●夢の絆
当日、昼前。
正午を知らせる鐘が聞こえてくるとすれば、後二時間は有るだろうか。
学園内の一角では甘い良い香りが漂っている。
人によっては「甘ったるい匂い」と怪訝な表情を浮かべる者がいるかもしれない。
だが、開始前だというのにポツポツと集まって来たこの人だかりの中には、そういった顔をした者は居なかった。
「レフニーさん、そちらの器を取ってくれるかい?」
「これですね」
会場の前方端で、鳳 静矢(
ja3856)が箸を片手にRehni Nam(
ja5283)へと呼び掛ける。
設営も仕上げ。残る準備はメインとなるお汁粉だ。
一言にお汁粉と言っても、これがまた手間を掛けた品であり、さっぱり味、普通の味と二種類、更に他メニューまで用意されてある。
薄味の物には甘酒や一口サイズのきな粉餅等。
普通の味付けの物には抹茶や薄味に漬けた蕪の漬物等。
餅一つにしても焼く、煮る、若しくは焼いてから湯に漬ける、とレフニーが様々な種類を作っている。
焼けばパリッと香ばしく。
煮れば柔らか伸び伸びに。
「意外と薄味の漬物が合うのだよね」
漬物を揃えながら静矢は言う。
餡子汁で口の中をトロットロにした後は、嗅覚をリセットする為にお新香の出番だ。
Rehniが切り分けた餅を並べていると、その調理場に黒髪の細い影が歩み寄って来たのが見えた。
真横にも小さな影を作って。
目を上げて見れば、真横の影は青い髪をしているのだという事に気付いた。
「設営、終わりました。こんなもので良いでしょうか」
パンツルックにスレンダーな体型。耳からは十字のイヤリングを下げ、黒髪の方の女性、八神 翼(
jb6550)が静矢達に問う。
「おお、有難う。大丈夫だよ」
翼と共に戻って来た黄昏空(
jc1821)は、調理場の内側に回り込むと静矢とRehniの間にちょこんと割って入った。
「何かボクにもお手伝い出来ることある?」
Rehniに小皿を渡され、空は「何?」と疑問符を浮かべる。
「では、少し味見をして貰いましょうか」
難しい事はよく解らない。が何しろこの人数だ。
人手は有れば有る程頼もしい。
それに、空の飛行能力は実際大いに貢献していた。
重そうな物、高い場所からの運搬はこの飛行能力があったからこそ時間を短縮でき、その為にこうして依頼の主目的であり、もう一つの目的、つまり『白石遥人の夢の女性を探し出す』事を考える時間を取る事が出来る。
餅の入った買い出しの袋を確認しながら「そう言えば依頼の件だけど」と翼は三人の方を向く。
丁度、遥人と翔もやって来た頃合いだった。
「いくらなんでもいまの説明だけじゃ情報不足ね。下手でもかまわないから、似顔絵を描いてみてくれないかしら?」
「似顔絵……上手ければ良い情報になりそうだね」
小皿に入れた汁粉を、静矢は白い羽織の裾を軽く引いて一口含む。
悪くない。
五分程で終わった遥人の人物画は、翼に複雑な表情を浮かべさせていた。
Rehniもそれを覗きこんでみると、聞いていた情報には合っている。
ショートカットの髪の毛はボブに近い。細い垂れ目に笑わない口元はクールな印象を与えた。
輪郭はほっそりとしていて小顔だ。
特徴が有ると言えば有るが、無いと言われれば無い。
「八神お姉ちゃん、どう?」
空が翼の持つ紙の下で問うた。紙を爪先立ちで見ようと試みるが今一つ届かない。
「……無いよりはマシ、ね」
「成程ねぇ」
背後の声に翼とRehniが振り向く。
いつの間にか静矢までも似顔絵を覗きこんでいた。
「まぁ、判らないものは仕方無い。それと、二人にやって貰いたい事があるのだが」
静矢は手招きをしつつ、遥人と翔を引き寄せる。
「何でしょう」
「はいはい? 僕にも何かあるのかな」
遥人と翔を交え、計六人で短い会話が行われる。
静矢の言葉を聞いた遥人は成程、と納得したように頷いた。
空も「ふんふん」といった感じで頷いているが、こちらは実際良く解っていないかもしれない。
「ふにゅ、では大佐にもお願いしてみましょう」
「……大佐?」
「大佐?」
翼と空が微妙な時間差で同じ疑問をRehniに問うた。
●
時計の針が不格好に両手を挙げていた。
確かに時間は十二時と指定していたが、堅苦しい開会宣言が有る訳でも無く、学生達はゆるやかにそこを訪れる。
最初はパラパラとしか来なかった学生も、時間が経つ事につれて次第に数を増して来た。
静矢、Rehni、翼、空、そして翔は一先ずお汁粉の配布場所で対応に追われる予定だ。
「レフニーさん。お餅を焼くの、お手伝いしますよ」
翼がそっとRehniの隣に並ぶ。
「有難うなのですよ」
そう言いながらも、翼はそっと台越しに後ろに並ぶ列を横目で観察してみた。
