●顔と空気の読めない奴
「なんというかまぁ……タイミングの悪い敵だな」
現地到達、トンネル付近。
小田切ルビィ(
ja0841)が各自と携帯機器の番号を交換し合う傍ら、向坂 玲治(
ja6214)はそのトンネルを見やると土手から下りた。
鏡を持つ天魔。せめて彼女と遠く離れた地に居れば、ここまで話が拗れなかったかもしれない。
(「ふーんゥ……鏡の敵ねェ」)
興味は有るのか、黒百合(
ja0422)もそちらに一瞥をくれると、高所から二歩で雫(
ja1894)が降り立つ。
「鏡ですか……私も余り好きじゃないんですが」
依頼者の心情と重なる部分は有るか。
だが、理由はどうであれ。
「あの敵をやっつければいいのよね?」
並ぶ雪室 チルル(
ja0220)が持つソーラーランタンの視線の先に、闇を纏ってその黒いローブは現れた。
表情を隠す仮面、両手で持つは仰々しい鏡。
のっそりとした動きは情報通り、ここに揃う誰の足でも追いつかれる事はまず無いだろう。
天魔と判断出来なくても過剰に怪しい雰囲気を発するディアボロ、ミラーマンを見れば、明坂静穂が逃げ切れた事も逃げようと即断した事も大いに納得出来た。
「こいつミラーマンと言うよりはアレみたいじゃねーか、なあ?」
まるで何かの黒い塊を想起させるそいつを見て、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)はペンギン帽子の頭を押さえて言う。
「なら、このトンネルはさしずめ異世界の入り口ってとこか」
立ったまま傾斜を滑り降りて来るルビィが携帯を操作ながらラファルへと応えた。
「それでは……」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が指を鳴らすと、上空にアウルの光源が浮かび上がる。
ミラーマンがトンネル内へ入ったと同時に阻霊符を展開。
各自が構えに入る中、ルビィも大剣をスラリと抜き払って銀と緋の紋様を身体に浮かべ、阻霊符発動の合図とする。
太陽の剣を手に、雫は駆ける直前にディアボロへ言い放った。
「現実に引き戻してやりましょう」
●
空の光をも遮って、エイルズレトラに眩い光が照射された。
照らし出されたエイルズレトラと同様に、玲治も目を引くオーラを纏わせる。
トンネルの中に立つミラーマンの仮面が右に左に動いた。
が、その足は動かない。
気を引く事には成功しただろう。しかし、ミラーマンは僅か数メートルのトンネルの外へ歩み寄る事は無い。
攻撃を仕掛け様子を見るにはこの位置で充分だったからだ。
ミラーマンの両手から離れた邪悪な鏡が回転して前方に留まると、威嚇にも似た長距離の光線が二人に放たれた。
「……っと!」
ギリギリ、右に飛び退いた玲治の肩口に光線の切れ端が掠める。
トンネルから追い出すにはこれでは駄目か。
皆とは逆方向から侵入したルビィは真正面のミラーマンと仲間を視界に収めた。
「……トンネル内じゃ、ちと分が悪いな」
だが、次の策は既に打っている。
誘導班の内、玲治とエイルズレトラを覗いた四人がトンネル内のミラーマンへと挟撃。
「動き辛ェし、奴さんの範囲攻撃で一網打尽にされちまうぜ……!」
「なら、ぶっ飛ばせばかいけつね!」
ルビィより先に、最初に懐へ飛び込んだチルルはその氷剣を中心に氷塊を構築し、横薙ぎに振り払う。一撃。
衝撃に大きく後退するミラーマンを越し、黒の手袋と共に握り締められたルビィの大剣が振り向きざまにミラーマンを更に奥へと飛ばす。二撃。
一秒と半分ほど置いて、そこへ踏み込んだ玲治が大きく獲物を振りかぶると、勢い良くミラーマンを弾き飛ばした。三撃目。
