさ」
本当に簡単に、しかも言葉のみで残していった様だ。
「『前向きに検討する』……だって!」
ハッキリとは言っていないが、あの結果を見る限り、答えは既に決まっているのだろう。
「可愛げないとは思うけど、ま、入学した時には可愛がってあげてね」
じゃ、私用事あるから。
アンタも素気無いな。
誰かが思った心情で、依頼は無事に完了した。
貴方達のお陰で、また一人、味方が増える事になるだろう。