主に在るのがお汁粉の店と言う事もあり、既に人だかりは列を成している。
が、その列の中に例の彼女の顔は見当たらない。
まだ来ていないのか。それとも何処かへ行ってしまった後なのか。
少なくとも似顔絵と、若しくは情報と重なる面が有れば観察力の高い翼か、静矢ならば早く気付くはずだ。
来場者は多いとも少ないとも言えない人数だった。
学園全体の人数から考えれば少ない方か。
会場もパーティーと言ってもシンプルなものであり、前面に特設ステージ。
その脇にお汁粉を配布する小さな空間が設けられている。
会場全体は意外に広く、そこに等間隔にテーブルと椅子が敷き詰められている、といった具合だ。
テーブルにはどれも二人以上座れるように椅子が配置されている。
会場に来た学生は取り敢えずお汁粉の配布場所へ行き、静矢の作成したメニューに沿って注文してから飲食スペースへ案内されるといった流れだ。
用意した二種類の味付けは今のところ普通味が多く売れている。
中にはリピーターなる者も見え、交互に注文される事もあった。
また、Rehni制作のお汁粉も若者に非常に好評なのだが、これがまた砂糖多めのドロッドロな汁と糖分補給者御用達の様な一品となっている。
餅に良く絡みついて味わえるが、白玉を入れても美味しそうだ。
他にも甘酒や一口サイズのきな粉餅、お口直し用の漬物も少なからず頼まれ、時間の許す限り何度でもこれらの味を楽しんでいる。
「意外と忙しいのです……」
項に垂らした髪を再度纏め上げ、Rehniは呟いた。
切れ目ない客の足がやっと一旦途切れた頃だ。
会場を見てみると先程よりも人数は増えている、がやはりそれでも少ないように思える。
ステージの方にも誰も居ないようだ。
「レフニーさん、変わって貰えるかい?」
作業の手を止めた静矢が声を掛けた。
「鳳お兄ちゃん、どこか行くの?」
両手を拭く静矢の背に空が問う。
吹いたおしぼりをテーブルに置き、静矢は振り返りながら言った。
「もう少し、集客を高めてみるとしよう」
開始から二時間もすると、流石に止めどない、とまではいかなくなった客足に、翔を含んだ四人は休憩を入れる事とする。
それでも会場自体は予想を遥かに上回って盛況であった。
これが途切れなかった理由として、あれから静矢がステージを使って料理のパフォーマンスを行った事にあると言える。
「何でも大学部のイケメンが料理を披露しているらしい」
噂の回りは速いというもので、一目見て置こうと特に女性の学生が多く集まってきていた。
そのパフォーマンスも一通り終え、ステージから降りる際に、その陰に隠れる一人の男に静矢は静かに声を掛けた。
「見つかったかな?」
「……いえ、今のところは」
隠れた男、遥人はこちらに姿を見せずに言う。
そうか。と短く切った静矢が戻るところに、見覚えのあるパンツルックの女性が目に入った。
「八神さん」
十字架の銀色イヤリングが涼やかに揺れた。
翼が静矢に気付き、歩み寄る。
「お汁粉の方は大丈夫なのかい?」
「はい、残量も十分でしたし、貰いに来る人達もだいぶん少なくなりました」
そこで『夢の女性』探しに乗り出した。
翼の説明に、静矢は顎に手を当てる。ならば自分もそちらに行くべきか。
「それにしても結構無茶な頼みですよね。『夢に出てきた女性を探してほしい』……なんて」
「彼もそれは承知しているみたいだけどねぇ。とにかくまずは夢の状況を実現させてみようじゃないか」
それでも、一度は自分の目で見てしまったが故に諦めきれない部分も有るのだろう。
例えそれが夜が見せた幻だとしても。
中々ロマンチストな性格。
(「そういうの、私はキライじゃないわ」)
「では、私はあちらを探してみま……」
言葉の途中、二人の傍を小さな影が通った。
方向を変えた翼が目を見張る。
隣を見るまでもなく、静矢も同じ方向を向いていた。
●
同時刻、お汁粉配布場所。
「お汁粉って何?」
休憩中に空が繰り出した質問は、Rehniにとっても意外なものだったかもしれない。
これまでその言葉を何度も聞いていたはずだが、それが何だか理解していなかったらしい。
恐らく食べ物である、という事までは解っていただろうが、それがどういうものなのか空の知識にはまだ存在していなかった。
思い出せば、調理段階から目を輝かせていたように思う。
今更だが、お汁粉とは小豆等を砂糖で甘く煮た中に、ここに有る餅や白玉団子を入れた食べ物だ。
関西では似た食べ物に『善哉』が有る。どちらも汁気が有るが、粒餡が善哉。こし餡がお汁粉。
これが関東では汁気の無いものを善哉。有るものは粒餡もこし餡もお汁粉と呼ぶとされる。
