●白き腕は狂気を奏でる
街灯がチカチカと点滅した。
薄明かりに釣られて空を見上げれば、もう日が落ちてから随分経つのだ、と再認識させられる程には辺り一面は暗かった。
その一角。周辺よりも更にどんよりとした空気の漂う路地裏に、六名の撃退士達は息を潜ませる。
と言うのも、耳を澄まさずとも『例の音』……一般人を引きつけるとされる楽器の音色は既に聞こえて来ていたからだ。
彼らは数人固まって待機している者、少し距離を空けている者と居たが、各々視線の集う先は皆廃ビルへと向けられている。
その内、ビルから一番遠くに位置していた狩野 峰雪(
ja0345)が暗闇から姿を見せる。
「設置は完了したよ。何か変化は有ったかな?」
足音と声に反応した黒髪の美女が峰雪へと振り返った。
「いいえ……特に何も。僅は何か感じたかしら?」
そう問うたケイ・リヒャルト(
ja0004)の眼前で、青髪が二度程横に揺れた。
「何も無、い」
僅(
jb8838)は答えた後に相変わらず無表情で再び視線を戻す。
その先には廃人となったビルの一階。そしてか細く白い腕でヴァイオリンを奏でる人では無いモノ。
両脇に従えるのは牛の頭部を持った筋骨隆々のボディーガード。
(「見た感じの護衛付きって感じね。まずはあの牛頭をどうにかしないと」)
雪室 チルル(
ja0220)も様子をうかがう。
牛男……ミノタウロスに対してはあまり良い思い出は無い。
だが、今回はサポートとなる奏者を撃破してしまえば、その能力も問題無いかもしれない。
奏者と言えば、と不知火あけび(
jc1857)は前に手に入れたヴァイオリンの事を思い出す。
練習をしても結局弾く事は出来なかったが、今回対応し得る手段にはなるだろうか。
それは兎も角として、あの音楽が奏でられている限り一般人にも被害が及んでいるのは事実。
(「然らば、早急に討伐しなくては」)
心を整えたアンジェリク(
ja3308)は自身の身長よりも長く大きな両刃の剣を抜き払った。
阻霊符も使用する予定だったが、自身は持ち合わせていない。
それでも発動を確認できたのは、僅が符を取り出しているのが見えたからだ。
胸の前に剣を掲げたアンジェリクは一度瞼を閉じると、チョーカーをキツく締めながら何かを囁く。
「大丈夫、私ならやれる、だって騎士だもの、騎士なんだから……」
プレッシャーは無いと言えば嘘になるかもしれない。
それでも、こうやって自己暗示を掛ければ克服出来る気がする。
そうして開けた視界の前には、既に交戦の準備を整えた五人の仲間が広がっていた。
●
音が鳴り響く。
誰も居なくなって、乱雑な瓦礫だけが不器用に配置されたビルの一階で、ゆっくりとした音が鳴り響く。
何時からか割れ切ったガラス窓から、月夜の光が差し込んだ。
荒れたステージが薄明かりに照らされる。
それは魅了された人間からすれば心地の良い演奏だったかもしれない。
だが、そんなワンマンショーを撃ち破ったのは一発の銃弾であった。
奏者の手がピタリと止まる。
壁を背に弾いていた奏者の真後ろ、ヴァイオリンの数センチ上に小さな弾痕が穿たれていた。
撃たれた方向へ顔を上げ、ジロリと視線を向ける。
近くで見れば酷く傷んだ黒髪が、覆っていた顔から次第に離れていく。
空虚な瞳には何も無く。ひび割れた頭部は暗い中でやや色褪せた白色が乾き切っていた。
言葉も無く、ただ白骨にしては綺麗な顎が何かを言いたげに上下に激しく動いた。
惜しかった。峰雪が死角から放った銃弾は目標のヴァイオリンより少し上部に外れた。
だが無論、それだけでは無い。
既に穏やかだった演奏音は殺気と張り詰めた空気へと変わっているのだ。
奏者がヴァイオリンを一度だけ弾く。視線は峰雪の方向から外さずに。
音がミノタウロス達の耳へと入ると、鎮座していた体勢からものの数秒で前傾姿勢へと移り変わった。
同時に入り口側から別の撃退士が飛び込んで来る。
まずは四人。一拍置いてまた二人。
先の四人、ケイ、チルル、アンジェリク、あけびはそのままミノタウロスへと仕掛けるかと思いきや、中程までで急停止。
その内チルルが左のミノタウロスへ魔力の流れを撃ち放ち、ケイは右側のミノタウロスへ腐敗の銃弾を穿った。
策も無く飛び込んだ……にしてはやけに行動が素早い。
いや、むしろこれが作戦の内か。
音による攻撃を仕掛ける白骨の奏者。音となれば恐らく範囲も短いものではない。
こちらの動きを妨げる奏者との距離は出来る限り開けて戦う。自身の能力を把握出来ているからこそ立てられた素晴らしく迅速な行動だ。
厚い筋肉でそれらを受け止めたミノタウロス達は反撃に接近、斧を振りかぶる。
一体はアンジェリクに。もう一体はやや後方へ位置したあけびに。
振り下ろされた片方の豪快な一撃に、細い一閃が交わった。
「そこから先には……行かせない!」
あけびの頬に短い赤い線が走る。
ケイの穿った銃痕からに刺さったあけびの刀もまた、ミノタウロスの胸元を斬り裂いた。
そのまま体勢を戻そうとするミノタウロスだったが、何かに縛られたように身体を動かす事が出来ない。
それもそのはず。たった今あけびが払ったのはただの剣閃では無い。攻撃に合わせて敵の影を縫いつけたのだ。
一方でこちらも勢い良く振り下ろされた大斧は、アンジェリクを確かに捉えた。
……が、堅い!