「そら、もっと日当たりのいいところに行こうぜ」
誘う言葉に否応無く。
宙を飛ぶミラーマンの身体は、まるで車と正面衝突したかのようにトンネル外に吹き飛ばされた。
その身体が外へ出る直前、ルビィが服の中の携帯へと合図を送る。
「行ったぜ」
『了解』
その合図と同時に、トンネルを挟みルビィの後ろに位置していた外側から蒼光の矢が放たれた。
空を掻っ切った矢は、鏡にこそ当たらなかったが完璧なタイミングでミラーマンの頭部付近を射止める。
「……惜しいね。もう少し上だったか」
狩野 峰雪(
ja0345)がそう言ってすぐに距離を取ると、ラファルの掌底がダメ押しにミラーマンを追いやり、次いでヒリュウが峰雪を横切って側面に降下した。
峰雪のものではない。それは黒百合の操る召喚獣だ。
本体は矢の後に続いてミラーマンへ跳躍すると、持ち手を軸に漆黒の槍を旋回、回転力を乗せて叩き斬る。
そこへ追撃を仕掛けたチルルの大剣も斬り掛かった。
十数メートルは離れたミラーマンへも容易く追いついたエイルズレトラも自身の召喚獣、ハートを出現させると、銃へと持ち替えた雫は狙撃の対象へ視線を動かす。
頭上、から手元へ。そして周囲を旋回する楕円の物体。
「……弱点と言う訳では無いでしょうが、気になりますね」
「弱点なら話が早えーんだけどな」
掌底後に反動で着地したラファルが腕の形態を変化させて圧を地面へ飛ばすと、その掌をミラーマンへ向ける。
それに対し、ミラーマンは鏡を回転させると先程のように手前で留めた。
光を取り込んだ訳でも無いのに怪しく光る鏡。
「攻撃の起点になっているようですから破壊しておきましょう」
雫の銃弾が鏡の蛇に傷を付ける。
粉々には割れていないし鏡自体の動きが鈍る事もない。
それでも、壊せない訳では無い。
と、ラファルの手から発せられた不可視のアウルがミラーマンの身体を縛り付けた。
だが鏡の動きまで止まる事は無く、そこから放たれた炎熱がチルルの身を焦がす。
幸い、皆が散って取り囲んだ故にそれ以上の被害は無かった。
「――あの『鏡』が目障りだ。さっさと叩き割っちまうのが吉ってな?」
トンネルを抜けたルビィが炎を避け、同様に散開すると相反する光と闇のオーラを腕に纏わせる。
複合されて生み出した混沌が大剣を伝い、正負を纏った刃が鏡へ振り下ろされた。
攻撃したての、ミラーマンの手が入らぬ鏡へと。
雫の付けた傷の上から、大剣が食い込む。
そう見えたのはほとんど一瞬だけだった筈だ。
二つが触れ合った瞬間には、確かな強烈な一撃が鏡を粉砕していたからだ。
そしてこれで、正面、側面、背後。
撃退士と召喚獣による包囲が完成した。
破片も破片と言い切れぬ微塵となり、その粉塵ごと振り抜かれた玲治の太刀は自身の堅牢な身をも感じさせてミラーマンへ叩きつけられた。
逆からは茶色の髪が真下へ潜り込む。
エイルズレトラの青色の瞳に、愚直に立ち尽くすミラーマンの姿が映った。
手に持つ仕込みづえの刃が閃く。物言わぬ妖刀が孤を描いて黒のローブを斬り裂いた。
その背後で峰雪は三本の矢を構え持ち、瞳が鋭く獲物を定める。
敵は束縛中……これなら。
長大な黒弓から放たれた矢が頭部、胴、脚へ三つの音階を飛ばして奏でる。
上空から振り掛かった影は雫。
ミラーマンは回避と言うには程遠く、闘気と共に体重を加算した大剣が目標通りの頭部へ命中。
脳を揺らす振動が足先まで伝わる。
手が、足が、意思疎通の測れぬ肉塊に変わる。
ミラーマンに取っては残酷な真実だが、攻撃が緩む事は無い。むしろ苛烈を極めると言っても良いだろう。