他にも関東で言う善哉が関西では『亀山』であったりと色々有るのだが、大雑把にはお汁粉とはつまり餡子汁だと思ってくれれば良い。
と説明を受けながらも、空は相変わらず「ふんふん」と笑顔で聞いている。
解ってくれたかな、と思いつつ、Rehniはそのお汁粉を注いで渡し、自分も頂く事にする。
入れる餅にも様々有るが、彼女の今の気分は……焼いただけの餅だ。
「お餅って『ぷく〜』って膨らむんだね〜面白い! 怒ってるのかな? ぷく〜って」
膨れ上がる様を見て、空も真似して頬を膨らませてみせた。
無邪気で良い笑顔だ。チームに居ればその力に励まされるかもしれない。
「このお汁粉っていうの、さっきのお餅が入ってるんだね。温かくて凄く美味しい。甘い食べ物なんだね!」
そう。そしてそれは今まさに焼き上がるのである。
香ばしい匂い。口に入れれば苦味がアクセントとなってお汁粉の甘みを更に引き立てる。
働いた後であるなら、それは格別だろう。
「脳が蕩けるのです……」
もし、尻尾でも生えていたら嬉しそうに振り回すのが見える。
口直し用のお新香を間に挟めば、舌をリセットする酸味と塩辛さ。
そこから改めて味わえるお汁粉の甘さ。
これぞ、まさにハーモニー。
甘味に浸るRehni達の元へ、来客が見えた。
「済みません……」
とか細い声であったので、気付くまでに二口は食べたかもしれない。
慌てて箸を置いた二人だが、その顔を見てハッとした。
お汁粉を受け渡し向けられた背に、Rehniは『大佐』、ヒリュウを召喚する。
「宜しくですよ、大佐」
その数分後の事だ。
「すみません。ちょっといいですか?」
お汁粉を片手に持った少女に、翼は詰め寄った。
キョトンとこちらを見つめ返すその少女は、小柄で黒い瞳と黒いショートボブ。
ほっそりとした輪郭は体型にも表れていて、翼よりもやや低い身長。
似顔絵と照らし合わせるとほぼ一致する。
「私は大学部の八神といいます。いきなり失礼かと思いますが、よろしければ少しお時間をいただけないでしょうか?」
細い垂れ目がこちらをじっと見つめる。
数秒して、一文字の口からやっと言葉が漏れた。
「……構いませんが」
静矢はチラリと上を見上げる。
何かが飛行していくのが見えたからだが、どうやら再召喚されたRehniのヒリュウが遥人の元へ向かって行った様だ。
その遥人はと言うと、翔に向かって手招きしている。
やや混乱が有ったようだが、静矢は翔とすれ違って様子を伺う遥人の元へ向かうと、肩を軽く叩いた。
「相席になった後は……それは白石さん次第だよ」
翔が開いたテーブルに案内するのが見える。
次に、事前に伝えられていた翼の番号から連絡が入った。
たった今Rehniと空から受け取ったお汁粉を手に、なるべくわざとらしくない態度でそこへ向かう。
手汗さえ隠せていれば完璧のはずだ。
談笑に紛れていたが、「相席になるけど、良いかな」と言っていたのはハッキリ聞こえた。
翼からの耳打ちで教えて貰った事では、その女性の名は『紅城雛』(クジョウ・ヒイナ)と言うらしい。
大学部の一年生だそうだ。
「どうぞ」
雛に促され、遥人は自分が立ちっぱなしである事に気付く。
何から切り出すべきか、お汁粉が冷え切るまで箸すら持てそうに無かった。
「まさか、本当にいるなんてね」
翼がやや前に出て、四人は遠くからその光景を見守る。
Rehniも恋路には興味深々であったが、出歯亀となるのも流石に無粋だろう。
ここは静かに見守るのも優しさというもの。
流石に終了時間まで対面しているとは思わなかったが。
●
「ふふん、家に帰ったら本家の兄ちゃんにも自慢してやるんだ! ボク今日お汁粉っていう美味しいもの食べて来たんだよ? いいだろ〜って」
後日再び会場となった場所に集まった四人の内、空は陽気に語った。
後片付けの残りもあったのだが、その次いでに二人のその後が気になったからだ。
暫く作業を進めていると、遥人はすぐにやって来た。
「いやぁ、スッキリしました。有難う御座いました!」
彼は非常に晴れやかな表情をしていた。
付き合ったかと問えば、それはノーと言う。
「だって、僕はただ会いたかっただけですから。それに、向こうも僕の事は知らないみたいでした」
でも、不思議ですよね。と遥人は続ける。
「会った事も無いのに、どうして瓜二つで夢に出て来たんでしょう?」
頭を掻いたその動作で、遥人の上着ポケットから紙切れが零れた。
「白石さん、これ……」
静矢がそれを拾う。
「あ……」
慌てて紙を奪い取った遥人は恥ずかしそうに去って行く。
紅城雛の連絡先がしっかりと書かれた、その紙を持って。