恐らく他の者ならばそれなりに痛手を負っていたであろう大斧は、アンジェリクの防御の前に本来の威力から大分軽減されたようだ。
これを真正面から受けきれるのは、この場では後はチルルだろうか。
かと言ってそう何発も受けるべきでは無い。
しばらく力比べの状態となった両者だが、急に力を弱めたアンジェリクにミノタウロスがバランスを崩した。
その側面から冷気を纏った斬撃を放つ。
思っていたよりもかなり出来る。
僅があけびへ回復術を掛ける様子を見ているこの奏者がもし生きた人間ならば、そう言った表情を浮かべたかもしれない。
ミノタウロス達へ攻撃を任せ、傍観していた奏者に峰雪が蒼き光を帯びた銃弾を放つ。
二体の牛男の合間を縫って現れた蒼の銃弾が奏者の手を直撃した。
弾かれた手がヴァイオリンから離れる。
胴体とは繋がっているが、これを続けられればそれも判らない。
ミノタウロス達も一体は身動きが取れず、もう一体は堅い盾に阻まれる。
ならばこれはどうか?
痺れる、と言った感覚が生じているかは解らない。
が、それでも奏でられた音楽は、暗闇に似合った沈むような暗い曲調だった。
●
アンジェリクへ向けられていたミノタウロスの視線が不意に別方向を向いた。
その先にはあけび、そしてケイの姿が在る。
突然横凪に払われた大斧をあけびはスレスレで飛び退いて躱し、大きく後退しながら砂煙を起こして着地した。
「今……」
「明らかに行動を変えたわね」
向かって来たミノタウロスへとケイはそちらにも腐敗を促す銃弾を撃ち込む。
もしかしたら、と思ったが、このミノタウロスの速度なら照準を合わせる事は容易だ。
乾いた音が廃ビルの中に響く。
それが鳴り終わるや否や、チルルとあけびの剣閃が十字にミノタウロスを斬り裂いた。
交互に攻撃の相手に睨みを効かせるミノタウロスだが、突然その鼻先に赤い裏地のマントが覆い被さる。
「ほらほら、こちらですわ!」
咄嗟に反応して布を手で振り払い、新たに視線を動かす。
そこには距離を離して挑発するアンジェリクの姿。
怒るべき相手が音を変えた。
鼻息を荒くするミノタウロスをよそに、峰雪の銃弾は奏者の手を、確実にとはいかなくてもその身に叩き込む。
僅のアウルの光はアンジェリクへと照らされ、その傷を癒して体勢を万全の状態へと立て直していく。
白骨の奏者の動きが、少し止まった。
弾くのを止めたのでは無い。
まるで次の演奏に向けて精神を集中させるかのように、緩やかにヴァイオリンを持ち直したのだ。
そこであけび、アンジェリクは気付いた。
白骨の奏者が徐々にこちらへ接近している事に。
その手から奏でられたのは何処となく儚く、弱弱しい曲。
聞き入れば激しく波打つ心臓を穏やかにし、微睡みへ誘うかのように。
ここは戦場だと言うのに、コンサートホールで座り心地の良い椅子の上に座っているかのような安心感が聞く者を包み込んだ。
二人が身構える。いや、既に身構えていた。
付け加えるならば、あけびは奏者の手が動く前に動いていた。
「こんな事もあろうかと……!」
あけびはヘッドホンを強く耳に当て、音を遮断する。
しかし、やはり、と言うべきか。直に聞いてしまったアンジェリクの足元がふらついた。
「く……!」
否応なしの眠気が脳を襲う。
抵抗してはみるが、思考と動きが一致しない。
閉じたくも無い瞳が徐々に重くなっていく……。
まさに一瞬の出来事だった。
机から落ちたような感覚でアンジェリクは目を覚ます。
何がどうなった。
出来る限り冷静に周囲を確認する。状況は然程変わっていない。
「大丈夫、か?」
ようやく理解の追いついた脳によると、僅のアウルの力によって睡眠が解かされたようだ。
「感謝致しますわ……」
「問題無、い」
それよりも、と言った感じで僅は奏者を見据えた。
廃ビル内に多種多様な音楽が鳴り響く。
数秒を置いて変わりゆく音色は、普通に聞いていれば頭がおかしくなりそうな光景だ。
その音は今、力強く掻き鳴らされている。
「早く戦闘指揮のパターンを見つけなくちゃ」
ミノタウロスへの攻撃を仕掛けながら、あけびはそこから距離を置いた。
影縛りと一撃離脱の攻撃スタイルはミノタウロスにとっても中々捕える事は難しく、翻弄されつつある。