その一つが今、チルルの手に生成されている。
空気中の水分が一度にそこへ凝縮する。気体から液体への過程を飛ばし、形無き塊は冷気を撒きながら突剣へと形を変えていく。
例えその動作に時間を費やしていたとしても、機会は十二分に待ってくれたことだろう。
剣を振り下ろしたチルルの先が、ミラーマンごと氷に包みながら冷たい道を築き上げる。
「さっさと楽にしてやるよ」
氷の縁から踏み込んだラファルが一瞬にしてミラーマンの視界から消えると、変幻自在の魔刃が同じく姿を見せる事無く、再び現れた時には既にミラーマンの身体を貫く、だけではなく。
間合いへ戻るラファルをただ茫然と見ながら、ミラーマンの体内が強く脈打った。
熱い。苦しい。破裂しそうだ。
そんな感情の一つも思わせる暇無く解放されたナノマシンがローブの内側から引き裂き、その体内からも深刻なダメージが迸る。
飛び散る鮮血を踏み躙り詰め寄ったルビィは、正と負から正のオーラを強めると、反転から上段。
踏み込んだ勢いと共に大剣を叩き下ろす。
玲治の一撃がミラーマンを大きく仰け反らせれば、頭の先に待ち構えるのは長い黒髪。
「もっと楽しめるかと思ったけどォ……残念だわァ……」
薄い笑いと金色の瞳がミラーマンの視界を遮った。
いや、元々今は視界など無いに等しかったか。
それでも、敢えてミラーマンの目に映ったものを表すならば。
全長六メートルもの巨大な漆黒の槍。
それと不釣り合いな程に妖美な少女。
それが、槍を引き戻し、自分の胸元を貫く一部始終だった。
その後日。
「天魔は無事に討伐したぜ。これでアンタの『顔』も元通りだ」
扉を開けて見れば、そこには集まった撃退士と名乗る者達が待っていた。
その内、ずいと前に出た銀髪の青年、ルビィにそう告げられて明坂静穂は一先ず安堵していた。
その彼女が、彼らから聞かされた内容。
「……そんな……」
それだけ呟いて静穂は床に座り込む。
少し、笑いながら泣いていた。
●幕引きの合間と
本来ならばこれで幕引きとなる、筈だが。
件の天魔を排除した報告をしに、撃退士達は彼女の家へ向かった。
「聞いていた通り、本当にテープだらけですね」
そう言ってエイルズレトラは玄関口に目をやる。ご丁寧に、そのドアノブの金属と思われる部分にまでガムテープが巻きつけられていた。
討伐証明の材料とする為、鏡の破片である蛇の装飾部分を玲治が所持している。
攻撃が強力だった為か吹っ飛んで草の中に埋もれており、チルルが自分と玲治を手当てした後、見つけるのに中々苦労した。
ふと、チルルは雫に向かって訊ねる。
「あのこと、言うの?」
「えぇ、まぁ」
淡々と雫は答えた。
「余り、気は進みませんが」
ミラーマン撃退後に、彼女はある男性と対面していた。
「明坂静穂という女性をご存知ですね?」
男性は目を丸くした。
「その方が、天魔に襲われました」
半笑いなのは馬鹿にした意味ではなく「嘘だろう?」といった表情であることは、態度を見れば明らかだ。
「か……」
喉に飴でも引っ掛かったように文字を吐き出す。
「彼女は……最期に何か……?」
「……生きてます」
怪我一つ無い事も伝えた。ただ、天魔と出会ってしまったせいで少し厄介な事になっている事も。
彼女が過去に思い悩んだ事情も掻い摘んで説明すると、男性は安堵の息を吐いて返答した。
「成程、それじゃあ……今、俺が行っても逆効果かな。あの、お手数を掛けて済まないんだが、彼女に伝えて欲しい事が有るんです」
雫の容姿と立場に戸惑ったのかあやふやな敬語混じりに告げると、彼は言葉を続けた。
「実は……」
「アンタの『相貌失認』は多分、精神的なモンだろうな」