「アイツさえ倒せばラクショーよ!」
とチルルは斧と斬り結ぶ合間に奏者へと切っ先を向ける。
そのまま背後の大振りを躱し、向けた剣をミノタウロスへと叩きつけた。
「だけど、もうそろそろ判って来たんじゃないかな」
縛りの解けたミノタウロスへ銃口を向け、峰雪はその気を逸らす為の弾丸を放った。
「基本的に行動は相手への攻撃行動のみ……」
ケイが呟く。
相手の陣形へ銃弾を撃ち込んだ際の反応を見逃してはいなかった。
やはり、良く見ている。
「暗い曲調で攻撃の対象を変、え。静かな曲調で防御態勢にな、る」
補助に回りながらも相手の行動を確認していた僅もそれに付け加えた。
「激しい曲調、は」
「攻撃の合図ね」
今度はケイの言葉に僅が続けた。
仕組みが解れば後はパズルのようなものだ。
そのタイミングさえ見逃さなければ受けきるのも容易い。
「騎士たるもの、正面から堂々と……!!」
力強く振り下ろされた大斧をアンジェリクは大剣で受け止める。
隙を見せてしまったミノタウロスに即座に近づく小さな影が一つ。
その刀身は鮮やかに輝いていた。
虹色の光彩を惜しげもなく放ち続け、色鮮やかな軌跡を残して宙へ舞い上がる。
「これで終わりよ!」
まるで虹の月。
ミノタウロスが最期に天井を仰いだ時、そこにはチルルが振り下ろした三日月の剣閃が目に映った。
重たい音を上げて片方のミノタウロスが地に伏せる。
奏者を挟んでその右では、今まさに仰向けに倒れ込むもう一体のミノタウロスの姿があった。
刀を一度振り払い、和服の少女はディアボロを眼下に収める。
「刀は斧より強し!」
何処かの戦略シミュレーションよろしく……いやいや、これも刀が斧に一歩近づいた瞬間であった。
残された奏者にほぼ成す術は無い。
唯一と言って良い賭けが、この場の全員を一度に眠らせて姿を消す事くらいか。
それもこの人数相手には難しいだろうが。
「もう、その手は通用しないよ」
虚しく鳴らされた音ごと、あけびの刀が一閃した。
続けて奏者の身体を、僅の聖なる鎖が縛り上げる。
聖者が下した審判に抗う術無し。
「これで……」
峰雪の蒼き弾丸が、身動きの取れぬ奏者の片腕を吹き飛ばした。
「もうそれを弾く事は出来ないね?」
ぼう然と立ち尽くした奏者に、ケイは急接近する。
「貴女の奏でているのはただの『音』……」
そのまま白い骨を抱きしめたケイは銃口をめり込ませる。
抵抗は、有って無いようなものだった。
「そんな哀しい音は、もう奏でさせない」
光を纏ったアウルの弾丸が白骨の奏者へ接射される。
最後に抵抗の無かったのは、麻痺していたからだろうか。
それとも、音を無くしてしまったからだろうか。
粉々になった骨に聞いても、その答えが返って来る事はないだろう。
●
音が鳴り響く。
誰も居なくなって、乱雑な瓦礫だけが不器用に配置されたビルの一階で、ゆっくりとした音が鳴り響く。
先程と違ったのは、それが声を乗せた音楽であると言う事と、それを奏でるのがケイであると言う事。
彼女特有の透明感のある歌声は、誰かに捧げる葬送曲となって辺りに響く。
可能性は少なかったが、あの状況で一般人が迷い込まなかったのは幸いだったかもしれない。
その時は、この曲を捧げるのがその者になっていたかもしれないのだから。
それぞれ場を去った後、あけびは周囲を確認してこっそりとエレキヴァイオリンを取り出した。
数か月ぶりに触るそれ。
あの時を思い出して弾いてみるが、単調で低くて急に高くなって……とまるで良く解らない音の塊が生み出される。
(「だよね……」)
「あら、何の曲?」
突然掛けられた声にあけびは目一杯跳ね上がった。
「ギターってそんな音出るんだ!」
振り返るとケイとチルルがいつの間にか立っている。
「み、皆行ったんじゃ……」
「峰雪の鳴子の回収を手伝ってい、た」
二人だけでは無かった。
見れば、僅。アンジェリクと峰雪までそこにいるではないか。
しかも様子からして意図していなかったとしてもほぼ聞こえていたのだろう。
慌てて走り去るあけびを見送り、五人はもう音のする事の無いビルを後にした。
ディアボロに聞かせていたら、もしかしたら本当に対抗手段になっていたかもしれない。