元通り。そう言って玲治の拾い上げた鏡の破片をしっかり見せた後、ルビィはゆっくりと言い聞かせた。
彼自身、言うか躊躇ったが、真実から目を背く事はしたくなかった。否、出来なかった、と言うべきだろうか。
「そう……それって、治らないってことですか?」
念の為に言っておくと、他にも考えられる症状は有る。
ルビィの言葉は、飽くまで原因が彼女自身の中に有る事を気付かせる為のものだ。
そして、彼女の疑問に玲治は首を振った。
「いや、違う」
玲治の後を、峰雪は一呼吸置くと優しい口調で引き継いだ。
「鏡に映る自分の顔を取り戻したいって思ったのなら、本当は自分の顔が好きだってことだよね」
本当に嫌な気持ちが強いなら、誰にも見られたくもないのなら。
わざわざ学園にまで来るだろうか。
ただ、自信が無いだけ。
「自分の消極的な性格を、何もかも容姿のせいに出来れば……そりゃあ楽だよな?」
真正面からルビィは投げかける。
峰雪も老婆心とは思いつつ、言葉を続けた。
「変わらないでいるのは楽だけど、変わるのは怖いけど」
彼女は峰雪達の言葉に沈黙したまま目を曇らせた。
「顔を言い訳にして、お洒落もしないで、性格も磨かなかったら、何も変わらないよ」
更に数秒、沈黙が続く。
それを切ったのは雫だ。
「貴女がいつも自分の事で悲観的になっている事、それを事有るごとに言われる事、彼に聞いたら話して下さいましたよ」
結局、自信が無かったのは根元からだったのだ。
「『だから女性にそそのかされてしまったんだ』と。まぁ……これは男性の言い訳に過ぎませんが」
それと、雫はメモ用紙を手渡した。
「彼の番号です。一度……直接謝りたいそうで」
「……そんな……」
「アンタに必要なのは自分自身と向き合って、『傷付く』勇気を持つ事なんじゃないか?」
ルビィの言葉とその紙を受け取って、彼女は床にへたり込んだ。
あの時の自分を、少し後悔しながら。
「俺から言わせりゃ、別にアンタはブスじゃねーよ。平均的な日本人女性だと思うぜ」
泣きながら、笑った。
「では、鏡を……」
「あー! ちょっと待った!」
エイルズレトラの言葉を、チルルは遮った。
美容室。に、何故か目隠しをされた静穂。
チルルが打診したのは美容院。それを、静穂は悩みながらも受け入れた。
先に目元だけメイクが施されているのは目隠しの為であり、これから黒百合がそれを完成させる為でもある。
「女の子はねェ、しっかり化粧をして初めて本当の女の子になるのよォ……うふふゥ♪」
改造品は手元に無い為購入した化粧品のみだが、一般女性ならこれで充分だろう。
それにしても、やけに楽しそうだ。
「私自身、ファッションに無頓着な所はありますが心機一転する為に今まで手を出さなかった事に手を出して見るのはどうですか?」
雫も耳元で言うが、緊張のあまりか返答は無い。多分、心の中では頷いている筈だ。
そして、いよいよお披露目の時。
目隠しが、外される。
「あ……」
「どおォ……?」
静穂が声を上げ、ラファルが覗き込んだ。
「ほー。良い感じじゃねぇか。俺の方が数倍上だけど」
「お前、そこは素直に褒めとけよ……」
間髪入れない玲治の言葉にラファルが向かって行く。
静穂が、クスッと笑った。
すかさず電子のカメラ音。回り込んだラファルが携帯を向けている。
「かわいいじゃねーか」
それを見せるラファルに「ありがと」と言い返した。
「お陰で、本当の私が見えました」
嘘だ。
「これから部屋を片付けて……彼にも電話して……」
嘘だ、まだ顔がぼやけている。けれど。
「自分と向き合って……」
ようやく、私は私の『顔』を見つける事が出来たのだ。